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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第16章  低気圧【Truth】
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第237話  ~天人少女と混血児の話  7年前~



「う~ん……」


 10歳になったサニーは、自室で髪を結んでいた空色のリボンをほどき、まじまじ見つめて悩ましげ。女の子の割に、動きやすい男の子のような服装で外を歩くことの多いサニーだが、これぐらいの年頃になるとお洒落にだって意識が出てきて、少し古くなってしまった愛用のリボン一つとっても色々考える。赤毛の自分に似合うようにと、育ての親ヘイルに小さい頃に買ってもらったリボンだが、流石に古くなって端もほつれ始めているのだ。


 今は亡き育ての親(ということになっている)ヘイルの形見のようなものだから、捨てたりはしないのだけど、流石に何年も愛用し続けて、ぼろが出てきたこれを身に付け、天下の往来を歩くのは如何なものか。当時のサニーには一つ悩みがあった。学校でも優等生で通っているサニーは、同い年にも先生にも色々持て囃される立場ではあったのだが、可愛いねって言われたことが殆どない。

 もっともそれは、当時の彼女の顔立ちが、可愛い寄りではなく凛々しい寄りのものであったせいでもあり、頼もしいとか綺麗とか言われることは多かったのだけど。やっぱりサニーとしては、同い年の子達がどんどん可愛らしい着姿になっていくにつれ、可愛いなぁって思うにつれ、自分にもそういう言葉を向けて貰いたくなる。


 そんな想いもあって、サニーは新しいリボンを買いにいくことを考え始めていたのである。友達を誘って一緒に買い物にいくのも考えたし、明日は安息日で学校もお休みだから丁度いいだろう。お小遣いどれぐらいあったかな、なんて小銭を数えながら、これだけあれば大丈夫そうだなっていう結論に辿り着いたら、さあ明日は誰を誘って、どこに行こうかという計画を練り始める。


「あ、いや、待てよ。あそこにいってみるのもいい、かな……?」


 どのお店に買い物に行こうかな、という思索の中で、サニーの脳裏に一つの案が浮かんだ。それは、友達を誘って行くことが難しい場所だ。そこに行こうと思ったら、一人で行くことが前提になる。友達と楽しくお喋りしながら、あれがいいこれもいいと談笑する楽しみは、その場所を選んだ時点で失われてしまうのだが。


「……まあ、いいか。うん、決めた。あそこにしよう」


 それでもサニーは、明日に向かう店をそこに定めた。せっかくの休日を、友達との楽しいショッピングではなく、沸き上がる好奇心を満たすための、単身での冒険のために使うつもりのようだ。











 その商店は、一般には小物売りの店として知られている。裁縫の得意な今の店主に頼むなら、服の補修や仕立てもしてくれる副業も請け負ってくれ、そちらもこの小さな店にとっては大きな収入源だ。最近はめっきり客も減り、本業である方の小物売りでの稼ぎが見込めない店主にとっては、むしろその副業がメインになっていると言ってもいいぐらいかもしれない。


「ごめんくださ~い」


「おや、いらっしゃい。はじめまして、かな?」


 昼食過ぎの時間に訪れても、狭い店の中はがらんがらん。安息日のこんな時間と言えば、どんな店でも、冷やかしを含めればゼロでない客には恵まれるものなのだが、この有り様では経営が成り立っているのかどうかすら怪しく感じるほど。

 そんな店の奥から出てきた店主は、還暦間近のご婦人だ。新規のお客さんなんて珍しいなと内心では思いながら、客であるサニーのもとへと歩いてくる。


「えっと……リボンとか、置いてますか?」


「ええ、あるよあるよ。どんなリボンがいいんだい?」


 穏やかな笑顔で、腰を曲げて微笑んでくれる店主のお婆さんの表情には、初対面のサニーも無性に心が安らいだものだ。あるいは母の顔を見たこともないサニーだからこそ、慈母のようなお婆さんの笑顔があまりに鮮烈で、不意打ち気味に心の隙間を埋められてしまうのかもしれない。

 なんだかふわつく自分の心に自覚もなく、サニーは父の忘れ形見であるリボンを差し出した。こういうのが欲しい、とそれを見せられたお婆さんは、まじまじ見つめて少し首を傾ける。


「色や形も、これに近いものがいいのかい?」


「うん……出来れば、同じものがあると嬉しいです」


 赤毛に映える空色こそお似合いだろうと見立てたお婆さんと、買い換えるとは言っても可能なら全く同じものが欲しいサニーで、考えていることは一致したようだ。お婆さんは少し肩を落とし、同じものは置いていないねぇと穏やかな声でサニーに語りかける。


「今から作ってあげることは出来るけどねぇ。待っていてくれるなら、作ってあげるよ」


「えっ、そんなこと出来るんですか?」


「そんなに難しいことじゃないよ。同じ素材はうちでも扱ってるし、今から作ってあげるよ」


「でも、お店は……」


「いいんだよ、暇だから。おいで、待ってる間はお茶菓子でも出してあげるから、上がっていきなさいな」


 にこにこ笑顔のお婆さんに招かれて、サニーは遠慮する本来の性分よりも、甘えたくなる気持ちが勝る足で、店の奥へとついて行く。買い物ついでに、この人と少しお話できたらいいな、ぐらいに考えていたサニーにとって、この申し出がありがたかったのもあるが、それ以上に素の子供心からついていきたくなる甘い優しさが、このお婆さんからは漂っている。


 ファインを育てたお婆ちゃん、フェア。混血児の少女への興味を未だに失っていなかったサニーは、この人に聞きたいと思っていたことがいくつかあったのだ。











「暇って言ってましたけど……」


「主人が亡くなってから、客足も減っちゃってねぇ。それでも来てくれるお客さんのおかげで、この店は今でも成り立ってるんだ。本当に、ありがたいことだよ」


「勿体ないなぁ……こんなに綺麗なお店なのに」


「ふふふ、そうだろう? 埃を溜めたことが無いのが、私のお店の誇りだよ」


 あぐら座りで店の奥、畳張りの小さな部屋にてちゃぶ台の前に、サニーはあぐら座りで座っている。その正面でサニーに受け取ったリボンと見比べながら、全く同じものを作ろうと素材をいじるフェアは、目線がサニーと手元を往復している。手元を見ていない時でもすいすい進むフェアの裁縫腕は、見事なものだと子供でも感じられる。


 この小物屋は、フェアが今は亡き夫と共に立ち上げた店。お気の毒に夫は早くに亡くなってしまったようだが、思い出の詰まったこの店をフェアは畳まず、今は一人で切り盛りしているようだ。昔からフェア夫妻は、客が天人であろうと地人であろうと差別視せず、分け隔てなく柔らかに接する商人夫婦であったため、この店は特に地人から愛された店である。

 ただ、フェアは夫が亡くなってから客足が減ったと言ったが、実際に客が少なくなったのは、フェアがスノウからファインを引き取ってから。混血児を養う女性の店になんか天人は行かないし、元々この店に通っていた地人も、それと仲良くしていると天人様から睨まれるような気がして、来にくくなってしまうからだ。

 それでも来てくれる仲の良い客がいるというのは、ひとえにフェアの人柄の為せる業であるし、そういう人に支えられているからこそ今の自分があると、フェアも感じている。閑古鳥に懐かれそうなこの店で、埃をどうこうが誇りだよと、駄洒落を言いながら微笑める健全な彼女でいることが、銭に乏しくても今が幸せと言うフェアの人間性を表しているとも言える。


「それにしても、すごいなぁ。今、この場で作っちゃうなんて」


「そうかい? そんなに難しいことじゃないんだけどねぇ」


 今の彼女には難しくないかもしれないが、実際素人目にも凄いものだとわかる流麗な手つきだし、もはや職人芸と言い表してもいいレベルだ。フェアも苦しくなった経営状況を支えるために、手芸を活かし、簡単な裁縫や服の修理などを請け負うサービスを始めるなどして、仕事を増やす努力もしてきた立場。後年ファインは大人顔負けの料理上手になっているが、フェアはフェアでこの道を極めている。外で暴れて帰って来るファインの服はすぐにぼろぼろになるし、それの手直しで鍛えられたりもするのだろうけど。


「はい、出来たよ。満足のいく出来かな?」


「わぁ、凄い……! ホントに私のリボンにそっくり……!」


 程なくしてあっさり出来上がってしまい、その時間の短さといったら、適当に手を抜いて済ませたのかとさえ思われるほど。しかし、端の縫い目も刺繍で刻んだ模様のラインも非常に綺麗で、生地の丈夫さを損なわない丁寧な仕事ぶり。受け取ったサニーが、思い出の詰まったリボンが生まれ変わって手元に帰ってきたような感動を得て、伸ばしたり裏返したりしながら新しいリボンを眺めずにはいられない。


「それより……あなたが、サニーちゃんかい?」


「へっ? あぁ、はい、そうですけど……」


「ふふふ、やっぱりだ。うちの子から聞いていたとおりで、綺麗な目をした女の子だと思ってたんだ」


「はい?」


 サニーもきょとん。うちの子、っていうのが誰のことかは知っている。ファインがサニーのことを、お婆ちゃんに話したことがあるんだろうという内容なのだろうけど、後半の部分がいまいち噛み合わない。

 綺麗な目をした子、って、ファインが自分のことをそう言っていたということだろうか。つまり、褒めてた? いやいやいや、会うたび喧嘩してばかりだったファイン――まあ最近はもう、顔を合わせても昔のようにぶつかり合うことはご無沙汰だったが、あの子は私のことが嫌いなんじゃないのかっていう。


「ファイン、いつも言ってたよ。ひとつ年上に、まぶしくて嫌になるくらいの子がいるって。それはまあ要約だけど、それに近いことを言ってた」


「うそぉ? 私、ファインとは喧嘩してばっかりで……」


「うんうん、聞いてる。いつか謝りたいとも……」


「ただいま~。お婆ちゃん、メロン買ってきたよ~。一緒に食べようよ~」


 フェアの話の中身に頭がついていかないサニーが、もっと詳しく聞きたいと思っていた矢先、実に軽やかな声を発しながら帰ってきた女の子が一名。店側からではなく、家の玄関口の方から帰ってきた少女の声は、フェアのことをお婆ちゃんと呼ぶからにはあの子なんだろうけど。


 あの子のあんな声、聞いたことがない。わめいて飛びかかってるファインの声しか、サニーは聞いたことがなかったのである。


「お婆ちゃ~ん、どこ~? お店~?」


「こっちだよ~、ファイン。おいで~」


 甘えん坊の孫に優しいお婆ちゃん、離れた位置で声を発し合うそのやりとりだけで、普段から仲良しな二人家族なんだろうなってすぐわかる。やがてファインが、お婆ちゃんの声がした方へと、靴を脱いだ足でぱたぱた駆けてくるのだが。


「お婆ちゃ……っ!?」


 サニーの目の前に一瞬見せた、お婆ちゃん大好きっ子のふにゃふにゃ笑顔が、家に上がり込んでいる赤毛の誰かさんを見た瞬間、一瞬でがらっと変わった。絶句、驚愕、なんでこんなところにこの人が、というふうに目を見開いて、直後一歩退がって目つきを鋭くする。


「こらっ、ファイン! お客さんだよ! そんな目をしないの!」


「う……うぐぐぐぐ……!」


 お婆ちゃんに叱られて、でもきつくした目が戻せず、サニーをガン見しながら部屋をかに歩きで動き、フェアの後ろにファインが隠れる。なんだろう、相変わらずやっぱり私のこと嫌いなんじゃんと。こんなファインの態度を見てしまうと、さっきのフェアの言葉からも信憑性が吹っ飛んでいく。


 混血児のファインを育てることは、周りに冷たくされることだと知っていながら、どうしてこの子を引き取ることを決めたんですかとか、上手く話を持っていければ聞きたいことが沢山あったサニー。その思惑とは裏腹、帰ってきた家主の子に睨まれる空気に一変した中、サニーも気まずそうに頭をかかずにいられなかった。






「もう、暑いよファイン。離れてくれないかねぇ」


「……こいつ、いつまでここにいるの」


「こいつだなんて言わないの! 口が悪いよ!」


 ごづっ。フェアに座って抱きついて、ちゃぶ台の向こう側のサニーを威嚇する目でいたファインの頭を、フェアが掴んで頭突きする。なかなか鈍い音がした。サニーもうわぁと口に出そうになる。


「んうぅ……だってえっ……」


「ほら、謝りなさい。元から謝りたいって言ってただろう?」


「!!」


 お婆ちゃん何を言い出すの、とばかりに、フェアの顔を凝視したファインが、ぐいっと頭を掴まれてサニーの方を向かされる。元から謝りたかったって言ってただろう、に対する返答であるかのように、首をぷるぷる振ったファインが、お婆ちゃんの手を振りほどく。


「素直じゃないねぇこの子は。いつまで意地を張ってるの」


「わわわっ、私そんなこと言ってないもんっ! か、買い物行ってく……」


「今行ってきたところでしょうがっ! 逃げるな!」


「さ、財布忘れてきたのっ! 取ってくるのっ!」


「ここにあるっ! ああもう、聞き分けの悪いっ! そんな子はっ……!」


 逃げようとするファインをフェアはがっちり捕まえて、座った自分の体とファインの体を向き合わせる。あとはファインの頭を両手で挟み、ごっすんごっすん額を額にぶつけまくる。おそらく、10発ぐらい。


 もう無理、やめてやめて痛いとファインが根を上げてから、そこから5発追加してからフェアが手を離すと、額を押さえてうずくまり、ファインはぷるぷる全身を震わせていた。フェアも自分の額を痛そうに押さえているが、まだ逃げようとするんならもっといくよとばかりに、叱る目をしたままファインを見下ろしている。怒らせたら怖いフェア婆さんだと噂には聞いたこともあるサニーだが、確かにこれはなかなか怖い。


「サニーちゃん、聞いてくれる? ファインはあなたのことがね……」


「!? おっ、お婆ちゃんやめてっ! 言わないでえっ!」


 涙目の顔をばっと上げ、ファインがフェアの口を塞ごうとする。そのファインの両手首をがっちりと掴んだフェアは、自分の正座した膝の上にファインを引いて倒れさせてしまうのだ。自分の太ももの上にお腹を乗せてうつ伏せのファインを、フェアが上から腕でがっちり押さえつけてしまえば、もうファインは身動き取れない。暴れん坊のファインをこんなに簡単に押さえつけてしまうなんて闘牛士みたい。


「この子、あなたのことが嫌いとかじゃなくて……」


「いや~っ! やめてぇ~っ! お婆ちゃん言わないで~っ!!」


 足をばたばた、両手を漕ぎ漕ぎ、それでも捕えられた状態から抜け出すことも出来ないファインを尻目に、フェアがファインの本音を語り始めた。うるさく騒ぐファインの声が邪魔になりそうだったが、はきはきとした声で話をしてくれるフェアのおかげで、サニーは話の内容を容易に聞き取ることが出来た。






「ほら、もう顔を上げなさいな。別に恥ずかしがるようなことじゃないだろう」


 全てを話し終えてフェアがファインを解放すると、一瞬見せた、えも言われぬような横顔を最後に、ファインはお婆ちゃんに前から抱きついて、胸に顔をうずめてしまった。後ろから見てもわかる、耳まで真っ赤。コアラのようにフェアにしがみついて、火が出そうな顔色になっているファインの後ろ姿を、サニーはにんまにんましながら見守っている。フェアから聞かされた話というのは、サニーにとっては面白くてしょうがない内容だったのだ。


「そっかぁ~。ファインちゃん、私のことそんなふうに見てたんだ」


「むっ、ぐ……ううぅ……」


 ずっとファインには嫌われていると思っていたサニーだったが、真実はむしろ逆だったのだ。ファインにとってのサニーっていうのは、羨ましいとも言えて、憧れの人とも言える、そんな人物と形容すれば一番近いかもしれない。


 サニーの周りには、いつだって友達がいっぱいいる。ファインから見ても、全然おかしいことだとは思えない。だってサニーは気立てもいいし、笑顔は綺麗、誰にでも優しくて、勉強だって出来る。ファインだってその実、お友達になりたい、そばに寄っていきたいと、素の感情では思えるような人だし、もはやまぶしいと言い表してもいいぐらい、ファインはサニーという年上の人物を見上げていたのが事実である。

 だから、ついつい嫉妬しちゃうのである。混血児ゆえに友達の一人も作れない環境も無関係ではなさそうだが、年下から見て完璧な優等生なサニーを見てると、なんでそんなに凄い人なの、ずるいよ。私だってそういうふうになりたい、って憧れてしまう、あるいは嫉んでしまう。それでついつい、顔を合わせると突っかかってしまうというわけ。この時のファインは9歳、幼さゆえの身勝手さがなかなか制御できなかった頃である。


 天人かつ人気者のサニーと、混血児で嫌われ者の自分が友達同士になんかなれないことだって、幼心ながらにわかっていて、それでも本当はサニーと仲良くなりたい欲求が、心のどこかに残ってる。

 でも、サニーにそういう目的で、近付いていくことも許されないのが現実ってやつ。叶えたい夢があって、かつそれが絶対に叶わないと自分の心の中で結論付けてしまえる状況下にあると、夢を諦めることが簡単でない子供にとっては、毎日がむしゃくしゃする。それで誰かに喧嘩を売るような振る舞いを肯定すべきでは全くもってないが、それだけファインにとってはサニーという人物が、眩しすぎて、正しくない意味で疎ましかったということだ。


「素直に言ってくれれば、私も睨み返したりしないのにさぁ」


「だ、だって……私、狭間だし、そんなこと言っても嫌われるだけだし……」


「もぉ~。あなたにとっての私って、そんな冷たい人に見えるの?」


「ふゃ……!?」


 フェアにしがみつくファインに近付いたサニーが、いきなり後ろからファインに抱きついてきた。フェアの体とサニーの胸、二人の人に前後から触れられるなんて経験が一度もなかったファインは、人肌のぬくもりでサンドイッチにされた瞬間に裏返った声を発するほど。びっくりしてお婆ちゃんに抱きついていた手からも力がゆるみ、同時にぐいっと引っ張ったサニーの力により、ファインの体がフェアから引き離される。あぐら座りのサニーの胸の前で、三角座りのファインが後ろから抱きしめられる形になる。


「んふふ~、あなたおとなしくしてれば可愛いじゃん。そうしてた方が、絶対あなたは魅力的だよ」


「そ、そんなことっ……! 私、狭間だよ……!?」


 混血児なんかには触るのも嫌、穢れが伝染(うつ)るから近寄るなと、天人らに言われて育ってきたファインにとって、父とお婆ちゃん以外で積極的に自分にこうして触れてくれる人は初めてだ。自分の血筋を卑屈に口にし、あなたは私に触れるのが嫌じゃないのと、当惑した顔で振り向くファインの目の前、サニーの笑顔はふわふわに柔らかい。


「関係ないよ。私は、私のことを好きって言ってくれる人は、みんな好きだよ」


「ぇ……ぁっ……」


「あははは、顔真っ赤だねぇ~。そういう顔も、可愛いよっ♪」


 色々お婆ちゃんにバラされて、既に朱に染まっていた顔が更に真っ赤になったファインが頭から煙を噴かす様は、どうやらサニーにとってはツボらしい。ぎゅうっと両腕に力を込め、ファインの頭の後ろに頬をすり寄せるサニーは、自分のことを本質的には憎からず思ってくれていた年下のことが、愛しくてたまらないようだ。


「ファインもあなたの喧嘩して帰ってくると、よくぐずっていたんだよ? またやっちゃった……って」


「!? おっ、お婆ちゃ……むぐっ!?」


「あ、もっと聞きたい聞きたい。ファインちゃんは黙ってて」


「む~っ! んぐ~っ!」


 これ以上恥ずかしい過去をばらされるのは耐えられないのか、お婆ちゃんの口を塞ぎにかかりたいファインがばたばた暴れるが、サニーが捕まえて逃がさない。両脚でファインのお腹をがっちりと捕まえて、両手でファインの口を塞いで、お婆ちゃんに手を伸ばすファインに邪魔をさせない体勢である。


 色々聞けた。サニーに喧嘩をふっかけて帰ってきた日のファインは、またやってしまったことを後悔しながら、すんすん泣くことも多かったこと。学校ではたいそう突っ張っているファインだが、実は根が非常に臆病であること。雨音がぴちゃんぴちゃんと気味悪く響く夜なんて、お婆ちゃん一緒に寝てと布団に潜り込んでくるような怖がりさんであること。

 外では牙を研いで闊歩するファインが、本質的な性格を誤解されがちだとわかっているフェアの口から、出るわ出るわファインの恥ずかしい気弱なエピソード。本当はこんな子で、みんなに思われているような子じゃないんだけどねぇと言うフェアの語り口は、サニーに新しいファインの一面を伝え、黒歴史をしこたま公開されたファインは、灰になって動かなくなってしまった。


「突っ張ってる子っていうのは、本当は臆病なだけなんだよ。とげを出すのは攻撃されたくないから、そうしていないと自分が攻撃されることを知っているから、そういう自分だってわかってるから。私も乱暴なファインを肯定するわけじゃないけど、ファインに限らず乱暴な子供っていうのは、普通にしている自分に自信が無い子もけっこういるんだよ」


 併せて、フェアが説いてくれる持論も、サニーにとってはうなずかされる部分も多かった。確かに同い年にも乱暴な男の子がいて、たむろし数の力で威張っているが、なんであんなことするんだろう、と、節操の無い暴力を振るう同年代の子供に抱いていた一つの疑問に、幼いサニーが一つの解答を得る心地。


「あなたはファインの言うとおり、素直で真っ直ぐな子だね。わかって頂戴、とは言いづらいのだけど……よかったら、ファインだって寂しいだけなんだっていうのを、私も知って欲しいなって思うよ」


「そっか……」


 寂しさ。その想いは、人を往々にして自棄にさせてしまうものだ。サニーもクライメント神殿に移ってからの日々のうち、友達との触れ合いも無い、心許せる家族などいない家での暮らしが、いちいちストレスが溜まって仕方ない。何かにつけて、地人や混血種に対して差別的な思想を垣間見せる、ブリーズや兄らへのむかつきもあるが、やはり信頼できる人が一人もそばにいない寂しさも無関係ではない。孤独は人が想う以上に、心を蝕み刻む傷が深いのである。


 正直サニーも、あと何年ブリーズ達との家族ごっこを続ければいいのかを考えると、先が長すぎて将来に対して絶望しそうになることもある。10歳の子供にとっては、たとえば二十歳までの10年間なんてのは、ものすごく長く感じるもの。人が最も心労とするのは、今現在の苦境そのものに対する苦しみよりも、そんな毎日がいつまで続くのかと言う、未来に対する閉塞感であることの方が実は多いのだ。


 ファインもそうなのだろう。差別され、いじめられ、あるいは避けられる現状に対するつらさもあるだろうけど、それが一生そうだと思うともっとつらいはず。そこまで思い至った拍子に、サニーが後ろからファインを抱く腕に、ぎゅうっと力がこもってしまう。色々と暴露され、伏せた顔も上げられないファインは無反応だが、そうせずにはいられないほど、サニーもファインに移入した感情が止まらない。


「ファインちゃん、大丈夫だよ。周りがあなたのことを何て言っても、私は本当のあなたのこと忘れないから」


「うぅ~……」


「喧嘩ばっかふっかけてくる子だと思ってたけど、人を傷つけたくてそうしてたんじゃないんだよね? そうしないとつらかっただけだよね? あなたはほんとは、人に優しくすることも出来る子だよね?」


 知られたくなかった自分を知られ、恥ずかしさでいっぱいのファインの心に、サニーの言葉が雲間から差す日の光のようにぬくもりを与えてくれる。こんな言葉を、父やお婆ちゃん以外から向けて貰えたことなんて、一度だってなかったファインだ。どうしようもなく抑えられない自分の姿に隠れていた、内面を知って口にしてくれるサニーの腕の中で、ファインは顔を赤くしたままながらも、随分おとなしくなっている。


「私、もっとあなたのこと知りたいな。――ねぇ、フェアさん。時々、遊びに来てもいい?」


「……うん、勿論」


「ふふっ、許可貰っちゃった。ファインちゃんも、いいよね?」


 後ろで笑顔いっぱいのサニーの表情が、振り返らなくても声からファインにも感じられる。忌避されるばかりの自分に、時々あなたの家に遊びに来てもいいかなと尋ねてくるサニーの言葉は、初めて過ぎてファインの頭を、夢でも見ているかのような心地に陥らせる。


「……おーい、ファインちゃん?」


 上手く言葉にして返事にすることすら難しい。それほどの想いがあった。ファインが自分の胴の周りを包む、サニーの腕をぎゅっと抱き上げた反応が、器用さに欠ける彼女なりの、精一杯の返答だ。


「んふふ、私サニー。ちゃんと私の名前、覚えておいてね?」


「…………」


 同い年に温かく触れてもらえるぬくもり。小さくうなずいたファインの表情が、サニーには見えない角度でほのかに溶けてゆるんでいたのを見たのは、正面からファインの顔を見れていたフェアだけなのだった。











 こうしてファインとサニーは友達同士となり、以降数年に渡って仲の良い無二の親友となったのでした――

 とでも話が纏まってくれるなら、きっととても綺麗な思い出話になりそうなところだったのだが、実はこの話には続きがある。というのも、サニーが案外そこまで小奇麗な少女でないという話なのだが。


「混血児のファインちゃん、か……」


 ファインとああして触れ合った日の夜、サニーは寝る前にベッドの上で、今後のことを考えていた。

 忘れてはならないのが、彼女は天人覇権の時代を終わらせる革命を目指す、クーデターの隠し玉そのものであること。表向きは普通の女の子らしく振る舞っているが、一人になって誰も見ていない場所では、将来に向けて色々考えを巡らせるのが毎日のことである。


 そんな彼女にとって、混血児のファインというのは、色んな意味で他の誰よりも特別視すべき存在だ。母と同じ混血児というだけで、純粋に興味の尽きない相手であるというのは白い意味での特別視だが、黒い意味での特別視もある。


「……あの子もお母さんと同じで、天魔も地術も使えるんだよなぁ」


 天の魔術しか使えない天人と、地の魔術しか使えない地人とは違い、ファインはどちらの魔術も使うことが出来る。それって、相当に特別なことだ。二人ぶんのことが一人で出来る、というのは、その総合力を一人でまかなえるということであり、単身でも1+1が2以上になる力を生み出せると言っても過言ではない。

 たとえば天人Aと地人Bが力を合わせることがあったとしても、別の意志を持つ二人であるから、連携の末に生まれる総合力には、疎通というものが前提に必要だ。ファインのような混血児にはその必要すらない。自分の意志ひとつで二つの全く次元の違う力を扱えるというのは、人二人ぶんの力を持つという足し算以上のアドバンテージを持っているのも事実である。


 それが、いつか夢を叶える時、味方陣営にいればどうだろう。たった一人の混血種アトモスが、自分が目指す勝利ではない前提で起こした革命戦争すら、天人陣営に鎮圧されるまで数年の時を要した。混血児の存在は、それだけ大きな影響力を持つのである。


「あの子もきっと、こんな時代は望んでないはずだよね。上手くやれば、多分……」


 混血種が最も差別される時代と風潮。ファインにとっては嫌なはずだと考えたサニーは、彼女を自分の側に引き込む青写真を描き始めた。10歳の子供であろうと、母から受け継いだ使命を胸に抱いて成長してきたサニーは、この頃から既に革命の先導者としての思考回路を持っていたのである。


 はっきり言って、ヤな子供である。まったく、誰に似たのやら。


「……うん。きっと、使える」


 誰にと言われれば、策謀家でもある育ての親だろうけど。当のそのお方も、今はアボハワ地方で混血児の少女を、自陣営の足しになるんじゃないかとご育ての真っ最中なわけだし。











 時間をかけて、ファインを手なずけようとし始めたサニーは、宣言どおり時々ファインの家に遊びに行った。もっとも、混血児のファインと仲良くしているのが周知されると、サニーの立場も危うくなるので、学校や街などでファインと語らうことはしなかった。あれだけファインに甘い言葉を囁いておきながら、保身はちゃっかり果たしていたわけだ。

 ファインも少なからずサニーに対する見方を改めたらしく、以前と違って学校などで顔を合わせることがあっても、サニーのことを敵視めいた顔をしなくなっていた。同時に、自分と繋がりがあることが知られれば、サニーに迷惑がかかるとでも考えたのか、人前でサニーとの接点を形にすることもしなかった。サニーにしてみれば好都合なことであり、それがファイン側からの優しさであったことを知りつつも、内心では、よしよしそれが一番助かるわとほくそ笑んでいたのがサニーの裏の顔。


 そうして、日を散らし、友達との約束が無い日などにはファインの家に赴いて、混血児の少女と楽しくお喋りだ。元より口の立つサニー、コミュニケーションに不慣れなファインも上手くリードし、女の子同士の会話を弾ませる。

 こうして、自分に対してファインをどんどんなつかせていくのである。遊びに行くのが何度目かになる頃には、サニーが来てくれただけでぱあっと笑顔になるファインに、サニーは順調さを感じていた。初めての友達とも言えるサニーに抱きついて、胸に頬をすり寄せてくるファインの頭を撫でながら、笑顔の裏では違う意味での微笑ましさを抱いていたサニーの本心など、ファインに読み取れようはずもない。


「あんまり大きな声では言えないけど、天人の差別意識も考えものよね~。混血児っていうだけでファインちゃんをいじめようなんて、正直私は理不尽だと思うんだけどなぁ」


「も~、ほんとそうだよ。そりゃあ私も、周りに嫌われるようなことはしてきたけど……元はさぁ……」


 こういう話も時々振って、ファインの天人に対する敵愾心を煽り、やがて将来的に自分の立ち位置を公開した時、自分の味方についてくれるよう下地を作って。もっとも、本心も含まれている語り口だから、嘘つきの口ではなくすらすらと言えてしまうため、混血児の味方をしてくれるサニー像を、ファインに疑わせないことさえスムーズだ。何気にちゃっかり、私がこんなこと言ってたなんて周りに言わないでよ、に近い釘まで刺してある辺りも周到なものである。


 心を開けば素直なファインだから、サニーと懇ろになりつつあることも周りには黙っていてくれたし、サニーにとっては全てが都合よく回っていた。計画を破綻させない世界の展開に、ファイン自身の性格と態度も組み込み、それに救われているという認識も、当時のサニーにはあまりなかったものだ。はっきり言って、かなり冷たい。


 気立てのいい表向きに対し、腹の底では悲願に向けた、冷徹な未来図を描き続ける野心家。当時のサニーって、その実そんな奴である。




 しかしながら、それがいつまでも思い通りにいくかと言えば、そうではない。所詮は子供の浅知恵だ。


「……サニーよ。お前、最近混血児の家に通っていることがあるらしいな」


「あぁ……まあ、本当に時たまだけどね」


 極力目立たぬようにファインの家に通い続けていたサニーだったが、だからって誰にも見つからずそんな習慣を続けていられるわけではない。何ヶ月か、そんな生活を継続しているうちに、やがてブリーズの耳にそんなサニーの行動が入ってしまう。もっともサニーにとっては、いつか来る日がついに来たという程度の話でしかないが。


「ほら、革命軍を率いたアトモスも混血児だったっていうじゃない? あの混血児だって、もしかしたらいつかはアトモスと同じように、よからぬことを考えるかもしれないじゃない。だから時々様子を見ておくことも、必要かなと思ってさ」


「…………」


 そういう日に備えて用意していた言い訳を、サニーはまるで本音のようにすらすらと口にした。まさか混血児と仲良くなるために、ファインの家に通っているなんて言えるはずがあるまい。備えはばっちりだ、彼女の中では。


「……まさか混血児に、情が移ったなどとは言わんだろうな」


「はぁ? なんで私が、混血児に情が移るの?」


 ただ、サニーは上手にやっているつもりでも、大人のブリーズには引っ掛かるものがあった。確かに言い訳としては上等だし、天人的な思想に基づいて、混血児の家に通っている理由付けとしてはよく出来ている。

 しかし、10歳の子供にしては考えが進みすぎなのだ。どんな計画にもほつれはつきもので、草案者の気付かぬところでイレギュラーが起こるものだが、サニーは自分が周りの子供達とは違う、考えの進みすぎた子供だという自覚が無い。すらすらとブリーズの問いに答える演技力は一見見事だが、10歳の少女が近代天地大戦からもう教訓を学び、未来に向けて混血児とコンタクトを取っているという主張が、そもそもにして"らしくない"のである。


「……まあ、いい。お前に考えあっての行動なら止めはせぬが、くれぐれもクライメント神殿の名に泥を塗るようなことだけはするな。お前は、天人であることを忘れるなよ」


「むぅ……わかってるわよ、当たり前じゃないの」


 天人思想に染まり、混血児なんかに情が移るわけないでしょと演じるサニーだが、ブリーズも違和感は僅かに感じ取っていたのだろう。地人らと共に育ち、純正の優越意識を持つ天人とは違う幼少期を過ごしたはずのサニーが、こうもあっさり数年で自分達と同じ天人思想に染まるものだろうかって。天人指折りの要人である大司祭の養子として、時間をかけて自分達と同じ思想にサニーを染め上げていこうとしていたブリーズではあったものの、それにしては育ちに対して変節が早すぎる気がしてならなかったのだ。


 確信に至れなかったのは、上手くいっている可能性も捨て切れなかったからだろう。それに救われている。サニーが思うほど、幼い彼女の暗躍も完璧ではなかったのである。






 そして、それだけではない。彼女が思うほど彼女自身は優秀ではない、という言葉に則るなら、その言葉どおり、サニーも決して、当時の時点で完成した策謀家ではなかったのだ。あるいは、そんなうちに一つの事件が起こったことが、サニーを単に冷徹な革命家へと突き進ませる道を、僅かに改めてくれたと言えるかもしれない。


「ちょっと……! あんた達、何してるの!?」


 学校帰りのサニーが、なんだか騒がしい裏通りに駆け込んだ時のことだ。彼女の目の前にあったのは、年上と思しき男の子達の集団であり、その輪の真ん中で羽交い絞めにされた女の子が、息を切らしてじたばたしている。


 年上の男に包囲されたファインが、袋叩きにされていたのである。既にえぐえぐ泣いているファインは、持ち前の気性の荒さから今でも抵抗を試みているが、体中を年上の男に殴られ蹴られした彼女は、体に力が入らないのだろう。つらい境遇に現れてくれたサニーに気付くも、見ないで向こうに言ってと首を振り、声も発さない。


「あ、お前サニーだっけ。いいところに来たな」


「そうだけど……! 何なのこれ、何してんのよ!」


「何って、ゴミ掃除に決まってんだろ。ガキのくせに、しかも女のくせに突っ張ってる生意気な混血児をシめてやってるだけじゃねえか」


 ガキのくせにと仰るが、俺達が何か間違ったことしてるかよと言い放つ少年も、サニーと3歳しか変わらぬガキである。クライメントシティでは大司祭様の養子であり、才女とも知られるサニーが有名であるのと別の方向性で、同い年の少年を引き連れるリーダー格のこの少年も、容赦の無い悪ガキとして有名な方。サニーもこいつのことは小耳に挟んだことがある。


 数年後には、クライメントシティの自警団に入るほどである彼は、当時から腕っ節が強かった。その名をアウラというのだが、この当時の彼はステレオタイプの天人であり、混血児に対する嫌悪感も非常に強い頃である。


「そう言えばお前、こいつの家に入り浸ってるらしいな」


「……だから何? あんた達には関係なくない?」


「お前、混血児なんかと仲良くしてるのか?」


 急な展開に頭に血が昇っていたサニーも、アウラの問いには言葉を失ってしまう。確かにそう、目的あってのこととはいえ、ファインと親しくしようとしていたのは事実。手なずけることが狙いとはいえだ。


 それを認め、私は混血児のファインと仲良くしようとしていると答えれば、一転サニーの立場は天人間で急転直下である。ブリーズに対して発した言い訳も、どこまで通用するだろう。長々と説明してやっても、この手の奴らにそれを理解する頭があるとは思えない。


「……するわけないでしょ。私は天人よ? 混血児なんか、相手にするはずないじゃない」


 髪をかき上げ顔を上げ、冷ややかな目でサニーはそう言った。その時、サニーの口からそんな言葉を聞いたファインの動きがぴたりと止まり、表情を失った顔色は、後年のサニーの記憶から永遠に離れない光景だ。


「本当かぁ? じゃあなんで、こいつの家に入り浸ってたんだよ」


「あんた達に説明してもわかんないでしょうから、いちいち説明はしないわよ」


「あぁ?」


 生意気な年下の態度にかっとしたアウラが、サニーの胸ぐらを掴もうとするが、ひょいっと後ろに退がったサニーはその手を回避する。何よ、私にも絡むんなら相手してあげるけど、と強気の目を返すサニーは、そうした威嚇的な眼差しの裏に、自分の奥底に眠る本心を上手に隠している。


「……だったらお前も、あいつを殴れるよな?」


「は?」


「混血児なんか、相手にしないんだろ? だったら、あいつのことだって痛めつけられるよな?」


「……嫌よ。手が汚れるでしょ」


 これだから年上は嫌い。変な知恵をつけて、信用できない相手は試そうとする。ばっちい話しないでよ、とばかりに手を振り、その場を立ち去ろうとするサニーだが、その帰り道をアウラの取り巻きが、人の壁で塞いでくる。


「信用できねえなぁ」


「やれねえのかよ」


「お前まさか、本当に混血児と仲良くしてるんじゃねえだろうな」


「…………」


 答えを出せと、詰められる。混血児なんかと親しくしない、そんな自分を証明したいならファインを殴ってみろと。出来ないんだったら、お前は天人の面汚しだと。話の通じない不良少年達は、サニーに逃げ道を与えない。


「……するわけないでしょ。何度も言わせないで」


「だったら、やってみろよ。出来るよな?」


 アウラの態度に辟易する顔を隠さず、ふいっと彼から目を逸らしたサニーが、羽交い絞めにされたファインへと歩み寄っていく。手の届く距離まで辿り着いて、泣き腫らした目のファインを目の前に向き合う。

 他に、選択肢は無い。ファインを殴って天人側だと証明するか、せずにファインと仲良くしていた事実を認めるか。乱れた服装と呼吸で自分を見上げる、ファインの悲しそうな眼差しを前にして、無表情を貫いているサニー。ファインを羽交い絞めにしている少年は、サニーがファインをぶちのめす数秒後を期待して楽しそう。


(……お母さん)


 混血児は、ただそれだけで迫害される。母もきっと、今のファインと同じような育ち方をしたのだろう。理不尽な差別を、心の底では嫌うサニーをして、今のファインに手を出して天人社会に溶け込むことは、非常に重い意味を持つことだ。

 やがて訪れる、悲願成就の時に向け、長い目でものを見るならば、一度は混血児を理不尽に打ち据える側を演じることも、単なる通過点に過ぎないはず。そしてきっと、それは一度やってしまえば、後戻りは出来ない。サニーを唯一無二の友達になってくれたと信じ、そんな彼女に裏切りの言葉を発されたファインの、希望のすべてを打ち砕かれた体を殴り、サニーは前に進んでいこうとしているのだ。


 ふぅ、と一つの息を吐き、拳を握り締めたサニー。ファインとは何度も喧嘩してきたじゃないか。殴ることだって初めてじゃない。混血児を味方に引き入れるという計画はこれでご破算だが、それに固執して立場を悪くするのは賢明ではないはずだ。

 "アトモスの遺志"を継ぎ、やがて大願を叶えるための犠牲と看做し、ファインを殴る決意を固めた。どうせならそれを強く印象付けるために、今まで一度も殴ってこなかった、ファインの顔を思いっきりぶん殴るのがいいだろう。そう、サニーの冷たい心は答えを出しかけていた。


 出しかけていたのだ。それが答えとならなかったのは、サニーが拳を握った瞬間のこと。ファインと目を合わせた瞬間のことだ。


「……早くやってみろよ! 何してんだよ!」


「……言われなくてもね」


 低い声を発したサニーが、ファインに背を向け後ろのアウラに振り向いた。その時のサニーの冷えきった瞳は、アウラにとっては一生忘れられないサニーの眼差しの一つである。


 ファインを殴ると決意して、握り拳を作ってファインと目を合わせたサニーに、ファインは小さく微笑んでうなずいたのだ。いいよ、来て、と腹を括ったかのように。私を殴らず天人を敵に回しちゃ駄目、我慢するからやってもいいよと笑いかけてくれたファインの表情は、確たる信念を固めていたはずのサニーの心を、その一瞬で変容させたのだ。


 誰が、こんな年下の女の子を殴れるものか。


「私は、私のやりたいようにやるってのよ……!」


 サニーがアウラの目の前に、中指を立てた両手を突き出した。それに気を取られたアウラの頬を、直後サニーの全力の平手打ちが直撃する。喧嘩の強い、13歳の少年がふらついて、殆ど腰砕けによろめいて地面に倒れるほど強烈な一撃だ。

 あんまりにも全力のビンタ過ぎて狙いが正確でなかったのか、サニーの手の、小指側の骨がアウラの顎に直撃するという、鈍い音を伴う一発であった。


 突然のことに周りが呆気に取られる中、サニーは素早くファインの方に振り返り、ファインを羽交い絞めにしていた少年の顔面に肘をぶっ刺していく。鼻に激烈な一撃を受けた少年がひっくり返り、力の抜けたその腕から解放されたファインも目をぱちくり。前によろめきかけたファインの胸を、サニーの掌が優しく支えている。


「もういいわ、ファイン! 思いっきり暴れるわよ! 私にも負けなかったぐらい強い子でしょ、あんたは!」


「さ、サニー……」


「クソども全員ぶっ飛ばしましょ! 手加減とかマジいらないから!」


「っ……この野郎っ!」


 さあおっぱじまった。目の前がちかちかして立ち上がれないアウラの叫び声に端を発し、不良少年達が一斉にかかってくる。たった二人の女の子に群れをなして襲いかかる節操の無さ、それだけでも男としてどうなのってもんだが、これに対してぎらんぎらんの目で立ち向かうサニーの暴れぶりが、男の腕っ節にも勝るのだから余計に悲惨なことになる。


 どたんばたんの二対多。暴れん坊のサニー一人が、痛めつけられた直後で暴れにくいファインの手すら殆ど借りず、十人近くの年上の少年らをぶちのめす白昼劇が、この日クライメントシティに刻まれるのであった。後年これは、サニーとアウラの間では中指ビンタ事件と呼ばれる出来事であり、いかにも天人らしい差別意識の強かったアウラが、ちょっとらしくなくなるきっかけの事件でもあった。






「ち……っ、ちくしょおぉ……!」


「ぜーっ、ぜーっ……失せろ失せろっ! 二度と私に話しかけんなっ!」


 年下の女の子に取り巻きをことごとくぶちのめされ、自分もぼっこぼこにされたアウラが、プライドもずたずたで泣きながら逃げていく。腰に手を当て胸を張り、しっしっと追い払う手つきまでするサニーは、いかにも勝者の姿。掴まれた髪がぼさぼさに荒れ、殴られ蹴られて痛む体が震えているのも、戦い抜いた証である。


「……んふっ♪ ファイン、見た? あいつらの顔」


「はぁ……はぁ……」


「あ~、すっきりした! ひっさびさに思いっきり暴れたー!」


 これでもう、色々とおじゃん。天人の優等生として築き上げてきた地位も、差別意識を嫌う自分の性根を隠してきたことも。3年かけて、一生懸命作ってきたものが、混血児のファインと仲良くしていることが露呈した時点で全てパーである。それも、意識しないではない。


 それでも、口にしたとおりサニーの心は爽やかだった。ずっと我慢してきた、血筋の違いだけで差別し、迫害し、優越を気取る天人達なんかくそったれだと思っていた本音を、この日ついに体全部を使ってぶちまけたのだ。失ったものは大きくとも、この爽快感はそれにも勝って大きい。


「さ……っ、サニぃっ……」


「わっ、と……あははは、抱きつかないの。よしよし、あんたもよく頑張ったわ」


 いじめられて泣いていた顔とは全く違う泣き顔だった。初めて、明確に自分の味方をしてくれて、天人達を敵に回してくれた、年の近い人が現れたのだ。想い余って顔をぐしゃぐしゃに崩し、サニーに抱きついて泣きじゃくるファインの頭を、サニーは心の底から受け入れる笑顔と共に撫でていた。

 ぎゅうっと自分を抱きしめるファインの腕の力は、殴られ蹴られして痛む今の体にはダメージ倍。正直、苦しい。そんな痛みさえ、心から自分を慕ってくれるファインの表れだとしか感じられないサニーにとっては、打算無き、あるいは打算の失われた、人と人の心が触れ合うぬくもりとして、彼女の心を温かく満たしてくれるもの。


 ファインちゃん、と呼んでいたのはこの前日まで。互いをファインと、サニーと呼び合うようになった二人の関係が、本当の意味で友達と呼べるものになったのがこの時のことだった。

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