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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第16章  低気圧【Truth】
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第234話  ~魔女と一人娘の話    10年前~



「……終わったか」


 とある日のこと。朝刊に目を通したカラザは、誰も聞くものがいない朝、そう呟かずにはいられなかった。来たるべき時が来た、それを示す朝刊には大きく、聖女スノウの手によって魔女アトモスが討たれたという報せが、見出しに載っていた。アトモスの掲げた革命の火が、7年の革命戦争を経た末、"ひとまず"潰えたのだ。


「となれば、ここからだな……」


「ふぁ……ヘイル、おはよ~……」


 早起きであるカラザと、さして変わらぬほどの早さで起きてくる、彼が長く養ってきた女の子。この年、7歳を迎えた彼女の前、カラザは自分を"ヘイル"と呼ぶ少女の前で新聞を閉じた。


「おはよう、サニー。今日は、畑仕事を手伝ってくれなくていいぞ」


「ふぇ……? なんで……?」


 幼いゆえに身だしなみへの配慮がまだいまいちなのか、赤毛を寝癖まみれにした女の子に、朝一番からカラザは無表情でそう言った。普段は朗らかな笑顔で朝一の自分を迎えてくれる育て親が、そんな態度でいることには、サニーと呼ばれた少女も困惑顔である。


「おいで、サニー。大事な話があるんだ」


 自らサニーに近付いて、小さな体の彼女をひょいっと持ち上げたカラザは、椅子に腰掛け膝の上に少女を乗せた。眠い目をこする彼女の目がはっきりするまで、少しの時間を設けたのち、カラザはかねてから語るつもりであった数々のことを彼女に話し始めた。











「……なるほど。有意義な話が聞けて何よりだ」


 この日から、7年前のこと。クリマートの村を襲撃した天人達を、一人残らず殲滅した直後のことだ。カラザとアストラを同志に迎えたアトモスとセシュレスに、カラザが重要な事実を告げていた。


「天人達が、地人達の王オゾンを殺害することが出来ず、封印に至ったのはそのためだ。逆のことが、現代における我々にも言える」


 カラザとアトモスが千年来の知識から紐解いてくれたことは、アトモスにもセシュレスにも初耳のことばかり。それは天人達が、自分達の覇権を確たるものに擦るために、秘匿し続けてきたことであり、地人であるセシュレスや、混血種であるアトモスには知る機会すらなかったことである。天人達ですら、天界の者達以外は知らぬことだ。


 カラザが発した二つの単語。天上界、地底界。それは、空を飛んだり土を掘ったりすることで人が踏み入れられる、物理的な空間のことではない。ある特別な秘術の展開によってのみ、選ばれた者だけが到達できる、概念的な世界のことを指すという。

 アトモスらもその言葉の意味を理解するまで時間がかかったが、"この世界とは一線を画す別世界"、"例えるなら異空間と言っても差し支えない場所"と表現されたことで、なんとかその概念を捉えることが出来た。にわかには信じ難いことだが、そもそも千年以上生きたというカラザ達を信じた時点で、二人に信じられないことなどない。


 地底界。それは、地表を介して大地の奥底にあるもう一つの世界と形容される。オゾンはそこに踏み入る力を手にしており、いかに傷つけられ、死を目前に控えようとも、そこに身を逃れることで殺されることを免れられるという逃げ道が、千年前にはあったのだ。だから、天人達は誰もオゾンを殺すことは出来なかった。地底界に入るための魔術は、地人の使う地術でしか為せなかったからだ。

 天上界。それは、空の遥か高く、広き空間のどこかに、新たなる概念として作られた世界。まるで空の上に建物が浮かぶかのような、幻想的な世界が成立するのは、そこがそもそも"地上の遥か上の高所"ではなく、"天の魔力で作られた新たなる世界"だからだという。現代で言えば、天界はそういう場所だという。天界王の作り出した天上界に神殿を築いたのが、今で言う"天界"だとカラザは教えてくれた。


 千年前には天上界まで到達できる、それを作り出せる天人がおらず、一方でオゾンは地底界の概念を掌握していたため、敵軍の王が討てぬ厳しい状況であり続けたのは天人側だった。

 しかし、追い詰めたオゾンに地底界へ逃れられたのち、再び現世に現れぬよう封印を施したことで、地底界からオゾンが脱出することは叶わなくなり、結果オゾンは地上に君臨することが出来なくなった。当時の天人達の秘伝がどういうものであったのかはさておき、太古の天地大戦はそうして決着を迎えたという。


 それに遅れて数年後、覇権を握った天人達は、天上界を作り上げた。それは、決して地人達には届かない世界。地人達には天の魔術は使えないからだ。現代において、天上界に辿り着くすべを持つ者がおらぬ以上、天上界にいる天界王を討つことは不可能だと、そういう結論になる。


 革命成就は不可能という答えが、そこに導き出される。天界王を討ち果たす手段がない。かと言って、天界以外の天人を大多数殺害し、地上を制圧すれば社会は回るのか。天人とてこの社会を構成する人間達の一部なのに、その大半を存在しないようにして、ちゃんと成立する社会の再構成など不可能だ。

 だいたいそもそも、差別されるのが嫌でその世界を改めようとしているのに、差別してくる奴らに復讐の刃を向けるのは百歩譲ってよしとしても、根絶やしにしてどうするのだという話。残した少数の天人をいじめても、初めはすかっとするかもしれないが、人の減った社会で背負う苦労は、その八つ当たりではあがなえないだろう。長い時間をかけて、仮に地人だけの世界を作り上げたとしても、少なくともこの時代を生きる者達は、それで成立する世界を作るまでの間は、退廃的な世界を立て直す苦労に追われるばかりになる。最悪失敗した末の、荒廃の末路すら視野に入ってくる。


 革命成就、さらには成った新しい世界での、残された者達の幸福を確保するための最低条件。それは天界の壊滅、あるいは天界王の討伐があってこそ。天界に触れる手段も無い今では、その青写真も描けない。


 セシュレスも、天人にしか辿り着けぬ境地である天界のことは意識しており、そこへの到達者の可能性としてアトモスを選んでいた。だからこの革命の指導者は、人脈のあるセシュレスではなく、アトモスと定義されていたのが真相である。

 これは、カラザ達に出会う前からセシュレスが進めていたこと。その計画を耳にしたカラザとアストラも、自分達が情報をもたらす前からそこまで想定していた二人には、感嘆の想いすら抱いていた。


 しかし、実情はどうしても厳しい。革命軍を構成しようにも、すべての地人が勇気を以って蜂起してくれるかは断言できない上で、天人達は一致団結、しかも兵力では向こうが勝る。まともにやり合って、アトモスをやがては天界に送り出すという計画は、正直なところ現実的ではない。天界王だって強いのだ。革命戦争で力を費やしたアトモスに、後述する理由もあるが、その大役を押し付けるのは無理がある。


「……そこで我々は、一つの策を提案する。残酷だが、聞いて欲しい。恐らくこれが、最も現実的だ」


「…………」


 知る限りの情報のすべてを得たカラザが提示した策は、アトモスの表情を明るくはさせなかった。それでもアトモスはうなずいた。革命を為すためなら、どんな犠牲も払うと心に決めたのだ。


 たとえ、未だ顔も見ぬ我が子を血塗られた運命に導くこともなろうとも。悪魔に魂を売り渡しましょうと宣言し、涙を流したアトモスの顔を、カラザは今でも忘れることが出来ずにいる。




 アトモスがクリマートの村で夫を殺害されたあの時、すでに彼女のお腹の中には一つの命が宿っていた。革命活動を指揮する中でも、アトモスは極めて秘匿的に我が子を産み、その少女をカラザに託した。カラザに抱えられ、革命の渦から去っていった少女の行方は、カラザ自身を除いて誰も知らない。アストラも、セシュレスも、アトモスすらも。


 四人が共通して知っていたのは、その少女が母アトモスにより、サニーと名付けられたことだけだ。


 アトモスの夫、フェイルが天人であったことは、革命を志す立場の者達には、残酷ながらも最大の希望となった。混血児と天人の間に生まれた子は、天人として生を授かるのだ。サニーと名付けられた少女には、生まれた時から使命が授けられていた。

 つまり、天界に辿り着くことが出来る魔術の使い手、天の魔術の使い手として育つ使命のこと。


 真の革命成就は、アトモスの手にではなく、サニーという名の少女に委ねられていた。17年前の時点で、既に定められていたのだ。


 アトモスからの承諾を得たカラザは、後にサニーと名付けられる少女がアトモスのお腹の中にいて、それがこの世に生を受けるまでの時間で、革命成就までの計画を綿密に作り上げた。それは、太古の戦時中には軍師としても名を馳せたカラザが、千年ぶんの知恵を寄せ集めて練り上げる、20年先を見据えた計画だ。











 カラザはアトモスに、2つの課題を設けた。1つは、天界へと手を届かせるための秘術を完成させること。混血種であり、天の魔術も使える彼女にしか出来ない使命である。

 そしてもう1つは、"己の魂を自分以外の誰かに託す"秘術の完成。天の魔術に属するそれを完成させることもまた、彼女にしか出来ない重要な役割だった。


 魂に関わる術は二つある。自らの魂を他者に捧げるか、他者の魂を奪うかだ。前者は光の属性の魔術であり天人達のもの、後者は闇の魔術であり地人達のもの。魂というものだけに限って言えば、天人は"もたらす者"であり、地人は"奪う者"とも言えよう。

 千年前の天地大戦では、天人達が地人を敵視する思想の中に、そんな概念も含まれていたものである。崇高なるは恵みをもたらす天人、粗暴に奪わんとする地人など劣悪なる者達、という発想だ。神様に与えられた、使える魔術の差だけでそう唱えるのは不条理だが、古き歴史であればあるほどに、理念よりも信心めいた何かの方が、人の思想を左右するのも珍しいことではない。


 他者の魂を受け継いだ者は、その魂が生み出す魔術を行使することが可能になる。アトモスが誰かに魂を捧げれば、その相手はアトモスが使えた魔術を使うことが出来るということだ。こうして、アトモスが習得した、天界への道を開く魔術を、魂を捧げることによってその相手が使えるようになることが、カラザの計画の根幹を担っていた。


 アトモスの魂を受け取った、彼女の実子であるサニーが、天界に渡るための魔術を受け継ぎ、やがて彼女が革命を成就する。それが、カラザの計画だった。それはカラザに言わせれば、アトモスには出来ないことであり、彼女でない誰かにしてもらわねばならないことだと結論付けていたのである。


 カラザはアトモスが、あるいは人というものの心が、そこまで強いものでないことを知っていたからだ。


 カラザはセシュレスに、アトモスが二つの秘術を完成させるまで、革命戦争を長引かせることを頼んだ。いくら続けても天界王には辿り着けない地人達の戦いを、アトモスが秘術を完成させるまでの時間稼ぎのため、引き延ばし続けることを命じたのである。真の狙いを、計画の全容を、天人らに悟らせぬようにするための手筋としての意味合いも含んでいる。

 その間、アトモスとセシュレスは、自分達についてくれば革命は成ると信じてきた仲間達を騙し続け、終焉の見えた戦へと彼らを導き続けねばならない。セシュレスには、目的のためならばと鬼畜参謀となる覚悟があった。アトモスにも同じものはあったかもしれない。カラザは、根が心優し過ぎるアトモスに、それを貫き通すことは不可能だと読んでいた。


 術が完成するまでの数年間で、何人の同胞の死をアトモスは目の当たりにしたか。戦い続けても勝利は無い戦いに、死んでいった者達が、俺達の死は無駄じゃなかったはずだと信じ、世を去っていく。敵を欺くならまず――という格言でもごまかせない。自らを信じてついてきてくれる者達を騙し続け、時間稼ぎのための戦争に命を捨てさせる指導者となったアトモスの心は、果たして1年もっていたのかどうかも怪しい。彼女の良心は後年もはや色を失っており、晩年の彼女の目に光が無かったことを後からセシュレスに聞いたカラザは、えも言われぬ表情で、まだ表情があった頃のアトモスを回想していたものである。


 カラザの見通しは、実際のところ正しかったのだと思う。長い戦争の日々の中で、心の壊れかけたアトモスは、最終的には天界へと渡るための術も完成させたが、そんな彼女が天界王に立ち向かっても、きっと勝てはしなかっただろう。

 よしんばそれでいい方の結果に転んだとしても、革命後の世界には指導者が必要だ。その場合、アトモスがそうなっていかねばならない。革命を為した第一人者以外に、それが出来る者など他にいないのだ。心優しい彼女が、幾多もの犠牲の上に革命を為したところで、たとえこの計画のような身内への残酷さがなくとも、成功後に健全な精神でいられるはずがなかったのだ。




 カラザは2つの秘術――自らの魂を他者に捧げる魔術と、天界に渡るための魔術を完成させれば、アトモスには悪いが死んでくれと頼んだ。一度革命戦争を終わらせ、天人達を油断させることが必要だと。連中が革命戦争の勝利を実感し、後始末も概ね済んだと思えて安穏とするようになった時期になれば、成長したお前の娘と、残された使徒達が革命を完遂すると付け加えてだ。その狙いは実際のところ、無いでもなかった。


 それ以上にカラザは、為すべきことを為したアトモスに、死という逃げ道を作る目的の方が大きかった。彼の予測の中で、革命が成ろうが成るまいが、アトモスが後の世を笑って過ごせる心でいられる未来は描けなかったのだ。実際のところそれは正しかっただろうと、セシュレスも後年に同意している。彼女を知る者であればあるほどに、心優しかったアトモスが、血の池の果てに成る新世界で胸を張って歩く姿は考えられなかった。


 2つの秘術を完成させたアトモスが、親友であったスノウとの一騎打ちをセシュレスに望んだ時、セシュレスにははっきりと彼女の"今"を感じ取れた。やはり、正しかった。その時の彼女の目は、罪深き自らの生存を望んでいなかったのだから。


 "三日後に私の導く形で、アトモスがクリマートの村にてスノウと巡り会い、最後の戦いを行なう"


 それをセシュレスからの報せで聞いた日、カラザは誰とも口を利く気になれなかった。同胞を騙し続けた背徳者である自らを裁いてくれる人物に、親友であったスノウを選ぶという時点でもう、そもそも彼女本来の優しい性格が反映されていないではないか。そんな役目を任されたスノウは、アトモスにとって大事な親友であったスノウは、アトモスを殺めた後年を、どんな気持ちで生きていけばいいというのだ。アトモスが、とうに壊れてしまっていたことを、彼女の決断から知った時のカラザの胸中は、他の誰にも知ることなど出来ない。


 "私は諦めないからね"。アトモスがその最期、スノウに遺した言葉は、言葉どおりの意味だった。その後に発そうとした、自らを抱いて泣いてくれる親友に、息が続かず、ごめんねの一言がついに届けられなかったことは、アトモスの生涯において、最期の最後での悔いである。

 死の間際、詠唱なく発した最後の秘術により、アトモスは自らの魂を解き放った。自らの魂を引き継いでくれるあの子に、革命の遺志を授けるために。彼女が亡くなってからのちに再活動を始めた革命軍に、"アトモスの遺志"と名をつけたどこぞの誰かは、奇しくも実に的を射た名をつけていたものだ。


 "お前は、アトモスを殺さなかった"。カラザがこの時から10年後、今わの際のスノウに発した言葉。


 アトモスが死の間際、スノウに微笑みかけたことを聞いた時、カラザは心の底からスノウに感謝した。真の死のまさにその時、人としての彼女が帰ってきていたのだから。決して、魂を他者に捧げるまでの猶予をくれたスノウに対する、皮肉的な感謝ではない。自らの命運に呪いすら感じるほど絶望した者が、最後の最後に身を委ねたかった相手というのは、同じ目的を掲げた革命の同士であるよりも、十年以上来の親友であったのだと、カラザは感じずにいられなかった。


 35年の生涯に幕を降ろしたアトモス。その人生は、混血種として差別されてきた殆どと、それによって最愛の人すら奪われ、自分を信じてついてきてくれた者達を裏切っての戦いの日々で連ねられている。彼女にとっての唯一の救いとは、世界で只一人、この人ならば私の命を捧げても惜しくないと思えるほどの親友に巡り会えたこと、本当にそのたった一つだったのかもしれない。











 そうした計画の中にあり、カラザも一つの大役を自ら背負っていた。それはアトモスの一人娘、サニーと名付けられた少女を、やがて大願を為す隠し玉に育てる大役だ。


 0歳のサニーを抱き、戦場から離れたカラザは、クライメントシティを含む地方の離れ、あまり名も有名でないような田舎村に移り住んだ。当時の彼は、本名のカラザではなく"ヘイル"と名乗って流れ者を装い、大きな畑の地主である村長の下で働く形で、その村に居着いた。サニーのことは、拾い子であると説明してである。


 小さな村での貧しい生活、慎ましやかに育てられたサニーは、普通の少女と変わらぬ育ちであった。地人だけが住まう小さな村にて、拾われの子として天人か地人かもわからぬ子、特におかしな環境ではなく、普通程度に田舎の友人に恵まれたサニーは、そのまま育っていくのである。3歳までは。


 カラザは3歳になったサニーを、言葉巧みに魔術を行使できるように育て始めた。畑仕事を手伝って欲しい、魔術が使えてくれれば助かるのにな、などなど。いい子に育っていたサニーは、育ての親であるヘイル(カラザのこと)の役に立ちたくて、魔術の練習をしようとする。

 ところがどっこい、天人である彼女には地術が使えない。お父さんであるヘイルには使えるのに。おかしいな。もしや……と思って、厳密にはそういう態度を演じたヘイルが、サニーに水や風を操る魔術のイメージを教えてみれば、天人のサニーにはそれが使えた。こうしてサニーが天人であることは、カラザの計画どおり、彼女が3歳になった頃に周りに周知されることになる。


 農夫に扮したカラザだが、術士としての本質は超一流であり、拙いふりしてサニーにみっちり天の魔術を扱う極意を教えていく。自分には使えぬ天の魔術だろうが、千年も生きて他人の使う天の魔術を見てきていれば、イメージを構築して他人に教えるのも容易いものである。

 凄腕の師匠の手引きもあり、サニーは5歳になる頃にはもう、そこそこ天の魔力を扱えるようになっており、将来有望な子供だと、狭い村では少し名が売れた少女に育っていた。この頃のサニーはまだ、遠き地のアトモスから魂を受け取っていなかったし、その上でそうなのだから、彼女が生まれつき持つ魔術の才覚自体も、母譲りでたいしたものだったのだろう。


 こうなると村人達も、サニーに期待がかかってくる。こうした小さな村から、天人の才女が輩出されたとなれば、それを育て上げたこの村にもいくらかの誇りになるんじゃないかって。そんなこんなで、幼くして器量も良さげないい子に育ちつつあった、魔術の才覚豊かなサニーというのは、周りに大事にされながら健やかに育っていったのである。


 平和な村にて普通の女の子としての人生を歩んでいたサニーに反し、穏やかな性分の育て親ヘイルは、常々脳裏でサニーの未来図を、毎日の中で更新して計画を進めていた。普通の親が、我が子に無限の可能性を感じるのと同じで、よく育ったサニーにはカラザ目線で、いくつもの選択肢があった。

 地人との絆を努めて深めさせ、それを虐げる天人の理不尽さをサニーの価値観にみっちり教えようだとか。あるいは天人にも触れさせ、スパイめいた潜り込ませ方で相手方の懐を探らせてやろうだとか。平和な小さな村で、拾い子を育てていた穏やかな性分の農夫が、まさかそんな腹黒参謀の本性持ちであったなんて、誰からしたってまさかである。




 やがてどうするかな、と、カラザが数々の選択肢を温めつつサニーを育て続けていく中、彼女が7歳であるこの年、あるいはアトモスらが革命の火を立ち上げてから7年後、ついに近代天地大戦は終わった。アトモスの死を以って、彼女の魂がサニーに授けられたことを以ってである。


「サニーよ。お前の中に、もう一人の誰かがいる実感はあるか?」


「うん……これが、お母さんの魂なの?」


 サニーがすっかり物心つき、言葉をしっかり理解できるようになってから、カラザはサニーにいくつかの真相を既に話してあった。絶対に、人に話してはいけないよという釘を入念に刺してである。色々な脅し文句やら、あるいはその約束を守り続ければいいことあるよやら、上手に手を尽くしたものだ。

 もっとも子供だし、口を滑らせる可能性だってあるんだから、核心要の部分まではカラザも伏せておいたのだが、存外サニーは幼い頃から非常に口が固かった。田舎村にて結構なおてんば娘に成長した割に、そういう人として大事なことは幼い頃から出来ていたんだから、カラザも人を育てるのが上手ということなのだろうか。千歳は色々とずるい。


 カラザはこの日初めてサニーに、母の真実を話した。母がアトモスという名であること、サニーはその魂を受け取ったこと、溢れるような魔力を生み出す助けとなる魂がサニーの胸の内に宿っているということ。母の思想、母がどのような目に遭って育ってきたか、革命を志した母の半生。天人が地人を虐げる実状は、幼い頃のサニーの目にも例を山ほど見られたし、子供にもわかりやすく話すための材料には事欠かなかった。


「お前の母は混血種だった。お前が使えぬ地の術も使える人物だ。その者の魂を得たお前には、それを扱う力も授けられた」


「…………」


「もう、わかるな? これから、お前が"アトモスの遺志"を引き継ぐのだ」


 そしてこの日、革命の遺志は引き継がれたのだ。アトモスの魂はこの時、サニーの胸の中にいる。何も知らずに健やかに育ってきた愛娘に、血の海へと飛び込ませる運命を強いるために。この日のアトモスの魂が、今も安らかな顔でいるだろうと、想像できる者がいるなら顔を見てみたい。


「やれるか? サニー」


「……やる。私は、そのために生まれてきたんだもんね」


 例えばこれまではカラザはサニーに対し、お前のお母さんは遠い場所のお姫様だよとか、冗談めいたことしか教えてこなかった。真に受けたサニーがそれを自慢したりして、周りからは微笑ましく見られたりしていたものだ。

 カラザの嘘のつき方が上手いのは、彼はアトモスに惜しみない敬意を払っているから、そんな嘘だって自信を持ってまことしやかに口にしやすい点だとか。サニーがまだ見ぬ母に、誇りを持って育っていける下地を同時に築いていける嘘であることとか。小さな村に降って沸いた天人の幼き聖女という運命に、村の大人達もその話を嘘とわかりつつ、俺達にとってはあながち本当にお姫様の子を授かった気分でもあるよなと冗談の種になることとか。


 これをほんの一例とし、何かにつけてカラザは上手に、サニーを一般的に育てつつ、やんわりとその身に背負った運命なるものを、彼女の心に刷り込んでいったのである。策謀家ここに極まれり、きっと彼が0歳児を預かれば、それを冷酷非情な暗殺者に育てることも、あるいは慈愛に満ちた篤信者に育てることも可能なのだろう。

 だからサニーは、年に似合わぬほどするりと、カラザの言葉を受け入れた。そういう子に、時間をかけて、じっくりカラザが育ててきたからだ。


 血塗られた命運によって祝福され、この世に生を受けた少女が、数年後と変わらぬ清々しい笑顔で、カラザとアトモスが望んだ未来への道を受け入れる。もう、後戻りは出来ない。サニー自身も、彼女をその道へと導いたカラザとアトモスもだ。











 とまあ、ここまでは順調だった。20年越しの計画ともなれば、イレギュラーのいくつかが発生することもカラザは想定していたのだが、サニーが7歳になるまでは、本当に何事もなく、すべてが順調だった。

 サニーの真の素性は誰にも知られていないし、真実を話した後のサニーも運命をすんなり受け入れたし、彼女は普通の子と変わらぬ育ちをしてきたおかげで、単に人としても年相応に逸脱した成長をしていない。むしろ魔術の才覚にも秀で、おてんばな割にはお勉強も嫌がらない物分かりのよさ、人当たりもよく、年下の子にも優しい。育ての親が良かったせいもあるが、7歳児のカテゴリーの中においては単純に優等生である。好都合な要素こそ多かれ、不都合な要素は一見何も無かった。


 正直カラザも、ここまですべてが順調すぎると、何かいきなり思わぬ事故にでも見舞われるんじゃないかと、無性に不安になった時期もあったぐらい。ジンクスというかオカルトというか、いいことばかりが続いていると、それによって運を使い果たした後、すんごい不幸が降ってくるんじゃないかというやつ。カラザも案外、そういう理屈無きなんちゃらを考えたりはするのである。


 世の中、こういう根拠もくそもないような不安が、しばしば的中するから困りもの。


「……サニーを養子に?」


「そうだ。それも、クライメントシティの大司教、ブリーズ様がだぞ」


「マジかぁ……」


 寝耳に水とはまさにこのこと。いったいどこからそんなお偉いさんにサニーの情報が渡ったのかも、どうしてそんな天人のお偉い様がサニーを養子にしたがっているのかも、流石のカラザもちんぷんかんぷんであった。それがどのくらいカラザにとっても想定外であったかというと、千歳の古代人が思わず柄にも合わぬ若者言葉で、マジかぁと呟かずにいられなかったぐらい。ついでに言うとそれは、カラザにとって非常に嫌な急展開だった。






 後からカラザが独自に調べてわかったことだが、当時のブリーズは非常に苦しい立場にいたらしい。


 クライメント神殿の大司教という立場のブリーズは、当然天人社会の中でもトップクラスの地位にある。クライメントシティは、かつて地底王オゾンを封印した天人達の聖地であり、クライメント神殿はその最たる象徴と言ってもいい。そこの大司教だっていうんだから、天人社会の1番を天界王、2番手を天界のお偉い様方々、3番手を天人の楽園と言われたホウライ王国の王族とすれば、ブリーズは4番手の立ち位置にすら名を連ねる。重ねて強調するが、本当に偉い人なのである。


 そんなブリーズであるからして、彼の後を継ぐ者もまた、ブリーズの高い地位を引き継ぐことになる。普通はブリーズの妻との間に生まれた子が、彼の後を継いで時期大司教となるのだが、運の悪いことに彼は、これが前提から上手くいかなかったのだ。


 ブリーズは正室、つまり本妻との間になかなか子を宿せなかった。後継者に恵まれないブリーズは、正室ともちゃんと話し合った末に側室を娶った。側室との間に一子が生まれた。これで後継者問題は解決したはずであり、正室の妻と側室の妾の関係もそう悪くはなかった。ここまではよかった。


 ところがどっこい、この後に正室との間に子供が生まれちゃうのである。正室側は態度一変、その前は側室に対し、私が生めなかった後継者を生んでくれた人だと感謝すら述べていたのだが、血の繋がった自分の子供が出来てしまったら話は別。ブリーズから大司教の座を継承するのは我が子だと主張し始め、こうなれば側室の方だって黙っちゃいられない。こっちはこっちで、好きでもない男のもとへ事情を汲んで嫁いでやったというのが本音だし、可愛い我が子にブリーズの地位を継承させられなかったら、何のために私は側室になったんだと。


 さあ泥沼抗争の始まりである。正室と懇ろの者達は、正室とその子の味方をするし、それじゃあ側室があまりにも気の毒であると唱える者だっている。クライメント神殿内は権力争奪戦の様相で二分化され、こうなってしまえばいくらブリーズが一喝しても、水面下で冷戦気味に継続される両陣営の睨み合いは鎮静化しきれない。


 決定的であったのは、正室側の子供が不審死を遂げたこと。元より病弱な子ではあったのだが、まさかという疑惑が側室に立つのは、当時の状況では当たり前のことだ。一週間前は元気に外を走り回っていた我が子が、急に体調を崩した挙句、帰らぬ人となったことで、正室がどういう想いに駆られたのかは想像に難くない。

 証拠があろうがなかろうが、真実がどうであろうが、正室の憎しみは物理的に側室へと向かい、クライメント神殿内で殺傷事件が起こるという顛末にまで至ってしまったのである。側室とその子を"排除"した正室の、まるで仇を取ったかのような嬉しそうな顔は、もう彼女が駄目になってしまった何よりの証拠だろう。その女性は他ならぬブリーズの手によって死罪にかけられたが、禍根の種がそうして全て取り払われたと同時に、ブリーズのもとには何一つ残らない結果にもなってしまった。


 この一件をきっかけに、ブリーズはすっかり女というものを信用できなくなってしまい、後継者探しに新しい妻を求めることをしなくなってしまった。彼も当時はもう45歳、誰かとまた婚姻を結んだとしても、子供を作るには少々しんどいお年。ブリーズに仕える者達も、なんとか彼には後継者を作って欲しいと考え続けていたのだが、もはや普通の手段で血の繋がった子を作り、後継者としていく手筋を当時のブリーズは選べなくなっていた。


 そんなこんなで、ブリーズは養子を取ることになったのである。5人の幼い子供を養子に迎え入れ、その中から将来的に後を継ぐ子を決める。そういう手段が取られることになり、サニーはその一人として選ばれたのが事の真相なのであった。






 そんなこんなで、サニーはブリーズの養子候補に選ばれた。これは非常に嫌な展開だ。確かに数日前、クライメントシティから珍しく身なりのいい人間が来て、何やら村の子供達を観察していたような様もあったが、まさかそんな目的で来ていたとは思わんじゃないかと。

 話をもう少し詳しく聞くにつけ、ブリーズはもう他に4人の養子候補を見つけているらしく、その4人がいずれも男の子であることから、一人は女の子にしようとサニーに目をつけたらしい。正直なところ、華を家族の中に添えたいぐらいの気持ちであったようで、サニーを大司教の後継者候補としてはあまり見ていなかったようだ。


「……というわけで、お前が天人達のお偉い様のもとへ、養子入りすることになったわけだが」


「えぇ……それって、まずくない?」


 サニーが優秀な子すぎるのが、ここではかえってよろしくなかったのである。魔術の才覚には秀でるわ、年下の子になつかれるわ、同い年とは仲良くするわ、年上の子だろうとおかしいと思ったら反発する根性はあるわ、はっきり言って同世代の子供達の中では、異色と言えるほど頭ひとつ飛び抜けていた。実際、革命軍の切り札だと自覚を得た彼女が、ブリーズのもとに養子入りする事実を聞かされて、それがまずいとわかる時点で、聡明さが普通の7歳の女の子のそれじゃない。


 天人達の中でも、最も差別意識の強い天人が集まるクライメント神殿なんて、革命思想を持つサニーからしてみればアウェーもいいところである。ちょっとサニーがおかしな行動を見せれば、たとえば天人贔屓じゃない姿勢をちらりと見せただけであっても、あっという間に目をつけられてしまうであろう環境だ。

 カラザだって、7歳のサニーに全てを信頼して任せるのはすごく不安。口の堅いサニーだが、ぽろっと喋ってはいけないこと、見せてはいけないものを見せてしまわないかと、具体例は思いつかないままにしていくつも不安が想定できてしまう。


 でも、天人達のお偉い様に名指しで呼ばれて、断るっていう選択肢もない。どんなに屁理屈こねたって無理だろう。聖地の神殿の大司教様の養子になれるという光栄なことを蹴り、泥を塗るような子供だと認識されたら、それはそれで駄目なのだ。社会的な意味で殺されてしまう。


「……だが、やるしかあるまい。猶予は一週間ほど貰ってきた。その間に、お前に出来るだけ多くのことを教えておくから、いずれも決して忘れるんじゃないぞ」


「うっへぇ……」


 家族と離れる寂しさもあるからと、一週間ほどこの村で過ごす時間を頂いてきたカラザが、その日々をフルに活かして、サニーに数々の心構えを説き尽くす。革命を志していることや母のことを口にするのは言語道断、それを少しでも匂わせるようなこともNG。母の魂の力を借りての魔術の行使は厳禁、子供離れしすぎた魔力を見せるとそれだけで不自然と見られるから。もちろん地の魔術を使うなどもっての他、などなどなど。


 後年、サニーはクライメント神殿に住み続けた結果、色々とオゾン封印に関する知識を少しずつ集めることが出来、ついにはオゾンの魂を獲得することに成功する。しかしそれは結果論であって、この当時、カラザもオゾンの魂をサニーに得させようなどという計画は立てておらず、彼女がクライメント神殿に招かれたことは、先行きの暗雲を予感させることでしかなかったのだ。後から一人でその青写真を描き、オゾンの魂を獲得する図式にまで持っていったのは、成長したサニーが自分で選んだことでしかない。


 この当時としては、本当に前途多難。有り体に言えば、綿密であったはずの計画が、突然のイレギュラーによって、博打と変わらぬ不安要素だらけの勝負に変わったと言い換えることも出来よう。カラザがどうにか手を回そうにも、彼にもどうしようも出来ない所までサニーが行っちゃうんだから。結局のところサニーの頑張り次第という、千歳のアドバンテージも活かせない状況に事態は急変したのである。


 アトモスから預かった、彼女の愛娘や使命。それを絶対に、ふいにするわけにはいかないカラザの責任は重く、この頃ばかりはカラザも胃に穴が開きそうだった。

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