第251話 ~雪辱晴らせ~
ドラウトとザームが率いてきた二組の軍勢と、タクスの都の闘技場の闘士達の激突。兵力差は小さくなく、日々を闘技場で戦いで過ごしてきた闘士達が、なまること知らずの腕前で立ち向かっても厳しい戦争だ。ザームという、追っ手組の中でも最強兵の一人に数えられる尖兵が、タルナダとの一騎打ちに縛られているということを加味しても、ファイン達を助けに来た一団には本来劣勢の合戦模様である。
「天魔、双拡散熱光線……!」
「あーもうっ、この子はっ……!」
この図式を一気にイーブンにまで持っていく者が二人いる。他ならぬ、粛清対象として追われていた少女がその一人だ。
翼を広げて空を舞い、両手のすぐそばに従えた光球から、地上に向けて幾筋もの熱光線を放つファインが、それらが突き刺さる地上に無数の爆裂を生じさせる。地上兵と闘士達の争う地上が混乱の渦に呑み込まれる中、ファインの砲撃はその殆どが、味方の集中力を阻害せず、敵兵の足並みを乱す結果に繋がっているのが恐ろしい。視野の広さと狙いの正確さで、支援砲撃の練達ぶりを形にするファインを追う空のミスティも、ままならぬ戦況にやきもきする。
「風神様の石遊び……!」
「来た……っ!」
空域全体を渦巻く風が包み込み始めたのは、下半身を雲にうずめて空を駆けるミスティだ。ファインを撃ち落とさん火球の数々を放っていた彼女が、その追撃をやめにして空を荒ぶる風でいっぱいにして、大小様々の岩石を生み出す。ぶつかれば大怪我間違いなしの岩石が、風に乗って空中を飛び回る危険空域の中、片腕で目の上を守りながら飛翔するファインが、風に煽られる片目を閉じて飛翔する。
「負けっ、ない……!」
「本当、一人じゃなかったら厄介だよ、あなた……!」
そうして片腕で風から目を守りつつも、両手に携えた光球から地上狙撃の光線を放つファインは、なおも混戦の地上を自陣営有利の流れに傾けようとする。自らが作り出した風に煽られながら、ファインを追う動きを為すミスティも、一騎打ちなら勝てる相手の真の恐ろしさに歯ぎしりする。元よりわかっていたことだが、一対一の直接対決よりも、こうして他者の支援に回った時のファインの方が、彼女本来の強さを余すことなく見せてくる。
「寂しがりやの悪霊!」
ミスティの役目はファインと同じ、あるいはそれに1つの仕事を加えたもの。広げた両手の上に、滑空しながら生成して宙に置き去りにしていく蒼い火の玉の数々が、生成者ミスティの意志に乗って飛び交い始めた。いくつかはファインを追い、いくつかは地上へ。
ファインがやるように地上の味方を支援する火球を操りながら、ミスティはファインの動きを縛ることをも叶える。あなたは絶対に私には勝てない、かつてそうファインに放った言を証明するかの如く、ミスティの手さばきはファイン以上に手広い役目を為している。
「諦めなよ、ファインちゃん……! 私がいる限り、あなたに希望はないんだから……!」
「嫌……!」
狂気の笑顔を捨て去って、難敵を目の前にして意地を発する表情をあらわにしている時点で、ミスティもまたファインを厄介視している証拠。発した言葉も相手を揺さぶるためのものだ。飛び交う岩石、飛来する火の玉を回避し、後方に爆炎を背負って滑空するファインの目は、いつしか折れない闘志を取り戻していたのだから。
だからこそ、ミスティにも余裕がない。地上の戦いは、決して必ずしも自陣営優勢ではない。ザームがタルナダという強敵に縛られている今、浮いた敵の駒に化け物が二人いる。
「舐めんな……!」
「ガぶ……ッ!?」
ドラウトの振り回す大戦斧を、後方に跳んでかわした直後のクラウドに、剣を持った一人が隙を突く動きで迫っていたのだが、クラウドは息も絶え絶えのくせして、その敵の顎を後方蹴り一発で打ち上げてしまう。あれだけここまで走り抜けてきて、消耗した体力であろうともこの少年は、実力で自らに劣る雑兵を全く問題にしない。ザームが彼を狙う手として機能しない今、今のクラウドに対抗できる兵がドラウトを除いて存在していない。
「泥む生霊……!」
「…………!?」
そんなクラウドに、上空から無数の火の玉が降下して迫る。はっとして見上げた先は火球群でいっぱい、真っ赤な光景にぞっとしたクラウドが大きな横っ跳びした矢先、火球の群れは地上に着弾して重爆発を起こす。さらにはその火の玉を放った術者の第二撃、いや、第二群と第三群がクラウドを追う火の玉の群れを形にする。
「ドラウトさん! まずはレインちゃんを、先に!」
「すまぬな……!」
ドラウトが相手取っていた敵はクラウドだけではない。機敏な動きで地上を駆け回るレインもそうだ。彼女もクラウドと同じ、対峙するドラウト以外の敵など問題にせず、混戦模様の地上で横入りして自分を狙ってくる敵を蹴飛ばし返していた一人である。いつしかドラウトと、クラウドとレインの一対二の図式になっていた状況を、クラウドを火球で自由に動かせぬようにしたミスティは、ファインが自らに発してくる火球や熱光線をかわしながらドラウトに道を示している。
クラウドがミスティの操る火球群により、レインとドラウトに近付くことが困難になるや否や、一対二より一対一の図式を得たドラウトの意識が完全にレインへ向く。雄牛頭の怪物がぎろりとレインを視界の真ん中に据え、凄まじい勢いで駆け迫って大戦斧を振り下ろしてくる光景には、レインも肝が凍る心地で後方に跳んでいた。目の前で、凄まじい破壊力を誇る戦斧の一撃が地面を爆裂させる光景もまた、レインにぶわりと冷や汗を噴かせる。
「レイン……っ、くそ……!」
「あなた達二人を自由にはさせないよ……! 怖いのは、あなた達とレインちゃんぐらいだからねぇ……!」
「くっ、ううぅ……!」
空を舞い躍る蒼い火の玉と大小の岩石、クラウドに迫る赤い火の玉を巧みに操りながら、風の吹きすさぶ空を飛翔するミスティは、集中力を全開にしてクラウドとファインの動きを拘束する。言葉どおり、レインさえ仕留めてしまえばもう勝ちは貰ったも同然だ。いずれ駆けつけてくれるはずのカラザが来るまでに、敵陣営で最も強い駒を一つでも仕留めてしまえば、それはまさしく大きな勝因だ。
「覚悟は出来ているだろうな、レインよ……!」
邪魔者無しの一騎打ち。乱戦模様の地上に自ずと開かれたバトルフィールドの真ん中で、構えたレインの全身は小さく震えている。
ドラウトの強さは知っている。かつて、姉のリュビアと二人で慎ましやかに暮らしていたあの日々へ、部下を率いて踏み込んできたのがこの男なのだ。古き血を流す者・蛙種としてのレインの強さに目をつけたドラウトは、突然現れた無法者を撃退したレインをその手で打ちのめし、姉のリュビアを人質に取る形でレインを革命軍に服従させていた。クラウド達に救われるまで、望みもしない血みどろの抗争劇に巻き込まれていたレインの毎日は、すべてこの男の強さと策略によって生み出されたものだ。
クラウドとファインを頼ることも出来ない状況で、トラウマにも残る強さの持ち主と対決する状況に追いやられたレインの恐怖は計り知れない。絶対に二人を守るんだって、固い決意を胸にして推参したはずの少女が、弱りそうな目を歯を食いしばる感情で上書きし、震える全身を肘を握る挙動で必死に押さえつける。退くものか、絶対に負けられないのがこの日である。
「しゃしゃり出てきたことを、悔いる暇すら与えんぞ!」
「っ……!」
全身鎧の雄牛魔人が土を跳ね上げ、凄まじい勢いで猛進してくる。その迫力だけで呑まれそうになる中、レインは正しく地を蹴り動き出していた。背丈の小さなレインでも、かがんでかわせぬ低い大戦斧のスイングを放ったドラウトの一撃を、矢のように敵方向へと自らを発射したレインがかわし、同時に敵の鼻先に蹴りを突き刺す動きを叶えている。
構えて盾としたドラウトの腕に、レインの足が激突する。小手の内側の骨が軋むドラウトも、反動が体全体に響きながらも、ぶつかると同時に足を蹴り出して離れるレインも、たった一撃の触れ合いでお互いの表情を苦悶に歪めさせている。相手の体を蹴って跳ぶ形になったレインだが、体の浮いた彼女にすかさず斧を振り抜いてくるドラウトの一撃は、苦戦を強いられる前に滅するという無慈悲さの表れだ。
自らの斜め下から、大きな斧の刃が迫っている中、レインは片足を振り回して体全体を回転させる。弧を描くもう一方の足先、一回転した全身が導く踵の軌跡、それがドラウトの斧の側面にこれ以上ない間で激突し、彼女を真っ二つにするはずだった凶刃を上方に叩き上げる。傍から見れば何をしたのかもわからない、ドラウトですらそんな芸当が出来る少女に愕然とする。
抗力で落下速度が増したレインは勢いよく地面へと真っ逆さま、しかし足を下にして着地した彼女はひと蹴りで、ドラウトの方へと我が身を発射する。間髪入れぬ追撃に、武器をはじかれ上ずりそうになった体を正し、体の重心を前に傾け迎撃体勢に入るが、正しくない。発射点とドラウトの中間点でもう一度地を蹴ったレインは同時に体を沈め、胸を下にし頭を前に突き出した姿勢、手を伸ばせば地面に触れられるのではと思えるほどの低い軌道でさらに急加速する。
狙うはドラウトの脚、敵の体に激突寸前、首を引いて体を一回転させたレインの足は、ドラウトの脛に勢いよく突き刺さった。踏ん張っていれば芯まで折れていたその一撃を、受けると同時にその脚を後方に跳ね上げ、衝撃を逃がしたドラウトの反射神経が彼を救った。一方で、片脚を前から凄まじい勢いで叩き折られるかのような一撃には、ドラウトが前のめりに体を傾かせる速度も速くなる。
ほとんどつんのめって倒れる形でありながら、自ら前回り受身の形を取ってすぐさま膝立ち、それもレインを振り返る形になっていたドラウトが、着地し振り返った直後のレインを両断する大戦斧のスイングを放っている。素早くかがんでかわしたレインのポニーテールが彼女の頭上に僅か残り、斧の刃が髪先をかすめていった風切り音に、生き残ったレインも生きた心地がしない。
それでも地を蹴り、ドラウトへの愚直な一直線を形にするレインの猛進性に、肝が冷えるのはドラウトも同じ。打ち抜かれた脚に力が入りきらぬ中、彼が出来るのも腕を構えて顔を守り、そこへ蹴りを突き刺そうとしてきたレインの一撃を防ぐことだけ。両足を突き出し、肘を振るって体を回転させるレインの跳び蹴りが、螺旋ねじが鋼の篭手に突き刺さるような重みとともに、装甲で守られたドラウトの腕を芯まで傷つける。
離れるレイン、しかしそうではない、腕を押し返したドラウトの力が、レインが望んだ着地点よりも遠くへと彼女を突き飛ばす形になる。距離を取れるのはいいことだろうか、ドラウトの力がレインの体が浮く時間を僅かでも長くしているのに? 傷ついた脚に渾身の力を込め、前へと踏み出したドラウトの急加速は、高めに浮かされた体のレインに、あっという間に距離を詰めた。
懐に近く、大戦斧での追撃が為せない距離感まで。それでもいい。ドラウトが無傷の脚を軸足にし、放った蹴りはまるで鋼柱のフルスイングだ。踏ん張りの利かない宙、あとほんの数瞬で地に脚が着くというところ、地表と平行な軌道を描いて迫る巨漢の蹴りを迫らされるレインはもう、靴の裏をそちらに向けて対処する以外のすべをもたない。
全身鎧を含めれば、レイン4,5人ぶんの全体重を持つドラウトが、日頃からその体を支えている屈強な脚。それが鋼の装甲を纏って放つ蹴りの重みは、いかに究極健脚のレインも受けてただで済むはずがない。体で受ければ全身粉々、そうならなかっただけでも幸運、靴裏から伝わる壮絶な破壊力に押し出されたレインの全身が叩き飛ばされ、地面に三度跳ねて転がる光景がその後に続くのみ。
「貰うぞ……!」
痛めた片脚に、さらにレインの受け蹴りを貰ったドラウトも、不全寸前の脚に無理を言わせて一歩踏み出した。倒れたレインが、すぐに立ち上がれるはずがない。どんなに上手に受身を取ったとしても、あの一撃の直後に地面を転がって、すぐに立ち上がれる人間なんてクラウドぐらいのもの。
「天魔、重熱線!」
「ぬが……!?」
二歩目三歩目とレインへと迫らんとしていたドラウトの前方地上に、空から極太の熱光線が突き刺さって大爆発を起こす。前進の道を阻まれたドラウトが憎々しげに上空を見上げると、まさに今ミスティが空に操る火の玉や岩石から逃げ回りながら、この上空へと移っていた熱閃の術者の姿がある。
「人の心配してる場合じゃないくせに……!」
「くぅあ……! はっ……はあっ……!」
最優先でクラウドの動きを制限する赤い火の玉を操りつつ、ファインを狙撃する蒼い火の玉を手繰り、空中岩石と暴風でファインの動きを拘束するミスティの手腕は確かに見事。もはや逃げ回るばかりで精一杯のファインが、ぎりぎりの間隙を縫った末にレインを守るための支援砲撃を為せば、生じたその僅かな隙へとミスティの火の玉が迫ってくる。風の翼をはためかせて飛翔するファインが、あわや火球の直撃を受ける寸前でそれをかわすも、身近でぶつかり合った火球らの起こす大爆発に煽られ、熱と爆風で全身をひりひりさせている。
「っ、ぷはうっ!」
「ああっ、もうっ! 本当、あなた面倒!」
ファインのせいで、ドラウトが最速で仕留め得なかったレインにも火の玉を投げつけたミスティだが、頭が下になるほどめちゃくちゃな軌道で飛んでいたファインが、膨らませた頬から吹き出す火球でそれを撃ち落とす。はしたなさなんぞ知ったこっちゃない。ミスティに反撃の一つも返す余裕の無いファインが、大切な人を守るために全力を傾けているこの状況、それが功を為しミスティとドラウトが最高最前の結果とその過程を導けない。
その短時間がレインを立ち上がらせるまでの時間を作ってしまい、ドラウトがレインへの距離を近付ける頃には、既に二本の脚で体を支えている彼女の姿がある。開ききっていない片目、土まみれの服、激痛に苛まれて震える全身を見れば、相応のダメージを受けたことは見て取れよう。
上がらぬ右腕を、左手でぎゅうと抱くようにした姿勢も、恐怖で震える体を抑えるための体勢でないのが明らか。右耳の上から流れる血は、地面の小石で割ってしまった傷から溢れるものだろう。右半身から地面に落ちて、肩をいわせた結果に至ったことが、ドラウトから見てもはっきりわかる。
ドラウトは、クラウドに挑む時と同じほどの覚悟を心に構えたことを、体現するかのように両手で大戦斧の柄を握り締めた。それだけぼろぼろの体になった13歳の少女が、泣きもせず逃げもせず、武器を持った大男を前にしてたじろぎもしない眼差し。いかに上半身が傷だらけであろうとも、絶えぬ闘志を持つレインとは、最大の武器である両脚を使って地に立つ以上、それは額に怪我をしただけの獅子にも匹敵する、手負いの強き獣と例えられよう。
ドラウトは最後にもう一度、空を見た。ミスティがファインを、上空外へと追いやっていく姿が見えた。そうした彼女の尽力は、今後ファインやクラウドによる横入りを、意地でも二度と許さぬはずと信じよう。絶対的な一対一を確信にも近い形で決め打ったドラウトが、傷ついた側の脚で敢えて一歩レインに近付き、軋む骨の痛みに慣れを利かせる。ここで苦痛に負ける男が、革命軍の准将の地位になど就いていない。
「行くぞ……!」
突き進むように前進したドラウトの大戦斧が、レインの小さな体に急迫する。後ろに跳んでかわしたレインが、着地と同時に全身に伝わる振動により、はずれかけた肩に壮絶な痛みを得る。響く。連続して、レインの体全部を真っ二つにする勢いで振り下ろされる戦斧に対し、もう一度後方に飛んで逃れる動きも僅かに遅れる。ぎりぎりの結果は目と鼻の先で地面が爆裂する結果を招き、跳ねた土と小石がレインの全身をびすびすと打ち、そうした痛みも彼女には小さくないダメージだ。
一切の反撃も許さぬ間で、たたみかけるように斧の連続攻撃を振り迫らせるドラウトから、レインは小回りの利く脚で逃げ回るので精一杯。リーチの長い大戦斧は、本来連続攻撃に向いたものではない。ドラウトは武器の射程範囲内を深追いするようにレインへと接近し、踏み潰すような蹴りや、跳んだレインを殴り飛ばす腕を振るう予備動作を演じ、近距離戦に持ち込んでくる。手数の増えたドラウトの攻めに、地に足が着くたびに逃れようのない激痛を得るレインが、ただの一度も反撃を繰り出すことが出来なくなる。
「貰った!」
「ううぁ゛……っ!」
ドラウトのすぐそばで、体を高すぎる形に浮かせてしまったレインへ、全身回しての裏拳を放ってくるドラウトの一撃が突き刺さる。持ち前の空中芸当で体を回し、脚の裏で篭手に包まれたドラウトの裏拳を受けたレインであれど、その衝撃が傷ついた体に響かせる痛みはうめき声にも表れ、小柄な少女が怪物体格の巨漢に殴り飛ばされる結果がその後に続く。
「――ぐぬ、っ!?」
「んんん゛、っ……!」
殴り飛ばされたレインにすぐさまとどめを刺す直進へと、重心を傾けていたドラウト。そこへ、地面に両脚で触れた瞬間、蹴り出すパワー任せにとんぼ返りに突っ込んでくるレインがいるのだから虚を突かれる。
それでも腕を構えて、矢のような突き蹴りを防いだドラウトではあるが、双方の腕と体じゅうに走る衝撃が消耗戦を加速させていく。前にのめりかけた体も後方に僅か押し返されるドラウトの前方、くるりと身を翻して着地したレインが、両脚で着地したのに片脚崩れたように膝を着く姿勢からも、相当に苦しいことは確かなはず。
ぎゅうっと口を絞ったレインが、一度、二度と、周囲と空を見る。ドラウトから目を切ったのはその短時間だけだ。見上げた上空では、ファインがミスティの火の玉に追われ、爆風を受け、体を傾かせて今にも落ちそう。見渡した地上の端では、ミスティの火の玉に行動を制限されながらも、迫り来る敵を撃退しているクラウドの姿がある。
ドラウトとの交戦で彼女の立ち位置は、大きく動いているはずなのに、それでも遠くない場所に二人ともいる。苦境の中で、自分を案じて何とか近付こうとしてくれている二人がだ。戦うレインの行動理念そのものが、今すぐにでも横になって泣き叫びたいはずの、ぼろぼろの体のレインに戦意を失わせない。
「お兄ちゃん……! お姉、ちゃん……!」
力なくだが、ドラウトに一歩近付くように片脚を踏み出したレインの足音は、騒がしい戦場の中でもよく響いた。恩人の二人が、あんなにも苦しんで、今も自分を心配して体を張っている。体が動いてくれる限り、どこまでだってやれなくちゃ、一生自分に胸なんて張れないと思える。力を振り絞らずにいられない。
怖いのはレインだけじゃない、ドラウトもそう。険しい表情で再び猛進するドラウトは、恐るべき敵としてレインを認識しているのが、咆哮のような気合とともに振るった大戦斧に表れている。自分で後方に倒れる形で、胴真っ二つにしてくるドラウトの斧を回避する中、蹴り上げた脚で戦斧の側面をレインが蹴り上げる。
ドラウトの体が上ずる、レインは腕も使えぬ中、蹴り上げた脚を振り下ろす形で、上半身に回転力を得て体をすぐ起こす。蹴り出す肉体はまるで弾丸、これが彼女の唯一の武器。再び腕を構えてそれを防ぐドラウトだが、いよいよ芯がみしつくドラウトの腕も、徐々に限界へと近付いている。
「小賢っ、しいわあっ!」
「はが……!?」
蹴って離れて体を浮かせたレインに、ドラウトはすぐさま勢いよく接近した。盾として構えた腕の側で武器を握り、逆の手を戦斧の柄から放した大きな掌とし、それをレインに振り抜いてきたのだ。ドラウトから離れたはずのレインにそれは追いつき、縮めたレインの脚を横から殴りつける形になる。平手打ちと呼べるものではない、鋼の篭手に包まれた、怪力無双の男のぶん殴りは、拳にするより広い面積でレインの体を殴り飛ばしたのだ。
飛ぶ鳥が落盤に殴られた勢いで地面へと叩き落とされるレインが、二度跳ねて地面を転がる様に、ドラウトが間髪入れずに踏み出していた。胸を下にして地に屈したレイン、そんな彼女が顔を上げたその瞬間には、既にレインを射程範囲内に捉えたドラウトが、リーチの長い大戦斧を振り上げている。倒れて動けぬ彼女を真っ二つにする、凶刃を振り下ろすまさに一秒前。
「終わ、リ゛っ……!?」
完全に勝負あったはずのこの瞬間、何が起こったのかはドラウトにも全く理解できなかった。四つん這いになってドラウトを見上げていたレインが、ぷくっと頬を膨らませた一瞬が、ある意味ドラウトがこの戦いで彼女をちゃんと見た最後の光景だ。その次の瞬間、蛙種レインの口から発射された何かが、ドラウトの眉間を鋭く殴りつけ、思わぬ衝撃にドラウトも追撃の手が止まってしまう。
「っ、ええやあっ!」
吐いた最大の隠し玉をすかさず口の中に、目にも止まらぬ速さで引き戻したレインは、最後の気合を込めて地を蹴っていた。屈していた彼女の体が勢いよく跳び、怯んで片目を閉じていたドラウトの一瞬を突いて、レインの足がドラウトの腹部に突き刺さる結果を導くのだ。鋼越しにでも、ドラウトの腕の骨をみしつかせていたレインの突撃蹴りが、その腹に突き刺さる衝撃とは如何ほどのものだろう。
ごふりと大きく息を吐いたドラウトの巨体が、正面事故の勢いで腹に突き刺さるレインの脚から受けるダメージで吹き飛ばされた。無双の巨体持ちであるドラウトが、口の中を血でいっぱいにして背中から倒れ、その際に開いた口から溢れる血が、彼の顔を真っ赤に染めるほどダメージは甚大である。厚手の鎧も貫通し、筋肉に包まれた武人の内臓まで粉砕する破壊力を為すレインの蹴りは、渾身の力でそれを放った側も離れる際、脚がもう一生使えなくなったんじゃないかと錯覚するほどの反動を生み出している。
突撃力をすべてドラウトの体にぶち込んだレインは、自ら離れる力も注げず、彼女もまた肩の後ろから地面へと落ちて転がる結果になる。後頭部を打って飛びそうになる意識を、だらしなく開いた口から大きく息を吐いて保ち、じっくり振り上げた脚で地面を叩いて跳ね起きる。上体が使い物にならないのだ。身軽に見えて、これ以外の手段で体を起こす手段が、今の彼女にはなかった。
「グッ、が……おノ゛……れ……!」
立ち上がるまで二秒を要したレインと同じく、ドラウトもまた起き上がるのに同じだけの時間を要した。血まみれの顔の下方、口からは未だにどろりと血を溢れさせるドラウトが、膝立ちでレインと睨み合う。巨漢のドラウトが、内股気味の開き足で背中を丸める小さな背丈のレインと、同じ目線の高さで対峙する図式になる。
果たして、この体でどこまでやれるだろう。レインもドラウトも、考えることは同じだ。人を殴ったことなどない拳を握り締めるレインと、戦斧を握る手が震えそうなのを握力で騙すドラウトは、互いに深手を負ったここからが真の戦いだと、今にも倒れそうな体に言い聞かせるばかりだった。
「花盛りの春」
「来たっ! 来た来た来たあっ!」
「あ……っ!?」
地上でドラウトがレインに致命的な一撃を受け、倒れた光景を目にしたばかりのミスティが、陰りかけた表情を一瞬で希望に満たす出来事。南方、地平線の彼方から駆けてくる馬群の姿はまだいい、その最前の馬上から魔力を発した何者かの魔術が、合戦場の地面いっぱいへと一気に蔓延する。空からそんな光景を見るファインこそが、この異変の大規模さを最もよく知り、声をあげずにいられない。
倒れた者もいれば血飛沫も沁み込む地面いっぱいが、突如として地表を突き破って花開く花の海へと化していく。広く、広く、余すことなくだ。その大異変に、敵も味方も戸惑いを覚える中、ついにその異変の主である術者の魔力は、地面を突き破って頭を出した巨大植物を遠方から召喚する。
三階建ての建物相当の背丈を持つ向日葵が、花を地表に向けてそこから種子を発射する。ファインを追ってきた者達と交戦する、闘士達めがけてだ。突然お化け向日葵が自分の方を向いたことに気付いた闘士が身を逃しはするものの、矢の雨のように飛んでくる種子のいくつかが体を貫き、浅くない傷を全身に受けることになる。
さらには太い蔦が地面から飛び出し、蛸の足か、あるいは蛇の体のように近場の闘士に絡みつく。締め付けるだけでなく、筋肉でも中に詰まっているのかというパワーで人間を持ち上げ、放り投げてしまう始末。混戦模様であった戦場に、突然現れた無数の植物によってさらなる混乱をもたらされ、どちらの陣営も正しい判断が難しくなっていく。
嬉しそうなのはミスティだけだ。馬に跨るシルエットを徐々に明瞭にして接近する術者の姿は、彼女にとって、他の何よりも頼もしい味方の到来に他ならない。
「空か……見やすいところにいてくれて何よりだ」
すでに手綱をしごくのをやめ、馬なりで前進するその男は、混迷を極める戦場へと徐々に近付いてくる。その男の正体を目にした瞬間に、ファインを襲う悪寒ったらない。地上をこれほどの花に染める、そんな大魔術を実現する何者かの存在を感知したクラウドも、誰がそれをしたのか想像しただけでぞっとする。
こんなことが出来るのは、あいつしかいないと自然に思えるのだ。
「真の戦いは、ここからだ……!」
茜色の夕陽により、すでに赤く染められたロカ平原。馬上にて小さく口にしたカラザの言葉は、この後さらに流れる血によって、ロカ平原の紅さが一気に増すことを暗示するかのようだった。




