第213話 ~そういうことはもっと早くに聞くべきだった~
ファイン達の山越えの旅は、ゆるゆる、だらだら。馬を疲れさせ過ぎない程度に御者台のクラウドが手綱を引き、荷台の上のファイン達は、景色をじっくり眺められる穏やかな旅だ。
山景色は似たようなものが続くが、山慣れしていないレインにとって、荷台から眺める景色はどれも目新しく、楽しい。歩かなくても脇の山林が後方に過ぎていく非日常を下地に、時々草陰から飛び出す兎やリスなどの小動物が度々レインの目を惹き、坂を登って高所に至れば見下ろす光景もまた絶景。常に荷台の端に座って、輝かせた目で風景を眺める彼女を、あんまり乗り出すと危ないですよとファインが注意するのも何度目だか。
「レインちゃん、山道を満喫してるわねぇ」
「うん、楽しい!」
微笑ましくスノウがそう尋ねると、きらっきらの笑顔で振り向いて応えてくれる。それを見たスノウがふふっと笑うのを契機に、また首を戻して景色を見る流れに戻る。よっぽどこの新鮮な経験と景色を、長く長く楽しみたいのであろう。
「こんなに楽しんでくれるなら、山越えを終えるのも惜しくなってきちゃいますね」
「いや~、もう数日したら飽きてんじゃないか? こんなにはしゃいでたら、冷めるのも早そうだし」
「あ~、言われてみれば確かに。レインちゃんってそういうとこありそうですもんね」
御者台のクラウドに這い寄ったファインが、彼とひそひそレインについて語り合う。要するに、子供っぽいと。
子供は何かに熱中するのは早いが、飽きるのも早い。少し前、ファインが猫耳としっぽをつけて恥ずかしい想いをしていた時、当初レインはきゃっきゃはしゃいで見ていたものだが、あれだけ喜んでいた割には、日を跨いだらもう、また着けてみてとも言わなくなっている。お兄ちゃんやお姉ちゃんに買ってもらったものだから、今も荷台に猫コスプレセットは捨てたりせずに置いてあるが、荷台の隅っこっていう位置取りも微妙。多分もうレイン、あの玩具には飽きている。
山に入って今日で三日目だが、その三日間をレインは実に、楽しそうにはしゃいでいる。山入りしてからすぐ、最高潮までテンションが上がり、それが果たして何日続くかと思えばわかりやすいかもしれない。そろそろ疲れも飽きもきて、明日辺りにはおとなしいレインになってるんじゃないかとクラウドは想定済み。そう聞けばファインもすんなり同意できたもので、13歳だからもう子供じゃないよと昨日訴えてきたレインだが、二人から見ればやっぱり彼女、幼く見えて仕方ない。
「晴れてると、陽気もいいしな。明日の昼もこんな天気だったら、テンション普通のレインなら昼寝でも始めるんじゃねーかなって思ってるよ」
「そーですねぇ……ぽかぽか陽気で気持ちいいですし、私も今まさに寝たいですもん」
山道つまり高所は風通しもよく、木々がざわめく音もうるさくない程度に耳をくすぐってきて、加えて晴れ空の日差しが、まどろみ誘発必至の温かさをもたらしてくる。山道もほどほどに舗装されているせいで、ゆっくりと進む馬車は時々小さく跳ねるが、それがゆりかごのような振動として荷台にいる者には伝わりやすい。ふあ、とあくびを漏らすファインだが、彼女も恐らく荷台に横になれば、安らかなお昼寝タイムに至れるはずだ。
「寝ててもいいぞ? どうせ馬車は勝手に進んでいくんだし」
「あー、それは遠慮しておきます。生活リズムが狂うのはイヤですしね」
表面上はこう言うファインだが、これだけ眠くてもお昼寝しない理由は別のところにある。要するに、馬車を操る手綱を引いてくれているクラウドを差し置いて、寝るなんて出来ませんよっていう。乗り物に乗せて貰う立場の人は、運転手を差し置いて寝たりしないのが、極力守りたいマナーというもので。
それをそのまま言うと、どうせクラウドのことだから、別に俺は気にしないよって言ってくれるに決まっている。ファインの知ってるクラウドってそういう人だし、実際そう。だからファインも、敢えて自分都合での寝ない理由を作り、そう応えている。
「ほら、レインちゃん。あれ見てごらん、隠れてるからよく見ないとわからないけど」
「わ、わ、あれってたぬきの親子さん? 可愛いなぁ~」
ファインがクラウドの方に寄っていってしまったので、スノウがレインの子守り位置に移動する。観察力に秀でるスノウの目は、山の景色をよりレインに楽しませるガイドにうってつけだ。レインを後ろから抱いてあげ、ふんわり包み込むスノウの体の温かさは、それだけでよりいっそう、レインの心をふにゃふにゃに溶かしてしまう始末。一児の母、子守りは上手。あんまり子守り子守りと言うと、子供扱いされるようだとレインは拗ねそうだが、子守りの光景としか言えないからそう形容するしかない。
そうやってスノウは、距離の近くなったクラウドとファインに、自分を含めた邪魔者を近付けないようにしているとも言う。"野暮"の対義語は"粋"なのだが、この場合のスノウは好き者というか、お節介というか。
「どうせファイン、馬車に乗せて貰ってる立場で居眠りするのは嫌だとか、そんなだろ。気にせず寝ていいのに」
「あ~、やっぱりクラウドさんにはわかるんですね。ということはクラウドさんも、馬車に乗せて貰う時は、どんなに眠くても寝ないようにする人でしょ」
「傭兵稼業やってる時に、一緒に働いてる傭兵さんや商人様にそう教えられたからなぁ。雇用者や御者を差し置いて寝るのはよくないぞって」
「ふふ、一緒ですね。私がそういうマナーを知ったのも、傭兵のお仕事をやってる時ですよ。教えてくれたのはサニーですけどね」
「あいつその辺しっかりしてるよな。人んちにずっかずか上がってくる図太さの持ち主のくせに」
「サニーは優しい人がいると、けっこうその善意に甘えるところもありますから。初対面でも、クラウドさんのいい人オーラがわかっちゃったんじゃないかなぁ」
「何だそれ、俺そんなふうに思われてんの? 俺むしろ、目つき悪くて近寄り難いって言われることの方がずっと多かったんだけど」
「そうですか? 私はクラウドさんに初めて会った時以来、一度もそんな印象持ったことないですよ?」
「嘘だぁ。お前に初めて会った時の俺、仕事疲れでちょっと目も細くなってたと思うぞ」
「言われてみれば、そうだったかな……? でも、私はクラウドさんのこと初対面の時から、あぁこの人はいい人だなって思いましたよ?」
「……ふーん」
無機質な声と表情だが、クラウドの胸の奥は静かに弾んでいる。そんな昔から、自分のことをそんなふうに見てくれていたなんて、ちょっと嬉しくて。
自分でも言ったとおり、目つきがあまり良くなかった時期もあったり、戦えば周りよりも強いこともあって、クラウドは幼少の頃から周りに怖がられがちだったのである。客観的に見た自分がどうなのかは知らないが、優しい人だと言ってくれるファインの見方には、クラウドだって無性に嬉しくなる。しかもファインは素直からものを口にする性格だから、余計にだ。
「…………」
「……あれ、クラウドさん?」
「っ……いや、なんでもない」
不意に頭の中がファインのことでいっぱいになり、話が繋げなくなった。良い方向に自分を評価して貰えるのは、無条件に嬉しいこと。照れてでもおけばいいのだ。それが何故だか、自らに好意を寄せてくれている相手が、ファインであると意識した途端、さっきまで弾んでいた口も止まってしまう。
絶対おかしい、こんな自分。ホウライの都でも、ファインがラフィカらに自分のことをいい風に紹介してくれた時は、普通に対応できていたはずなのに。手綱を握っていた両手のうち、片手を手放したクラウドは、横から自分の顔を覗きこんでくるファインに口元を見られたくないかのように、その手で口と鼻を覆い隠した。
「……風邪とかじゃないですよね?」
「あ、ああ、だいじょ……えっ、なんで?」
「顔が赤いですよ……熱っぽいんですか?」
言われたクラウドが一番驚いた。今の自分、そんな顔色してるのかって。ぎょっとした目だけをファインから見える場所の顔に貼り付けた、そんなクラウドが振り向くと、すぐそばに心配した眼差しのファインがいる。ぴく、とファインの手が動いた瞬間を、目ざといクラウドは見逃さない。
「い、いいよ別に……! なんでも、ないから……!」
「あ……」
ファインがその手で自分の額に触れ、体温を計ろうとする一瞬後が予見できたのだ。慌ててファインのその手を掴み、触らなくても大丈夫だと主張するクラウドが、至近距離でファインと見つめ合う。思わず手綱を握る手にも力が入り、もっと減速しろと命じられた気がした馬が、ぶるるといななき歩速を緩ませる。
「だ、大丈夫だから……俺、風邪なんか引いたことないし……」
「でっ、でもでもクラウドさん……顔色が……」
「ふぁ、ファインだって顔赤いぞ……お前こそ、風邪なんじゃないのか」
「ふえっ!? わ、私は別に、そんな……」
「そ、そうだろ、別に大丈夫だろ。俺も大丈夫だから……」
近い距離で、クラウドがファインの手を握る形。接点を介して互いの体温を感じつつ、可愛らしい親友の顔を、あるいは愛しさを自覚するほど慕う親友の顔を、両者が見合わせる。
ほんの5秒前まではクラウドを心配する想いが先立って、普通にしていられたファインなのに、クラウドに手を握られた瞬間から、相手の手と顔を交互に見ずにいられないほど、目先が落ち着かない。クラウドの目線はある意味では落ち着いているが、まるでファインの顔を直視できなくなったかのように、彼女の顔の斜め下、何もない場所をはにかむように見ているだけ。
調子が狂う。口の中に溜まったものを、ごくりと飲み込むのと同時にクラウドがファインの手を離し、荷台から御者台の隣に身を乗り出していたファインは、離された手をその位置に留めたまま動かない。再び両手で手綱を握ったクラウドは、前を見てもうファインを振り向かないが、そんな彼を横から見るファインの眼差しは、向き合わずともクラウドが見られていることをわかるほど情に満ちている。
二人とも、口を開けなくなる。重い沈黙ではなく、息苦しい沈黙と形容できて、意味合いは一般に使われるそれとは微妙に異なる。二人とも、若さゆえの胸の高鳴りのせいで息が整わず、その息苦しさが、二人が言葉を発する息遣いを阻害しているだけだ。
「あ、あの……クラウドさん……」
「……なに?」
「わ、私、そのですね……実は、言いたいことがありまして……」
そんな心持ちの時に、いきなりそんなことを言ってくるファインだから、謎めいた予感にクラウドがどきりとする。声が、普段の彼女とは違うのだ。穏やかで優しく、ふんわりとした声で自分に接してくることの多いファインのそれではなく、まるで何かを決意したかのような声。普通の言葉が飛んでこない予感を、付き合いの長くなってきたクラウドだから余計に感じてしまう。
「クラウドさ……っ、はわっ!?」
「っ、と……!?」
馬車がいきなり揺れた。思わず手に力が入り、手綱をぎちりと絞ったクラウドの行動により、馬が急停止してしまったのだ。突然の止まれに驚いた馬がいなないて立ち止まり、その尻に馬車が追突してしまったことが、荷台の後方のスノウを驚かせる。景色を眺めていたレインも、びっくりして目をぱちくりさせている。
「……あらあら」
何があったとばかりにファイン達の方を見たスノウだが、そこにあったのはより近付いた二人の後ろ姿。御者台に身を乗り出していたファインは、馬車が跳ねたことに驚くと同時にバランスを崩し、思わずクラウドにしがみついていたのだ。馬の動きから、自分が無意識に手綱さばきを誤ったことを、瞬時に悟ったクラウドも、御者台で重心を落として体を動かしていない。
「!?!?!? ごごごっ、ごめんなさいクラウドさんっ!?」
「やっ、あっ、あのっ……お、俺の方こそごめんっ……!?」
思わず咄嗟にしがみついただけだったが、見上げた目と鼻の先にある想い人の顔を見て、自分が今どんな状況なのかを知った瞬間、ファインは大慌てでクラウドから離れる。クラウドだって気が気でない。謝ったのは、自分が手綱を誤ったからであるが、ファインの両腕を首の周りに横から回され、彼女の胸元を二の腕に押し付けられる形になったクラウドは、その瞬間から心臓が爆発しそうだった。
荷台に引っ込んだファインはクラウドに慌てて背を向け、背中を丸めて両手で口元を覆う。不可抗力とはいえなんて状況だったんだ、今のは。クラウドさんの匂いが間近にあって、自分はそれに抱きついて――両腕に沁みついて忘れられない、クラウドの体に触れた感触と体温は、彼女の目を見開かせて胸を爆打たせる、劇薬のような効能を持つ。
クラウドだって似たようなもの。落ち着け落ち着けと、手綱を握る手に正しい力を加えようとしたって、二の腕に残っている柔らかい感触がどうしても消えず、ついには片手を手綱から離し、胸に手を当ててしまった。心臓の音が聞こえる、掌に脈動が伝わる。戦後のように早い鼓動だ。ファインを背負って走りまくっても、息も切らさない彼をして、この心臓の高鳴り具合は明らかに異常事態である。
なんとか前に進み始めた馬車だが、この後人里に着いて昼食を取るまで、クラウドとファインの間には一言の会話も無かった。頭の中は互いのことでいっぱいなのに、口も利けないとは奇妙なお話である。
「ああもう、レインちゃん……また口の周り、ひどいことになってますよ」
「むぐ……もうお姉ちゃん、また私のこと子供扱い?」
件の昼食時の話。いったん昼食だけでも取ろうかと、店に入ってご飯の時間なのだが、レインはいまいち食べ方が拙くて、スープの量が多いパスタなどを食べると、口の周りがすぐ綺麗じゃ無くなる。ファインがひどいと形容するほど汚くもないが、すっかりレインのお姉ちゃん気分のファインにとっては気になるらしく、紙ナプキンを手にしてレインの口の周りを拭きにいったりする。母親になれば、子供を行儀の良い子を育てそうなタイプの所作。
年を明かした昨日から、どうも子供扱いされたくない想いが際立ったらしく、ファインの指摘にはレインもじとりとした目を返している。まるで反抗期のよう。しかしながら、レインもファインと同じで人を睨むのに適した目をしていないので、そんな目で拗ねてもダメですよとばかりに、ファインが彼女の口周りをふきふき。しっかりお姉ちゃんしている。
「レインちゃん、せっかく可愛い顔してるんだから、お行儀悪かったら勿体ないですよ。綺麗にしなきゃ」
「むぅ……そんなのめんどくさいよぅ」
ついさっきの件が尾を引いているのか、未だにクラウドとは口を利けていないファインだが、レインや
スノウとは普通に話せている。この辺りは、さっきのことで未だに頭がいっぱいなのか、誰ともろくに口を利けていないクラウドよりずっとまし。
ファインは"病"にかかったのがクラウドよりずっと早かったせいもあり、慣れが利いてきたのか立ち直りが少しずつ早くなっている。発症したばかりのクラウドは、慣れない戸惑いに頭を乗っ取られて、そうもいかない。張り合うところでも何でもないが、ここに関してはファインの方が先輩みたいなものであり、気持ちと裏腹にクラウドより前を行っているというのが案外な話である。
「それにしてもあんた達、本当に血の繋がった姉妹みたいになってるわねぇ」
「あ……」
和やかにレインと語らっていたファインが、横からスノウがそう言った瞬間に固まった。レインも同様だ。両者が動きを止めた理由は別々であるが、少なくとも今の発言はファインにとって、スノウが空気を読み違えたものにさえ感じられたものである。
だが、スノウは敢えて踏み込んでいる。デリケートな問題なのはわかっているが、考えがあって触れている。
「ねえ、レインちゃん」
「…………」
レインはそもそも、一度アトモスの遺志に攫われた身だ。古き血を流す者・蛙種の彼女はその身体能力に目をつけられ、姉を人質に取られる形で、革命軍にその戦闘能力を与する立場を強いられていた。人質とされた、実の姉とは未だに再会できずにいて、スノウがファインとレインの関係をああ形容した瞬間、彼女の脳裏には、ふっと血の繋がっている方のお姉ちゃんの顔が浮かんでいた。
「レインちゃんはさ、ファインじゃない方のお姉ちゃんとも、また会いたいよね?」
「…………」
当たり前のことを尋ねるスノウに返されるレインの反応は、無言でうなずく肯定のそれ。イエス以外の答えが返って来るはずもなかろうに、それを尋ねたスノウの言葉は、あくまでここから続く言葉の枕に過ぎない。
「ねえファイン、提案なんだけどさ。一度クライメントシティに帰って落ち着いたら、その後みんなでまた一緒に旅に出ない?」
「え?」
「レインちゃんのお姉さんを探す旅よ。私は、そういうのも悪くないって思ってる」
こう繋げていきたかったのだ。そしてそれは、ファインにとっても魅力的な響き。故郷クライメントシティに帰ったら、お母さんやお婆ちゃん、クラウドさんと同じ地で穏やかに過ごしていく夢を膨らませていた彼女だが、思わぬ未来にそれ以上の楽しみを感じられるとは幸せな予想外だ。
「……いいな、それ」
「うん、そうしましょう。お母さん、それってすっごく素敵です」
「えっ、でも……でも……」
気付けばクラウドも自然に話に混ざってこられた副次効果を生み、スノウの提案を呑むファインも目を輝かせる。戸惑ったのはむしろレインで、自分中心の都合でまた、ファインやクラウドが動こうとしてくれていることに、露骨なぐらいに遠慮がちな顔。見た目や仕草は子供のそれでも13歳、身に余る恩に対して気の引けを感じるぐらいには、レインだってちゃんと心が育っている。
「レインちゃん、本当のお姉ちゃんには会いたいんでしょう?」
「そ、そうだけど……でも……」
「レインちゃんが喜んでくれると、私達も嬉しいの」
綺麗に簡潔、ファインやクラウドの気持ちまで代弁して、スノウが心の底からの言葉を発している。ホウライの都でアスファとラフィカに接する時の彼女もそうだったのだが、こうして自然体で人を導く大人としての彼女には、聖女という二つ名も存外似合っているものだ。普段の彼女は、聖女の呼称とは対極位置にいると思えるぐらいの振る舞い。しかし、どちらも本当の彼女。自分の中にある複数の己を、自他共に良好な時を過ごすために上手に使い分ける、そんな大人としての立ち振る舞いを実現できるから、彼女は敬われる大人として今を生きている。
「もしもレインちゃんのお姉さんに会えたらさ。その人も含めてみんなで一緒に、クライメントシティに住んでみるっていうのも悪くないんじゃない?」
「ああっ、それ凄く楽しそう! レインちゃんの大好きなお姉さんでしょ? いい人に決まってるし、私もそんな人とお話してみたい!」
「そうだなぁ。レインがファインとそのお姉ちゃん、二人に挟まれて幸せそうな顔も見てみたいしな」
三人の顔を飛び飛びに見て、戸惑うレインをその気にさせようとするアプローチの仕方は様々だ。スノウは夢が叶った後の展望を語り、ファインはレインのお姉さんと仲良くなりたいと言い、クラウドは今よりも幸せになったレインの姿が、自分達にとっての夢だと強調する。話の中心には、レインと、そのお姉ちゃんがいる。
愛されているんだって実感できる時よりも幸せなことなんて、上を探すのが難しい方だ。楽しそうに、レインを中心にした話を続けていく三人の手前、レインは今しがた口にしていた料理に目線を落とす。このご飯だって、ファインやクラウド、スノウがご馳走してくれた昼食だ。最近当たり前のように一緒に過ごしてきたけれど、思い返せばこの人達は、どれだけ自分に優しくしてくれるっていうんだろう。やばい泣きそう。
「ねえねえレインちゃん、あなたのお姉さんの名前は何ていうの?」
ほろりとやられそうになったけど、泣いたらまた子供っぽく見られると思って、レインはぱちぱちと目を二度閉じて耐え切った。彼女ぐらいの年頃って、人に涙を見せるのを恥ずかしいと最も思う年頃である。
「……リュビア」
「うんうん、リュビアさんって言うのね。重要な手がかりだわ」
そして、ぴたっとクラウドとファインの動きが止まった。二人が互いを見合わせるのも全くの同時だ。思いっきりその名前の知り合いがいて、しかもその女性は攫われた身で、妹と離れ離れになったという境遇さえ聞き及んでいる。クライメントシティから出発し、忙しい毎日を過ごす中でちょっと記憶の中心から離れていた誰かさんの顔が、いきなりクラウドとファインの脳裏にて、思い出回路の主役に躍り出た。
まさか同じ名前じゃないよな、まさか名前が同じなだけじゃないですよね。口にしなくともクラウドとファインには、お互いの心が読めたような気がした。なんというか、これは絆の為せる読心術とかじゃない。誰だってそう思うよねっていう思考が、たまたま一致しただけである。
「あの~、クラウドさん」
「あ~わかってるわかってる。めちゃくちゃインパクトあった」
「それマジなの? だとしたら、世間ってホント狭いわねぇ」
昼食を終えて、次の人里へと進む山道の中、馬車にてクラウドとファインとスノウが語り合う。レインはクラウドらの案の定というか、荷台の後方ですやすやとお昼寝タイムである。お腹いっぱい、馬車の揺れは心地良い、ぽかぽか陽気も温かい。午前中にあれだけはしゃげば、疲れもあろうし、この時間帯には景色を眺めるのにも飽きるしで、寝てしまう要素がてんこ盛りであった。
レインがそんなだから、クラウドとファインはスノウにも、リュビアという名の友達がいることや、それに至った経緯を説明しておいた。ちょっと考えがあって、この件はレインの前では話していない。彼女が寝ていて、話を聞けない時にやっておくのが丁度いい。
「今、その人はタクスの都にいるのね?」
「うん、多分そこに行けば会えると思う。聞いた事情も含めて一致するとこ多すぎるし、人違いとかじゃないと思うけど……」
「レインちゃんに教えてあげなくていい?」
「いや、俺もそれは考えたんですけどね。まだ絶対だって確定したわけでもないのに、期待を持たせすぎるのもどうかなって思って……今のところは黙ってます」
「なるほどね。言われてみれば、確かにその方が賢明だわ」
例えばそう、レインに、あなたのお姉さんリュビアはタクスの都で働いていて、行けば会えると教えてあげるとする。レインは喜ぶだろう。正直言えばファインもクラウドも、すぐに教えて喜ばせてあげたい衝動はあった。
でも、絶対に自分達の知っている"リュビア"が、レインの姉であるという保証は無いのだ。十中八九間違いない気はするが、それでも100パーセントではない。もしも違っていた場合のことも、考えておかなくてはならない。
だって、タクスの都に行けばお姉ちゃんに会えるよ、って先に教えたとして、もしもファイン達の知っているリュビアという名の人物が、名前が同じなだけでレインの姉でなかったら。顔に出すかどうかはわからないが、レインは絶対にがっかりするだろう。お姉ちゃんに会える、会えると思っていた矢先、人違いでしたなんて落ちになったら、期待させるだけさせてはしごをはずす、ちょっと罪にすら感じられる所業ではないか。
だから今は、急いてレインに仮説を教えない方が得策なのだ。サプライズを狙っているわけではない。何気なくタクスの都に赴いて、先にリュビアの方に、妹の名前が"レイン"かどうかを確かめてみてから、二人を巡り合わせるなど、間違いが無いように手順を踏んでいくべき。ファインもクラウドも、今はそういう算段を立てている。
「それじゃあまず、クライメントシティよりもタクスの都に向かってみる? 里帰りは、その後でもいいかもしれないわね」
「そうですね、俺はそれでいいと思いますよ」
「私も賛成……! もしかしたらレインちゃん、思ったより早くお姉さんに会えるかもしれないもんね……!」
元より晴れていた空ながら太陽が入道雲に隠れていたところを、雲が動いて光が地に差すような心地。雲間から光が差すような、という、苦しい状況に希望が見えたような言い回しとはまた違う。ただでさえ楽しかった旅に、さらなる朗報が舞い込んできたことで、ファインの表情もお日様のように輝いている。大声ではしゃぎたい気分を、今レインを起こしちゃいけないという都合から、声を抑えるのに必死な様が、かえってファインの高揚感を表しているとも言えよう。
「決まりね。なんなのよホント、急に楽しくなってきたわ」
「馬、飛ばします? なんか旅を急ぎたい気分にもなってきますよね」
「うふふ、楽しみ……! レインちゃん、きっと喜ぶだろうなぁ」
保証が無いとは言ったって、どこからどう考えても同一人物だとしか思えない。要素が揃い過ぎている。これで人違いだなんて、神様が意地悪してくる可能性を、今のファインには考えられない。それは油断から来るつまづきの予兆などではなく、しっかり推察できる要素という味方をつけ、しっかり正しい未来を予見した上で、来たるべき日への希望に胸を躍らせるという、正しい展望である。
生きていれば、苦しいことの方が多い、あるいは多く感じるものだ。だからって、この世に救いなど無いと短絡に悲観したりするのは、はっきり言って早計もいいところ。期待すらしていなかった幸せが、不意に向こうから転がってきてくれることだってあるのだ。本当に案外、そういうものである。
人生、塞翁が馬。馬車の上でそれを感じる洒落の利き具合も含めて、そう。




