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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第17章  高気圧【Dialogue】
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第245話  ~幸せの行方~



「――まあ、俺も詳しい所まで知ってるわけじゃねえけどな。だいたい、そういうことらしい」


「…………」


 あり得ないツーショットである。天界都市カエリスの中心に位置する天界への塔、その近くに建てられた立地条件のいい喫茶店のオープンテラスにて、クラウドとザームが対面して座っていた。


 ファインが一人で天界へと赴いてしまい、地上に残された形のクラウドは手持ち無沙汰だった。そんなクラウドに、ネブラが待つ間はせめて座ってでもと、塔の近くの喫茶店を紹介してくれたのだ。

 紹介してくれたと言うよりは、場所を移すように頼まれたと言う方が適切かもしれないけれど。今はクラウドらに敵意がないということを証明したい、もてなす気持ちだけでも表したい、そんなふうに頼まれると、塔で待っていたかったクラウドも、根負けして場所を移したという次第だ。ファインが帰ってくるまでどれだけかかるのかわからない部分もあったし、信用していいのかなとは思いつつクラウドもその頼みを受け入れた。


 オープンカフェに行ってみれば、時間を潰す間は彼とでも、と言われてザームと同席させられる始末。レインを守るために戦った時のことを思えば、ネブラもそうだがザームにも嫌な思い出しか彷彿させられないクラウドは、露骨に嫌な顔をしたものだ。苦笑いで、まあまあ座ってくれやと言うザームに促され、全然相手を信用できない顔でクラウドはザームの対面に座ったのである。


 クラウドより10歳ほど年上のザームは、大人達の社会の中では若者枠であり、クラウドよりも人生経験抱負な上で、思考回路もクラウドの世代に近しい。元より饒舌に女を口説ける口も持っているザームだけあり、相手を退屈させない語り口は上手なようで、心を許せないクラウドでも、いつの間にかザームとある程度会話のキャッチボールを行なえるようになっていった。この対話主導力は、ザームの持ち技の一つと言ってもいい。

 ザームが革命軍入りしたきっかけとなった、恋人との別れに関する話を少々聞けたのも、クラウドのザームに対する嫌悪感のようなものを薄らげたきっかけになったのだろう。もっとも、それはまた別の話だが。


 ザームからクラウドは、いくつもの話を聞いた。今この天界都市に駐在している革命組織に属する者達は、先日のクライメントシティ占拠戦での傷が癒えていない者が多く、継戦余力に余裕があるわけではないこと。ザーム自身もそう。お前に暴れられたらひとたまりもないから、頼むから正義感も今は堪忍してくれと、何気なくクラウドの強さを立てるザームの口様が、現状はクラウドに全面降伏していることを表していた。素の価値観から、革命軍という組織を受け付け難いクラウドだが、別に今から何をしても何がどうなるわけでもないから、ザームの訴えには嫌だとも言わなかった。わかったとも言わなかったが。


 話が続くにつれ、サニーの真の素性も聞かせて貰うことが出来た。アトモスの実子であり、革命を為すために生を受けたとされるサニーの事情を聞き及んだクラウドは、顔にこそ表さないもののショックも大きかった。サニーが自分を騙していたとまでは言わないが、知り親しんだ相手が、全く違う顔、それも過激な手段で目的を達成することも厭わない素性を持っていたと知ると、心穏やかでいろというのが無理な話である。


「……お前らにゃ、思うところもあるだろうけどな」


「あるよ、当たり前だろ。あいつ……」


 良くも悪くも、クラウドは冷たく物事を割り切れない部分がある。髪をくしゃくしゃとかきわけ、儘ならぬ想いを行動に表すが、心からサニーを罵るようなことが出来ない性格をしているのだ。


 そりゃあ、憤りに近い感情もある。俺とファインがが、武力を行使して革命を為そうとするような奴を許せない考えの持ち主なのは知ってただろって。知っててお前は、共闘するふりをしたりして、はっきり俺達を騙くらかそうとしてたよなって。お前と"友達"って呼び合った時間は楽しかったのに、って。今でもお前は俺達のことを、友達だって言えるのかよって。


 それだけの感情が自然に沸いてきても、生を授かった時点で使命を定められていたサニーという事情を聞けば、頭ごなしになじることも出来なくなってしまうのだ。憐れみとは厳密には異なるが、生まれた時から必要あらば非情であれと強いられ、生きていく道筋を決め付けられている。この自由なき縛りは、ある意味では差別的に困窮を強いられる地人や混血種よりも壮絶だ。

 その気になればサニーが別の生き方を選んでもよかったとはいえ、彼女が他者の想いを慮れる責任感の持ち主であればあるほど、授かった使命に背いた生き方を敢えては選べまい。サニーが革命家を志したのは、無思考に使命に殉じたわけではないことが、クラウドにだって思い至れてしまう。彼女ももう17歳、子供じゃない、生き方を選ぶ頭も心もあったはずなんだから。


 優しい人間っていうのは、他者の想いを想像で補える、視野の広い想像力の持ち主であると言い換えることすら可能である。決断と行動が早く、一見すると猪武者な生き方を貫いているように思われがちなクラウドではあるが、実は思考が早くて結論を導くのが速いだけであり、その想像力は特に豊かである。だから今でも、心の底からサニーを責めるには、待ったをかける想像力がクラウドの中ではたらいてしまっている。


「……はぁ」


「まあ、なんだ……上手いこと、割り切ってくれとしか言えねえよ」


 かつては自分の命を本気で取りにきていた相手が、嘘ではない慮りを表情と声に表してくれているが、それを救いとするには現実が重かった。兎にも角にも、友達だったサニーが立場を翻し、自分達の価値観とは決して相容れない世界に行ってしまったのが現状なのだから。せっかく用意してもらった飲み物にも手をつけられず、溜め息によく表れている遺憾の想いが、今のクラウドにとってはすべてだった。


「……ん。終わったみてぇだな」


 クラウドの後方から、歩み寄ってくる人物の姿を見て、ザームはそう言い席を立った。さりげなく、足早に。クラウドよりも先に、天界で何があったのかを物語る片鱗の光景を見たザームは、覚悟はしていたがこれはちょっとやばいと思ったのだ。


「…………!!」


 振り返って、自分に近づいてくる少女の姿を見たクラウドは、座っていた椅子が後方に倒れるほどの勢いで立ち上がった。目を見開いたクラウドの表情が、一気に熱を持ったことは、その顔を見ずともザームにだって察知することが出来た。そそくさと、触らぬ神に祟りなしとばかりに、ザームはその場を離れていく。


「ファイン、っ……!」


 クラウドに、脚を使って歩み寄ってきたのはファインではない。ファインをお姫様抱っこして近付いてくるミスティだ。目の色を変えて駆け寄るクラウドに、接近されるミスティも正直怖くなる。


「何があったんだよ……!」


「…………」


 目こそ今は閉じているものの、死んだようにかくりと首に力を失い、気絶しているファインを見て、クラウドがこの剣幕になることは予想できていたことだ。クラウドの前に今のファインを運んでくる人物が、セシュレスではなくミスティにしてあったことは、間違いなく正解だったのだろう。もしも今のファインをセシュレスが抱えてきて、クラウドの前に見せたら、てめえがやったのかと拳が即座に飛んできた恐れもあったぐらいである。


 何も言わず、ミスティはファインをクラウドに差し出した。血走る眼のクラウドに、おずおずとした女の子がファインを差し出す姿だからこそ、クラウドにもいくらか自制心がはたらいたのだと思う。もっとも、ミスティの腰が引けているのは、単にこの剣幕のクラウドが怖いという純然たる想いから。計算してのものではない。


「……サニーさんが、やったんだってさ」


「…………!」


「決別、だって。私はあなた達とはもう、道を交えることは出来ない。そう伝えてって、私は預かってきたよ」


「あい、つ……っ!」


 呼吸しているのかどうかすら、冷静でないこの頭では確かめられないほどの容態のファインを抱きかかえる腕が、わなわなと震えずにはいられない。生まれた境遇を聞き及び、理解しようと努めていたことさえ馬鹿馬鹿しくなる。これがお前の答えなのかって。お前に会って話がしたい、お前が目的を叶える中で、お母さんの命すら失ったファインが対話を望んだことにさえ、お前が下した仕打ちがこれなのかよって、クラウドの頭に残った感情は憤慨一色になる。


「……クラウドさん、だよね」


「あぁ……!?」


「もう、ファインちゃんをサニーさんに近付けちゃ駄目だよ。サニーさんは、一度目だからこの程度で済ませたって言ってた。次に、自分に意を反するようなら、たとえ()親友でも始末を厭わないって、はっきり言ってたからさ」


 両手がファインを抱く形で塞がっていなかったら、八つ当たりでも何でも、ミスティの胸ぐらを掴んでいたかもしれない。それだけの気迫を感じるから、ミスティも怯えるように一歩後退する。ファインとよく似て、臆病な一面もある割には、自分の責務を全うするまでは逃げない少女である。サニーがクラウドに伝えてと言った言葉を、全て言い切るまでは、どれだけ怖くても去らぬ姿勢がそういうこと。


「……目を覚ましたら、ファインちゃんにもそう伝えてあげてね」


「んの……!」


「っ……伝言は、それだけだよ」


 それが終われば、クラウドに背を向け、泰然とした足取りを演じてミスティは去っていく。今の彼女は、革命を叶えんとする使徒の一人から、叶えられた革命後の政権を支える一兵に変わっているのだ。頼りない姿は極力誰にも見せまいとするミスティのたたずまいは、天人の権威に突き立てられた時代の変わり目を、より強く象徴する小さな光柱にさえ例えられよう。


 残されたクラウドに、いったい何が出来ただろう。目の前にサニーがいれば、ファインを置いて、掴みかかって、言い訳を聞くより先にぶん殴ってやりたいほどの想いすらあった。

 だけど、もうサニーに会いに行くことは出来ない。彼女は天界にいる。天界への道を開けるのは今や彼女だけだ。天と地が触れ合えぬ、その空間的な隔たりが、今となってはもう結べない絆の遠さを象徴する、クラウドとサニーの距離感として残酷に実在する。


「……ちくしょう!」


 そう発したクラウドの声は、決して大きなものではなかった。それでも、通行人の多くには、こだまする絶叫よりも強く耳に響いた。やりきれぬ想いが生み出した鋭い嘆きは、血と涙の末に叶えられた革命の事実が蔓延る天界都市にて、勝者にも敗者にも共振を及ばせる強さを孕んでいた。











「おかえり、ミスティ」


「あ……セシュレス様……」


 無表情で、天界への塔へと帰ってきたミスティを迎えたのは、塔の外壁に背をもたれさせて立っていた老紳士だ。彼女の姿を見て、よっこらせと背中で壁を押し、二本の脚で立ったセシュレスを視界に入れた瞬間、胸の内を顔に表していなかったミスティの表情が唐突に弱る。


 目尻を落とし、憂いる想いを顔に隠さなくなったミスティが、自分の前まで来たところでセシュレスは手を伸ばした。彼女の頭を撫でるためにだ。カラザかセシュレス、ご主人様かあるじ様が頭を撫でてくれる行為とは、いつでもミスティの心を温かく溶かしてくれるものであるのが常。

 セシュレスが頭を撫でてあげても、ミスティの顔が暗いままだなんてのは、これまででも初めてのことだ。勿論、セシュレスもわかっている。ねぎらいの習慣程度では、今のミスティを癒すには不充分であることぐらい。


「嫌な仕事を任せてしまったな。よくやってくれた、ミスティ。ありがとう」


「……そんなお言葉、もったいないですよ」


 ファインをクラウドの所まで送り届ける役目は、ミスティにしか任せられなかった。セシュレスは、自分がファインを抱えていけば、大怪我させられる可能性を見越していたし、一方で女の子のミスティならば、クラウドのような優しい少年が、どれだけ感情的になっても手を出さないことも予見していた。だからミスティに任せたのだ。セシュレスのしたたかさと先見の明は相変わらずである。


「お前のおかげで、私は鼻骨を折られることを免れたようなものだ。つらい役回りだったが……」


「セシュレス様」


 ミスティにとってのカラザとセシュレスは特別な人物であり、この二人に、褒められることを喜びはすれど、礼を言われるなんて勿体ないと思うのがミスティだ。言い換えれば、それほどまでにミスティにとってのセシュレスは、忠誠を誓ったという言葉に語弊がない相手ということである。


 そんなセシュレスの言葉を遮り、自分が言いたいことを発するなんて、普通の彼女なら絶対にしない。なのにそうした彼女の行動とは、重ね重ねの礼を告げられることを遮断することを兼ね、訊かずにいられぬことを訊きたい想いゆえ。


「……ファインちゃんは」


「…………」


「これからの人生の中で、幸せになっていけると思いますか?」


 ああ、やっぱりこの子は根が普通の女の子なんだなと、セシュレスも改めて感じた。同じ混血児同士、年も同じ女の子同士のファインを、かつては戦った相手とはいえ、後の人生に幸福があるのかどうか案じるミスティの態度には、セシュレスも共感を覚えるものだ。任務のためとはいえ、手ひどくファインを痛めつけたり、心を切り裂く言葉責めを行なうこともあったミスティだけに、戦場で対峙しない限りでは、ファインに対しては殊更優しくなるのも理解することが出来る。


 誰彼構わず、自分の意に沿わぬ奴なんて知ったこっちゃない、不幸になろうが知るもんかっていう発想の人間ばかりではないのだ。特にミスティもセシュレスも、戦場に参じた者はたとえ敵であろうとも、気高き覚悟と信念を持って命を懸けていることを知っているから、存外一度本気で殺し合ったような相手に限って、人としての敬意をより払える偏りが少々ある。


「…………」


「セシュレス様……」


 ミスティの問いの真意はわかる。今のファインは、これまであったなけなしの財産を、まるまる失って傷だらけで放り出されたようなものだ。親友のサニーからは一方的に縁を断たれ、再会して間もない母は喪った。それは同時に、サニーとの思い出の多き故郷クライメントシティ、母の故郷でもあるその場所で暮らす日々の中で、そんな過去を常に彷彿とさせられ得る毎日が始まるということだ。誰しもの心の拠り所たりえる故郷が、そこにいるだけで悲しい過去に押し潰されかねない場所に変わるというのは、向こう数十年に渡っての闇を思わせるほど重い。


 ただでさえ、持ち得たものの少なかった混血児ファインの今後に、どんな幸せが待っているというのだろう。セシュレスが無表情なのは、その表情を作っているからだ。思うがままを顔に出せば、明るい色にはならないのだ。


「人生は長い。色々なことがある。私も、今の自分の立ち位置など、二十年前には想像することも出来なかった」


「…………」


「失ったものも多かった。もう私と同じ年で、同じ道を歩んだ者など一人も残っていない。それでも生き続けてきた末に、私はお前やザーム、ネブラに出会うことが出来た」


 長生きさえしていれば、いつかはと、カラザの生来の価値観に近い事を、人相応の寿命を持つ老人が答えとしてミスティに示している。五十歳を超えてからの中で出会ってきた者の名を挙げるのは、出会えてよかった、時間を共にして満たされる者達の中から、若き者の名を敢えて連ねているのだ。


「彼女には、今も、信頼できる友人がいる。私にとってのお前のように、お前にとっての同志達のように。人は、それさえあれば、希望を紡いでいくことが出来る」


「そうでしょうか……」


「信じなさい。人生を幸せに生きるにあたって、最も大切なものは、そばにいてくれる信頼できる人物だ。それに勝る財産など、他には無い」


 奇しくもセシュレスが生涯の末に辿り着いたものが、ファインが信じた思想と同じもの。生きてさえいればいいこともあるかもしれない、という無責任な想像ではなく、今も確かに残るファインの財産を引き合いにファインの未来を語るセシュレスの語り口は、ミスティが理解するには彼女も幼すぎるかもしれない。


「……あとはこれ以上、何も起こらぬことを祈るのみだ」


 自分達に出来ることなど、極めて限られていると同時に、殆ど無い。遠きファインの姿を想い、今の話を断ち切ったセシュレスの前、ミスティはうつむいて暗い顔をすることしか出来なかった。











「……なぁ、ファイン」


「…………」


 この日の夜、クラウドは、ファインを連れて医療所に赴いていた。傷だらけのファインを診て貰ったところ、悪い話を聞かされなかったのは朗報だ。

 気を失っていたファインだが、外傷あるいは体の内側にもひどい傷はないようで、目が覚めるまでそう

かからないだろうという診断だった。痛めつけられたのは事実だろうけど、その後誰かにちゃんとした手当てを受けているんじゃないかと、医療所の医者も言っていた。


 ファインに治癒を施したのが、サニーだかセシュレスだか他の奴だか知らないが、誰にしたってクラウドはそいつに素直に感謝する気にはなれなかった。殺さなかった、ただそれだけ。サニーがしたこと、ひいては革命を望んだ者達の総意の頂上が、ファインをこれほど打ちのめしたのは事実なのだから。


「……食べるものは食べないと、体によくないぞ」


「…………」


 真夜中になって、医療所のベッドにてファインが目を覚ました時、クラウドも立ち会う形でそばにいた。ファインが体を預けるベッドしかない部屋で、自分はずっと椅子に座って待っていたのだ。目覚めたファインに、冷めてしまった医療所の夕食を持ってきたクラウドは、何とかご飯ぐらいは食べてくれる彼女を期待したい。


 だけど、放心状態のように無表情で、目の焦点も定まっているのかどうかわからないファインを前にすると、そんな希望もあっさり打ち砕かれてしまう。母を失った翌朝の、クラウドが話しかけてようやく口を開いてくれたファインの容態よりひどい。今度はクラウドが話しかけても、返事どころか瞳が応える動きさえ見せてくれないのだ。


「俺は、ここにいるから……さ」


「…………」


「なんか、して欲しいこととかあったら、なんでも言ってくれよ」


 かけたい言葉はたくさんあった。元気出せよ、しっかりしてくれよ、と、言い方を変える程度で、彼女に望んだことはたった一つだけど。どんな言葉も、今の彼女には届くまいという現実が、いつしかクラウドに、ファインに訴えかけることを諦めさせ、待つことしか出来ない彼へと追い込んでしまうほど、今のファインはからっぽだ。


 ほんの少し前、本当にほんの少し前に、お母さんやレインと一緒に、笑って、怒って、照れてはにかんでしていたファインの姿が、嘘の思い出だったのかとさえ思えてしまう。彼女が見せる動きはまばたきだけだ。小顔の可愛らしい、笑い合えばこっちも気分が安らぐ少女の今の顔は、血の色を失った死体のそれかと見紛うほど生気が無い。

 廃人と向き合った経験など、クラウドには無いのだ。ましてや、つい最近までその笑顔に癒されていた相手が、呼んでも応えぬ人形か亡骸のような有り様になってしまった光景は、クラウドの心すら同じ境地の方向へとぐいぐい押しやってくる。


 絶望は感染する。暗く淀みかけていく自分を自覚し、戦いの場でもないのに歯を食いしばるクラウドは、己を保つことに努めなくてはならなかった。しっかりしろって自分に言い聞かせる。サニーを失ったファインに、それの代わりが出来る自分じゃないけれど、何かしてあげられる自分ではありたいのだ。


 唯一の救いの存在すら、今のファインの頭は認識できていただろうか。ファインは確かに死んでいない。だけど、今は活きてもいない。沈黙の夜は、セシュレスの望んだ言葉とは違う意味で、何も起こらず過ぎていった。何一つ、前に進まなかったという意味でである。

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