第211話 ~再会は唐突に~
「わぁ~、いい眺め!」
「レインちゃんは、山に登るのは初めてですか?」
「うん!」
クライメントシティ行きのファイン達の旅路は、アボハワ地方からさよならを済ませ、マナフ山岳に差し掛かっていた。町村や集落、人里と人里を山道で繋ぐことで山越えの道を伸ばすマナフ山岳は、東西に広々と伸びる大きな山岳だ。山道も東西一直線ではなく曲がりくねっているため、山越えには、地図での見た目以上に距離があって時間もかかる。
「山道ってどうしてこんなにくねくねしてんのかしらねぇ。右から左に、ぴゃーっと一直線に引けば最短距離なのに」
「山には自然の傾斜があるから、真っ直ぐ素直に山道を引くのは難しいんじゃないですか?」
「お、クラウド君知ってたんだねぇ。博識な子だわぁ」
幌も無い、荷台も小さな馬車を借り、御者台で手綱を操るクラウドに荷台からスノウが語りかけたところに、返ってきた答えは正解である。模範解答を知っていながらも、さぁ何故でしょう、考えてみましょうか、と問題提起する形で話題を設けようとしたスノウだが、若くして知識量も多いクラウドに驚かされるだけで話は終わってしまった。
更地の山は高低差が激しい。数歩分の距離でも、身長ぶんぐらいの高低差がついていることもザラなのだ。そこに山道を馬鹿正直に真っ直ぐ引こうとすれば、どこかで傾斜がひどいことになる。
だから道をくねらせてでも、なるべく平坦に近い傾きの山道を引かねばならぬと、大昔に山道を拓いた人達は知恵を利かせているのだ。そうでなければ徒歩ならともかく、馬車で山道を進むことが出来なくなってしまうのである。
「ねえねえお姉ちゃん、馬車から降りちゃダメ?」
「クラウドさん、すみませんが止めてもらっていいですか?」
「ん」
山道のカーブどころ、切り立った崖に近い山道にて、馬車の荷台から身を乗り出さん限りのレイン。察したファインの頼みに応じてクラウドが馬車を止めると、荷台からぴょこんと飛び降りたレインが、とてとて崖の方へと走っていく。ファインも追うように付き添っていく。
「きれい~!」
「あんまり前に出ると危ないですよ」
切り立った崖の随分ぎりぎりの所までレインが行くので、ファインも手を引いて引き寄せる。落ちない所で足を止めるのはわかっているが、端に立って、仮にレインの重みで弱った岩盤が欠けて崩れたら大変だ。確かに高所、緑色の木々が一望できる山の景色は、初めて見るぶんには絶景だろうけど。
「よいしょ、っと」
「わっ、わ……お姉ちゃん?」
「崖の端っこに行っちゃダメですよ。これで、我慢して下さいね」
ちょっとふらつきかけはしたものの、ファインがレインを肩車してあげて、人一人ぶん高い位置から景色を見下ろせる形にしてくれた。レインの体が小さく軽いのもあるが、ファインって案外足腰もしっかりしていて、全身を使うならこういうことも出来るようだ。というか、それぐらい出来るポテンシャルが無いと、今までの戦いを切り抜けられてきてはいまい。
「ファイン~、あんまりあんたも調子に乗って前に出たりしちゃダメよ~? つまづいて、二人とも落ちたりしたらシャレになんないんだからさ~」
「わかってるよ~、お母さん」
「お姉ちゃん、あれ何? なんか高いのが見えるけど」
「あれは多分、人里の間にある高見塔ですね。あそこからも、多分いい景色が――」
スノウに返答しながら、レインとのお話も楽しむファインの声は弾んでいる。気付けばいつの間にか、スノウと話す言葉からも敬語がはずれている。元々親子なのだし、敬語を使って話しかける方が、どちらかといえば特異的だったのだ。レインとの時間をお楽しみの上で、自ずとそうした口調を意識せず、スノウと会話できるようになっている辺りも含め、スノウはこのやりとりだけで心地がよかった。
ちょっとずつ、家族としての時間が巻き戻されている実感がある。ずっと愛娘を放っておいて、信じた道を突き進んできた自責のあったスノウをして、手に余るほどの幸せには、ファインを見守る目尻も下がるというものだ。
「こう言っては失礼かもしれませんが、山の中にもこんな大きな人里があるんですねぇ」
「割とマナフ山岳の山越えルートは真っ直ぐなんだけど、ファインはここを通らなかったの?」
「あー、一度目の山越えの時は色々忙しくって……なんか山の中突っ切ったりだったんですよね、クラウドさん」
「そういやそうだったな。もうアレは経験したくないな」
夕陽ががらりと空を赤く照らす時間帯、四人が辿り着いた山中の人里は随分広い場所。この場所で生まれて、一生村を出ず、そのまま生涯をここで過ごしても、きっとそう悪い人生ではなさそう。山道を挟んだ近隣の人里との交易関係も良好のようで、こんな時間になっても荷馬車の往来が村の入り口では絶えず、完全に一つの社会として完成されている様相とスケールを感じさせてくれる場所だ。
クライメントシティからホウライ地方に向かう時は、アストラ達から逃れるために山林を駆け抜けたクラウド達なので、こんな立派な村があったことを知らなかったのである。もうあんなことは経験したくないと言うか、正直あんまり思い出したくないことも少しある。スノウもなんとなく、苦笑した顔同士を見合わせるクラウドとファインを見ていると、何があったのか詮索するのは良くなさそうと察せるほど。
「それよりもまず、お宿を探しませんか? こんなに大きな人里で人が多いなら、早く見つけなきゃ泊まれる場所もなくなっちゃうかも」
「そうだなー、そうするか」
「お姉ちゃん、疲れたよぅ。おんぶして」
「あら、山道歩きで疲れたのかな?」
ファインの腰元をくいくいと引いて、姿勢を低くして欲しいと訴えるレインに応じ、くすっと笑ったファインがしゃがみこむ。ぴょこんとファインの背中に飛び乗ってしがみつくレインは、ファインのうなじに頬をすり寄せて上機嫌だ。
もう見え見え、疲れてるだとか嘘みたいなもんで、お姉ちゃんにおんぶして貰いたい、甘えたいだけだろう。だいたい普段の、あるいは戦闘時の彼女の健脚からして、山道を歩いた程度でバテるわけがない。
「まさかとは思いますけどファイン、レインの言うこと鵜呑みにしてたりしてないでしょうねぇ」
「いや~、それは無いでしょ。可愛い嘘だってわかってて、おんぶしてあげてるだけだと思うわ」
「それはそれで、あいつも人がいいよなぁ。かえって心配になりますよ」
ゆっさゆっさと背負ったレインを揺さぶってあげながら、楽しそうに歩くファインを少し離れた後方から見て、クラウドも微笑ましく笑いながらも本音をちらり。昔から思っていることだが、どこか抜けた所が散見する上に、人の良すぎるファインを見ていると、そんな想いも沸いてくる。
「心配って、あの子が変な奴に騙されないかとか?」
「それもあるし、あいつ何か頼まれるとイヤって言いづらそうな性格してるじゃないですか」
「あー、わかるわかる。その辺は私も気にしてるわ」
いい人ってのは度が過ぎると、身内には心配されるものである。クラウドもスノウも、悪い奴はいっぱい見てきた立場だから、特にだ。例え話、金に困った奴が返す気もないのにファインに借金を頼んだとして、人の良いファインが返ってくる見込みのないお金を貸してしまうんじゃないか、とか。あくまで一例だが、悪い奴がカモにしやすいのは、人の良い人間だっていうのも一種の事実である。
「正直あの子のそばには、常に誰かしらのしっかり者がいた方がいいと思うのよねぇ」
「前まではそういう親友がファインにもいたんですけどね。サニーっていう子のこと、聞いたことあります?」
「ええ、聞いた聞いた。とってもいい友達なんですってね」
ホウライ城でスノウと再会した後ぐらいに、積もる話の中でサニーのことが話題になることだって密かにあり、スノウもファインの幼馴染のことは聞き及んでいる。ここ、マナフ山岳でお別れになったこともだ。ファインは漠然とだが、サニーがこの世からいなくなってしまったとは信じていないらしく、暗い空気でその話が出たわけではなかったけど。
「その子、しっかり者だったんだ?」
「なんかちょっとヘンなとこあるけど、話もわかるし他人の本質もよく見てるし、ファインにとってのベストパートナーって感じでしたよ。ファインもあいつと一緒にいる時は、それだけでなんだか安心してるように思えましたしね」
「そうなんだ。巡りよく、再会できればいいんだけどね」
「多分ファイン、泣いて大喜びすると思いますよ。相当になついてましたから」
「あはっ、それ見たい。我が子が泣いて喜ぶ顔とか親としてすごく見てみたいわぁ」
クラウドだって個人的にサニーにまた会いたいという気持ちはあるが、確かにスノウの仰るとおり、サニーとの再会を泣いて喜ぶファインの姿を見るのも楽しみだ。多分、すごく胸が温かくなる。
「でもまあそれまでの間も、あの子のそばには誰かいなきゃ不安なのも事実でして」
「今はもう、スノウ様がいるじゃないですか」
「そりゃまあ、私も変な虫があの子につかないよう目は配るけどねぇ。娘の人間関係に親がどうこう口を挟むのはちょっとな~、って感じ」
「そういうもんです?」
「私が地人と結ばれることを選んだ時にも、親には反対されたしね。両親のことは嫌ってないけど、ああいうのはちょっと好きじゃないの」
スノウは天人、両親も天人、娘が地人と添い遂げることを言い出した時には、反対だってしただろう。天人っていうのはそういうものだ。そういう世の中だから、反対した両親の気持ちも今では汲み取れるし、わだかまりは無いようだけど。勘当同然で家を出たにも関わらず、死の床の母を見舞いに行った時には、心配してたのよと母に言われたスノウだから、親子の絆とは天人地人を超越して貴いものだ。天人の偏った価値観を嫌うスノウだが、世の中救い無きことばかりでないことも、彼女は学んで育っている。
「あ、そうだクラウド君。いっそお願いしてみようかしら」
「何ですか?」
「ファインのこと、貰ってくれない?」
ふぐっ、と息を詰まらせるクラウドのリアクションだけで、今のスノウの提案がどれだけ不意打ちだったのかは推して知れよう。貰うってつまり、ファインの両親同士がそうだったように、ファインとそういう関係になれってことではないのか。
「あ、あのですね……急に何言って……」
「クラウド君のように頼もしい男の人が、あの子と生涯を添い遂げてくれるなら、お義母さんとっても安心できるんだけどなぁ~」
「ふぁ……っ、ファインの気持ちも聞かずにそういう話はですね……!」
「あら? それじゃあクラウド君は、ファインがそれでいいって言ってくれたら貰ってくれるってこと?」
前に離れたファインには聞こえないよう、ひそひそ声で話す二人だが、大声を出してごまかすことも出来ない中で、クラウドの顔色がみるみるうちに変わっていく。その質問、すごく困る。最近なんだか知らないが、不意にファインを女の子だと意識し始めていた矢先、この問いかけは核心に近すぎる。
「ん、んんん~……そりゃあ俺、ファインのことは好きだけど……」
「どっちの好き? 友達としてってだけ? それとも、女の子として?」
「わっ、わかんないですよそんなの……! ずっと友達だったんだから、そういうふうにしか……!」
「クラウドさ~ん、お母さ~ん。二人で何お話してるんですか~?」
レインとお楽しみモードでじゃれていたファインだったが、気付けばえらく後ろの二人がついて来ず、自分達だけ随分前に出ていたことに気付いて呼びかけてきた。振り返った彼女の、疑問符を頭に浮かべた真顔は、明らかにクラウド達の密話を聞いた顔ではないが、まさか今の話を聞かれたかと焦るクラウドは、冷や汗流してファインに歩み寄る。体よくスノウから逃げたとも言う。
「い、やぁ、その……ファインとレインは本当の姉妹みたいで微笑ましいな、とか、そういう話だよ」
「えへへ~、私のお姉ちゃんだもんっ」
「もう、レインちゃん。そんなにぎゅうっとされたらお姉ちゃんも苦しいですよ」
焦るクラウド、幸せいっぱいのレイン、困るほどの熱愛に頬を綻ばせるファイン。足を速めて近付くスノウは、二重の意味で楽しくてしょうがない。元よりたった一人の愛娘、ファインがいつかいいお婿さんに恵まれることは願ってやまないスノウだが、案外それも夢妄想ではなく、具体的に実現可能な可能性を、目の前の二人を見ていると考えずにはいられない。
ファインの気持ちは知っている。クラウドがファインをどう思っているのかは計りかねる部分はあるが、決して無い話じゃないとはスノウにも思えた。世の中、情報をたくさん持っていれば持っているほど、何事も楽しい。
「お母さんって、ホントお酒好きなんだなぁ」
「ファインも飲む?」
結構です、と笑いながら丁重に断るファインの目の前で、スノウが蒸留酒の水割りをぐいっと飲み干した。ぷはぁ、と息を吐く息遣いが、つくづくおっさんめいていて苦笑いすら誘われる。50手前に達していながら、まだまだ街中で声をかけられそうなほど若作りで美しいお母さんなのに、なんと残念な。
「心配しなくても飲みすぎたりはしないから安心してよ。もう、ヤケ酒かっくらうテンションじゃないから」
「あはは、わかってる。お母さん、前とだいぶ飲み方変わったもん」
宿を予約したファイン達だが、もう他の客に夕食を用意した後の宿であったので、ファイン達はよその店に赴いて夕食を取る形にした。もっとも、予約した宿はあまり酒の揃えが良くなかったらしく、そうでなくてもこういう流れになっていただろうとは、クラウドもファインもなんとなく感じ取っている。
ホウライ城で出会ったばかりのスノウは、度数が鈍角なんじゃないかってレベルの酒をがぶがぶ飲んで、翌朝は頭ガンガンの二日酔いに苛まれる毎日だった。ファインと再会してしばらくも、そうである。
しかしそれは彼女の境遇が、過度にストレスの溜まるものだったからに過ぎない。ホウライ城の王族の話のわからなさとか、アトモスの遺志との膠着状態からくる緊張感だとか、いらいらさせられる種が当時は多すぎだのだ。ここ数日は、酒こそ飲めどあまり匂わない酒しか飲まないし、量もほどほどで、嗜む程度で済ませているのが明らかである。それにそもそも意識されないが、ここ最近のスノウは煙草ともご無沙汰だし、彼女が喫煙家であることもファイン達の記憶から抹消されかけている。
「あ~、幸せ。娘とも再会できた、その子にこんな素敵な友達も出来た、しかもこんな可愛らしい妹ちゃんまで」
「わわわ……」
円形のテーブル、ファインの向かい側に座るスノウが、隣のレインをひょいっと持ち上げて抱きかかえる。自分の席に戻ったら、膝の上に座らせて抱きしめる始末。ちっちゃくてすべすべの肌、幼い女の子のふにっとした腕の感触も手伝って、レインは非常に抱き心地がいいようだ。酒臭い息をレインの顔に吹きかけない程度に、スノウが後ろからレインに頬ずりする。
「あはは、スノウ様くすぐったいよぉ」
「可愛いわ~、レインちゃん。たまんないわぁ~」
「なあファイン、思いっきりコレ、誰かさんを思い出すよな」
「ええ、同感です。誰かさんがレインちゃんに会ったら絶対にべったべたですよ」
「サニるよな」
「サニりますね」
親友のファインがそう言うんだから、そうなったら間違いなくそうなるんだろう。貞操観念のしっかりしたサニーは、殿方には容易に肌を許さないが、女の子同士なら可愛いものにひたすらひっついてくる奴である。ファインはサニーが自分にひっついてくる気持ちはよくわからんが、ファイン目線から見て可愛くて仕方のないレインをサニーが見たら、どんな行動に出るかは想像に難くない。守ってあげるノルマも発生しそうだ。
「はい、レインちゃん、あーん」
「もう、スノウ様。そこまで子供扱いしないでようっ」
頭をなでなでして貰うたび表情をくしゃくしゃにしていたくせに、そんなこと言っても説得力が無いレインだが、スプーンに乗せたご飯をふぅふぅして冷まし、口に運ぼうとしてきたスノウには流石に反論。見た目には10歳いってるかどうか疑問符レベルのレインだが、流石にそれは子供扱いが過ぎたのだろうか。
「ふふ、ごめんごめん。レインちゃん、体も小さいから、ついね」
「もぉ~……だから私、このちっちゃい体イヤなんだよ……もう私、13歳なのに」
ふくれっ面で、なかなか育たない自分の胸をぽんぽんしながら、自分の席へと帰っていくレイン。動いているのは彼女だけ、ファインもクラウドもスノウも、衝撃の事実にびたりと時間が止まった。
「え……レインちゃん、13……歳?」
「ほらぁ~! お姉ちゃんまでそんな顔するぅ~!」
「えっ、やっ、あの……そ、そういうつもりじゃ……ええぇぇと……」
そういうつもりだったから、なかなか弁解の言葉が出てこない。どう見たって体つきは10歳そこら、顔立ちも幼くて、加えて出会ってからの数日間のレインの挙動から、下手したら9歳か8歳ぐらいかなっていう印象でここまで来たのである。この子まさか算数間違ってるんじゃないかって、ド失礼な邪推すら閃くほど、レインが13歳という新事実はファインに衝撃を与えた。
「も~お姉ちゃんとは口利かないっ! おとめに対してすごく失礼な態度だよっ!」
「あわわわ……ご、ごめんごめんレインちゃん、機嫌直して……?」
「あんまり騒ぐと他のお客さんにも迷惑よ? 私達が悪かったから、静かにし……」
彼女的にありえないようなことを、思いつきで大声で言ってしまうほど気を悪くしたレインを、ファインがあやす中でスノウは周囲を見渡す。いきなりの大声でびっくりさせてごめんなさいね、と、近くの席に座る人に謝ろうとした挙動である。元から騒がしい酒場内であるが、一応周囲に気は配る。
だが、周囲を見渡しながらそう口にしかけていたスノウが、ある方向を向いたままぴたりと固まる。体の動きも口の動きもだ。
目に見えて不審な動きを見せたスノウにまず気付いたのはクラウド。ファインはレインに構っているから、気付くのが遅れているが、後から思えばそれも幸だか不幸だか。
「どうし……」
スノウが見つめる目線の先を見たクラウドも、スノウに話しかけようとしていた口が止まってしまう。さらに急いで財布を取り出すクラウドの挙動が、何を意味しているのかはわかりにくい。夕食もまだ半分時だっていうのに、お会計の準備をするのは早すぎだろう。
「あの、スノウ様」
「うん、おあいそして先に出ておいて。んで、ファイン達連れて宿に帰って」
「スノウ様は?」
「ちょっとダベってくるわ。心配しなくても、良くない展開だけは避けるから」
スノウが何を見ながらそう言っているのかわかっているクラウドは、近場の店員に無言で手招きし、お会計をお願いしますと小声で話しかける。レインにばかり構っていたファインも、流石に妙な空気には気が付いた。
「クラウドさん?」
「ファイン、行くぞ。ちょっと急いだ方がいい」
くいくいっとクラウドが、ある方向を親指で指し示し、あっち見てみろと示唆してくる。ファインも何かと思ってそちらを向くが、その先にいた人物を見て、クラウドの言いたいことを一発で理解したファインは、目の色を変えて息を止めたものである。
「っ……レインちゃん、ごめんなさい。後でいっぱい謝るから、ここだけは本当に許して?」
「え……」
申し訳なさげな感情を含めつつ、切実な焦燥感を携えた笑顔でそう言ってくるファインの表情は、幼いレインにも何かを察せさせるには充分だった。行きましょう、と、レインを抱え上げ、我が子をあやすかのように胸に抱くファインの行動に、レインは目をぱちくりさせるばかりである。
「お、お姉ちゃん……? まだ、ご飯残ってるよ……?」
「いいから、行きましょう? お腹がすいたなら、外ででも何か買ってあげるから」
お腹いっぱいでもないのに食べ残しだなんて、料理を趣味とするファインなんて特に、絶対にやらないようなことである。クラウドだってそういう性格の持ち主。その二人が、ご飯も食べきらぬうちにそそくさと会計を済ませ、レインを連れて店を出て行く行動はかなり異常なことである。
去り際、店員に、食べ残してるのは美味しくなかったわけじゃないんです、ちょっと急用が出来まして、すみません美味しかったです気にしないで下さいと、わざわざ丁重に言って去る辺り、ファインもクラウドも律儀である。急いでいるくせにそういうことは忘れていないんだから。
ファインとクラウドが店を後にし、宿へと足早に帰っていく中、ふうっとスノウは息を吐く。周りに注意を配って、何事もなく宿まで帰り着いてくれることを祈るのみだ。
敵将には今から、自分が話をつけにいく。席を立ち、件の人物へと近付いていくスノウの動きには、そろそろ向こうも気が付いているだろう。
「奇遇ね」
「……そうだな。本当に、奇遇だ」
「本当に、なの? 意図した出会いではなく」
「この村にお前が来ていたことは知っていたが、顔を合わせたのは本当に奇遇だよ」
二人の部下と同席し、酒を嗜んでいた一人の元勇者に、スノウが近付き声をかける。二人の部下はがたりと立ち上がって身構えるが、いい、座れと主に言われ、落ち着かない目のまま再び席に座るのだった。
「隣、空いてる?」
「そこのテーブルの椅子は空いているらしい。持って来い」
「はいはいっと」
鳶の翼の傭兵団、名高きその戦闘集団の首領たる男ニンバス。旧知の仲であったこの人物に、よもやこんな場所で再会することになろうとは、スノウは思いもしていなかった。
 




