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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第14章  霞【Dissension】
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第212話  ~それでもあなたは私の友達~



「こうしてゆっくり話が出来るのは久しぶりね」


「そうだな。前回相見えた時は、ろくに話せる状況ではなかったからな」


 スノウとニンバスは、互い以外の者に自分達の周囲から立ち退いて貰い、酒場の隅にて二人きりの席に座っている。鳶の翼の傭兵団は、ぴんからきりまでニンバスの忠臣だらけ。はじめニンバスと酒席を共にしていた二人の男女も、スノウと二人きりで話がしたいとニンバスが言った時には、露骨に渋い顔をしたものである。

 革命軍に属する身のニンバスは、アトモスの遺志に抗うスノウにとっては敵対陣営にあたる。そんなニンバスを、最強の聖女スノウとの二人きりにしたら、主の命が危ないと思うのも当然だろう。


 しかし、絶対に間違いは起こらないから安心しろ、と、ふっと笑ってそう言うニンバスに押され、話のわかる忠臣達は店から出て行った。一つのテーブルで向かい合って座る、スノウとニンバスという二人の姿は、見る人が気付けば、なんと豪華な顔合わせだろうと思うだろう。近代天地大戦において、最も名を馳せた二人である。


「さっきの二人は?」


「近々祝言を挙げるらしくてな。一杯ぐらいは奢ってやりたかったんだ」


「へぇ~、おめでたいじゃない。二人とも、あなたの傭兵団に属する人だったわよね」


「組織内での恋愛は控えめになと、時々言ってはいるのだがな……」


「いや~、それはしょうがないわよ。命を懸けてでも共通の信念を持って行動を共にする者達の集まりでしょ? 性格が合えば、信頼できる連れ合い探しも捗っちゃうってなものよ」


「同士に恋愛感情を抱いてしまえば、喪われた時の悲しみは想像を超える。皆、軽視し過ぎだ」


「みんな別に、あなたの言うことを軽んじてるわけじゃないと思うわよ。好きになっちゃったら、それは当人らにもどうしようもないんだってば」


 スノウもかつて、鳶の翼の傭兵団と共に、アトモス率いる革命軍と戦ったことがあるから、傭兵団の者達の顔はある程度知っている。ニンバスの口から、彼にとって可愛い部下の二人が、これから人生を共にする人と巡り会えたことを聞いたスノウは、自分の知り合いがそうなったかのように祝福の想いで胸を満たしている。

 さっき自分を睨みつけてきたあの二人だが、はっきり言って関係ない。知人の祝言は既婚者にしてみれば、めでたいものはめでたい以外の言葉がない。


「ああ、そうだ。15年ぐらい前に、私はお前に金を貸していたな。そろそろ返して貰おうか」


「ふぐ……あ、あなたその辺、物覚えがいいわねぇ……」


「返しては借りて、返してはまた借りての繰り返しだっただろう。あれだけ常習化されていたら忘れられん」


「いや~、その~……結構な額なのはわかってますので、少々お待ち頂けましたらと……」


「だろうな、期待はしていなかったよ」


「うぐっ、そう言われるとなんか腹立つ」


「だったら返せ」


「ごめんなさい」


 へへえとテーブルに額をすりつけ、隙だらけの姿勢を見せるスノウは、敵対陣営であるはずのニンバスに、急襲されることを想定していない態度だ。ニンバスも同じ、武器を持たぬ今の自分に、スノウが手をかけてくることはないと信頼している。二人はそれだけの間柄なのだ。数年前に、金の貸し借りをした程にはだ。


「それはそうとして、あんたあの二人に祝儀は出せそうなの?」


「なんだ、そんな心配をするぐらいなら金を返してくれてもいいだろう」


「ぜ、全額は無理だけど……分割でなら、受け取ってくれる?」


「無理をするな、無いところから取り立てる趣味はない」


「いや、お金はあるのよ? ホウライの都を守り抜いた身として、ざっくり報奨金貰ってきてるから」


「……お前、受け取ったのか」


「貰うものは貰うわよ」


 めっちゃくちゃにされて復興も大変で、喉から手が出るほど復興資金も欲しいホウライから、差し出された報奨金をきっちり貰ってくる辺りは流石のスノウである。もっとも、貰うだけのことは存分にやっていたが。

 また、そもそもにしてホウライの都を崩壊させたのは、ニンバスも属するアトモスの遺志なので、気心知れた仲だから突っ込みはしたニンバスながら、これ以上はこの話を掘り進めない。そのうち、お前らが言うなになる。


「祝儀ぶんぐらいは用意してあるよ。金欠常習犯のお前に助けられるほど、困った生活はしていない」


「あんた達の収入源ってどうなってんの?」


「鳶の翼の傭兵団に属する者達は、そもそも有事の際以外は各地で普通に生活している身だ。先日のホウライ地方侵略戦の後だから、しばらく皆そう身軽には動けんが」


「貯えを切り崩して生活してる感じ?」


「まあ、そんなところだな」


 案外そういうものなのだが、大きな裏組織に属する者達というものは、その本職に携わる時以外は表向きの仕事を持ち、社会に溶け込んでいるものである。それは、実はアトモスの遺志だってそう。革命軍っていうのは別に、職でもなんでもない。それに身を属していたって、山賊稼業じゃあるまいし生きていくための糧は直接入って来ない。普段は別に、ちゃんと社会的な本職を持っている者が殆どだ。セシュレスやドラウトのような、名を馳せすぎた辺りはそうもいかないけれど。


「じゃあ今あんた、プーなんじゃん」


「ふふ、相変わらずひどい物言いを好んで使うな、お前は。否定はしないが」


 それは、セシュレスらだけでなく、ニンバスにも言えること。ホウライの都を侵略する指揮官の一人として、改めて周知されてしまったニンバスが、表向きに稼げる場所を探すのは難しい。どのみち戦後間もない今は、傷を癒しながらゆっくりしているべき時期でもあるが。


「やっぱり返しとくわ、全額は無理だけど。苦しいでしょ」


「大丈夫だぞ? 例の日の前には傭兵稼業などで稼いでいたし、しばらく暮らしていくだけのものはある」


「流石にそんな身の上を聞いた上で、無視なんて出来るもんですか……」


 そう言ってスノウは、財布の中から少なくない金額を差し出した。それでもあくまで全所持金の一部分。ホウライの都から頂いた報奨金っていうのは、けっこうな額だったようだ。それだけ潤沢に報奨金を貰った身ながら、まだ借金全額は返せませんとか言っている時点で、相当な金額を借りていたという歴史も察せるが。昔のスノウは随分と、金遣いの荒い人だったようで。


「ふふ、お前も丸くなったものだな」


「そうかしら? 昔よりも、嫌なもの見続けてきたぶん、スレた自覚の方が強いんだけど」


「だからこそ、昔よりももっと優しい奴になった気がするよ。昔のお前なら、自分で選んだ道だから仕方ないねとでも言って、私に説教を始めていただろうな」


「え゛っ、昔の私ってそんな薄情な奴のイメージなの?」


「言ってたと思うぞ。お前は自分に対して甘くはないが、他人に対しても厳しい奴だったからな」


 貸していた金の一部を受け取ったニンバスは笑うが、スノウも言い返せずに腕を組んで、うむぅとへこみそうになる。確かに昔の自分は今より乱暴な物言いをすることも多かったが、そこまで言うような奴だったかなぁと、あまり信じたくないという顔だ。今の価値観で言えば、ちょっと昔の自分を叱ってやりたい気分にもなる。


「人は、苦しみや悲しみを知っている者の方が、他人には優しく出来ると言うからな。真理だと思う」


「ええ、痛みやつらさを知らずに人に優しく出来るのは、想像力が豊かという才能を持っている人だけよ。それを超えて他者に優しく出来る人になるためには、経験を詰むことがそれを補う要素になる」


「若いうちの苦労は買ってでもしておけと、私が昔お前に言っていた意味も、今ならわかるだろう?」


「あんた若いうちから年の近い私にそんなこと言うから、外面はイケメンでも中身はオッサンだなんて言われてたのよっ」


「初めて聞くな、そんなことは。どうせそんなことを最初に言い出したのはお前だろう」


「えっ、なんでわかるの」


「わからずお前の友人を名乗れるか」


 あぁ、少し胸が温かくなる。真っ直ぐこちらを見て言うのは流石に無理だったか、少し顔を逸らして酒を口にしながらだが、今でもニンバスは自分のことを、友人だと呼んでくれるんだなって。

 とうにそういった関係を修復することは諦めていて、それでもファイン達からこいつを引き離すという口実を設け、久しぶりに会話をしたいと思っていたスノウの想いは、決して一方通行ではなかったのだ。ニンバスは、敵対する今になっても、スノウとの縁を忌んでなどいない。


 酒の入っていたグラスを空にし、ふうと息をつくニンバスだが、饒舌に語らってくれるのは酔っているからだろうか。いや、寡黙で知られるニンバスだが、少なくとも昔からスノウと話す時は、こうして呼に対して応を返してくれた人物だ。酒にやられて饒舌になっているわけでなく、昔ながらの口ぶりに戻ってきてくれているニンバスの態度そのものが、何よりスノウの胸に沁み入るほどの懐かしさをもたらしてくれる。


「……ファイン、と言ったな。お前の一人娘は」


「ええ。あなた、あの子とは二度会ってるのよね」


「タクスの都でも、一度な。同じ相手と二度戦い、二度負けたのは初めてだったよ」


 ニンバスだって絶対無敗じゃない、多少は戦で敗戦を経験したことはある、指の数ほど少ないが。それでも、一度敗れた相手との再戦では借りを返してきた。例外があるとすれば、天人陣営の味方をしていた時、何度も一騎打ちしながらも、引き分け続きで決着をつけられなかったネブラぐらいのものだ。そんなニンバスを相手に二連勝しているファインって、改めて思えばスノウの目線でも大器だと思う。


「うちの子、どう? あなたから見て、どんな印象だった?」


「優しそうな少女だと()ず思ったな。交戦までの経緯を抜きにしても、そう思えるほどに」


 知り合ったばかりのリュビアを守るためだとか、お母さんや新しい友達アスファやラフィカのためだとか、ニンバスと戦うに至った動機の根本にお人好しっぷりがちらつくファインだが、ニンバスが言っている経緯というのはそのことだ。そういった要素を抜きにしてなお、ファインには同じ心象を抱くと、ニンバスは強調する。


「そう思うんだ、あなたも」


「目を見ればわかるさ。あれは幼い頃から人の痛みや悲しみを知り、ゆえにこそ人には優しくしようと努められる、そんな少女だ」


「……そうね。そんな子に育ってくれたみたいで、本当に何よりよ」


 そうでしょ自慢の娘なのよ、と、スノウが彼女本来の陽気な口を叩けない。それは、差別されてきたファインの幼い頃の日々は、混血児に生まれたからだという事実が、罪悪感に近いものとしてスノウの心を引っかくからだ。

 あの子をそういう風に生んだのは自分なんだって。子は親を選べない。亡き夫との愛を信じて結ばれた若き日のスノウが、その決断が正しいことだったのか時々苦悩するのは、ファインの半生を思い返した時こそだ。


「普通の混血児は、なかなかああは育たないんだ。差別的な意味ではなく、致し方ないことだがな」


「ええ、わかってるわ。幼い頃から天下の往来を歩いているだけで、石と罵声を浴びせられて育った子に、真っ直ぐな心を育めと言う方が残酷よね」


 ホウライの都における戦いの中、スノウがミスティに言われたことは、決して比喩でも何でもない。地人と天人、ふたつの血を引いているというだけで見ず知らずの人達から蔑まれ、疎んじられてきたのが混血児であり、過言ではなくそうなのだ。スノウですら、あるいはスノウだからこそ、混血児でありながらあれほど心優しい少女に育ってくれたファインというのは、奇跡的な存在だと断言することが出来る。


「……ねえ、ニンバス。あなたはまた、革命軍の使徒として、私の子を手にかけようとする日が訪れるの?」


「…………」


「私の言いたいこと、わかるでしょう?」


 うなずき返すこともせず無言のニンバスだが、当然わかっている。ファインの母として、ニンバスの友人として、その二人がまたも命を奪い合うような展開など、スノウは二度と繰り返して欲しくない。


「私達が望む革命への道を、彼女が妨げなければ戦う理由はあるまい」


「それが出来ない子でしょうから、こうして危惧してるんじゃないの……わかるでしょう……」


「……そうだな」


 困ったことに、ファインは目の前に、破壊を以ってでも何かを叶えようとする暴徒がいた時、立ち向かってしまう性格をしているのだ。そうでなければ、母の味方をするという動機だけで、ホウライの都という大きな国家を叩き潰そうとする、一大組織に真っ向からぶつかっては行くまい。リュビアやレインのような、行きずりで出会ったばかりの少女らを守るためだけに、命を張るようなことはするまい。


 革命軍が再び動き出し、ファインの目の届く場所で動くことあらば、きっとファインは黙っていない。ニンバスとファインが再び敵対する未来が、スノウには具体的に見えている。想像しただけで胸が苦しくなる。次こそはファインとニンバス、どちらかが死んでしまうかもしれないと思うだけで、胸焼けすら起こしそうだ。テーブルに両肘をついて、頭を抱えるようなスノウの仕草には、そんな想いが濃過ぎるほど表れている。


「セシュレスが革命を諦めるとは思えないし、あなたにそれを止めて欲しいだなんて無茶も言わないわ。……でも、私はもう、あなたに革命に携わって欲しくない。聞いて、お願い」


「…………」


「話を聞いて、お願い。最終的に、断られても構わない。私がそう、心から願っていることだけは知って」


 わがままが通らなくてもいい、それでも言わずにいられないということは、大人でも子供でもあるものだ。諦観にも打ち勝つ強い想いは、その人の口に戸を立てることを叶えられないようにする。


「……お前は今でも、革命には反対なのだな」


「ええ、昔からそれは変わらない」


「セシュレスが起こそうとする革命は、それによって救おうとする対象に、お前の娘も含んでいる。今さらお前も、そうしたセシュレスの信念に、嘘があるとは疑ってはいないだろう」


「それでも、駄目なの、革命は。昔から言ってるでしょう、そんなことをしたって、より退廃的な社会がその後に続くだけだって」


 そもそもスノウは、天人が利権を貪り、地人や混血種が虐げられる現在の社会情勢に強く嫌悪感を抱く身だ。そんな彼女が、愛娘を含む多くの人々にも、天人が今まで独占していた権利が平等に与えられる社会を築こうとする革命に対し、反意を示すのは一見矛盾していることである。スノウが革命に反対する行動理念は、革命後の社会に対する危惧によるものだ。


「革命成就の必要十分条件は何? 天界王フロンを討ち果たすか、その王座から引きずり降ろすことによって、支配者不在の社会を通過点に置くことでしょう。そして指導者無きこの社会を、新しく率いていくのは誰? セシュレスが新たなる王となるの? それとも、民が自らの意思で社会を作る、民主的な社会でも築こうとでも言うの?」


「……革命成就の時の状況次第だろうな」


「どちらにしたって上手くなんていくものですか。地人のセシュレスが王として、天人達を含むすべての人々を纏めようとしたって、天人達の傲慢な精神は決して服従には至らない。ならばと、力と恐怖政治で強引に言うことを聞かせるの? この社会を構成するのは地人だけでなく、天人だって確かにそうなのよ? その半分が社会を動かす人材として正しく機能しない社会が、前向きに進んでいけるとセシュレスは本気で思ってるの?」


「そんなことはセシュレスもわかっているだろう。だから彼は、革命活動の一環として、破壊と殺戮を手段に用いることあれど、無用の犠牲者を生むことを極力嫌っている」


「そうよ、その生かした天人が、セシュレスあるいは地人が王となった社会が成立した時代には、必ず水面下で反逆を起こし得る分子の温床になるわ。あなた達が社会の一員として生き残らせようとした天人達は、革命を成就させた所で、次の争いを招く火種にしかならないと私は思っている」


「それはお前だけが思っている予見だろう」


「じゃあ全てが丸く収まったとして、セシュレスが全てを纏められる名君でいるとしましょう。それであの人は、向こう何年生きられるの? あの人が老いて世を去れば、代わりを努められる人がいるの?」


「……ああ言えばこう言う奴だ。そういうところは、昔から変わらないな」


「笑わないでよ、お願いだからちゃんと聞いて」


 昔ながらのスノウに懐かしさを覚えたか、ニンバスが小さく笑っても、スノウはそんな笑顔を否定してまで想いの丈を訴えようとする。それだけ、スノウは強く主張したいのだ。革命を為したところで、この社会を天界王が治めている今の実状以上に、正しく社会を機能させる図式は存在しないのだと。


「言っておくけど、主君なき民主的社会へ、なんて道筋はもっと有り得ないわよ。昔から言ってるわよね、私」


「それには私も昔から同意しているだろう。民主的社会の成立には、民それぞれが成熟が不可欠だ。現在の社会では、民主的な社会が訪れたとして、それを正しく機能させられる教養に足る者が少な過ぎる」


 政治制度を二つに分けるなら、王政と民主政の二つに分けることが出来る。

 前者は、唯一王あるいは最高議会などの決定を絶対のものとし、社会を動かすというもの。

 後者は、指導者こそ存在はするものの、主には民の総意を尊重する社会制度である。たとえば王や最高議会が社会を動かす基本であるのは同じとしても、その王は民による選挙で決めるとか、政治に民意が介入する余地が発生すれば、ある程度は前者に比べて民主的と言っていい。まあ、ざっくばらんな分け方だが。


 民主政というのは、なかなか魅力的な響きである。特に、ファイン達が暮らすこの社会は、お偉い様の天人が言うことは絶対で、地人は冷や飯を食わされることに反論すら許されてこなかった。そんな地人をして、民主的な社会、つまり自分達の声も政治に反映してくれる可能性のある社会に変わるというのは、聞けば素晴らしい響きであろう。人によっては閉塞感すら感じる現在と比べれば、夢の世界のようにすら感じられるはず。


 絶対に上手くいかないから、そんな社会。民意を反映して貰える、民にとって理想的な社会という青写真と、得体の知れない不特定多数が政治に介入して社会をかき乱す衆愚政治は、驚くほど現実世界では重なり合わないのだから。

 恐るべきケースは、ちょっと考えただけで山ほど思い浮かぶものだ。どんな人でも最高指導者になり得る権利を持てるようになるなら、我こそが頂点にと黒い野望を抱く者だって増えるだろう。社会全体を動かせるようになる主権を掴むためなら、恐らく一部の者は手段を全く選ばない。それだけの価値がその夢にはある。そうして、民がいいように掌で転がされ、口車に乗った末に、とんでもない本性の持ち主を最高指導者に祀り上げるような結末を迎えたら、さあ暗黒時代の始まりである。かなり本気で笑えない。


 民主政治っていうのはニンバスが言ったとおり、そもそも民にそのための教養が備わってなければ成立し得ないのだ。民が主役だと吠えてわがままを言う者ばかりが増え、社会に混乱をもたらすようなことが多くなるのであれば、語彙力が増えただけの原始人の巨大集落と何も変わるまい。ちゃんと各々が社会のことを自分なりに考え、議論し、結論を出し、良き指導者を選び、その人が施行することに間違いがあるならば、その時こそ民意を以って抑止力となる。それが理想的な民主政であって、同時に、理想論だよそんなのは、って揶揄されるであろうほどに、最も実現が難しい。


 人々が幼い頃から教養を積める社会制度が整理されていて、子供が政治の仕組みに興味が無くたって教える機会を設けるなどして、そうして民に教養をもたらす下地こそが、民主政とやらを叶えるためには不可欠なのだ。世界のどこかには、三権分立制だとか二院制だとか、子供からすればわけのわからんような複雑なシステムを導入して、政治の最高機関を回すようなことをしている国家もあるのだが、それもまたその国の過去の偉人が作り上げた、非常に難しい民主政をより良く機能させていくための、実に緻密な合理性を孕んだ構成なのである。


 仮にそれだけのシステムが完成されていたとして、どうにかようやく苦労しながらも、民主的な政治を上手く回していけるかどうかの日々が常に続くのだ。この世界には、民主政を機能させるためのシステムもなければ、民にそのための教養をもたらす下地も無い。今の王政から、民主政への移行なんていうのは、100%間違いなくスノウの言うとおり、退廃的な世界への片道切符である。


「革命を成立させたところで、どんな手段を用いて新体制を用いても、そのしわ寄せが必ず社会全体を崩壊させるでしょう。だから私は、目先の希望を追うことはやめにして、革命なんて夢を追うのはやめて欲しいと訴え続けるの」


「……夢見る者達の求心力に異を唱えようと、それは抑止力にはならん」


「わかってるわよ……だけど……」


 そして、どのような説得や言葉で以ってしても、虐げられ続けた者達が変革を望む想いを鎮めることは、決して誰にも出来ないのだ。スノウの訴える言葉が口八丁のそれではなく、心から社会全体の未来を案じてのものであることは、ニンバスにだってわかっている。きっと、仮にセシュレスがここにいて、スノウの話を聞いたとしても、その熱意だけは疑わずに受け取ってくれるはずだ。


 だが、革命軍の指導者は、世界が変わることを望む者達の想いを一身に背負っている。だからニンバスも、セシュレスも、革命の使徒を導いていくと決めた者達は、スノウの言葉を聞いてなお、その道を改めない。同士の願いを、その強さを知っているからだ。

 みんな、この世界を変えたいと思って、命すら賭けている。彼らに報いるには、彼らが生きていられる時代のうちに、忌まれたこの世界に変革をもたらさねばならない。新体制を作るため、何十年もかけて下地を作ってからの革命、なんていう、スノウの言うことも汲んだ理想的革命など不可能なのはそのせいだ。


「革命軍を止めるには、私やセシュレスを……」


「やめて! もう、あんなことは繰り返したくない!」


 指導者、将を潰すことが、革命を止める、戦争を止める唯一にして最短の手段。親友アトモスを手にかけたあの日のことを、今でも時に悪夢に見るスノウに、まともな頭でニンバスを殺すことなんて出来るものか。ホウライの都の北、戦場で相見えた時の特別昂ぶった感情を麻薬の如くして、自分を騙しでもしなければ、旧知の友の命を奪いかねない戦いになど乗り出せようものか。


 友達と殺し合う。言葉にして単純すぎる単語の羅列。その壮絶さの真は、実際に現実として直面しなければ、誰も想像ですら補えまい。


「…………」


「……ねぇ、ニンバス。あなたはまた、私達の前に立ちはだかるの……?」


 イエスと応えられることが見えていながら、そう答えて欲しくないことを、揺らめく瞳に表してスノウが問う。空になったグラスを握り、口に運ぼうとしてしまうニンバスの挙動は、仕草を一つ挟もうとしたもののグラスが空だったことに遅れて気付くという、悪酔いと見紛いかけるもの。意識散漫になるほど、スノウだけを見ている表れだ。


「……友として私を信じてくれるなら、答えるが」


 息をつく代わりに前置きを口にするニンバスが、痛々しいほど哀しみに満ちた、スノウの瞳に眼を向き合わせる。自分にとって良くない答えを既に覚悟して、あるいは覚悟していても悲しい回答を耐えられる心を作れないのか、既に泣きそうなスノウを見ると、安心させたい想いが勝ってしまう。


「私達、鳶の翼の傭兵団は、もう革命活動には関与しないつもりだ」


「…………」


「お前達と戦うことは、もう無いだろう。私がそう答えれば、信じることは出来るか?」


 切実な表情に変わって以降、一度も笑わなかったスノウが、僅かな間をおいてから小さく笑みを浮かべた。ニンバスに対する返答はない。そこにはただ、古くから知る友人に対する、昔と変わらぬ敬意を惜しみなく注ぐ、恭しい聖女の表情があるのみだ。


「……あなたって、本当に優しい人」


「ふふ、なかなか信じられんという顔だな」


「ええ。あなたは正直者のくせに、優しい嘘をつくのだけは得意だったから」


「手厳しいな」


 互いを深くまで知り合う両者が、望郷心を形にしたような微笑みを酌み交わす小さな空間は、独りじゃない温かみと、それでいて交わり合いきれない寂しさに満ち溢れる。友達なのに、手を取り合えない。こんなにやりきれないことなんて、他に例を探すのが難しいぐらいだろう。


「スノウ」


「なに?」


 緊迫なし、されど緩和でもなし。そんな空気の中で名を呼ばれたスノウは、儘ならぬ現実に憔悴したような表情で、微笑みを崩さずに応じている。


「今も昔も、私はお前を誇るべき友人だと思っている。お前に出会えたこの縁は、私にとって掛け替えなきものだ」


「……知ってるわ。私もそうだから、よくわかる」


 真実は、時として空想よりも、優しければ優しいほどに残酷だ。疑いの念すら抱くことなく、信じることの出来るニンバスの言葉に、スノウはまばたきを何度も繰り返し、零れ落ちそうなものを耐えるので精一杯だった。






 過剰なほどのストレスがあったのだろう。この後、酒を大量にかっくらったスノウが、ふらつく足でファイン達の待つ宿に帰り着いた。ニンバスに肩を貸されてだ。二人がそんな姿で現れたことに、ファインとクラウドが目を疑うような想いであったことは言うまでもない。


 ニンバスと話し込むうちに耐えられなくなったのか、あるいは酒のせいなのか、宿に帰り着いた時のスノウはぐずぐずと泣きじゃくっていた。ニンバスの肩から離れたスノウは、顔をファイン達から背けて、隠しきれない泣き顔を隠そうとするようにしながら寝室へ。いったいどういう経緯でそうなったのか、ファインにもクラウドにもわからない。


「ファインと言ったな」


「は、はい……」


 お母さんが泣いていたことに絶句していたファインではあったが、寝室へと去っていくスノウを、心配するような目で見送っていた彼の目は見逃していない。お母さんに何があったんですか、どうして泣いてるんですか、と、問いかけようとした想いが消沈するのと同時、名指しで話しかけられたことにファインが虚を突かれる。


「お前の母親は、誰よりも強く、今この世界で誰よりも脆い。大切にしてやってくれ」


 そう言ってファイン達の前から立ち去っていくニンバスを、クラウドもファインも呆然とするようにして、見送ることしか出来なかった。大人って、わからない。昔は友達同士だったらしくて、近代天地大戦では一緒に戦った間柄で、つい先日には殺し合い、それでいて今は心から案じた目と言葉。常に仲良しであることばかりが友人同士ではないというのは、当たり前のようでいてなかなか実感を得にくいものである。


 二十年を超える付き合いが生み出す、他者にはわからぬ複雑な絆の真を理解するには、ファイン達は若過ぎる。積み重なった歳月による絆が形にする不可思議は、人によっては生涯経験することも出来ずに一生を終えるほど、稀有かつ貴く比類なきものだ。

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