第225話 ~なぶり殺し~
「ねぇ~、何倒れようとしてんの? まだ寝ちゃダメだって言ってるでしょ~?」
「うっ……ぁっ……」
風の魔力でファインを包み、浮力をもたらすミスティの力が、ファイン本来の体重をほぼ失わせている。痛めつけられた脚に、立つための力が入らないファインだというのに、その手首を掴んで引っ張り上げるミスティが、今のファインにダウンすら許ない。
「ほら、ちゃんと立って? しっかりして?」
ぐったりと力を失ったファインの脚に、喝を入れているんだよとでもいうのか、横から何度もミスティが蹴ってくる。スカートの下で太ももが青くなるほど、痛烈な蹴りを何度も叩き込まれるファインは、蹴られるたびにあっ、あっと裏返った声を発するが、もはや疲弊しきっているのか激痛に喘ぐ声すら小さい。
「そんなに立つの、難しい? じゃ、ほらこっち来て……えいやっ♪」
ぐいぐいとファインを引っぱって壁のそばまで近づくと、ミスティは平たい石の壁にファインの体を投げつけた。まるで、遊び飽きた人形を子供が乱暴に捨てるかのようにだ。背中から叩きつけられたファインが、壁から離れた拍子に膝から崩れ、胸を打ちつけて地面に倒れるのも、自由落下に近いほど力ない速度である。
「う……ぅ……」
「ほら、見せて見せて。無様なあなたの泣き顔」
「はぁ゛ぅ……っ!?」
ファインのツインテールを、彼女の後頭部すぐの場所で、二本纏めて右手で握り締めたミスティが、うつ伏せに倒れた彼女の頭を引っ張り上げる。髪を引かれる痛み以上に、背中を膝の踏まれた上で首から上を反らされる苦しみが、ファインの背骨を軋ませる。溺れる少女が水をかくように、ひっかく力も失った指先でファインが地面をざりざり撫で回す。
「ねぇねぇ、ホント今どんな気分? どんな気分なの?」
「ぁっ……かっ……」
「何とかできるとでも思ってた? 勇敢な自分に酔ってた? 成功する自分のことでも妄想してた? 何このザマ? ねぇねぇねぇ、なんとか言ったらどう?」
えび反りにされて息も出来ない中で返事を求めるミスティの言葉には、敗者のファインを容赦なく打ちのめす意図しか込められていない。くちをはくはくさせ、意識を失う寸前のファインを、体だけでなく心まで傷だらけにする暴言の数々を、ミスティは本当に楽しそうに口にする。
「お返事もできないの~? だったらそんな口、塞いじゃってもいいかもねぇ」
「う゛……!?」
地面を撫でて、砂だらけにした左手の指先を、ファインの口の中にミスティが突っ込んでくる。意識が遠のいていたところに、目を覚ますようなことをしてくるのだ。それに伴ってツインテールを握っていたミスティの力が抜け、呼吸を妨げる背骨攻めは終わったが、ぐいっと力任せに仰向けにされたあと、ファインの口の中に入れた指先を、ミスティが乱暴に暴れさせる攻め立てが続く。
「あっ、がっ……えぁ゛……!」
「なぁんだ、喋れるじゃん。なんでさっきはなんにも答えてくれなかったの?」
中指と人差し指の第二関節でファインの舌を挟んだり、その指を伸ばして喉の奥まで触ってきたり。嘔吐感を覚えながらも、ミスティの手首を両手で握るファインが抵抗しようとするが、弱った体じゃ抗う力も出せない。小指と親指で頬の内側に、砂を塗りたくってくるミスティの指使いにも、耐えられないほどの不快感でファインは目を開けられずにいる。脚が動くなら、無我夢中でばたばたさせていたであろうほど苦しい。
「あ~汚い。ほら、綺麗にして? あなたのだよ?」
ファインの口から指を引き抜くと、汚れちゃったとばかりにその指を、ファインの服をハンカチ代わりにでもするかのように拭き始める。ファインの首元、言うなれば襟にあたる部分でそうしていたミスティだが、3秒そうし続けた後、指を曲げてファインの襟をぐっと掴むと、一気に乱暴に下へと引っ張ってしまう。
「あっ、ごめ~ん。破いちゃった♪」
はっはっとか細い呼吸を繰り返し、仰向けに倒れたファインの旅着が、縦に無残に引き裂かれた。旅着の下で、胸元だけを隠している白の薄いインナーウェアがあらわになっても、羞恥心の強いはずのファインがその事実すら認識できないほど意識を白ませている。
おやおや、恥ずかしくないんだ? なんて口にしながら、縦に裂かれた旅着の破き目を両手で掴んだミスティは、着物を引っ剥がすかのようにそれを横に引きちぎった。クラウド達の見慣れたファインの旅着の上半分が、右半分だけを残して引き剥がされる。だらりと地面に力を失って接する、ファインの細い右腕も哀しく晒される。
「片方だけじゃバランス悪いよね。お掃除、お掃除」
この時、ようやく自分がどんな姿になったのか認識できたのか、ファインが両の太ももをもじもじとすり合わせる仕草が生まれた。ミスティは容赦しない。もう半分の肌着も乱暴に引き裂いて、ファインの上半身を裸に近付ける。胸だけを隠す、薄いインナーウェアだけがファインの上半身に纏う唯一の衣服になり、へそも丸出しになったファインのお腹に、ミスティがのしっとお尻を乗せてくる。
「むぅ~、私と違っていい育ち方してるなぁ……な~んか不公平……おやっ?」
雨が沁み込んで濡れているインナーウェア越しに、ファインの胸の形をはっきり見て取れるミスティが、自分の胸にぽんぽん手を当ててふくれっ面。そんなミスティがふと気付けば、いつの間にか両腕で顔を覆ったファインがぷるぷると震えている。あまりの辱めに、とうとう我慢できなくなった戦う女の子の心が砕けた姿には、ミスティもくふっと小声を漏らして笑った。
「隠さないでよ~。どんな顔して泣いてるの?」
「うぅ~っ……う~っ……!」
容赦なくファインの手首を握って、顔を隠す最後の守りも引き剥がしたミスティの前、顔を逸らしたファインの目は完全に折れていた。鼻をすすって、嗚咽を漏らし、見ないでって言葉にせぬまま訴える一人の少女を前に、ミスティは優越感に満ちた目を作って蔑むように見下す。それが、よりファインに効くと知っているからだ。
「こんな目に遭うのもぜ~んぶあなたのせい。あなたが勝手に私達の邪魔をしに来たの。それで、負けただけ。何をされてもあなたに拒否する権利なんか無いので~っす」
「ひぅっ……ううぅ……」
「反省しましたか~?」
立ち上がるミスティはファインの手首を握ったままで、彼女の両手を頭の上に引き上げ、彼女の体全体を吊り下げるような形にする。縄のようにぴんと張ったファインの腕は曲がらず、ミスティが一番高い所まで握った手首を持ち上げても、ファインの顔の位置はミスティより低い。
力の入らない脚はだらりと内股に脱力し、今やファインは鞭で打たれた吊り囚人のような有り様でむせび泣いている。年端も行かない少女の心を守る、衣服すらも剥ぎ取られた残酷な有り様だ。
「……これ以上、私達の邪魔、しない?」
顔を上げることも出来ないファインを見下ろし、やや重い声でミスティは言い放つ。返事のないファインの頬を、手の甲で弱く二度叩き、自分の言葉を聞いているのか確かめる。
「ねえ、どうなの。あなたまだ、私達の邪魔したい?」
親指と人差し指で、ファインの顎をくいっと持ち上げるミスティが、泣きじゃくる息遣いでひぐひぐ言うファインの顔を自分に向き合わせる。涙でいっぱいのファインの瞳には、ほぼ無表情のミスティが映っている。
「答えなよ」
「うくっ……うううっ……!」
うなずくことも、首を振ることもしない。無抵抗で吊り下げられるファインの目だけが、明確にミスティに返答を叶えている。この期に及んでまだ、後悔だとか、反省だとか、そんな目の色をしていない。それどころか、問いに対して反発するように、子供が親に泣きながら反発する表情がそこにある。
「……あ~、そう。そうですか」
今までで一番強く、ミスティがファインの右膝を前から蹴り押した。折れたかと思うような一撃に、ファインの下半身全体が後方に揺れ、同時に手を離したミスティによって解放された全身は、胸と顔から勢いよく地面へと崩れ落ちる。顔は守ったが胸を打ちつけたファインが、両手で胸を押さえて悶絶するが、そんな彼女のすぐそばでしゃがむミスティは、無表情を通り越して冷めきったような眼。
「これだけひどい目に遭わされても、あなたは私達への反抗心を失えないんだ?」
「いぁ゛っ……!?」
うずくまるファインの髪を掴んで、頭をぐいっと引き上げたかと思えば、ミスティの痛烈な平手打ちがファインの頬を捉えた。顔を殴られることが、女の子にとってどれだけショックであるかなんて、ミスティだってよくわかっているだろう。地面に倒れて頬の痛みに、凍った心でふるふる震えるファインの目には、もはや光も失われている。
「まぁ確かに、カラザ様も言ってたね。混血児は苦痛に慣れてるって。あなたはどれだけ痛めつけてあげても、心が折れるタイプじゃないみたいだねぇ」
迫害されて当然だったファインやミスティは、罵声や痛みに対する耐性が哀しくも強いところがある。自覚と言っていい部分かはさておき、ミスティだって育ちのせいもあり、ファインが痛みに強いことは想像に難くない。ここまでだとは思っていなかったが。
「ま、いいよいいよ。だいたいわかったしね、あなたが何に弱いかは」
いたぶり続けたしばらくで、何がファインに効いて、泣かせるまで至ったのかをミスティはより明確に見定めていた。今、顔をひっぱたいたのもその結論の一つだ。呆然とするファインの髪をまた握り、彼女に仰向けを強制すると、細く纏まったファインの太ももを股の下に立ち、舌なめずりをする。
そして、ファインの下半身を覆っているスカートの一番上の部分、へその下の端に手をかけるのだ。血の気が引くミスティの行為に、ファインは慌ててミスティの両手首を握りにいくが、掴んだだけで握力のこもっていないその手では、何をされてもミスティを止めることなど出来ない。
「イヤ?」
「や……やめ……やめ、てぇ……っ!」
「んふふふ、イヤでしょ~。あなた、こういうの一番イヤそうだよねぇ?」
希望を捨てての半生をここまで来たミスティとは違い、ファインは無垢な心を失わずにここまで育ってきた。女の子としての自分の体を、とても大事にしてきたのだ。最初の口付けや、それ以上の初めても、大好きな人に捧げるのが普通の理想であって、そうした未来への希望をファインは捨てきっていない。まして、最近誰かへの恋心を募らせている自覚を得たことが、ミスティの想定以上にファインの乙女心を大きく培っている。
顔を傷つけられること、肌を晒すこと。単に壮絶な痛みを味わわされるよりも、数倍ファインの心を深く傷つけるのはそれだと確信したミスティは、ファインのスカートを握り締めたまま、ぐっと両手を左右に開いた。
「あははは~、かわいいねぇファインちゃん。綺麗な脚だよ」
「あっ……あぅぁ……」
スカートを左右に引き裂かれたファインの、お尻とその前を包む三角形の白い下着があらわになって、それが今度こそファインの心を完全に打ち砕いた。そう簡単に、人に見せてはいけない場所。日に焼けることのない、真っ白なファインの細い脚を褒めるミスティだが、苦痛で蒼ざめていた顔を真っ赤にして、ぼろぼろと涙を流して震えるファインは、もう何も考えられない頭になっている。
「うふふ、すべすべ♪ ほんと、羨ましくなっちゃうぐらいのカラダしてるよねぇ」
「やぁっ……いやぁっ……」
ファインの右足の上に座って、左脚を持ち上げて、太ももに頬をすり寄せるミスティの行為が、ファインに強い嫌悪感を与えると同時に、羞恥の拷問でファインの心をずたずたにする。薄いもの一枚で覆っただけの股を開いた姿勢を強要させられていることが、15歳の女の子にとってどれだけ屈辱的で、耐え難いことであるかわかっているから、ミスティはそうやってファインを責め嬲っている。
「さーてと、次はですねぇ」
「ひ!?」
顔を両腕で隠してむせび泣いていたファインも、ミスティが手を伸ばしてきて、胸を覆うアンダーウェアを掴んできた瞬間、目が覚めたようにその腕を下げる。勢いよく降ろした腕が、ミスティの手首を殴りつける結果になるが、いたたと手首を軽く振った後、ミスティは胸を腕で隠すファインの襟元に手をかける。
「やめて……やめてえぇっ……」
「んふふふふ……やめて欲しい?」
「お願い……ゆる、してえっ……」
胸を隠す最後の要塞を、ぎゅうっと押さえて懇願するファインと裏腹、ミスティはぐぐぐとゆっくり襟元を引っ張り、それを引き千切ろうとする動きを徐々に形にする。ほら破れちゃうよ、あなたもう裸になっちゃうよと、行動だけでファインを追い詰めている。やだやだとファインが泣きながら首を振っても、ミスティの手は止まらない。
「あはははは! 今さら許して貰えるとでも思ってるんだ!?」
「やだあっ……やだあっ……!」
「あなたどれだけ私達の邪魔してきたの!? 虐げられる苦しみから逃れようと、命懸けで頑張ってきた私達のこと、どれだけ邪魔してきた!? 私があなたを許してあげるとでも思ってるの!? あはははっ、ねぇねぇねぇっ!」
狂ったような表情で笑い、襟を掴まぬ方の手で、ミスティはファインの右頬を叩き、切り返す手で左の頬を叩き、往復する形で何度も何度も顔を叩いてくる。一撃一撃が、ファインにとっては痛み以上につらい。腫れる頬の痛みは女としてのファインの心を著しく傷つけ、既に再起不能同然のファインの精神が底なしに沈められていく。
「ぁっ……ぁっ……」
「言ったでしょ? 心も体もずたずたにしてあげるって。あなたから、心底私達に立ち向かったことを後悔する言葉と顔を引きずり出さなきゃ私は気が済まないの。で、あなたはどんなに痛めつけても心折れてくれないでしょ? だったらさ、もう私やるとこまでやっちゃうよって話」
ファインの顔を叩く中でお留守になっていた、襟を掴む手に再び力を握り込んだミスティが、ファインの胸を隠す一枚を剥ぐ引きを再開する。もうひと引きで、耐えられなくなった布が破けて、初めての人にしか見せたくないであろうはずのファインの胸元が、白日の下にさらけ出されようというところ。
「謝ったり悔いたりするのは最後でいいよ。全部やってから、改めて聞くからさ」
「ぃ……ゃ……やめ、て……」
「残念でした、やめま……」
かがむような姿勢でファインを見下していたミスティが、最後の力を一気に込めようとした瞬間のことだ。その存在は、ミスティからされる仕打ちを恐れるばかりのファインは勿論、彼女を見据えていたミスティの意識にも留まる暇なく、途轍もない速度で二人だけの世界に飛来していた。
決して、ミスティは接近する脅威に鈍感な方ではない。ただ、速すぎた。突如現れた殺気にも近い、濃厚な覇気の接近に気付いたのは事実だが、構えるより早く、対策を得たのと同時、それはもうミスティに触れるところまで到達していたのだ。
「はぐぁ゛……っ!?」
鋼のブーツが側面方向から、ミスティの脇腹に突き刺さって、彼女のお腹の中身をべきべきと粉砕する。防具の一枚も身につけず、動きやすさを優先した薄い一枚の服だけで体を包む女の子に、これは致命的な一撃だ。その殺人的なパワーはミスティの肉体を破壊するだけに留まらず、彼女を一気に押し出して吹き飛ばし、この広い神殿内の空間で、遠く離れた壁まで激突させる結果を生む。
「お姉ちゃん!!」
ミスティを蹴飛ばしてくるりと身を回した彼女は、着地と同時に横に倒れたファインを見下ろして叫んでいた。何が起こったかわからないファインも、その声の主が誰なのかはわかったし、ミスティが一瞬の間に消えると同時、声の主を見上げたところにある顔を見て、ようやく状況が急変したことを認知する。
「れ……レイン、ちゃん……」
「大丈夫……!? お姉ちゃん、お姉ちゃん……!」
見るからに大丈夫じゃなくたって、大丈夫ですよって答えてくれるファインを切望するから、あり得ない問いもしてしまう。非力な腕でファインを抱き起こそうとし、渾身の力でそうしようとしていることが、眉間に皺を寄せる表情からも明らか。それだけ、ファインのことを案じてやまないのだ。
「レインちゃん……レインちゃぁんっ……」
抱き起こしてくれたレインの胸に顔をうずめ、ふるふる震えて泣きむせぶファインの姿は、レインの心も同じだけ傷つける。この有り様を見て、どれだけファインがつらい目に遭ってきたかを、ちょっとでも想像できなかったらおかしい。
上半身は裸の一歩手前、下半身だって引き裂かれたスカートで膝より下だけを隠せた状態で、人前に出られるような状態じゃない。こんなに打ちのめされて、レインにすがりついて泣くファインの姿は、ずっと彼女を頼りに生きてきたレインにとってはショックですらある。
革命軍に連れ去られたレインに、少なからず良くしてくれたミスティに対しては、レインもいくらか悪くない思い出を持つ方だ。それでも、離れた場所で壁面に背中をつけたまま崩れ落ち、ぐったりとしているミスティを、レインは睨みつけずにいられなかった。ファインをここまでにしたミスティに対する怒りは、幾許かの恩を打ち消すほど強いのだ。
「……お姉ちゃん」
「っ……ううぅっ……」
かける言葉が見つからない顔で、胸元のファインを見下ろしたレインだが、不意に泣き声を途絶えさせたファインが、ぎゅうっと額でレインの胸を押す。離れてくれて大丈夫、という合図なのだろうか。信じて、恐る恐るだがその手から力を抜くレインだが、ファインは両手を地面につき、倒れない姿で顔を伏せている。
ファインが首を振る。鼻をすすり、片腕で目を拭ってだ。弱りきった心を持ち直そうとしているのがわかる一方で、ようやく顔を上げてレインを見上げたファインの表情は、光を取り戻しきっていない。やつれたような笑顔をかろうじて作って、まだまだ溢れる涙で目尻を濡らすファインの顔は、駆けつけてくれたレインの存在に依存して、やっと人なりの表情に戻れた程度のものである。
「ありがとぅ……たすけて、くれてぇっ……」
「…………っ!」
力になれた、それを喜ぶ以上に沸いてくる怒り。素早く首を回し、再び遠くのミスティを睨み付けるレインの横顔は、ファインにとっては初めて見るものだ。拗ねることはあったって、ここまでレインが怒るのは、きっと彼女の人生においても初めてのことだろう。実の姉を人質に取られた時も、怒り以上に絶望感で泣いていた少女は、恩人を守るために力を果たすべきこの時、迷わぬ闘志と憤慨を胸にミスティを見据えている。
知ってる、ミスティの強さは。自慢の脚での不意打ちでも、一撃必殺で仕留められる相手じゃない。
「あ゛~、効いた効いたぁ……」
壁に背をもたれさせ、体をくの字にして座りこむようにしていたミスティが、その姿勢のまま小さく声を漏らした。思わずファインもミスティの方を向いた時、彼女の肉体を魔力が巡っていることを理解できた。あれは戦闘時、緊急時に傷を癒し、仮にでも継戦能力を保とうとする時の、応急治癒の魔力の巡りだということまで見て取れる。
地面に手をかけ、よろりと立ち上がるミスティだが、背筋を伸ばせず蹴られた脇腹を手で庇い、背中を丸めずにいられないようだ。普通はその一発で、内臓破裂して即死していてもおかしくないインパクトだったのである。激突の瞬間に咄嗟の防御を、魔力を纏って行使したミスティの手腕は見事だが、それでも勝る破壊力に砕かれたお腹の骨は、応急処置で繋げられる程度の軽傷ではあるまい。全身を震えさせるミスティの伏せた顔が、苦悶に満ちていることは想像に難くない。
そんな当たり前の想定を覆すかの如く、ゆらりと顔を上げてレインを見据えるミスティの表情は、想像以上に恐ろしいものだった。笑っていたのだ。これ以上無理なほど見開いた目と、裂けそうなほど左右に広げた口の端から舌を出して笑う表情は、痛みのあまりに頭のおかしくなった狂人を思わせるもの。
それを目にしてレインとファインの背筋が凍るのは、彼女が自分達の敵であるという現実が重すぎるからだ。これと戦わなくてはならないって、それだけでどれほどぞっとするだろう。
「ひ~っどいなぁ~、レインちゃ~ん……本気で私のこと、殺すつもりで来たでしょお~……」
かくん、かくんと左右に首を振り、そう言い放ってくるミスティの姿に、思わずファインは魔力を練り上げていた。自分の内に潜り込んだ闇の魔力が、いくら魔力を生み出しても吸収してしまうのはわかっている。体内に居座るそれを打ち消すには、それが許容できる量を超えるほどの魔力を与え、飽和消滅させる他にない。
ミスティが来る。きっと、自分と、レインを殺すつもりで。早く戦える状態にならなきゃと、焦るファインが生み出す魔力は、急速に彼女の中の闇の魔力をしぼませていく。それほど早く、多量の魔力を生み出せるのは、守るべきものが自分だけでなく、レインもそうだと増えたことに無関係ではない。
「お姉ちゃん、安心して……! 私が絶対、守ってみせるから……!」
「レインちゃ……」
「あははははぁ……生意気すぎ……! しばらく優しくしてあげてたけど、そのせいで舐められちゃったのかなぁ……!?」
腰を沈めて構えるレインの向こう側で、濃厚に練り上げられるミスティの魔力がやば過ぎる。自分との戦いの中で、いかにミスティが本気でなかったのか、やっとわかるというものだ。怒りと憎悪を源泉とし、純然たる殺意という精神力から魔力を生み出すミスティという少女は、きっとファインが見てきたどんな術士よりもその高い魔力の色が濃い。
セシュレスよりも、スノウよりも、下手をすればもしかするとカラザよりも。魔力によって行使する魔術の精密性や使い方、破壊力では先人より劣れど、きっとミスティの精神が練り上げる魔力とは、概念的ではあれど他の誰よりも濃度で勝っている。それは魔力の使い方を最高峰まで極めれば、世界最強の術士になれるというのと同義である。
天才は存在する。ファイン達にとっての最大の不運は、それが味方でなかったことだ。
「いいよ、レインちゃん……! 私の怖さ、忘れたなら思い出させてあげる……!」
「っ……!」
脇腹を庇うようにしていた腕も含めて左右に開いたミスティが、上に向けた掌から蒼い火の玉を生み出し始めた。レインも身構える。油断も隙も無くなったミスティに、再び一撃くらわせて、最愛のお姉ちゃんを助けるという使命を、過去最強の敵を前にして再び胸中に構え直す。負けられないのだ。
がたがたと震えそうな体をぐっとこらえ、ファインは魔力を練り上げ続けていた。脚は動かない、体全体で言っても力が入らない部分が殆ど。それでも魔術さえ使えれば。レインがミスティに殺されてしまう未来を免れるべく、消えろ消えろと自分の中に内在する闇の魔力を圧縮する。
消えきらぬ闇の魔力、地を蹴りミスティに迫るレイン、十にも届いた数の蒼い火の玉を目の前に群がらせて壁を作るミスティ。始まってしまった。動けぬ、何もできぬファインは無力感に打ちひしがれ、それでも諦めずに祈り続けることしか出来なかった。




