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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第18章  雹【Ordeal】
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第254話  ~カラザVSクラウド&ファイン~



 原種(ジェネシス)蛇族(ナーガ)の血に活を入れ、下半身が蛇の肉体と化したことを最たる変容としたカラザ。二本足でない人類が、いよいよという戦いの場でどのような動きを見せるのか、始めは予想だにしなかったクラウドとファインだが、その動きには今のところ、普通の人間と大きな違いが無い。


 素早くうねらせる蛇腹が、カラザの全身を勢いよく全身させる加速度は、まるで脚力に秀でた人間の瞬発力と遜色ない。距離を詰めてきたカラザの振るう杖を、かがんでかわしたクラウドが裏拳を振り抜いてカウンターの一撃を放つが、これをカラザは蛇腹を操り素早く後退してかわす。これも、今までクラウドが戦ってきた相手の健脚に見劣りしない動きだ。


 カラザの最も恐るべきは、その術士としての力量にあると周知。顔を含めた見える肌の殆どを、蛇の鱗で染めたカラザが息をひと吸いした時点で、クラウドは既に横っ跳びの足を踏み切っている。クラウドが身を逃した瞬間、カラザが強く吹く息に炎を乗せて吐き出して、先読みして回避した敵の残影を炎でいっぱいにする。


 肝を冷やすような一瞬にも動揺の色ひとつ見せず、クラウドが一歩踏み出して放つ突き上げ気味の拳も速い。カラザが杖を構えて防ぐも、余りあるパワーはカラザの体ごと後方に押し出し、きっと杖を持つ手も痺れているはず。蛇の下半身をぎゅっと巻き、地に接する面積を大きくしたカラザが、二本足で踏ん張る以上のブレーキを叶える姿に、クラウドも敵の体の使い方というものを知る。


「天魔、重熱線(メガブライト)!」


 単なる威力重視の大味な熱線砲撃を、これ以上ないタイミングで撃ってくるファインだから、予想できよう戦場の一幕にもカラザも苦い笑いが出る。後ろに傾きかけた重心を、ぐいっと前に引き戻して体勢を整えようとした矢先、最も次の動作に移りづらい隙を的確に狙ってくるのだから。冷静に下半身で地面を瞬時に押し出し、後方に軽く跳んで太い熱光線から逃れたカラザだが、一瞬でも戸惑いを覚えていたら全身を焼かれていただろう。


「ファインっ!」


「わかって、ますっ!」


 とにかく二本足で豪脚を持つクラウドやレインなどの例と比較しても、カラザの動きは見劣りしない。回避の後の着地の瞬間、ばしんと地面を叩く重い音と共に全身を押し出し、ファインの方向へと真っ直ぐに突き進んできた。初速を得るため地を叩いた瞬間のみ体を浮かせ、極小時間、宙にあった下半身は地に接した瞬間からもう浮かない、氷上を滑るかのように平原を駆け抜ける。

 摩擦無きを思わせるその勢いには、急襲を常に警戒していたファインも、言葉と裏腹回避に余裕がない。あっという間に至近距離に迫ったカラザが振るう杖を、跳躍したファインが後方に大きく逃れてかわすが、近距離戦のエキスパート達に比べて間の取りようが大きく、無駄も表れる。それだけ必死で、咄嗟だったということだ。


「やはり、スノウか」


 小さく呟いたカラザの言葉は、ファインの耳には届かない。カラザに急接近したクラウドの突き出した拳と、振り向きざまに杖を構えたカラザの防御が、激突音を生じさせて小声をかき消したからだ。たじろぐように退がるカラザ、続けざまに放たれるクラウドの蹴り、かがんでかわすも逆の足がすぐに突くような軌道で襲いかかってくる。これも杖を構えて防ぐが、そうしてさらに押し下げられた直後にはもう、腰を低くしたクラウドがカラザを真正面に見据えている。


 レインにも勝る豪脚、ドラウトにも劣らぬ剛腕、タルナダにも比肩する格闘術。すべてを併せ持つクラウドの、最速で地を蹴ってカラザに突撃し、突き出す正拳突きの重さったら恐ろしいの一言だ。一撃一撃がそんじょそこらの歴戦の兵に泣きを見せる威力と速さ、それでまず相手の体勢を崩して、ここだと思えば渾身の強撃である。かわせず苦々しく杖を構えたカラザも、受ける衝撃の重さに歯を食いしばり、自ら後方へと体を逃がすように地を蹴って衝撃を受け流す。それでも杖を手放しそうになるほどのインパクト。


「地術、噴熱炎柱(アースエルツィオーネ)!」


「まったく……!」


 カラザが何をこんなにうんざりするかって、クラウドに吹っ飛ばされた形と同じ自分の後方へ、既に果敢に回り込んでいるファインに対してである。地に掌を当て、自分の前方に地面伝いに魔力を送っているのはそこまで大きな問題じゃない。接触領域に自ら飛び込む度胸と、素の彼女本来では出せぬはずの素早さが問題なのだ。


 体が地面から離れているカラザだが、長い下半身を勢いよく下方に振り下ろし、地面を叩いた反発力で上空へと高く跳ぶ。空中でジャンプするような挙動だ。それが、カラザの後方すぐの地表より、間欠泉のように吹き出す炎からカラザを逃れさせる結果を導いている。


 どうせ来るんだろうと思っていたら、ほらやっぱり来た。ファインの魔術を回避した空中のカラザに、飛びつく勢いで跳躍したクラウドがいるではないか。本当に、攻め時というのを知っている奴だと思う。突出した身体能力やら何やらより、この戦闘勘がクラウドの一番怖い所である。

 カラザとの距離がゼロに近付く寸前、首を引いて全身を前回りに回転するクラウドの予備動作に、カラザは対処する暇が無い。またこのパワーを杖を構えて受けきらねばならない。二手先を読み、既に魔力を集めてはいるが、回転する体の勢い任せに踵を振り下ろしてきたクラウドの一撃を受けたカラザは、表情を歪ませて地上へと叩き落とされる形になる。


「くれてやる……!」


「クラウドさ……」


 敵を地上に撃墜した直後で体の浮いたクラウドに向け、凄まじい勢いで地上に落下している中、カラザはその杖を一振りだ。今のクラウドの全身どころか、巨獣化したクラウドであろうともその全身を飲み込めそうなほどの、大きな炎を放つのだ。狙える隙があろうカラザへの追撃も出来ず、血の気の引いた顔でクラウドの名を叫ぶファインの目にも、クラウドが丸焼きにされるビジョンが嫌でも想像できただろう。


「っ、らあっ!!」


 カラザにとっては想定内で、カラザの炎に飛び込んででもその火を制し、クラウドを救おうと踏み出しかけていたファインには想像外で。クラウドがその右手を開き、自らに迫る火の魔力に対し、爪を振り抜く獣のような勢いで炎をひっかきにかかったのだ。その行動が、カラザの炎をまるごと切り裂いて、クラウドを呑み込み包むはずだった業火が割れ、クラウドの両脇に逃げていくのだからファインも驚きだ。


 下半身を下にして、既に地面に強く着地していたカラザは、見上げた先で起こった光景に対して鼻を鳴らしていた。決して何かを嘲るような笑みではなく、何かに対して呆れるような態度。呆れもしよう、もとより反則級だと形容していた羅刹種(ラクシャーサ)のクラウドだが、ともかく想定どおり血の力の殆どを覚醒させ果たしている。楽に勝たせてくれないのはわかっていたが、そこまで意地悪しなくてもいいだろう神様よ、と。


「クラウドさん……!」


「っ、と……あちちっ……!」


「だ、大丈夫、なんですか!? 今の、その……」


「大丈夫だよ……! 俺も、よくわかんねえけどな……!」


 着地したクラウドに駆け寄ってくるファインは、今の光景が何かの間違いだとでも思ったのだろう。生身の体で魔術の炎を、どうこう出来るだなんて常識外すぎる。何らかの幸運でクラウドの命だけでも助かり、火傷まみれで生存した彼を応急治癒しようと駆け寄ったファインに対し、クラウドの全身はすすが残りはするものの傷ひとつ無いのである。


 俺じゃなくってカラザを見ろとばかりに、ファインに対する返事も短く、体の向きを改めるクラウドだが、彼自身も内心では似たような想いだ。前例のいくつかから、自分にそういうことが出来る力があったことは経験として知っていたけれど、どうして自分にそんなことが出来るのかまでは知り得まい。

 出来るなら出来るで結構、幸運なこと。そう簡単には割り切って流してしまえるほど、物理的な肉体で魔術に抗うという事象は、常識の枠に収められることではないのだ。


「どうかね、クラウド」


「あぁ!?」


「気分がいいのではないか? さんざん煮え湯を飲まされ続けてきた相手に、これなら勝てそうだという実感があるだろう」


 この死闘の場で、何を語りかけられてもまともに聞く気の無かったクラウドが、飄々としたカラザの声に思わず耳を傾けてしまったのは何故か。カラザの言葉は、まるでクラウドの心を読んだかのように、今のクラウドの胸中に隠されていたはずの手応えを言い当てていたからだ。


「このまま押し切ればなんとかなるかもしれない――いや、それでは駄目、油断すれば隙を突かれる――お前が今、考えていることと言えばそんなところだろう?」


「っ……」


「戦前、私と向き合った時に何を思った? 勝てないかもしれない、だけど何とかしてみせる――概ねそんなところかな。"自信"が何よりも大事と言っていたらしいお前にしては、随分と弱気な思考だと思うがね」


 杖を持たぬ方の手で口元を押さえ、肩を軽く揺らすカラザの挙動は、作り笑いでからかうような仕草をよりわかりやすくクラウドに見せて演じている。まずい、こいつのペースで話をさせると揺さぶられる、と感じて足に力を入れかけたクラウドだが、一手早くカラザが離れた位置からクラウドに杖先を向けてきた。

 隙のない自らを、自分の行動の一瞬前に見せられると進撃も躊躇われるものだ。杖の構えで初動を挫かれたクラウドが動きあぐねる中、カラザは作り笑いを消して、代わりに本意から小さく笑った。図星だったからだ。


「勝てないかもしれないと思っていた相手、最悪負けて殺されてもおかしくないと思っていた相手に、今度は思ったよりも簡単に勝てそうな今とは、気分がいいものではないかね? 少なくとも、お前達のように前向きな希望を何よりの糧にする子供には、いかにもそれだけで士気が上がりそうな話だ」


「っ、うるさい……!」


「お前の中に流れる羅刹種(ラクシャーサ)の血は、血族の原種たる私にも勝るほどの良血なんだよ。お前は、その血がお前にもたらすものは、人並外れた身体能力だと思っているだろう?」


「何だって……!?」


 興奮状態のクラウドが、思わず聞く構えに入ってしまうようなことを、このタイミングで即座に言い放つのがカラザの話術である。ある意味では、手玉に取っていると言っても過言ではない。クラウドが動かないのであれば、一人で戦う自信と勇気を持てないファインも動かないから、カラザが望むとおり戦場の空気が一度凍っている。


羅刹種(ラクシャーサ)の始祖どもは、アストラのような地竜族(ヨルムンガルド)やドラウトのような牛種(タウルス)とは真逆の、むしろ血の力が身体能力の向上には著しくない血族だったからな。もっとも、体の使い方や機敏さ、夜目の利きようなどの利点は、人に勝る特徴ではあったがね。まあ、軒並み猫舌だとか、決して得なことばかりでもなかったらしいが」


 古臭い昔話を懐かしむように、笑いながら、猫舌という単語を出す際には自分の口を指差すなどの仕草まで交えて話すカラザの語り口は、明確に時間を稼いでいるそれ。細かい、今はどうでもいいようは話まで含まれているのが何よりの証拠である。

 しかし、そうした無駄話を挟みつつ、すぐに話を本筋に戻すカラザが、真の狙いに気付くのを遅れさせる。自身の血にある本質を知りきらないクラウドに対し、この話題はあまりにも効果的すぎた。


羅刹族(ラクシャーサ)の本質は、卓越した術士であったことだと最も言い切れよう。優秀な呪術士の集いであったと言ってもいいぐらいかな。何せ、人と動物の融合体である原種(ジェネシス)……ああ、今の時代で言えば古き血を流す者ブラッディ・エンシェントと言った方がわかりやすいかな? それを私達が住むこの大陸に初めて生み出したのも、流れ着いて我らの大陸に住み着いた羅刹族(ラクサーシャ)だったのだからな」


 いったい、カラザは何を言っているのだろうと二人は思ってしまう。二人はカラザが、千年の時を生きてきた人物であるとは知らないのだ。どうしてお前がそんなことを知ってるんだ、と、クラウドがそれに近い言葉を発しようとした瞬間に、カラザは次の言葉をすぐさま放つ。考えさせる時間を与えない。


羅刹族(ラクシャーサ)は数多くの……そうだな、古き血を流す者ブラッディ・エンシェントを作り上げた。太古の天地大戦の中、武力がどの陣営にも欲しかった時代のことだ。……ああ、そういえばお前達にはまだ話していなかったかな? 私は、その時代に生きていた人間であり、古き血を流す者ブラッディ・エンシェントの始祖とも言える原種(ジェネシス)の一人なんだよ」


「っ、でたらめ……」


「信じようと信じまいと構わんよ。だが、私はお前よりも、お前の中に流れる血の本質を知っている」


 聞かれて困ることは話さない、聞かれても困らないことをありったけ並べて話を長引かせる。その間に、術士のファインにも感じられぬほど密かに、体と魂の内側でじっくりと魔力を練り上げる。


羅刹族(ラクシャーサ)達は、人を超える身体能力を持つ者が増えたことで、相対的に物理的な力においては下位に属する者達となった。ゆえに彼らは、自らの身体能力を向上させる地術を編み出した。闇の魔力を用いた秘術の中には、そうしたものが一つある。……くくくっ、これがまあ羅刹族(ラクシャーサ)どもの狡猾なところでな。奴らは身内間では分け隔てなくみなその秘術を習得しておきながら、この秘術だけは門外不出の秘め札として抱え込んでいたのだよ。恐らくそれによって自分達が向上した地位に、また誰かが追いついてくるのを防ぐためなのだろうが、おかげさまでその術の程は、現代においては誰も知らぬ術となっている」


 人は、思いもかけない事実を耳にした時、それに意識を囚われるものだ。すでにカラザの語り口に、本来望まぬながら聞き入らされている二人は殊更にである。クラウドなど、ちらりと自分の片手に目線を下ろし、握った自分の拳を見てしまっているほどだ。それを、カラザは見過ごさない。


「もう、わかるのではないか? 羅刹族(ラクシャーサ)というのは、所詮は猫の血族だ。竜を筆頭とした大きな生物の血族のように、万人を上回る身体能力をもたらす血筋ではない。お前の卓越した肉体を顕現させているのは、そうした秘術によって自らの肉体的な弱みを補っていた羅刹族(ラクシャーサ)どもの、習慣化し魂にまで沁み込んだ秘術が自然に現れているというわけだ」


「……だったら、何だって言うんだよ」


「お前の血に流れる本質とは、身体の強化を叶える血の騒ぎではなく、その血に脈づく術士としてのそれという話だよ。それによって、お前がなぜ生身の体で、他者の魔術に介入できるのかも説明できる」


 まだだ、もう少しだ。逆に言えば、もう少しで済む。自分だけが知っている知識をひけらかす楽しみで笑う表情を演じるカラザの裏には、いよいよ万全叶いしという魂胆が含まれている。

 クラウド達を追ってきた長い時間の間でも、下準備を整えきるのが難しかったこれは、やはり戦場で一戦直接交えた後に、心身ともに真のコンディションにまで熱さねばならぬものだとカラザも実感している。それほどまでに難しい"秘術"を、カラザは叶えようとしているのだ。


「火には水、土には風、木には雷、闇には光、逆も然り。魔術の全てには対属性がある。つまりはどんな魔術であろうとも、逆の属性をぶつければ打ち消すことが可能というわけだ。羅刹族(ラクサーシャ)どもにはもう一つ、特筆すべき特徴があった。奴らは術士としてはあまりに有能で、他者の魔術を打ち消すことには大変秀でていたんだよ。その極意が、お前の血筋にも残っていると説明すれば、そろそろお前にも答えが見えてくるのではないか?」


 クラウドは触発させられる形で思い出す。思い出させられる。アストラの炎に抗えた自分のことを、セシュレスの魔術に巨獣化した後の爪で対抗したことを。初めての時はがむしゃらのあまりにやったこととはいえ、その経験が二度目には、偶然の賜物ではなく、それが自分に出来ることだと知った時のことまでを。

 その答えが、カラザから示されている。どうしてそんなことが出来るのかはわからないけれど、漠然と、出来るものだと結論だけを持っていたクラウドにとって、その遠因を知れたことは新しい知識である。その衝撃的にも近い口伝には、思わずクラウドも目線がカラザに向いていながら、意識が内を向いてしまう。ファインもそう、表面上の振る舞いそのものは変わらぬながらも、明らかに動揺しているクラウドに目線を泳がせ、心配になる想いを隠しきれていない。


「私達はお前が羅刹族(ラクサーシャ)の末裔だと知った時には、つくづく反則だと思ったよ。地竜族(ヨルムンガルド)のアストラと渡り合えるほどの肉体を持ち、さらには他者の魔術に抗う手段まで本能で持ち得ているのがお前なのだからな。……まあ、千歳の私が今の時代で若者相手に、お前の血は卑怯だとわがまま言うのも大人気ないかね」


 冗談めいた口を回していたカラザが、口に手を当てて笑う仕草は、別段今までと変わっていない。しかし、この時カラザの浮かべた笑みが、ここまでのそれとははっきり違っていたことに、はっとして気付いたのがファイン。その瞬間、目を見開いた彼女の全身から、ぶわりと汗が噴いたのは勘の賜物だ。


「っ、天魔……」


「おっと、駄目だな」


 ファインの僅かな表情の変化から、真の狙いに気付かれたことを悟ったカラザの行動は、両の掌を前に出したファインよりも速い。杖を振るい、ファイン目がけて岩石弾丸を放つだけでいい。ただこれだけで、クラウドが思わず手を出し、ファインを狙う形で放った弾丸をはじき飛ばしてくれたところまで想定済み。


「せっかくいいものを見せてやろうと言うんだ。見ておいて、損はないと思うぞ?」


「く、クラウドさん……!」


「わかって……ああっ、くそっ!」


 もう駄目だ、遅すぎた。カラザは完全に構えている。仕掛けて向こうの狙いを挫くには、明らかに何手も遅れている。

 まずい、何か途轍もないことが起こる予感がする、そしてそれはもう阻止できない。口車に乗せられて、カラザの巧みな時間稼ぎの虜とされていたことにようやく気付かされた二人をして、この後悔は表情が歪むほど重い。


「さあ、アストラよ、力を貸してくれ……私達の時代の集大成を、今この時代に呼び覚まそう……!」


 カラザほどの術士でさえ、一人ぶんの魂では叶えきらぬ秘術。そして、自分達の時代の賜物を、この現代の流れに介入させることをかつて拒んでいたカラザが、同世代のアストラの力を借りてまで、古代の力を現代で全力で降るわんとしている。

 彼は変わったのだ。千年もの時があれば人は変わるとも言えるし、千年近く貫いてきた人生観でさえも変わることがあるほどには、人は永久不変ではいられぬとも言える。永い時の流れの中で、(かび)を生やして凍結していた価値観を溶かし、新たなる時代に生きる新しい一人として生きるようになったカラザだからこそ、真の意味でのクラウド達の天敵として今ここにある。

 単に人ならざるものなどよりも、人を超えた人の方が確実に恐ろしいのだ。


時流冬結(ウィンタークロノス)!!」


 目に見えた異変が、クラウドとファインを無性にぞっとさせた。カラザの胸の真ん中に発し、彼の全身を包むのではないかという球体の"闇"が、ぐわっと大きく膨らんだのだ。それは一度、確かにカラザの全身を隠しきるほどの大きさに膨らんだが、すぐにぎゅっとしぼまって再びカラザの胸元に戻る。ただ、それだけ。それ以前とその後に、変化があったわけではない。


 だからこそ、怖くなる。何も起こっていないはずがないという当然の発想。それに加えて、唐突に顕現した"闇"を思わせる真っ黒な何かが、カラザの体に取り込まれたかのように見えた光景。未知の恐るべき魔術が目の前で行使されたという現実は、ただそれだけでクラウドとファインを、万全の構えにまで引き戻す。


「クラウド、ファイン。古代人としてではなく、人生の先輩として、一つ大切なことを教えておいてやる」


「っ……!」


「子供は、いつか必ず大人になる。成功と、そして挫折を繰り返してだ。正解と過ちの何たるかを学び、そうして年経た先に、本当の意味での"大人"の姿がある」


 カラザの表情に笑みはなかった。教え諭す、大人としての表情でもない。冷徹な瞳で、まるではなむけの言葉を発するその態度に、クラウドとファインの背筋が凍るのは死をも予感したからだ。


「お前達にはもう、大人になる未来は無いのだがな……!」


「ファイ……」


 カラザが目の前から消えた。クラウドもまた速かった。女の子の体をいたわる想いなどないほどの力で、強くファインを突き飛ばしていた。殆ど吹き飛ばされるような勢いでクラウドから離れさせられ、足元が覚束なきながらもクラウドを振り向いたファインの目の前で、悪夢の第一幕が始まっている。


 カラザの振り抜いた杖を、両手を交差させて構えたクラウドは、確かに防いだはずだったのだ。そんな彼が、細身のカラザの杖の一撃だけで、吹き飛ばされて地面に身を打ち身を跳ねさせる。三度跳ねた末にすぐさま起き上がったクラウドだが、ファインには目でも追えぬような速度で迫ったカラザは、既にクラウドの目の前に現れている。


「うぐっ……があっ……!?」


「なるほどな……! 羅刹族(ラクサーシャ)どもが、門外不出にしたがるわけだ……!」


 横一線に振り抜いたカラザの杖は、横に構えたクラウドの手甲纏いの裏拳を押し込め、クラウドの体ごと押し抜いて再び吹き飛ばす。横殴りの凄まじいパワーに押し負けて、あれほど少年相応の叩き飛ばされ方をし、受身もままならぬ半身で地面に倒れるクラウドなど今までにいただろうか。ファインも絶句し、意識を奪われかけていたものの、ぞわりと背筋を打つ危機の予感に助けられ、思わずと言っていい形で地を蹴っていた。


 見てからじゃ間に合わなかった、カラザから自分向けの殺気を感じた瞬間に跳んでいなかったら。それでぎりぎりファインの足先を、急接近したカラザの振り抜いた杖が空振り、その風切り音は今までに聞いたどんなそれよりもファインの耳には響いた。間違いなく、一撃受けただけで終わりにさせられていたことを確信できる音だ。


 空で翼を広げて滞空するファインは、もう地上に降りることが出来ないだろう。軋む体で歯を食いしばって立ち上がるクラウドと、空のファインを交互に見るカラザは、戦況が塗り替えた今になっても余裕を顔に表さない。

 必勝の戦いなど決してどこにも無い。ましてクラウドとファインの底力を、過去に何度も見てきた者が、今さらかつてない力を得たからと言って驕っていては愚の骨頂。戒める意識なく自ずとそうした覚悟を以って戦いに臨めるからこそ、カラザは強者であり続けてくることが出来たのだ。


「老いて天寿を全う出来る者ばかりではない……! 私がお前達に教えられる、最後の教訓だ!」


 スノウを上回る術士にして、クラウドを超える身体能力の持ち主。千年の時を経て得た術士としての力量に、唯一の隙さえをも埋めた古代人が、最期への言葉を高らかに唱えた。クラウド達を、短命の現代人として見下した声ではなく、未来ある若者と認識しての声。その無限の未来をこれより摘む、老害を自覚した強き声。歴史家として永く生きた彼をして、若き者達が永劫の歴史を紡いでいく中、いかに掛け替えなき至宝であるのかは当然知っているはずなのに。


 もう、止まらない。二人に定められた死への船出は錨をはずしている。音を超えたと見紛うほどの速度で接近したカラザは、かろうじて構えたばかりのクラウドを、既に射程圏内に捉えていた。

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