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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第12章  雷【Nemesis】
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第200話  ~普通の女の子に戻れそう~



「はぁ」


 アストラとの決戦を終えたあの時から、ちょうどまるまる7日分が過ぎようという夕暮れ時。アストラ達と、ファインらが交戦したあの時間帯というのは、空は豪雨を降らせる厚い雲に覆われているわ、周りは炎の海で昼より明るいわで時間の感覚がなかったが、何気に日も沈んで月が昇り始めた時間帯だった。なのであれからまるまる何日が過ぎ去ろうという時間帯というのは、夕食前のそんな時間になるのである。


「……はぁ」


 とある医療所のベッドで下半身を布団にうずめ、座ってじっとしている彼女は、もはや今日何度目だかわからないような溜め息を漏らしていた。とにかく、入院生活っていうのはヒマなのである。もうとっくに外を出歩ける体なのは確信できるし、無茶なことをしようっていうつもりも無いのに、お母さんに絶対安静と釘を刺されてしまったため、外出することも出来ず、毎日この部屋にこもりっきりの安静生活なのだ。


「はぁ~あ……」


 一人あやとりも折り紙ももう飽きた。暇すぎるあまり、紙とペンを貰って恋愛小説じみたものまで作ったりもしたけど、それも3日で飽きちゃった。ちなみにその原稿は、クラウドさんに見つかりかけたことがあったため、既にくしゃくしゃポイされてゴミ箱の奥底に眠っているが。


「お姉ちゃ~ん、入るよ~?」


「!! レインちゃんっ! どうぞどうぞっ!」


 くたびれきった表情だったファインが、ドアの向こう側からの声を聞き、ぱあっと明るい笑顔になる。もう本当に、退屈さだけでくたばりそうだったのだ。目覚めてから5日ほど、安静という名目で外出も出来ないファインは、親しい人がお見舞いに来てくれることや、お喋りする相手に飢えていた。


「お姉ちゃん、みかん好きだったよね? 買ってきたよ」


「あぁ~、レインちゃんありがとうございます~。優しさで溶けそうですよぉ……」


 レインにみかんを受け取ったファインは、両手を広げて、来て来てとばかりに乞うような目。レインもレインで甘えん坊だから、ファインの姿勢を見て彼女の胸元に体を寄せると、ぎゅうっと可愛い妹を抱きしめる仕草で、ファインがレインを抱擁する。レインってとっても柔らかい。抱いてる側も幸せになる。


「あいっかわらずあんた、レインちゃんにべったべたねぇ」


「ういっす、ファイン。おとなしくしてたか?」


「クラウドさんっ! お母さんっ!」


 この時間、ファインのお見舞いに来てくれる三人は、毎日ほぼほぼ同時である。レインが来てくれた時点で、二人の来訪を期待していたファインは、入室してくる二人をきらっきらの笑顔で歓迎する。スノウの言うとおり、溺愛気味にレインに対してべったりのファインだが、感情表現の形が違うだけで、クラウドやスノウに対するファインの好意も、それと同等なのは言うまでもあるまい。


「お母さ~ん、もう私大丈夫ですよぉ……そろそろ外を歩いたって……」


「ダ~メ。話を聞いた限りじゃあんた、強行軍の旅に慣れすぎてて、蓄積する傷や疲労への認識が欠如しすぎ。これを機会に、しっかり完治するまで休みなさいって何度も言ってるでしょうが」


「退屈すぎますよぉ。走ったりもしませんし、外を出歩くぐらいは……」


「ダメったらダメ。お母さんの言うことを聞きなさいっつーの」


「いひゃひゃ……」


 わがままを言う愛娘のほっぺたをつねり、弱めにぐにぐにといじるスノウにより、ファインも抵抗力を失っておとなしくなる。なんだかんだで平穏の中、お母さんと触れ合えるこの時間を楽しんでいる証拠だろう。母に会うため、このホウライの地まではるばる来たファインの道程を知るクラウドにとっては、こうしてスノウと戯れるファインの姿は、それだけで心が和むものだった。






 怪物アストラを打ち破り、カラザに撤退を強いた後も大変だった。ファインは糸が切れたように気を失って、死んだように動かなくなってしまい、彼女を抱えるクラウドにスノウが合流した後、ホウライの都南部の医療所へと駆け込むに至った。


 結局アストラを討ち果たしてから、ファインが目を覚ますまで丸々二日ほどかかってしまい、彼女の生還を諦める覚悟をしなくてはいけなかったクラウドもレインも、長らく震えるような想いで彼女の目覚めを待っていたものである。最後まで強い眼差しでしっかりし続けていたのは、何としても死なせてたまるかと、寝る間も惜しんでファインに治癒魔術を施し続けたスノウだけである。ようやく目を覚ました時のファインに、大泣きしてレインが抱きついたのも、最悪を避けられた今となっては、いい思い出と言えるかもしれない。


 それからファインも聞かされたのだが、やはり夢じゃなかったんだなというか、ホウライの都各地の惨状は相当なものだった。北部はミスティの撒き散らした雷や竜巻でめちゃくちゃ、東部はセシュレスやネブラが指揮した一団に蹂躙されて同様。さらにはここら、都全体を揺るがした地震により、単なる壊滅状態から瓦礫の山に変えられ、今や廃墟としか言えない有り様だそうだ。


 それ以上にひどいのが、都の中央区と西部。カラザの爆撃魔術により火の海にされ、燃え尽きたあらゆるものを爆風で吹っ飛ばされ、今や更地同然の様相を呈しているらしい。爆心地周辺であの威力を、まさしく目に焼き付けられたファイン達であるが、それが及ぼした破壊の範囲は、ファイン達の視野を、想像を遥かに超えていたということである。


 ファイン達が身を休めている、都の南部は戦場にならず、カラザの大魔術の範囲外であったため、戦前に近い形を残しているが、逆に言えばこの区画以外は、もはや街として機能しない状態に追い込まれたということ。革命軍が総力を挙げ、ホウライの都を攻め入ったことで残された爪跡は、最も危機感を持っていたスノウの想像を超えるほど深かったのだ。


 一方で、救いもあった。ホウライ城が跡形もなく吹っ飛ばされ、今やあの時城内にいた貴族も王族も、この世から姿を消されてしまったそうだが、城に逃げ込んでいた人物の中でたった二人、生存者がいたという。それがファインにとっては大切な友人、アスファとラフィカであり、二人は城の地下牢に逃げ込む形で、地表より上にあるものすべてを吹っ飛ばしたカラザの爆撃から、命を奪われることを免れたそうだ。ホウライの都の北部を広大に焼き払った、カラザの大爆撃を認識した城内の者は、ある者は不滅と信じる城に意地でも留まり、ある者は城から逃げ出したが、いずれも城ごと、あるいは第二の爆撃から逃げられずに、灰にされる結果となった。たった二人、唯一の生存手段を選べたアスファとラフィカは、運命に愛されて生き延びたと言う他無い。


 救いはもう一つ。都の7割以上を壊滅に追い込まれたホウライの都だが、終戦から3日経った頃か人々もようやく傷心から腰を上げ、復興に向けて動き出している。貴族や王族という、政を動かす指導者が完全不在、疎開に混ざった唯一の王族である皇太子様も若過ぎて頼りに出来ないまま、生存した兵士達や商人が、人々を牽引し、そういう流れを作ってくれたのだ。

 彼らとて、めちゃくちゃにされた故郷を目の当たりにさせられ、何から手をつければわからない想い半分、へし折られた心で立ち上がれない想い半分で、終戦から二日間は流石に何も出来ずに体を休めるだけだった。それでも、動き出したのだ。そうした動きが派生して、終戦から一週間の時が経った今となっては、多くの人が都の復興に向けて動き始めている。クライメントシティが暴徒達に破壊された後の時もそうだったが、いよいよとなった時に動ける人々の結束力は、それそのものが希望と思えるほど逞しいものだ。


 現在は、クラウドも労働力として、レインも速い足を活かしての伝令役として、復興作業に手を貸している。スノウも復興活動の牽引者達に混ざり、復興計画を進める知恵を貸しながら、傷ついた人々への治療を施す身。三人がそうやって頑張っているのに、安静にしていなさいというスノウの強い親心に制されて、ひたすら毎日寝るばかりの毎日であるファインが、やきもきするのはそういう部分によるものもある。


 ともあれファインも、あと3日もすれば、スノウにお許しを得て自由に歩けるようになる予定。めっためたに体中をやられたファインだが、スノウの治癒魔術と自身の魔力の併せ技を持ってすれば、それで充分全快と認定できるのだから、この親子の治癒魔術の腕っ節が窺える。あるいはそれを以ってしても、完治まで一週間以上かかるほどのダメージを、ファインが受けたという話でもあるが。


 ともあれ、ファインやクラウド個人にとって大切なものは、失われずに済んだのだ。ホウライの都やそこに住む人々を悼む想いは晴れないが、レインも、スノウも、アスファもラフィカも、何よりクラウドとファインのお互いが生きていることは、二人にとって何よりの救いであろう。今でも生きていることが信じられないくらいの死闘であったが、この結果に繋ぐことが出来たことに、二人は炎の海を思い返すたび、胸を撫で下ろす想いに至るばかりであった。






「ねぇ、クラウドさんもお母さんを説得して下さいよ。私、もう大丈夫だって……」


「ん~まぁ、見た感じでは大丈夫そうだけど……俺もファインが安静にしてるのには賛成かな」


「んふふ、さすが泣き虫クラちゃんはわかってくれてるわぁ。諦めなさい、ファイン」


「もういいでしょスノウ様、その話はしないでって言ってるじゃないですか」


 心底参った表情でファインから目を逸らし、頭をかりかりかくクラウドが頬を少し赤く染める。戦いを終え、いつしか化け猫姿から人の姿に戻ったクラウドが、ファインを抱きかかえて火の海の中をさまようところにスノウが合流した時のことだが、その時クラウドが泣いていたことを未だにいじられるのだ。子供のようにだらしなく泣いていたわけではないにせよ、死んでしまったんじゃないかと思えるような姿のファインを抱え、どうしたらいいのかわからない彼の顔は不安でいっぱい、頬を伝う涙も表情の一部として溶け込んでいたものだ。


 それを見た時にはスノウだって、こんなに我が子を案じてくれるクラウドを、ファインを守るために戦い抜いてくれたクラウドを笑うわけがなかったが、今では可愛い娘の親友をからかうネタにはすると。毎度この話を持ち出されるたび、クラウドは泣いてた自分を想像されるのが嫌で複雑な顔をするが、彼にしては珍しく赤面する表情っていうのは、ファインにしてみれば愛くるしいばかり。自分を案じて涙まで流してくれた人の、その想いを、母と一緒につつくような性格をファインはしていないのだし。


「それはまあ、ともかくとしてだよ。一緒に旅してつくづく思い続けてきたけど、ファインは怪我が治りかけてる程度でも無茶して動きがちなんだよ。動けたらまあいいいや、で動くだろ」


「えー……否定はしませんが、クラウドさんには言われたくない……」


「俺はこーいう体なの。回復も早いし、今じゃ全快、スノウ様にも言質とれてるぐらい。ファインは普通の女の子、自分で治ったつもりでもダメージはしっかり溜まってるんだよっ」


 こういう時に限り、ファインもクラウドの特別な肉体が恨めしくなる。羅刹族(ラクシャーサ)の末裔であるクラウドの体は、過去に何度も立証されてきたとおり、どんなに傷ついても治りが常人と比べて早過ぎるのだ。あれだけアストラに、焼かれ引き裂かれ打ちのめされしたのに、勝利してから3日も安静にしていれば、復興作業の力仕事に加われるほどに回復している現状からも、改めて思い知らされる形である。そんな自分の体質と比較され、お前は俺とは違うんだと言われても、理屈はわかるが不公平だというか何と言うか。


「でもねぇ、ファイン。私も親だし、あなたに対しては特別案じる立場ではあるけど、あなたが私の子じゃなくたって、同じことを言ってるつもりだからね?」


 ベッドで上体だけ起こしたファインの隣に座り、頭をぐいっと撫でてくるスノウに押され、顔を伏せるような形になったファインが、わぷっと小さな声を漏らす。ちょっと乱暴な手つきだが、実感のこもった声と併せれば、心から自分を心配してくれているのがわかるから、ファインも抗わずにおとなしく撫でられる。


「クラウド君に色々聞いたけど、あんたのここ最近の毎日って、ホント普通じゃないわ。戦い、戦い、戦いばっかりじゃないの」


「そ、それは、だって……」


「あんたが頑張ることで救われた人も確かにいるわよ。レインちゃんだってそうでしょう?」


 スノウの問いかけに、ファインの膝を枕にしてべったりのレインも、その姿勢のままこくりと頷いた。

ファインやクラウドが危険な戦いに挑むのを選んだことによって、救われた人は確かに多い。リュビアもそう、クライメントシティもそう、ホウライの都もそう。アトモスの遺志から、ネブラから救い出して貰えたレインは、一番それを実感する立場の一人である。


「だけどさ。そろそろ一度は羽を休めて、平穏な暮らしの中でゆっくりしなさいな。戦ってばかりの毎日が続くばっかりじゃ、あなたの無自覚なところで、体もダメになっていくんだからさ」


 やはり言葉にして核心を突かれるとごもっとも。ファインだって、クラウドやレインが傷だらけの姿を見せられると、気が気でなくなる立場なんだから、案じられたらちゃんと理解し(わから)なきゃいけないのである。頭の上の手を離されても、顔を上げられないファインは、無茶してばっかりの自分が母に心配をかけていることを、流石に再認識して落ち込んだかのように無言になる。


「……んでさ。ファインにちょっと、提案があるの」


「え?」


「私達はファインが全快したら――まあ、3日後の予定だけど、みんなで一緒にクライメントシティに帰ろうって話をしたじゃない?」


 ファインは元々、お母さんに会うためだけにここまで来た身。スノウと再会できた上、今や大きな戦も終え、スノウが以前よりも動けるようになった今、ここに留まる理由がなくなっている。スノウもホウライの都には、アトモスの遺志を撃退するまで滞在する予定の身だったので、ファインが動けるようになったら親子で故郷に帰って、お婆ちゃんのフェアと一緒に暮らし始めようという話で纏まっていた。そんな予定を前提において、提案があると言ってきたスノウには、ファインもふいっと伏せていた顔を持ち上げる。


「ホウライの人達が、あなたに一つ、家をくれるんですって。あなた、ここで暮らしてみたいとは思う?」


「……へ?」


 何を言ってるのかわからないというファインに、スノウが説明を続けてくれる。クラウドもレインもこれは初耳ゆえ、スノウの語ることには強く耳を傾ける。


 流石に地人や混血種を見下す天人とはいえ、ホウライの都を襲う超越的な化け物、カラザとアストラを撃退し、故郷を守り抜いてくれた立役者、ファイン達に礼の一つも無しではいられなかったようだ。その一方で、今のホウライの都には、三人に対して感謝の想いを伝えられる"もの"がない。復興作業には物資も銭も山のようにかかるし、物理的な形でファイン達の恩に報いようにも、何もそれらしきものを用意できないのが、ホウライの都の苦しいところである。


 一方、悲しいことの裏返しでもあるが、著しく人口が減らされてしまった現在のホウライの都には、持ち主がいなくなった家がいくつかある。せめてもの礼、とは言っても余り物を贈るようなものであって、ホウライの人々もそれで満足とは思っていないそうだが、ファイン達に一人ひとつずつ、住む場所の提供ぐらいは出来ないものかと、気持ちを見せてくれているそうだ。


「ホウライ地方って……」


「ええ、過去の歴史に倣えば地人禁制、混血児もそう。それを覆してでも、ホウライの人々はあなた達の恩に報いたいと言ってくれてるわ」


 実はこの提案、偏った価値観ありきではあるものの、天人達にとってはかなり大きな決断をしてくれているのだ。ホウライ地方の地人禁制は千年級の歴史を誇るものであり、それに反して混血児のファインや、地人のクラウドとレインに、永住すら厭わず受け入れることを選んでくれているということなのだから。三人がいなければ都そのものが無くなっていただろうし、それぐらいは悩むまでもないようなことじゃないのでは、と、ある価値観に言わせれば思うかもしれないが、歴史的な掟を覆すというのは、見た目以上に大きなことである。


「正直、悪い話じゃないと思う。あなたが混血児というだけで差別視され、定職も住む場所も探しづらかった今までとは違う、"普通の"暮らしが約束されているわ」


「…………」


 ここは、ホウライ地方の中心だ。現在、都そのものが手ひどくやられて機能不全に陥ってはいるが、近隣の町や村が革命軍に踏み荒らされたという報告はなく、この街以外は今までと変わらず潤滑に機能し続けている。それらの協力もあって、すっからかんのこの街も今、再生に向けて動けているのだ。都であったこの場所は、社会的な助力を周囲から得やすい環境下にあり、端的な言葉で言えば、立地条件のいい土地柄なのである。


 本来ならば地価も高く、住むだけでも莫大な資金のかかるような一等地の都であって、そこに無償で家を貰えるファイン達というのは、数年働いて得られるお金を貰えたのと同じ事。しばらく経って復興が済んでしまえば、かつてほどの華やかさには劣るとはいえ、高級住宅に近い環境で過ごせる形になるだろう。この都を守るため、命をかけて戦い抜いてくれたファインのことを、後年になってもここの人々は邪険には扱うまい。仮に話のわからぬ、しぶとい差別意識を持つ者に睨まれても、アスファやラフィカ、スノウという心強い天人の味方もいるのだ。クライメントシティの小さな家に住んでいた頃や、旅暮らしのファインからしてみれば、成り上がりと言っても過言ではないほど、生活環境は劇的に変わる話である。


「どうかしら、ファイン。一度考えてみない?」


「え、えと……あの……」


 降って沸いたような話に頭がついていきにくい都合もあるだろうが、勧めるスノウの眼差しは、ファインがどちらの選択肢を選んでもよいという表情だ。先程もスノウ自身が言ったとおり、彼女が望むのはひとえに一つ、争い無き普通の生活の中、愛娘が健やかに過ごしてくれることのみ。故郷であるクライメントシティに帰り、フェアとスノウ、ファインの三人で過ごしていく日々も魅力的ではある。一方で、その地以上に恵まれた環境で、家賃もいらずに毎日過ごしていける恵まれた毎日を、我が子が選ぶならそれはそれで、スノウは喜べる。


「く、クラウドさんはどう思います? レインちゃんも……」


「……私はお姉ちゃんと一緒にいられるなら、どこだっていい」


 ひとまず二人の意見を聞いてみるファインだが、レインが返してくるのは、膝の上から見上げてくるようにし、ファインのそばを離れたくないとする返答だ。ファインがクライメントシティに行くならついていくし、ここに住まうことを選ぶならレインもそうするだろう。レインの行動理念は、大好きなお姉ちゃんと一緒にいられること、それが根本にある。


「……悪い話じゃないとは思うよ。ファインもここで仕事を見つけて、稼げるようになっていけば独り立ちできる形になるし、そしたらスノウ様も嬉しいですよね?」


「うんうん、我が子が自分の力で生きていける姿になるっていうのは、お母さん見ててとっても幸せ」


「俺も仕事探して、独り立ちできるようになるならそれが一番の目標だし、タクスの都の闘技場への就職は色々あって蹴っちゃったけど、ここで仕事を探すのも、まあ……」


「じゃあ……」


「でもファイン、本音を言えばクライメントシティに帰りたいって思ってるだろ」


 クラウドさんがそう言ってくれるなら一考してみようかな、と思い始めていたファインだが、そこに的を射た指摘を突きつけるクラウドが、思考放棄しかけていたファインを揺さぶる。旅の中で、お母さんに会えたら一緒にクライメントシティに帰りたいと言っていたファインのことを、クラウドは忘れていなかったのだ。その言葉の裏に、お婆ちゃんとお母さんとの三人で過ごすという、ファインの夢が含まれていたことにだって、彼はしっかり思い届いている。そして、どんなにこの地が魅力的な環境であったとしても、ここに住まうことを選んでしまったら、それは同時に叶えられなくなる。


 クライメントシティはファインにとって特別なのだ。ここに住んで、お婆ちゃんを招いて住めばいいとか、そんな手段で濁すのでは不充分なほどに。かの地にはお父さんの墓だってあるし、お婆ちゃんと一緒に歩いたあの町並みは、ふとした時に懐かしんでしまうほどはっきり覚えている。何より最愛の親友、サニーと出会って駆け回った思い出の地は、その空気を吸うだけでファインは安らぎを得ることが出来る。故郷とはただでさえそういうものであり、まして幼い頃の孤独を過ごし、さらにそれを逸せられた転換期さえあったあの故郷は、何かと比べることも出来ないほど、ファインにとっては特別すぎるのだ。


「まあなんか、ぶっちゃけてしまうけどさ」


 頭をかりかりかいてクラウドが、言いにくそうなことを言うような前置きを作る。口にするのが気恥ずかしい言葉であるゆえだが、ここははっきり伝えさせて貰わなきゃいけないので、クラウドだって勇気を出す。


「俺は、ファインと一緒がいいな。別に、一人でも生きていける自信はあるけど……でも、やっぱりこれだけ長く付き合ってきた友達だし、ファインと離れての暮らしよりは、一緒にいた方が楽しいと思う」


「え……」


「なんつーか、俺個人としては住むとこなんて、どこでもいいやって感じなんだよ。それよりも、そばに誰よりも信用できる友達がいるかいないかの方が、俺にとっては大事って思えるかな」


 何でもはきはき物を言うクラウドにしては、顔をファインに向けつつも、視線の先にファインを定めないかのように瞳がふわついている。直視して言うには気恥ずかしいことの表れだろう。そして同時に、自分に自信がないタイプのファインにとって、クラウドにとって"誰よりも信用できる"人が自分であるという言葉は、自分が思っていたよりもずっと、遥かに、クラウドがファインを買ってくれていることの明言だ。


「…………」


「…………えーっと、まあ……なんつーか……」


 変に沈黙の時間が流れるので、しびれを切らしてクラウドも続きの言葉を急造する。頭がついていっていないファインの目の前には、今度こそ露骨にファインから目を逸らしたクラウドがいる。


「俺も、レインと一緒だよ。……ファインと一緒にいられるなら、どこだっていい」


 これは何だろう。お前と一緒ならどこだっていい、この言葉をどこまで深く解釈していいのでありましょう。奇しくも今の言葉って、ファインがクラウドに思っている気持ちと非常によく似ているのだ。人生を幸せに生きるために一番大切なものは何かって聞かれた時、ファインは"友達"と答える。だから、親友であるクラウドと離れたくない気持ちについては、ファインは今までその理屈を以って説明が出来ていたはずである。


 じゃあ、お前と一緒ならどこだっていいと言われて、こんなに胸が熱くなるのは何故だろう。そりゃあ友達にそう言われたら、嬉しくなることは普通かもしれない。でも、嬉しいからって、こんなにも胸がどきどきして、息苦しくさえなるのはおかしい。気付けばファインも自覚しないうちに、じわじわ頬が紅く染まっていく。


「だからファインが決めてくれれば……あの、ファイン?」


「ぇ……あっ!?」


 石になったかのように硬直しているファインに気付いたクラウドが、目線をファインに定めて問いかけた瞬間、頭が真っ白になっていたファインも我に返った。クラウドと真正面から目が合った瞬間にだ。この時、クラウドの顔を直視したのと全く同時、ばくんと胸が一度大きく弾んだことは、彼女以外には誰一人伝わらない大異変である。


 まるで裸を隠すかように、慌ててファインが右の手で胸元を握り締め、顔を伏せて背中を丸めてしまった。ファインの表情がクラウドには見えなくなる。傍から見ているスノウも、この子もしかして……と、かねてより下世話に想像していた仮説が、真実味を帯びてきた光景に驚いている。ファインの表情を目の当たりに出来るのは、彼女の膝元から見上げる形で顔を覗き込めるレインだけだ。


「お姉ちゃん、どうしたの……? 体、どこか痛いの?」


「っ……そ、そうじゃ……そうじゃ、ないんですけど……」


 レインだって思わず心配になる、どう見たって普通じゃない顔。汗をじんわりと顔いっぱいに滲ませ、息苦しそうに呼吸を整えるファインは、答えはしつつも意識がレインに向いてはいない。どきどき高鳴るその胸を、ぎゅうっと握り締めたまま目を細めるファイン。彼女の体を蝕む"病"の正体は、幼いレインにはまだわからない、年頃の乙女が一度は憧れるであろう一つの疾病だ。


 頭の中が、誰かさん一人のことでいっぱいになる。気を抜けば鼻息も荒くなりそうな中、そんな呼吸音をその人に聞かれるはしたなさを恐れ、喉を震わせ普通の呼吸を演じるので必死。紅潮し、熱くなってくるばかりの顔を制御することも出来ない。高鳴る心臓が、火照るほどに全身を熱くさせる。

 やばい、どうすればこの動悸は収まるんだろう。前例のなさすぎる、気持ちと身体の暴走に、ただただ耐えることしかできないファインは、今になってようやく自分の本心に気付きかけている。


「ファイン、どうした? どっか具合でも……」


「な……っ、何でもないですっ……!」


 顔を近付けようとしてきたクラウドの気配を察し、上目使いでそれを確かめた瞬間、ファイン自身も想定外なほどの強い声を発してしまっていた。クラウドも驚いて接近を阻まれたが、またもクラウドの顔を見た瞬間に、胸を打つ鼓動が強くなってしまったファインは、さっきまでより深く顔を伏せ、絶対に今の表情をクラウドに見せまいとする。さっきまでより、もっとひどくなってきた。ばくんばくんと打ち続けるこの胸の音が、まさかクラウドにも聞こえてやしないかと恐れるほど、彼女の中で弾む鼓動は強くなっている。


「スノウ様……」


「心配しなくても大丈夫じゃない? 急に人生の行く先を決めるような選択肢を示されて、動転してるんでしょう。私もちょっと、切り出し方が急すぎたかもね」


 ちょっと苦しい、だけどとりあえずもっともらしい理屈を添えて、スノウはファインの真意をごまかした。それでこんなふうになるものなの? という当然の疑問を抱きつつも、クラウドもレインも、人生経験の豊富そうなスノウがそう言うのなら、そういうものなのかなと仮に納得する。いまひとつ、しっくりこないけど。


「ちょっと一人にしてあげましょ。こういうことは、一人になってから考える時間も必要だからね」


 そう言ってスノウは、レインの肩とクラウドの背中をぽんぽんと叩き、二人をファインのそばから離れるように促す。そのまま、さあさ行きましょうとばかりに、二人を部屋の外へと強めに導くと、最後にちらりとファインの姿を振り返り、ドアを閉めてファインを一人にする。


 あの子が、お見舞いに来てくれてありがとうございます、の一言すら言えないほど、何かしらのことで頭がいっぱいになっている姿は、母にとっては微笑ましい限りであった。お姉ちゃん大丈夫かな、と小さく漏らすレインはともかく、なんかちょっと心配だよな、なんて他人事のように言うクラウドに、スノウもくすくすと笑わずにいられなかった次第である。




「っ……は……!」


 誰もいなくなった一人の部屋で、ようやくファインが大きく息を吐いた。息苦しさはささやかに解消されたものの、胸の苦しさは変わらない。力が入らず震えそうな唇を、ぎゅっと引き絞ったファインは、ばさりと強くベッドに身体を倒し、布団をかぶって頭まで隠してしまう。誰に見られているわけでもないのに、今は布団に全身を隠してしまいたい気分なのだ。


「ど、どうしよう……私、やっぱり……」


 クラウドのことは、ずっと、親友であると同時に、尊敬すべき人だと思っていた。こんな人と友達でいられるだけでも、自分はすごく幸せなんだと思うようにしてきたのだ。ただそれだけのはずだったのにこの想い、いつの間にここまで育ってしまっていたんだろう。明日から、クラウドの顔を、まともに見られる自信もなくなっていく。


 布団の中でぐるりと身体を回し、枕に顔を押し付ける形で、ふぅふぅと荒い息を繰り返すファイン。やばい、やばすぎる、クラウドのことをほんの一瞬思い返しただけで、また心臓がより強く騒ぎ始めたではないか。まばたき一つできず、熱くなっていくばかりの体を鎮めることも出来ない。自分の体が自分のものじゃないかのように、芽生えた気持ちに弄ばれるような中、ファインが太ももをすり合わせながら全身を悶えさせる。


「~~~~~っ……!」


 自分の吐息で湿って熱くなる枕に向け、ファインは喘ぐような叫び声を発さずにはいられなかった。こんな気持ちは行動は、こんな自分は初めてだ。誰よりも信用できる友達と、面と向かって言ってもらえた時点で、その言葉を反芻しかけた瞬間にやばかったのだ。あの人に、そう思って貰えていると知ることが出来た嬉しさと、求める人に求められた事実により、とうとう自分の気持ちに自覚を得た二重現象が、今のファインをここまで狂わせている。


 もうごまかせない、はっきりと気付いてしまった。この気持ちが何と呼ばれるものであるのかは、きっと僅か二文字で表現できる。クラウドのことを脳裏に思い起こすたび、うめき声をあげたくなるほど締め付けられる胸に、ファインはこの日一晩中苦しめられて、眠りにつくことも出来なかった。

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