第220話 ~あなたは絶対に私には勝てない~
なんとかしてやるって思ってた。たとえ力及ばず負けたって、一矢は報いてやるって思ってた。必ず勝てる勝負なんか無い、むしろ今回の敵は一度負けた相手。むしろ勝てる自信は薄いながらも、勝てないなら勝てないで何らかの結果を残して、次の誰かに繋ごうと考えていた。ある意味、前向きに。
「はがう、っ……!」
「あははは、ダメダメダメ~。トロすぎ、弱すぎ、なんにも足りてないよ~♪」
空での戦いの中、ミスティに蹴飛ばされたファインが、勢いよく吹き飛ばされて地面に叩きつけられる。サニーと同じで、水と風を纏った足で、筋力以上の破壊力と自らへの反動を抑える強烈な蹴りは、なんとか地面との衝突を緩衝したファインでありながら、それでも打ちつけた背中からの衝撃が呼吸を奪うほど大きい。
土煙をあげて地面に倒れたファインが、けはっと息を吐いて体を起こそうとするが、軋んだ体はなかなか言うことを聞いてくれない。上体を起こす動きだけが可能な限りの最速で、地面を押す肘も震えて、次の行動に移ることもスムーズじゃない。
「ほいさ、ほいさ、ほいさっさ」
「くっ、うぅ……!」
舞い上がる土煙の向こうから、ミスティが放つ火球が飛んでくる気配を察し、無理矢理にでもファインは体を動かして転がるしかない。地面と体が触れ合うたびに痛む、さっきまで自分が寝そべっていた場所に火球が着弾して爆発する、飛び散る土が体をびしびし打つ。転がりながら立つだけでも苦しい。
「おひさ♪」
「は……!?」
立ち上がったその瞬間、後ろから気軽な声を発してきた誰かさんに、思わずファインが振り向いてももう遅い。ひたりとファインの胸元に手を当てたミスティが、超高圧の風を発射した瞬間、殴られたような衝撃がファインの胸を貫く。
さらには風がファインの体を押し出して、彼女を廃屋の壁に背中から叩きつけるのだ。胸の奥まで響く衝撃に意識が飛びそうながらも、石の壁に叩きつけられる衝撃を、最大限緩和しているだけでもよくやっている方。それでも咄嗟すぎる受身と緩衝では、人の体と石の壁がぶつかる破壊力を、当たり前だが完全には殺せない。
「はい、詰み」
「え゛っ、あ……!」
壁に叩きつけられたファインの体が、ふらりと前に傾いて、なんとか踏ん張って倒れまいとしたところを、思わぬ誰かが支えてくれる。あっという間にファインとの距離を詰めたミスティが、片手をファインの喉元にかけ、倒れないように支えてくれたのだ。
ボディに二度の衝撃を受け、普通に呼吸することすら満足に叶わないファインにとって、喉をぐっと押して壁に押し付けられる今の図式は、意識朦朧すら誘発する。ぐっ、ぐっ、と、壁に押し付けたファインの喉元を、何度か力を込めてミスティが押して絞めるたび、ファインの口から残った空気が絞り出され、口が開きっ放しにさせられる。
「ねえねえ、どうなのこのザマ。あなた一応、負けるつもりはないよって覚悟で来てたんだよね」
「はっ……か……」
「どう? 勝てそう? もしかしたら勝てるかもナー、って、今でも思える?」
これほどまでに圧倒されて、無傷のままのミスティに追い詰められる自分のことを、果たしてファインは真に想定していただろうか。勝てない可能性は頭の端に常に残っていたにせよ、勝つつもりで戦いに臨んでいたのだ。ファインに限った話ではないが、そういう決意で難敵に挑む者が、手も足も出ずにいたぶられる自分の数秒後など、想定範囲内からは締め出すのが当然である。
目の前が真っ白になりそうな意識のまま、震える手でミスティの手首に手をかけるファインだが、今の体で力を入れられようはずがない。離して、とばかりにミスティの手を横に引っ張るが、弱すぎてミスティの握力をほんのちょっと弱める結果にも繋がらない。声すらも出せないまま、ファインの意識がどんどん白んでいく。
「ごめんなさい、は?」
ミスティが、ファインの右膝を横から蹴飛ばしてくる。自分の体を支えるための大事な脚、その一番弱い所を痛烈に痛めつけられたファインは、同時にミスティが手を離したことにより、腰砕けかつ前のめりに崩れ落ちる。そのまま半身で地面に倒れ、蹴られた膝を抱えて背中を丸めたファインが、激痛に悶えて全身をひくつかせる。
「い~っぱい謝ってもらうべきことがあるんだよねぇ。私達の邪魔をし続けてくれたこととか」
靴の裏をファインの頭にひたりと当て、蹴りだす勢いで髪をこすって痛めつける。
「そんな力量で私をどうにかしようとしてた舐めっぷりとか」
蹴られた頭をもう片方の手で押さえるファインだが、その二の腕を脚のつま先で蹴る。
「あと、何よりさ」
しゃがんで、団子虫のように丸くなったファインの頭に手を伸ばし、髪を掴んでぐいっと引き上げる。両膝で地面に触れる形のファインが、乱暴な力で顔を上げさせられ、顔を覗き込んでくるミスティをひざまずいた姿勢にさせられる。
「話を全然聞いてくれなかったこととかね」
「やっ、あ゛ぁっ……!」
「ほら謝って。ごめんなさいは? すみませんでもいいよ? 申し訳ありませんでした、の方があなたらしい?」
ぼろぼろの体の痛みで涙目になったファインを見届けると、ミスティはファインの顔を地面に押し付け、後頭部を掌で押し付けてぐりぐりと力を加える。痛いところを押さえていた手も顔に持っていき、土でざりざり痛めつけられる地面と額の間にねじ込もうとするファインが、なんとか顔を地面から少し離すことが出来た。雨水でどろどろになった土にこすられて、ファインの顔は無残なほど土まみれだ。
「や……っ、やめ、てえっ……! 離し……」
「やめませ~ん♪」
泣きそうな声を発したファインの頭を、無情な力でまた強く押し、額をべしゃりと土へと押し付けるミスティ。目に跳ねた土が入るのも、ファインをひたすら苦しめる。耐えられない想いで体ごとひねり、なんとかミスティの手を後頭部から離したファインだが、全身で横たわる形になってしまう。そしたら丸めたままのファインの背中を、どすりとミスティの足の甲で蹴られるのだ。
「あなたさぁ、何か勘違いしてるみたいだけど」
「ひっ……!? いやっ、いやっ……!」
ぐっとファインの手を握ったミスティが、ファインの体を浮かせる風を彼女に纏わせ、腕を握って引き上げる。立たされるファインは、蹴られた足に力が入らないこともあってすぐにでも崩れそうだが、引き上げられた手よりも低い位置の頭を、もう一方のミスティの手で捕まえられる。親指と人差し指の間でファインの顎を捕らえたミスティが、私の方を見ろとばかりに、ファインの顔を上に向けてくる。
「あなたは確かに強い方だろうね。今までも、いっぱい強い人に勝ってきたもんね。強いには強いだろうね」
がくがくと膝を震えさせるファインの腹へ、ミスティがつま先を軽くだが突き刺してくる。防御も出来ずにそれを受けたファインにとっては、それだけでも甚大なダメージであり、口の中の液をけはっと吐き出した。ミスティの手で頭を下から支えられ、顔を伏せられないファインの表情も、真正面からミスティに見られる形。
「でもさぁ、あなたす~っごく大事なことを見落としてるんだよ」
もう、ファインは全身に力が入らなかった。ぐったりとした四肢、ミスティの風と腕力で支えられていなければ、今すぐに地面に受身すら取れずに倒れていただろう。それをさせてくれないのがミスティであり、片手でファインの顎を、片手で脇の下から持ち上げるような形で、人形のように脱力したファインを立たせている。浮力で体重ほどの重さを失っているファインの顔を、自分の目線と同じ高さに持ってくる。
「あなた、一人で私達の誰かに勝ったことは一度もないよねぇ?」
薄れる意識の中でも、ファインにはその言葉がぼんやりと届いた。ファインが撃退してきた相手、ニンバス、ザーム、ネブラ、セシュレス、アストラ。いずれも確かに打ち倒した事実を自慢できるような強者ばかりだ。
しかしファインの勝利には、常に誰かがそばにいた。サニーか、クラウドか、スノウか、レインがだ。ファインは確かにミスティが言うとおり、一対一でこれらの強敵を退けてきたわけではない。彼女の強さを強調する、ファインが勝ってきた顔ぶれではあるものの、その一方で、誰かと一緒に戦ってきたからこそ掴んできた勝利であるというのは、決して見過ごしてはいけない事実である。
「あなたはね、誰かと一緒に戦ってこそ真価を発揮できるタイプなの。一人で何かを変えられるような力なんて備わってないんだよ。多くのことが出来る力を持っていても、それは一人で世界の何かを覆すような決定力を持ってない」
「あ……うぅ……」
元より一人じゃ大きなことは出来ない、誰かに助けて貰ってきたからこそ今の自分があると、そうした自覚がいくらあっても、この言葉は痛烈にファインの胸へと突き刺さる。ミスティの言うとおりなのだ。
同時にそれは、なんとかミスティに一矢報いようとしていた、少し前の自分の傲慢さを指摘されるようでもあり、強固な覚悟で戦いに臨んでいたファインであればあるほどに、精神に及ぶダメージもまた大きい。
「あなたは一人で私に挑もうとしてた時点で負けてたんだよ。せめて誰かと一緒に来てたなら、私だってもう少し覚悟しなきゃいけなかったんだろうけど」
立たせていたファインの左の膝を、ミスティが横から蹴飛ばしてきた。右脚に力を入れられもしない中で、逆の脚まで駄目にする一撃を受けたファインが、痛みによって目を見開いたのがほんの一瞬のお目覚め。その後、ミスティが乱暴にファインの体を、横に放り出す手の動きにより、よろめく足すら作れないファインがどしゃりと泥の中に倒れ込む。
「あなたには、別の意味でガッカリ。楽勝できるのに越したことはないとは確かに思うけど」
指一本動かせないファインが、ひくり、ひくりと全身を震わせるそばへ、つかつかとミスティが歩み寄る。足音が、自分の命を摘み取る死神の接近のように耳に入っても、体を動かせないファインは、逃げることすら叶わない。
「こんな奴のまぐれ勝ちで、みんな涙を呑んできたんだと思ったら、みんなが可哀想になってくるんだよ……ねっ!」
「あ゛……!」
蹴られても、地面に倒れさせられても発せなかった鋭い悲鳴が、ファインの口から搾り出された。雨に打たれるファインの背中を、勢いよくミスティが踏みつけたからだ。全身がびきりと硬直し、張り、今度こそ完全に気道の奥にあるものを全部吐き出さされたファインが、その一撃で開ききった目から、ふっと光を失っていく。
痙攣していたファインの体の動きも失われ、ぱたりとファインの手足が重力任せに脱力する。目を開いたまま、全く動かなくなったファインを、無情に降る雨が死体を洗うかのように濡らしていく。髪をつたい、顔を濡らす雨水が目や口に入っても、表情一つ動かさないファインを覗き込んだミスティは、はぁと溜め息をつく。
「バカだよ、あなた。あれだけセシュレス様も言ってくれてたのにさ」
ままならない表情で立ち上がったミスティは、非常な顔つきでファインをいたぶっていた時とは違い、寂しい無表情でファインを見下ろしている。話を聞いてくれなかったことを謝れと言った。セシュレスが説得した時にでも、こちら側につくことを選ぶファインであって欲しかったと、今さら思っても仕方がないけれど。
そう多くない混血種、しかも自分とは違って真っ直ぐな心で育った、同い年のファインだったのだ。敵対する立場として知り合わず、手を繋げる間柄になれればよかったと、終わった今から惜しくなるほど、数少ない混血児のミスティにとっては特別な存在。ファインの目の前では決して見せなかった、対立するがゆえにここまで痛めつけなければならなかったことに胸を痛める顔を浮かべたミスティは、終わったことだと割り切って、神殿の奥へと帰る道に歩を向けていく。
その背を追える者は今いない。この日ただ一人、ミスティに触れられる距離まで近付いたファインは、折れた心と体を立ち直らせることが出来ず、雨に打ちのめされる自分の今すら改められずにいた。
失敗した過去や、上手くいかなかった昔のことを思い出すのは、ファインの場合は簡単なことだ。ここ最近こそ、リュビアやレインを、ホウライの都を守るために戦い抜いて、結果を出してきた成功例もあるが、それすらそばに、クラウドやサニーがいてくれたから。ミスティが痛烈に指摘した、自分だけの力によってそれを為してきたわけじゃないという事実が、ひび割れたファインの心を再起不能にしようとしてくる。握ればあっさり壊れそうな心の結晶は、既にぱきぱきと砕けかけている。
過去に遡ればもっとある。アストラとの初遭遇では、一番最初に意識を失い、目覚めた時にはサニーが自分のそばから消えていた。以前のクライメントシティ騒乱では、気を抜いた一瞬に巨大植物に捕えられ、地の底にまで引きずり込まれた失態を犯している。イクリムの町では、自分の行動がきっかけになり、町長やその用心棒と争う成り行きに繋がってしまった。
失敗だらけの人生だ。今も、昔もだ。思い出したくない、駄目な自分を探す方がずっと簡単だ。
私は、ミスティに勝てない。ファインの脳裏に改めて刻み付けられるその認識は、きっと事実として覆ることはないだろう。意識こそぎりぎり失っていなかったものの、今から立ち上がってミスティの後を追い、いい勝負にもなるのだろうか。力の入らないこの脚で? 奪われた体力で? 向こうは無傷で、汗ひとつかいていないのに?
それでも、立ち上がろうとしてしまうのは何故だろう。ミスティが神殿の奥へと歩いていく姿が遠くなってから、ファインの両手がひくひくと動き出す。敵が立ち去るのを待ってからではなく、時間が経たねば動かすことも出来なかったのだ。その手で地面を押し、上体を起こそうと努めても、力が入らず、びしょ濡れの胸をほんの少し、地面から離すことぐらいしか出来ない。
寝ててよお願い、苦しいからと、意志とは裏腹ファインの体は、彼女の体にじっとして欲しいと願っている。痛みを信号に、びしばしとファインの全身が軋み上がり、ファインは眉間にしわが寄るほどぎゅっと閉じた目を開けられない。息苦しさも、がくがくと震える両腕も、震えすらせず動かし難い痛みを擁した脚も、すべてがファインの再起不能を強く主張しているはず。
それでもファインは、魔力を練り上げた。全身の痛みをほんの僅かでもやわらげ、回復に向かうための治癒の魔力を全身に巡らせても、決して苦悶の今から免れるわけではない。治癒の魔術は完璧なものではないのだ。
そんな不満足な体でも、少しずつ、少しずつ動かせることを確かめたファインが、膝を引き寄せ、屈した体を手で地面を押して起こして、顔を上げずにお人形座りで体を保っている。疲弊した息切れを起こすより先に、肺と喉がろくに動かない、か細い呼吸を繰り返す今は、体に必要なものを取り入れられない極めて危険な容態だ。
座りこんだファインの腰の周りに、水と風が集っていく。雲が出来上がる。彼女の下半身を上空へと押し上げる風と、気流を矯正する水の粒が、雲に座りこんだ彼女をふわりと浮かせた。ファインはそれでも顔を上げない、上げられない。意識だけを前に向け、ふよふよと前進していくだけ。去ったミスティを追う動き。
脳裏に思い返される過去は、彼女にとっては最近の真逆の遠い過去。幼い自分が、差別されることに耐えられず、同い年の子供達と喧嘩ばかりしていた頃のことだ。混血児は、無条件に差別され、迫害される。それに反発することすら、周りはお前にそんな資格はないよと糾弾し、より孤立するファインが不条理に形成されてきた過去がある。
間違っているのは世界の方、私は友達が欲しいだけなのに。かつて幼心にそう思ったあの時の気持ちは、その実ファインの中でも改められたわけではない。
ミスティも、そうだったんだろう。幼い彼女がどんな目に遭ってきたのかは、ファインだからこそ誰よりも親身に想像することが出来る。革命を目指す気持ちもわかる、その実現のために非道に手を染めていることも。きっと、それを邪魔することは、彼女の人生を真っ向からふいにしにかかることなのだろうとも思う。
それでも立ち向かうことを選ぶ自分が、正しいことをしているのかはわからない。ただ、前に進む。自分が正しいかどうかを決められるのは、いつだって後からのことでしかないのだ。
「……なんなの、あの子。マジで真性のバカなの?」
真顔でいれば、垢抜けない無邪気な顔立ちのミスティだが、神殿の奥へと向いていた体で、後方を振り返る彼女の表情は、呆れて人を小馬鹿にする表情。そして、真顔から少し細まったその目からは、あれだけ滅多打ちにして力の差を示してやったのに、まだやろうとする誰かさんに対する疎ましさが滲み出ている。
大事な仕事を預かったミスティだから、神殿内部や神殿近辺に、外敵がいないかどうかは常に感知しているのだ。吹き抜ける風が、宙に浮かせた身をゆっくりと進め、ミスティを追ってくる小さな体の少女の肌に触れ、風の術者であるミスティにその存在を伝えてくれる。神殿奥への歩みを止め、振り返って少し前に歩きだすミスティが、さほど前進しないうちから目の前に現れたのが、当の誰かさんである。
「…………」
「はっ……ふうっ……」
立ち止まったミスティと、ようやく息が自由に出来るようになってきたばかりのファインが、少しの距離をおいて対峙する。ミスティを前にして、自分の乗る雲の前進を止めたファインが、恐る恐るかというほどゆっくり頭を上げる。それは気持ちで負けているからではなく、首を動かすのも億劫なほど体が軋んでいるからだ。
無言で目を合わせる二人。睨み合いではない。頭の悪い同い年を軽蔑するような目のミスティと、ぐうの音も出ないほどやられた少し前の記憶のせいで、強気を目に表せないファイン。雲の上に犬のおすわりの姿勢で、かたかたとファインが体を震わせているのは、雨でびしょ濡れになった寒さによるものだけではあるまい。
「ねえ。あなたさ、死にたいの?」
開口一番からミスティの発言は、ファインに自分の死を想像させ、ただでさえ落ち着かない心臓をばくばくと加速させる効果を生む。雲の上にうずめていた右の掌で、自分の胸元をぎゅうっと握るファインの目が、さらに気後れしたように弱るのも当然だ。
「しつこいようなら、マジで殺すよ。同じ狭間のあなた、私はあんまり手がけたいとは思ってなかったし、さっきは少し優しくしてあげたけどさ」
そう、きっと次は無い。ミスティは、目的の達成のためになら、遮る障害の命を奪うことも厭わなかった実績がある。以前、クライメントシティで初遭遇した時も、ほんのついさっきも、ファインの背後を取ったり、動けなくしてから触れ合ったり、何度だってファインを殺せた機会があった。ミスティがその気になっていれば、ファインなんて何回殺されていたかわからないのだ。
そして、今、オゾンの魂を獲得するという、革命軍の悲願を叶える邪魔立てを、はっきりファインは行なおうとしている。しぶとくだ。果たしてそんなファインを、ミスティは何度目もの慈悲を見せ、殺さず見過ごすつもりでいてくれるだろうか。
「ここまで来た以上、もう帰り道は無いよ。私があなたをどうするつもりか、もうわかるよねぇ?」
首を傾け、唇を舌で舐めて目を見開いたミスティの表情が、ファインには同い年の少女のそれだとは思えない。もう、後戻りは出来なくなった。ファインは明日の太陽を拝むには、今度こそ自分を殺すつもりでかかってくるミスティを退け、勝つか逃げ切るかしかない、そんな覚悟を固めざるを得ない。
「負けっ、ないもんっ……!」
絶え絶えの息から、かろうじて絞り出したファインの声が、はぁ~っと溜め息をつくミスティを誘発する。まるで子供、ずっと年下、幼い意地。そうとしか見えないファインの態度と、戦術的にすら明らかに賢くないファインの食い下がりには、殺気を醸していたミスティも表情を改める。真顔に戻る。
死に物狂いで自分を止めようとするにせよ、一人じゃ勝てなかった結果を受け、誰かがここまで来てくれる事を願い、待ってから、仲間とともに自分にかかってくる選択肢はなかったのか。ファインは一人でここまで来た。一度勝てなかった相手に、一人でまた。死にたいのかっていう問いは、的外れではない。
「どうしてそこまで諦め悪いの? 奇跡が起こって、私に勝てるかなとでも思ってる?」
「思ってない……! 死ぬかも、しれないけど……!」
一生懸命、目に光を取り戻そうとする。思いの丈を口にすることは、それもまたなんとかぎりぎりで保っている心の芯に、鞭を打って正そうとする表れだ。詰まりそうな息から叫ぶほどの声を発そうとし、結果として出る声がかすれたものでも、ファインの吐き出した信念の欠片が彼女自身に、そうだしっかりしろと訴える。
「何とかする……! 私が、あなたのことを止める! 私にしか出来ない!」
ここまで来られたのは彼女だけなのだ。クラウドだって、レインだって、スノウだって、またとない強敵と対峙して、勝利できるかどうかわからない状況にある。勝つと信じて待ったって、どれだけかかるかわかるまい。一時でも早く、ミスティを討ち倒し、革命軍の狙いを頓挫させるには、ファインが誰よりも早く動くしかないのだ。私にしか出来ないという発想もまた、驕りではなく正しい。
叶えられるのか。ミスティを、ファインは一人で撃破することが出来るのか。前進したファインの行動が、本当の意味で正しいものであったのかは、その最大の難関を乗り越えねば証明できない。
「あんだけ私に無様に負けてばかりのあなたが、それが出来ると本気で信じられるんだ?」
それがミスティにはわからない。きっとそばに誰かがいて、二人の実力差を見た後なら、客観的にミスティと同じことを言うだろう。100人いたら100人がだ。ファインだけが、百人相手でも言い返すただ一人。
「やってみせる……! 勝てなかった、今までだって、変えてみせる……!」
「出来るの?」
「私に、世界は変えられないけど……! 自分のことは、変えられる……!」
たったひとつ彼女に希望をもたらすのは、世を憎み、荒んだ自分をなおのこと受け入れようとしなくなった世界を見て、穏やかな人格を育もうと努めてきた自分のこと。きっと、変われたはずなのだ。だから、今は友達が出来るようになったと信じている。
クラウドやサニーに、あるいは多くの人に、自信を持てない性格をしてるよねって言われ続けているファインだが、ここだけに関しては自信に近いものを持っている。あるいは、彼女が自分に思える自分はそれしか無い。
自分にとって都合のいい方に変わってくれない世界を変えることは出来なくたって、自分を変えていくことで望む未来を掴み取ることは出来るのだ。大いなる世界を変えるより、そっちの方がずっと簡単なはず。ミスティに勝つことの出来なかった今までが嫌なら、出来る自分になってやると、ファインは過去に倣って決意する。
「ま~そうだねぇ……成功は、挑戦した人にしか訪れないって言うもんねぇ」
胸の前でぱちんと両手を鳴らしたミスティが、流し目であらぬ方向を見て、哀れなファインをこれ以上直視できないという表情に。決意の程はわかった。勝てなかった一時間以内前から、あっという間に変わった自分で以って、自分を乗り越えていくとファインは言っている。
それを奇跡と言うんじゃないのって。あなたがすがっている、淡い希望はそれだよって。可哀想な頭の持ち主だって、そういう顔をされるのも仕方ない。
「もう遅いけど、一つだけ、大事なことを教えておいてあげる」
何を言っても止まらないならもう結構。叩いた両手を左右に広げ、掌を上に向けたミスティが、その上方にぽつぽつと蒼い火の玉を作り始めた。一つ、二つ、四つ、七つと、生成される数と速度は増していく。
「一世一代の挑戦は、失敗した時に次が無いんだよ」
「っ……!」
さあ、始まる。自分で望んで、ここに来たのだ。殺されるか、壁を破って未来を見るか。口の中に溜まったものを飲み込んで、くっと息を止めるファインの中でも、今一度決意が固められる。
「いいよ、遊んであげる……! あなたの誇りも尊厳も、全部ズタボロにしてから殺してあげようか……!」
生じた火の玉が、ファインに向かって弧を描いて迫り始めた。発された声にファインは無言の反論を返すかのように、吐いた息とともに練り上げた魔力を全身から発した。




