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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第14章  霞【Dissension】
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第218話  ~だって私は混血児だから~



 ミスティはファインと同い年だ。だけどファインには、相手が年の同じ女の子だとは思えない。いくらほどの修羅場と血を乗り越えてくれば、あんなに鋭い眼が出来るのだろう。ザームやニンバス、セシュレスといった、歴戦の強者達と渡り合ってきたファインをして、息を呑む喉の動きが誘発され、しかも凍る喉元が上手く動かない始末。人は、至近距離で虎に睨まれるようなことでもない限り、ここまで極限の緊張を抱けまい。


「……やりましょう」


「んあ?」


「始めましょう、って言ってるんです」


 魔力を練り上げ始めたファインの態度と、その口から溢れた好戦的な言葉が、ミスティとの対話を放棄したことを表している。おおよそ、ファインの温厚な性格を推して知るミスティからしても、これは意外な対応だ。


「へえ、語るよりも結果でものを計ろうってこと?」


「……言っても、わかって貰えそうにないので」


 人生を幸せに生きていくために必要なものは何か。そう聞かれた時のファインの返答は"友達"であって、彼女の一番の親友であるサニーは、それに対して"対話"と答える。ファインだって、それには強く同意する性格だ。争い事よりも話し合いによる苦難の解決を好むし、イクリムの町でサニーが上手く話を纏め上げてくれた姿も見ているから、言葉によるやり取りが、無意味とは限らないという教訓も数多く得てきた立場である。


 それでもファインは、言葉ではなく拳と魔力で、最も雄弁に対話する道を選んだ。ミスティに対して思うところも、言いたいことも山ほどある。それがミスティの目指す道と、決して相容れないものであるとわかるから、言葉を重ねる道を敢えて捨てている。


「……私はけっこう、あなたの言葉を聞いてみたいとは思ってるんだけどな」


「…………」


「話す気は無い? どうしても?」


「……話し合えば合うほどに、悲しくなるだけじゃないですか」


 ああ、よくわかる。対立するっていうのはそういうことだもの。ファインは革命軍に、殺生と破壊を伴う革命活動をやめて欲しいと望んでいる。一方で、それが決して叶わないこともわかっている。多くの非道に手を染めてきたアトモスの遺志、今さら後になど引けるはずがあろうものか。


「……ふふっ」


 ミスティが今日、ファインの前でこういう笑い方をするのは初めてだ。からかう顔、煽る笑顔ではなく、心から屈託の無い表情で微笑んだミスティの表情に、ファインは初めて人としての彼女を見た気がした。気付けばほんの少し前まで、ミスティの全身から発されていた、殺気に満ちたどす黒い感情も薄らいでいる。


 それが、かえって危険信号。


「世間知らずなあなたに、一つだけいいことを教えてあげる」


 ファインがセシュレスほどの手練を破った敵だと知りつつも、交戦前にこれほどの余裕を見せる彼女の表情は、相応の自信に満ちているということ。上から目線の言葉が物語る、自身の優勢を確信したミスティの態度には、ファインも冷や汗を流しながら片足を引いて構える。


 始めましょう、と言ったのは自分だ。いつ来ても、おかしくない。


「天地大戦で勝利した天人が、今も地人と混血種の権利を縛り、あらゆる自由を許さない世界を築いてる。これが語る、歴史の中で決して動かない真理とは何でしょう?」


 危険だ。ミスティの全身から溢れる濃密な魔力は、それだけでファインの肌を粟立たせるほど深く濃い。体を左右にかくかく揺らしながら、一歩二歩とファインに向かって歩み始めたミスティの行動が、開戦一秒前を物語っている。


「答えはねぇ……」


 ファインとミスティとの距離は数歩ぶん。ゼロだと思えと、ファインの神経が彼女自身に訴えた。


「弱者には、選択肢を与えられないっていうことだよ!」


 消えた、現れた。風を纏って地を蹴ったミスティが、一瞬でファインのすぐ目の前まで迫っている。親指と人差し指の付け根の間で、ファインの喉元を突き抜こうとしたミスティの一撃を、あわやのところで身をひねって回避したファイン。

 しかし、顔をこちらに向けてにやりと笑うミスティの仕草には、ファインもぞっとする暇も無い。


「ぅあ……!?」


 跳んで離れようとするより早く、振り抜かれたミスティの足先が、後ろからファインの足首を蹴り払った。片足を地面から離れさせられたファインがバランスを崩して体を傾けるが、ぽふ、と優しい何かに背中を受け入れられる形で、彼女は倒れない。


「あなた、私に勝てそう?」


「っ……!」


 ファインの背中を両腕で受け入れ、お姫様抱っこに近い形で彼女の顔を覗き込むミスティの妖しい笑み。慌ててファインはミスティの胸を押し、体を離れさせたとも逃げたとも言う挙動。両足で地面に立ち、すぐさまミスティに振り返るファインだが、既にそこには誰もいないという光景が、ファインの頭を一瞬真っ白にする。


「無理だと思うよ?」


「ひゃ……!?」


 いつの間にかファインの後ろに回り込んでいたミスティが、肩の上から両腕を回し込んできて、背後からファインを抱く形にする。首の後ろで囁いたミスティの吐息が、ファインのうなじを撫でる中、二重の意味でファインの鳥肌が立ったのは言うまでもない。


「私より弱いあなたには、選択肢もなければ自由も無い。生きたいと願っても、話したくないと望んでも、私がそうはさせないもん」


「うっ、ううっ……!」


「心も、体も、さらけ出して貰って、それから」


 両腕を、縦にファインの胸元に押し付けて、ぎゅうっと抱き寄せるミスティの肘を掴み、引き剥がそうとしても離れない。決して力自慢のミスティではないが、ファインだって似たようなものだ。普通の女の子として、ミスティの抱きしめる力の方が強く、ファインはミスティから離れることが出来ない。


「死んで貰おうと思ってる、よっ」


「あぐうっ……!」


 腕を放したミスティが、自分のお腹とファインの背中が離れてすぐ、足の裏でファインの背中を蹴り押した。乱暴で、強い力に、苦しい声を漏らして前にぐらつくファインも、歪んだ顔ですぐさま振り返ろうとする。

 しかし、視界内にミスティを含むより早く、ミスティはファインとの距離を詰めている。体をこちらに向けた瞬間のファインの喉元に、今度こそミスティが親指と人差し指の間を突き刺してきた。


「はが……!?」


「んふふ、まだまだ」


 怯んだファインに追い討ちをかけるように、ミスティがファインの胸に掌を当て、ぐっと押し出した。殴るほど強い衝撃ではないが、線の細いファインにはそれだけでもきつい衝撃だ。喉を突かれたことと、気道を刺激された苦しみに、ファインがよろめきながらうつむく姿勢へと、ミスティは余裕の足取りで近付いていく。


「よい、しょっと」


「うぁ゛……!?」


 前かがみになり、おもむろに前からファインの膝のあたりに組み付いたミスティが、ぐいっとファインの両脚を持ち上げた。立つための軸を突然に奪われたファインが、背中から勢いよく地面に転ばされるのが当然の結果だ。

 打ちつけた背中と後頭部を、咄嗟の魔力で緩衝して守ることは出来たものの、倒れたファインのお腹の上に、ミスティが悠々と座り込む。ファインがすぐに立ち上がるという選択肢が、一手早く奪われてしまった。


「ねえ、どう? 私のこと、どう思う?」


「はぐ……っ!?」


「憎い? 嫌い? 殺したい?」


 衝撃をやわらげたといっても、地面に打ちつけた頭を押さえずにいられなかったファインの喉元を、ミスティの両手が握り締めてきた。ぎゅうっと首を絞められる力に、ファインが目の色を変えてミスティの手首を掴むが、ミスティの強い力を引き剥がすことは出来ず、身動きとれずに呼吸だけが一方的に奪われる。


「ねえねえ、どうなの? 私、こんなにひどいことする奴だよ? いっぱい、人も殺してきたよ? あなたの故郷もメチャクチャにしてやったよ?」


「あっ……がっ……!」


「ねえねえ、答えてよ! ねえっ、ねえっ、ねえっ!」


 この見開いた眼、正気とは思えぬ笑顔。ファインの首を握ったまま、激しく上下に揺さぶるミスティの手が、ファインの頭と肩の後ろを引くたびに持ち上げ、何度もファインの体を地面に打ちつける。一撃一撃がファインの頭の中身を揺さぶり、呼吸もままならないファインが目を白黒させ、為すすべなく全身から力を奪われていく。


「はっ、あっ……うぁ……」


「その綺麗事が好きそうな顔を、もっと憎しみの色に染めなよ。逃がさないよ、その感情からは」


 完全に優位に立った表情で見下した笑顔のミスティが、手から力を抜いても、ファインは殆ど動けない。ミスティの手首を握った手にも、まるで力が込められず、ようやく息の吸い吐きを許して貰えた気道から、か細い呼吸を繰り返すだけ。涙目になった目から雫がこぼれるより早く、口の端から透明な何かが溢れる方が早い。


「はぁ……はあっ……」


「……何その目。私のことが、憎くないっていうの」


「あう、っ……!」


 笑顔を冷ややかな無表情にして、ファインの頬を弱くひっぱたくミスティは、予想外のファインの目の色にいらついた声色を発している。人を殺してファインの正義の逆をし、彼女の故郷をこれだけ荒らし、今でもひどい仕打ちを繰り返してやっているっていうのに。


 ミスティに組み敷かれたファインが見上げる目には、相手を憎む感情が無い。かといって、見下げ果てるべき嗜虐を笑顔で遂行するミスティを、人として哀れむような目でもない。苦しみに満ちた瞳の色に、打ち勝つべき相手を見据える光だけ失わず、憎悪は表れていない、そんな繊細な眼差しなのだ。


「あなた、感情の欠落でもしてるのかな? どうして私のこと、嫌いになれないの?」


「あっ、くっ……んぐ……!」


「天人サマにいじめられすぎて、頭おかしくなっちゃったの? 怒ったり、人を憎めなかったり、そういう頭の壊れ方でもしちゃったのかな?」


 片手でファインの首を掴んだまま、もう片方の手でファインの頬を、往復びんたの形でぺちぺち撫でるミスティが、まるでファインを欠落者扱いするような言葉で罵る。怒ってみろ、憎んでみろと、煽る言葉と態度を繰り返すミスティだが、当然ファインもここまでされて、何も思わないはずがない。


「わたし、だってえっ……!」


「いたっ……!?」


 ミスティの手首を掴んでいた手の片方を離したファインが、その平手で思いっきりミスティの頬をひっぱたく。距離が掴めずに振り抜いたそれは、指先だけがミスティの顔を叩いた形だったが、鋭い痛みに顔を上げたミスティのお尻が、その拍子に腰をひねったファインの行動により振り払われるような形になる。


「怒ったりすることだって、あるよおっ!」


「うわとと、っ……!」


 流石に体勢を崩されかけた中で、体全部を使っての抵抗を受けてはミスティもたまらない。わたつくようにファインの体から離れ、ごろんと転がってすぐに膝立ちになるミスティが顔を上げれば、そこには同じくすぐに立ち上がろうとしたファインが、首を押さえて息を乱しながら膝立ちになっている姿がある。


「へぇ~、そんな顔も出来るんじゃん。その割に、私のことを……」


「っ……! 憎んだりなんか出来ないよ! わかるよ! 世界を変えたいって、私だって思ったことあるもん!」


 勢いでそこまで叫んだファインが、げほげほと咳き込んで言葉を止めてしまう。涙目でうつむいているのは、あくまで単に息が苦しいから。伏せた顔から落ちる一滴一滴に、言葉を発した瞬間から溢れた気持ちが、後から混ざる形で乗り滴っている。


「っ、く……混血児に、生まれたっていうだけで……いじめられて、無視されて、悪口言われて……! あなただって、おんなじ目に遭ってきたんでしょ! 嫌いになんて、っ……!」


 喉を押さえて顔を上げたファインの目が、今までに見てきたどんな彼女のそれとは違っていて、ミスティも瞳に感情が掘り起こされる。言葉遣いすら素に変わっているファインの、心からの叫びだってわかってしまえば、彼女と同じ苦しみを違う地で味わってきたミスティには、その迫真から目と心を逸らせない。


「私達は、そういう世界を変えるために戦ってる。どうして私達の邪魔をするの?」


「人をっ、殺したり、街を壊したりなんてっ……!」


「そうしなきゃ天人サマは言うこと聞いてくれないでしょう? あいつらがどんな奴らなのか、あなただったら一番わかってるでしょ」


 地人と混血児の地位向上。それを受け入れてくれる天界王や天人達じゃない。ファインなんて、混血児っていうだけで、どれだけ差別されてきたか。ミスティが言う、あなただったらというのは、まさしくファインこそ身につまされて知っているだろうという指摘である。

 だから革命軍は、そんな驕れる支配者の傲慢を打ち砕き、世を改める心変わりを強いようとしているのだ。人を殺さず、何も壊さず、話し合いで世界を変える名誉革命が出来るなら、ミスティだってセシュレスだってそれを選んでいる。


 誰がそもそも好き好んで、返り血に手を染めながら人を殺めることを望むというのだ。人の死は、その人が歩んできた人生をそこで無に返し、積み重ねてきたものを世界から抹消する残酷な事象。良かれ悪かれ、何らかの目標に対して努力を重ねてきた大人であればあるほどに、それこそ想像できるというものだ。革命軍の面々は、強き天人の武人を討ち倒す実力者に恵まれているが、そんな奴らこそが力を養ってきた歳月の重みを知り、他者を殺めてその者の人生をゼロにすることの残酷さを最も知っている。


「始めと同じ質問だよ。あなたが私達の邪魔をするのは何故? あなたの戦う理由は何?」


「嫌だからだよ……! 目の前で、誰かが死んだりするのは……! 誰かが悲しんだりするのは……!」


「あなたが私達の邪魔をするのは、私達をまた差別される世界に送り返すことと同じだよ。それでもあなたは私達を邪魔するの? 私達に、生きているだけでもつらい世界に帰れって言うの?」


 革命軍は、そういう奴らの集まりなのだ。地人や混血児に生まれたっていうだけで、ただそれだけの理由で下に見られ、天人達の倍の時間を働いても稼ぎは下回り、買い物する時も公平な額じゃない。ちょっとした天人の気まぐれに振り回され、意地悪な天人に暴言を吐かれても、暴力を振るわれても反論すら許されない。そんな社会はもう嫌だからって、武器を取って立ち上がったのがアトモスの遺志。ここまできて、革命は為されず元の世なんて結末を、受け入れられる覚悟で誰も動いていない。


「でもっ……それでも……!」


「あなた達の薄っぺらい正義感なんかに邪魔されちゃたまんないんだよねぇ。私達が望んで返り血を浴びてきたと思ってる? 人の痛みが想像できない冷血漢ばかりだとでも思ってる?」


「思ってないよ……思ってないけどっ……!」


「あーはは、泣く泣く! 言い返せないから泣く! ほんっとあなた、子供だよ! なんにもわかってない!」


 立ち上がって胸を張り、馬鹿にした笑いを作って煽るミスティは、ファインの思想を打ちのめす。一方で、言葉を紡げず口を絞り、ぼろぼろ泣き出すファインの涙も、今のミスティの本懐には複雑だ。


 なんにも間違っていない、ファインの言っていることも思っていることも。誰かが目の前で死んだりすれば、人は悲しいと思えるのだ。

 ミスティだってそうだった、あるいは今でもそう。初めて天人の兵を殺した時、その男の左手の薬指にあった指輪を見て、自分が何を奪ったのかを想い吐き気を催したこともある。革命軍の誰かが死んだと聞くたび、胸がずきずき痛む感情を失ったわけでもない。

 死は哀しい、回避させたい、自分にそのための力があるのなら。唇を震わせているファインの気持ちは、ミスティにだってよくわかる。


 ファインが言い返せないのだって、敵であるミスティらに、つらい未来に帰れと思えないからだ。ここまで感情が昂ぶっているなら、思ったことならなんでも言えるはず。それでも、革命を諦めて差別される世界で我慢しろと唱えられないのは、むしろ最も差別されてきて、人の痛みを知る少女だからこそ手放せない優しさの賜物だ。ミスティが立ち上がったことを見受け、自分も両足で立つ形まで立ち上がるも、顔を上げきれずに上目遣いで相手を見返すファインは、やはりその目に憎しみらしき色が無い。


「あなた、わかっててやってきたんだよねぇ? 私達の邪魔をして、革命をぶち壊しにするっていうことは、私達にクソつまらない差別される世界に戻れってことだったんだよねぇ?」


「わかってる……!」


「わ~~~かってないっ、わかってない。今知った顔」


「それでもいい……! 私は、目の前で誰かが死んだり、悲しんだりするのを見たくないもん……!」


「あははははは、開き直った! その場凌ぎの思想で、戦う理由を作るなんて、ほんっとあなた舐めてるよ!」


「私は元からこうだよおっ! 言ってもわかって……わかってくれないと、思ったからっ、言わなかったのにいっ……!」


 否定されるのはわかっていたのだ。綺麗事すぎるとか、甘いとか、そういう言葉で罵られる自分のスタンスであるのは、ファインも自覚があるのだ。

 だからミスティに戦う理由を聞かれた時も、はっきりそれを言うことを避けたのに。こうしてはっきり、自分の生き方を否定されると、つらくて涙も止まらない。身振り手振りでファインを煽るミスティに対し、握り締めた両手を腰の前に、身を乗り出して叫ぶファインの感情は、もはや自分でも止められない。


「混血児は、どうしてもっ……そこにいるだけでっ、周りを不幸にするんだもん……! だから……だからっ、私……人を不幸にしない人になろうと、したんだもん……!」


「…………」


「諦めただけだよ、私……! 世界を変えようと動いているあなた達のこと、凄いって思うもん……! 嫌いになったり憎くなったり、するわけないじゃんかあっ!」


 ミスティとファイン、同じ混血児ながら、選んだ道が真逆だっただけなのだ。そこにいるだけで、天人はおろか地人にも疎まれる日々が当然とされる世界を、ミスティは変えるために動くことを選び、ファインは甘受した。

 何もしなくても嫌われるような自分なら、せめて努めて善行を積み、周りに嫌われない人になろうって。そうすれば、誰も不幸にならないようにしていけるはずだって。いつか自分にも、居場所が出来るはずだって。そういう自分を、ファインは長年かけて培ってきたのだ。だから彼女は、血筋が違えばもっともっと多くの友人に恵まれていたはずの命運ながら、友達も少ないこの世界で笑うことが出来てきた。


「……あなた、元不良だって聞いてるけど」


「ぐすっ……そうだよっ……! ちっちゃい頃の私、周りと喧嘩してばっかりでっ……! ただでさえ嫌われ者なのに、もっと嫌われて……それじゃダメだって、思ったんだもん……!」


 拭っても止まらない涙を溢れさせる表面上のみならず、胸の奥からいくつもの思い出がファインの脳裏に蘇ってくる。どうして自分だけが差別されるのか、どうしてみんな自分をいじめるのか、納得いかなくて毎日のように誰かに反抗し、余計に疎まれて、一人ぼっちに拍車をかける悪循環。公園で楽しそうに遊ぶ、同い年の子供達を見て、何度羨ましいと思ったか。一人は嫌だ、友達が欲しい、一緒に誰かと遊びたい。自分を大事にしてくれるお婆ちゃんの愛、一人ぶんの愛で満足できるほど、幼い子供が物分りよくなれようはずがない。


 嫌われたくない、もう一人ぼっちは嫌。それを望んだファインが、お婆ちゃんの教えを聞きながら選んだ道は、周りを不幸にしない、良い人になるよう頑張っていくことしかなかったのだ。良い人を"演じる"のは、嘘をつくのが上手な人間でなきゃ無理なのだ。ファインは、それが出来る子じゃなかった。はじめは意識的にでも善行に励み、それが自分にとっての普通のことだと思えるよう、自分自身の精神を育んで、良い人に"なる"ことでしか、ファインは周りを不幸にしない自分を目指すことが出来なかったのだ。


「だからっ、私……もう、他の生き方したくないよ……! クラウドさんだって、レインちゃんだって、きっと今の私だから、友達になってくれたんだもん……! 私が変わったら絶対、二人とも、私のこと嫌いになる……! 私もう、独りになんかなりたくない……!」


 浅い正義感だって呼ばれても、人殺しを見過ごさない、悲しむ人々を見捨てない。そういう生き方を、自分の正しい生き方だって、ファインはずっと信じてやってきた。そういう自分を肯定して、そばにいてくれるクラウド達だからこそ、ただ友達が出来たっていう嬉しさ以上に、そんな気高い人のそばにいたいとファインも思うのだ。今さら自分のポリシーを変えられない、変えたくないという想いは、アトモスの遺志が革命を諦められないのと同じだけ強い。


 生まれ落ちたその環境が自分の望みにそぐわないものなら、世界を変えるか自分を変えるかしかないのだ。ミスティが変えようとしているのは世界、ファインが変えてきたのは自分自身。誰もが幸せになれる自分を目指して、日々を生きてきた末に今がある。16歳とは若いだろうか。16年の歳月のすべてを費やし、今の自分を築き上げてきた、二人の時間は短いものだろうか。


 生きていくことは、それだけで毎日が戦いだ。年月が、一人の人間に積み重なり、そこに掛け替えのない歴史を刻み付けていく。だからこそ、人の生涯とは重いのだ。若者でも、老人でも、命が等しく重んじられる所以はきっとそこにあり、殺生の罪深さは永遠に覆らない。


「……始まったね」


 ファインを見据えて離さなかった眼差しを、ミスティが天を見上げる形で逸らした。ファインは気付きもしなかった空模様の変化、夕時を前にして赤らんでいた空が急速に曇り、暗くなってきている。それは、クライメント神殿の上空に居座る雲だけによるものではなく、唐突に発生し始めた新たな雲が、上空を大きく覆い隠そうとしていることに由来する。


 ぽつ、ぽつと雨が降り始めるのが、雲が厚くなってからなんと早いことか。ここではない離れた場所、神殿の西にて、天候すら操る聖女の戦いが激化し始めた気配を、この事実からミスティも感じ取っている。スノウの魔力、風雨を呼び起こす魔力がここまで及び、ファインとミスティが立つこの場所にまで、にわか雨を降らせ始めているのだ。


「ファインちゃん、わかる? あなたのお母さんと、私のご主人様が、戦ってる」


「うっ……ぐすっ……」


「あなたのお母さんは立派な人だよ。セシュレス様や、ニンバス様からも聞いてる。あの人は、天人が支配するこの世界を嫌っていながら、革命がこの世にもたらす後の世の傷跡を想って、私達を討ち滅ぼそうとする。どちらに転んでもあの人にとっての幸せな世界は無いのに、親友殺しの十字架を背負ってでも、命を懸けて戦い抜いてる」


 クソ聖女さまと貶めることはあっても、死ぬほどムカつくと混血児の母を罵倒しても、悩み抜いた末であろう信念を掲げ、立ち上がった大人に対して払う敬意をミスティは失っていない。きっと、スノウを前にしては言えないような言葉だ。迷い得る敵の心に救いを与えることは、利害の問題で言えないから。立場が逆でなく同じ陣営なら、毎日だって言ってやりたいぐらいには、ミスティだってスノウという人物とその思想を重んじている。


「これが私達の戦いだよ。気高き人を前にして、その全身全霊が私達の前に立ちはだかろうとも、私達は目指す未来を諦めない。カラザ様も、セシュレス様も、ザームさんも、ネブラさんも、ニンバスさんも、ドラウトさんも――」


 涙を拭ってファインが顔を上げた瞬間、ミスティがいつの間にか振り上げていた掌を振り下ろし、ファインの両横に巨大な火柱を発生させた。爆音に挟まれ、熱と光に晒されるファインだが、肩を狭めつつもミスティを見据えるその両目には、泣きじゃくっていた少女の弱々しさが無い。今も戦っている母の姿を想像したことで、為すべきことのために必要な心の芯を幾許か取り戻せたのだろうか。


「私も、そう。あなたは、私達を止められる自信がある?」


「っ、わかんない……! だけど、止める……! 私は、そういう生き方をしてきたの!」


 涙で滲んでいたミスティの姿が、降り注ぐ雨粒の向こう側にはっきりと見え、雨が頬を濡らしていた涙を洗い流してくれる。片足を引くファインは、風を全身に纏う不慣れな魔術を行使して身構えた。ミスティの速さは、それと同じ、あるいはサニーと同じ、風を味方につけた超加速によるものだ。それに対抗するためには、自分も同じ境地に辿り着けねば勝負にもならない。


「……セシュレス様の言ってたことが、今になったらよくわかるよ」


 ミスティも、かつかつと地面をつま先で叩き、動き出す直前の挙動を始める。元より、手にかけたい相手ではなかったのだ。自分と同じ、混血児。それでいて、間違った世界を正す革命軍よりも、殺生を嫌ってそれに立ち向かうことを選んだ、心優しいファインだって聞いた時から尚更に。


 狂気を纏え、さあ狂え。自分にそう念じかけるミスティは、この世にそうと巡り合えぬ、同じ苦しみを共有し合えたはずのファインを、これからずたずたに引き裂く自分に暗示をかけている。


「あなたとは、もっと違う形で出会いたかった……!」


 声を発して唇を舌で濡らしたミスティが地を蹴った。目の前から消えるような速度で接近するミスティを、跳躍したファインが回避する。さらにはくるりと身を回したファインが手を振るい、ミスティに氷の弾丸を投げつける反撃が放たれ、それを風の幕を振るうかのような手の動きで振り払うミスティの防御が続く。


「さあ、ここからだよ! 私の名はミスティ! 革命を為すために生涯を賭けてきた私を、止められるものなら止めてみな!」


「負けない……っ!」


 着地したファインの前方に、広げた両手から無数の火の玉を発生させるミスティの姿がある。ファインにとって、生涯最大の天敵との戦いが、真の意味で始まろうとしていた。

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