第250話 ~茜差すロカ平原~
自他共に宿敵同士だと認め合われるニンバスとネブラの激しい空中戦は、両者間に距離が生じても二人が放ち合う、稲妻の魔術や毒針によって苛烈さを保っている。鳶の翼と蜂の羽、二人の飛翔を司る空の脚は、一瞬たりとも休まる暇などない。
「わかっているのか、ニンバス! 君の行動は、英雄の名を辱めるものだ! 天人の裏切り者であった僕とは違う、君は敬われる人間だろう! 君もそんな自らに、恥じぬ自分でい続けたいと言っていたじゃないか!」
「……聞こえぬ!」
「いいや、聞け! 答えろ! なぜそこまでする! 君の名を貶めてまでする変節に、それほどの価値があるのか!」
ニンバスが放ち操る黒い雲、それらが四方から発射してくる稲妻をくぐり抜け、ニンバスに接近したネブラが、最も距離が縮まった瞬間に毒針を投げ放つ。自分も相手もとんでもないスピードで動く空の戦いで、的確にニンバスの首元にそれが当たる軌道で放っているのが、流鏑馬以上の手腕を持つ毒針狙撃手ネブラの実力を表している。
「君が名声に興味が無いことは知っている! それでも、自分が敬われる限りは、後続の者の夢を裏切ることはしたくないと言っていたじゃないか! あれは嘘だったのか!? 違うだろう!」
「っ……!」
「君が変節漢の汚名を得ることが、君を信じて従う者たちにとって不本意なのは想像……っ、できるだろう! なのに……」
「これが私の、選んだ道だ……!」
喉に迫った毒針を、フランベルジュの一振りではじき返したニンバスが、ニンバスへと黒い雲を直接ぶつける勢いで迫らせてくる。声を発していたネブラの声も一瞬だけ途絶え、あわやで電流を帯びた黒雲との衝突を回避したネブラに、黒雲が追い討ちの稲妻を放ってくる。それも急上昇する動きで回避するネブラは、放ち続ける対話の言葉をなおも続けていく。
「わかるか、二度目の裏切りだぞ! 革命軍に組した天人への裏切り、僕達と一度手を結んでおきながら今は敵対するその行動! 君はそんな生き方を誇れるのか!?」
「黙れ……!」
「黙るものか! 吐き出せ! 沈黙は金などと、賢しい生き方で苦悩を一人で抱え込むんじゃあないっ!」
ネブラが雷撃の魔力を掌にかき集め、それはあっという間に人の頭ほどの魔力の凝縮球体と化す。それをニンバスの方向へ投げつけるネブラの行動が、雷撃球体を敵に迫らせた末、ぐっと術者ネブラが手を握った瞬間、爆発するようにはじけた雷撃球体が全方位に電撃を発した。
ニンバスの翼が三筋の電撃に焼かれる、体勢が乱れる、そこへ既に迫っていたネブラが剣を振り抜きにかかる。傾いた体を、いっそ自ら背中を下にするかの形に回転させたニンバスが、その動きに乗せて振り替えしたフランベルジュと、ネブラの剣が衝突だ。被弾して明らかに生じたはずの隙を埋め、本来必殺であったネブラの急襲を凌いでしまうその手腕が、空の英雄ニンバスの真骨頂。
「なぜ言えない! 自分達は間違っていないと! 僕達は誰一人、かの少女を討ち取ることが正義の行動だなんて信じちゃあいない! 今の僕達は革命を叶えてくれた恩人の指示に従う奴隷であり、そこに僕達が心から信じられる正義など無いんだぞ!」
「く……」
「聖女スノウの一人娘に愛着が沸いたからか!? 私情を以って大勢を身勝手に動かしたと自己評価するからか!? そんな顔で戦いに参じる君を見ていると、煮え切らなくて仕方がないんだよ!」
ニンバスとの距離を縮め、並走するように並んで滑空するネブラが、剣を振るってニンバスへと雷撃の魔術を放ってくる。回避するニンバスに時間差で放つ毒針は、それに対処するニンバスの全身を大きく傾かせる。普通の敵なら、これで仕留められている攻撃なのだ。
「失望させるな、ニンバス! 迷いを断ってみせろ! 君は、僕の好敵手で――」
「ネブラ……っ!」
「戦友、だろうがあっ!」
先ほど投げつけた雷撃球体より、さらに大きなものをニンバスに投げつけたネブラの魔術には、彼が過去最も奮い立たせている精神力が反映されている。凄まじいスピードで自らに接近するそれを、ニンバスは黒い雲を集めて壁を作るかのように防御する。その結集固体とネブラの大型電撃球体がぶつかった瞬間、二人の稲妻の魔力の激突が、目に痛い夕暮れの西日にも勝る光を放ち、空のすべてが眩しく錯覚するほどの大爆発を起こした。
地上であれば大型肉食獣すら、踏ん張りきれずに吹っ飛ぶほどの爆風と、光のような速さで空いっぱいを駆け抜ける電撃の嵐の中、ニンバスもネブラも降下しない。痛烈な電撃を、確かにその体と翼に受けながら、体勢を整えて飛翔を継続する。
「もう一度問うぞ、ニンバス……! やがて変節漢の名を背負う君に、今の自分の行動を正しいものだと信じる信念はあるか!?」
「……ある! 亡き友の、たった一人の家族を守る為に、私はここに来た!」
「僕達を裏切ってまでそれを為すことが、君にとっての正解か!?」
「そうだ……! 詫びる言葉は、発さぬぞ……!」
「結構だとも! 武人としての姿で、その信念を体現してみせろ!」
爆風に煽られて距離を隔てていた短い時間の間に、ネブラが信念を問うた言葉に回答が示される。二人は再び接近し合い、稲妻が、毒針が、双方の刃が火花を散らし合う。誰もこの世界には入ってくることが出来ない。きっとこの場に、彼ら以上の実力者であるファインやミスティがいても、この両者間に横入りすることは不思議と出来なかっただろう。
一度友だと認め合うと、つくづくとにかく儘ならない。自分より相手が強くても嫌、かと言って相手が露骨に迷いのある顔で、無様な姿も晒しているのも嫌、たとえそれが自分に有利をもたらすのだとしても。これが赤の他人、ただの敵だったらどれだけ楽か。その迷いにつけ込んで、容赦なく精神攻撃をもたらすことも厭わないのに。
それでいて、負けたくもないって心から最も思うんだから、幾重に矛盾しているのだか。全身全霊、完全なる状態の相手に勝利することを望んでしまうんだから、男って生き物の一部は肝心な時に阿呆である。
「ニンバス……! 君の部下は、僕達を裏切ると決断した君のことを、それは不義理だと諌めたか……!?」
「…………」
「それが、答えだ! 君の行動は間違ってなどいない! 間違っているのは、僕達さ……!」
フルトゥナが、クラウド達のそばで口にしたとおりだ。理不尽に命を狙われる少女を守る為に戦う、なんと胸を張って臨める戦いであろうか。革命を為すための下準備に、何の罪もないリュビアを攫う悪行に手を染めていたあの日より、鳶の翼の傭兵団が溌剌として戦場に臨んだのもうなずけよう。
「付き合え、ニンバス……! 僕を友人の一人だと、今でも認めてくれるならな!」
「まったく……! 逃げ道の無い、卑怯な物言いだ……!」
「そうだ、その顔だよ……! 僕が認めた、好敵手の顔だ……!」
案外ニンバスは、涙を流せる男であるとネブラは知っている。迷いを晴らす、友人としての言葉を、対立する今もなお届けてくれるネブラ。それを見るニンバスの目尻がわずかに落ち、口の両端が上がったことに、ネブラも小さく笑っていた。
やっと、僕という人間を見てくれたなと。己の正しさすら説けず、惑う顔ばかり見せていたニンバスが、彼本来の人格を取り戻す顔を見せてくれたことで、ようやくネブラも胸がすっきりする。
大人は、自分が正しいと信じたことだけ行動に移していくことが難しい。革命を叶えてくれた第一人者達、サニーやカラザの命には義理を果たすべきだと決断し、何の罪もないはずのファインの命を奪いにかかっているネブラ達。革命活動のあの頃以来、目的達成のために人を殺めることの罪深さから、努めて目を逸らしていた者達は、変革成った後の今もなお苦悩の渦にある。この戦いの勝利、つまり幸薄し少女を追い詰め、絶望させて命を奪う結末を、正しい末路だと信じて動いている者など一人としていない。例外無くだ。
そんな奴らにつけ狙われるファインを、理不尽な殺意から救おうとするニンバスの方が、きっと間違いなく、人としては正しいのだ。鳶の翼の傭兵団は、誰しもがこの戦いに疑いを持っていない。迷っていたのは、友人であったスノウの一人娘を守りたいと、私情を自覚しそれでまた多くの部下を、裏切りの戦火に招いたと自己評価するニンバスだけだ。
気持ちはわかるさ、だけどそんな顔をするな、君の方が絶対に正しい。たとえ、ここで敗れるわけにはいかないはずの立場、そんなネブラで以ってしても、友人を苦悩から救うその言葉を伝えずして、ぶつかり合うなど愚の骨頂。そう思えるのが友人だ。ネブラにとってはそうなのだ。
私闘に変わった。少女を救うための戦いという、誇るべき意志のもと参じた身でありながら迷いの中にあったニンバス。そんな彼の心を救ってくれた、ネブラに報いるための全力勝負がまず片側。
そして、自らを正義だと信じられぬネブラの刃を、かつての友が食い止めんとしてくれている。きっとカラザに従う身として、この事実を喜んではいけないのだろう。しかし、ネブラにとっては、自らの過ちを未然に改めんとしてくれる人物が、かつての友人であるというのが最大の救いでもある。そんな友の全力を、全身全霊で受け止めることこそ、戦人の一人として出来る、対立せざるを得ない友への最大の返答だ。
「さあ、参ろうか! これがきっと、君と僕の最後の戦いになる!」
「――行くぞ! ネブラ!」
二人はその半生の大半を、戦場で生きてきたのだ。己の信を最も雄弁に語れるのは、その手の剣と戦意を持った眼差しに他ならない。それが何よりも、苦しむ大人達を支えてくれる武器。歪む社会の中、純粋なる正義を貫くことを許されない者達にもたらされる、最大の救いとは、自分の生き方のまま動ける居場所こそ最たるもの。
戦争とは、あらゆる意味で悲しみを生み出す。それによって救われる者もいる。そんな現実、世相の方が間違っているのだ。
「ゼェ……ゼェ、っ……!」
「追いついた……! 今度は、逃がさない……!」
クラウドとファインは、ただただ前に意識を集めて前進し、遥か後方で鳶の翼の傭兵団が、自分達を救うために戦っている事実すらわかっていない。それだけ二人は必死なのだ。お願い神様、助けて、クラウドさんと私をと祈るファインも、呼吸がままならぬほど走り続けてきたクラウドも。
同様に、思わぬクラウド達への援軍に部下を失い、単身空からクラウドを追ってきたミスティもだ。勝機はある、あり過ぎるほど。いよいよ息切れを起こし、速度が目に見えて落ちてきたクラウドに、僅かな時間なれどもニンバスに足止めされながら、その上空点に追いつけた今、ミスティにもクラウドの疲弊がよくわかる。
これ以上苦しめない。一秒でも早く仕留めんとする。
「招かれざる客の追放!」
そばに味方のいない今だからこそ封を切れる、クラウド達を足止めする最善手だ。クラウドが駆ける遥か前方へと魔力を投げつけたミスティが、巨大な竜巻を作り出す。目の前に突然落ちた魔力から、ロカ平原の中心に立ちそびえる大障害を目にしたクラウドは、転びそうな前足を必死で切り替えて曲がり走る。
竜巻もクラウドを追うように地を駆ける。追いつかれたら上天に跳ね飛ばされる、触れられては一巻の終わりだ。そうして真っ直ぐに走る軌道を叶えられなくなったクラウドに、遠方よりクラウドを取り囲んでいた、動く馬群の包囲網も、輪を小さくしてクラウドを追い詰めにかかってくる。
「ちく、しょう……」
目から光が消えかける。距離を保っていたはずの敵たちが、今やあんなに近くに、それも山ほど。後方から追ってきた竜巻の気配が消えたのも、クラウドに味方が接近し、それを巻き込まぬようにしたミスティの配慮であり、竜巻の轟音が消えたことも希望より絶望感を駆り立てる要素である。
もう無理だ、逃げ切れない。だったらもう、戦うしかない。最後の足掻きだ、意地を見せてやると決意を一新し、目に宿りきらぬ火を極力焚こうとするクラウドが、減速して迎撃体勢に入る。戦うことを視野に入れ、正面位置の敵だけを見据えたクラウドだったから、突然の出来事の予兆に気付くことさえ出来なかった。
「おい! なんだありゃあ!?」
「こっちに来……ぐわあっ!?」
それもまた、突然だ。その存在を一瞬早く察知した、クラウドを追ってきたザームの部下達が、気付いてなおかわしきれなかったほどに。あるいは、誰も予想だにしなかったニンバスの参戦のように。突然という言葉が、二重の意味ですべての者を混乱に陥れる。
地平線の彼方から、馬体にも勝る大きな丸い岩石が、山の坂道を転がる巨大落盤の如くこちらへと転がり迫ってきたのだ。それはクラウドを包囲していた馬群の一角に突入し、馬を轢き殺すような形でぶっ飛ばし、馬上の男達も落馬して立ち上がれなくなる。クラウドを包囲していた陣形の一角が突き破られる。
「――生きてるな!? 間に合ったみてえだな!」
「えっ……えっ……!?」
そのままクラウド達のそばまで転がってきた巨岩はばこんと割れ、その中から卵から飛び出すかのような形で、大きな体格の男が姿を現した。膝を抱えてぐるぐると空を回り、クラウド達のそばに着地して声を発した男とは、ファインやクラウドも面識がある。あまりの思わぬ再会に、相手が誰だかすぐにわかっても、ファインは戸惑う声を溢れさせるばかりで、相手の名前がすぐ口に出来ない。
「よぉ、お前クラウドなんだろ……!? いくらなんでもお前、しばらく会わねぇうちに変わり映えすぎだぞ!」
「た、タルナダ、さん……!?」
「細かい話は後回しだ! まずはこいつらを叩きのめしてからだ!」
戸惑うクラウドに、暗に自分はお前達の味方だと言い表し、駆け出したタルナダが行動でも真意を明かす。戸惑っているのは追っ手達もそうだ。突然現れた、タクスの都の闘技場のチャンピオンと名高い男の急襲に狼狽した短時間が、タルナダに迫られる者達にとっては命取り。剛腕無双のタルナダが振り抜く、太い腕の一撃が、防御させる間も与えずに敵を薙ぎ倒す。
「なんだよ、どうなってやがる……! なんでこんな奴らが、ここにいるんだよ……!」
推参したのはタルナダだけではない。馬に乗ってロカ平原を駆け、この場に参じた男達が、次々に馬を飛び降りてクラウドを追っていた者達に襲いかかる。兵を率いる将、ザームが苦い顔で発した言葉の真意とは、見覚えのある強い奴らが想像だにしないこの時に、自分達の敵として現れたこと。
タクスの都の闘技場にて、若い頃は闘士として生きていたザームには懐かしい顔が多い。タルナダの参入が、一瞬まさかと予感させたように、闘技場で日々を生きている男達が、ファインを追う者達を襲撃しているのだ。
「久しぶりだな、ザーム……!」
「ぬぐ……! ホゼの、兄さん……!」
両手に持つ二本のトンファーによる連続攻撃を放つ闘士、ホゼの連続攻撃がザームに防御と後退を強いる。ザームも得物の大型シャベルを振り返し、ホゼへの反撃を繰り出す。自らの右から来るシャベルの一撃を、二本構えのトンファーでなんとか盾代わりに防ぎ、殴り飛ばされながらもホゼは倒れず地を滑る。
「久々の再会が戦場とは、やっぱり俺たちゃそういう縁なんだろうさ……!」
ホゼに追撃しようとしたザームめがけ、岩石の弾丸が放たれる。追えずそれをシャベルで打ち返すことを強いられるザームが振り向けば、既に何人もの闘士が戦場のど真ん中に到達し、ザームが率いる部下と合戦の様相を呈している光景がある。そんな戦場の中を、杖を握った闘士ヴィントの姿も確認できた。
「っぐ、ヴィントの兄さん……トルボーのおっさんまで……!」
大きな盾から鎖で繋がる鉄分銅を投げつけてきた闘士の名も口にしながら、奇襲的な鉄分銅をザームが武器先ではじき上げる。懐かしい顔ぶれとの再会を、ここまで喜べないシチュエーションもそうそう無いだろう。
「忘れてねえぞ……! お前が俺達をハメやがった、ことはなあっ!」
鎖を引き寄せ鉄分銅を手元に収めながら、接近してきた敵の斧を大盾で横殴りにはじいたトルボーが、体勢の崩れた相手へ間髪入れずに回し蹴りを叩き込む。鍛え上げられた闘士の重い一撃に、腹を打ち抜かれた敵が立てなくなる。
「くそったれが……! 競技闘士どもが、戦争屋に喧嘩を売ってくるってのはなあ……!」
こうなるんだよ、と大きく叫び、近場の闘士に接近したザームが振り抜くシャベルは、相手の武器を持つ手ごと体をぶん殴り、吹っ飛ばす。もう立てまい。一人戦闘不能に追い込んだザームが、混乱する部下達の前で一勝を掴んだ姿は、うろたえていた友軍に士気を正させる。
「舐めんなよ……! 年上だからって、容赦はしねえっ!」
闘技場で、人生経験豊富な年上と良き関係を築いていたザームは、それが敵対した今、本来複雑な想いに駆られても不思議ではない。敬っていた年上らと命のやり取りをしているのだから。
そんな状況下、自らに迫る年上の闘士の青竜刀の重い一撃を殴り返し、隙の出来た相手の腹に、シャベルの柄を即座に突き刺してぶっ飛ばすザームは、戦場における精神力がまさに武人のそれなのだ。本来特筆されるべき、ザームの実力以上に、それこそが最も彼の強さを体現している。
「ザーム……!」
「来たな、ボス猿……!」
何人もの敵を薙ぎ倒してきた闘技場の王者が、ついにザームと邂逅する。駆け迫ったタルナダの裏拳を、大きなバックステップで回避したザームが、射程距離の長いシャベルを振り抜いて即座に反撃だ。 じっとしていれば自分の右肩を横から殴っていたその一撃を、素早く体をひねったタルナダが、背中と肩甲骨でもろにそれを受け止める。
古き血を流す者、蝸種のタルナダは、体の背面すべてが以上に頑強だ。古き血を流す者、蟻種であり、人外級の怪力を発揮するザームのシャベルの一撃すら、タルナダは歯を食いしばらせこそすれど、倒れない。背面部で受ける以上、クラウドの攻撃すらも耐え凌いでいたのがタルナダという男である。
お互い、相手の血に流れる特別な力は知っている。知らぬ仲ではない。才覚のある若者、信頼できる親分と、双方認め合っていた二人が対峙するフィールドは、不思議と混沌とする戦場の中でありながら、二人だけの戦いの場であるかのようなスペースが生じている。
「まったく、どうやってこの場所がわかったんすかねぇ……!」
「あんだけ空から信号見せてりゃ、しっかり探しゃあ見つかるさ……! もっとも、ニンバスの野郎が率いた連中の目にも助けられたがな……!」
クラウドが逃げた方向を示すため、空から光を発したミスティの行動は、不可欠ながらも余計な副産物も生み出してしまったと見える。ファイン達が命を狙われていると知り、それを守る為に駆けつけようとした有志にも、平原を駆けていたクラウドの位置を定める助けになってしまったのだ。鳶の翼の傭兵団、空からも含め、数多くの兵力で手広くロカ地方南部を張っていたその集団の視野の広さは、その目印をずっと見逃さなかった。
「あんた達はわかるさ……! だが、なんで鳶の翼の傭兵団まで……!?」
「さあな、あいつの考えることなんか知らねぇよ。だがな……!」
ファイン達に恩があるタルナダを含めた、タクスの都の闘士達が参戦しようとする理由はわかる。ニンバス達がわからない。その問いを晴らしたいザームへと、タルナダが駆け迫る。
頭を殴り飛ばしにかかってくるタルナダの回し蹴りをかがんでかわし、その足を払うシャベルを振り抜いたザームだが、蹴りを放ちながら軸足で跳ぶタルナダもそれを回避。ぐるりと一回転して着地するタルナダの挙動が、巨体に似合わぬ身軽さを証明すると同時、相手の強さを再認識するザームに戦慄感を覚えさせる。
「目的は同じってこった……! それさえ答えになってりゃあ、シンプルでなお結構だろう!」
「ごもっともっすなぁ……!」
僅かに敬語が残るのも、古くから忘れていない敬意の名残だろうか。発して迫ったザームのシャベルの振り上げは、身を反らして顎すれすれにそれを回避するタルナダを誘発し、振り上げたシャベルの回転に合わせて武器全体を回したザームが、柄の端でタルナダの腹部を突きにかかる。体の前面は筋肉のみ、武器の重みには分が悪いタルナダが、一歩退がるとともに肘でそれを殴り上げた。肘もまた体の背面部分、武器にも抗える頑強さがある。
「親分のあんたに挑戦する機会は、結局闘士生活の中ではなかったっすね……!」
「悪いが今日は、尚更譲ってやれねえな……! 闘士としてではなく、一人の男としてよ……!」
「上等!」
名声と誇りを懸けて戦う闘士としてではなく、かけがえなき友人を守る男として。その想いを寸分違いなく受け止めてなお、正しいとは思えぬ自分の道を邁進して迫るザームもまた、ドラウトやミスティと同じくもう戻れない場所にいる。負けず嫌いの性分で、後ろ暗い目的意識を無理に上塗りするザームの武器が、タルナダの裏拳と激突する。
「八百長なしの真剣勝負だ! 来いよザーム、叩き潰してやる!」
「それはこっちの台詞っすわ!」
戦場は、すべてを受け入れる。ザームが為そうとすることを過ちだと思いながら、戦うという選択肢を心でも拒絶しないタルナダが体現するように。どんなに正しくても、どんなに間違っていても、戦争の勝利はそれを掴んだ者の主張を肯定する。戦いの日々の中に生きる闘士達は、最も肌でそれをよく知っている人種達。
距離を詰めたタルナダとザームの、激しい打ち合いが始まった。戦人の動線が作り上げた偶然ではなく、誰も無意識のうちに近寄ろうとしない、最強の闘士二人のぶつかり合いだ。
「何なの、マジで……! 今日は厄日、なのかなあっ!」
「!? クラウドさ……」
「ッ……!」
既に混沌とした地上の現状に戸惑いながらも、ミスティが上空より放つのは、クラウドの巨体を撃ち抜く無数の火の玉だ。一番早くにそれを察したのがファイン、しかし息を荒げながら立ち止まり、突然の状況に頭がついていっていなかったクラウドも、それで現実に意識を立ち返らせるのもほぼ同時。ミスティが上空より火の玉を発射したのと同時、前足を振り上げたクラウドがそれで地面を叩けば、それによって大きな土煙が舞い上がる。
ひゃ、とファインが裏返った悲鳴を発した土煙へと、ミスティの火球群が突入する。何かに着弾して爆発する火球が土煙を吹き飛ばすが、やったかという実感をミスティは得ない。
土煙の中で人の姿に戻ったクラウド、その背が急に消えたことで高い場所から急落下したファイン。そんな彼女を両手で抱き止めたクラウドが、土煙の中で地を蹴って、ミスティの爆撃範囲内から素早く逃れた結果が地上に残っている。
「ファイ、ン……っ……」
今の状況にも、全く頭がついて行かないままのファインを、クラウドは優しく地面に着地させる。立つ準備が出来ていなかったファインが、一瞬よたついて地に降りる前、クラウドは両膝に手をついて息も絶え絶えに、上空のミスティを見定めている。
「頼むよ、戦ってくれ……! 俺だってもう、やべえんだよ……!」
「く、クラウドさん……」
初めて自分の前ではっきりとした弱音を吐くクラウドは、自分が絶対なんとかしてやるという約束を破棄し、二人で戦うことをファインに訴える。それは独力に対しての絶望ではなく、死力を尽くせば何とかなるかもしれない、ファインも共に戦ってくれるなら――という希望が初めて沸いたからでもある。
心の砕けたファインをあてに出来ず、自分一人じゃどうにも出来ないことを、やはり心のどこかでは認めかけてもいたのだ。そんな信じ切れない希望に追いすがっていた少し前とは、確かに状況が変わっている。
「生きたいんだろ……!? 頑張ろうぜ……っ!」
ミスティが上空から放つ火の玉の群れを視認したクラウドが、ファインの手を握って大きく跳び、彼らの立っていた地面を爆炎が包み込む。急に引かれて大きく動き、体勢を整えることすら出来ないファインを、着地直後のクラウドは体全部で受け止める。疲れきったその体で、まだ彼女を守らんとする。
「ここまでだ……!」
「ぐ……」
「絶対、だめえっ!」
着地したばかり、軋んだ体でファインを受け止めた直後、体勢のゆらついたクラウドにすかさず迫ったのが、大柄な雄牛に姿を変えたエンシェントである。角を突き出し、クラウドに必殺の頭突きをぶちかますべく迫った、雄牛の姿と化したドラウト。それに振り返ったクラウドが地を蹴りかけたが、果たしてかわせるかどうかはわからぬぎりぎりの間。
そのドラウトがクラウドに触れられもしなかったのは、突如横から矢のように飛んできた小さな影が、ドラウトの角を蹴り殴ったからだ。頭から生える角を壮絶なパワーで横殴りにされ、首が折れるかとさえ思ったドラウトが、クラウドに直進していた走行軌道を曲げざるを得ず、四本の脚をふらつかせてなんとか倒れず堪える。ドラウトを蹴飛ばした小さな少女は、蹴ったままの勢いでくるくると宙返りし、見事クラウド達のすぐそばに着地する。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、大丈夫!?」
「レイン……お前まで……」
何度もクラウド達に守られてきた少女が、クラウドとファインの前に立ち、二人を守る盾のような形でドラウトを睨み付けた。憎々しげにレインを睨みつけながら、ふらついていた足で地面を強く叩いたドラウトが土煙を上げる。今の姿を捨て、最高の力を発揮して戦える姿に変容する前兆だ。
「どうして……」
「みんな心配してたよ……! 新しい王様が、お姉ちゃんの命を狙ってるって聞いて……! だから私達も、こうしてここに来たの!」
カラザ達がサニーの命とし、ファインを粛清対象として報知した声は、ロカ地方全土に広く渡ったからこそ各地に点在する部下を纏め上げた。クライメントシティや、タクスの都も、その報が回ったという意味では例外ではない。
そしてその知らせが蜂起させたのは、カラザやセシュレスに従ってきた者達、今はサニーの配下として動いているアトモスの遺志だけではない。ファイン達と縁を持ち、彼女が理不尽に命を狙われる事実を知ったニンバスやタルナダ、そしてレインをも逆の目的で動かしたのだ。
「私達、絶対にお姉ちゃんとお兄ちゃんを死なせたりなんかしない! 今度は、私達が助ける番!」
はっきりと揺るがぬ意志を口にするレインの前方で、ドラウトを包み込んでいた土煙が晴れる。雄牛の姿の速い足で、この場に駆けつけた革命軍の准将が、頭部を牛のそれとした戦斧を握る怪物のような姿で、レイン達の前に姿を現してくる。
「眩しい限りだ……! これより滅するのを、より罪深く思うほどにな……!」
夕陽に近付く斜陽が目に沁みるからではない。ドラウトだってわかっている。新王の命とはいえ、何の罪もないはずの少女を、これだけの兵力で袋叩きに包囲し、絶望の底に落として命を奪うことの残酷さを。王に刃向かった、あるいは将来的に脅威になり得るからというだけで、これまでの半生すら混血児として幸薄かった少女に、こんな仕打ちを下すことに正義を感じられようはずがない。
間違っているのは自分達の方。この世界は間違っていると信じ、革命を目指した時の志すら今は過去。命さえも惜しまず自分達に、たった二人の少年少女を守るために立ち向かってくるレインと闘士達の姿は、卑劣な大人を自覚するドラウトには眩しいと例えて正しい。
「――ミスティ、躊躇うなよ! もう、後には退けんのだ!」
「……わかってます!」
ミスティの攻めの手が、僅かな時間でも止まってしまったのは、状況に混乱したからではあるまい。ドラウトと同じ気持ちであったからだ。そんな彼女を目覚めさせる声が、空のミスティを再び臨戦態勢に移らせ、ファイン達が立つ地面へと風の刃を無数に放ってくる。火球よりもはっきりと、当たれば敵を殺せる形のその飛び道具が、良心の呵責を拭い去ったミスティの決意を表している。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん……!」
「ファイン、やるぞ……! 出来るよな!?」
「っ……はいっ……!」
ぐしっと目を拭ったファインに、今日初めての希望の光が宿っていた。太陽はまだ沈んでいない。期待すらすることの出来なかった救援が、諦めかけていた彼女に陽光より眩しい希望をもたらしてくれたのだ。あれほど戦意を完全に失っていた少女が、溢れた涙を拭い去ったその瞬間には、魔力を集めて臨戦態勢に入っている。
心臓が脈打つ。小さな胸の奥で、死の恐怖と、それを乗り越えたいと切望するファインの心がそうさせる。まるでそれに呼応するかのように、彼女の中に眠っていたもう一つの魂が、徐々に強い熱を帯び始めていた。
「……何かあったな」
順調にいっていれば、常にクラウドの上空に張り付いて、味方にクラウドの居場所を知らせる光を発しているはずのミスティが、その反応を途絶えさせてしばらく経つ。馬の手綱を握ったまま、クラウド達が逃げている方向の空を見上げているカラザには、それだけで異常事態発生の事実が読み取れる。実力にも秀で、功を自らの手に収めることを焦らず、任せられた仕事に従事する忠実なミスティが、ただそれだけのことすら短時間やめていたことだけでも、異変を察するには充分な事象なのだ。
「カラザ様……!?」
「いや、構わぬ。このまま進むぞ。急ぐ脚だけ加速させろ」
改めて手綱をしごき、馬の首を押すような仕草で、自らの乗る快速馬をさらに加速させるカラザ。その姿に、部下も彼の思惑を知りきらずとも、同じく加速する動きを手綱に伝える。何気ないように見えて進軍ルートを操り、鳶の翼の傭兵団とミスティの兵らが交戦する戦場を避けるようにカラザが進むのは、根拠の無い勘に任せた走り方である。
僅かに遠回り、それでもいい。何か、想定外のことが起こっている予感しかしない今、カラザが今日最も慎重に急いでいる。世の中、思い通りにはいかないものだ。クラウド達が、親友サニーと縁を一方的に切られ、安息に生きる日々すら阻まれているように。そしてカラザ達が明らかな優勢の中、思いもせぬ障害に見舞われるているように。
「運命は、我らだけの味方ではないということだな……!」
宿屋の主人が、新たなる支配者の意に背き、クラウド達を逃がした時から薄々と感じていたことだ。世界は誰にでも等しく厳しく、誰にでも等しく優しい。逃れようのない網の中にあったはずのクラウド達を、思わぬ形で誰かが救い、少なくとも今彼らが逃げ長らえているこの現実そのものが、忘れてはならないその事実をカラザに予示していたと言っても過言ではない。
焼けた空、陽光に紅く染まるロカ平原。その遥か遠方、味方を巻き込むから使わぬはずの、ミスティが生じさせる大竜巻を前方に目にしたカラザは、前に誰もいない陣形の最前列で、完全に目を据わらせていた。ホウライの都を焼き払った力の持ち主であり、旧友たる古代人の魂さえ今は胸に持つ術士の発する殺気は、その後ろからでは彼の瞳を見られない後続の兵すら、何に由来するのか知れずして背筋を凍らせるほど。
ニンバスとネブラ、その配下が戦う戦場。
タルナダとザーム、義勇軍と化した闘士達とアトモスの遺志がぶつかり合う平原一角。
ファインとクラウドとレインが、地上のドラウトと空のミスティと決死の攻防を繰り広げる決戦舞台。
カラザが、そこへ迫っている。なおも馬を前方に押し出し、更なる加速を得て。




