第217話 ~宿敵との再会~
クライメント神殿に近付けば近付くほどに、街や建物の損壊は激しくなる。人っ子一人、住めるような環境とは思えないような、がらがら崩れの建物や、血飛沫と割れた窓の破片が散見し、硝煙の匂いもまだ消えきってはいない。
クライメント神殿へ侵略する時の革命軍と、クライメントシティの自警団の決死の攻防、さらには神殿を奪取した革命軍と、その奪還を目指す天界都市から参じた精鋭との死闘の主戦場が、きっとこの辺り。短い期間で二度の戦争の舞台となったこの近辺が、こういう姿に変えられていることは、いきさつを知った時点から想像できたことだ。
わかっていても、傷ついた故郷の姿はスノウの胸をずきずきと痛ませる。これからさらなる激しい戦い、命懸けの死闘を迎える直前に、雑念を抱いてはいけないと思っても、こればかりは耐え難い。気持ちの切り替えが難しく、別の場所でこれと似た光景を見たファインの心は大丈夫だろうかって、自分以外の誰かのことを考えることでの意識逃避も、思考を悲痛の一色に染めないための良い手段になる。こんな思考回路が有益化されること自体に、儘ならなさを感じるのも事実だが。
「やはり、予想よりは早かったな」
「時間が無いからね」
茨の絡み合った、ドーム状の新緑密集要塞に近付くにつれ、その異形の様相ははっきりとしてくる。しかし、そんな道を歩いていく真正面に、杖を持ったローブ姿の男の姿が見えた瞬間、目の焦点は背景に合わさらない。
待ち構えていた、あるいは待ち侘びてくれていた怨敵は冷ややかな声。故郷の痛ましい姿に心の動揺を長らしめられていたスノウに反し、極めて冷静な面持ちと声は、それだけでスノウにとっては面白くない。
「もっと作戦会議に時間をかけてくれてもよかったと思うが」
「あの子達の人が良すぎて、話が早々に纏まっちゃったのよ」
「良い方にか、悪い方にか」
「つらい方に」
「やはり、三人とも来るのだな」
「ええ、そうよ」
カラザには容易に想像がつく。4対3の状況になったスノウ側だったが、きっと根はお優しい聖女様だから、クラウド達には戦わない選択肢も与えていただろう。一人でも兵力が欲しいスノウ陣営の戦略的願望と、17歳にも満たない少年少女を死地に送り込むことは、天秤にかけた時にどちらが重いか、それは大人の価値観次第。スノウは後者のタイプだと、カラザにはわかりきっている。人格者アトモスの親友だったのだから。
そして、ファインとクラウド、レインが、スノウにそうした道筋を提示されようと、やるよと言いだす性格の三人なのも、カラザにしてみれば筒抜け。ここで命を惜しんで退くような奴らが、ホウライ戦役に自分から乗り込んでくるわけがない。あの日、炎天夏などによる惨状をあれだけ見せてやったのに、カラザやアストラに挑んでくるような、正義感に命を懸けられるような連中が、あの三人なのだから。
「ところでさ」
「うん?」
さあ始めようか、とカラザが杖を構えようとした矢先、間をはずすかのようにスノウが言葉を発した。彼女はまだ、構えていない。時間が無いと聞きながら、対話に時を割きにかかることは、カラザにとってもいくらか意外なことである。
「あんた達のこの即席要塞は、どういう作りをしてるわけ?」
スノウから見て真正面の位置にはカラザが立っている。その後方には、茨編みの要塞の入り口がぽっかりと、トンネルのように続いており、スノウが知っているクライメント神殿への道筋と一致する経路を示唆している。恐らくはカラザが宣言したとおり、彼を討ち果たすことが出来れば、邪魔者なくクライメント神殿への道を踏めそうな形である。
「なにぶん、多数の天界兵どもを神殿に近付けさせまいとするのは骨が折れてな。地上からの敵は、こうして私の魔力で操る茨で道を塞ぎ、空から迫ろうとする者達は、上天のあれで撃ち落とす仕組みになっている」
「あの雲ね」
「地上は私の地術による茨で、空からの敵は神殿を包むそれに加え、ブリーズの魔力で撃墜するという構成だよ。シンプルだろう? それほど簡素なものしか作る暇が無かったとも言えるがね」
なるほど、ある意味では朗報。カラザを倒せばこの要塞が消えるかどうか、果たして確信は持てなかったところだが、今の話を聞く限りでは、カラザを討てれば茨は消えるということになる。勝利条件が確かにそうであるというのは、後続で発生し得る問題を想定しなくてよくなる良材料だ。
それは、カラザが指差す上天の雲にも言える。誰かがブリーズを討ってくれれば、あれも消せるということ。
「結局のところ、あんた達に勝つことは私達にとっての必須条件なわけね」
「同時にそれは、叶えられるなら我々の敗北に直結する」
課題が簡潔化されることは、悪い話ではない。スノウは改めて、落とせぬ戦いだと強く決意するばかりだ。
「それとさ」
「ふむ、まだ何か」
「あんた達、古き血を流す者じゃないのよね」
達、というのはアストラを含めたカラザとの二人のこと。半分は答えに辿り着きつつも、スノウは確かめずにはいられない。
「じゃあ、何なの?」
カラザが蛇の下半身を持つ姿に変容したことも、アストラが竜の姿に変容したことも知っている。それがエンシェントによる力でなければ何なのか。それが、カラザ達の本質を物語る核心と言ってもいい。
「原種、と言えば伝わるか」
「……ええ、聞いたことのある単語。あんた、何歳?」
「答えを出すまでに時間がかかるな。いつからか、数えておらぬ」
「千歳は」
「それは間違いなく超えている」
「アストラって奴も?」
「同様だ」
まるで冗談みたいなことを真顔で言ってのけるカラザの言葉には、スノウも笑えず納得するばかり。千歳以上、すなわち太古の天人陣営と地人陣営の決戦、千年前の天地大戦の時代から生きていると、カラザは自称する。それが妄言に聞こえぬほどには、カラザの言動と強さには説得力がある。
「……だからあんた達は、極力この時代に干渉したくないのね」
「その時代の流れは、その時代に生きる者達が作るべきもの。私達のような、千年前の時代に若者であり、主役であった者達が表舞台に躍り出ることは、老害と呼ばれても反論できぬほど疎ましいことだ」
「だけどあなた達は、動いた」
「アトモスに心を動かされたのもきっかけの一つだ。彼女のせい、ではないがね」
スノウはかつてカラザに、本当空気読めてないと言ったことがある。現代っ子と自称したのも同じ日だ。千年以上も生きていて、その歳月で培った力と知識を武器に、その10%も生きていない者達をいたぶるような戦いぶりを見せてくるカラザに、汚いよと思うのは普通の発想だろう。百年生きられない者達からすれば、そんなの反則だって言いたくもなる。
「アストラの魂の力は、今ここでは借りぬ。約束に、説得力を持たせられるかね?」
「せめてもの、ってことかしら」
「あるいは、単身でお前を討ち果たせる私でなければ、革命後にも続くであろう動乱を鎮められはしまい」
「ハングリーですこと」
「……もう、良いだろう。始めようか」
初めてカラザが冷静さに陰りを見せ、これ以上は話したくないという"感情を"あらわにした。戦況を抜きにして平静時の彼が、冷静でない面持ちでいる表情は、誰も見たことがなかったはず。多くを語れば語るだけ、呵責がカラザを苛むことの表れだ。
「じゃあ悪いけどさ」
スノウが構える、カラザも構える。冷静でいられないのは、元よりスノウだってそう。故郷を破壊されたことも、矜持と称したのであろう価値観も半ばのような形で、反則寿命と実力で現代を荒らし回ったことも、とうにスノウの怒りの沸点を下げている。
こいつは、歴史上から消えて貰わなくてはならないのだ。革命が成るか成らぬか以前の問題。今のこの時代を、古きより生き続けてきた者に横取りされ、都合よく書き換えられることだけは、現代を必死に生きてきた者達すべてを代弁してさえ言えること。
身勝手な爺が私達の未来を選ぶんじゃない、とだ。
「死んで頂戴……!」
「させてみろ……!」
大気がびりつき、地表が揺れる。天人の聖女、地人の古豪、その二つの魔力が世界を揺さぶるこの瞬間こそ、歴史の分岐点を物語るかのように、二色の魔力で世界を色濃く分かつ様。
過去か、現代か。未来はひとつを選び、己が膝元へと招いてくれる。そして選ばれなかった側は、歴史から消えるのだ。
「レインちゃん、本当に大丈夫?」
「うん……! 止められたって、帰らないよ……!」
風の翼を開いて、人の頭ほどの高さで低空飛行するファインは、走るよりもずっと速い速度で前進している。それにぴったりついてくるのがレインだ。かしゃん、かしゃんと、鋼のブーツを纏った足で、地表を駆ける足音も控えめに進む彼女は、それほど一歩一歩が軽やかかつ、重いブーツを問題にしない脚力を体現させている。
南からクライメント神殿に向かう二人の真正面に、茨が絡み合う要塞の入り口が見えてくる。トンネルのように大口を開け、神殿への道筋を物語るような様相は、スノウがカラザと対面した西の入り口と同様だ。
「……ちっ、お前らか」
「!!」
そして、そこに敵が待っているのも同様。要塞の入り口のすぐそば、建物の残骸のちょうどいい高さの瓦礫を椅子代わりに腰掛ける男の姿は、ファイン達にも見覚えがある。特大サイズのシャベルを握り、立ち上がってファインらの道を塞ぐ彼の姿を目にしたファインも、レインも一度静止する。
「ザームさん……」
「レインちゃん、知ってるの?」
「…………」
思わず彼の名を口にしたレインには、ファインも少し驚かされた。ファイン達に身柄の渡ったレインを、奪還しに迫った連中にザームもいたのだから、初対面だとは思っていない。
ただ、ファインはザームに自己紹介されているから名前を知っているだけであって、レインがザームの名を知っているかどうかは定かでないはず。となれば、革命軍に服従させられていた頃から、レインとザームの間に、名を知り合える関係があったと見えよう。
「……優しくしてくれた人だよ。他の人達よりは、ずっと」
「飴と鞭ってやつだよ。お前はやっぱり世間知らずだな」
たとえ、戦事を好まないレインが攫われ、血を流す戦いを強制されていたことにザームが同情を覚えていても、決して彼はそれをここで明かしたりはしない。彼女にそうした運命を強いていた陣営に属する立場が、どの口でそんなことを言えるのかという話だ。彼と同じく、レインに優しく接していたミスティだって、ザームと同じ状況に立っていたら、似たような言葉でレインを突き放していただろう。
「騙されていたことが恨めしいなら、俺を殺して前に進むことだな」
さあ憎め、かかって来い。シャベルを構えたザームが敢えて、レインらに覚悟を固めやすくさせようとするのは、ある意味ではアドバンテージを捨てている。ザームは心理戦が出来ないのではなく、好まない。
「……お姉ちゃん、作戦どおりに行くよ」
「でも……」
「やれる……! 絶対、やってみせる!」
片足を引いて構えたレインと横並びのファインが、ザームから目を離さないでいるままでも、その決意の表情が声色から窺えた。3つの枠のうち唯一、2人で来ることを許された一枠にいる二人の間で交わされた、彼女らにしか出来ない作戦がある。
問題は、それを為せるだけの力がレインにあるかどうか。そして、ファインがレインを信じられるかどうか。
「……信じますよ」
「うん! 任せて、お姉ちゃん!」
「ふん……! 果たしてそうそう、思い通りにいくかねぇ!」
足元の石畳をシャベルの先でぶち壊し、再び構えたザームの覇気は、少女二人の肌を打つほど凄まじい。平和と安寧を愛する心優しい少女に、幾多もの修羅場を潜り抜けてきた男の気迫は重く、それはあるいは、クラウドが同じものを発しても、それに匹敵するほど色濃く凄まじい。
エンシェント二人と混血児の意思が交錯する戦場。はじめに地を蹴り駆け出したのは、誰より先に
レインだった。
「……多分、当たりだな」
東からクライメント神殿に向かう道を進んでいたクラウドの前方に、茨編みのトンネルが見えたことも、これから戦う敵が待っていたことも、彼の仲間達と同様のシチュエーション。相手がカラザでない誰であるのか、それが不確定だったクラウドが、敵を見て最初に発した言葉がそれである。
「たとえ君がここで死のうと、私が可愛い恋人や妹と戦わずに済んだからか?」
「死なねぇよ。お前なんかに負けるか」
白髭をたくわえ、白い神官服に身を包んだ、少しふっくらしたシルエットの老人は、廃屋の軒先の上に立ち、高い位置からクラウドを見下ろしている。にやりと微笑むその表情は、地人であるクラウドをそれだけの理由で見下す思想も、自分の半分も生きていない若者を軽んじる態度も、すべて内包している。
クライメント神殿の大司教、天人の中でも有数の術士、サニーの育ての親。そして、天人陣営を裏切って"アトモスの遺志"に加担する天人。ブリーズの名で知られる彼と、クラウドが顔を合わせるのはこれが初めてだ。
「地に足を着けて戦うことしか出来ぬ貴様が、術士の私にそもそも手を届かせられるのかね?」
「…………」
「分のいい勝負だと思っているなら、何も考えずに日々を生きる、土人どもの哀れさを思い出させてくれるというものだ。感謝すらさせて貰おう」
客観的に事実を見るなら、あまり良い相手であるとは言えない。クラウドだってわかっている。飛空能力を持つブリーズは、クラウドにとって触れることも課題に入る相手だろう。
それに、ファインの方がクラウドよりも、いくらかブリーズに関して情報を持っている。ブリーズと戦う相手として最も適切であるのは、クラウドよりもファインであったはずという見解は間違っていない。そうならなかったのは、それだけでも幾許かの痛手である。
それでもクラウドは、この道を選んだ。カラザが西にいるのなら、その場所から最も遠い場所、東側の交戦域に待つのは、三人の敵のうちで第二の実力者と認定される、そんな人物であるはずだったから。読みは正しかった。強き術者と謳われる、ブリーズと自分が戦うことになったクラウドに言わせれば、そんな相手にファインやレインを差し出さない形を作れたクラウドをして、大成功とさえ言える。
難題は必ず最後に生じるものだ。勝利し、打ち破って前に進むか、敗北して命を散らすか。真の意味で、この選択が正しかったと誇るには、前者が必須の話である。
「だからさぁ」
両手をぷらぷらと振り、直後にぐっとそれを握ったクラウドは、手甲に包まれた拳同士を、胸の前で一度がづんと鳴らした。響き渡る金属音は、その悲鳴だけでクラウドのパワーを物語り、仮にぶつけ合わせた拳の間に何があったとしても、それを粉々に粉砕していたであろうことを思わせる。力自慢を見せびらかす趣味のないクラウドが、こんな行動に出ることの原理は、宣戦布告に他ならない。
「負けねえっつってんだろ」
「勝てると思える根拠があるのかね?」
「ある」
勝てるだけの力があると示すためだ。舐め腐った態度で見下してくるブリーズに対する若者の憤慨は、老いたにやつき顔を僅かに冷静に近付けたが、そうさせるだけの気迫を放つのは、彼がすべてを為してきた過去が暗にはたらいている。
「負けたことがないからな」
クラウドの自信はそれに裏打ちされている。タルナダを破り、ザームとネブラが率いる一団を破り、アストラを破ってきた事実。これ以上に、己に揺るがぬ自信をもたらしてくれる要素は無い。過去と未来が同じとは限らぬが、歴史の重さは未来に繋がる現在にはたらきかけるほど、強い磁力を持っている。
「では、百勝無敗が百勝一敗になるのが今日ということだな」
記録は潰える、いつか必ず。クラウドの言葉に大言壮語を感じぬと認識しつつも、ブリーズは杖を構えてなお笑う。最強の術士の一人と呼ばれ、讃えられた過去を持つ彼もまた、その歴史に準じた絶対の自信を持つ人物だ。
「還ることだな……! 暗く、卑しい、地の底へ!」
「落ちるのはお前の方だ……!」
ブリーズが杖を一振りして放つ風の刃を、クラウドは横っ跳びにかわして急前進。挨拶代わりの一撃を経て、二人の戦いが幕を開けている。
プライドが懸かっている。地人というだけで見下し、混血児だというだけでファインを蔑み果ててきた傲慢な老人に、クラウドは絶対に負けられない。握り拳に普段以上の力が込められているのはそのせいだ。
暗い道の中。掌の上に光球を持ち、前方の視界を明るくして、翼を背に低空を滑っていく少女がいる。ついてくる誰かもおらず、自分のペースで最速前進する彼女に、果たして誰かが追いつけるだろうか。きっと、レインが彼女を追いかけようとしても、その速度についていこうとすれば息が切れてしまう。
茨を編んだトンネルを潜り抜けていくファインは、常に誰かに見られているかのような心境だ。上下左右にはびこる茨は、個々が命を持つかのように、ファインがそばを通るたびに震えている。滑空する彼女が生み出す風による挙動ではない。侵入者に、反応しようとしているのだ。
それが、実際には襲ってこないことが不気味でもある。ファインはそんな不安や雑念を努めて振り払い、クライメント神殿への道を真っ直ぐに突き抜けていく。到着まで、そう時間はかからないはずだし、迷わない。
「っ……!」
そして、駆け抜けた先。神殿の入り口が見るのと、茨のトンネルを抜けたのが殆ど同時のことだ。幼い頃、サニーに会いに行くためにこっそりと近付いたクライメント神殿を、ファインが見るのは久しぶりだ。その入り口の上空は、まるで台風の目のように空が見える様相を風穴を開けており、雲を見上げるにあたって茨が邪魔にならない様相だ。ゆえに道中より、光が差し込み明るくなっている。
「あーあ、来ちゃったんだねぇ」
だから、そこで待っていた少女の姿もよく見えた。横を素通りし、クライメント神殿の奥へと突入することが絶対に出来ない相手、させてくれない相手だと確信できる。赤白青のトリコロールカラーの服に身を包み、ファインを正面に溜め息をつく彼女の実力は、ファインも当然知るところ。
「ザームさんはどうしたの? そんなすぐに勝てる相手じゃないでしょ」
「……レインちゃんが、戦ってくれています」
「へー、あなたをここに送り込むために、レインちゃんが自分を犠牲にしたんだ。やっぱりあの子、凄いなぁ」
「犠牲……」
「ザームさん、本気出したら本当に強いよ? レインちゃん一人でどうにか出来ると、本気で思える?」
翼を畳んで地上に降り立ったファインを正面に見据え、ミスティが心を揺さぶる言葉を投げつけてくる。確かに作戦は上手くいった。一人でも、クライメント神殿に到達できればよかったのだから、2人一組で駆けつけたファイン達には選択肢がある。一人が敵を押さえ込み、一人がクライメント神殿へと駆け抜けるという、単純な策もその一つだ。それは、叶えられた。
問題は、3対4を自覚していたであろうカラザの提示した条件を反故にし、ファイン一人がここまで来た代償を払えるのかどうか。この展開を、カラザは一抹も予想していなかったとでも思えるだろうか。それが叶ったとして、楽観的に成功だと喜べるだろうか。一見、狙い通りに事が運んだように見えるファイン達だが、頭数で勝る利を完全に放棄し、レインをザームとの一対一に仕向けたことは、良き結果を招いてくれるのか。ミスティが突き、ファインの不安を駆り立てるのはまさにそこである。
「……オゾンの魂を得ようとしてるのは、あなたですか?」
「んふ、答えられないんだ。不安なんだね」
話を逸らそうとしたところにも、ファインがレインを心配してやまないことが表れている。強い瞳でミスティを刺すファインだが、ミスティに言わせれば恐るるに足らない。あんな強気な目つき、敢えて作らねば作れない性格のファインであるのは、付き合いの短いミスティにだって充分わかるのだから。
「ま、そうだね。オゾンの魂を獲得することを任せられたのは、私だよ」
「……アトモスの子、っていうのは」
「あー、なんかカラザ様もそんなこと言ってたねぇ。私がそうだったのかな? びっくり!」
両手で頬を挟んで、おどけてからかう仕草のミスティの余裕と、重なる苦境の色に心が圧迫されるファインは対極的だ。直射日光も浴びず、風に吹かれているのに汗を流すファインと、リアクション一つ一つで足を躍らせるミスティとでは、見るからに心の持ちようが違う。
「そんなわけだから、あなたが私に勝てるんだったら、私達の計画はおじゃんだねぇ。私達を止められるかどうかは、あなた次第とでも言っていいんじゃないかな」
「…………」
「んふふ、頑張れるでしょ。世界の運命は、あなたにかかってるんだよ。ヒーローだねぇ。あ、ヒロインかな?」
役者上がりのカラザに影響されたのか、そんな言い回しをするミスティだが、ファインの心には何の影響も無い。やらなきゃいけないと決意を固めてきたのは最初からだ。今の自分に任せられた責任の大きさらしきものを強調されても、嬉しくもなんともない。
「あのさ、ファインちゃんだっけ。一つ聞きたいんだけど」
「……何ですか?」
「あなたさ。私に勝てると本気で思ってる?」
これが、一番ファインにとって突きつけられたくない問いかけだ。以前、クライメントシティで交戦した時、ファインは完膚無きまでに打ちのめされている。ミスティがその気になれば、ファインはとっくに殺されていた場面がいくつもあったのだ。結果的にミスティを退けられたが、あれは実力の差を見せ付けられた末の敗北と言って何ら違いない。
「……やってみせます」
「で、でたぁ~! からげんきっ!」
「……やれると思ってるから、ここまで来たんです」
「違うねぇ~、やらなきゃいけないって思ったから来ただけだよねぇ~?」
全部正解、何もかも見透かされている。勝てるかどうかなんかわからない、むしろ自信なんか無い方だ。それでもやらなきゃいけないから来た、ただそれだけ。神様が味方してくれることを祈るほどの心地であるファインの心境を、しっかりミスティは見抜いている。
「もうさ、はっきり忠告してあげるけどさ」
「…………」
「帰ったら? 別に邪魔しないんだったら、私はあなたを殺す理由もないんだよ?」
暗に、立ち向かってくるなら命はないよと、勝利前提の発言だ。自信に満ちている、ファインには無いものだ。決意は揺らがぬものの、その言葉にうっとなってしまうほどには、ファインはミスティを恐れている。
「帰りません」
「死にたいの?」
「……勝つんです」
「無理だよ絶対」
「そんなこと……!」
「だいたいあなた、私と戦う理由なんてあるの? 私達の革命を邪魔することって、あなたにとって正義なの?」
セシュレスとも一度語り合ったことだ。ファインの中にはもう答えも出ている。戦うつもりでいる。
「そう、信じてここまで来たんです」
「じゃ、教えてよ。あなたの戦う理由とやらを」
「それは……」
「言っておくけど私、狭間だよ」
その瞬間、ファインの背筋が凍りついた。体も後方に傾いた。それほどまでに、きゅっと目を細めて低い声を発したミスティの態度は、腹を決めてここまで来たはずのファインをびくつかせるものだったのだ。
「私は身を以って知ってるよ。天人にも、地人にも受け入れられず、差別されてきた混血児の立場を。そんな私が世界を変えようとしているのを、あなたは妨げようとしている。意味、わかってるよね?」
セシュレスに向けて発した言葉を、同じように発することが出来なくなる。相手が違う。ファイン自身が経験してきた、誰からも受け入れられない壮絶な過去を、ミスティは持っている。共有できる間柄と言っても過言ではないだろう。
だから、己が大願を果たそうとする道を塞ぎ、革命を潰えさせようとする勢力に対し、容赦ないミスティの心持ちが、嫌と言うほどわかるのだ。信念を語るも結構、だけど私を納得させられるだけの言葉を紡げるかと、軽い返答なら許さないと睨みつけてくるミスティの眼差しは、ファインが胸を思わず握ってしまうほどに痛烈だ。
「ねえ、気をつけて返事しなよ? あなたには、私の未来をぶち壊しにしてまで戦う理由があるの?」
ファインの天敵はここにいる。革命を志してやまないザームでもなく、血筋だけで見下してくる天人でなく、最強のカラザでもない。同じ境遇を経験し、真逆の立場同士で対立するミスティの意志力が、その圧迫感だけでファインをたじろがせようとする。
目線を落とす、ミスティを直視できなくなる、喉の奥に詰まった息を苦しく吐き出し、顔を上げる。ミスティは、変わらぬ眼差しの強さでファインの瞳を貫いている。




