第253話 ~ミスティVSレイン~
ミスティの戦い方には今、暗黙の縛りがかかっている。空を飛べないということだ。
ミスティの役目は、ファインやクラウドと戦うカラザの所へレインを行かせぬよう、足止めすることが最優先。飛翔能力を持たないレインが相手だからと言って、高所からちんたら狙撃戦を仕掛けていたら、素早く小回りの利くレインを取り逃がし、彼女をカラザが戦う場所に行かせてしまう可能性が高い。空の戦いを得意とするミスティが、敢えてレインの土俵である地上戦に付き合わねばならないのは、そうした事情によるものだ。
「んっ、ふふふっ……危ない危ないっ……!」
「っく……はあっ!」
しかしミスティも、空中戦の狙撃戦を得意とする割には、武闘派としての一面を併せ持っている。速度を得る風、重みや緩衝を両立させる水の魔力を全身に纏い、擬似的に身体能力を向上させる魔術の使い方で、素早く何度も放たれるレインの足技をかわし続けるのだ。ファインと一緒に旅をしていた頃の、サニーと同じ戦い方を容易に叶え、加えてファインのように空の狙撃戦も得意とするのがミスティという少女である。
「でもまあ、ちょっと安心したよ……!」
「くぁ……っ!?」
レインの上段回し蹴りをかがんでかわし、続けて低段に繰り出される突き蹴りを構えた両掌で受けたミスティは、その重みで後方に押し出される。前に傾けた重心の徹底で後方にすっ転んだりはせず、靴の裏で地面を擦ってだ。生じた距離、痺れる掌、その手を動かさずそこから火球を発したミスティの攻撃に、レインも素早い横っ飛びで回避である。
その隙に、ミスティは自ら地を蹴って少々の距離をレインとの間に作る。緩衝してもかなり響く、レインの蹴りの強さに両手首を軽く振ってだ。痺れはあるが、差し支えない。
「この程度だったら、問題にはならない、ねっ!」
数度ほどぶらぶらさせた手を、そのまま予備動作もなく振るったミスティが、地面に魔力を放った。地表を跳ねながら走る稲妻を発射し、前方広範囲に足の踏み場も無くすのだ。慌ててレインが跳んで、駆け、その雷撃が走る攻撃範囲内からなんとか逃れた直後、彼女に迫るのはミスティの魔術ではない。
急接近したミスティが、手と脚という4つの武器を格闘家さながらの操りようで、レインに連続攻撃を仕掛けてくる。背の小さなレインだが、ミスティも小柄なため裏拳を普通に振るっても頭を狙えるのが丁度いい。その一撃をかがんでかわすレインへさらに、額めがけた蹴りの振り上げを放つミスティの攻撃に、女の子同士の戦いだからという慈悲はない。それをかわすために僅かにレインが下がっても、彼女の反撃を許さぬほどの速さでミスティが逆の脚で水面蹴りを放ってくる。レインは跳んでさらにかわすしかない、自分の脚が相手に届かない距離までだ。
「泥む生霊……!」
鋭い笑みを浮かべたミスティは、既に勝利を確信したかのよう。胸の前で上向きにした掌から、ぼつぼつと赤い火の玉を次々に作り出し、それらは間もなくしてレインへと一斉に襲いかかる。軌道は不規則、ゴールがレインということだけが共通する火の玉の群れは、目の前が真っ赤な炎の軍勢でいっぱいになったレインをして、ぱっと見逃げ道のひとつもない。
「っ……!」
「やるねぇ、でも……!」
ここで退くどころか横逃げもせず、真っ向から火の玉の群れへと突っ込んでいくレインだから侮れない。弧を描く火の玉の軌道の数々、その間隙を体をひねり、しずめ、駆け、かいくぐってミスティへと接近する。走行軌道はまるで子供の落書き、折れ線のようで規則性がなく、それを叶えた上で速い脚は、レインの最大の武器だろう。
しかし、足りない。ミスティとの距離を縮め、腹部めがけて足を突き出す蹴りを発したレインであったが、両の掌を前に構えたミスティが、それでがつんと受け止めて後退する。レインからしても、人を蹴って破壊した実感が脚から得られない。人の筋肉や骨を、断裂あるいは粉砕するだけの威力を持つ蹴りが、ミスティの緩衝用の水魔力で力を殺されている。
「私を討ち取る手段が、あなたには無いんだよ……!」
「くぅ……うううっ……!」
すれ違って抜いたはずの火の玉が、後方からUターンして帰ってくるような形で再びレインに接近する。レインだって気付いている、大きく斜に跳び迫る火球の収束点から逃れた直後、彼女がいた場所でいくつも火球がぶつかり合い重爆発を起こす。じっとしていれば一巻の終わりだった光景を目にしつつ、着地した瞬間からもうレインには胸を撫で下ろす暇もない。ミスティが生み出す火の玉は、術者のそばから今も生産され続け、まるでそれ自体に意志があるかのように、術者が命じなくとも勝手にレインを追いかけ続けている。
物理的な攻撃なら蹴り返して対処できるレインだが、迎撃しようのない火の玉からは逃げ回るしかない。いよいよ数が多すぎる。引きつけて、ぎりぎりで素早く動き、火の玉同士のぶつかり合いを誘発してその数を減らすなど、知恵ははたらかせるが何の解決にもなっていない。ミスティは動きながら、火の玉を次々に生産し続けている。
「さあ、来ないの!? あなたの大好きなお兄ちゃんとお姉ちゃんが、カラザ様に殺されちゃうよ!?」
「っ……!」
逃げ回る形しか取れないレインをそうして制しながら、ミスティも駆けながら自分の位置を確立している。カラザとファインらの交戦位置と、レインの間に常に身を置き、つかず離れずの距離を保っているのだ。私を仕留めなきゃ二人を助けには行けない、という位置取りをキープしつつ、それが出来ずにうろうろしていると、向こうの戦いも終わってしまうよと言い、レインの焦燥感を駆り立てる。心理戦でもミスティが有利だ。
「あはっ、来るんだね……! いいよいいよ、死ににおいで!」
幼いレインの焦りは彼女の脚を切り替えさせ、不規則軌道で火の玉から逃げていた彼女が、ある瞬間の土のひと蹴りから敵向かいに進み始める。対するミスティが保っている距離感は絶妙だ。レインの動きを見逃すことのない、それでいてレインが全速力で迫ってきても、充分対応できる間合いを取っている。
浮遊、飛来する火の玉を、ほぼ最短距離ながらかいくぐってくるレインだから、障害物なしで真っ直ぐ来られるよりも1秒以上の時間を稼げる。必要以上に大きいほどだ。レインに迫られる前に随分と余裕を持って、火の玉の生産を打ち切った瞬間に、レインと接触交戦するミスティの構えは完成されている。
距離を詰めてレインが蹴りを放っても、ミスティに対する致命打とは程遠い。低い蹴りは後退するか跳ぶかでかわされ、上段への蹴りはかがんでかわされるか、腕を使っての防御ではじき返される。ならばと低姿勢になった瞬間にぎゅるりと体を回し、地面に両手を突いて蹴り上げる足で、ミスティの胸や顎を狙い撃つ後ろ蹴りを放っても、素早く下がりながら構えた掌で防がれてしまう。
当たらなければ意味のない攻撃、ミスティの冷静な回避力、しかも当たっても大きな効果はなし。おまけに数度の攻撃をそうしていなされている間に、浮遊する火の玉が襲いかかってきてレインは逃げざるを得なくなる。攻め手に欠け、相手は自由に攻めてくる、極めて苦しい状況だ。疲労に加えて精神的なきつさが、いよいよレインに息切れを起こさせる。
「貰うよ、レインちゃん……!」
「っは……!?」
火の玉から逃げ移る足取りのレインが荒い息を吐いたその瞬間、今度はミスティが急接近。開いた掌、それを振りかぶって接近するミスティのその手が、一瞬でとげまみれの氷に包まれた。凶器に近い装いとなったその手で、ミスティがレインをひっぱたくような平手のフルスイングを放ってくる。
触れない、ずたずたにされてしまう、かと言って、レインがかわせる足元でもなかった隙を突くその一撃。レインは咄嗟の反射神経に身を任せ、つま先を振り上げてミスティの手を包む氷塊を蹴り上げる行動を選んだ。一撃で氷塊が粉々に砕け、その中に含まれていたミスティの手にも相応の衝撃が走ったはず。その手が数秒は使えなくなったが、今のミスティにとってはたいしたことじゃない。
手ごと打ち上げられて上ずった体勢にされた、体の流れも取り込むまま、片足を軸にして一回転したミスティが放つ後ろ蹴りは、振り上げた直後のレインのふくらはぎを狙った突撃弾。間髪入れずに放たれたそれにも反応し、逆の脚を振り上げたレインは流石だと言える。突き出されたミスティの足を、踵を蹴り上げる形で相手の体勢を崩すが、レインも短い時間差で両脚を振り上げたのだから、背中から地面に倒れる、あるいは落ちざるを得ない。
二人ともすぐさま体勢を立て直して地を蹴られる姿勢に戻るが、術者が何をするまでもなく敵に迫る火の玉が、既にレインの目と鼻の先。起き上がりかけの体勢で耳元すぐそばに熱を感じたレインは、ぞっとするまま横に地を蹴り、素早く転がるような形で逃げるので精一杯。転がるままにそのうち立つ形になって膝立ちになるが、この時もうミスティは中腰の姿勢から、レインに向けて急接近を始めている。
「あぁ゛ぅ、っ……!」
まるでレインの得意技を意趣返しするかのように、ミスティは飛来するまま両足を突き出し、勢い任せの跳び突き蹴りを放ってきた。跳んで逃げようとしたレインだが間に合わない。跳んで体が浮いた瞬間、伸ばした足の先にミスティの靴の裏は確かに直撃し、右足の甲だか脛だかに痛烈な一撃が入ったのだ。浮いた体でそれを受けて、レインの体の跳び方が乱れ、全身おかしな回り方をした上でレインは半身で地面に落ちてしまう。
「終わ……っ、りっ!?」
着地しぐるりと体を回し、地面に落ちたレインを仕留めようとしたミスティだが、虚を突く一撃がレインから放たれた。地面に転がった瞬間、ぷくっと膨らませた頬の中、口内からとんでもない速度で放つ何かをレインがミスティの顔面めがけて発射したのである。
距離があったからよかった、ミスティも反射的に振り上げた裏拳で叩き上げて凌いだ。びっくりするあまり腰も引けたが、とにかく無傷である。レインの口の中から伸びる、長く張ったそれが上方に逸らされた末、目にも止まらぬ速度で彼女の口へと巻き直されていったのも視認することが出来た。
「危ない危ない……! そっかレインちゃん、蛙種だったもんね……!」
動揺を鎮めるためにひと呼吸入れるミスティだが、その間にもレインを自動追尾する火の玉は動き続けている。地面に転がっていたレインがどうにかこうにか、這うように左手で地面を引っかきながら、同時に蹴る足で不格好に地面をのたうち動く。傍から見れば、地面や火の玉同士で着弾して生じる爆風に吹き飛ばされ、弄ばれている姿にも見える。それでも彼女は、確かに逃げ延びている。
ようやくなんとか膝立ちの姿勢に辿り着いて、しっかり地を蹴り追ってくる火の玉から大跳びで逃れられたレインだが、二本の脚で立てた彼女の姿は変わり果てている。乱雑に地面を転げ回って石や砂に傷つけられたか、大好きなお兄ちゃんとお姉ちゃんに買ってもらった服も所々が裂けている。綺麗な髪も薄汚れ、ドラウトとの戦いで割れた耳の上の傷も、激しい運動の中で開いたのか出血量を増し、彼女の耳の周りは血まみれだ。
そして最悪なことに、半身で地面に落ちたとき、下になったのはレインの右半身。ドラウトとの戦いでやられて、既に上がらなくなっていた腕を下敷きに転んだことは、彼女の右腕を完全に動かないがらくたに変えている。この痛みは、折れていると診断されても疑えない。
「寂しがりやの悪霊……!」
「んっ、んん……!」
それでも火の玉が追ってくる。苦痛に体の右半分を支配されるまま、レインは苦悶の表情で火の玉から逃げ続けなくてはならない。
ここからどうやって攻め返せばいいのか、考える暇もなくレインの駆ける目の前が悪夢色に染まる。ミスティが詠唱して生じさせた、青い火の玉が術者の意のままに群れ、レインが進もうとした前方に無数漂っている。思わず駆け足を止めてしまったレインだが、振り返っても追い迫ってくる火の玉の数々があり、前も後ろも塞がっている。
「さあ、レインちゃん……! 追い詰めたよ……!」
「うっ、うぁ……」
ここで攻め急がないからミスティは恐ろしいのだ。レインを自動で追いかける赤い火の玉が、急に色を変えて蒼くなる。蒼い火の玉はミスティにとって、自動で動く追尾火球ではなく、意のままに操る操作弾。泥む生霊で生み出した火の玉を、寂しがりやの悪霊の火の玉よろしく、自己操作で操る蒼い武器に変えたミスティが、おぞましい蒼い火の玉でレインの周囲を包囲する。
自動追尾の火の玉では、ここまでレインが逃げ延びてきた足取りのリズムと、一致したままであってかわされやすいのだ。前を塞いでいたとしてもである。立ち止まったレインとの適度な距離感を保つ位置まで駆け寄り、ミスティもまた立ち止まると、腰の横で上に向けた両の掌から、自由操作できる蒼い火の玉を次々と生成する。
上も、左右も、前後も、ゆらゆらと漂う不気味な火の玉に囲まれて、レインは行く先を定められずにおろおろするばかり。何も出来ないレインの周囲を、さらにミスティが容赦なく生み出す火の玉が、より密に包囲を固めていく。動くことすらままならないのに、時間が過ぎるとともに、ただでさえ皆無だった逃げ道がより存在しなくなっていく。
幼いながらも闘志に溢れていたレインの目が、憔悴し果てたうつろなものにいつの間にか変わり、自らの死を導く蒼い光に魅入るかのように茫然の色。痛くて痛くて仕方ない右腕を、脇に抱き寄せるようにしていた左手からも、もはや力が抜けそうだ。かすれた呼吸音だけが短命少女の存命を証明する唯一の要素であるかのよう、それでいてそんな彼女を目にしても、一切の油断をしないミスティが、ようやく火の玉の生成を打ち切った。既にレインの周囲には、逃げ場なきほどの包囲網が完成している。
「お、お兄ちゃん……お姉、ちゃん……」
諦め。レインの心を包んだ感情は、その言葉で表して間違っていない。今も離れた場所で、きっと苦しい戦いを強いられているであろう二人の顔を、自分に優しく接してくれていた時の笑顔の方で思い出す。幸せだった頃の思い出だ。
もう、会えない。レインははっきり、そう割り切った。たとえファインやクラウドが、恐ろしいカラザを相手に勝ってくれたとしても、自分はここでいなくなるんだからって。
「じゃあね、レインちゃん……!」
最後の最後まで、レインが完全に動かなくなるまで、ミスティはレインを万全の状態と想定している。思い出に浸る暇も与えず、開いた掌を二つ握り締めたミスティの挙動に伴って、レインを包囲していた蒼い炎が、一斉に対象へと向かって突き進んだ。
生き残ることは、もう諦めたのだ。だったら、せめて。
「っ、ぐっ……! しぶ、といっ……!」
蒼い火の玉の軍勢をレインへ差し向けて僅か二秒後のこと。つくづく、ほぼ決まったと思える状況でなお、警戒心を解かなかったミスティは正しかったと言える結果だ。苦い顔で構えた掌に、びしばし走る痛烈な痛みを奥歯で噛み締めながら、ミスティが吹き飛ばされぬように両足を踏ん張っている。
よもや火球群を避けもせず、当たりながら突っ切ってくるなんて普通は想定しない。やりかねないとは万一に思っていたから対処できたけど。今日一番、あるいは生涯最高の速度で我が身を発射し、亜光速とも思える速度でミスティとの距離を詰めたレインが、構えられた掌に渾身の蹴りを突き刺していた。
レインの後方で、密集群の中心にて蒼い炎が大爆発を起こす光景が、僅かにミスティの目を細めさせた。それがここでは小さくない。ミスティの構えた両掌の盾を蹴ってすぐ離れたレインは、くるりと後方に低く一回転して着地した瞬間に、再びミスティへの蹴りを放ってくる。
第一撃はミスティの胴を横殴りに狙う、中段の回し蹴り。これが、両者思いもかけなかった恐ろしい一撃である。
「あっ、づっ……!?」
腕を構えてその蹴りを受けたミスティが、接触の瞬間に驚愕の声、そして食い止められるはずの一撃だったのに、思わず身を逃がす。触れていられるものか、レインのスカートにミスティの蒼い炎が燃え移っているではないか。
「はっ、あ゛っ……! えやあ゛ぁっ!」
けだもののように、ひと息ひと息のすべてに絶叫を込め、離れるミスティに追いすがるように距離を詰めてレインが蹴りを放つ。蒼く燃える炎に服を焼かれながらだ。ミスティの火球群を強行突破した彼女は、超速度ゆえに全身燃え尽きることこそなかったものの、一瞬の通過でも炎に触れてただで済むはずがない。火の手こそ幸いにも小さいものの、スカートにも、袖にも、振り乱される体に振り払われぬ炎がしがみついている。
レインの蹴り、一撃一撃のすべてが、スカートに燃え移ったミスティ自身の炎を術者の身のそばに迫らせる。手足で食い止めるという選択肢が無くなる、しかし動きの衰えきらないレインの連続攻撃は、どうしたって全回避は出来ないのだ。
下段への突き蹴りを後方に跳んで回避したはいいが、しまったと一瞬思った時には既に遅し。地を蹴ったレインの全身が一気にミスティに迫り、膝を突き刺す飛び蹴りに対し、ミスティは両手を構えて防御する以外に道がない。かわせない。
「くぁ゛っ、あっ……!」
「うううぅ゛……っ!」
レインの足と自分の掌の間、燃え盛るスカートを肌に押し付けられたミスティが、たまらず悲鳴に近い声を上げる中、とうに死を覚悟した少女はうめき声に近い声を溢れさせる。声色から表れる苦しみようが逆転している。実態は、骨が壊れた右腕で、肌に火を触れ続けさせて戦うレインはもう、苦痛に喘ぐ喉から声が出なくなってきているだけ。
それでも、踏み出す。たまらず離れるミスティの前方で着地した瞬間に、体を回しながら足元を蹴り、至近距離から最高速まで達して飛び出すと同時に突き出す足が、焼かれかけたミスティの掌にもう一度直撃だ。
緩衝しようが衝撃を後ろに逃がそうが、熱と打撃を受けて皮膚の破れかけた掌にもう一撃。ミスティも声が出ない苦痛に表情を歪めながら、大きく後ろに跳んで逃げる。
逃げたのだ。確かに今、ミスティは押されている。
「くっ、そぅ……!」
風の翼を開いて跳躍したミスティが、ついに空高々とした位置まで逃れた。レインの服を包む火は、そろそろ大きくなり始めている。これ以上あれとの打ち合いなど無理、レインには手の届かぬ場所まで逃げ、やがて彼女を包み込む炎による滅びを待つ道を選んだのだ。この消極的さからも、いかに彼女が追い詰められかけていたのかは明白である。
その冷静かつ慎重なミスティの判断は、吉か凶か。ミスティが手の届かぬ場所に逃れた姿を見上げるレインは、とっくに涙でぼろぼろになった目から闘志を失わず、目が合ったミスティも飛びかかってくる彼女の一瞬後を思わず想像させられる。身構える。その見誤りが生じさせた守勢が、この後生じるはずのレインの隙を突けなくした。
「んっ、くっ……んああっ……!」
迷わず自分の服に、スカートに手をかけたレインが、火の燃え移ったそれを破り捨てたのだ。甘ったれたことを許されない戦場下とはいえ、よもや13歳の女の子が白日の下で服を脱ぎ捨てる姿にはミスティも絶句する。確かに火に包まれた服なんて着ていたら死んでしまうが、それにしたってだ。
「!? やばっ……!」
あまりの行動に目を奪われたミスティが、次のレインの行動を目で追うのが一瞬遅れたのが第二の失態。空のミスティには攻め入ることが出来ないと察したレインは、踵を返してミスティとは全く無関係な方向に走り出す。
彼女が目指す先なんか決まっている。夕暮れの平原で、爆音が遠くから聞こえる方角以外に無い。攻められない敵になど目もくれず、クラウド達の戦闘区域に駆けていくレインを追い、ミスティが翼を操り一気に急加速だ。
「はっ……はふ、っ……!」
「させるか……! 出し抜けると思ったら、大きな間違いだよ……!」
レインの破いた服とスカートは殆ど面積を残しておらず、実用的でない短すぎるスカートに、ぼろ布に穴を開けて頭を通しただけのような上、そう例えられる殆ど肌晒しの彼女は全身が真っ赤。残酷な火傷になっている箇所だってある。疲弊した体にその深手、普段どおりの快速で走れないレインの姿は、敵対するミスティの目からしても、あまりに哀れなほど痛々しい。
だからこそチャンスではないか。今のレインは万全ではない、程なくしてレインの真上を通過して追い抜く。溢れそうになる憐憫に必死で蓋をし、渾身の想いで胸中を殺意一色に純化する。レインの前方地上へと降下しながら身を翻すミスティは、両掌のみならずレインを見る目をきっぱり見開いた。決死の想いでこれだけやる年下を相手に、狂気に逃げたり目を逸らしたりできるものか。
「寂しがりやの悪霊!」
掌の周りに生じさせた蒼い火の玉を、生み出すそばからレインに速攻で迫らせるミスティと、それを視認したレインが渾身の脚力を振り絞るのがほぼ同時。一秒間にいくつも火の玉を生成する、本気の発動を為すミスティを真っ正面に見据え、迫る火の玉の間を駆け抜けるレインはさらに加速する。彼女を捉えきれず、地面や仲間同士で着弾する火の玉の爆裂を背景に、レインが一気にミスティとの距離を詰める。
「っ、はあああっ!」
気合とともに繰り出す蹴りに、どれほどの想いが込められているだろう。火傷まみれの全身で、どうしてこんなに衰えない攻撃を繰り出せるのか。気圧されかけて、思わず腕を腕構えて上段回し蹴りを受けてしまったミスティも、その重みから少女の決死さが感じ取れてならない。くぁ、と声を漏らして、緩衝してなお骨まで軋むミスティに伝わるのは、自分自身の痛みだけではない。
「私っ、だってえっ……!」
蹴りを止められたレインがその脚を引き、逆の脚を振り上げてきたもう一撃を、意地を表すかのようにミスティが振り下ろした掌底でかち落とす。蹴り上げられそうだった顎を守るためなんかじゃない、例えこの手が砕けても、積極策でとどめの一手に繋げようとせんほどに、今のミスティも必死である。
「負けられっ、ないんだあっ!!」
「あがぐ……っ!」
竜巻のように体を急旋回させ、レインの胸を打ち抜く蹴りを放ったミスティに、レインは片足を振り上げて前に構えるしかない。水の魔力の重みを得たミスティの蹴りが、レインの頑丈な膝に激突する。
胸骨を砕かれる結果はそれで免れたが、レインに対しては決定的なダメージに近い。武器にも盾にもなる脚の根幹部分が、みしりと音を立てている。
押し飛ばされる小柄なレインの後方には、彼女がかいくぐってきた火の玉のいくつかが空中に残っている。はあっ、と荒い息を吐く仕草とともに、それらに動きを念じて命ずるミスティが、火の玉をレインへと引き寄せる。
だが、レインも行動に移っている。吹っ飛ばされた瞬間から、思いっきり体を後方にのけ反らせた彼女は、浮遊火球群に真っ直ぐ突っ込むより先に、後方回転して高度も下がっている。ほぼ、後頭部と肩口から地面に落ちた結果に繋がったと言っていい、受身だってろくに取っていない。それでも激しく後方に転がって、地面につま先がかかった瞬間に、レインは踏ん張って大きく下がらない。踏み止まる。
もう何も出来ない、これ以外。迷わず地面を蹴り出したレインは、流星のような勢いでミスティへと我が身を発射した。後方から迫る蒼い火の玉も、今の彼女には追いつけない。
ぞっとするほどの間の無さ、咄嗟に前に構えた両掌、間に合った瞬間でもまだミスティに悪寒は残っている。極限状況のミスティには、飛来しながらくるりと体を回転させたレインが目の前、足先をこちらに向けた瞬間の動きは、この時いやに明確に視認することが出来た。
「うぐっ、あああ゛っ……!」
ミスティほどの戦い慣れた者が、ダメージのあまり両目をぎゅっと閉じてしまうことなど相当に無い。火球を操る意識も完全に途絶え、ついにこの手が駄目になったかという錯覚さえあった。激突直後のレインが背中から地面に落ち、けはぅと口の中を空っぽにする息を吐く前方、がっちり重心を落としていたはずのミスティの体が、余りあるレインのパワーに押されて後方に押し出される。
「くっ、ぐっ……! んんん……!」
レインの両足を受けた両手を、ミスティは下ろさなかった。そのままだ。倒れたレインにその両掌が向いている。奇しくもこの形、危機の中に訪れた、捨ててはいけない絶好のチャンスである。
動く方の片手で地面を引っかき、立ち上がろうとするレインの体はがくがくと震え、持ち上げた首でミスティの方を見るのがやっと。ミスティの両手にはもう、とどめの砲撃の魔力が集まっている。一撃で仕留められる、これで終わりだ。
「遺作照ら……」
「レインーっ!!」
まさかこの場所に、第三者が割り込んでくることなど誰が予想できようものか。鐙に足もかけず、馬の首にしがみついたような姿で、この死地に飛び込んでくる何者かの影に、思わずミスティは振り向いた。
いや、関係あるものか。すべてはレインを仕留めてからだ。発しかけた、特大熱閃を放つ魔力を掌に再集束させんとしたミスティ。そのはずが、馬にしがみついてまでここまで来た者の姿を目にした瞬間、ぴたりとミスティの中で流動してた魔力が滞る。
「っ、くっ……!」
「!? しま……」
「ええいっ、やあああああっ!!」
あろうことか掌をレインに向けたまま、ミスティは一瞬忘我のうちにいた。あまりにも致命的な隙だ。僅かな時間で必死に起き上がったレインが、地面を蹴ってミスティに差し迫った姿を、視界の真正面に捉えるのも遅れてしまう。それが、低い弾道でミスティに迫ったレインの両脚が、ミスティの構えた両掌の下をかすめ、鋭い一撃をミスティの胸に突き刺す結果を導いた。
殆ど無防備で、岩石にも打ち勝ちかねないその蹴りを受けたミスティが、これ以上無理なほど目を見開いて大口を開く。接触した瞬間に、ぎゅっとレインが目と口を絞ったのと同時のことだ。痛烈なレインの最後の一撃を真っ向くらったミスティが吹き飛ばされ、意識も飛んだんじゃないかと思えるほど受身もなく、後方の地面に頭を打って倒れる姿が平原に刻まれた。
「――レインっ!!」
ゆさゆさと馬の首をゆすって、なんとか止まってと命じたその人物は、気が気でない足で馬から飛び降りる。高い馬の背から慌てて降りるから、足を挫いたんじゃないかというぐらい腰砕けに着地して。それでも彼女は、ミスティを吹っ飛ばした直後に地面に転がり、起き上がろうとしても起き上がれないレインに必死で駆け寄っていく。
「レインっ、レインっ……! ああぁ……しっかり……しっかりしてえっ……!」
「うぅ……っ、あ……?」
今、この戦場がどういうさなかであったのか、この人物はわかっているのだろうか。わかっていないのだろう。たまたま今、レインがミスティを打ち倒した後だから空気が止まっているだけで、10秒早くここに来ていたら、戦う力など微塵も無い彼女にとっては危険な戦場でしかなかったのに。そうした状況さえも読み取れない彼女は、唯一無二の最愛の少女が傷だらけになり、うつろな目で倒れた姿に取り乱すばかりである。
「へっ、あ゛……ちっく、しょ……」
なんとかぎりぎり、意識を失う寸前に留まったミスティも、倒れたままで動けない。恨み言を発した口から、言葉の直後に肺の中のものがごふりと溢れた。呼吸もままならず、体も動かせない、思考だけがはたらく。霞む脳裏にかろうじて残る、決戦直前の肝心な時に現れやがった、無力なはずの少女を思い出す。
責めるのはお門違いだってわかっているけど。だけど、あんな奴がいきなり現れたら、あいつの目の前でレインを灰にするのなんて、一瞬ためらって当たり前じゃないのかって思う。どうして神様は、一番大事な時に限って味方してくれないんだろう。自分を迫害される側に生んだことといい、ミスティは万人に救いを与えて下さるという神様の存在を、つくづく信じることが出来ない。
ぼろぼろと涙を流して、何度も何度もレインの名を呼ぶリュビアの声が、ミスティの耳には入っていた。ファイン達に救われたレインの姉が、ここしばらくタクスの都の闘士達とともに過ごしていたことは、ミスティも持っていなかった情報である。
ファイン達を救うために決起した闘士達を見送りはしたものの、いてもたってもいられずに馬を借りて、こんな所まで来るような少女だったこともだ。ちくしょう、どうせ来たって何も出来なかったはずのくせに。そいつに敗れた己の弱さに、動けぬ体でミスティは歯を食いしばるばかりだった。




