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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第13章  霙【Repose】
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第205話  ~レインにモテ期が訪れました~



「あ゛~、ムカつく! 腹の虫おさまんないわ~!」


「どうどうどう、お母さん……近所迷惑ですよ……」


 夕食前の時間帯、お日様も沈みかけて赤々とした空が見えかけた頃、ファインとスノウは宿に戻っていた。潮風でねばつく体をお風呂で洗い流し、普段着に着替え、宿の外に出てきたところだ。海で泳ぐために借りた水着を今日のうちに洗濯し、明日返しに行くためである。


「だ~って私、アバズレとまで言われたのよ? 心外も心外、も~あいつら一生許さないんだから」


「あははは……」


 スノウは昼のファッションショーで、色々言われたことを根に持っているらしく、洗濯の準備も殆ど手伝わず、がすがす地面を蹴り続けている。4人ぶんの水着をまとめて運んできて、たらいに井戸から水を汲んでくるファインが一人で全準備を進めているが、あれだけ言われた後のお母さんに、手伝ってよと言う気分にもなれない。そりゃあ怒るよねって気分で、苦も無く一人作業である。


「れ、レインちゃんも楽しんだみたいですし、参加したこと自体はよかったんじゃないかなぁと」


「まー優勝ですもんね。その思い出作りって意味ではよかったんだろうけど」


 洗濯作業を開始すれば、スノウもファインと同じく腰を降ろして、自分の着た水着を洗い始めるので、ここからようやく共同作業の始まりだ。ファインもポジティブな思い出話をして、なんとかスノウの怒りが落ち着く方に、空気を持っていこうとする。


「ちっ、あのロリコンどもめ」


「お、お母さん? あんまりそういう言葉遣いは……」


 審査員達が優勝者に選んだのはレインであり、これには観客席も惜しみない拍手と賛辞の言葉を、ステージ真ん中のレインに向けてくれた。慣れない大喝采を一身に浴びるという、なかなか出来ない経験はレインにとっても良かっただろうけど、その審査結果も単体で見れば、あの赤フンドシ審査員どもの判断基準もどうなってんだと、スノウもイライラ、びきびき。


「で、でもよかったじゃないですか? レインちゃんもお小遣い貰って、お土産買うのが楽しみだって言ってたし……」


「だから別にそれはよかったって言ってるでしょ。私が問題としてるのはそこじゃないし」


「あ、あはは……」


 レインは今、保護者のクラウドと一緒に土産物屋に赴いて、お買い物を楽しんでいる。ファッションショーの優勝者に与えられた賞金は、決して大きな額ではなかったが、子供のレインにしてみれば、こんなに貰えるの!? ってぐらいの大金と認識された。大人の金銭感覚と子供のそれは全然違うので、その格差がレインをびっくりさせただけの話であって、大金とかではないのだけど。


 ともあれ纏まったお金を手に入れたレインは、今頃なんでも好きなものが買えるショッピングの時間を、存分に楽しんでいるはずだ。拗ねきったお母さんの相手をする中で、苦笑いの止まらないファインではあったものの、きっとクラウドと楽しく町を歩いているであろうレインを想像すると、それだけでお腹いっぱいだった。


「はい、次コレ。ファイン洗っといて」


「え……っ、はわわっ!?」


 ファインが自分の水着を洗い終えたタイミングで、スノウも自分の着た水着を洗い終えたらしい。次にレインの着た水着を手にかけて洗い始めるスノウだが、余ったもう一つの水着をファインの方に投げてきたのだ。ぱふ、とその水着を顔にぶつけられたファインが、慌てふためいて尻餅をつく。


「こここ、これって、クラウドさんのじゃ……」


「そうよ、それがどうかしたの?」


 何の気もなしにファインの方も見ず、レインの水着を洗い続けるスノウの返事は冷ややかで、顔にかけられた水着を手元に握るファインは、顔を真っ赤にさせて目を泳がせる。これ、想い人が素っ裸の下半身に履いていたやつでして。


「どーしたのよ、ファイン。早く洗いなさいよ」


「えっ、あっ、はっ……わ、わかってますわかってます……」


 わかってない。スノウが殆どレインの水着を洗い終えるまで、ずーっとぷるぷる震えてクラウドの使っていた水着を眺めていたんだから。スノウに指摘されて、慌ててそれをじゃぶんとたらいの中に沈めるファインが、雑念を振り払うように無心で手を動かし始める。どことなく、息が荒いです。


「何、あんたもしかして、クラウド君の水着見て欲情でもしてたの?」


「!?!?!? なななっ、何をバカなことっ……!」


 手が止まる。見開いた目で母を見上げるファインの目の前には、さっきまでの不機嫌な顔はどこへやら、にんまりと笑っているスノウがいる。その目はえらく嗜虐的で、昼間のことからくる不機嫌が、意地悪に愛娘をいじり倒す攻撃性にすり替わったようにも感じられる。


「へぇ~、ふぅ~ん、図星ってわけだ? ファインも案外……」


「おっ、お母さん……! 何ですか、何ですかその目……!」


 浜にいた頃、ナンパしている若者を遠目に眺め、おーおー盛んだこと、なんて言っていた時のスノウと全く同じ目の色だ。それと同じ目で、しかも至近距離で見下してくる母の眼差しは、さっきまでの気の迷いを自覚するファインの心に、背徳感から来る羞恥心を一気に呼び覚ます。そんな目で見られると、人間誰だって無意識にでも、違うんです違うんですよと言いたくなる。


「まあ別に? 異性の下着を見て興奮するのは、男でも女でも誰でもそうだし?」


「そっ、そうじゃなくってえっ……! お母さ……」


「そう言えば浜でも、ファインってば水着姿のクラウド君見て興奮してたし」


「あっ、うぁ……ち、違……」


 顔が全部火の玉になっちゃったんじゃないかってぐらいの顔色で、ぷしゅうと蒸気を頭から噴かせるファインは、とうとう反論の言葉も紡ぎ出せなくなってきた。口をあぅあぅさせ、目の色もわからない表情で固まってしまう愛娘の姿は、スノウもからかい甲斐があって仕方ない。昼の一件からくる八つ当たりに近いが、どうにも今のスノウは意地悪モードのようだ。


「手、止まってるわよ? そこまで図星なの?」


「うっ、く……んむ、ぅ……!」


 図星じゃないです、そんなんじゃありませんとばかりに洗濯を再開するファインだが、果たしてちゃんと洗えている手つきになっているんだかどうか。彼女の頭の中は今、変に意識してしまうことでいっぱいだ。こんな邪まなことを考えちゃダメ、そう何度も自分に言い聞かせながら、一心不乱に洗濯作業に逃げようとするファインだが、雑念のきっかけを握り続けている感触が掌にあるんだから、なかなか拭いきれるものではない。


「まったく、たかだか友達の水着ぐらいでそこまで興奮しちゃうなんて」


 無視無視、もうファインはお母さんの言葉に付き合うことをやめることにした。顔を伏せ、表情を見せず、早く洗濯を終えてしまおうという心積もりだ。


「ファインは淫乱ねぇ」


「いんら……!?」


 駄目でした、無視できませんでした。100%冗談なのだが、あまりに強烈な単語にファインが顔を上げ、真っ赤になった頬を思いっきり膨らませる。言いたいことは山ほどあるけど、すぐには口から出てこずに閉じたままの口、それで一気に空気が頬の中に溜まってしまったような表情だ。


「っ、お母さぁん! 取り消して、取り消してえっ! 今のは流石に、私も聞き捨てならないですよおっ!」


「うひゃー、ごめんごめん、ごめんって! 私が悪かった、悪かったからっ!」


 洗濯も途中でやめ、たらいをまたいでスノウに跳びかかったファインが、押し倒したのちぽかぽか殴りかかる。半ばパニック状態でどうしたらいいのかわからず、スノウに対して怒るというより、自分の中にある煩悩らしきものをこうして紛らわせずにいられないファインには、スノウも流石に笑いながらだが謝ったものである。


 言ってもまあ、ファインもちょっと失敗していたので。アバズレと呼ばれてぷんすこしていたスノウの怒りを、苦笑いとはいえ笑って流そうとしていたので、ちょっくら意趣返しをくらった形に過ぎない。少々スノウも悪ふざけが過ぎた部分もあるが、過剰にひどい罵倒が脈絡もなく浴びせられた、というほどの一件でも無かったのが本質であろう。











「ただいまー……って、どうしたんだよファイン。えらく泥だらけだな」


「お、おかえりなさい……まあ、色々ありまして……」


 土の上でスノウともみ合ったので、せっかくお風呂に入った後だったのに、ファインもスノウもべったべた。またこの後、お風呂に入らなきゃいけなさそうだ。もっとも、まだお風呂入りしていないレインもその予定があるし、一緒に入る楽しみがファインに出来たとも言えるが。


「お姉ちゃん、お土産買ってきたよ! 着けてみて!」


「え、着け……」


 レインがお土産袋から、買ってきたものを見せてきた瞬間、ファインも軽く固まった。ヘアバンドの上に、猫の耳がついた、ちょっと変な方向性のファッショングッズである。で、これを着けろと?


「こ、これを私が……?」


「お兄ちゃんも、どうしても嫌だって言って着けてくれないんだよぉ。お姉ちゃんなら着けてくれるよね?」


 いや、これはちょっと……そんな目でクラウドを見るファインだが、レインの後ろのクラウドも、俺だって嫌に決まってるだろと手を振っている。そりゃあそうだろう。どんな恥辱だ。


「や、あのー……レインちゃん? 私にはまだ、こういうのは早いかなって……」


「えー! お姉ちゃんも着けてくれないの!?」


「こ、こういうのはですね? 実は、二十歳を超えてからじゃないと着けちゃダメっていう、暗黙の了解というものがありましてですね……」


 年下相手になんと稚拙な作り話をするものかと、クラウドもスノウも呆れそうになる。ファインってやっぱり、嘘をついたりするのがとことん得意でないのだろう。そんな彼女が、可愛い妹のレインの頼みごとを、嘘をついてまで断ろうとする辺り、どうしても嫌なんだろうなってのも伺えるが。


「ですからほら、こういうのはお母さんにですね……」


「あっ、こら! ファインっ……!」


「むぅ~……お姉ちゃんにも、こういうのは似合うと思うのに……」


 今のファインの話を本気で信じたわけではないだろうが、むくれつつも猫耳を持って目線をスノウに移すレインは、着けてくれるなら誰でもいいのかもしれない。土産物屋でも自分でつけてみて、鏡を覗いて可愛いねコレと喜んだレイン、誰につけても可愛くて映えると信じているようだ。


 ファインの前にいたレインが、つかつかとスノウの方に寄ってきた。露骨にファインを睨んできたスノウだが、お母さんお願いしますとレインに見えない角度から、気まずそうに目配せするファインは、どうやらこのまま話を完結させてしまおうとしている模様。さっき淫乱なんて言われた仕返しの意図も、ちょっとは込められているのかもしれない。


「えー、あー……そ、そうね……まぁ……」


 スノウだって流石にこの年で、猫耳なんて着けるなんてのは抵抗がある。若い時の彼女なら、ノリに任せて着けていたかもしれないが、流石にもう一児の母なのだし。

 とはいえ、ここで自分まで断ったら、今度こそレインがしょんぼりしてしまうかもしれないので、レインの手元の猫耳ヘアバンドに手を伸ばす。受け取った途端に、レインの顔がぱあっと明るくなってくれたので、選択肢としては間違いなかったんだろうけど。


 それにしてもこれをつけなきゃならんというのは。引きつった笑いを何とか保ちながら、綺麗な髪に当のヘアバンドを通していくスノウ。装着完了、その瞬間、レインの後ろでファインもクラウドもぐるっと顔を逸らし、笑いを堪えるかのように口元を縛っている。わかっちゃいたけど何たる恥辱。


「スノウ様かわいい!」


「あ、あぁ~、うん、ありがとう……こんな可愛いものくれるなんて、レインちゃんはいい子ねぇ~……」


 珍しく酒気以外で顔を赤らめるスノウが、レインを抱きかかえる。喜んでくれたみたいで私も嬉しい、と、スノウの首元に頬をすり寄せるレインだが、スノウがレインを抱いた目的は別のところにある。レインの顔のすぐそばながら、彼女の視界の外にて、それはそれはもう恨めしい顔で、ファインとクラウドを睨み付けるためだ。


「お、おかあさ~ん、にあってますよ~?」


「レインもよろこんでくれたし、よかったな~……」


 くそぅ、白々しい、とばかりに歯ぎしりしそうなスノウだが、レインに察されると良くないので我慢我慢。なんか一つ、貸しが出来た気分である。請求は出来ないが、あんた達覚えてなさいよという釘を目線で刺すスノウに、クラウド達も小さく会釈する程度に申し訳なさを醸し出していた。


「おぉ、スノウ様、探しましたぞ……って、何ですかそ……」


「キッ!!」


 このタイミングで、スノウを探していた町内会の一人が駆け寄ってきて、ご挨拶直後にスノウの頭の猫耳を凝視。猫のような短い声で、それ以上これに触れるなと訴えたスノウに睨まれて、声をかけにきた男も苦笑するばかりだった。

 何か事情がおありなんですね、と。それにしても面白いご格好ですね、と。











「おー、スノウ様や! またえらくおめかしされておりますな!」


「年甲斐もなくそのようなご格好、ある意味似合うておりますぞ!」


「あー、うっさいうっさい! 私の可愛い子が勧めてくれたアクセサリーよ! 胸張って着けてるっつーのよ!」


 スノウに声をかけにきた町内会の男は、ファインら含めた4人を、昼にはファッションショーが行なわれていたステージへと招待してくれた。イベント時には野外会場であったこの場所、今は青天井の酒場風にされ、あの催しの後夜祭会場として機能している。

 せっかくなのでスノウ様もどうですかと誘われ、あの無礼な赤フンドシ連中とまた会わなきゃいけないのとスノウもごねたが、結局彼女は酒好きなのだ。とてもいい酒がありますよと勧誘されれば、渋々ながらも参加を選ぶ辺りが彼女らしい。


「まー単体で見れば、やっぱりスノウ様はお綺麗ですぞ。とても四十を超えた御年には見えませぬ」


「我々もあの場では、厳粛な結果をもたらさねばいけなかったのでね。辛辣なのはご容赦頂くしかありませんな」


「要するに謝罪するつもりはございません、と。あーやだやだ、ロリコンどもは」


 今は普通の服に着替えた審査員達、それらのうち4人が座るテーブルにスノウは腰掛け、ファイン達も別のテーブルに座って飲み物を注文する。飲み食いは無料、食べ物もそこまで奮発はしてくれないが、小腹が膨れる程度には好きに注文していいようだ。


「おー、最前列の友よ」


「あ、どーも。こんばんは」


「クラウドさん、お知り合いで……あっ」


「やっほー、こんばんわ」


 そんなクラウドとファイン、レインが三人で一つのテーブルに座っているところに、クラウド達と同い年ぐらいの男女が近付いてきた。少年の方は、クラウドの隣の席に座っていた彼であり、一緒にいるのはレインの一つ前に出番であった、彼のガールフレンドである。


「はい乾杯~。お前の友達二人も綺麗だったな~」


「お前の彼女さんも可愛かったじゃんか。もっかい言うけど、お前幸せものだなぁ」


「二人とも、見てたわよ。私アレ見て、ああこれ優勝無理だなって思っちゃったわ」


「そんなこと……控え室であなたを見た時、こんな綺麗な人も出場するなんて、私に勝ち目ないんじゃって思ったりもしたんですよ?」


「あはは、謙遜するわねぇ。レインちゃん、だっけ? あなたもサイッコーに可愛くて、かっこよかったわよ」


「えへへ……」


 優勝者のレインを主に持ち上げつつも、ファインに対しても賛辞の言葉を向けてくれる少女の快活さが、サニーとよく似ていてファインも話しやすい。クラウドも、お互い名前も知り合わない男同士ながら、ファッションショーの思い出を語らって楽しそうだ。この日会ったばかりの相手とここまで話せるのは、人柄の良さが為す人徳の賜物と言えよう。ファインやクラウドも、お喋り相手の二人もだ。


「うるぁ!!」


 しばらくそうやって話に花を咲かせていたら、スノウが座っている席からそんな高い声と、がすんとテーブルが鳴る音がした。まーたあのじゃじゃ馬聖女様が暴れてるのか、と、クラウドとファインが慌ててそちらを見るが、そこには席を立ってはしゃぐスノウと、テーブルのそばで痛そうに手を振る男の姿がある。


「あっははー、3連勝! まだまだ男にだって負けませんよーだ!」


「相変わらずの馬鹿力ですなぁ……いててて……」


「クラウドくーん、あなたもおいで! 腕相撲大会やってるわよー!」


 お呼びがかかった。どうやらあちらのテーブルでは、そんなことやってるらしい。

 ちょっと好奇心を刺激されたクラウドが席を立ち、ファインもレインもその後をついていく。俺らはここでのんびりするよ、と言った二人とは、ここでお離れである。


「この子、め~っちゃくちゃ強いのよ。あんた達の中で、一番の力自慢って言えば誰? とびっきり最強のやつ」


「一番の、ですか? まあ、ちょっと並々ならぬ奴ならおりますが」


 向こうも酔ってるのか、16歳のクラウドと腕相撲する相手に、えらくごっつい体の奴を呼んできやがった。背丈で言えば、せいぜい普通に長身の男かなとも思える大男だが、いかんせん腕やら胴やら脚が太すぎて、ちょっと見上げるほど背高いのに、ずんぐりむっくりの体型に見える。


「こやつは古き血を流す者ブラッディ・エンシェント牛種(タウルス)にあたる身でしてな。そんじょそこらの力自慢などでは相手にもなりませんぞ?」


 ドラウトと同じエンシェントではないか。そりゃあ確かに強そうだ。案外、戦闘要因などでない民間人にも、エンシェントが混ざっているもので、仕事のためやらにその力を活かしているケースもあるらしい。見た目だけならそんじょそこらの少年と変わらないクラウドの相手に、いきなりそれを持ってくるのもどうかと思うが。


「クラウド君、どう?」


「んー、やってみなきゃわかりませんけど……まあやってみます」


「ほう、威勢のいいボウズだな」


 この俺に立ち会って、やってみなきゃわからない、つまり勝てるかもしれないと言ってくるとは、と、巨漢の彼も血が騒ぐ。見た目だけで、少々相手をたじろがせる風貌たる自覚はあるのだ。その上で勝機ゼロではなしと豪語する、標準的な体格の少年クラウドには、男もちょっと侮らない目線に切り替える。余程の自信家で単なる世間知らずか、それとも相応の結果を出してきた奴か、と。


「それでは、立ち合いまして……二人とも、準備はよろしいかな?」


「おう」


「はい」


 右肘をついたテーブルを介して向かい合う二人が、大き過ぎる手とそれと比べれば小さい手を握り合う。さあ、男にも伝わっただろう。クラウドの握力から感じる、その剛腕が。


「それでは……ファイッ!」


 ジャッジが二人の握り合った拳を離した瞬間、でかい音を立ててテーブルが揺れた。びきびきに筋肉で硬直した男の腕と、見た目からは想像もつかない鉄塊級の重みを繰り出すクラウドの怪力は、傍から見ても鳥肌が立つほどの、力の拮抗を形にしたのだ。

 何が凄いって、クラウドが腕相撲慣れしていないせいもあるとはいえ、男の方も古き血を流す者ブラッディ・エンシェント羅刹種(ラクシャーサ)と釣り合うほどのパワーを実現させている点。こんな人が戦場での敵じゃなくて、本当によかったものである。


「な、なかなかやるな、ボウズ……!」


「き、恐縮ですっ……!」


 ぶるぶる震える握り合った拳の向こう側、脳味噌筋肉どもが男らしい笑いを汗を垂らしながら交換する。なんとも暑苦しい。行け行け負けるな、意地見せろと、集まってくる周囲の観衆には、いい見世物のようだが。


「おぉ、優勝者の少女! ここにおられたか!」


「ぴゃっ!?」


 クラウドと怪力男の対決を、固唾を呑んで見守っていたレインのスカートが、いきなり後ろからぴらりとめくられた。裏返った声とともに振り返り、お尻を押さえるレインの目の前には、頭を低くした酔っ払い親父がいた。それも何人も。怖い。


「おぉ、マイエンジェル……いや、みんなのエンジェル!」


「その美しい脚、幼いながらも見惚れましたぞ! 是非ともその、おみ足をもう一度……!」


「あわ、わわっ……!」


「おおっと、逃がしませぬぞっ!」


 無性にやばい空気を察したレインが跳躍し、男達を飛び越えようとした。しかし素早い酔っ払い親父の一人が、素早く滑り込んできてレインの足首を掴んだ。跳べずに前のめりな姿勢でつんのめるレインが、おっとっとと前かがみになってきた酔っ払い親父の差し出してくる、腕の中へと体を体を飛び込ませる形になる。


「ハァハァ……い、いいだろう? もう一度その脚を……」


「ひっ……!? やっ、やああっ!」


 これはダメ、生理的嫌悪感でダメ。クラウドの腕力にも勝るとも劣らない脚力で、自分の脚を握っていたおっさんの手を振りほどくと、その脚を引いておっさんの腹へと痛烈なキックを突き出した。もはや防衛本能と言っても過言ではない。


「逃がすな! 天使が行っちまう! 天に逃げちまう!」


「捕まえろー!」


「いやーっ! やーっ!」


「ぐふっ……! ありがとうございます!」


「げはあっ……! ありがとうございます!」


「ぶへぉ、っ……! ありがとうございます!」


 変態の巣窟になってしまった。群がってくる男どもを、半泣きで蹴飛ばして撃退し続けるレインだが、彼女を何とか助けてあげたいファインですら、蹴られてなぜか礼を言う酔っ払い親父どもが気持ち悪過ぎて近寄れない。たじたじとその場を離れようとする脚と、逃げちゃレインちゃんが可哀想という前進力の合力で動けなくなってしまう。今まで何度も、何にもつけてレインを守ろうとしてきたファインが近寄れないんだから、よっぽどキモいのである。


「さ、流石……優勝の決め手になった、生足……」


「く……悔い、なし……ガクッ」


 結局ひととおり撃退したレインが、這うようにファインに近づいてきて、彼女の後ろにしがみついてふるふると震える結末になった。はい、行きましょう、とレインを抱っこして、クラウドの決戦場に近付いていくファインによって、なんとか危険地帯からは逃れることが出来た。


 腕相撲対決は、どうやらクラウドが勝ったらしい。開戦の際には当初の予想を裏切られ、どっちが勝つのか読めなくなっていたファインだが、やはりクラウドが誰かに力比べで劣ることはそうそう無いようだ。負けたのは初めてだぜ、と潔く認めた大男と、勝ちはしたもののこんな強豪と力比べをしたのは久しぶりのクラウドが、ありがとうございますと言いながら握手を交わしていた光景があった。


 あとは仕切り直して、このテーブルで仲良く宴会である。レインが怖がるので、変態親父どもだけは掃除済みだった。スノウが水の魔術で、ちょっと離れた場所までざばーっと。

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