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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第14章  霞【Dissension】
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第215話  ~もっと怖い話~



 ここ最近のスノウは、早起きするように努めている。深酒しないようになった最近は、寝起きのだらしなかったホウライの都の頃とは生活習慣も変わり、ファイン達より遅く寝て、先に起きられる生活に改善されている。仮にも年長者で保護者とも呼ばれ得る立ち位置、身内以外には勿論のこと、愛娘らにもだらしなさ過ぎる姿は、あまり見せたくないという自覚もあるようだ。一昨日、ニンバスとの酒の席からべろっべろに酔って帰ってきたのは、不本意な大失態というやつ。


「ん~……ふぁ……」


 今日も4人の中で一番に目を覚まし、布団の中から浴衣のはだけた体を起こし、寝癖ではねまくっている髪を手櫛で軽くいじりこむ。レインは別とし、ファインやクラウドは早起きな方なので、この二人よりも早起きし、二人が目を覚ます頃には寝癖も目やにも解消済み、という姿でいるのは、なかなか睡眠時間を取られるものだ。


 正直、まだちょっと寝ていたいぐらいには眠い。だけど、二人にあんまりだらしのない姿を見せるのも嫌なので、布団から出ると浴衣を整えて、スノウは宿の外へと出て行く。


 まだそんなに明るくない。朝の風もひんやりめ。そういう時間に起きないと、一番早起きにはならないから、ファインもクラウドもしっかりした生活リズムを持ってるなぁなんてスノウも思う。素の自分とは正反対だなぁ、とも。目をこすりながらそんなことを思う中、自分で言うのもどうなんだろうねって、一人で苦笑するぐらいまで至れば、目も覚めて頭が回るようになってきた証拠である。


「ファインもそろそろ、起きてくるっかな~」


 こうして宿の外で風に当たり、ぽやーっと待っていると大概、クラウドよりも先にファインが起きて宿の外に出てくる。クラウドは朝起きても、部屋でゆったりしていることの方が多く、ファインはクラウドに見られていない場所で、寝癖を直したり顔を洗ったりしたがるからだ。ファインとクラウドのどちらが先起きでも、外にいれば朝一番に起きて顔を合わせるのは、理屈から言ってもファインである。


 宿の玄関前の郵便受けに五部差し込んである、お泊まりのお客様もどうぞと置かれている新聞をスノウは取り、特に何の気もなしにそれを開いた。ちょうど真ん中のページを開けば、見出しに次ぐ本日の朝刊のトピックが載っているものだ。表に大きく載せられている一番の見出しを飛ばして、先に今朝第二のニュースに目を通したのはほんの気まぐれである。


「ふーん、ホウライの都も復興は前向きに進んでいるのねぇ」


 一度壊滅させられてから日は浅いものの、どの程度の復興進行具合かや、近隣の町村との連携がどのように取られているかを書き綴られた新聞を読むにつれ、スノウも微笑ましい気分。各地の新聞、特に天界都市のあるカエリス地方に面するマナフ山岳、その中にある村に回ってくる新聞だけに、主に天人社会の近況ばかりを載せる贔屓の濃い新聞だが、今回に関してはその鼻につく偏りも気にならない。昨今のホウライの都がどうなっているのかはスノウも気になっていたし、故郷を焼き討ちにされた後でも、あのドラ皇太子がなんとか民を導いて、頑張ろうとしている近況を聞けば、見守る親のようなこの心地も悪くない。


 さて、ふとした気まぐれでそんなページを開いたスノウだが、満足すれば新聞を閉じて、今朝一番のトピックを読むために見出しに目を向けた。ホウライの都の復興状況報告を第二にして、見出しに載るようなことといえば、天界都市で王様が演説でもしたとか、そんなことなのかなぁなんて思いながら。


 正直、あんまり興味の沸くような内容は期待していなかった。


「…………?」


 最初、その見出しを見た時には、ちょっと意味がわからなかった。あまりにも突拍子の無い記事だったからだ。私、急に字が読めなくでもなったのかしらとか、あるいは寝ぼけて今も夢の中なのかなとか、まともな考察が頭から沸いてこない。目をごしごしこすって、幻を見ているとしか思えない自分の目に活を入れると、両手で新聞を持って、はっきりと見出し記事を目の前に持ってくる。


 おかしい、何も変わっていない。夢か現か確かめるため、自分のほっぺたをつねるなんて、笑い話の中だけの話だと思っていた。少し震えかけた手で、自分の頬を軽くつまむが、本気でそんなことをするのも馬鹿らしいと頭では思うのか、さほど力は入らない。そんなことしようがしまいが、今自分が見ているのは、夢の中での話ではなく現実のものであるのはわかっている。


 涼しい中での朝起きで、15分も経たぬうちに冷や汗がぶわりと噴き出したのは初めてだ。パシンと新聞を両手で挟み、一度開いて形のふわついた新聞の形を、届きたてのようなぺしゃんこの形に整えたスノウは、それを新聞受けに差し込んで宿の中へと帰っていく。足早にだ。


 とんでもないことになった。しかし、この事実をどこまでファインに伝えていいものか。未だファインらが眠る自室に帰るまでの間だけでも、スノウの頭は寝起きと思えぬほどの速度で回っていた。











「おーい、レイン。まさかとは思うけど、寝たりするなよ。落ちるぞ」


「もう大丈夫だってば。さっきまでは、けっこう眠かったけど」


 馬に乗り、自分の後ろにレインを座らせるクラウドは、手綱を操りながらも未だに訝しげな表情が抜けない。クラウドとレインが乗る馬の前方を、スノウとファインの乗った馬が駆けているのだが、いかにも飛ばし過ぎだ。手綱を緩めて馬の首を時々押し、加速を促すスノウの後ろに座るファインも、きっとクラウドと同じ心境だろう。何をそんなに急いでいるんだろうって。


 気付けば昼過ぎには、マナフ山岳を抜けきってしまう始末だ。そもそも宿を出たのも早かったし、朝早くから飛ばし馬で山越えしようとしているのだから、ペースが速いのはわかる。気になっているのは、朝も早くからスノウがファインらを起こし、朝風呂と朝食の時間こそ許してはくれたものの、さあ行きましょうと準備よく馬二頭まで用意してくれていたこと。体を洗って食うもの食ったら、さっさと出発しましょうというスノウの急きよう、どう考えたって普通じゃない。


「ねえ、お母さん。そろそろ……」


「……そうね、そろそろ話すわ」


 露骨なぐらい、帰郷の足を急ぐスノウに、何かあったのかとクラウドやファインが尋ねても、スノウは後でとはぐらかすばかりで、何も教えてはくれなかった。そのはぐらかし方も、笑って手をひらひらさせる仕草こそ一見軽いものだったが、笑顔にいまいち彼女本来の快活さが無かった。何か秘密にして、後でびっくりさせてやろうとか、そうした遊び心があるようには見えない。その上で秘密を作られるファイン達をして、ちょっと嫌な胸騒ぎを覚えるのは当然だ。


「ファイン。私のこと、ぎゅっと捕まりなさい」


「え?」


「いいから、腕に力を。そのまま、私の話を聞いてね」


 妙な提案に目をぱちくりさせながらも、ファインはスノウの服を掴んでいた手を離し、代わりに腕をスノウの胴に回して、しがみつく形にする。


「……これでいいの? お母さん、苦しくない?」


「強ければ強いほどいいわ。そのまま、聞いてね」


 スノウの細い胴を、ファインの非力な腕がぎゅっと抱きしめる形だ。スノウもちょっと、息が締まる心地。

 だが、それでいい。今から切り出す話は、あまりにもファインにとってショックな出来事で、聞いた途端に頭が真っ白になり、ファインが落馬でもするアクシデントを万一にでも防ぐため、スノウはこんな提案をしている。


「革命軍が、クライメントシティをまた襲撃したわ」


「……………………えっ?」


「捕まってて!」


 案の定、スノウの発した言葉の意味がわからなかったかのように。あるいは思考能力を失ったかのように、ファインの腕から力が失われかけた。強い声を発し、馬から落ちないようにしっかり捕まっていなさいと命じるスノウにより、呆然手前のファインの意識が現実へと帰ってくる。


「今朝の新聞に載っていたことよ。昨日、"アトモスの遺志"の総軍がクライメントシティを襲撃し、あっという間にクライメントシティの中央区を制圧した。その晩、天界都市カエリスからも、天界兵の総軍が出陣し、クライメントシティ奪還のために戦ったそうだけど、それをも退けた革命軍は、今もクライメントシティを占拠したまま居座っている」


「……えっ? その……え……?」


 いきなりこんなことを言われて、頭がついていくはずがない。話の舞台が、クライメントシティじゃなければ話も違ったかもしれない。故郷を革命軍に強襲、制圧されたという事実を聞かされたばかりのファインが、言葉を失い短い文字を発することしか出来ないのは、本能的に認めたくない現実に頭がついていかないからである。


「話はそれだけよ。だから、急いでる」


「あ……あの……お母さん……?」


「それ以上のことは何も知らないわ」


 振り向きもしないまま、馬の首をぐいぐいと押し、さらなる加速を促すスノウの後ろで、ファインは真っ青になった顔を上げ、動けずにいた。言われてしがみついていた手にも、感情のこもっていない、より強い力がこもる。頭が真っ白で全身硬直するに近い今のファインの両腕は、動く石のようにスノウのお腹を挟み込む。


 本当は、知っていることだってもう少しあった。だが、スノウはこれ以上話さない。これ以上は、ファインをより不安にさせる言葉しか紡げないからだ。それほどまでに新聞に綴られていた、クライメントシティを襲った災いの内容は恐ろしいものだったからだ。


 真っ先にファインの頭に浮かんだのは、女手ひとつで自分を育ててくれたお婆ちゃんの顔。詳しく知れば知るほどに、そんな大切な人の生存の希望すら失われる情報の数々を、スノウは黙秘し前へ行く。体を自分に密着させたファインが、がたがたと震え始めた動きを認識したスノウに、これ以上の説明は出来なかった。






 新聞が語る、昨日の出来事の始末は以下のとおり。


 時は昼食前の少し前。"アトモスの遺志"の総軍が、クライメントシティを急襲した。その突撃力は圧倒的なものであり、クライメントシティを守る天人達の抵抗は、殆ど為すすべなく押し潰されていくばかりだったという。この、"総軍"という言葉が実に重い意味を持つのだが、それは新聞の最後に詳しく後述されていた。


 さておき、あっという間にクライメントシティの兵らを鎮圧した革命軍は、天人専用の居住区が広がる、クライメントシティ中央区に陣取った。その中心にあるのは、クライメント神殿だ。そこを拠点とするかのように、革命軍はすぐさま陣を取る。侵略軍は敵地を占領した直後、奪い取った陣地を守るための布陣を敷き、迎撃体勢に入った形である。真の意味で熾烈な戦いが始まったのはこの後だ。


 夕過ぎ、クライメントシティに凄まじい勢いで攻め込んできた軍勢がある。それが、北のマナフ山岳の向こう側から、山を越えて一日で進軍してきた天人達の最高戦力、天界都市カエリスから派兵されてきた天界兵の軍勢だ。革命軍の総力と、クライメントシティの奪還を志した天人達の最強兵達の激突が、夜のクライメントシティにて勃発。ファイン達が数日前に立ち会った、ホウライの都を舞台とした大戦役と殆どスケールの変わらない、両陣営が全力を投じた死闘が繰り広げられるに至った。


 戦いは、昨日の夜に始まり、夜明け前まで続いた。結果は、革命軍の勝利だ。今もクライメントシティは革命軍に占拠されたままであり、兵力の全滅した天人勢力はこれ以上の継戦が不可能な状態。クライメント神殿を中心に、街の中央区をがっちりと防衛する革命軍の動きが、現在もクライメントシティには続いているであろうと今朝の新聞が語る号外最速情報には書いてあったのだ。




 ところで、新聞はなぜ、クライメントシティを侵攻した軍勢を"アトモスの遺志"と断定し、さらには"総軍"という単語まで付随したのか。その発想に至った経緯はいくつかあった。軍勢の中にドラウトやネブラ、ザームという、革命軍に力を与する、名高い強者が含まれていたからだ。まず、これが侵略勢をアトモスの遺志であると断定できた要素。


 では、総軍とは何か。その言葉の意味するところは? 辞書を引けば、ひとつの軍勢におけるすべての兵力を形容する言葉、でも書いてありそうだ。クライメントシティを侵略した一団が、革命軍の一部兵力の集まりではなく、全兵力であると判断された理由はどこにあるのだろう。


 答えは明白。たった一人で何百もの敵を葬る、長らく表舞台に顔を出してこなかった革命軍の切り札的存在が、その軍勢に紛れていたからだ。アトモスの影。その名を名乗り、革命軍の先頭に立った著名人の姿には、その強さと、名優として知られていたはずの彼の本性によって、多くの人が二重の衝撃を受けたものだ。

 そして、天界都市から遣わされた天界兵含む軍勢を、圧倒的な力で蹂躙していく彼の様は、影の名を冠することに疑う余地を失わせるもの。その暴力的なまでの強さこそが、革命軍がいよいよ最強の札を切ってきた事実を物語るものであり、新聞が"アトモスの遺志の総軍"という言葉を使った最大の根拠である。


 スノウは、この事実をファインに話すことが出来なかった。なぜなら、ほんの数日前の記憶が新しかったからだ。ホウライの都は、"アトモスの影"を名乗る最強の術士が天に放った、歪んだ太陽の大爆発により、半分以上が炎の海に変えられた。あの破壊のスケールは、未だに脳裏に焼きついて離れない。


 その二人が、クライメントシティ侵攻に関わったというのだ。果たして街は、もとの形の幾らを原型として留めてくれているのだろう。帰り着いた故郷が、アボハワ地方の各地に点在する廃墟と同じ様相に変えられた姿で、自分達を迎えてくれるのだろうか。


 そして、ファインを育ててくれたお婆ちゃんは無事なのだろうか。


 新聞から、今のクライメントシティの惨状を想像し、滅びかけたホウライの都と像を重ね合わせるスノウの心臓は、馬を加速させ続ける疲れとは別に高鳴り続けている。自分にしがみついて、気が気でないという心境のファインの何倍もだ。差別され続け、歪んだ人格の持ち主に育ってもおかしくなかった愛娘を、快く引き取って人格者に育て上げてくれた人物、フェア。生まれ故郷を案じる想いに勝り、彼女が生きてくれていることを、望みにくい中で祈る心地のスノウは、ファインらに見せない角度で表情を歪めている。


 新聞の最後に、"裏切り者がいた"という一文が添えられていたことも、スノウは別に見逃していたわけではない。だが、どうだっていい。大切な人に、どうか無事でいてと願う想いは、それ以外をどうでもよくさせてくれるほど切実なのだ。











「さて……どういう状況なのかしらねぇ」


「…………」


「…………」


 スノウを先導者に、4人がクライメントシティに到着したのは、お日様が真上上天と地平線の中点に差し掛かった時間帯だ。そこから一時間かけて、クライメントシティのおおまかな現状を冷静に把握しようと努めたスノウらは、そのあと中央区からはずれた一件のオープンカフェに腰掛けていた。ある程度の状況は掴めたが、スノウの問いかけにファインもクラウドも無言を返すほど、ちょっと困惑する心地が抜けきらない。


 朗報はあった。クライメントシティを襲撃した革命軍は、街の各方面の関所からなだれ込むように進軍し、寄り道も殆どせずに中央区の占拠を目指した。つまり、中央区以外は革命軍に通過される中での破壊を除き、大きな傷跡を残していない。それは4人がいるこのオープンカフェと、その周辺にも言えること。

 そして、ファインを育てたお婆ちゃん、フェアが暮らしているのは、地人にも居住が認められている区画、つまり中央区から大きく離れた場所だ。彼女はもちろん、彼女が過ごす家も無傷で残っており、真っ先にお婆ちゃんの安否を確かめるべく血相変えて走ったファインを、フェアは傷の無い姿で出迎えてくれた。この時のファインやスノウのほっとした顔といったら、恐らく向こう十年見られるかどうかのレベルであった。


 ただし、それはファインらが持つ個人的な感情が生み出した"朗報"とも呼べる事象であり、クライメントシティに刻まれた現実は、痛々しい爪跡の方が遥かに多い。革命軍の侵略経路の開始点、各関所はいずれも無残な有り様で、外壁も、砂山を巨人が手で掴んで崩したかのように滅茶苦茶な様相だった。血の跡でいっぱいの石畳は、きっと高い空から見てもその色がよくわかるであろうほどに、広く拡散している。

 ある意味では、焼け野原にされてしまったホウライの都の戦後よりも、くっきりと痛みを刻まれた戦場跡が、斬られ、あるいは潰された兵や暴徒の悲鳴を未だに残響させるかのようだった。フェアの無事を確かめた4人が街を歩く中、悲痛の名残を刻んだ光景の数々は、ファインやクラウドを無言にさせ、レインはファインに身を寄せてずっと震えていたものである。


「……いくつか確かめたことから、状況を整理するわ。纏まった思考力を保つのは難しいかもしれないけれど、ちゃんと聞いてね?」


「はい」


「………………うん」


 レインは無言だが、スノウも彼女には尋ねていない。幼い彼女に、今からする話を、落ち着いて聞いてと言うのは無茶な話だ。戸惑いを目から打ち払ってはっきりと応えた一人と、故郷を傷つけられたショックから立ち直らぬままながら、なんとか応じた一人がいるだけでも期待以上。クラウドとファインだって若い、それでも二人に冷静な判断力を取り戻して貰い、共に力を合わせて動かねば、何も為せぬとスノウはもうわかっている。


「連中は、クライメント神殿を占拠した。奴らの狙いは、それにこそにある」


「……クライメント神殿を占拠することは、あいつらにとってそんなに重要なんですか」


「ええ、恐らくは。きっと、天人達にとっての最大の都、ホウライを滅ぼすことよりも重要なことよ」


 革命軍の最終的な目的は、天人が地人の上に立つのが当然というこの風潮を正すこと。そのためには最低でも、今の天界王をその王座から引きずり降ろすことが必要である。そのために重要なことが、革命軍にとってのクライメント神殿占領であるとスノウは言っている。


「クライメント神殿の遥か地の底に、かつて何が封印されたかは知ってる?」


「天地大戦における地人達の王、オゾン……だよね」


「ええ、千年前の話。正しいわ」


 この地で生まれ育ったファインが答えた。クライメント神殿が聖地と呼ばれるのは、千年前の天地大戦を終わらせた地がここで、地人達の王を封印した場所の上に作られたのがクライメント神殿だからである。


「オゾンは今でも、生きていると思う?」


「そんなわけ……」


「ええ、正しい。間違いなくね」


 人が地底深くに封印され、身動きの取れない世界に閉じ込められ、千年もの時が経って生きているわけがない。食べるものも水も与えられぬのに、生きていける者がどこにいようか。天人達の間では、討伐はほぼ不可能とさえ言われたオゾンを封印し、成敗したことで勝利を飾った過去の歴史が美談とされがちだが、オゾンが辿った末路はなかなかに残酷な死であったとも言えるほど壮絶である。


「じゃあ、なぜ未だにクライメントシティは各地に"要石"を設置し、クライメント神殿を中心としたオゾンの封印を、強固に継続していると思う?」


 要石とは、かつてオゾンを地底深くに封印した後、封印の力をより強固にし、オゾンが自らの力で封印を破り、地上に現れることを拒む為に作られたものだ。千年の歳月が過ぎた今、つまりオゾンが死した今なお、封印を固く施しておく必要は無いはず。少なくともあと800年早くには、要石の仕事は終わっていたはずだ。


 それでも未だに、クライメントシティとクライメント神殿は、オゾンを地底深くに封印するための力を緩めずにいる。必要なことだとは思えない。文化財としてでも残しているのかという仮説がせいぜいだろう。しかし、それは正しくない。


「問いを変えましょう。地底深くにて命を落としたオゾンだけど、その魂はどこに行ったと思う?」


「魂……」


「天に消え、成仏したと思う?」


「……………………今、も?」


 恐る恐る、ファインは頭に浮かんだ答えを口にした。それに対するスノウの眼差しは厳しく、首を振らずにうなずいた動きが、ファインの回答を正解と表現する。この時、冷たい手がファインの背筋を撫でたような悪寒は、この答えの後に続く仮説にぞっとしたことに由来する。


「無念の死を迎えたオゾンの魂は、封印された地底に留まっている。はっきりと、確かめられている事実だそうよ。クライメント神殿の重鎮、あるいは天界のごく一部の要人にしか知られていない事実だけどね」


 その話が本当であれば、今やオゾンは生きている彼としてではなく、魂だけのいわば地縛霊魂とさえ言えるかもしれない。空想上のようなことを語るスノウだが、その目は全く冗談を語る時のそれではない。


「ファインだって、そんな話は今初めて聞いたでしょう?」


「う、うん……」


「極秘事項として秘匿されているのよ。広く知られれば、それを利用しようとする者が現れかねないからね。だから、オゾンの魂が未だクライメント神殿の地底深くに現存していることは、天界の要人やクライメント神殿の重鎮以外に知れ渡られていないはず、だった」


 徐々に、クラウドもスノウの言う話の終着点が、どこにあるのかわかりかけてきた。そして彼より、少し早くに危険な未来図を思い描いてしまったファインは、まさかの想いを否定したいかのごとく、口の中に溜まりそうなものをごくりと飲み込んでいる。


「いったいその秘密が、どこから革命軍に漏れたのかはわからない。だけど連中は今、全てに優先して、クライメント神殿の占領に全力を注いでいる。その行動は、連中がクライメント神殿の地の底に、革命を叶えるための強力な武器が眠っていることを、まるで確信しているかのよう」


 昨晩、セシュレスが天人の魂を奪い、天人の魔術を行使できるようになったという話を聞いたことは何かの運命だったのだろうか。記憶に新しいからこそ、ファインもクラウドも完全に同時、結論に辿り着いた。スノウの口から、はっきりとした答えが出るまさにその寸前だ。


「奴らはきっと、クライメント神殿の地の底に眠る、オゾンの魂を狙っている。千年前の天地大戦において、地人達の王であり、最強の人物であった者の魂をね」


 魂の獲得、それは得た者の行使する魔力を飛躍的に向上させる事象だ。未だ伝説に名を残す、比類無き地人達の王であった人物の魂の獲得。それは、かの人物を最強の一兵に押し上げる、究極的な武器を手にすることに等しい。


「さっき、少しだけ空からクライメント神殿の様子を見てきたわ。今のあそこは、恐らく……」


 恐らく、何なのか。それを最後まで言いきらぬうちに、スノウの口が詰まるように止まった。続きをファイン達が待つ想いを抱くより早く、スノウがすごい速さで後方を振り返る。あまりにも唐突かつ速い挙動に、対面位置に座るファインも、少し驚かされたぐらいである。


 がたりと席を立ち、テーブルに立てかけてあった杖を握るスノウの後ろ姿は、まるで臨戦態勢のよう。革命軍に占拠されたと言われるクライメントシティ内、物騒な奴が近づいてくる気配を察したかのように、少し重心を下げて立つスノウに触発され、クラウドも椅子を退げていつでも立ちやすい形を作る。


「お母さ……」


「……ごめん、ファイン。話の続きを出来るかどうかも、もうわからないわ」




「役者は揃った、といったところかな」




 スノウの言葉に緊張感を覚えたファインだが、スノウの前方から歩み寄ってくる人物を目にした瞬間、その緊張感は一気に最高潮まで高まった。ばくんと心臓が跳ねるような想いと共にだ。クラウドは椅子を膝裏で吹っ飛ばすほどの勢いで立ち上がり、ひっ、と小さく悲鳴をあげたレインは、慌てた足取りで席を離れてファインに寄り添っていく。


「遅刻してくれる役者様であった方が、こちらにとっては都合がよかったのだが」


「へえ……あなたは役者人生の中で、遅刻してくる同僚を疎んじたことはないの?」


「リハーサルに悠々とした態度で遅刻してくる奴は、大抵が大御所気取りの天人役者だったな」


「……ふうん」


 こつ、こつ、と石畳を靴の裏で鳴らしながら、ゆっくりと歩み寄ってくる"影"。深緑色のローブに身を包み、樫の木を掘って作られた杖が握ったその人物に会うのは、クラウド達にとって何度目か。名優として名を馳せていただけの時に数度対面した、余裕のある大人の様を描いたような微笑んだ口元が、今では悪魔の笑みにすら見えて仕方がない。


「ホウライ以来だな。ファイン君、クラウド君」


「カラザ、さん……」


「あと一日、遅れて再会したかった」


 フードの端をつまんで上げ、陰になって隠れていた目を白日の下に晒すカラザ。無言で睨み返すクラウドとは対極に、ファインはかつて優しく接してくれた人がもういないことを哀しむ目で、身構えることすら出来ずに宿敵と向き合っていた。

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