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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第18章  雹【Ordeal】
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第252話  ~宿敵~



「天地魔術、凍て絶える土壌ファータリティ・アイスエイジ……!」


「あ゛っ!? しまっ……」


 地上の異変を見受けたファインの、行動が速いこと速いこと。ご主人様の到来に喜んでいたミスティが、それに意識を傾けてファインから目を逸らしていたのは手痛い過ちだ。ミスティの蒼い火の玉から逃げ回るように空を舞っていたファインが、握り締めた魔力の塊を地上に向けて放つのを、みすみす許す結果になってしまった。


「もうっ! 本当あなた、どこまでも面倒!」


「うああっ……!? くっ、あぅ……!」


 睨み付ける眼差しをファインに向け直したミスティが、蒼い火の玉を一斉にファインへと差し向けてくる。ファインを包囲し、圧殺するように迫るそれらをくぐり抜けながら、ファインもつらい表情のまま逃げ惑う。情けない声をあげて逃げ回るこの風体とは裏腹、彼女が地上に発した魔力が戦場に大きな影響を及ぼすのだから、つくづくファインは見た目と力量が釣り合わない。


 ファインが地上に突き刺した魔力は、一気に地表広くへと拡散し、放射状に地面の温度を一気に奪い払う。誰もわざわざ地面に手を当て、温度を確かめる余裕などない混沌の戦場、土がまるで氷のように冷えきったことなど誰一人知り得ない。その事実を思い知らされるのは、地上に生じた無数の植物だけだ。


「やはり駄目か。よくわかっているな」


 遠方から接近するカラザも、自分が作り出した無数の植物が、急激に萎れて力を失っていく実感を得ている。ただでさえ、植物は極端な冷温に弱いのだ。魔力により、力ずくで作り出した植物とは、術者の意のままに操れる便利な配下であると同時、火や冷気などの環境の変化に著しく弱い。根を張る地上が一気に冷えきり、その命にとって致命的な傷を受けた植物は、術者カラザの与えてくれた魔力だけでは生存できなくなっていく。

 暴れていた蔦も唐突な心臓麻痺を迎えた蛇のように横たわり、立ちそびえていた巨大な向日葵もぐらりと傾き倒れる。地上を埋め尽くさんばかりの花畑と共通し、いずれもが急激に水分を失ってミイラになるかの如く、枯れて先ほどまでの面影をも無くしてしまうのだ。


「では、これはどうかな?」


「ひ……!?」


 片手で手綱を握ったまま、余した掌の上にカラザが小さな火球を作った。その瞬間、ミスティの火の玉から逃げ回っていたファインが、短い悲鳴に近い声を発したのは視覚による情報のせいではない。

 離れていても、見なくてもわかる。かつてホウライの都を火の海に変えた大魔術、その濃密すぎる魔力が生成され近づいてくる感覚は、術士として秀でたファインの意識は決して見過ごさない。同時に彼女の心に根差すのは、圧倒的な死の予感を思わせる恐怖である。


「あ……! くそ、逃がすかっ……!」


 ファインが動いた。クラウドやレインの上空を確保した上で、ミスティとその魔術から逃げ回っていた彼女が、ついにこの戦場の空域を放棄したのだ。迫り来るカラザ、つまり壊滅的魔術の使い手から離れる方向へと、進行方向を折ってでも滑空する動きである。

 特筆すべきは、カラザの来る方向を見下ろせる体勢で彼から離れる、つまり背面進行でカラザから離れようとする動きだろう。ファインの動きを見上げるカラザは、ただ臆病に逃げるのではなく、意図を含んでそんな逃げ方をするファインに不敵な笑いを浮かべる。


「いいだろう、乗ってやる」


 カラザが火の玉を投げつけた。真っ直ぐ、ファインへとだ。その火の玉は一気に加速し、背面飛行で加速して逃げるファインより速い。ミスティの火の玉にも目の前から追いかけられ、それに追いつかれない速度で空を滑るファインの前方から、カラザの放った火の玉はぐんぐん近づいてくる。


 接近してくるものは、どんどん大きく見えるものだ。それだけではない、カラザの投げた火の玉は徐々に膨らみ、大きさを増している。ファインへと徐々に距離を縮めていくそれは、接近と膨張の相乗効果でファインの目に存在感を示し、それがファインにまばたきを許さぬほど彼女に戦慄を覚えさせている。


「嘘だろ……っ!?」


「お姉ちゃん……!」


「やばいっ……! もう、限界……!」


 カラザの放った大魔術に、動きを触発させられたのは三人。見上げた空、大きくなりながらファインへと迫る大火球を見たクラウドとレインは、いてもたってもいられぬ想いでファインと同じ方向へと駆け出した。ミスティは逆、ファインを追う動きを一度諦め、減速して下降する。

 三人とも知っているのだ。これから、何が起こるのか。交戦中だったレインが、痛むであろう全身の痛みを噛み潰し、自分などもう構わず去っていく姿をドラウトも追えない。死の爆心地に近付く自殺行為など出来るものか。


「まだ……! もっと、もっと……っ!」


 ただ一人、動きを改めぬのがファインのみ。いよいよファインに追いつかんという所まで迫ったカラザの火球は、もはや高空にあってなお地上から見上げ、第二の太陽と見紛うほどの大きさに膨れ上がっている。ほぼ目の前でそれを直視するファインの顔も、地獄の業火が放つ光に照らされ赤々と輝いている。目の前には火しかない。


 引きつけて、引きつけて、最後まで粘って。自分へと真っ直ぐ迫るそれを、兎にも角にも少しでも、多くの人が争う戦場から引き離そうとする彼女の度胸には、カラザも感心する。それに殉じて死にたいなら、それもよかろうと開いた掌を握り締める一歩前。さあ、大変なことになる。


「後続! かの戦場から負傷者を救い出せ! 勝敗は問わぬ、一人でも多くの生存者を導け! 敵味方問わずだ!」


「は……」


 部下に発した指令は一度きり。聞き逃しかけた部下の再確認も待たず、カラザが開いた掌を握り締めた。その瞬間、ファインの目の前にまで迫った特大の火球はぎゅうっと一度縮まり、それを見受けたファインが限界を見定め、身を翻して下降への滑空航路へと切り替えた。この時、両手で耳を塞ぐファインの判断は、間違いなく正解だったはずである。


炎天夏(サマーフレア)!」


 地獄が始まる。空の彼方で一度収縮した偽物の太陽は、術者の詠唱と同時に勢いよく爆裂した。四方八方に大きな火球を無数に放ち、さらにはそれらも拡散したのち、次々と爆裂して中火球を撒き散らす。それらもまた爆発し、始祖の一球から散った炎の塊の総数はもはや数え切れない。それらが一斉にロカ平原に降り注ぎ、野を焼き、乱れる強い爆風が炎を拡散させる事象は、この世の終わりすらも想像させるものだ。


 タルナダとザームが戦っていたのを一例とする、革命組織の構成員と闘士達が争う戦場まで、その火の手は届く。重爆発が空高くで響き渡った轟音に耳を痛めた直後、流星のように降り注ぐ炎と吹き荒れる風により、もはや人と人が争える環境ではなくなっていくのだ。たった一つの魔術が、何十何百もの人間が争う合戦場の風景を変え、自分や仲間が生き残ることしか考えられない状況へと追い込み停戦させるなど、他に例を見ない出来事である。


「っ、が……! ファイン……っ!」


「お姉、ちゃあんっ……!」


 風のように駆ける脚も押し返されそうな爆風、それも熱を伴うそれに肌を焼かれながら、クラウドとレインが追いかけるのは一人の少女。凄まじい爆発による光、炎でいっぱいになった空、小さな小さなファインの影が目で追えなくなった。無事でいて欲しいと願うことすら、叶わぬ願いと自我が訴えそうな中、絶望をはねのけながら二人が爆心点を追う。


 空に見えた小さな影は、果たして希望か絶望か。黒い煙を尾引かせながら落ちる、小さな少女の姿である。焼かれた鳥が黒焦げになって、墜落する姿を思わせるそれは、クラウドとレインの胸をひどく詰まらせる。心が折れて脚が止まりそうな衝動をこらえ、落下地点へとさらに加速する二人は、どうか無事の短い文字列が切望する想いとともに揺らがない。


「っ……かっ……!」


 既に事切れて地上へと自由落下しているようにしか見えなかったファインの背中に、再び翼が開いた光景は、クラウドとレインの目を見開かせる。落ちながら、確かに翼を操り、降下速度を減速させていく彼女の姿勢に力が無いのも目をつぶろう。生きている、その事実だけが大き過ぎる。


 徐々にだが、ゆっくりと、地上に降り立てる速度へと落下を抑制したファインが、駆け迫るクラウドの前方でいよいよ地面に近付いている。ここから、さらに加速するのがクラウドだ。レインの遥か前方で、同じ後続のレインを引き離して火原を駆けるクラウドの姿には、それこそレインがぎょっとするほどだ。決して今はクラウドと駆けっこしているわけではないのだが、追いつけない人間がいるというだけでレインには驚愕の事実である。


「ファインーっ!」


「クラウドさ、んっ……!?」


 力の入らない全身で、両足を下にして着地しても崩れるように倒れていたであろうファインは、そうなることも覚悟していたのだ。そんなファインに地を蹴って、飛びつくようにして抱きかかえてくれた誰かがいたことは、ファインにとってはあまりに予想外の救いである。凄い勢いでファインに接触しておきながら、優しい腕使いでファインを抱えたクラウドが、彼女を傷つけぬまま地面に着地する姿勢まで完璧だ。


「っ、ぐっ……! ファイン、大丈夫か……!?」


 ファインも絶句、最も頼りになる人がそばにいる喜びを実感するまでの時間すら要する。優しく地面に降ろしてくれるクラウドに伴い、足腰に力が入りにくい彼女がよたついても、ぐっと二の腕を握ってくるクラウドがファインを支えてくれた。転ばずに済んだファインは、支えてくれる少年の息を切らす顔を見て、久しぶりのまばたきを挟むことが出来た。


「――お兄ちゃん、お姉ちゃん!」


 ああ、もう一人。二人を呼び、駆け迫ってくるレインに振り向いた瞬間、ようやくこの現実をファインも実感することが出来た。視界が滲む、瞳の前が涙でいっぱいになりそう。何度ここまで、死んでしまうと思ったことか。

 追っ手達の強襲、ミスティの追撃、空の地獄を切り抜けて生存してきたファイン。その果て、最も信頼して寄り添える二人が目の前にいるこの現実は、闇のトンネルを抜けた光のまぶしさに似て、その程度のものとは例えきれない。


 決死の想いで水の魔力を、風の魔力を纏い、至近距離の炎天夏(サマーフレア)から生き延びたことも、今は早くも過去のこと。残った結果は、焦げて穴も開いて肌を多く晒すようになったぼろぼろの服と、それでも生存した彼女の体。恭しい眼差しで、クラウドとレインを交互に見たファインは、涙目をばちりと一度強くつぶって涙をはじき飛ばす。

 ぐしっと目を拭ったその時には、赤くなった目が、しかし戦う強さを取り戻したファインの瞳がある。これまで幾度もの戦いを、クラウドと共に切り抜けてきた彼女の目は、心の死んだファインを長く見続けてきたクラウドの心にまで光を差し込ませる。


「――やれるな!? ファイン!」


「はいっ……!」


「お兄ちゃん、お姉ちゃん! 来るよ!」


「視界が、悪いねえっ!」


 空からコンドルのように急降下してくる、トリコロールカラーの少女は一声と同時に手を振るう。それによって生じる風が、クラウド達の周囲に広がる野火を一気に吹き飛ばした。台風のような風に腰を落としたのは、ファイン達三人に共通する行動だ。両腕で顔を守ろうとしたファインとレインの僅か前、強風に目を細めながら、迫る者を見逃すまいと顔を守ろうともしないクラウドだけが、二人の敵を見据えている。


「まったく、手こずらせてくれたな」


「カラザ……!」


 クラウドの目に宿るのは強い敵意に他ならない。いつの間にか馬を捨て、ここまで駆け迫ってきたカラザが、クラウド達から離れた前方で立ちそびえている。杖を持ちながら腕を組むカラザが、ふいと上を見上げたその先からは、地獄の果てまででも彼を追う忠臣少女が浮遊する姿がある。


「ミスティ、こちらの勢力はどうなっている?」


「私達だけでしょうね……! ドラウトさんももうここに来れる状況じゃないし、あの惨状では正しく動いてくれるでしょう……!」


「無事、か。それならそれで、よしとしよう」


 花盛りの春(スプリングフェスタ)炎天夏(サマーフレア)。カラザが放った大魔術は、部下と闘士達が争う戦場の空気を一変させ、さらなる混乱に導いたことは間違いない。しかしそれは、血で血を争う戦況に力ずくの歯止めを利かせたのも事実であり、現に今の向こうは、争うどころか敵味方問わぬ助け合いすら起こっている。


 カラザが差し向けた部下は、ドラウトやザームに接近し、カラザに預かった命令の旨を伝えているだろう。炎の海と化した平原から、敵味方問わず死傷者を出さぬよう努めるようにとだ。完全に一時休戦のムードとなったかの戦場では、ドラウトやザームを主導とし、あるいは闘士達の間ではタルナダが率先する形で、傷ついた者が肩を貸されるような形で火の手から逃げている。いかに双方、怪訝な顔をする者が大多数と言えど、大き過ぎる厄災の前、人は諍いも忘れて動けてしまうのが現実である。目的の対立はあれど、戦っていた者達の目的は、お互いを殺めることそのものを目的としていたわけではない。


 戦闘要因としての機能不全に陥った闘士達。クラウドやファインに立ち向かっても足しにすらならない部下。それらを戦場から排斥し、3人と2人の状況にまで追い込んだこの結末は、完全にカラザが望んだとおりのものだ。

 邪魔者はもう、想定内しか完全に存在しない。捕食対象と二人の護勇者を前にして、この聖戦に立ち並べる資格を持つ天才児を従えたカラザは、最終局面を完成させていた。


「クラウド」


「気安く呼ぶんじゃねえ……!」


「その少女を、差し出すつもりはないか」


「殺すぞてめぇ……!」


「私達の狙いは、お前ではない。サニーの王政を脅かし得るファインだけだ。回れ右して去るならば……」


「うるさぁいっ!」


 答えなど初めから決まっているクラウドに代わり、カラザの言葉を遮ったのはレインの大声である。雲に座り、近く集ったファインらを見下ろすミスティも驚く、小さな少女の自己主張。何と言われようが、何を持ちかけられようが、たとえ殺されそうになったって、ファインの命は渡さないというレインの意志がほとばしる。


「お姉ちゃんは、あなた達なんかにとらせない……! 私達の、大事な人……!」


 心理戦の余地すら奪う、レインの言葉がカラザに小さな笑みをもたらす。本当に、勇敢な子供達だって。今からそれを滅するという自分に対する、小さな僅かな自嘲である。


「……何をやっているのだろうな、私は」


 その笑みに含まれた寂しさを、クラウドも、レインも、ファインも確かに認識することが出来たはずだ。身構えた三人の心を揺るがすものではなかったが、そんな表情のままミスティを見上げたカラザが、きゅっと目を細める。


「ミスティ。レインをお前に任せることは出来るか」


「……それだけで、いいんでしょうか」


「侮るな。私に一度、致命的な一撃をくらわせた少女だ」


 カラザの意図は二つ。一つは、かつてホウライの都にて、ダークホースじみた急襲でカラザを打ち抜いた、レインを完全に抑えること。ファインとクラウドを相手取る前提の彼をして、第三の矢となり得るレインの存在を、ミスティに制圧して貰うことは大きい。

 そしてもう一つは、ファインとクラウドの相手は自分がやるという前提を、確たるものにさせること。アストラを撃破したこの二人と戦う役目は、ミスティに任せることが出来ない。決して二人を侮るようなミスティではないが、それでも彼女の想像を超えた力を、今の二人は持っている。


 特に、内に何かが目覚めているファイン。花盛りの春(スプリングフェスタ)を一発で完全に封殺し、至近距離の炎天夏(サマーフレア)から自身を守ることを叶えた彼女は、果たして彼女だけの力でそれを為したと見ていいのだろうか。自覚してか、あるいは無自覚なのか、快挙とも言える二事を為したファインの胸の奥には、間違いなく彼女の魔力を高めるもう一つの存在がある。


 カラザと、ファインとクラウドの二対一。ミスティとレインの一騎打ち。これが、カラザが最後の戦いで選んだ采配である。


「やれるな?」


「……ご主人様の、仰せのままに!」


「よし。やるぞ、ミスティ」


「クラウドさん、レインちゃん! 始まります!」


「ああ……!」


「うん……!」


 カラザの杖先に集まる魔力は目に見ることが出来ない。術士ファインが肌で感じる、鳥肌を禁じ得ない凄まじい魔力の余波は、その必死な声で表現されていた。杖を振り上げたカラザの行動により、開戦の一瞬前を確信したクラウド達が、ぎっと拳を握り締めている。


栄華の秋落(ダウンフォール)!」


 杖の尻で地面を突き刺したカラザの行動に伴い、彼の絶大な魔力が大地に注がれた。次の瞬間、クラウド達の足元から、微弱な震えと共に伝わる確かな殺意。まずい、と察した三人が地を蹴って、ばらばらに動いたその瞬間、三人が立っていた場所を含めて地表広くが、地面を切り立てせり上がる無数の岩石柱で埋め尽くされていく。


 あっという間に土色のメイズと化した平原の上、クラウドもファインもレインも、お互いの姿を目で追うことがすぐに叶わなくなる。乱立する岩石柱の中、追い詰められた位置に立たされたレインは背後の岩石柱を蹴り、土色の密林をかいくぐる。お兄ちゃんは、お姉ちゃんはどこだ。岩石の色でいっぱいになった目の前、必死で跳び、駆けるレインに迫る存在は、既に火の玉を手にしている。


「あなたの好きにはさせないよ……!」


「うあ……!?」


 火球を投げつけてくる、雲に座った三色少女から逃げる動きで、レインは素早く立ち回る。直撃は回避することが出来た、しかし目指す人からは遠ざかる。岩石柱の林間を抜け、開けた場所にようやく到達したレインの目の前に、ぎゅるりと回りこんできたミスティがレインの脚を止めさせる。


 雲を消し、膝を抱えてくるんと回ったミスティは、レインと正面向き合う形で着地した。狂気を纏うのも疲れた彼女は、据わりきった眼でレインを睨み付ける。レインの後方に残った、岩石柱の群れという異常な光景も、今のミスティの意識を遮るものではない。


「レインちゃん。ドラウトさんに戦うことを強いられていたあなたを、可哀想だって思ったこともある」


「うん……! ミスティさんは私のこと、元気付けてくれてたもんね……!」


「っ……」


 今さら調子のいいことを言うけどね、と言い訳を後に添えようとしていたミスティだが、それより早くレインが返答を返してくるから調子が乱れる。そう即答してくるほど、レインは革命組織に加担させられていた日々の中、優しく接してくれるミスティの存在を、嬉しいものとして認識していたのだ。レインにつらい戦いを強いていた革命軍、それに加担する自分も同罪だと知りながら、せめて少しでも苦楽の二文字目側をもたらせまいかと、レインには柔らかく接していたミスティの想いを、無垢な少女は純然たる優しさとして受け取っていたのだ。


 手作りのクッキーを焼いてくれたミスティ、怪我をすれば真っ先に傷を癒してくれたミスティ、クライメントシティ襲撃の際も、レインちゃんが行くなら私も絶対に行くと唱えたミスティ。13歳の少女が返り血を浴びながら戦い抜いた日々の中、心を廃にせずいられた一因があるなら、遠く離れてしまった姉の代わりの如く、ずっとそばに寄り添ってくれたミスティもまたそうである。カラザにすべてを救われた少女は、確かに誰かを救える人間でもあり続けていたのだ。


「……でもね、レインちゃん。私は、私やカラザ様の邪魔をするあなたを、可哀想だとは思えない」


「…………」


「消すよ、あなたを。本当はそうしたくない私がいるって、あなたは信じられる?」


「わかってる……!」


 狂気を纏うか、いや、もうやめにしよう。妹のように親しんだ可愛らしい少女が、譲らない反抗心を胸に、死をも厭わぬ覚悟で自分に立ち向かおうとしている。その瞳の先には、ミスティを打ち倒し、一刻も早くファインやクラウドを助けるために駆ける未来さえ含まれている意志力を前に、己を誤魔化す不徳がミスティには為せない。


 "わかってる"。その答えに、どれほどの気高さが含まれて入るだろう。今もなおミスティを敬う一人に見上げる彼女が、その壁を乗り越えて大願を為そうとしている。人は胸を撃ち抜かれるほどの気高さを前にした時、恥じるような己のままではどうしてもいられない衝動に駆られるのだ。


「自分の選んだ道に、悔いは無いんだね……!?」


「当たり前……!」


「いいよ、レインちゃん……! あなたの殉じた道を駆け、その果てに死ね!」


 レインの後方で乱立していた岩石柱が崩れ落ちる。分断に成功したことを見受けたカラザが、栄華の秋落(ダウンフォール)の魔力を途絶えさせたからだ。ひび割れた岩石柱が割れ崩れ、岩山のように積み重なる落盤音を開戦の合図とするかの如く、ミスティとレインは地を蹴っていた。











「わかるか、ファイン。そして、クラウド」


「…………」


「この世界に、お前達の居場所は無い。統べる者に抗わんとする者は、排斥され、社会から抹消されていく。それが嫌だから、人は上に迎合することを覚え、大人になっていく」


 レイン達から大きく離れた平原の一点にて、離れて立ち会うクラウド達とカラザ。大人が口にする一般論とやらを耳に受けつつ、クラウドもファインも構えと瞳を揺るがさない。


「お前達は、自分達の正義に反する大人の不条理を、甘受し見過ごすことなど出来ぬだろう。今も、そして、これからも」


「たりめえだろ……! お前らの勝手な都合で、ファインのことを取られてたまるか……!」


「子供だな。なまじ力があるだけに、我々に見過ごされぬのが、お前達にとっての最大の不幸だ」


 許せないものは許せない、止めたい悪意には黙らず立ち向かう、それがクラウドとファインだった。それを子供だと、大人のカラザは指摘する。同時に、若さでもあると。真意では、無垢であると。多くの大人達が、大人になるまでの過程で無くしてきたものを二人は持っている。


「新王サニーの頂点を脅かし得るお前達を、見過ごすわけにはいかぬ。なぜ自分達が命を狙われているのか、理解することは出来たか?」


「……そんな理由だったのかよ」


「それが全てだ。お前達の人生を締め括る解答だよ」


 漠然と、命を狙われている事実だけを宿の主人から聞き、自分達が追われる理由もはっきり知らぬまま逃げてきた二人に対し、明確に示された動機にクラウドの目がより鋭くなる。サニーの立場をより磐石にするため、お前達は死ねとカラザに言われているのだ。かつての友人の保身のために命を狙われるという冷たい宣告には、怒りや憤りを通り越した、ままならぬ激情すら沸いてくる。


「――カラザさん」


「うん?」


 殺意の魔力を練り上げ始めたカラザを挫く、か弱くもはっきりとした声。震える声でありながら、聞き逃されまいと強い声を発そうとしたファインのそれは、カラザに耳を自ずと傾けさせる。


「……サニーは、あなたに、私達を消すようにと命令したんですか」


「何……?」


「サニーが、クラウドさんと私のことを、あなたに殺せと命じたんですか……!?」


 すがるような声、真意では否認を望んでいる意志の表れ。この状況で、そうではないという答えが得られる期待が出来ようはずもないのにだ。涙目にこそなっていないだけで、サニーのためには自分達がこの世にいてはならぬと突きつけられている今、胸が張り裂けそうになっていることは表情から明らかだ。


「…………」


「答えて、下さい……!」


 敵対する者同士というのは、真実を語り合う謂れは無い。本音を語らう誠意が、これから殺し合う両者間に必要なものだろうか。むしろ、事実であろうがなかろうが、相手の心をかき乱す言葉を放つことが有益だ。


 それでも、カラザが選んだのは。


「私の独断だ。サニーの奴は、お前達を消すべきだという私の提言を、最後の最後まで渋っていたよ」


 真実を口にして。ファインという少女に対する、僅かな救いをもたらして。


「最後には己の立場を弁え、同意してくれたがな」


 サニーがカラザの判断を肯定したとも言い、ファインの心を深く抉る。人として、粛清者として、いずれとしてもカラザの叶えたい想いを両立してくれる回答が、ただ真実をありのまま話すこと。


 これが、現実のままなのだ。この世界はやはり、きっと、間違っている。誰かがそれを正していくのだとすれば、それは新たなる時代の王、サニーなのだろうか。


「……あいつが何を望んでいたって」


 クラウドの声が、僅かに冷静さを取り戻していた。サニーが心底から、自分達の死を望んでいるというわけではないことを聞けたのは、その一因にならざるべきこと。むしろその真実は、殺意を提したカラザに対する強い怒りの集束こそ引き起こしている。


「ファインは絶対、お前達なんかの好きにはさせねえ……!」


「出来るか? お前に」


「やってやる……!」


 世界を変えられるのは、偉大なる指導者でもなければ、無慈悲に暴虐を尽くす暗君でもなく、逆に慈悲深い聖人でもない。世界を受け取るのは一人一人の個人であり、彼ら彼女らにとってはそれが全て。

 己を取り巻く世界を変えるために必要なこととは、その手で良き未来を受け取る為に動くこと。大人でも、子供でもそうだ。差別されることに諦め、それでも自分なりの幸せを得るため、日々を懸命に生きてきた多くの地人のように。迫害されることを逆らえぬ運命と諦め、それに抗う自分を捨て、他者を不快にしない己を作っていくことで、誰かに受け入れて貰えることを目指したファインのように。


 どんな世界でもそう。自分の幸せは、自分で掴むしかない。ファインを失いたくない、ファインのいなくなった世界でなど絶対に幸せになれないと確信するクラウドをして、彼の幸せを掴めるのは彼だけなのだ。大きな世界の一粒の人間、その者にとって間違った世界を正せるのは、その人物をおいて決して他にいない。


「人はいつか、必ず死ぬ。そして、天寿を全う出来る者ばかりではない」


 嗜虐的な笑みを浮かべたカラザの前歯の間から、ちりりと細く、長い舌が伸びる。先が二つに割れた、蛇のそれを思わせる舌。カラザの肉体は、既に変異を始めている。


「今日のお前達のように……そして、スノウのようにな……!」


 杖の先で地面を払い上げたカラザの行動が、土煙を舞い上げる。彼の全身を覆い隠した土煙の壁が、ざあっとすぐに強風に晒されたかのように去った間もなく、新たに二人の前に姿を現したカラザの風貌が、彼の臨戦態勢をはっきりと表している。

 深緑の鱗に肌を包んだ顔、腰より下を同色の太い蛇の肉体に変えた姿。原種(ジェネシス)蛇族(ナーガ)としてのカラザの姿は、真の全力で戦う時にこそ見せる風貌だ。


「ファイン、そして、クラウドよ……! お前達のことは、忘れんぞ!」


「ファインっ!」


「行きます……!」


 四度目、そしてきっと、これが最後の戦い。長くクラウドとファインを苦しめてきたカラザとの決戦だ。一振りの杖と共に火球を発したカラザに、同じものを生じさせて放ったファインの魔術同士が激突し、凄まじく生じる大爆発。夕暮れのロカ平原に響いた開戦の音は、空に昇る爆煙と共に高々と掲げられた。

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