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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第12章  雷【Nemesis】
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第196話  ~血族アストラの素顔~



「がっ、う゛……!」


 怒り任せに攻め立てるクラウドの攻撃を、アストラは冷静さを失わずに凌いでいる。身をひねってクラウドの拳を回避した矢先、振り抜いた脚でクラウドを蹴飛ばす攻撃を放っている。両手甲を構えてガードするクラウドだが、岩をも粉砕するアストラのパワーに力負けした彼が、ほぼ吹き飛ばされるのと変わらない勢いで退けられるのはどうしようもない。激突の瞬間に、体を粉々にされていないだけでも凄い。


「はっ……はぁ゛、っ……!」


 休む間もなく接近してくるアストラが、クラウドへの大剣のフルスイングを放ち、顎が地面につきそうなほど身を沈めたクラウドが回避。前に出られない、アストラの巨大な脚が踏み潰しにかかってくる、だから両手両足で地面を押し出し、勢いよく後方へと退がる。誰もいなくなった地面をアストラの足が踏み砕き、アストラが顔を上げて逃げたクラウドを目で追った直後には、着地と同時に前向きに地面を蹴ったクラウドが、矢のように直進してきている。ひとっ跳びでアストラへとだ。


「ふぎ……っ、があっ!」


 痺れる腕を使えずに、突き出した膝でアストラの額を狙ったクラウドの攻撃は、構えられたアストラの巨腕の壁に阻まれた。激突した瞬間の衝撃は、アストラの腕とクラウドの膝を、防具越しに痺れさせる。衝突して僅かにアストラの体から自分が離れた瞬間に、ぎゅるっと腰を回して逆の足を振り抜くクラウドは、アストラが縦に構えた腕を横殴りにはじき飛ばす。


 この一瞬の間に一歩退がり、クラウドに対する最善の間合いを即座に作ったアストラが、着地した瞬間のクラウドの頭上から大剣を振り下ろしている。クラウドの行動の方が早い、恐れ知らずに前へと飛び出したクラウドが、肩口をアストラの腹部に突き刺して組み付くタックルは、攻撃直後のアストラに対する痛烈なカウンターだ。


「ごグ、っ……!」


「かっ、あっ……! ん、が……」


 激突と同時に相手の腰を引くことで引き倒そうとしたクラウドだが、即座に重心を落として踏ん張ったアストラは倒れない。装甲に包まれたアストラの腹部、それも倒れなかった鉄柱に近いそれに、自分の肩を激突させたクラウドは、肩肉の内側が壊れるかのような苦しみに苛まれる。

 とはいえ、アストラもクラウドの猛突進を踏ん張ることで、その衝撃を逃がすこともせず腹部に真っ向から受けた形。息が止まりそうな破壊力に、歯を食いしばっている。


 敵を倒せなかったクラウドがずるりと体を横に逃がし、アストラの横を駆け抜ける形で離れようとしたが、左手を伸ばしてクラウドの頭に掴みかかったアストラが一手先。脇の後ろに逃げていこうとしたクラウドの後頭部を覆い尽くす大きな掌は、掴まれた瞬間に頭が割れるかと思うほどの圧力を為し、そのままアストラの前へとクラウドを引きずり出す。巨漢のアストラに頭を掴まれ、地面に足を着けることも出来ず、宙吊りにされたクラウドが、アストラのすぐ前に晒される。


「あっ……あああ゛あっ……!」


「ここまでだ……!」


 頭蓋締め拷問器具のようなパワーでクラウドの頭を握り潰そうとするアストラ、その指に両手で握って圧力から逃れようとするクラウド、それでも頭の中の骨にひびが入りそうなほどのパワーがクラウドに悲鳴をあげさせる。それに留まらず、大剣を握り締めたままの拳で、クラウドを殴り飛ばす一撃を放ってくるアストラにはつくづく容赦が無い。ろくに身動きも取れないクラウドのボディに、胸全体に同時に触れられそうなほど巨大な握り拳が突き刺さったことは、間違いなくクラウドに対する決定的な一撃だ。


 声すら出ない、心臓がばくんと跳ね上がった瞬間、その周囲の筋肉がみちみちと裂け広がるほどのインパクト。クラウドの力で頭を握る力が弱まっていたこと、アストラの拳の威力がクラウドの体を押し出したことで、掴まれていた手から離れてクラウドが殴り飛ばされる形になり、熱くなった建物の壁に背中からクラウドが叩きつけられる結果に至る。どんなダメージを受けた後でも、必ず足を下にして着地してきたクラウドが、あまりにも痛烈すぎるダメージに、受身も取れず前のめりに地面へと倒れ込む。


「ぐっ、ガ……! ごふ、っ……!」


 アストラもきつい、クラウドに腹を打ち抜かれた衝撃は生半可なものではないのだ。耐えられぬ肺の奥からの咳き込みに苦しみ、一瞬でも早くクラウドを仕留めたい足をすぐに向かわせられない。今の一撃で気を失わせるまで至らせられていれば時間もあるが、ひくひくと体を震わせながら、地面に手をかけようとしているクラウドはそうでない。立て直す時間を与えてはならない。


 だが、生存本能と闘志だけで立ち上がろうとするだけのクラウドも、体に力が入らない。呼吸もままならず、血混じりの泥水で口の周りを濡らし、地面を押し出そうと腕に力を込めようとした瞬間、砕かれた腹の奥の骨が鋭く騒いで激痛を訴える。伏せたままの顔で目を見開いたクラウドが、一瞬で口の中いっぱいにせり上がってきた血を含みきれず、溜まった雨水湯水に血の塊を吐き出している。


 うめき声を発して片足で地面を叩き、気合を入れ直したアストラが、苦しみに丸めていた背筋を伸ばした。クラウドは立ち上がれない、地を揺らす振動に、敵が来るという絶対的な未来を直感しつつ、顔を上げることすら叶わない。駄目だ、立て、でないと死んじまう。必死で自分に、言葉にならない叫びを訴えるクラウドだが、体のついてこない彼に運命はそっぽを向き、身動きとれないクラウドへとアストラが駆け足の一歩目を踏み出している。


 ずしずしと素早い重低音が始まった瞬間になっても、クラウドは最後まで諦めていなかった。最後の最後まで地を押す手に力を入れ続け、それでも胸を地面から離すことも出来ないクラウドに、間もなく距離を縮めたアストラが、彼を真っ二つにするための大剣を振り上げていた。


「むっ、が……!?」


 それを振り下ろすまさに直前、アストラの側面から感ぜられた殺気に近い強烈な闘志。思わずクラウドへのとどめを打ち切って、左方向から迫るそれに向き直たアストラの行動は正しかっただろうか。きっと、アストラにとっては正しかったはずだ。咄嗟の防御、構えた腕に突き刺さる何者かの強烈な突撃は、そのパワーで以ってアストラを押し出し、三歩も後退させるほどのものだったのだから。


 防いでいなければ、今の凄まじい一撃で側頭部を打ち抜かれ、その瞬間に失神させられていたかもしれない。アストラをひやりとさせる蹴りを放った少女は、激突直後にくるりと後方に宙返りし、一回転して着地してすぐ、クラウドのそばへとジャンプ一つで立ち回っている。


「お兄ちゃん……!」


「……カアッ!!」


 しゃがんだレインがクラウドの体にしがみつき、脚力任せに地を蹴り跳んだ直後、アストラの鉄仮面の開いた口から炎が吐き出される。逃れた二人のいた地上を、炎が一瞬で埋め尽くし、水面の上で火の手を上げる火炎のブレス。ひとっ跳びでアストラから離れた地上まで移ったレインは、壁を背にしてアストラの方向に向き直っている。


「っ、げはぅっ……! ふっ、ぐ……あ゛っ……」


「お、お兄ちゃん、しっかりして……! お兄ちゃんっ……!」


 着地直後のレインはクラウドの体を支えることが出来ず、足は地表に着きながらも立てないクラウドは、片膝ついてかがまずにはいられない。レインは腕力には恵まれていない、クラウドを連れて跳ぶほどのことが出来る脚力と比べれば、あまりにアンバランス過ぎるほどに。


 砕かれた腹の内側の骨を締め上げるかのように抱きついてくるレインの腕は、非力といえどクラウドに、目を覚めるほどの苦しみを伴わせる。それでもレインのおかげで、足を地上に向ける体勢にはなることが出来た。ぽんぽんとレインの手を叩き、離すように促したクラウドが、力を振り絞って前のめりだった姿勢を起こす。頭と背中を振り上げるほどの勢いでだ。

 逃げた二人を目で追って、すぐさま駆け迫る形に移っていたアストラの前、近付ききらぬうちにクラウドが立つ姿勢を取り戻していることは、彼にとっても嫌な展開だ。


「っ……!」


 この果敢さ。巨体のアストラが急接近する迫力は、クラウドでも心臓が縮まるほどのものなのに、真正面からそれに向かって突撃するレインが、正面衝突の形で蹴りを突き出している。眉間めがけて直進してくるレインの足先を殴り上げるアストラに伴い、軽い彼女の体は上天へと跳ね上げられる。表情を歪め、きゅるきゅると体を回すレインがすぐに目線の高さまで落ちてきたところ、それへと大剣を振り抜くアストラの初動には、体が動かぬクラウドの顔から血の気が引いている。


「っ、けえあっ!」


「ぬうぐ……!?」


 空中で身を回して脚を振るうレインが、アストラの大剣をはじき飛ばす。鋭い刃を素の脚で?

 クラウドは見過ごしていた、ここへ駆けつけたレインの両脚が、鋼のブーツで包まれていることに。いかに怪物負けしない脚力のレインとて、硬いもので守られていない脚で、アストラの刃には対抗できない。打ち返そうとしても切断されてしまう。それを見越し、ここに至るまでの道のりで、兵の死体から鋼鉄製のブーツを拝借してきたレインが、力の劣らぬ脚力でアストラの大剣を叩き返したのだ。


 振り上げられた脚に大剣を下から叩かれて、武器を上に持っていかれたアストラの体勢が上ずる。敵の武器を叩き上げた反動で地上に急落下するレインは、短すぎる滞空時間の中で、しっかり胸を下に向けている。両手両足でばしんと地面に着地して、刹那の間を置き前へと蹴り出すレインが、アストラの胸元へ一直線。体勢の反り返ったアストラは回避に至れず、握り拳の甲を盾にして、レインの飛び蹴りを受け止めた。


 彼女の超加速度と体重に、鉄製ブーツの重みを加えた威力は桁を違え、鉄仮面の奥でアストラが苦しい表情を浮かべるほど。蹴飛ばすままに後方へ跳ねたレインが、クラウドの僅か後ろまで退がる頃には、彼女の強さに思わず魅入りかけていたクラウドも、数秒前より息を整えられている。


「お兄ちゃん! 来……」


「グガアッ!!」


 必死かつ的確に察したレインが叫びきる直前、アストラの仮面の口元から吐き出される業火。駆け迫っての接近戦を仕掛けるより早く、クラウドとレインの立ち位置に届いて地表を焼く炎が、二人を左右別々に跳び退かせて分断する結果にする。アストラも本気だ、一手一手に最速と最善を求めている。


 火の手から左右に逃れたクラウドとレイン、アストラが真っ先に振り向くのは当然、純速度でもコンディションでも勝るレインの方。読みどおり、振り向いた方向から矢のように飛来するレインの姿を見たアストラが、来たる彼女を迎撃すべく構え、接近した彼女へ絶妙なタイミングで大剣を薙ぎ払う。


 ところがレインはアストラの射程範囲外ぎりぎりの場所で、一度地に足を着けて跳躍し、アストラを跳び越えて彼の背後へと。幼い見た目は油断を誘う、むしろその見かけを侮らなかったアストラが、彼女の速度を高評価したがゆえに、突撃フェイントを実行する彼女を読みきれなかった形。レインの戦闘勘に空振りを誘われたアストラに、一瞬の時間差を置いて距離を詰めたクラウドが、これでもなお前蹴りを返してくるアストラの一撃を、駆けて沈み込みながらの拳で殴り上げる。


 片足を思いっきり叩き上げられたアストラは、どんなに踏ん張っても背中から倒れるしかない局面だ。そこでむしろ、足を掬われて倒れる勢いを自ら増し、思いっきり倒れ込む判断力がアストラの真骨頂。背中と両肘、体重と腕力で地面を強く打つに際し、地に放った魔力が激震を呼び起こし、倒れかけたアストラに追撃するつもりだったクラウドが、縦に跳ねた地面に体を浮かされる。前進が止まる、着地した瞬間のレインも腰砕けに転ばされそうになる、その間にアストラは後転して隙の無い片膝立ちの体勢へ。


 さらに、膝を地に着けていた方の足を勢いよく前に踏み出して、クラウドとの距離を大股に一歩縮めたアストラが、揺れる地面に足を絡め取られたクラウドに大剣を振り抜いてくる。かわしきれない、手甲を構えて防ぐしかない。剛腕任せの一撃を受け止めた瞬間に、みちみちと腕の筋肉が断裂していくような嫌な感覚を覚え、吹っ飛ばされていくクラウド。この時、彼の飛ばされていく方向がレインへと一直線なのも、アストラが狙って導いた結果の一つである。


「え゛っ、はぐうっ!?」


「かは……!」


 咄嗟にどうすればいいのかも判断できなかったレインへとクラウドの体がぶつかり、二人の体が繋がったまま廃屋の壁に激突させられた。壁面とクラウドの体に挟まれた、レインへのダメージは大きいが、腕をやられた上で壁に叩きつけられたクラウドへのダメージも相当。がすがすと二度地面を踏み鳴らし、強引に地の揺れを鎮圧させたアストラが見据えたその先には、なんとか膝と片足で地面に着地しつつも地に屈したままのクラウドと、その後ろ、壁のそばで倒れ、体をひくつかせるレインの姿がある。


 まずい、来る、やられる。薄れかけた意識の中、クラウドはすぐ後ろの、お腹を押さえて呼吸困難に陥っているレインの手を握っている。接近したアストラが火を放つなら、彼女を引き連れて跳び逃れるしか、二人の助かる道がなかったから。その想定が出来るぐらいには判断力も冴えている。彼にとっての不幸とは、この窮地でそこまで頭を利かせても、アストラという男がその一歩前を行く判断力の持ち主であったこと。


「諦めろ……!」


「誰……っ、があああああっ!」


 両手で大剣を握り締めたアストラは、充分に間合いを詰めてからそれを振り下ろし、全力の一刀両断で以ってクラウドに迫った。レインを握っていた手を離し、兜割りの大剣めがけて跳ぶように立ち上がる勢いを加え、交差させた手甲の交点でクラウドがそれを迎え撃つ。アストラの全力、叫ぶクラウドが引き出す150%の力。それが激突した瞬間の衝撃は、周囲に燃え立つ炎の一部が、大気の振動で一瞬消えかけたほど凄まじい。


 これでも断てぬか、と、びりびり痺れる大剣を握った手に歯を食いしばるアストラ。腕のみならず体の芯、腰まで貫いてくる衝撃で気が遠くなるクラウド。一本筋の体全部が、ぼっきりと折られそうだ。けはっと息を吐き、それでも顔を下げなかったクラウドのすぐ目の前、敵の鉄仮面の口元から殺意の気配が

濃過ぎるほど溢れ出ている。


「んん゛っ、あ゛……!」


「ガぶ……ッ!?」


 後ろのレインごと纏めてクラウドを焼き払うべく、口から炎を発しようとしていたアストラ。死の気配に思わず地を蹴っていたクラウドが、振り上げた足でアストラの顎を蹴り上げていた。口を閉じて上を向かされるアストラの口元、開いた仮面の口の部分から溢れる炎は、膝を痛めたクラウドの体にも燃え移る。浮いたままの体を思わず振り乱し、火を振り払いつつ着地したクラウドは、不完全な体勢だったために腰砕けに地面へと倒れる。半身を下にした、痛い倒れ方だ。


「ブッ、ご……! ヌウグ……アアア゛ッ!!」


 吐いた炎が仮面の中に逆流し、顔を焼かれるアストラが悶え苦しむ声を溢れさせる。クラウド達に背を向けるという愚まで犯すほど、その苦しみは想像を絶するのだ。

 しかし、背を丸めたアストラが鉄仮面の頂部を掴み、強引に頭から引き剥がしたことにより、彼の頭を包んでいた炎は逃げ道に恵まれ、大気へ向けて雲散霧消する。自らの魔力で生み出した炎、逃げ場さえ作れるならば意志のままに操っての消火もわけはない。


 だが、仮面をはずしたアストラの後頭部を目の当たりにしたクラウドは、戦慄のあまりにすぐさま体を起こしていた。痛む全身を引きずって、殆ど使い物にならない腕をレインの体に絡め、彼女の襟首を口で加えてでもレインを確保。そのまま跳んで、アストラから距離をとる方向に跳躍するクラウドの目は、着地の瞬間にはもうアストラに向いている。


「ハァ……ハァ……つくづく、底の見えぬ少年だ……!」


 その頭を形容する言葉があるとすれば、竜を除いて他に適切なものはない。猫背のまま、肩越しにクラウド達を振り返るアストラの顔は人のそれではなく、(わに)のような口と鼻、肌を鱗に包んだ竜そのもの。御伽噺を作る才覚のある者なら、想像の中で描き出すことも出来よう、"竜人"と呼べる姿をした

怪物が今、現実のものとしてクラウド達の前にいる。ただでさえ敵の強さに心をやられかけているクラウドに、この姿は精神的にも痛烈な追い討ちをかけてくる。


「はっ……はっ……お、にいちゃん……」


「…………」


 息も絶え絶え、口から溢れる涎も耐えられぬレインが、ようやく四つん這いの姿勢で顔を上げられたのはいいが、その苦しみの渦中であの姿を見た少女が、どんな心持ちでいるのかは想像に難くない。あれに勝たねば明日は無い、神様はどこまで、そんな残酷な運命を強いれば気が済むのだろう。あんな奴をどうやったら、と、すがるような声に想いを乗せたレインに対し、クラウドは言葉も返せない。


 背筋を正してこちらを振り向いたアストラが、自らに気合を入れると共に、恫喝の意図を含めた雄叫びを放つ。文字列では形容できない竜の金切り声の咆哮は、凄まじい声量によって波動すら起こし、感覚的なものではなく物理的にクラウド達の肌を痺れさせた。圧倒感だけで体が後ろに傾きそうになる。身がすくむ想いで頭をいっぱいにした二人へと、先と変わらぬ速度で急接近してくるアストラ。運命は、立ちすくむ者達を待ってくれなどしない。


「レイン、っ……!」


「や……!?」


 これしかなかった。クラウドはレインの片腕を握り、渾身の力を込めて彼女を横へと投げ飛ばした。体をぶん回してそれを叶えたクラウドを、射程距離内に捉えたアストラが、大剣を振り抜いてくるのがすぐ直後。防げる腕も膝もない、逃げる動きで大きく後退し、それを回避したクラウドに、武器を振り回すアストラの追撃が絶え間なく続く。


「見上げた意気だが、汲み取ってやることは出来んな……!」


「はっ、はあっ……くはぅっ……!」


 反撃の手も出せず、襲い掛かられるままの攻撃を回避し続けるクラウド。もはや勝ち目を失った少年が、竜頭の化け物にいたぶられるばかりの光景だ。投げ飛ばされてアストラから離れたレインが、なんとか手足で着地し遠目に眺める前方には、攻撃のひとつひとつをあわやのところで回避し続けるクラウドの痛々しい姿がある。目は開ききっておらず、力なく上げられもしない腕の脱力感からも、彼が限界であることが嫌でもわってしまう。認めたくなくてもだ。


 わかってる、クラウドが、逃げろっていう意図を込めて自分を投げ飛ばしたのは。だけど、どんなにアストラが怖くても、クラウドが殺されてしまうことの方がレインにとっては嫌。レインが逃げ延びてくれることを信じ、もはや彼女に目を向けることも出来ないクラウドに反し、ひょこりと体を立ち上がらせた直後のレインは、少しずつ、しかし確かな加速を得て、アストラに向かって走り出している。


「その気高さが好都合なのだ……!」


 アストラはレインを買っている、クラウドが彼女を買う以上にだ。一人残らず皆殺し、それを使命とするアストラにとって、逃げないレインはむしろありがたい。

 クラウドへの猛追を仕掛け続ける中で、側面から迫るレインからも意識を切っていないのも、そういう彼女だと読みきっているからだ。対するクラウドは、もはや途絶えかけた意識をアストラから切らぬのが精一杯で、レインの動きなど感知することも出来ていない。


「――ハッ!」


 射程圏内に彼女が入った瞬間、クラウドに向いていた刃を自在に切り替えたアストラが、その切っ先でレインの頭を狙う。やはり只者ではない、弱った体ながらも身をかがめると同時に加速し、アストラの剣をくぐって地を蹴り、レインは敵の腹部に飛び蹴りの足を伸ばしているのだから。レインから一歩離れる方向に退がると同時、振り下ろした左の手刀でレインの脚を叩き落すアストラの行動は、読みも対応も完璧そのもの。


 それで地面に落とされたレインが体勢を潰してくれれば終わりなのだが、だんと両足で着地してすぐ跳ぶレインは、アストラにクラウドへと向き直す暇を与えない。アストラの顔面めがけて低姿勢から飛来したレインが、空中で振り抜く回し蹴りは、油断せず顔を引くアストラでなければ頬骨を砕く一撃を食らわせていただろう。レインの戦線復帰に嘆きたくなる想いを必死に堪え、彼女が作ったアストラの隙へと踏み込むクラウドが、側面方向からアストラに駆け迫る。


「甘い……!」


「がは……!?」


 その場でぐるりと体を回したアストラの行動に伴い、鞭のようにしなる極太の何かがクラウドを横から殴り飛ばした。今の今まで体内から顕してこなかった尾を、鎧の腰部の薄蓋を突き破って伸ばしたアストラが、それでクラウドに痛烈な一撃をくらわせたのだ。確実に当たるタイミングでこそ発して功を為す隠し玉を、ここにきて封切ったアストラの一撃が、クラウドの腹の中を粉々にしながら吹き飛ばしてしまう。


 がつん、がつんと二度跳ねて、胸を下にして倒れてしまったクラウドの姿は、ただでさえ心を呑まれかけていたレインの頭を真っ白にした。着地した直後の彼女がお兄ちゃんと叫びかけたその時、既にレインに向き直ったアストラは武器を構えている。声を発するより早く、それに気付けたことはぎりぎり間に合ったと言えるだろうか。きっと間に合ってはいた方だ。


「あ゛……!」


 跳んで逃れようとした、それを見越して僅か高めに剣を振るったアストラの大剣からは逃れきれない。やむなく両脚を引き上げて、鉄製ブーツの足裏二点で刃を受け止めただけでも、類稀なる彼女の反射神経は活きていた。


 だが、アストラのパワーは浮いたレインの体を、激突の衝撃で彼方まで吹き飛ばす。切断こそされず命を取り留めたレインとて、足裏から全身を貫いてくるえげつない重みに、体全体が割れるような感覚を覚えた。

 だから、受身を取るという発想にまで頭を至らせることも出来ない。直線に近い放物線を描き、地面に叩きつけられて、跳ねて転がったレインは、やがて建物の軒下の壁に後頭部を打ちつけて体を止める形になった。


 クラウドは見ていた、その一部始終を。レインを助けなきゃ、そんな一心で地面を押し、顔を上げていた彼の目の前、とんでもない速度でアストラに殴り飛ばされたレインが、その速度そのままに建物に後頭部を打ちつける光景をだ。凄惨な光景に、開ききっていなかったはずのクラウドの目も大きく見開いて、その瞳に移る遠方には、指一本動かさずに倒れたレインの姿があった。


 彼女の頭が割れたのか、赤々とした炎に照らされる熱雨の溜まり湯に、どろりと血の色が流れ落ちていく光景まで見えたのだ。レインの死を最初に確信したのはアストラ、1秒遅れて同じ現実を思い知らされたのがクラウド。ふんと鼻息を鳴らし、休む間もなくクラウドに向き直るアストラの行動は、もはやレインの死を脳裏に描いたクラウドの目には、映りこそすれ認識されていなかった。




 この時、クラウドの心の奥底に芽生えた感情は、可愛い妹を殺された怒りと形容できるものだっただろうか。真っ白だった頭の中が、ぶわりと広がる闇の一色に染まり、それがクラウドの精神に、魂に、さらには実在的な体内の血にまで侵食する。この時クラウドのすべてを塗り潰した感情は、純化されたただ一つの感情にして、きっと簡単な言葉では短く形容できない。強いて最も近い感情の名を挙げるなら、憎しみとでも言うべきなのだろう。


 しかし愛する者を奪われた直後の心を、光よりも早く闇より濃く染め上げる感情は、憎悪と呼ぶにも生温い。思考力を失って、自らの全てをそれに支配されたクラウドの心臓が、どくりと脈打ち全身に血を勢いよく送る。それが、クラウドの内に流れる暴君の古き血が、かつてないクラウドの姿をこの世に顕現させる初動である。


 二度目、三度目、クラウドで流力を得て加速し、沸騰する血。クラウド自身も知らなかった、彼の内に流れる古き血を流す者ブラッディ・エンシェントの血潮が、真の意味での脈動を始めた。




「ム……!」


 迷いなく、今までと同じく、間髪入れずに追撃を挟むはずだったアストラが、前に踏み出すことが出来なくなる。そこに理屈は無い、ただ、踏み込むことが出来なくなったのだ。それほどまでに、じわりとクラウドの全身から溢れ出すそれは、燃えるような闘志とも、敵を圧倒する覇気とも違う、それらを超越した近寄り難い何か。これを言い表すならば、どす黒い感情が形になって溢れた瘴気と呼ぶほうが適切だろう。


 両肘で上半身を起こし、背を逸らして地に這っていたクラウドの体が変貌し始める。どくどくと小さく跳ねながら、少年相応の肉体が膨れ上がるようにして巨大化していくシルエットを、アストラはこの日最大の戦慄を以って目の当たりにする。


「やはり、この血は……!」


 怪物の血が今、覚醒する。史書にすら名を残さない、千年前に絶えたと思われた血族の血が今、クラウドの肉体を媒介に現世へと蘇ろうとしていた。

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