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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第14章  霞【Dissension】
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第214話  ~ちょっと怖い話~



 輸送などを担う山間商人を含めれば、田舎っぽく見えても意外と往来する人の数が多いマナフ山岳。夜になってから宿を探すと、案外どこもいっぱいということが多いのだが、幸運にもファイン達は後手ながらも宿の一室を借りることが出来た。4人で一室に泊まるから狭いけど。


「そういえばお母さん」


「うん? どしたの?」


 夕食を済ませ、寝る前に一人ずつお風呂に入ってこようという頃合いで、ファインがスノウに話しかけた。クラウドもいるこの場に、レインだけがいないのは、今はまず彼女がお風呂に入る番だからだ。ここ最近の旅ではいつでもそうだが、お風呂に入る順番は、レイン&ファイン・スノウ・クラウドの順である。


 普段はファインがレインと一緒にお風呂に入ってあげるのだが、昨日子ども扱いしないでよって言った手前なのか、レインは一人で入ると言いだしたので、今日は彼女だけまず一番風呂。そのくせやっぱりお姉ちゃんと一緒に入るお風呂に未練があるのか、寂しそうだったのが微笑ましかったが、何にせよ昨今のファインにとっては、ちょっと望ましい展開でもあった。

 幼いレインの前では、お母さんやクラウドに対しても言いづらい話もあるので。


「私、"狭間"に生まれたことなんて気にしてないよ」


 例えば、こういう話。場合によってはちょっと空気も重くなりそうなので、無垢さの目立つレインの前では避けたい話の一種である。


「……なんで急にそんな話になるの?」


「えっ、お母さんもしかして覚えてないの?」


「な、何が? えっ、マジで何?」


「昨日私に泣きながら、ごめんねごめんねって謝ってたでしょ……」


「あー、やっぱ覚えてなかったんだスノウ様。べろんべろんに酔ってたもんなぁ」


 びしっ、とスノウが固まって、一気に赤面してしまう。全然記憶に無い。昨夜の記憶は、ニンバスと語らった途中までしか覚えておらず、宿に帰ってからのことは、酒の魔力で全部吹っ飛ばされていたらしい。無論、泣きじゃくりながら宿に帰り着いたこともだ。


「えっ、あー……わ、私そんなことになってたんだ……」


「スノウ様、飲み過ぎでしょ」


「も~、けっこう私も心配したのに」


「あ……あは、はは……か、格好わる~……」


 過去にアスファやラフィカにも、スノウ様は酔い過ぎると泣き上戸ですねぇ、と指摘されていたことが、不意にスノウの脳裏に蘇ってくる。娘の前で、いっちばん見せたくない醜態を晒していたことを今知った、しかも不意打ち気味に突きつけられたスノウは、熱くなった額に掌を当ててうなだれる。大人になっても、恥ずかしいものは恥ずかしい。


「お母さん、ニンバスさんと何話したの? 私に泣きついて、何回も謝ってたけどさ」


「え~、覚えてない……私あんたに、なんて謝ってた?」


「えぇと……こんな母親でごめんなさいとか、狭間に生んで本当にごめんなさいとか……」


 狭間っていうのは、"混血児"を遠回しに言い表した言葉。ああわかった、スノウの中でも合点が合う。それは元から思っていたことであって、酔った勢いで吐露してしまったやつであろう。昔から、我が子を差別される混血児に生まれ落としてしまったことを自責したことは多かったが、最近ホウライの都でミスティという混血児に、呪詛を投げつけられたことも影響していたのかもしれない。


「その、お母さん? 私、狭間に生まれたことを、嫌なことだなんて思ってないからね」


「……ファイン?」


「差別されることは多かったよ。だけど私は、こういう私に生まれたからこその力も持ってる。その力で、レインちゃんを助けたり、ホウライの都を守ろうとしたり、自分の好きな生き方を選んでこられたんだもん。今さら、イヤなことだなんて思ってないよ」


 人生、いいこともあれば悪いこともある。月並みな言葉だ。誰もが羨むような、恵まれた王族に生まれて裕福な暮らしを営む者も、裕福さと引き換えに、快活に笑う庶民に混じれぬ寂しさを感じることもある。貧しい境遇に生まれて自由を狭められたって、出会えた配偶者と分相応な幸せに満足することが出来て、私達の人生は幸せなものだったと、妥協ではなく心から信じて天寿を全うした老夫婦だっている。


 要はすべては考えよう。混血児として生まれたファインは、社会的には最底辺として扱われる。それでも彼女は、友達に巡り合えて、自分の望む人生を歩むことが出来る今がある。そういう人生を、自分で探して見つけてきたのだ。今さら、混血児に生まれて失った"普通の"青春を惜しむより、幸せな今を昔のぶんまで目一杯楽しもうという前向きさを、彼女は自然体で持ち合わせている。


「だから……わぷっ?」


「あぁん、もうっ。お母さんのことなんか心配しなくていーの。あれは酔った勢いで言っちゃったことだし、今もそこまで気にしてるわけじゃないからさ。ちょびっと、申し訳ない気持ちが残ってるのも本音だけどね」


 逃げた。豊満な胸にファインの顔を抱き寄せてうずめ、頭なでなでして可愛がる。愛しい想いが高じてこうなったのは普通の行為だが、優しく育ってくれた愛娘に、こんな救いある言葉を向けてもらえただけで、素面(しらふ)の今でも危ういぐらい涙腺に来るんだから。クラウドにも見られている手前、涙を流すのは意地でも耐えるが、ちょっと今は短時間でも、ファインの顔を直視しない時間を作りたい。


「ファイン大好きっ」


「わーっ、ちょっとっ! お母さん、だめだめだめっ!」


 照れ隠し、涙隠しに、ファインを抱いたまま後ろに倒れたスノウが、ぎゅむぎゅむファインの顔を胸に抱きしめる。もつれるように転がって、スカートがはだけそうになったファインが慌てて抵抗する様から、紳士にクラウドが顔を逸らしておいてあげるのも様式美。傍から見てればスノウの気持ちはなんとなくわからんでもないが、それにしたってこの愛情表現の方法、他にやりようはないのかと。


「もー、お母さん……」


「大好きよ~、ファイン~。愛してる~」


 スノウの手から解放され、座り姿勢に体を起こしたファインだが、ハートマークを頭の上からぴょこぴょこ発射しながら、娘に身を寄せるスノウを見ていると、どっちが親だかわからない。見ていてクラウドも新説を思いつくのだが、ファインって同性に甘えられる気質の持ち主か何かなんだろうか。サニーといいレインといいスノウといい、お前と親しくなりきった女の人はみんなべたべたひっついてくるよねって。リュビアやラフィカはそこまでいかなかったけど、あの辺までそうしてきたらもう証明完了だよねって。言ったら怒るだろうから言わないけど。


「そういえばスノウ様。セシュレス、だっけ。あれも混血児なんですか?」


「はぇ?」


 いつまでも終わらないイチャイチャお母さんのくだり、そろそろいらねぇなと思ったので、クラウドが新しい話題を切り出した。これはスノウにとって、よほど突拍子の無い質問だったのか、ご主人様に甘える猫のような目でファインにすりすりしていたスノウが、急に素に戻って間の抜けた声で返事する。


「だってファイン、そいつ天の魔術も地の魔術も使ってたんだよな?」


「ああ、そうそう。お母さんには話してませんでしたっけ?」


「……えっ、ちょっと、何? ……マジで? マジでそれ言ってんの?」


 ファインはクラウドにセシュレスのことを話していたが、機会が巡り合わなかったのか、スノウにはその話をしていなかったようだ。驚愕の新事実を初耳のスノウは、数秒前のふにゃけた表情を完全に消し飛ばし、神妙な面持ちで背筋を正した座り姿勢に変わっている。


 しばらく、沈黙。腕を組んで考え込むようなスノウは、妙にそわそわし始めた。そうした彼女の仕草を見ていると、組んだ腕に乗っかるスノウの大きな胸も、二人の意識には入らない。なんだか良くない話を聞かされる予感がして、こっちまでそわそわしそうになる。


「えーと、ね……結論から言えば、セシュレスは地人よ。間違いなくね」


「そうなんですか? じゃあ、どうして……」


「セシュレスが地人であることは間違いないの。十年ほど前の近代天地大戦でも、あいつが天の魔術を使ったことは無かったわ。本当に混血児なら、あいつがあの頃にその力を出し惜しみするわけがないもの」


 アトモスが生存していた頃の、革命を目指した一大勢力と天人との戦争は、互いの夢と覇権を懸けての壮絶な争いだった。もしもセシュレスが地人でなく、実は混血児であったとしたら、スノウの言うとおり、そんな歴史の節目に力を出し惜しみするはずがない。決戦の時に切り札を隠し持ったまま、抱え落ちての敗戦とは間抜けな話であり、絶対にセシュレスはそんな愚将ではない。


「でもあの人は、確かに天の魔術を……」


「最近、使えるようになったんでしょうね。そうとしか考えられないわ」


 まるで有り得そうにもないことを、さらりとスノウが口にする。ファインもクラウドも、狐につままれたような顔でお互いを見合わせ、今のは自分の聞き間違いかという想いを交換する。

 天の魔術、水・風・雷・光の属性の魔術は、天人にしか使えないものじゃないのか。地の魔術、火・土・木・闇の属性の魔術は、地人にしか使えないものじゃないのか。両方使える奴がいるなら、それは混血児だけじゃないのかという、ファイン達の知っていた常識が今、覆されようとしている。


「ファイン。あなたは魔術を行使する時、魔力を練るわよね?」


「え、うーん……魔術を使う前に意識を集中させて……あの感じを、魔力を練ってるって言うなら、そうなのかな……」


「間違ってないと思うわ。魔術の行使には、魔力が必要なの。形を持たないものだし、各々の術士がイメージに描く程度のものだから、抽象的であるのは否めないけどね」


 物理的に有り得ないこと、たとえば何もない場所に火を発生させるであるとか、上から下にしか流れぬはずの水を上昇発生させるとか、そうした異常的な事象を起こすには、それ相応の原動力が必要だ。魔術の根底にある、術者が生み出す"魔力"という概念は、具体性を得ないままにせよ、魔術の根底的理念として信用されている。


 実際ファインは、火の魔術を行使する際には、火をイメージした魔力らしきものを我が身の中に練り上げるし、水の魔術や風の魔術でも同様。誰でもそう。だから術士の間では、魔力という概念が、実像無きものであるにも関わらず、そういうのは実在してるよねっていう共通認識としてよく通じるのだ。


「その魔力は、どこから生じてると思う?」


「どこから……なんだか、イメージ出来ないけど……」


「魔術とはそもそも、火だとか水だとか、普通は自然発生しないものを生じさせ、世界の在り様を書き換える力。術者はそれをイメージして、魔術を発動させる。術者の精神が思い描いたそれを、その術者の魂が受け取り、願いに沿った魔力を生じさせ、魔術をこの世に顕現させるのよ」


 いきなり言われてもちんぷんかんぷん。何が言いたいのかがわかりにくく、ファインとクラウドは揃って首をかしげる。全く同時、同じ方向に首を傾けた二人の仕草に、ああこの子ら本当に細かいところで地味にシンクロするなぁ、とスノウも感心しかけたが、今はそれを面白がる心地でもない。これから話す内容は、余裕や冗談を交えて話せる内容ではない。


「要は、術者の"魂"が魔力を生み出しているってことよ。天人は"天人としての魂"を持ち、地人は"地人としての"魂を持ち、狭間は"狭間としての魂"を持つ。だから天人は天の魔術しか使えないし、地人は地の魔術しか使えない。狭間の子は、天の魔術も地の魔術も使うことができる」


「うーん……」


「まあ、なんとなく……わかる、かな……」


 術士でないクラウドには、ちょっと想像すらしづらい話だ。術士であるファインにはある程度理解も出来るが、そんな彼女の方も、スノウが何を言いたいのかがいまいちわからない。


「ここまでは前置きよ。今から言うことが大事なの。よく聞いて」


 スノウが一度、咳払い。同時に、二人を並び見る眼差しが鋭くなる。


「もしも地人が"天人の魂"を奪い取り、自らの手中に収めれば、天人と同じく天の魔術の魔力を生み出せる。その理屈を通せば、地人のセシュレスが天の魔術を使えるようになるのも、可能だとは思わない?」


 魂を奪い取る。まるで絵空事のようなことを仰る聖女様だが、その目に含まれている色に、冗談の気配は一切ない。

 セシュレスが地人であるという事実。その彼が、天の魔術を使えるという事実。混血児でもないセシュレスが、天の魔術と地の魔術の両方を使えるという現実が、スノウの提示してきた言葉と重なり、ぞくりとファインの背筋を凍らせた。


「……セシュレスさんは、誰か天人の魂を奪い取ったということ?」


「それ以外に考えられない。そうでなければ地人のあいつが、天の魔術を使えるわけがない」


「魂を……?」


 クラウドも、なんだか無性に背筋が寒くなる。魂を奪う、奪われるっていうのはどういうことなんだろう。死んだ人が人魂になるという、子供向けの御伽噺の中で聞いたことはあるが、つまり魂とは、命の何らかを象徴するものであると、幼い頃の記憶から自然と連想することが出来るからだ。


「た、魂を奪われた人は、どうなるの……?」


「魂とは、その人の精神と肉体を繋ぐ大切なものよ。手を動かしたいと"精神"が願えば、"魂"がそれを感受し、"肉体"が、つまり手が動く。魂が奪われるということは、その人が思うように体が動かなくなるということ。生きとし生けるものはすべからく、本能的に"精神"で生きたいと願い、そのための動きを"肉体"に常に促し続けているのだから――」


 尋ねる時に、ファインの声が震えかけたのは、恐ろしい回答を予感したからだ。そして世の中どういうわけか、悪い予感に限って裏切られない。


「息も出来なくなる、心臓も動かなくなる。すなわち、命を失うわ」


 魂を奪われる。それは、死ぬということだ。


「じゃ、じゃあセシュレスさんは……!?」


「ええ。誰か天人の魂を奪い、つまり殺して、その"天人たる魂"から天の魔術の魔力を生み出し、天の魔術を行使していたのでしょうね」


 急くように問いを重ねていたファインの声が、彼女が息を詰まらせるのと同時に止まってしまった。クラウドだって、既に絶句している。セシュレスが天の魔術を使えるようになり、彼本来の力を得るまでの過程には、一人の天人がそのための犠牲になっている事実が、二人の鳥肌を逆立てる。


「……それだけに留まると思わないで。あまり話したくなるようなことじゃないけど、セシュレスがそんな力を――魂を奪うなんて力を持っているとわかった以上、その真の恐ろしさは知って貰わなきゃいけないわ」


 表情を変えず、しかしより声を重くするスノウの態度に、凍りつきかけていた二人の肌がさらにちりつく。ただでさえ肝が冷えるような話を聞いたばかりだというのに、続きがあると示された時の戦慄は、16歳の少年少女には肌寒さすら覚えるものだ。


「魂は、その人の記憶を持ち合わせている。セシュレスに奪われた魂もよ。セシュレスの手中に収まった魂は、天の魔術を生み出す糧として使われ、その魔術の行使によって天人達を討ち滅ぼす。そんな中で、セシュレスに捕えられた魂は、自らが生み出す魔力によって何が為されるのかを知ることから免れない」


「ちょ……っ、ちょっと待って!? それって……」


「ファイン、あなたが想像したとおりよ。セシュレスに魂を奪われた天人は、魂の中に記憶を映し、自らの力で同胞を滅ぼされていく様を、抵抗すら許されずに見届け、知るしかない。この恐ろしさがわかるかしら。

 例えるならそう、ファイン。あなたの魂がセシュレスに奪われるとしましょう。あなたの肉体は死に、記憶と精神をセシュレスの手の内に収められ、あなたの使える魔術をセシュレスが行使する。セシュレスがあなたの魔術を使い、クラウド君やレインちゃんを傷つけようとすることがあろうとも、あなたはそれを為すすべなく、見届けるしかなくなるということに等しいの」 


 ぶるり、とファインが体を震わせるのも当たり前だ。息もしづらくなるほど怖くなる。魂を奪われ、その力を敵に奪われるとは、そういうことなのだ。同時にファインの脳裏には、セシュレスに魂を奪われた誰かは、その力でホウライの都を滅ぼされる現実を、どんな想いで見届けていたのだろうという想像が走り抜ける。


 走り抜けるのだ。頭の片隅にでも留めきり、その苦しみを想像し続けるだけで、ファインの心が痛み過ぎてもたない。目を見開いたまま首を振り、恐ろしい正解から逃避するファインの態度ももっともだ。


「他者の魂を奪取するという秘術は、闇の魔術の中でも禁忌とされる最悪の秘術よ。人の命を奪うに留まらず、その者の人生を食い物にして利用し、自らの力が望まぬことに使われることさえをも、不可避の現実として魂に知らしめる苦しみを与える。……セシュレスがその非道にまでとうとう手を染めたことには、私も言葉が無いわ」


 元よりセシュレスは革命軍の筆頭として、目的を達成するためには手段を選ばない人物だった。それはスノウもわかっているし、それだけの悲願として革命を掲げているのが、現在の革命軍の指導者たるセシュレスなのだ。極悪非道に手を染めても、その行動理念そのものは極めて苦くも理解できる。それをおいてなおスノウは、魂の奪取という最低最悪な手段に、セシュレスが手を出したことには、そのあまりの残酷な本質ゆえに義憤を禁じ得ない。


「……あの、スノウ様」


 ファインとスノウが言葉を無くし、その場に沈黙が訪れて僅か後。クラウドが落としかけていた目線を改めて持ち上げ、スノウを見据えて口を切る。ファインに視線が偏っていたスノウは、言葉無くクラウドを振り向くが、なに、という普通の返事も出来ないほど、スノウも今の話で気分を害しているということだろう。


「撤退する前のカラザが、アストラって奴に真っ黒な魔力を放っていたのが見えたんです。あれもまさか、カラザがアストラの魂を……」


「な……っ、なんですって!?」


 ぎょっとした顔でスノウが大声を発して、ファインもびくりと肩を跳ねさせた。そんなファインを案じる余裕も、急激に脈打つ自らの心臓を静めようとする余裕もスノウには無い。それほどまでに、クラウドの言葉から連想されるカラザの行動は、スノウにとって衝撃的、あるいは驚愕の事実だったのだ。


「っ……魂は、魔力を生み出す原動力みたいなものよ。カラザの魂はカラザが行使していた、あれだけの魔力を生み出せるものなの。アストラの魂も同様で、彼が使っていた魔術は、アストラの魂が生み出す魔力によって行使していたもの。か、カラザがアストラの魂を……えっ、それ、マジなの……?」


「わ、わかりませんけど……俺も見ただけで、あれがどんな魔術なのかは……」


 ひくつく唇から発した声で、スノウが前置きした言葉は、ファインとクラウドの本能的な危機感にまではっきり届いた。

 もしも、もしもだが。カラザがアストラの魂を獲得したのであれば、カラザは彼自身が使える魔術に加え、アストラの魂からも魔力を引き出し、現在以上の魔術を行使できるということになるのではないか。スノウの解説は、そういう意味を発している。それ以外に、都合の良い方向へ解釈する道筋がない。


 カラザがホウライの都の大半を、たった一人の魔術で火の海に、灰に変えたことがまだ記憶に新しいのだ。もしも仮説がすべて正しければ、あの時以上のカラザが、今もこの世界のどこかに敵として生きている。その事実だけでファインもクラウドも、スノウさえもが気が気でなくなるというものだ。


 完全に、空気が凍りついた。誰も、次の言葉を発せない。頭を回転させているつもりでも、生じた暗雲が思考回路に絡みつき、三人の思考を硬直させている。指先で顎をかき、動かせない瞳で考え耽るスノウと、うつむいて体を小さく震えさせ続けているファインを交互に見るクラウドが、次の言葉を発しようにも口が動かないのは、そもそも頭がはたらいていないからだ。


「ただいまー」


「っ……!?」


 よっぽど自分の世界に思考を捕えられ、恐怖の現実に震えていたらしく、可愛い妹が帰ってきてドアを開けた音にさえ、びくりとして凄い速さで振り向くファインがいる。部屋に入った瞬間に、汗だくで目を見開いたファインが自分を凝視してきたことに、レインの方こそびっくりする。


「お、お姉ちゃん……?」


「あ……れ、レインちゃん、おかえりなさい……」


 お風呂上がりで浴衣に着替え、火照った顔のレインの姿は、一瞬でファインを恐ろしい白昼夢から現実に引き戻してくれた。ふにゃりと肩の力が、顔の力が抜けたファインの表情はくたびれたかのように溶け、立ち上がってレインに近付くファインの足取りもどこか安定していない。


「わわわ、お姉ちゃん……?」


「……体、ちゃんと綺麗に出来ましたか?」


「むっ……私だって、お風呂ぐらい一人で入れるよぉ。お姉ちゃん、また私のこと子供扱いするの?」


「いいえ、いいえ、そんなことないですよ。綺麗になってレインちゃん、とってもいい匂いだなあって思う……だけです……」


 ファインの方からレインに抱きついてくるなんて、逆はあってもここ最近無かったことだ。目をぱちくりさせ、一時はむすっとしかけたレインではあったが、ファインの言葉を聞き、いい匂いがするねという言葉で拗ねも払拭して貰えたレインは、肌を合わせたファインに自分からも手を回していく。お姉ちゃんに抱きつくのは元より大好きだ。


「……お姉ちゃん、寒いの?」


「……レインちゃんは、あったかいですよ」


 レインでも気付くのだ。ファインの体が、少し震えていることに。夜も更けて、ファインが冷えた空気に震えていると誤解したレインに、ファインが返す言葉もごまかしの利いたものだ。お風呂上がりのレインの体が温かいのは当たり前。その当然を発したファインの行動に、不安で怖いこんな時、誰かと体を合わせて安心したいという、根が臆病なお姉ちゃんの真意が隠されていたことなど、レインに気付けるはずもあるまい。


「……ファイン、お風呂行ってらっしゃいな。体を冷やすと風邪引くわよ」


 レインを抱きしめていた手を離し、振り向いてうなずいたファインは浴室に向かっていった。おぞましい話の本質を、レインだけがまだ知っていない。だからこそ、お風呂とっても気持ちよかったよ、など、日常的な態度でクラウドとスノウに話しかけてくれる彼女が、二人にとってはありがたかった。当たり前のような日常風景は、想像世界の不安に駆られる人を現実に引き戻してくれる、最大のきっかけだ。


 気持ちを切り替えたクラウドとスノウは、ファインがお風呂から上がってくるまでの間、楽しくレインとお喋りすることに努めた。心に蓋をし、演じきったとも言う。ぞっとするような話を知らぬ、たった一人のレインにまで、こちらの恐怖と同じものを共有させるのは忍びないとし、それに相応しい態度を一貫した二人は上手くやっていた方だと思う。


 だけど、ファインは。


 衣服を脱ぎ、纏うものも無く湯船に身を沈め、心臓が高鳴るのは、体を湯により熱くさせられたからだろうか。話し相手のおらぬ中、一人の浴室で想像世界と向き合わなくてはならなかった彼女は、裸の左胸に手を当てて、どうかこの不安よ収まれと、効かない魔法をかけ続けるしかない。


 この胸騒ぎは、なんと形容すべきだろう。破滅の太陽が、ホウライの都の上空に打ち上げられた時のことを思い出す。その直後、世界が地獄色に染まったこともだ。あの時見上げた太陽とよく似た、しかし真っ黒な、恐るべきほどの激動の予兆を示す暗黒の闇が、ファインの想像した世界の中に居座っている。何か嫌なことが、それも、目を背けたくなるようなほどの惨劇が、いつかどこかで再び起こる気がしてならない。


 逃避が出来ない、不安を拭い去れない。お風呂を上がり、部屋に戻れば一人じゃないのはわかっている。だけどファインは今、まさに今だけでも、そばに誰かいて欲しい想いでいっぱいだ。それほどまでに、胸の奥で渦巻く真っ黒な未来の予感は重い。


「だ……大丈夫、だよね……? お母さんもいるし……今までだって、何とかなってきたし……」


 独り言を発し、胸の奥につっかえていたものを、息とともに吐き出したいほどの不安とは如何程か。浴槽の中の湯で体が熱くなる裏腹、股の間に挟んだ両手をぎゅっと握るファインは、いつまでたっても体が温まらないような錯覚に襲われていた。

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