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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第15章  雪【Farewell】
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第227話  ~ミスティVSファイン~



「っ……! レインちゃん、走れそう……!?」


「うん!!」


「逃がすかっ……!」


 一気に飛びかかってきたミスティの右手、喉輪の一撃を高く跳んで回避しながら、ファインが地上へばらまいた魔力が、氷を突き破って地表から小面積の岩石を突き出させる。氷一色の滑る一面世界に、岩の小島がいくつも生じたことで、レインの足場が出来た形だ。

 一方ミスティも、高所へ自らを投げ出したファインに素早く跳躍して迫る。脚力が使えないファインは、自分の足元を瞬間的に隆起させることで、いわば足の裏から殴り上げて貰うような形で強引に跳んでいるのだ。空中姿勢もままならないファインに、ひとっ跳びで迫るミスティは無表情に近く、滲み出る殺意はファインの背筋を凍らせる。


「くうっ、あ゛……!」


「いまいち、っ……!」


 射程距離内に捉えた瞬間のファインへ、風の加速度と水の重みを加えた回し蹴りを放ったミスティの一撃を、ファインは庇い手二つでかろうじて防御した。

無論、こちらも緩衝用の魔力は挟み込んである。それでも腕全体がびきびきくる重い一撃は、ファインを吹っ飛ばして遠き壁面まで押し出してしまう。ダメージは小さくないが、決定打になった手応えがなかったので、ミスティからすればいまいちだ。


「んっ、ぐっ……うううっ……!」


 壁の高い場所に腰からぶつかったファインは、もう二度と立てないんじゃないかっていうぐらいの苦痛で顔を歪めている。歯を食いしばって、痛みから目を逸らし、体が地面へと落ち始める一瞬前には魔力を展開する。ファインのお尻の下、すぐの場所に、ばきんと氷が背後の壁から突き出るような形で平たく生じたところで、ファインが腰の下に一瞬で、ふさぁっと草で編んだような植物の塊を生成だ。


 すかさずファインに差し迫ろうとしていたミスティの目の前で、ファインは風の力を後方から受ける形で一気に加速する。壁から生じた氷の板の上に、草の塊を挟んでお尻で座った瞬間に、一枚氷は一気に長さを伸ばして地面までばきりと道を作り出した。迫ったミスティの視界の真ん中からファインが逸し、ミスティがその動きを目で追わねばならぬほどの速度で、氷の滑り台の上を滑走していくファインがミスティから距離を取る。


「ユニーク……っ、なだけじゃないなあっ……!」


 片手を腰の横、もう片方の手で短くなったスカートの股下を押さえ、一気に氷面の地上まで到達したファインは、そのまま止まらず壁の方へと進んでいく。その滑走中に、既に腰周りに生じさせ始めていた雲で浮力を得たファインは、まるで氷の滑り台を加速用の滑走路にしたかのように、ふわりとその全身を浮かせた。

 しかもその直後、振り返って一振りした掌から、ミスティへと火の玉を放ってくるのだ。自由に空を駆け回れるミスティにとって回避の難しいものではないが、即座にファインへと迫る空中ルートが防がれて、雲に座って空を舞い始めたファインへの攻め手が遅れてしまう。


「――はあっ!」


「見えてるよっ……!」


 さらに地上の岩石小島を跳び移り、下方から飛びかかってくるレインが、矢のような速度でミスティへと文字通り足先を伸ばしてきた。火の玉を回避した直後でありながら、その蹴りと自分の間に岩石の盾を瞬間的に生じさせたミスティが、それでもなお強いレインの蹴りによって高所へと押し出される。手から介して全身へとびりりと響く衝撃が、砕けたミスティのあばら骨に痛烈に響いている。


「さあーっ、勝負しようか……!」


 上方へと吹き飛ばされながら風の翼をばさりと開き、くるりと身を回した瞬間にはもう、ミスティが胸の前で掌同士を近付けている。魔力をその間に集めているのが、術士でないレインにもわかる仕草だ。笑わず据わった目つきで秘術の発動を控えたミスティの姿は、同じ高さで雲に座って滑空するファインを戦慄させる。


招かれざる客の追放フェスティーヴーザー・エクスペル!!」


 広いとはいえ屋内で。大ホールの中心部分の床に投げつけられたミスティの魔力は、着弾の瞬間に炸裂して螺旋状の風を生み出した。あっという間に、それは高き天井にまで届く細い竜巻状の風の様相となり、着地した瞬間のレインも、空中のファインも恐ろしきこの直後の現象を予感して目の色を変える。さあ膨らむ。


「ううああっ!?」


「れ、レイン……ちゃ……」


「んっ、ぐ……! 貰う、よっ……!」


 細い竜巻が瞬く間に径を広げ、空間いっぱいを嵐の渦と化した竜巻は、屋外で放てば建物をも粉砕し、破片を空へ舞い上げるほどのもの。小さなレインの体が為すすべなく舞い上がらされ、ファインも強すぎる風に抗う推進力を雲に与えつつも、殆ど風に振り回されるのと変わらない様相だ。

 ミスティも同じ、自らの生み出した風で今にも吹っ飛ばされそう。それでも風の流れは自分でわかっている、空中点を蹴って空を走る、あるいは跳ぶ。迫る対象はレイン、吹き飛ばされて上下もわからぬ姿勢で回されるレインの到達予定空中点へ、殺意に満ちた掌をかざして接近する。


「だ、め……!」


 何をするつもりかはわからない、だがミスティがレインに触れた瞬間、きっと一人死ぬ。吹きすさぶ風に、横から前から押し返されそうになりながら、一気に前進能力を形にしてレインへファインが急接近。ミスティがレインに近付く、ファインも別角度から近付く、二人の飛翔軌道の延長線上で、レインが交点になっている。


「あははは、覚悟はいいね……!?」


「ううぅ、っ……!」


 ミスティがファインに目を向けた。真の狙いはレインじゃない、必ずレインを助けようとするであろうファインだ。ファインにもわかる、差し向けられた視線に乗った殺意も、その掌に込められた魔力の矛先も、はっきり自分に向いている。自分からそれに近付きにいくことは、死ににいくのと殆ど変わらない行為。

 決意を何瞬で固められるか。吹き荒れる風の中で、ぎちっと唇を噛んだファインの腹が決まるのと、ミスティが完全に体ごとファインに向いたのが完全に同時だ。二人の距離は、もう飛びつけば届くほどに狭まっている。


隷の黒籠(エスクラヴダークネス)!!」


「ふぐ……っ!?」


 飛びついた、何もせず。闇の魔力を掌に携えたミスティが、それを思いっきりファインにぶつけてきてもお構いなしで。ミスティの魔力がファインに触れた瞬間、彼女を包み込む真っ黒な重力空間の凝縮体となって絡み付き、ファインに吐き気さえ催させるが、それでもファインは止まらない。


「ちょ……!?」


「んっ、く……むぐぅ……っ!」


 仮に火だるまにされることになっても、体をどこかをぶった切られても、構うもんかでミスティに組み付きにかかる。今のファインが目指したことは、単に勝つことでもなく自分を守ることでもなく、レインを守ることだけだ。たとえ相討ちになってでも。

 伸ばした右手でミスティの胴を巻き込むと、そのままぐっと逆の手と結び、しがみついたまま地上へと真っ逆さまに落ちていく。


「は……はな、せっ……!」


 これがミスティにとっては最悪の展開に嵌まった。引力、ひいては重力を司るミスティの闇の魔力に捕われて、本来以上の重力を背負って地面へと引き寄せられるはずのファインにしがみつかれたのだ。ファインも飛べない、自分にのしかかる重力以上の浮力を生み出せない。鉄の塊のような重みを得たファインが、内側がずたずたのミスティの胴にしがみついた効果は絶大で、ミスティも枷をつけられて地上へと引き寄せられる結果に繋がっていく。


 互い死に覚悟で二人まとめて地面にぶつかるつもりだ、こいつは。しがみつかれたお腹の内側に走る、叫びたいほどの痛みを無心でこらえ、ミスティは自分の腹の横にあるファインの髪を掴んだ。強引に引っ張る、顔を自分を見上げるような形に持ってこさせる、逆の手でファインの顎に触れるのが同時。


「っ……このおっ!!」


「え゛ぁ……!?」


 次の瞬間、ファインの顎に触れていた手から発される、風の塊であるそれは、衝撃波のようなインパクトでファインの頭を揺さぶった。男の力で顎を殴り上げるような破壊力の押しに、ファインの意識が一瞬吹っ飛ぶのは当然だ。ミスティの腹にしがみついていたファインの腕から力が抜け、あと僅かで地面に到達するというところ、ミスティが自分に食らいついていた枷をほどくことに成功する。


「ん゛んっ……けっ、は……!」


 それでも背中から地面に叩きつけられたら致命的な局面、なんとか体を回したミスティが両足で着地する。足から響く衝撃が頭まで貫いてきて、ボディに響く甚大なダメージで吐瀉物の出る寸前だ。

 目の前がちかちかする、真っ白になりそう、それでもミスティは顔を上げる。飛べない上に風に振り回されるだけのレインと、重力魔力で捕えて間もなく地面に叩きつけられるであろうファイン、怖いのは後者で、それをすぐさま探している。


「く……! あの、子……!」


 恐れていたことが現実になっている。あれだけのインパクトを顎に叩き込んでやったのに、ぎりぎり気絶せずに堪えたらしく、ファインが掌から発射する長い植物の(つた)が、離れた空中のレインのお腹に巻きついているではないか。当のファインはと言えば、自分の浮遊力や下方からの風にも勝る重力に引っ張られて地面に激突寸前、それでもレインを自分の方向に殆ど引き寄せ済み。


 自分の生み出した竜巻の風に吹き飛ばされぬよう、自身に重力を加えて重心を落として立つミスティと、背中を下にして首をひねったファインの目が合う。今から地面に叩きつけられ、全身ばきばきに骨砕きとなる自分もイメージできているはずのファインの目が、全く死んでいないから恐ろしい。


「お願いぃっ……!」


 レインを引き寄せながら自分の下方の地面から、泥の塊を隆起させたファインの魔術により、地面に対して斜めに突き刺さるはずだったファインの体が、蟻塚のように立ちそびえた泥山に直撃する。確かに弾性はあろう、岩石や地表に叩きつけられるよりましではあろう、緩衝の魔力も施してあろう。それでもその激突は、超重力の加速度を得たファインの肉体に壮絶な反動をもたらし、ぶつかった瞬間にファインの脳裏に、体すべてが粉々に砕けたイメージをもたらした。もはや、痛みより先に、臨死の寒気とえも言えぬ不快感が先立つほど。


 苦痛に悶える声も出ない中、それでもなお胸の前に両掌を突き出したファインが、自分の目の前に岩石の壁を作り出している。レインを自分の胸元に引き寄せる慣性を保って、最後の最後のひと仕事。泥の中に自ら沈み、もう完全に動けなくなったファインの前方、岩石の壁の向こう側に足の裏を着けたレインの姿が確かにある。


「や……ばいっ……!」


「っ……あああああっ!!」


 今までの人生の中で、一番の力を込めてレインが足元を蹴りだした。胸を下、頭はミスティに向けて、その真っ直ぐに飛ぶ彼女の肉体の速度は、まるで音や光を超えたかと思うほど。吹き荒れる風が横殴りに、レインの体を右方向に押し曲げようとしても、速すぎるレインの体は殆ど曲がらない。

 風に吹き飛ばされぬよう、自らの重みを増すよう闇の魔力で地面に留まっていたミスティにとっては、きっとそれが一番の致命傷だった。来るのは見えた、元気な体で自由なら避けられたかもしれない。ほんの少しの弧を描く形で、何もしなければミスティのすぐ左を通過していくであろうはずだったレインが、体を捻って振り抜いた左脚が、ぎりぎりミスティに届く結果から逃れることが出来なかった。


「はぁ゛、ぅ゛……」


 ミスティの胸と腹の間に、鋼のブーツに包まれたレインの(すね)が、横向きギロチンのように殴り抜く結果に繋がった。泥に突っ込み悲鳴も上げられなかったファインと一緒、二度目の致命打を受けたミスティは目をひんむいて、振り抜くレインの脚に押し出されるまま吹き飛ばされる。荒れ狂う風が、激突の瞬間に動きの止まりかけたレインの体を吹き上げ、乱風の一部を追い風のように真正面から受けるミスティが、壁まで吹き飛ばされたのちずるずると崩れ落ちた。


「くっ、う゛……!」


 術者が集中力を失ったことで、竜巻の魔力も急激に萎れ、レインを天井近くまで放り上げた後の暴風が、ふうっと消えていくことにより、レインの体も地面へと引き寄せられていく。実に高い所から落下しながらも、両足を下にして着地することさえ出来ればレインは無事でいられるのだ。痛烈に痺れる足の痛みと、腰を貫く衝撃に涙を溢れさせはしたものの、ぐいっと両掌で地面を押してレインが立ち上がる。


 壁に背をつけたミスティが、顔を伏せたままで座りこんだぬいぐるみのようになって、全く動かない姿は見えた。風もやんでいる、気を失っていると思う。レインが思わず振り返るのは、自分の後方位置で形の崩れた泥の塊。ミスティに勝利を約束するとどめの追い討ちをかけるより、レインにとってはもっと大事なことがその先にある。


 今日、何度お姉ちゃんと叫んだか。ここでも三度その言葉を叫び、泥の塊に駆け寄ったレインが、生き埋めになった家族を救い出すのに必死な手つきで、小さな両手で泥をかきわける。そばにあったはずの、レインが蹴った岩石の壁も、すでに形を失って崩れている。その壁を生成した術者が、もはや生きていないことを表すかのような情景は、レインを落ち着かせてなどくれないのだ。


 泥の中から大好きな人の手が見えた瞬間、叫ぶ言葉も絶えさせてレインが手首を握って引っ張った。泥は厚くなく、その向こう側に埋まったファインの体は、踏ん張る脚力の強いレインの力で、そう難しくなく引き上げられることになった。目の閉じたその顔が、泥まみれで出てきたことでようやくの再会を果たしたレインだが、引き上げられはしたものの首をかくりと後方に傾けたファインの姿は、いよいよ最悪をレインに覚悟させたものだ。


 言葉にならない震え声を漏らし、ファインの顔の横に膝をついたレインが、揺さぶろうとしてファインの両肩を握ろうとした時のこと。ふるふるとファインの目が震え、脱力しきった腕をかろうじて動かすと、まぶたの上に残っていた泥を拭って、ゆっくりと目を開けてくれた。この瞬間、レインの心にもたらされた安堵感は、もはや幼い子供がそれだけで涙目になるほど大きい。


「だ……」


「お……お姉、ちゃ……」


 ずり、ずりとお尻を後ろにずらし、自分の頭の上で山盛りになっている泥を枕代わりにするようにして、少し上体が起きたような姿勢になるファイン。そうでもしなきゃ、体を起こす力も残っていないのだろう。地面を押す肘にも殆ど力が入っていないが、目線をうつろわせて目の前のレインと、遠くで倒れたミスティの姿を確認すると、実にまあ疲れ果てた笑顔を必死で作るのである。


「大丈夫、です……っ♪」


 死んだりしてないから、そんな顔しないで。そう笑うファインを見てほっとするあまり、レインは今すぐにでも、ファインに抱きついて泣きだしたかった。そうしなかったのは、今がそうしていられる時間じゃないって、頭で理解しているからだ。

 どうしようもなく溢れてしまった涙をぐしぐしと拭い、立ち上がってぐるりと遠方を見据えるレイン。その目線の先には、倒れたままのミスティがいる。


「ま、待って、レインちゃん……! 少し……少しだけ、動かないで……!」


「お姉ちゃん、でも……!」


「い、今はまだ……お願い、言うこと聞いて……!」


 レインの挙動に、倒れたミスティに今すぐにでも飛びかかって完全にとどめを刺す彼女を、ファインは想像してしまったのだろう。二つの意味でそれを思わしくないと感じたファインが、必死で声を絞り出してレインを引き止める。


 幼いレインに殺生めいたことをさせたくないと、心の片隅で思うのはファインの甘さ。一方で、本当に気を失っているのかわからないミスティに、隙ありそうと見て愚直に突っ込むことは危ういと見定める、そうしたファインの用心深さもまた本音。つくづく容赦なく自分を攻め立ててきたミスティを知っていれば知っているほどに、死んだふりさえ作戦に組み込み得るミスティを警戒しなければ浅慮である。


「う゛……ふ、ふ、ふ……」


 ほらやっぱり、とさえ思えるほどの出来事がすぐ後に続くから、世の中用心してし過ぎることは無いというものである。背筋をぞわりとさせてミスティを見つめる目を鋭くするレインも、まだ来られたらもう無理というコンディションのファインも、敵が気絶していない事実だけで心臓が痛くなる。

 それでもやはり、じっとしているわけにはいかない。ファインは魔力全部を投じてもいい覚悟で、自分の両脚に治癒の魔力をかき集めた。とりあえずでもいい、お願いだから歩けるようになってとばかりにだ。上半身の痛みや軋み、そんなものは全部ほったらかしにして、ぐぐっと震えながら立ち上がる自分を作り上げる。


「お姉ちゃん……!」


「だ、大丈夫ですよ……まだ、戦えます……!」


 大嘘。震えながら立ち上がって歩ける脚だけ作ったはいいものの、目の前はぐにゃぐにゃに歪んだような様相で、だらりと両肩から垂れ下がった二本の腕は、実はもう持ち上げられる力もない。練り上げることが可能な魔力もすっからかんで、戦闘用に術の行使なんて出来る状態ではないのだ。はっきり言って、ミスティの闇の魔力で、術の行使を封じられていた時の彼女と、状態で言えば殆ど変わっていない。


 完全に治りきっていない左脚を頼りに、まだ駄目なほぼ右脚を引きずるようにして、ファインがミスティに歩み寄る。こんなお姉ちゃんに前を歩かせられないレインも、びくびくしながらファインの少し前を歩いてミスティへと近付いていく。変な動きをミスティが見せたら、すぐにでも飛びかかることが出来る歩き方をしている。


 ファインの足が、ミスティにあと5歩で触れられるというところで止まる。その一歩前にレイン。顔を伏せたまま、くつくつと笑うように頭を縦に揺らすミスティの、歪んで吊り上がる口の端だけが二人に見えている。


「うぶ……っ!」


「ひ……!?」


 思わず、レインも一歩退がってファインと横並びになる。ファインも、不意打ちめいた一撃がミスティから飛んできたら、自分を盾にしてレインを守ろうと決意していた目が、ぞっとするものを見た瞳に変わってしまう。口の中にいっぱい溜まった、真っ赤な血の塊をべあっと吐き出したミスティにより、力無く投げ出されたように伸ばした彼女の太ももが、血の塊を浴びて広々と紅く染まったのだ。


「ま……負けちゃった、かぁ……」


 かくりと首を振り上げて、後頭部を壁に預けるような形で天井を仰ぐミスティは、口の下を吐いた血の跡でべっとりとさせながら、はぁはぁとかすれた呼吸を繰り返す。直感的に、ファインにはわかった。深手のふりしてまだ戦える、という顔ではなく、もはや致命的なダメージを受けて、戦闘不能に陥った者の顔だって。血に濡れた顔の一部とは真逆、蒼さを通り越して白くさえなったミスティの顔全体の血色から、きっと今のミスティの目に、鮮明な世界は見えていないだろう。


「ファイン、ちゃん……殺し、なよ……わたしのこと……」


「…………」


「生きてて、も……つまんないんだ、もん……」


 壁に叩きつけられるよりも、胸を殴られるよりも、何倍もファインの胸の奥がずきりと痛む言葉だ。ミスティを打ち破ること、それは彼女にオゾンの魂を獲得させるのを阻止することであり、つまりは革命成就を食い止めることとほぼ同義。ファインがミスティに打ち勝ったことで、ミスティが目指した革命への道は絶え、革命が為されず何も変わらない世界で生きることなんて、希望もくそもないとミスティは言っている。


 今が苦しいからいっそ一思いに、ではない。向こう何十年生きても希望などないから、もう生きているのが嫌だとミスティは言っている。目の前の苦しみから逃れるために自殺を考える者は、まだ踏み止まることが出来ることもあろう。希望無きまま変わらぬ未来を予想し、絶望した時に抱く自殺願望は、それ以上に迷いを無くさせる。未来に希望が持てず、クライメントシティの侵攻に加担した闘士達がそうだったように。


「やって、くれないかなぁ……自分でやるの、怖いしさ……」


 敗北し、憔悴し、意気消沈したミスティの瞳を向けられるファインに、答えを導き出すことは出来なかった。すっからかんの魔力とはいえ、ミスティの胸を貫く氷のひとつぐらいは作れるだろうし、出来ないと答えることは嘘っぱちだ。受け入れるか、拒むかの選択肢しかファインには無い。


「で……出来ない、よぅ……」


「あはは……そう、だよねぇ……あなたっ、そういう人……っ!」


 そこまで言って、またもせり上がってきた嘔吐感に口を膨らませたミスティが、ごぶっと口の中に血を含む。量は先ほどに劣るものの、がくっと首を振り下ろし、開いた自らの股に血を吐き出すミスティは、呼吸のしやすくなった空っぽの口で、ふぅふぅと消えそうな息を吸って吐く。


「へぁぅ、っ……自分の、手は……汚したくないんだねぇ……」


「だ、だって……だってえっ……!」


「やらなくたって、あなたは人殺し、だよっ……! 私達の希望を、ぶち壊す……夢、殺しの……!」


 ファインの顔を見上げてそこまで言い、ううぅとうなるような声を漏らすミスティは、滅茶苦茶になった体の内側に悶絶して言葉を途切れさせる。唇を絞り、恨めしくファインを睨み付ける眼差しに、ファインはそれだけで一歩退がってしまうし、身構えたままのレインもどうすればいいのかわからない。




「ぜったい……バチが、当たるんだから……」




 まさに、その時だ。これだけは絶対に言ってやるとばかりに、限界の口を動かしてまでミスティが呪詛を吐いた瞬間、大きな揺れが地面を上下させた。それこそファインとレインの体も浮き、体を支える力に乏しかったファインが両膝から崩れたほどにだ。


 なんとか体勢を崩さずに済んだレインがファインを振り向くが、ファインも顔を上げてミスティを凝視する。今の地震は目の前のミスティの起こしたものか、いやそうじゃない。僅かに感じた魔力の波動感からも、震源地はこんな場所ではなかったし、自然発生した地震じゃないことも確信できる。ここから感じ取ることが出来る事実は、ミスティ以外の何者かが放つ魔力が、大地を揺るがすほどの魔力を発したということしかない。


「あ、あ~……あぁ~、そうか……」


 今の揺れでも体に響くミスティは、殆ど光の失いかけた目でうつろに天井を見上げている。皮肉めいた笑みを浮かべ、ファインに殺してと言っていた表情ではなく、救いをもたらしてくれる神様を見上げて感謝するような表情だ。


「あはっ……あは、はは……ファイン、ちゃん……」


 名を呼ばれ、ミスティから目を離せなくなる。天井を見上げるミスティを、四つん這いの姿で正面から見るファインには、へらへらと力なく笑うミスティの口元しか見えない。


「苦しんじゃえ……今度は、あなたが地獄に落ちる番だよ……」


 ずるりと背中を壁に沿わせ、ミスティが横倒れになって、動かなくなった。息はしている、目を開いたまま、されどその目に光無し。目の前で、今しがたまで戦っていた者が死体となったかのような光景は、ファインに、とうとう人殺しをやってしまったかのような実感を覚えさせる。きゅうっと心臓が凍ったような感覚とともに、ファインが息も出来なくなりそうになるのはそのせいだ。


「お、お姉ちゃん……お姉ちゃん……!?」


 まばたき一つできず、小さく開いたままの口もそのままに。レインがファインの肩に触れて名を読んでも、反応ひとつしないファインは、周りに聞こえないようなほどの呼吸を繰り返すことで精一杯だった。


 人殺し。そう自分を称したミスティの言葉のエコーだけが、ファインの脳裏に何度も響いていた。

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