第22話 ~旅の目的~
「クラウドは、タクスの都に行くつもりなんだっけ?」
「ああ。あそこの闘技場で、この腕がどれぐらい通用するのか試してみたい」
管理者のいない野良小屋は、雨漏りもそこそこ。雨漏りはこちらで防いで下さい、と置かれたバケツだとか、掃除したけりゃどうぞという感じに置かれた箒しかあらず、布団や寝袋など、カビが生えかねない寝具は置いてない。本当に屋根としてのはたらきしかしない野良小屋の中を、30分ほどかけて綺麗にしてくつろぐ3人は、寝る前のお喋りを楽しんでいる。話を回すのはやはりサニーで、応えるクラウドと、話を聞くだけでも満足のファインという3人の図式が、今日のところは一貫されている。
「元々イクリムの町にいたのは、運び屋していくらか貯金を積むだけが目的だったんだし、どうせいつかは都に行って、そういう仕事見つけようかなって思ってたんだよ」
「喧嘩商売かぁ。クラウドっておとなしそうだから、なんか意外」
「というか、それ以外にちゃんと稼げる仕事見つけられそうになくてさ。俺、喧嘩には自信あるけど、他に自分に合った仕事とか思いつかないんだよ」
戦いの腕を活かして生計を立てるとすれば、職種としては傭兵だとか、どこかの国の兵士あたりが適切か。しかし、傭兵稼業というのは不安定な職だし、兵士業というのも地人のクラウドには肩身の狭い話である。兵士というのは公務員みたいなものだが、天人がやるのと地人がやるのでは手取りが全然違うから。となると、一見野蛮でも結果さえ出せれば一攫千金も夢ではない闘技場というのは、収入を夢見るには悪くない職場とも言えよう。
付け加えるならば、闘技場という文化はこの世界において限られた、天人と地人の差が少ない世界だ。ファイトマネーうんぬんでは多少の差別はくらうかもしれないが、戦いの場においては天人相手でも気を遣う必要が全くないので、バトルフィールドにおいては差別概念を超越して力を発揮しやすい。闘技場も所詮は観衆ありの舞台、手加減だとか身分違いの接待などあっては、客も観ていて面白くないから離れてしまうため、闘技場自体が儲からなくなる。舞台に上がれば容赦なしが推奨される世界、そこにに温室育ちの天人が参入を望むケースも少ないため、リスクはあるも地人にとっては働きやすい職場という側面もある。
「まあ、あとはどれぐらい俺の腕が通じるかだけどな」
寝る前にはずした手甲や肘当て、膝当てをちらっと見て、未知の戦場への展望をクラウドが思い描く。ファインやサニーの目線から見ても強かったクラウド、それが闘技場という強者ひしめく世界に参じた時、それはどこまで通用するのかはわからない。それに対して最も気がかりなのはクラウドであろうが、彼の眼差しは不安よりも自信に満ちている。前向きな目で先を思い描く彼の成功を、近く知り合ったばかりの二人もちょっと祈ってしまうぐらいには、クラウドの姿は純真かつ希望に満ちていた。
「そういえば、二人は? 旅をしてるみたいだけど、何か目的があって旅してるんだろ?」
「あー……まあ、クラウドになら話してもいいかな?」
確かめるように問うサニーだが、ファインはふんわり笑って応じる。旅の目的を話せば、本来いくつかの不都合が生じるのだが、クラウドはファインの素性を知っているし、何も困るまい。続きを話すのは、ファイン本人だ。
「私は、お母さんに会うための旅をしているんです」
「私は付き添い。まあ、故郷にいても退屈するだけだったしね」
ファインと一緒の方が楽しいし、とばかりにファインに肩をすり寄せるサニーの行動は、隙あらばスキンシップを望む彼女らしいものだ。が、あまり体を押し付けず、触れ合う程度のこのスキンシップであれば、ファインもあまり嫌な顔をせず、微笑み返してくれるものだ。このぐらいの節度を常に貫くのなら、色んな意味で丁度よさそう。
「母親探し、か。手がかりはあるのか?」
「ええ、まあ……お母さんの名前は、スノウっていうんですけど」
ちょっとクラウドの目の色が変わった。その名前には、あまりにも有名な心当たりがある。
「……スノウって、天界聖女のスノウ様のことじゃないよな?」
「えーと……その人です」
天人が地人を支配する歴史は、千年前に天人が地人を打ち負かした天地大戦の決着時より、永く続いてきたことだ。しかし千年もの時があれば、そんな時代を変えるべく、地人の集まりが天人の王朝に攻め込んだ過去もある。しかしいずれも、磐石なる支配体制を完成させた天人を脅かしきるには至らず、いつの時代も天人側が勝利してきた。だから現代においても、天人による地人の支配は継続されている。
しかし十年ほど前、魔女アトモスが多数の地人を率い、天人の支配を終わらせるために仕掛けた戦は違った。千年以上、いくつかの動乱にも揺らがされず、安定して保たれていた天人の支配が、各地天人の支配する界隈にもたらされた絶大な被害と、天界を焼く炎によって崩れ落ちる寸前にまで至った。それほどまでに、先導者たるアトモスの指導力、彼女自身の実力は桁外れだったのだ。彼女のもたらした動乱は、支配の継続と勝利を疑わなかった天人にも、被支配側からの脱却を切望する地人にも、新たなる時代の幕開けを予感させていた。
まさか我ら天人が敗れるのか、まさか本当にアトモスは我ら地人を救ってくれるのか。大陸中の天人と地人にそれを思わしめた魔女アトモスは、長い歴史上のどんなレジスタンスとも一線を画す存在だったと言えよう。
そんな魔女の野望を打ち砕いたのは、とある天人の聖女。天人でありながら地人とも優しく触れ合い、彼女を知る者は誰しも彼女を慕った、スノウと呼ばれる人物だ。魔女と呼ばれる前のアトモスとも親しく、アトモスにも唯一無二の親友と呼ばれていたスノウが、レジスタンスの頭たるアトモスを討伐したことによって、戦争は終わった。今となってはこの大陸上において、聖女スノウの名を知らぬ者はいないだろう。
そんな現代の英雄の一人娘が、目の前にいる。ささやかな出会いからなりゆきで同行しているファインが、ただの混血児以上の肩書きを持っていたことには、クラウドも驚きだ。少しの間、言葉を失ってしまうぐらいには。
「スノウ様はお忙しいみたいでさ。以前はイクリムの町よりも遥か南で、"アトモスの遺志"に滅ぼされかけた里の復興にお努めだったようだけど、行ってみたらもういなくって」
「そこでスノウ様――お母さんの行く先の情報は途切れてしまって……ですので私達も、今一度お母さんの向かった先を知るため、北に向かっているんですよ」
戦争が終わってもう十年ほど経つ。しかし今も、天人の支配を終わらせようとした魔女アトモスの遺志を継ぐ集団が、大陸各地で暗躍しているのだ。絶大なる力を持つ指導者を失ってなお、一度見えた天人支配を終わらせる夢を諦めぬ、レジスタンスの活動は死んでいない。戦争終結の時点から、傷つけられた天人の体制も、復興を急ぐとともに、"アトモスの遺志"と呼ばれる集団に再び破壊されることの繰り返し。アトモスが地人達に見せた、被支配からの脱却の夢は、天人にとっての平和を取り戻したように見える今の世界の裏側で、今だ脈づき滅んでいないのだ。
ファインの母――歴史に名を残すであろう聖女スノウは、そんな各地の動乱を鎮めるため、今もなお放浪に近い足を歩ませているという。彼女の行方自体は、そう難しくなく情報として獲得できる。しかし、ファイン達の足取りが彼女に追いつくより早く、スノウが去ってしまうこともある。会えない母を訪ねての旅ではないものの、目指す人が動き続けている事実が、再会をやや遅らせている形のようだ。
「私達、クライメントシティの育ちなのよ。ちょうどほら、スノウ様もそこ出身って言うじゃない?」
「ああ、なるほど。だから北に向かってるんだな」
サニーが口にした都市の名は、この大陸でもかなり大きな都を表す単語。天人の要人の多くも腰を据える大都市であり、大陸じゅうの情報もその都にはよく集まってくる。聖女スノウを探すあてを失ってしまったファイン達は、一度クライメントシティに里帰りして、改めてスノウの居場所を求める情報を獲得し、再出発を計ろうとしている。イクリムの町よりも北、タクスの都に向かおうとしていたクラウドと、北のクライメントシティに向かおうとしていたファイン達の進行方向が一致していたのは、そういう都合によるものだ。
聞けば今までも、スノウがいると聞かされた地に赴き、いざ着いてみればすれ違い、という日を何度か繰り返してきたというファイン。気の遠くなる、母を訪ねて千里の旅だ。それでも会いたいという想いから、華やかな都会を旅立ったファインとは、旅に耐え得る足と精神をはじめから持ち合わせていたということだろう。華奢に見える細い手足、荒事には不向きそうな可愛らしい顔立ち、はじめファインが旅人を営んでいるという姿に違和感すら感じていたクラウドだったが、話を聞けば第一印象も塗り変わる。こう見えて、親友の旅に同行することを選んだサニーと同じく、ファインもまた強い意志力を持つ女の子なんだなって。
「……それにしても、聖女様の一人っ子が目の前にいるってのは、今でも実感沸かないな」
「普段は隠し通してることだからねぇ。ほら、スノウ様のことは知ってるでしょ?」
聖女として知られるスノウには、もうひとつ有名なエピソードがある。それは彼女が、天人でありながら地人の男と結ばれたことだ。本来ならば、それだけで天人スノウは、下賤な地人なんかと結ばれた天人ということで、天人達から白い目を向けられる受ける立場。しかし彼女の余りある功績が、彼女にそうした仕打ちを向けさせず、天界の王も苦々しく見過ごしているというのが現実だ。
だからファインは、ごくごく限られた信頼できる相手にしか、自分がスノウの一人娘であることを明かさない。なぜって、それを明かした時点で混血児だと露呈するからだ。混血児だと周囲に知られれば、それだけで忌まわしき血を持つものとして、天人にも地人にも白けた目で見られる。しかし、クラウドはファインが混血児であることを知ってなお、旅の仲間として行動してくれている人物だ。だったら黙っておかなきゃいけない理由もなくなるわけで、ファインも自分の過去を明かしている。
「あなたなら、言わなくてもわかってくれるような気がしてるけど」
「ああ、わかってる。あんまり周りに言いふらすな、だろ?」
クラウドも理解のある頭をしているものだ。ファインが混血児であることを周囲が知れば、彼女はあっさり周囲に差別されてしまうだろう。それがわかっているのなら、ファインが聖女スノウの一人娘であることは、周りに黙っておきましょうという話である。
「ふふ、三人だけの秘密ですね」
「あ、その響きいいわね。絆を深める魔法の言葉って感じ」
サニーに笑いかけられるファインが、すごく嬉しそうに笑うのは、あまり人に話してこられなかった過去を明かせたからではない。そんな秘密を、信頼して明かせる相手と巡り会えたのが、すごく幸福なことだと思えるからだ。




