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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第15章  雪【Farewell】
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第222話  ~クラウドVSブリーズ~



「速い……! しかし、それ以上に……!」


 空中に点在する、風の魔力による浮力で浮かせた平たい氷の塊の数々を、ブリーズが素早く飛び移って移動する。彼が去った直後の、蹴られた足場はすぐに形を失う。足場よりもずっと大きな、四速歩行の怪物の体がぶつかって、粉々に粉砕してしまうからのだ。


 どこにどう移ろうと、必ずその怪物を最速で振り返る術士ブリーズは、杖の一振りと同時に風の刃を飛ばすなどして、空中に身を残す怪物に反撃している。この怪物の恐ろしきはこの後にある。ぎっ、とブリーズの方を向き直ると同時に、振るった前足の爪で、風の刃をはじき曲げるのだ。爪と風の刃の切断力が激突し、金属音にも近い音を響かせた後、曲げられた風の刃は怪物の肉体を切り裂けずに飛んでいく。


「天魔! 神の裁き(ディユ・サンク)!」


 ずしんと着地した直後のクラウドに杖先を向けたブリーズの行動と、後ろ足を蹴って前足を支点に、ぐるりと体の向きを改める怪物、クラウドの行動が全く同時だった。上空ブリーズの地上垂点に顔を向ける方向になり、見上げたクラウドの両瞳がブリーズを真正面に捉えた瞬間、ブリーズの杖先から特大の熱光線が放たれる。それは、人を数人背中に乗せられるサイズの化け猫クラウドを、径の太さだけで呑み込めるほどのレーザー砲撃とさえ例えられよう。


「フガアァッ!」


 クラウドが回避しようとする動きを見せない。特大熱閃が我が身に届こうかというまさにその瞬間、クラウドが前足を振り上げ、爪先でブリーズの砲撃を縦真っ二つに切り裂いたのだ。一本の太きレーザー、それはクラウドの眼前でYの字に分かれ、クラウドの後方両サイドに着弾する半分太さの熱閃に変わってしまう。地面に着弾した瞬間に、爆音とともに地表を炸裂させたことからも、熱閃の威力はうかがい知れようというものなのに。


 怪物化したクラウドは、その爪先で以って、ブリーズの魔術に対抗している。物理的な力で、魔力が生じさせる超常現象に介入することなど不可能なはず。だが、現に今のクラウドは叶えている。


「つくづく羅刹種(ラクシャーサ)は反則だ……!」


 発射する熱閃が途絶えたその瞬間、自らの砲撃の放つ光の晴れた真正面から、恐ろしいほどの速度でクラウドが飛びかかってくる。そう来る可能性もあらかじめわかっていたから、ブリーズも一足先に足元の氷の床を蹴っている。それで、ぎりぎりだ。クラウドの伸ばした前足が、去ったブリーズのいなくなった空中を空振り、前足関節に激突された氷の床が容易に粉砕されてしまう。


 今のクラウドに襲われる立場は、触れられただけで一撃死だ。風の翼を開いて空中姿勢を乱さないようにし、すぐさま、クラウドを視界中心に捉える体と顔の向きを作るブリーズの緊迫感も強い。


「やれやれ、好みではないが……!」


 跳んだクラウドが両足を着けたのは民家の屋上だ。三階建ての建物の屋上の端に前足二つをかけ、後ろ足の爪を壁に引っ掛けて、しがみつくような形で猫背をブリーズに見せたのがほんの僅かな時間のみ。そこから前足を押し出して、体をひねって、後ろ足で壁を蹴ったクラウドが、あんな体勢からブリーズの方へと飛びかかってくるのだ。

 小動物のような身のこなしを、あの大きな体でやってしまうことに、ブリーズは意外性を感じない。クラウドが建物を蹴って跳ぶよりも一瞬早く、ブリーズが足元の氷晶から跳躍し、上方へと勢いよく跳躍していることが、そう来ることを予見していた証拠である。それでぎりぎりの回避なのだ。


「かあっ!」


 クラウドの落下予測地点にブリーズが投げつけた魔力は、クラウドの着地寸前に地に届いてその威力を発動。トゲだらけの氷床がクラウドの足元にいくつも発生し、巨獣の肉球4つをざくざくに傷つける一撃だ。トゲは長く、大きく、肉球を貫通してクラウドの足を甲まで風穴を空けるほどのものもある。


 普通、着地寸前に見えた氷晶の連なりを、右前足で薙ぎ払うことなんて出来るだろうか。そうして氷のトゲの数々をぶち砕いた直後、他の足3本をほぼ一点に固めるような形で着地し、いくらか平坦に近付いた氷の床に、三本足の爪を引っ掛けるようにして着地する。

 そして滑るより早く、引っ掛けた爪を足がかりにして足元を蹴り、荒地と化した石畳の上へと着地して、再び上空のブリーズを見上げる形に移るのだ。細かい氷のトゲに傷つけられた三つの肉球は血を流しているが、今のクラウドにとってはたいした傷ではない。


「さあ、ここからだ……!」


 空中に再びいくつもの氷の足場を作り、それらを跳び移りながら立ち位置を地上に近づけ、ブリーズがクラウドへと何筋もの稲妻を放ってくる。びしゃり、ばちばちと、稲妻の発射音と火花の音が大きく響き渡る中、駆けてそれを回避するクラウドの足音も同じだけ大きい。地上に近づいてくるブリーズの動きを見定めるクラウドが、好き放題に飛びかかってこられないよう、ブリーズも牽制の攻撃を欠かさない。


 飛べないクラウドを相手にする以上、より高所からの飛び道具だけを武器に戦えば安全性の高まるブリーズではあるものの、あまりクラウドからは上方に離れすぎられないのだ。隙を見せすぎると、クラウドが茨の要塞へとブリーズを無視して突っ込みかねない。今のクラウドなら、強行突破も厭わないだろう。クライメント神殿へのクラウドの到達を防ぐ立場であるから、自己の安全を最優先にした戦い方は選べない。クラウドを引きつけ、その上で討ち取ることがブリーズの課題である。


「いつまでも、同じ手が通用すると思うな……!」


 真っ直ぐに駆けていたクラウドが、唐突に走行軌道を150度切り替えて、低空位置まで移ったブリーズに飛びかかってくる。ブリーズも杖を持った手を含めた両手を前に突き出し、自分とクラウドの間に魔力を展開だ。人の胴体よりも太く、背丈よりも長い、先端の尖ったトゲを針山のように擁した、巨大なる氷の塊を生成してクラウドを真正面から迎え撃つ。


 爪を最前面にした右前足を、殴るように突き出したクラウドの攻撃が、自身の飛びかかる速度も上乗せした破壊力で、繊細にトゲの間をかいくぐって氷塊に激突だ。宙に浮かんだ凶器めいた氷塊が、その一撃で砕け、鋭い先端を持つ氷晶の破片がクラウドの全身をびすびすとかすめる。

 突き破った先で、既に地を蹴り側面方向に身を逃したブリーズも、あわや自分の生み出した氷の数々に轢き殺される寸前だ。空中に石あられのように飛び散る氷の数々中で、巨体のクラウドと等身大のブリーズが少し距離をおいて交錯する。


「ぬ、っが……!?」


 空中でブリーズを見つけた瞬間に、ぎゅるっと顔をそちらに向けたクラウドが、膨らませた口から弾丸のように瓦礫の破片を吐き出してきた。巨獣の大口に含まれていた瓦礫は人の腹の面積に相応する大きさで、空中追撃に移ろうとしていたブリーズの虚を突く一撃だ。咄嗟に杖を斜めに構え、落石のような速度で迫ってくるそれを受けるブリーズだが、空中でそれを斜め上方からぶつけられた力に押し出され、ブリーズの肉体が急落下加速度を得る。


「ぐ……い、いかん……!」


 地面に背中か腰から叩きつけられる寸前、風の翼を強く仰いで体勢を改めたブリーズは、なんとか腰砕け寸前で両足着地を叶えられた。問題はクラウドだ。地に足を着けたその瞬間から、素早く体の向きを改めて地を蹴ったクラウドが、助走から突進してくる牛のような速度まで一気に上がって突撃してきている。


岩壁(ブロック)……!」


「グガ、ッ……!?」


 こんなタイミングで封を切りたくはなかった、しかし仕方が無い。ブリーズの眼前に突然突き上がった、厚い一枚の岩石の壁が、クラウドの前に立ちはだかる。今さら止まれぬクラウドが、ならばと割り切って額と前足を突き出し、石頭を岩壁に自らぶつけにいく一撃が、硬い岩盤を打ち砕く。砕けた岩盤の大きな破片が、岩壁後方のブリーズの周囲に散乱する。


「ング……っ、ガアッ!」


「全く、恐ろしい……!」


 岩壁に頭をぶつけた直後だというのに、怯んだのはほんの一瞬かつ、見えたブリーズに前足を伸ばしてくるクラウドのタフさには愕然とする。そう来てもおかしくない化け物だと思っていたから、地を蹴り高々と跳んだブリーズだからよかったものの、ほんの一瞬前に彼がいた場所を、クラウドの前足が踏み潰して石畳の欠片を砕いている。


 空中の氷の床に足を着けたブリーズが、振り返って上空を見上げるクラウドに両手を向け、火炎の砲撃を放ってきた。いよいよというところまで、自分が地術を使えることは隠しておきたかったブリーズだが、土の魔術を使った時点でその札も割れたのだ。頭を打った直後で目がちかちかするクラウドも、自分を呑み込むほどの径の火炎が勢いよく迫ってくる光景には、思わず横っ飛びで回避せざるを得ない。


「天地魔術、のたうつ煉獄スラッシングパーガトリー!」


 両目をぎらりと光らせたブリーズが、ほんの僅かな時間、魔力を練り上げることに専念する攻防皆無の時間を作った。こと3秒でその下地を整えたブリーズが魔力を発動させた瞬間に、いよいよ攻め気を露呈させるブリーズの本気の攻撃が始まる。ごろごろと騒がしかった空の層雲から、いくつもの稲妻が落ちてきて、ほんの一部がクラウドを狙う中、多数が地表さまざまな位置に突き刺さる。


 自分に差し迫っていた稲妻を駆けて回避するクラウドだが、稲妻が着弾した地表から噴き出した炎は火柱のように立ち昇り、さらには蛇が首を曲げるかのような動きでクラウドに迫ってくる。稲妻の魔力によって生じた熱を、自らの火の魔力の発火触媒とし、火の魔術でクラウドを四方八方から攻め立てる包囲攻撃だ。天人だと聞かされていたブリーズが、明らかに天の魔術とは違う色の術を使っていることに、クラウドも内心では驚愕を禁じ得ない。


 戦う本能はそれを退け、あらゆる方向からせまる炎蛇の包囲網から、クラウドは高く跳ぶことで逃げおおす。クラウドがいた場所に集った炎が一点激突し、大爆発を起こす光景を尾の果てに叶えられながら、クラウドは廃屋の壁を蹴って別の地面へと。その着地点を先読みし、太い熱閃を発射してきたブリーズの一撃も、振り下ろす爪で左右に切り裂いて対処する。


「ぐぉ……っ!」


「カグ、ッ……!?」


 素早く地に転がる石畳の破片を口にくわえ、首を持ち上げ光線の向こう側へと弾丸のように吹き発したクラウドの一撃が、安全圏の空中にいたはずのブリーズに差し向けられる。杖を構えてそれを受けきったものの、その威力で氷の床から追い出されたブリーズも、乱れる体勢を空中で翼を操って整えることに必死になる。杖を握る手も痺れ、得物を落としてしまいそうだ。

 ブリーズも光線だけが攻めの一手だったわけではない。光線でクラウドの眼前をくらませていた中、放っていた風の刃が、割れた光線の向こう側からクラウドの頭を左右真っ二つにしようと迫っていたのだ。それでも素早く振り上げた前足で、それを打ち払っていたクラウドだから助かったが、逸らした風の刃はクラウドの腕の根元を深々と傷つけた。のちの脚力に不安を覚えかねない、深い手傷である。


「ヌ゛……!?」


「流石に気付いたか……!? もっとも、今さら関係のないことだがな……!」


 離れた位置で互いに動きが止まり、クラウドとブリーズが睨み合う一瞬の間が生じた。クラウドが目の色を変えたのは、ブリーズの顔を見た瞬間だ。雨の振る中、見逃しても当然の光景ではあったものの、僅かに血を流すブリーズの顔を見たクラウドが、きゅっと目を細めて驚いたのも無理はない。


 すぐに雨に流されてしまったものの、ブリーズの、目から血が流れていたように見えたのは気のせいだったのだろうか。口と鼻の間も、鼻血が流れたあとのように、血の色混じりの雨に濡れている。どこをどのように怪我をすれば、そんなところから血が流れるというのだ。まともじゃない光景を目にしたその瞬間、さしものクラウドも飛びかかる脚が鈍り、普段ならあり得ない、何もしない時間が生じてしまう。


「謎解きは、あの世でやってくれ……!」


 その間が致命的なものになるまさにその寸前、はっとしてクラウドは地を蹴っていた。直後、クラウドの腹の下であった地表を中心に、足元からとてつもなく太い径の火柱が噴き出す。瞬発力に秀でたクラウドだから助かったものの、尻尾の先端が一瞬炎に包まれ、ぎりっとクラウドが歯を食いしばったことからも、あと一瞬動きが遅れていたら致命傷だっただろう。


 天魔と地術、その両方を扱うブリーズという男は、ファインと同じ混血児なのだろうか。考えるのはやめにしてクラウドは地面を蹴り続ける。真っ直ぐにブリーズへと突き進むことをやめ、迂回するように徐々に距離を詰めつつ駆け足を止めない動きに移行する。


「天地魔術、地獄に降る稲妻ディオトゥオーノ・インフェルノ!!」


 ブリーズもクラウドに自由を与えない。次々に天より降り注ぐ稲妻は、雨水の溜まった地上に突き刺さるたび、水を吹き飛ばして火の手を上げる。雨中の戦場、地上が火の海に包まれ、足の踏み場も徐々に失われていく光景の中、怯みもせずにクラウドは自在に駆けている。走れる場所が無くなるのと、ブリーズを討つのとどちらが先か、勝負はここからだ。


 だん、がすりと二つの音を立て、地を、廃屋の壁を二段蹴りしたクラウドが、空中のブリーズに飛びかかる速さと言ったら、小動物でもここまで出来るかどうか。狙いはブリーズの上方寄り、素早く上に跳ばれても充分捕えられよう素早い飛びつきに、ブリーズも横っ飛びの動きで回避する判断力を見せる。

 同じ高さ、あるいは僅かにブリーズが下に位置する高度での交錯の中、クラウドの長い尾が鞭のように振るわれる。ブリーズの胴を薙ぎ倒す一撃も的確、翼で上方を押し出すようにして落下速度を上げて沈み、同時に体を回して回避するブリーズも的確。回避に集中力を費やしたブリーズが即時反撃に移れぬ中、空を飛び駆けたクラウドは地上へと突き抜けていく。


「何……!?」


 着地点は地表ではなく二階建ての廃屋だ。両の前足を着壁寸前に突き出す、つまり廃屋の壁を両前足でぶん殴るようにしたクラウドが、建物をぶっ壊して残骸の中へと潜っていくような形になる。確かに火の手の届いていない場所に着地する姿だが、瓦礫の数々がクラウドの背にずしずしと当たるダメージもあるはず。体を回しながらもその様を見ていたブリーズも、予想外のクラウドの行動には目を見張る。


 見ていてよかった、廃屋の瓦礫にクラウドの全身が埋もれていくまさにその寸前、クラウドの後ろ足が廃屋の瓦礫を、ブリーズに向けて蹴飛ばしてきたのだ。人体よりも大きな瓦礫がいきなり飛んできた真正面の光景に、高度を下げていたブリーズも地表から岩壁を召喚し、それを防ぎおおす。それに専念した一瞬の間にも体の回転を制御し、足を下にしていたブリーズが両足で着地する姿勢を作っていたのは密かに見事である。


 それでもクラウドがそのブリーズに追いついてくるのだ。来るとは思っていたとも、岩壁へと勢いよく突っ込んできて、前足二つと額で岩壁をぶち破り、大口を開けた化け猫が真正面からこう来るって。詠唱の暇も与えられず、やむなく目の前に突き出した掌に集めた魔力で、ブリーズは大爆発を起こす魔術を行使することが関の山だった。


「ルゥガ、ッ……!」


「くぉあ゛……!」


 一人と一匹が触れ合うまさに直前、両者の間で発生した、熱風を伴う大爆発は、巨獣クラウドの頭が後方に反り返るほどの威力であり、術者のブリーズも自らの爆撃によって後方へと吹き飛ばされる結果を生み出す。ブリーズの肉体が廃屋の壁に突っ込み、人の激突で根元に致命的な衝撃を受けた廃屋がびきりと傾き、その前方に位置する場所では、ぐいっと頭を下げたクラウドがいる。


 顔面至近距離の爆発で、顔に焦げの残る化け猫は細く目を開き、ブリーズが突っ込んだ廃屋ががらがらと崩れていく様を見届ける。生き埋めになったであろうブリーズの光景を見届けこそすれ、これで終わったとは到底思えない。ハアッと息を吐くクラウドは、自分よりも大きな獣を前にした狼のように、うなり声を上げて身構える。


「やは、り……限度が、あるな……!」


 瓦礫の山の中に身を隠す形になったブリーズが、仰向けに倒れた姿勢で血を流している。激突の衝撃こそ殺しはしたものの、やはりこの老体に今のは致命的過ぎる。人としてのこの片足が、もはや万全の使い物にならぬよう挫いたことも、この日の戦況に大きな陰を落とす要素である。


 さあ、誰にも見られていないその場所で、ブリーズはどのような顔でいたか。傷ついた顔から血が流れる、同時にその傷口は単に人の肌に刻まれた様とは異なり、果物の皮に切り目が入ったかのようにべろりと剥がれるきっかけを作っている。ブリーズが限界を感じているのはこの一点だ。死者の皮を貼り付けただけの顔に、これ以上その人物を騙る鮮度が失われていることも知っていたが、傷から一気に裂傷し始めた仮初めの顔に、とうとうブリーズは自ら手をかけた。


 小指と親指をこめかみに押し付けて、自らの顔に貼り付けていた皮をばりりと剥ぎ取る。血みどろの顔を袖で拭い、ぎらりと両目を光らせた老人は、ぜぇと吐いた息とともに死地へと挑む腹を括る。


「少年よ、大志を挫こう……! この道だけは、譲れんのだ……!」


 声を作るのももうやめだ。肉体が変異する。ブリーズの名を騙っていた、人の姿でありながら怪物的な術士と呼ばれていた老人が、若きクラウドに人生のすべてを賭けて挑もうと覚悟を決めていた。




「…………!?」


 第一の光景、瓦礫の中からその山を貫いて生えてきた八本の脚。それはまるで、積み重なった瓦礫を胴体に例えた蜘蛛のように、曲がる脚の関節を経て地面を踏みしめる。

 第二の光景、瓦礫が吹き飛ぶ。その中に身を埋めていた巨大生物が、首を振り上げて頭上に乗っていた瓦礫を振り払ったかの如く。舞い上がった土煙が、瓦礫の中から頭を出した怪物の正体を隠している。


 第三の光景。雨が土煙を洗い流すより早く、瓦礫の奥から姿を出した何者かが、土煙の向こうから真っ白な弾丸のようなものを放ってきた。正体不明のそれに触れることを忌避したクラウドが跳び、回避して瓦礫の山に横っ腹を向ける形で着地する中、ぐっと首を向け直したところで、敵の姿が目に入る。


「数々の侮蔑的な言葉を詫びよう……! 君のような勇敢な少年に、向けるべき言葉ではなかったからな……!」


 大司教ブリーズの姿を騙り、その人格を演じていた口様を改めたその声は、むしろクラウドに敬意すら払う言葉を述べている。瓦礫を振り払い、その全容を見せた巨大蜘蛛の姿をした怪物は、八ツ目の顔があるべき場所で、二ツ目の鬼人のような顔で大口を開いている。二本牙の顎ではなく、上下にいくつも生え揃った鋭い牙から粘性の強いよだれを垂らすその大口は、まるで岩をも噛み砕けそうなクラウドの口にも似ている。


「お前が、セシュレスか……!」


「存じて貰えていて光栄だよ、クラウド君……!」


 古き血を流す者ブラッディ・エンシェント蜘蛛種(アラーネア)の一人であること。そして、敵対する立場でありながら、ファインに対する口様が紳士的ですらあったこと。ファインから聞き及んでいた僅かな情報から、クラウドは真実に辿り着けるほどに至った。セシュレスもまた、革命軍という大きな組織に、自らの正義に殉じて立ち向かう少年クラウドのことを聞き、人として悪し様には感じていなかったのだ。


「さっきの爺さんはどうした……!?」


「とうに人の形はしておらぬよ……! 皮だけ借りて、成りすませて貰っていただけだ……!」


 スノウが言っていたこととの整合性が全て成り立った。死んでも地人達の味方などしない思想の持ち主であったブリーズが、天人陣営を裏切るはずがなかったのだ。クライメントシティを襲撃した革命軍に力を与したブリーズという人物は、もはやこの世の人物ではなく、それを騙っていたセシュレスこそが、クライメント神殿を守る三本の矢の一つとして目の前にいる。


「さあ、始めよう! 若き志の程、今日も見せて貰おうか!」


 開いた口からセシュレスが、愚直に火球を吐き出す魔術を行使する。巨獣と化したクラウドの顔面相当の大きな火の玉だ。難なく跳んでかわすことこそ可能だったものの、はずした火球が廃屋に激突し、凄まじい爆音を響かせたことが、二人の戦いの第二ラウンドを宣言する鐘の音に相当している。


 革命軍の総大将として名を馳せたセシュレスとの対峙。ファインとの戦いでは見せなかった姿を露にし、ぎらりと目を光らせるセシュレスを前にしたクラウドは、改めて決死の覚悟を決めなくてはならなかった。

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