第21話 ~旅中の湯浴み~
人里の外に出ると、世界の広さはその目によりよく映る。次なる人里への道はこちらですよ、と前方に伸びる道は、今いる場所からでは地平線まで続いていて、まるで果て無き道にも見えるものだ。歩けば歩くだけ、横の風景は一新されていくものの、前方風景は道が続くばかりであまり代わり映えない。退屈しない旅がしたい時は、前ばかりでなく横にも余所見するのもコツである。
「クラウドは野宿慣れしてるの?」
「野宿暮らしの方が長いよ。あの町にいたのは1年ちょいだったし、それまでは傭兵稼業で人里なんかにいない時の方が多かったぐらいだし」
旅で退屈しないためのもう一つの秘訣は、一人でいないことだ。3人並んでの旅路、話し相手には事欠かず、サニーとクラウドは軽い口を交わして、歩き疲れも意識せずにお喋りを重ねている。二人に挟まれる少し背の低いファインは、左右の二人が発言するたび、そちらに顔を向けて楽しむだけ。口数の多くないファインだが、言葉を発する人の表情から心を感じ取るだけでも、充分にお楽しみのようだ。
「ファインは大丈夫なのか? あまり、歩くのが得意な体には見えないけど」
「ええ、大丈夫ですよ。こういう暮らしは慣れてますから」
「ちょっと。それって捉えようによっちゃ、ファインと比べて私を野生児扱いしてない?」
自分からあまり言葉を発しないファインには、時々こうしてクラウドも話を振って、笑顔で返答する彼女の姿を引き出している。そうして広がった話にサニーが食いつくから、お喋りは常に途絶えない。寡黙な一人旅より話し相手のいる二人旅は賑やかだが、二人旅と三人旅では、横入りという概念が発生するので和気も格段に上昇する。三人旅と四人旅の差よりも、二人から三人になった時の差は大きいのだ。
「野生児とまではいかないけど、活動的で体動かすのが得意なイメージはあるなぁ」
「大丈夫です、見た目どおりです」
「うっ、ファインまで。そういう見られ方するのって、女子力としてはどうなの」
「……サニー、けっこう女子力女子力って気にするよね」
「そりゃそーよぉ。私だって、素敵な男性に声かけられてみたいなぁって思うもん」
サニーが思う、モテる女の理想像っていうのは、どうやらファインみたいにおしとやかな女性なのだろう。反面彼女を見る人々の客観的視点は残酷で、おしとやかとは真逆のイメージ、元気いっぱいで野山を駆けても平気そうな姿を、サニーの風貌や態度から概ね連想する。女子力という言葉で形容するのは厳密には違う話であろうが、サニーはそういう言葉でざっくりまとめているようだ。
「別にそういう子が好きな男は少なくないと思うぞ。俺はサニーのこと、それが一番らしそうだなって思うし」
「それは果たして肯定されているのかしら」
「してるよ。……つーか、そうじゃないように聞こえたなら、サニーが後ろ向きに捉え過ぎなんじゃないの」
「サニーって、案外人の目を気にするんですよ……」
「あっ、ファイン! 今の聞き捨てならない! 案外、って何よ案外、って!」
歩くのをやめて、ファインの頬をやわくつねって抗議するサニー。痛くないのだが、顔をふにふに触られる感触から逃げるように、ファインも頭を逃がしてサニーの手首を握る。互いに本気じゃないから、剥がれるのも早い。
「私目線からでも、サニーって屈託なさ過ぎるタイプには時々見えるよ?」
「ひどいっ! 親友のファインが私のことをわかってくれてないっ!」
「わっ、ちょ……! ああもうっ、そういう所もっ……!」
心配しなくても、長い付き合いからわかっているというのに。嘆くふりしてファインに抱きつき、私のこともっとわかってよという態度を演じるサニーだが、要するに溺愛する親友にじゃれつきたいだけである。ファインを抱きしめ頬ずりするサニーの頭を、ファインが頭を逃がしながら突き放そうとする。今度はそこそこ力の入った戦いだ。
「はいはい、ほどほどにな」
ファインの顔が本気で困ったものだったので、クラウドがぐいっと二人を横から引き剥がす。新しい旅仲間の参入は、ファインにとってはべたべたしてくる親友から救ってくれる心強い味方の誕生でもあろう。ファインとのスキンシップを心おきなく楽しみたいサニーにとっては、いい具合に調律者が出来てしまったことで、今後は今のように残念な顔をする機会が増えそうだ。
人里と人里を繋ぐ道には、ちょうどいい辺りに野良小屋がいくつか建てられていることが多い。乗り物の停留所か何かのように、人里離れに点在するそれらは、夜を過ごしたい旅人向けに、ご自由にお使い下さいと放置されたものだ。あるいは、退廃した古き村の名残であったりと、そういう施設は世界じゅうに少なくない。
経営者のいない宿みたいなものだが、こういう場所で宿商売をしようとしても安定して客は来ないものだし、何より野盗の格好の狙い目になる。人里離れの固定商売は、旅人という需要に対して供給が少ないものだ。特に数年前は、魔女アトモス率いる、被支配側だった地人の権利を獲得すべく、天人相手にクーデターを起こした者達が大陸じゅうにあふれ返っていたし、後年の今も人里離れは治安が良くない。そんなご時勢、人里離れの宿商売なんて危ない仕事が減るのは当たり前で、旅人や行商人には少し不自由な昨今、こうして雨露しのげる屋根だけでもあるのはありがたい。世の中って、案外ほっといても誰かのために上手いこと回ってくれるものだ。
日も沈み、視界も悪くなってきた頃合いに、野良小屋を見つけられたのは巡りがよかった。クラウドとファイン達が出会ってからの一週間は晴れが多かったが、そろそろ周期的に雨も降り出しそうな時期。雲行きもあまり良くなかったし、雨が降る前に小屋を見つけられたのは運も良かったと言える。実際、3人が小屋を見つけた頃合いから、空気も露骨に湿り出してきた気がする。ほどなくして雨が降り始める予感は、旅を経験済みの3人には、肌でも漠然と感じられることだ。
「それにしても思うんだけどさ。ファイン達って女の子なのに旅してるけど、体洗うのとかどうしてるんだ?」
野良小屋の中で一度座り、汚い小屋の中でひとまずの休息を取る3人。今夜はここに泊まるため、寝る前にちょっと掃除もしておきたいところだが、それはひと休みした後でもいいだろう。どう褒めようとしても小汚い小屋の中を見て連想した問いを、クラウドが二人に尋ねたことに話は広がる。
「すけべ」
「うるさいな。ちょっと聞くぐらいいいだろ、普通に気になったんだし」
ひひひと笑いながら、挨拶代わりにからかってくるサニーに、クラウドが気まずそうに頭をかくのも普通の反応。まあ、実際気になるのだ。お風呂もない旅暮らし、綺麗にできない体で歩き続けるのは、女の子にとってはかなりの苦行じゃないかと、クラウドも想像で補ってしまうから。一方で、歩きながら何度か二人と近しい距離感になることがあっても、ファインやサニーから汗臭さを感じないのも不思議だった。
「じゃ、ちょっと外行きましょうか。ファイン、洗ってあげる」
「ヘンなとこ触っちゃやだよ?」
速攻で釘を刺すファインに、わかってるわかってると手をひらひらさせて応じるサニーが、先に小屋の外に出る。クラウドやファインも、そんなサニーに続く形だ。
「さーて、困った。本当はちゃんと脱いで体を洗いたいところなのですが」
獣道でクラウドを振り返り、にまにまするサニー。何その目。言わんとしてることはわかるが。
「男の子がいる手前、やっぱ裸にはなれませんやねぇ」
「ああもう、わかってるよ。俺は小屋の中にいるから……」
「いいのいいの、服着たままでも体洗えるから。ほら、ファイン」
「うん。いくよ、サニー」
ファインと向き合い目を閉じたサニーの前、微笑んだファインが両手をサニーの頭の少し上に向ける。小さく何かをつぶやいたファインの行動と共に、サニーの頭上から、局地的な雨が降るかのように水が生じたのが直後のことだ。まるでシャワーのように、とめどなく振り続ける水が、サニーの体をびしょ濡れにする。
「やー、ちょっと冷たいよ。風邪ひいちゃう」
「そう? それじゃ、もう少し温度上げて……」
注文しながらも、全身を濡らす水の中で、服を着たままわしゃわしゃ頭や体を洗うサニー。それに伴い、ちらちらとサニーのウエストが見えたりして、クラウドもちょっと目のやり場に困る光景だ。足を覆う道着めいた下衣もまくり上げ、綺麗な肌の色をした細い脚を洗うサニーを見ていると、目を疑うような強さだった彼女とて、やっぱり女の子なんだなって感じたりするが。
天人の血が生み出す水の魔力で多量の水を発生させ、地人の血が生み出す火の魔力で水温を調節するファイン。彼女がいれば、長い旅暮らしでも女の子が我慢できる程度に、体を毎日洗えるのだ。欲を言えば石鹸なども使って、もっと体を綺麗にしたいところであろうけど、旅の中でそこまでの贅沢はいちいち言ってられまい。そういうのって値が張るし、荷物が増えすぎても困るので、毎日ちゃんと水洗いした綺麗な体で、充分妥協できるラインを保つぐらいが丁度いい。
「はーい、もういいよ。次はファインね」
ある程度体を洗って満足したサニーが、水の発生を中断したファインに、同じ仕草で彼女の頭上から多量の水を降らせる。天人には火の魔力が使えない。降り注ぐ水の温度は冷たいものだが、ファインが自分の力で火の魔力を作れるため、肌の表面は冷たいものの、体の芯は冷やさない形で風邪をひかないように出来る。
サニーはクラウドの目を多少は気にしつつも、いちいち細かく挙動を変えたりしなかったが、ファインは殿方の目線が気になるようで、何度も体の向きを変えている。体の前を洗う時にはクラウドに背中を向けるし、脚を洗う際にも座り込んで、素足をあまり見せたがらない。魔法のシャワーという見世物に感心していたクラウドも、流石にこれはいけないと途中で気付いて、ファインに背を向けた。服を着ながらとはいえ、女の子が体を洗ってるところなんて、まじまじ見るものではありません。
「背中、届かないでしょ。流してあげよっか?」
「ひゃっ!? ちょ、ちょっと、いきなり触らないでよ……!」
クラウドの後ろでは、彼が見ていないことを幸いに、ファインの背中を露出させて掌で撫で始めたサニーがいたりするのだ。片手でシャワーを作る魔力を操り、片手ではファインとスキンシップ。そんな器用な技を見せてまでファインを愛でたいのだろうか。愛でたいのだろうけど。めでたいのはサニーの頭。
「はい、次はクラウドの番よー。心の準備は出来てるかしら?」
ファイン達に背を向けていたクラウドの頭上から、返事もしないうちから降り注ぐ多量の温水。温度が調整されているということは、これはファインの力か。
「あの、いきなり……」
「堅いこと言いっこなしなし♪ 背中流してあげるからじっとしてなさいな」
クラウドのシャツを後ろからまくり上げ、たくましい男の背中を気兼ねもなく掌でこすってくれるサニー。手の早い行動によって、いきなりクラウドの上半身の裸を、背中だけとは言え見てしまったファインは、顔を真っ赤にして顔を逸らしていた。温水のシャワーが一瞬止まりそうになったのも、急な殿方の肌を見てびっくりしたからだろう。
「全部脱ぐなら体全部洗ってあげますけど?」
「……それは遠慮しとく」
クラウドも、服を着たまま出来る限り、体を洗い流す。先にサニーが手本はこうだと見せてくれたのが、いい意味でチュートリアルになっただろうか。服を着たまま体を洗うという、あまりない経験にも自然な流れで取り組めたものだ。
ある程度体を綺麗に出来たと思ったところで、クラウドがそう告げれば、ファインも温水のシャワーを断つ。さて、びしょ濡れのままの3人。このままでは風邪を引いてしまう。
「それじゃ、乾かしましょ。ファインっ、よろしく」
「はーい」
ファインもサニーも、濡れた服が体にひっついて、体のラインが浮き彫りになっており、クラウド目線でも目の毒だ。サニーはあまり気にしていない顔だが、服の上から両腕で胸元を隠して近付いてくるファインの仕草は、余計に扇情的でクラウドも直視しづらかった。可愛らしく小さな体の彼女だが、16歳にもなれば発育も進んでいる。
3人で三角陣形に背中を合わせる形で集まったところで、ファインが魔術を展開する。天人の血が生み出す風の魔力と、地人の血が生み出す炎の魔力の複合魔術だ。乾いた肌に浴びれば熱いと感じるであろうほどの風が、渦巻き3人を包み込む。温風と熱風の狭間の強風が、集まった3人の体と衣服を一気に乾かすのだ。
ファインが生み出す温風は、単に温度と風力で乾燥を促すものではない。水の魔力によって生み出された水、それを打ち消す形で吹っ飛ばすことにより、結果的に体と衣服を濡らした水を消すためのものだ。下着や靴の中までぐっしょりと濡れたはずの全身が、ファインの風に触れる時間を長くするにつれ、急速に乾いていく実感には、クラウドも驚くばかりである。
さほど時間もかけぬまま、からっと綺麗に乾いた3人の姿がそこにあった。ついさっきまで自分がびしょ濡れであったことなんて、短時間の末の今さっぱりしたクラウドも、自然の理を超えた魔術の力に驚くばかりだ。
「……どうでしたか?」
「さっぱりしたでしょ?」
不都合はありませんでしたかと、おずおず問うファイン。可愛い親友の魅力的な力を見せられたことに、ファイン以上に嬉しそうなサニー。驚きの顔から、凄いなという感心の表情を素直に表したクラウドが、ありがとうと笑って返すのがすぐ後に続いた。
天人と地人の混血児、境遇ゆえに冷遇を受けた日々も多かっただろう。それと引き換えにファインが手にしている、天人と地人の魔力を共に扱える力の恩恵は、ある意味では代償に釣り合うだけの魅力的なものでもあろう。特筆すべきは、天人と地人の扱う魔力の複合は、こんな便利なものにもなり得るという点。
なのに、天人と地人の溝が埋まらないのが昨今だ。儘ならない世の中である。




