第241話 ~変わり果てた天界都市~
世界は未だ、大きな変化を見せているわけではない。天界に刻まれた、王の敗北という現実は、やがて世界に大きな影響を及ぼすことが確定しているが、それが表面化するのはまだ先だ。天界の新たなる長となった誰かさんも、今はまだ大いなる変革に向けて準備を整えている途中であり、それが実行に移されるまでには時間がかかっている。
大きなニュースにざわつくことは、各地で当然あるにせよ、最も騒ぎか動きの大きかった街は二つ。クライメントシティと、天界都市カエリスだ。
天界に昇り詰め、天界王フロンを撃破した、赤毛の橙道着の少女という人物像は、クライメントシティではあまりにも有名な誰かとぴったり重なっていた。まさかあいつが、いやいやそんな、と、誰のことなのか半信半疑で騒ぎ立てる者が大多数であったのは、間違いなくクライメントシティである。特に、サニーと懇ろに近かった天人のアウラや、彼女と同じ屋根の下で暮らしたことのあるフェアを打ち抜いたショックは、他の誰にも勝って大きい。
そして、天界王を打ち倒した少女というのが、サニーという名の少女だと確信し、誰よりも先にこれからどうするかを決めていた二人がいたのも、クライメントシティである。二人は、クライメント神殿奪還抗争の中で傷ついた体が癒えてすぐ、連れの小さな女の子をフェアに預けてクライメントシティを旅立った。旅立つ二人を、心配そうな目で見送っていた女の子、レインは、無理はしないでねとお姉ちゃんに何度も告げていた。
ファインと、クラウド。サニーの親友であった二人は、他に付き添い無きたった二人で、天界都市カエリスへと旅立っていったのだ。
「……なんか、雰囲気変わったな」
「王様が負けちゃったから、じゃないでしょうかね……」
ファインとクラウドはここ、天界都市カエリスに来たことが一度ある。居住権すら、天界王の許可を賜わった者にしか与えられない、天界の下に広がるこの街は、以前訪ねた頃には活気に満ちていたものだ。地人との共存をあまり望まない天人達にとって、選民すら王の名のもとに済まされるこの街は、人種の垣根なく、受け入れやすい者しか住まわない街だったからである。
それが今やどうか。さすが王おわす天界のお膝元だけあって、身分の高そう、あるいは富裕層であることが目に見えてわかるような、お綺麗な服を身につけた人々だけが往来していたこの街に、そう身なりのよくない通行人の多いこと多いこと。人を見た目で判断するのもどうかとは思うが、地人の往来が非常に多くなっているのが見てとれる。
「それに多分、サニーが街の進入権を変えてるでしょうし……なんかあの人、見たことありません?」
「あんまりきょろきょろするなよ。言いたいことはわかるから」
そしてクラウドとファインの目線から見れば、どこかで見たような……っていう強面の男も散見するのである。どこかで、というのを具体的に言うなら、ホウライ戦役やレイン防衛戦時の戦場か。なんとなく、こいつら"アトモスの遺志"に属する戦闘要因なんだろうなと感じられる通行人の多さには、ファインも少しびくびくしながら街を歩いている。
サニーが天界王の代わりの地位に就いたことで、今までとは違う者達がこの天界都市に立ち入ることが許可され、街の各地に張り込んでいるのだろう。天界王とその下々が住まう、天人達の王都というのも過去の話、今やこの街は既存の住人と、サニーの属する組織である"アトモスの遺志"の尖兵が居を分かち合う都市となっている。
恐らくそうして散りばめられた兵は、天人達を見張るためだ。天人や、天界兵が妙な動きを見せないよう、目を光らせて街を闊歩する状況で、天人達が落ち着けようはずがない。ぴりぴりと巡回する革命軍の兵と、それらに見張られる天人達で二極化されたこの街の空気が、かつてのような活気に溢れないのは当然である。
「く、クラウドさん、なんか視線が……」
「無視しとけ。お前有名人だし、しょうがないよ」
有名人なのはクラウドもだが。革命軍間では、ファインもクラウドも非常に名高い二人である。レイン奪還部隊から逃げ延び、鳶の翼の傭兵団を撃破し、ホウライ侵攻軍を撃退した二人の少年少女ときて、そんな奴が自分達の領土に現れれば、革命軍の兵らも緊張する。ザームより、ネブラより、ドラウトより、セシュレスよりも強いと聞かされるこの二人に、喧嘩を売ってくる奴らもいはしないが、逐一ファイン達を二度見してくるこの視線には、臆病なファインが特に落ち着かない。
いちいち視線の数々に目を返し、眼をきっかけに話がこじれても面倒なので、クラウドは横並びに歩くファインを片腕で抱き寄せ、周りなんか見るなと促している。敵地を歩くのは心地のいいものではないし、気だって払うから面倒だ。揉め事を避け、自分達の目的地である、天界への道である街の中心の塔へと無心で進む足も、どことなく普段より早足になる。
「……来たんだね」
「お前……!」
「よせ、丸腰だ。……まあ、僕は武器が無くても戦う手段は持ち合わせているが、君達とやり合うつもりはないよ」
そんな道すがら、クラウド達の登場を部下から聞いたのか、塔への真っ直ぐな道のりの大通り、正面向き合う形で待っていた男がいた。革命軍に属する者達の中では珍しく、ややお綺麗な服を来た端正な顔立ちのこの男には、クラウド達も見覚えがある。高価そうな服も、幾度となく戦場に立ち続けたせいでぼろと焦げとちぢれにまみれているものの、それがいっそう歴戦兵としての風格を漂わせているから不思議なものである。
クラウドの腕に抱き寄せられるファインの体が強張るのは、腕を介してクラウドにも伝わる。この男の怖い毒針に一度痛い目を見ているファインからすれば、革命軍の幹部格であるこの人物、ネブラとの再会は特に緊張するだろう。
「今、天界への道は遮断されていてね。新たなる天界の主君、サニー……様、とでも言うべきなのかな。かの方の許可なくば、天界へと行くことは叶わない状態なんだ」
「……なんだよ。あいつは俺達になんか、会いたくないって言ってるのか」
「いや、逆だ。君達が来ることは予想していたらしく、君達のことがわかる誰かが、塔への道を案内するように僕達は仰せつかっている。ザーム君でも、ドラウトどのでもよかったんだがね。たまたま情報を受け取るのが早く、最も近くにいた僕が、その案内役を預かることになった」
事情の細かい部分が省かれているせいもあり、クラウド達にはあまり良い申し出には聞こえなかったが、どうやらサニーに会うならば、誰かの案内役に頼った方が話が早いということだけがわかった。ついてきてくれたまえ、と言い、クラウド達がどこに向かっているのかはじめからわかっているくせに、その方向へと歩き始めるネブラの行動は、二人だけで行くのでは駄目、自分についてきて初めて話が上手く進むとも示唆している。
不安を覚えずにいられないファインが、すぐそばで見上げてくる目線に、クラウドも目を合わせて小さくうなずいた。吐息が触れ合うほどの距離感でなお、今は互いを男女と意識するゆとりが無いのは、二人の本来の関係を思えば思うほど異常なことである。環境が、それだけで二人に緊張感をもたらしている。
ネブラのあとをついて歩く二人にとって、唯一の救いだったのは独りでなかったことだ。クラウドではなく、ファインが特にそう。渦巻く想いに不安を上塗りされる苦しい中、誰よりも頼もしい人が肌を合わせてくれるぬくもりは、何にも代えがたいほどファインの心を落ち着きに向かわせてくれていた。無自覚にだ。
「……今、どんな状況なんだよ」
「サニー……様が、天界王フロンを撃破し、地上に叩き落としたところまでは知っているね? 新聞にも載った、周知の情報だからな」
塔の中に踏み入り、高い高いその頂上までの長い階段を上っていく中、痺れを切らしたかのようにクラウドがネブラに話しかけている。クラウドも、沈黙続きでは案外落ち着かないのか、それとも単に現状を知りたがる好奇心が強すぎたのか、敵視するネブラに情報を求めるようななどという、らしくない行動が表れもする。対して返答するネブラから感じ取れるものは、背を向けたままの彼の表情を見られないせいもあって殆ど少なく、せいぜいサニーを様づけで呼ぶことにまだ慣れていないこと程度のものである。
「天界王を殺すことを、彼女は選ばなかった。相手が強くてそれが出来なかったのか、意図あって生き残らせたのか、それは僕達にもわからない。強く、天人達の指導者としての風格も残る天界王を、殺さず生かしたことには革命軍内でも疑問の声が上がっているが、ともかくそういう結末に落ち着いた」
複雑な想いに駆られる。自分達の知る、サニーの人物像と照らし合わせれば、彼女が殺生をはたらくような少女であるとは、今でもクラウドとファインには信じ難い。事実がどうあれだ。天界王を殺めなかったという、サニーの行動を知ると同時にほっとするような、それでいて単にそれだけを喜べるような現実ではないのだろうと、勘による漠然とした引っ掛かりが心のどこかに残る。クラウド達は、サニーが今までにしてきたことの全てを知っているわけではないのだ。
「天界王フロンは一命を取り留めたが、今は敗北のショックに意気消沈しているせいもあっておとなしい。しかし、心が立ち直りを見せようものなら、下々を率いて再び蜂起する可能性もある。僕達、革命軍に属する面々は、彼らがそうした動きに移ることがあるまいかと、天界都市を監視する役目を預かっている」
天界都市と天界の占拠、ホウライの都やクライメントシティの継戦能力の剥奪と、結果が物語るのは革命軍の完全なる勝利。されど、やはり終戦後につきものの危惧は、生き残った敵対勢力の、やぶれかぶれの立ち上がりだ。それが起こらぬよう、天界都市カエリス全体を見張るのがネブラ達の仕事ということらしい。
「もっとも、セシュレス様の見解では、日の浅いうちに天人達が、再び立ち上がるということは無いとの見込みだ。根拠のほどはわからないが、セシュレス様が仰るのであればそうなんだろう。しばらくは、煙の立たぬ期間が続くであろうから、その間に新世界への完成へと近付けようというのが、上層部の総意だよ」
実際、その見立ては正しいのだろう。天人陣営で最強のフロンが、サニーに一騎打ちで負けている。敗れて日の浅いうちに、何も状況が変わったわけでもないのに、天界王が再びサニーに盾突くというのは考えにくい。あるいは兵力が豊富であるなど、何かを用意して状況が変わるなら早い蜂起もあるかもしれないが、あいにく先述のとおり、天人達の主要都市はどこも半壊状態で、天人陣営は駒を足すことも不可能に近いのだ。
「……新世界、ってのは何なんだよ」
「天人と地人、狭間が平等に暮らせる世界だよ。君達も、天人でないことでこうむった不公平には、少なからず覚えがあるんじゃないのかい?」
ある。混血児のファインは言わずもがな、地人のクラウドだってそうだ。地人は住む場所も、賃金も、家賃や買い物の値段まで天人とは一線を画され、どうしたって貧しい暮らしを強いられる傾向が強い。クラウドだって、いつかは妻を迎えて立派な大人になりたいし、甲斐性のある成人を目指してここまできたのだが、おそらくこんな世界では、彼の人間離れした身体能力を以ってしても、いい稼ぎと暮らしには恵まれないだろう。
地人が最もお金を稼げるのは、セシュレスのようによほど商才に恵まれていての豪商になるか、賭け事で大金を得るか、体か命を張って傭兵稼業や闘技場の一等星になるか、それぐらいしか無いのである。可能性はあるにせよ、道がそれだけ限られている。
「すぐには無理だが、天人とそうでない者で買い物の額が違うだとか、税金に差があるだとか、そうした部分を最優先に、上層部は改めていこうと思っているそうだ。幸い、天界を頂いた際の副産物やら何やら、その助けになるものは多かったようだし、時間をかけて叶えていけると仰っているよ」
「……あなたは、天人なんですよね」
どことなく縮こまっていて、無言を一貫していたファインが急に口を開いたことに、クラウドも思わず近しい彼女を一度見る。ネブラの背中を見つめるファインの眼差しは、すぐそばで自分向きのクラウドの目線にさえ気付いていないかのように、ネブラから返ってくる答えを求めている。
「……どうして、天人のあなたが、革命に手を貸しているんですか?」
「…………」
当然の問い、と言っても差し支えないかもしれない。ネブラは天人、今までの社会体制であればあるほどに、地人や混血種よりも、得をすることの出来る立場であったはずだ。ニンバスのように、愛する者達が軒並み地人で、彼ら彼女らのために戦ったという動機があるのならわかるが、それをファインは知りたがっている。
「君達は、僕達に強く反発した。命を懸けて、死をも厭わず、レインを守るため、ホウライの都を守るため、故郷のクライメントシティを守るために戦った。その理由を、説明することは出来るかい?」
「……あなたも、そうだったんですか?」
「わからない。僕には、君達の心が読めるわけじゃないからね。別に、君達がどういう動機で戦っていたのかに確信を持って、今の問いをしたわけじゃないよ」
正義感の一言できっと片付く、そんな純真な想いで戦いに参じたファインとクラウドの動機にも、ネブラは概ね予想がつくけれど。それは、別にネブラが戦い続けた理由と同じものではないし、敢えてそれをファインらに尋ねたのは、二人の戦い続けた理由を引き合いにして、己を語ろうとしたわけではない。
「戦う理由は人それぞれ、当たり前のことだ。そしてそれらは、君達が思うほど、誰しもの心の中で純然すぎたり、確たるそれであるとは限らない」
「…………?」
「ザーム君は、大切な人を失ったことをきっかけに、革命軍へとその身を移した。ドラウトどのは、理不尽に命を奪われそうになったことをきっかけに、革命の火を心に灯した。……僕は、彼らとは違う。天人陣営から、革命軍に身を移した時から、それが自分にとって正しかったことだと信じていたわけじゃない」
ファインとクラウドが戦ってきた二人の過去が僅かに語られ、それは革命軍に属する者達の多くは、悲壮なる過去に起因を持つということの証明。それでいて、ネブラはそんな人物らとは異なる自分を強調する。それは、あるいは、年上も年下も問わず、同じ陣営に属する誰かに対する、信念ありし者達への敬意の示唆ともとれる。
「僕が戦う理由など、つまらないものさ。人に話すのが、恥ずかしいと思うほどにね」
「……そうですか」
二人は、顔を合わせない。ファインが見ているのはネブラの背中、ネブラが見ているのは昇り階段の道だけだ。両者の間で心を通じ合わせるものは互いの声だけであり、ただそれだけでも、ファインに見せない角度でネブラは、参った子供だと表情を憂いに染めている。
人を殺してきた、レインを非道に奪還しようとした、そんな自分が戦う理由すら、つまらないものだと言った。失望するような、軽蔑するような声が返ってきて当然のはずではないか。ファインの声が、ネブラの返答にがっかりするようなものではなく、話せない自分を恥じたネブラを慮るかの如く、静かで優しい声であったことに、つくづくネブラも適わないと思わされる。
16歳でも、ネブラの半分も生きていない子供でも、ファインには当然のようにわかるのだ。命を懸けて、何かの目的のために戦い続ける者の胸にある信念が、"つまらないもの"であるはずがないことぐらい。そうでなければ、人は命など張れないのだ。優しさでも甘さでもなく、己の経験則を思い返せば、思い至って当然の結論である。
「……ファイン君、といったね」
「はい」
「君とは、もっと違う形で出会いたかったよ」
セシュレスも、ミスティも、同じ事を言う。ファインと敵対した者達の多くがだ。だけどそれは、決して彼女が特別に人格者だからとか、そういう理由ではないのだろう。
人は、誰かに敬意を払える生き物だ。立場が真逆でも、気高き信念を持つ者の生き様を目にすれば、たとえそれが自らの刃にかけねばならぬ人物であっても、抱く感情が敵意に統一されるとは限らない。命を懸けて、自らの目的を叶えようとする、そんな奴らが当たり前のように、多数揃い踏む戦場という環境からは薄れがちだが、命懸けで何かに臨めるというのは相当なことなのだ。
戦場で巡り会えた者達の絆は、敵味方問わず、寂しいほどに輝かしい。あるいはネブラが誰よりも、それを語れる人物だ。
「来たね、待ってた」
「ぅあ……」
塔の頂上に辿り着いたネブラ、それに続いたファインとクラウド。思わずその瞬間、ファインが思わずうわごとに近い声を発し、クラウドに体全部をひっつけたのは無理もない。塔の頂上で待っていたその人物は、ファインにとってはトラウマそのものの少女と言ってもいい。
「大丈夫だよ、ファインちゃん。今日は私、あなたをいじめるつもりはないからさ」
「うぅ……」
赤白青の三色服、戦場で会うたびファインをめったくそに痛めつけてきたミスティというのは、ファインにとって誰よりも怖い相手である。得意のへらへら笑いではなく、子猫に近付く時のような優しい笑顔を作って近付こうとしたミスティだが、いくら努めたってファインの恐怖心は消え去りません。
「ま、仕方ないね。私は離れておくよ。魔法陣の上にどうぞ」
こういう反応も当たり前かと割り切って、ミスティは塔の頂上の中心に刻まれた、魔法陣から離れた場所へと足を移す。ほら、行くぞとクラウドが促したことをきっかけに、二人が魔法陣へと歩いていく。この魔法陣を経て、天界へと行く経験は一度踏んでいる。
「っ……クラウドさん」
「ん?」
ふと、ファインが足を止めた。大きめの魔法陣の外周部分に、あと一歩で届くという場所でだ。ほぼ肌を合わせていた彼女の動きが停止すると同時、接したクラウドの体も僅かに揺れる。
「……もしかしたら、怒られるかもしれませんが」
「……多分、怒るんだろうな。なんだよ」
こういうことを言いだす奴っていうのは、だいたい怒られるようなことを言うものである。過去にも実際、ぶっ飛んだファインの行動に怒らせられたことのあるクラウドは、あまりファインに対して向けない、おかしなこと言うなよっていう睨みを既に利かせている。
「……一人で行っても、いいですか」
「あ?」
ずっとここまで自分を支えてくれたクラウドの腕からするりと抜け、クラウドに半身を向けて首を回したファインが、クラウドと目を合わせてそう言った。クラウドの目は、当たり前だが穏やかではない。ここまで一緒に来てと言ったのはお前だろと。この期に及んで、自分だけで行きたいと言い出したファインの態度には、彼女の真意がどうあれ面白く思えないのは当たり前である。
「い、一対一で……サニーと、お話したいんです……」
「お前なぁ……」
「く、クラウドさんがいてくれて、私はずっと……でも、でも……サニーとは、その……」
眼差しも必死、取り繕おうとする口も必死、言葉だけが落ち着かない。言い訳したい気持ちだけが死ぬほど伝わってくる。決してクラウドだけをはじき者にしたいわけではない、だけどサニーは自分にとっては特別すぎて、ちゃんと一対一で話がしたい気持ちが勝っている、そんなところだろう。
クラウドがファインから顔を逸らし、頭をがりがりとかく仕草に現れるほど、呆れる心地になるのも自然である。いくら言い訳されたって、つまるところは自分とサニーの関係には、他者を介したくないというファインの返答に変わりはない。意地悪に曲解した結論の一つでも確かにあるけれど、本質からはずれ過ぎてもいない。
「お、お願い、します……わがままなのは、わかってるんです……でも……」
「……あ゛~」
ちくしょう、涙声になってきやがった。女の子ってこういうところがずるいよなって、この時ばかりはクラウドも思った。そんな顔と声で懇願されて、知るかお前の言うことなんか聞くかって、突っぱねられる奴なんかいないだろって、クラウドは思ってしまうのだ。
いるかいないかでいれば、別にいるんだけど。クラウドがそういう性格っていうだけである。
「わ~ったよ、好きにしろ……その代わり、ひとつだけ約束しろ」
「は、はい……何でも言うこと、ききます……」
そこまで言ってないんですけど。まるで、後で死ねと言われたら死にますと言わんばかりに、スカートをぐっと握ってうつむき震えるファインを前に、よっぽど申し訳ないと思ってくれているのはわかるけど。女の子はずるいと一度考えたクラウドだがそれは訂正、ファインのこの人格が、自分に対して反則なだけだと改めてわかった。
「帰ってきたら、めっちゃくちゃ説教するからな。俺が今まで黙ってたことも、全部吐き出すぞ。全部聞けよ。途中で逃げるなよ」
「……覚悟、します」
「一時間とか二時間とかで終わらなくてもだぞ?」
「う……わ、わかり、ました……」
何気にクラウドだって、ファインのすべてを全肯定するような人でもない。向こう見ずで行動力が前のめりなファインに、何度心配させられたかも今さら数えきれないのだ。一時間とか二時間とか、と言っているのはあくまで比喩だが、溜まり溜まった色んな不満をぶちまけてやるぞっていうテンションでは、この時限りながらもある。もっとも、今回一人で行きたいなんて言い出す部分へのお説教のことしか今は考えてないけれど。
ファインもファインで、口を絞って腹をくくるのは、さんざんクラウドに迷惑をかけてきた自覚があって、明らかな大袈裟である一時間二時間という言葉にも、それ相応の自分の粗相を想像するからだろう。相変わらずファインは、自己評価が非常に低いので。そのくせ我が強いところは、超がつくほど強いから、彼女のことを大事にしたい人達からすればたいへん厄介なのである。
「……行ってこい!」
「ぴゃ!?」
べしんとクラウドに背中を叩かれた。彼に力任せのお仕置きをされるのは初めてで、ファインも驚いて裏返った声を上げる。よろめいて、びっくりした顔でクラウドの方を向けば、はぁ~あと溜め息をついて首を振ったあとのクラウドが、ちょっと険の取れた顔でこちらを見てくれている。
「とりあえず、絶対に帰ってこいよ。俺の前から逃げんなよ」
「……はいっ」
好きにしろ、と言ってくれる。とんでもなく心配してくれているその想いを、顔からは隠そうとして、しかし隠しきれず。不謹慎にもそんなクラウドの顔を見て、元気いっぱいではないけれど、ふっと笑顔を携えられてしまったファインの胸中にあるのは、優しい友達に巡り会えた幸せへの感謝に他ならない。
遠くに行ってしまった今だからこそ、無二の親友サニーのことが、かつて以上に特別に思えるのは確かである。それって、相当。彼女以外の他の誰のことも、本来考えられなくなるほど強い感情。それに比肩するほど、ファインにとって特別な人なんてのは、目の前のこの人以外には考えられない。
「それじゃあ、天界と交信するよ。ファインちゃん、天界行きの準備はいい?」
「はい。……クラウドさん」
「おう」
「行ってきます」
ファインが魔法陣の中心に立ち、ミスティが旅立ちを示唆した瞬間、魔法陣が光を放ち始めた。ふわりと浮いたファインの体は、彼女自身の魔力によるものではない。天界の主が、彼女を天界へと招く門を開いている。
空に発った瞬間こそ、見上げるクラウドに振り返っていたファインだが、我が身が空へと浮かんで時間が経つにつれ、その首は上天に向いたまま動かなくなる。脳裏に描かれ消えないのは、彼女にとっての特別な人。混血児として生まれ、孤独な幼き日々を送っていた自分に、たった一人自ら近付いてくれた年の近い親友は、特別という短い単語でも厳密に表しきれぬほどかけがえない。
「……サニー」
あの人と出会っていなければ、クラウドと出会う機会にも恵まれただろうか。二人で旅に出たからこそ、旅先で出会えたクラウドとの接点は保たれたのではないのか。そもそも、友達のいない一人ぼっちのままで育った自分は、果たして今のような自分になれていただろうか。今のファインを、ファインの取り巻く世界を作り上げた、すべての原点が、見上げた空の向こう側にある。
胸をぎゅっと握り締めるファインには、昔からずっと強く信じていることがある。人生を幸せに生きるために最も大切なものは、友達だって。




