第244話 ~サニーVSファイン~
ぎりぎり、かわせた。足元を蹴ると同時、気流に乗る、非常に高く速い跳躍により、体を高所に逃したファインは既に冷や汗で顔面びっしょりだ。掌底でファインの胸元を貫こうとしたサニーの一撃に、触れてもいないのに心臓を打ちのめされたかのように胸が爆打つのは、あわや今の一撃で命を奪われていたのではという想いに由来する。
「サニー……!」
空中で風の翼を即座に広げ、滞空と滑空を両立するファインが胸の前に両掌を構え、その中間点に光球を生成。それは地上よりファインを見上げるサニーめがけ、無数の光線を放つ砲台として生まれたものだ。
弧を描く熱閃がサニーにあらゆる方向から降り注ぎ、サニーがそれらを数度のステップを経て悉く回避する。その足取りは滑空するファインを追うように地上を移動するものであり、言い換えればファインを追う進み方。旋回飛行するファインの軌道抜きにしても、敵の攻撃を回避しながらのサニーの駆け足の方が、ファインの滑空速度よりも速い。
「本気で私を蜂の巣にしようとするその気概、いいわ……! でもね……!」
走りながら片手に魔力を握っていたサニーが、上空に向けてそれを放り投げる。空を舞うファインは、空中の敵に対し、サニーがどんな次の手を打ってくるのかを待っていた身だ。彼女もまた飛翔の魔術を使って追ってくるのか、あるいは彼女が得意とする、風を蹴る力で空中点を踏みしめて接近戦に持ち込んでくるのか。今までのサニーを知るファインの先入観を、全く裏切る手段を用いてきたサニーには、ただそれだけでファインの緊張感も高まろう。
「ぅあ……っ!?」
ファインと同じ高さまで達したサニーの魔力は、炸裂して放射状に稲妻を発した。爆音と光、加えてファインにも触れる雷撃。稲妻の魔力の気配を察した瞬間、それに抗うための魔力も身に纏っていたファインだが、それでも我が身に触れた電流の痛みは鋭く、小さく喘いだファインの体がよろめく。滑空軌道が乱れかける。
「勝負あり?」
「くっ、ぅ……!?」
集中力を乱しかけたその一瞬の隙に、もうサニーはファインに触れられる距離まで迫っていた。地上からのひとっ跳びか、まるで最短最速でファインへと接近したかのようなサニーが、体すべてを回して放つ回し蹴りを、体をひねって逃がしながら庇い手を構えたファインが受けてしまう。
サニーの足の甲を両の掌で受けるような形、同時に伝わる凄まじい重み。瞬時に纏った風と水による緩衝の魔力を挟んでなお、手が胸まで押し込められて重みを体にまで伝えられる一撃で、ファインはとんでもない勢いで吹き飛ばされてしまった。進行軌道は地上へと斜めに突き刺さる墜落方向である。
並の使い手なら、そのまま地面に叩きつけられて体をひくつかせるだけだっただろう。ファインは地面に体がぶつかった瞬間、両肘と二の腕で地面を叩くと同時、地の魔力によって衝突地点の反発力を強引に引き上げた。背中を押し出し、ファインを上空に跳ね上げる地面の力により、目の前が白黒するほどの痛みを体に受けながらも、ファインは止まらず再び高所へと移るのだ。今のサニーを相手に、一瞬でも動きを止めてはまずい。
「おかえり」
「え゛あ……!?」
くるくると体を回し、空中姿勢を整えようとしていたファインだが、不意に壁に背中からぶつかるような実感により、全ての予定が狂ってしまう。いつの間にかファインの飛んでくる軌道上に移っていたサニーが、前に構えた両腕でファインの体全体を食い止めたのだ。
蹴りの衝撃、地面から受けた反動、さらにこの衝突。吐き出さずにこらえていた肺の中のものを、耐えきれずにけはっと吐き出したファインが次の行動に移るより早く、サニーが背後からがっちりとファインを捕まえた。
「はい、私の勝ちだよ。もう勝負あったよね?」
「うっ、あ……か……!」
サニーが背後から、腕をファインの喉元に鎌のようにかけ、組んだ逆の手でファインの後頭部をがっちりと押さえる。気道を直接圧迫する腕の締め付けに加え、ファインの頭を前に押し出すことで生じる全力の絞め上げは、ファインが首元のサニーの腕に手をかけて引っ張っても剥がれない。
「喧嘩じゃないからね、これ。ギブアップとか、無いよ?」
「うう゛ぁ……はっ、ぁ……」
翼を広げるなどもせず、空中に留まっているサニーが彼女なりの魔力で浮遊する胸の前、地に足を着けての抵抗も出来ないファインは、足をばたばたさせてもがいている。首を絞めるサニーの腕を、剥がすか、あるいは少しでも締め付けを緩めようと両手で引っ張っている。両腕ぶんの力でぎちぎち絞め上げてくるサニーの圧迫は、非力なファインの力ではびくともせず、意識が遠のく危機感をファインも自覚し始める。
「~~~~~っ……!」
「逃がさ……」
サニーが勝ち誇った声をファインの後ろで発しかけた時、この状況で出来る唯一の抵抗へとファインが動いた。ファインの全身が放つ、触れた相手の体ごと焼く強烈な電撃が、術者ファインの体と接したサニーの体にかけ、凄まじい光を発して駆け抜ける。ばりばりと稲妻が落ちた時のような轟音を経て、触れ合う二人の肉体を駆け抜ける電流のほとばしりは、実に3秒もの時間に渡り、二人の体をきつく痛めつけたはず。
「っ……逃がさない、って、言おうとしたんだけどねぇ」
「あっ……ぁ゛っ……」
片目をつぶり、多少効いたよって顔こそすれ、余裕の表情のままのサニーは、雷撃の光がやんでなお、全くファインを捕えた姿勢を解いていない。対するファインは、自分自身の雷撃によって体全体を痛め、抵抗する力がより弱まった中、なおもサニーに首を絞め続けられている。
かつてネブラに同じような捕まえられ方をした時、捨て身の自爆電撃でその手から逃れた実績もあるファインだが、サニーに同じ手は通用しない。いよいよとなればファインがそうした無茶をする女の子だって、サニーは知っているのだから。そう来る可能性を先んじて読んでいたサニーからすれば、発雷の寸前にその電撃に抗う魔力を身に纏い、自身へのダメージを抑えることなど造作も無い。
「このまま、落ちる? 私の勝ちでいい?」
「っ……へ、ぁ……」
残った結果は、自分で自分を痛めつけたファインが、より何も出来ない状況で捕まえられたまま、ダメージも小さいサニーが変わらぬ力でファインを失神に追い込もうとするこの現在。喉元のサニーの腕を掴み、なんとかほどこうとするファインの手には、引く力どころか掴む指の力すら乏しい。後ろから完勝予告をするサニーの声に対し、だらしなく開いて舌すらだらりと落ちそうな口のまま、首をいやいやと振ろうとして体ごと揺れるファインの姿がある。
「まだやる? じゃ、チャンスあげてもいいけどさ」
くすっと笑う息遣いにもよく似た、余裕たっぷりの声が背後から聞こえた途端、ファインの首を絞めるサニーの腕がするりと弱まった。唐突に、自分を空中に吊り下げていた力が失われ、ファインの体がふらりと落下に向けて傾く。
まさか絶望的なこの状況で、相手がみすみす自分を逃してくれるだんて思っていなかったファインからすれば、何が起こったのかわからなかったぐらいだ。それでも、離れられた。落下するまま、サニーと距離を作れた地上の近くに至るにつれ、風の翼を開いて空中姿勢を整えるファインは、飛びそうだった意識を正してなんとか着地する。
えづいて、咳き込み、涙目をばちんと一度閉じて振り返り、上空から来るであろうサニーの追撃を想定した瞳で捉えようとする。見上げた先に誰もいないことが、ファインに凄まじい危機感を抱かせるものの。
「遅いよ、ファイン」
「は……!?」
背後の気配にファインが鳥肌を立てたのと、気配の主が声を発したのが見事に同時である。振り返るファインに向け、既にサニーが掌底の一撃を繰り出し、体を回す中でのファインの二の腕にそれが突き刺さる。悲鳴も出ない、腕の筋肉が引き千切れたんじゃないかという激痛とともに、ファインが半身のまま吹き飛ばされ、ずしゃりと地面に倒れる形へと持っていかれてしまう。
それでもただ倒れるだけではなく、勢い任せにごろごろと地面を転がり、停止時間を作らないのが、ファインの必死さの賜物だ。倒れたファインを踏み潰すかのように、低く跳躍したサニーが跳んできた足が、一瞬前にファインの倒れた場所を突き刺すのだから正解だったのだろう。ぞっとしながらも転がって、動く方の片手で地面を押し、すぐさま立ち上がるファインの体勢作りはよくやっている方である。
「ほら、来ないの?」
「あっ、やあっ……!? ううぁ……!」
わざわざファインが立つまで待つかのように、ペースを刻みつつも急接近したサニーが、裏拳と高低つけた蹴りを何度も振るい、ファインを正面から何度も打ち据える。ファインもなんとかそれらに抗おうとするが、歴戦の格闘家にも勝る速度で連続攻撃してくるサニーの攻撃を、防ぐ手足が追いつかない。防御しようとした構えなど結果をもたらさず、サニーの手足がファインの腕を、脚を、胸元を、腰を、全身をダウンしない程度の力でがつがつ殴りつけてくる。
「――ええやあっ!」
「んふ、流石♪」
サニーが突き出してきた拳が、自分の胸の前に腕を交差させたファインの、腕の交点に直撃したのはほぼ偶然。両手に握った魔力をファインが、腕を開く形で解き放ち、眼前すぐの場所で小爆発を起こす魔術を展開するための予備動作に、一手早く入った形である。ファインの起こした爆発が、サニーを後方へと吹き飛ばし、ファイン自身も自分の爆風により、サニー以上に後方へと吹き飛ばされる。
またも地面に叩きつけられて転がる形のファインだが、兎にも角にもサニーからは距離を作れたのだ。接近戦では到底勝ち目が無い、ミスティと戦った時と同じ、あるいはその時以上。立ち上がる中で歯を食いしばり、自分の周囲にいくつもの魔力を発したファインが、それらを浮遊させる形にすれば、サニーも追い詰めようとしていた足を一度止める。
光り輝く、雷撃の魔力を自分の周りに浮かせ、衛兵のように漂わせるファインの布陣だ。接近戦を拒むファインの体勢に、やっと勝ち目のあり得る戦い方までファインが持っていけたことに、サニーは内心ほくそ笑む。苦しそうな顔で自分を睨みつけてくるファインの表情に、負けてたまるかという想いを感じ取れば取るほど、今のファインを叩きのめすことで生じる効果が大きくなる。
「それなら私に勝てそうなの?」
「はぁ……はあっ……!」
「悪いけど、無駄だから。あなたは一生――」
これなら勝てる、とファインがなけなしの希望を抱ける状況になればなるほど、それでも無理だと現実を突きつけた時の重みが、ファインに対してより響くのだ。あなたは一生、私には――その言葉の続きを、完全たる事実としてファインに認識させるべく前進するサニーに、ファインも浮かせた魔力の数々から稲妻を放射する。
「私の、下!」
光のような速度で、前方あらゆる角度から迫る雷撃の数々を、サニーはいとも容易く潜り抜けていく。頭を下げて沈めた髪を稲妻がかすめ、袖を焼き、しかしサニーは無傷のまま減速すらしない。唖然とするような芸当を目の前に演じられつつ、不屈を胸に後方へ跳んだファインの前方を、サニーの回し蹴りが空振る風切り音は、その一撃を受けていたら腕が折れていた予感をファインに抱かせる。
「――はあっ!」
「いいよ、ファイン……!」
遮二無二ファインが掌を前に出し、気合とともにそこから発射したのは、苦し紛れの大火球。サニーの体全部を呑み込めるほどの大きさで、発射の反動でファインの体がさらに後方へと押し出されて、思わず術者が腰砕けに尻餅をつくほどの一発だ。無抵抗で受ければサニーとてただでは済まない、最悪死すらあり得るほどのこの抵抗は、もはや元親友の命を慮れぬほどファインに余裕が無くなっている表れである。
「全力でっ、来なあっ!!」
回し蹴りを放った直後、一回転した体がファインの方向を再び向いたその瞬間には、既に大火球がサニーの眼前。足元を蹴り、跳ぶまま後方回転する勢いで足を振り上げたサニーの蹴り上げが、ファインの魔力の凝縮体である火球を、物理的な物体を殴り飛ばす勢いで上空へと蹴飛ばしてしまう。受身もままならず、お尻を地面に打ちつけた痛みすら忘れ、渾身の一撃をこうも容易く凌がれたことに、ファインの頭は一瞬真っ白になる。
「立ちなよ、ファイン……!」
一回転した末に着地する瞬間、片手を地面につけたサニーの発した魔力は、素早くファインの座り込んだ地面へ駆け進む。台風のような風速で、ファインを下から吹き上げる瞬発的な上昇気流が、ファインの体を浮かせ、その瞬間にサニーは前へと踏み出していた。
低い姿勢のサニーの前方、見上げる位置にファインの顔がある高さまで相手が浮いた瞬間に、サニーの掌がファインの喉を捉えた。喉輪の形に作ったそれは、激突の瞬間にファインの意識をゼロにしかけ、しかし前進する勢いを全く殺さないサニーが、ファインの体ごと持っていく形で一気に直進する。
ゴールは壁、王の住まう宮の外壁だ。捕えたファインを勢いよく、壁面に叩きつける形である。強打する後頭部と背中、喉を潰す手の力、その痛み。失いかけていた意識を、言葉にしようもないほどの痛みで皮肉にも取り戻したファインが、半開きで精一杯だった目を見開いて、全身の力を失ってしまう。最後に残った一枚絵は、その手でファインの喉を押さえたサニーが、人形を壁に串刺しにして吊り下げるかのように支えている姿である。
「あなたと私、何が違うかわかる?」
「は……ぁ……」
抵抗するどころか、両手両足をだらりと垂らし、頭すらかくんとうなだれたファインに、余力など残されていないことは明らかだ。それでも、気を失っていない。サニーがファインに現実を教えるため、気絶しない程度に力をセーブし、いたぶるような様相で攻め立てている結果がそれである。
「あなたが一生頑張っても、私に勝つことは絶対に出来ない。私にはあって、あなたには無いものがある。あなたがどれだけ頑張ったって手にすることの出来ない、私の力の源泉がわかるかしら?」
「ぅ……あぁ……」
目の前に何があるのかも視認できぬ目で、耳から入る情報だけを与えられるファインは、かろうじて残っている思考力で答えを求められている。解が出ようはずがない。考える頭など、このずたずたの体ではたらくものか。
「答えを、教えてあげる」
ぐっとファインの喉を押し、苦痛でファインの意識を現実世界へと僅か引き寄せたのち、その手を離すサニー。少し退くサニーの目の前、糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちたファインが、頭をサニーの靴先すぐそばに屈する形で崩れ落ちた。まるで新王サニーの足元に、ファインが頭をこすりつけて屈服するかのような形である。
「宿命よ」
まばたきも出来ない、呼吸のリズムを変えることも出来ない、かすれた息遣いで全身をひくつかせるファインの耳に、その言葉ははっきりと届いた。纏まらぬその頭に、言葉の意味がどれほど届いただろう。中途半端に伝わることを嫌うサニーは、その場でしゃがんでファインの髪を掴み、ぐいっと相手の顔を持ち上げる。
「私は、このために生まれてきた。天人が支配を謳い、地人や狭間が無きを見る世界を変えるためだけに、私はこの世界に生まれてきたの。それが出来ない私には、生を受けた意味がない。それほどの想いでこの地位に立つ私に、あなたは同じだけの想いを胸に立ち向かえる?」
「あ……ぁ……」
胸を地面につけたままの姿勢から、髪を掴まれ持ち上げられ、反る背中が呼吸を妨げる苦しい姿勢。そんな中でファインの目の前に晒される、サニーの眼差しのなんと冷たいことか。はっきりと、ファインが知る、過去の優しい親友の表情ではない。ファインの意に反することを、断固たる意志で貫徹する革命家の冷徹な瞳が、違う道に進んだ元親友の生き様を、残酷なほどありありと示している。
ファインの知るサニーはもう、この世にはいないのだ。言葉で伝えられていたはずの現実が、言葉以上の光景によって、より深く知らしめる事実が、ぎりぎり残っていたファインの胸中の希望を崩壊させていく。この時ファインが思わず溢れさせた涙は、体の痛みによるものでもなければ、敗北させられる悔しさによるものでもない。
「あなたの最大の武器は、何かを叶えようとする時の強い想いと、それが生み出す爆発力。そんなあなたの想いに絶対に負けないものを、今の私は持っている。あなたと私の力量差を埋める、たった一つの可能性すらも、私の前では足元にも及ばないものであると思い知りなさい」
革命を為せずして自分に生きる価値なしと断定する少女のレゾンデートルに、どんな想いが勝れるというのだ。私とあなたの戦いは、もはや向き合う前から勝負が決していると言うサニーの言葉に、ファインは反論の言葉も、あるいは想いすら紡げない。屈した自分を見下すサニーとの顔は遠くなく、しかしまるで空を見上げているかのように、届かぬ高みに相手がいる錯覚は、ファインの心が生み出す心影だ。
敵わない。ファインの心にはっきりとその言葉が刻みつけられたことは、完全に折れた心を表す少女の瞳から、サニーの目にもはっきりと知ることが出来た。読み違いでも、勘違いでもなく、現実だ。
「終わりよ、ファイン。あなたとの日々、私は……」
しかし、別れの言葉を口にして、サニーが仕上げの手を動かそうとした時のこと。思わずサニーの言葉も半ばに途切れたのは、明らかである事実に反し、ファインが動きを見せたからである。
「……なに? まだやるの?」
自分の髪を掴むサニーの手、その手首に、ファインが手をかけてきたのだ。確かに、絶対、ファインの心が折れた目を見た直後のことである。それが、まるで抵抗の意志を表すかのように、サニーの手に触れてきた姿には、冷徹に呆れる表情こそ保ったままなれど、サニーも内心で驚いている。
「さ……サニ、ぃ……」
「…………」
「わ……わた、し……っ!」
「っづ……!?」
次の瞬間、目も覚めるような痛みがサニーの手首を襲った。思わず短く悲鳴を発し、ファインの髪を掴んでいた手を離し、のけ反る勢いでサニーが退いた。頭を解放されたファインが、額を地面に打ちつけるような形にこそなったものの、目をぱちくりさせるサニーの目の前で、ファインは両手を地面に押し付け、立ち上がろうと踏ん張っている。
「ファイン、あんた……!」
「ま……負け、たく……」
サニーは常に、ファインの奇襲的な魔力による反撃を警戒していた。あれだけ余裕綽々にファインを見下していた間でも、不意打ちの魔力を防ぐための魔力は纏っていたはずなのだ。そのはずなのに、ファインの発した魔力が、サニーも驚くほどの熱を与えたのは何故か。ファインの手がサニーの手首を介し、彼女に伝えた電撃の威力が、サニーの防御を上回ったからに他ならない。
どうしてここまでぼろぼろの体と心で、それだけの魔力が生み出せたのか。答えは後から考えれば、サニーになら簡単にわかること。その事実の如何よりも、本来これだけ痛めつけられたはずのファインが発せない強力な魔力、その源泉が彼女の中に何かしらあるという、単一の事実のみが今のサニーにとっては重要だ。
「ちっ……!」
がらにもなく、舌打ちをしたサニーの伸ばした手が、立ち上がろうとするファインの髪をもう一度掴む。ぐいっと乱暴に頭を持ち上げられたファインは、なけなしの自分の力と合わさって、胸ごと上体を引き上げられる形になる。サニーがファインをそうしたのは、改めて説法を説くためではない。致命的な一撃をファインに打ち据えるためだ。
髪を掴んだ手とは逆の手で、ファインの喉元に親指と人差し指の間を、殴り上げる形で突き刺したサニーの一撃は、今度こそファインの意識をゼロ寸前まで陥れた。激突の瞬間、髪を掴む手を離したサニーにより、ファインの体は斜めに押し上げられるような形となり、ごろりと、あるいはどさりと死体のように横へと転がる形となる。いくら意志を強く保っていようが、失神を促す寸前の力で重く加えられたこの一撃の前には、ファインもとうとう前後不覚の意識に落とし込まれてしまう。
背を地面につけ、上天に瞳が向いているだけで、焦点の合わぬ目で倒れるファインの前には、サニーの顔がある。ファインの体を跨ぎ、股を開いた片膝立ちの姿勢で両手をファインの胸に当て、冷たい瞳を"作っている"サニーの表情は、もはやファインの視界に情報として入っていない。何もしなくたって、意識を失う十秒前。
「ファイン」
「サ……ニー……」
「……ばいばい」
十秒を、五秒に変えたサニーの魔力。ばしんとファインの胸元に魔力を送り、ファインの全身を微弱な電流で打ち据える行動だ。びくんとファインの全身が跳ね、かくんとファインの顎が持ち上がったが最後、目を開いたまま完全に失神したファインの胸から、サニーがその手を離した。
「――セシュレス!」
立ち上がったサニーが、ファインと会話していた時とはまた違う新王の声を発する。従う者を呼び寄せる、はっきりとした鋭い声が、この戦いの結末を待っていた老人の耳に届いた。広大なるバトルフィールドの外、王の庭への入り口、つまり遠方で決着を待っていたセシュレスが、歩いてサニーの元まで姿を現すまで少々の時間がかかった。
「終わったのかね」
「ええ、完勝。今となっては、取るに足らない相手だったわよ」
二人の姿を目にしたセシュレスに、勝敗など尋ねなくてもわかる。焦げ目のついた道着の袖を、ぱんぱんとはたくサニーの立ち姿。口の端から液を垂らして目を開けたまま気絶した、死んでいるんじゃないかと思えるほどの姿たるファイン。完勝と言うよりも、圧勝という言葉が似合うであろうほど、二人の戦いの結果は明らかだ。
それでいて、敢えて完勝という言葉を使った、使わずにいられなかったサニーの言動は、セシュレスにも少々引っ掛かるものがあった。そう自分に言い聞かせねばならぬほど、今でもファインの内に眠る可能性のようなものに脅威を抱いているのではないか、とさえ。
「丁重に、下界に送り返してあげなさい。もう二度と、この子は私に逆らわないわ」
「断言できるかね? 脅威となり得る可能性があるなら、始末するべきだと思うが」
「……私の言ったこと、聞いてた?」
「……失言だったな。お許しを」
二度言わせるなと、睨みの利かせた目と声を表すサニーの前、セシュレスはファインを抱き上げる。同時に、心の中では、かけた鎌が現実にならずに済んでよかったとも。
確実に、サニーは、ファインから何かを感じ取っている。恐らく政権を確固たるものとする執政者としてなら、ファインは間違いなく始末すべき対象なのだろう。それでも、サニーはそれを提言されても、うなずかなかった。それがサニーにとって、王として正解の判断だったのか、人として正しい判断だったのか、今はまだ結論を導き出すことが難しい。
ファインを抱えて歩きだすセシュレスの腕の中、ファインはかすかに胸を上下させていた。生きている。彼女の生存が、節目を迎えたこの時代の中で、どれほどの意味を為すのだろう。新王サニーに絶対的な力の差を示され、敗北を突きつけられたこの少女が、時代を動かすためにまた動き出す姿など、セシュレスだって無いと言い切れる。サニーはそういうふうに、ファインと戦ったはずだから。
今はただ、親しみすら沸いたこの少女が、王の慈悲により生き永らえる結果をもたらされたことに、老紳士も胸を撫で下ろすばかりである。願わくば、一度のこの絶望から新しい人生を歩み出し、自分なりの幸せにいずれ辿り着いてくれんことを。静かにそう祈るセシュレスの腕の中、ファインは確かに生きていた。




