表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第11章  干ばつ【Insanity】
201/300

第190話  ~決着、そして~



 加速するための追い風を背負って走るファインも、持ち前の脚力で跳ね回るレインも、単に二人で関連性なく動き回るだけでも、その速度で敵を翻弄し得るほど素早い。立ち位置の選定力に長け、かつ視野の広いセシュレスは、しっかり二人を同時に視界内に収められる場所を保ち、二人に火球を発してくる。十本束ねた矢を弓で放つかのように、術者の手を離れた直後に拡散する火球の数々は、二人に苦しい回避を強いてくる。


「っ、はあっ!」


 迅速なステップで回避できる身体能力があるレインはともかく、火球を投げ返してそれを撃墜するファインは、敵の散弾攻撃をかわしきれないコンディションである裏返し。彼女に着弾するはずだった火球は、ファインのすぐ目の前で対抗火球に撃墜され、しかし魔力の衝突が発した爆発が、熱風とともに黒煙を吹き荒れさせる。雷撃で体の中を、凌いだとはいえ業火で体の表面を一度焼かれたファインにとっては、熱い風だけでも相当に苦しい。


 発生した黒煙が、ファインをセシュレスの位置から視認できない一瞬を作ったはずだったが、天の魔術を使える今のセシュレスの前ではそうもいかない。即座に吹き上げる風を召喚したセシュレスが、黒煙を吹き飛ばしてファインの位置を見定める。熱風に煽られてふらついた彼女の姿を、今のセシュレスは見過ごさない。


「はうが……っ……」


「くうあ……!」


 左方に突き出した掌の前に、岩石の壁を瞬時に生成して、側面からのレインの突撃蹴りを食い止める。同時にファインを指し示す指先から、素早く発射される一筋の稲妻は、ファインに対処させる時間を与えぬ速攻だ。セシュレスの視線に晒された瞬間に、まずいと感じた彼女も即座に防御の魔力を練り上げたが、胸の真ん中を貫いた稲妻の電力は凄まじく、纏った魔力で威力を抑えてなお、全身が硬直して一瞬息を止めさせられる。当然、無策で受ければショックで心臓を止められていた一撃だ。


 ふらりと前に傾くファインが、両膝をついて崩れ落ちる自分の一秒後をいち早く確信し、無理にでも踏み出した右足で踏み止まる。二階から飛び降りたかのように、だんと地面を踏みしめてだ。その瞬間には既にもう、レインを一度退けた直後のセシュレスが、八本の蜘蛛脚の先をファインに向けている。


 纏められた足先から発射されたのは、真っ白で大きな蜘蛛糸の塊だ。それはファインの胸元に直撃し、彼女を勢い任せに吹っ飛ばす。後方の壁に背中から叩きつけられるファインは、その衝撃だけでげはっと悲痛な息を吐き、意識を失う寸前だった。しかも、彼女の胸で潰れた大きな蜘蛛糸の塊は、ファインの体と壁の接点にまで広がって、その粘着力で以ってファインを壁にはりつけにする。石膏で固めたかのようにだ。


「だめっ、駄目えっ!」


「悪いがこれで、終わりにする……!」


 セシュレスの狙いと最悪の結末を予感してならないレインが、壁を蹴ってのVの字軌道でセシュレスの斜め後方から飛来する。突き出した蹴りに対し、振り返ると同時に両掌を突き出したセシュレスが、瞬時に目の前に生成した岩石の塊でレインを迎撃する。強烈な蹴りがその岩石の塊に触れた瞬間、それは爆弾のように爆発し、レインを岩石片で打ちのめしながら吹き飛ばす。


 岩石片の一つが目の上に当たったレインが意識をくらつかせる中、自身も岩石の爆裂によって僅か後退しながら、セシュレスはファインの方を振り返らず地面に手を当てている。地に発した魔力が地を駆ける。意識朦朧、呼吸困難のファインにこれを防ぐすべはおろか、気力すら残されていないはず。


「あ゛っ……かっ……!」


 普通の女の子なものか。はりつけにされて腰の横で固定された両手に魔力を集め、自ら壁ごと爆発させて拘束から逃れる無茶を、ファインは平然と行なうのだから。魔力を発してすぐ、ぎゅるりとファインに向き直って立ち上がったセシュレスの前、破壊された壁からファインが離れる方向に吹き飛び、彼女のいた足元から尖った木の枝が突き上がる光景がある。動けぬファインを股下から串刺しにして、終わりのはずの一撃だったのだ。痛手を負った直後にすぐさまその追撃を察し、自分で自分を痛めつけてでもそれを回避したファインの判断力は、確かに彼女を生存させている。


「ふうっ、あぁっ……!」


「つくづく、末恐ろしい……!」


 ひどい粘着力を持つ蜘蛛糸を纏ったまま倒れたら地面から離れられなくなる。だから意地でも倒れない、両足で地面を踏みしめてよろめきながらも、すぐに風の刃を自分周囲に渦巻かせたファインが、体をがんじがらめにしていた蜘蛛糸をばらばらに切り裂く。操作が粗い風の刃は、露出したファインの横っ腹や二の腕に小さな傷を作ってじわりと血を滲ませる。そんな痛みも気にしない、自由になった両手をセシュレスに向けたファインが、敵めがけての特大光線を発射してくるのもすぐなのだ。容赦なく追撃しようとしていたセシュレスも、目の前に大きな岩石の壁を咄嗟に作り、自分よりも大きな径の熱光線を防ぐしかなくなる。


「レイン、ちゃあんっ……!」


 前後に開いた足、突き出す両掌、自らの術の反動で倒れそうなほど後ろに傾く体。苦痛に喘ぐように空を仰いで、声を絞り出したファインの叫びを、レインは決して聞き逃さない。自身の名を呼ぶ声の裏、助けて、何とかして、そう訴えてくるお姉ちゃんに、恩を返せるとしたら今なのだ。岩石片を受けて開いた傷、右眉の上から流れる血にも気を取られない。地を蹴ったレインがひとっ跳びでセシュレスに迫る中、ファインの熱光線を防ぐための岩壁に背を向ける形で、セシュレスも振り返っている。


 突き出されるであろう蹴りに対して、セシュレスが八本足先の収束点を構える方が早かった。レインの蹴りを受け止めるのではなく、勝負を決める叩き上げで彼女の体勢を崩し、とどめの魔術を放つことが出来る図式の完成だ。このまま突っ込めば死の未来しかなかったレイン。しかし浮かせたままの体でセシュレスに突撃すると思われた彼女は、直線に見えるほどの放物線でセシュレスの眼前で着地、そのまま地に着いた左足を軸に体を回転させ、セシュレスの蜘蛛足の収束点を横殴りに蹴飛ばした。ここまで何度も繰り返されてきた、セシュレスの蜘蛛足とレインの蹴りの激突。ここを最後の衝突にしようとしていたセシュレスの勝負手に、レインが繰り出すバリエーションがぎりぎり間に合った形である。


「ぬう、ぐ……!」


「えぇやあっ!」


 体の前に突き出した蜘蛛足を右向きに蹴飛ばされたセシュレスは、その威力で体をも右にひねらされる。目の前に晒されたセシュレスの左半身に、蹴った方の足をすぐさま地面に引き寄せたレインが、今度はそちらを軸足にして後方蹴り。セシュレスの左脇腹を蹴り上げる凄まじい速度の蹴りに対し、すかさず右手を構えたセシュレスも速い。掌の前に瞬時に作った小さな岩盤で、レインの足で直接蹴られる結果を防いだものの、人間離れした脚力で放たれる後ろ蹴りは、セシュレスをたじろがせる、あるいは短距離ながら吹っ飛ばす。


「っ……かあっ!」


 ファインからの光線を防ぐために生成した岩壁、それに背中から叩きつけられる寸前に、背負う蜘蛛脚すべてで衝撃をやわらげたセシュレス。岩石の盾を作ってレインの蹴りを防ぐ形にした右手は、押された衝撃で手首が砕けたかもしれない。それでも振り抜いた左手から発した魔力で、前方を広く焼き払う炎を発する。追撃できなくなるレイン、後退して逃れるしかない彼女、セシュレスが窮地を逃れる。意識は常に敵二人から逸らさない、蹴飛ばされた自分を食い止めさせる壁の裏側を焼いていたはずのファインの魔力は、とうに術者が次の手に移ったことによって消えている。


 ファインから岩壁に背を接したセシュレスは見えない、しかし彼から離れたレインの姿は見えた。一気にその方向へ駆け抜ける中で、岩壁の裏のセシュレスを視野に入れられた瞬間に、ぎゅるっと体を回しながらひとっ跳びしたファインが、レインのすぐ前に着地すると同時にセシュレスの方向を向いている。その瞬間に、胸の前に交差させていた腕を振り抜いたファインが、セシュレスの立ち位置の左右の地面へ魔力を発している。直後に導かれる状況とは、自らが生成した岩壁に背後を塞がれ、左右はファインの作り出した岩石の壁に塞がれた、コの字型の岩壁に囲まれたセシュレスの状態だ。


「天魔――!」


「地術――!」


 上方は自らの蜘蛛の巣に阻まれて逃げ場なし、前方には両掌を突き出したファイン。セシュレスに出来ることは一つしか無い。痛めた右手も総動員、たとえ今から放つ魔術の反動で、その手が使いものにならなくなっても構わぬ覚悟を固める。セシュレスがファインに向けて両の掌を突き出す形を作り出した瞬間に、決着へ向けた両者の魔力が火を噴いた。


重熱線(メガブライト)!!」


魔女を狩る歪の火ディストーテッド・クリメイション!!」


 この日最大の魔力を注ぎ、セシュレスどころか彼の背後の石壁すら呑み込める、それほどの特大径の怪光線を放つファイン。しかし、決死の覚悟で魔術を放ったセシュレスの反撃は、それをも上回る凄まじさ。彼の両掌を発射点とする鉄砲水のような業火は、二階建ての建物ひとつを丸焼きにするほどの勢いと大きさだ。


「あっ、ぅ……ああぁっ……!」


「く……ぬ……!」


 両者の間で二つの破壊的な魔力がぶつかり合う、押し合う。魔術の行使者である二人の肉体にまで、押し合う力は影響を及ぼし、ファインもセシュレスも余波で震える足に全力で力を込める。満身創痍のファインと、砕けた手首の痛みをこらえるセシュレスが、だくだくに汗を流しながら歯を食いしばる。押し負ければ敵の魔術に全身を包み込まれて一巻の終わり、勝負の分け目を二人ともわかっている。


 ふ、と僅かに口の端を上げたのがセシュレス。半開きだった目から色を失っていくとともに、全身から力が抜け落ちていく感覚を得たのがファイン。魔力などもう、殆どを使い果たしているのだ。力比べで対抗された時点で、押し負け確定であったことは、ファインだってわかっている。もう、5秒ももたない。


「レイン、ちゃん……」


 こうなることもわかっていて、敢えてこの手を選んだのだ。自らの魔術による光で目の前がいっぱいのファインは、これだけの状況でなお自分の後ろを離れないレインを見返さず、くんと上天を仰ぐように見上げる。直前に発した言葉の真意はレインに通じるだろうか。わからない。それでもファインは唯一の希望に賭け、見上げた時に閉じた口を開くとともに、きゅっと顎を引いて再び前を向いた。


 この時ファインが口から吐き出す形で発した、闇属性の魔力のことなどセシュレスからは見えなかったのだ。自身とファインの魔力の衝突点、そこにファインの魔力が触れた瞬間に、ようやく違和感を感じ取った程度。ファインの発した、魔力を吸い取りながら直進する黒い魔力の塊は、ファインの発した特大光線を食い進み、やがてはセシュレスの炎まで食い進んでセシュレスへと一直線。セシュレスがその異変の正体に気付いたのは、セシュレスの魔力によって濃密な炎に満たされた空間を、ファインの魔力が火を食いながら掘り進み、ファインとセシュレスをぽっかりと繋ぐ一本の抜け穴を完成させたその時だ。


「ぎあ……ッ!?」


 伝わっていたのだ、レインには。何者も踏み入れぬ大魔術の衝突空間を通り抜ける突破口、それを作り上げたファインに報い、迷わずレインは地を蹴っていた。突破口の末にセシュレスが見える、その前から既に跳んでいたレインが、見えた瞬間にはセシュレスの両掌に足を突き刺して、彼を後方に蹴飛ばす結果を導いていた。


 背中から岩壁に叩きつけられたセシュレスに入った致命的なダメージは、火を放つ彼の魔力を打ち切らせる。ほぼ同時に力尽きたファインの怪光線が途絶えるのと併せて、地獄の様相だった両者間が嘘のように晴れた。残されたのは、とうとうがくりと両膝から崩れ落ち、四つん這いの姿勢でか細い呼吸を繰り返すファイン。岩壁に叩きつけられた後に片膝を着いてかがみこむセシュレス。そしてセシュレスを蹴飛ばした反動で後方に跳んだレインが、両者の真ん中で構えて立つ光景だ。


「い……いか、ん……!」


 ここに追撃されるのだけは絶対に駄目。素早く目の前に岩壁を作り上げたセシュレスが、敵の突撃を封じる一手を導くと同時、後方の壁を崩れ落ちさせて逃げ道を作る。前進できなくなったレインが、前に後ろに体を前後させてしまう直後、セシュレスは渾身の力で地を蹴っている。生じさせた石壁を保ったままレインとの距離を隔て、一時凌ぎのために生じさせたその石壁が、セシュレスの限界を超えて崩れ落ちる結果に繋がる。


「無念とも……幸福とも言える結果、か……!」


 セシュレスの姿を目視したレインが踏み出そうとした瞬間に、セシュレスが無理をして振るった掌が、彼の前方に炎の壁を作り出す。またも踏み出せない結果にさせられて、レインも炎の壁とファインを交互に見る。手で体を支えることも出来ず、両肘を地面に据え置いてお尻を突き上げるような形のファインの姿には、レインも気が気でない。もう戦う余力のないお姉ちゃんの姿がありありと描かれている。


「お、お姉ちゃん、しっかり……!」


「だ、大丈夫です、から……まだ、気を抜かないで……」


 駆け寄るレインに肩を貸され、必死の力によって立たせて貰う形のファイン。なんとか両足で地を踏んで立つ前に顔を上げていたファインだが、彼女の右胸に側頭部を当てて支える形のレインには、ファインの鼓動がよく伝わっている。どくどくと速すぎる、強すぎるファインの鼓動は、生きている彼女を証明すると同時に、体の異常に心音がおかしくなっている様相を不気味なほど強く示している。セシュレスが炎の壁の向こうから姿を現さず、敵がどこから来るのかと不安なレインは、次にどうすればいいのかわからず唇を震わせている。


 だが、そんな彼女とは裏腹に、ファインの心中には僅かな安堵もあった。セシュレスが、ファイン達に背を向けて駆け、離れていく気配を感じ取っていたからだ。限界寸前の決死の魔力で、どこからセシュレスが来るのかと風を操って感知しようとしていたファインに、これはあまりにも大きな朗報だ。セシュレスは退いた、退けられたのだ。今なお苦痛の残る体に対してお釣りがくるほどに、勝利を得た実感は、暗黒の雲間から光が差すような安堵を彼女にもたらしていた。






「どのみち時間切れとはいえ、不甲斐ないことだ……!」


 もう大丈夫です、勝ったんですよと、ファインがかすれた声でレインに伝えたのとほぼ同時、廃墟の中を駆けて逃亡するセシュレスは、苦々しい声を発していた。敵も味方もいなくなった戦場跡地を駆けていく彼の胸中には、状況を見て察せる前向きな情報も、無念も共に内在している。


 敵はともかく味方の気配も無いということは、時が近付いたことによって発生した撤退命令に、若い友軍も従ってくれたということだろう。革命を渇望する想いが暴走し、その命令を無視して進軍をやめない者がいることも想定していたセシュレスだが、そういう結果にならなかったことは何よりだ。それほどまでに、あらかじめ用意してあった撤退命令には強い意味があったのだから。


 ファインを討ち取れなかったことに対しては複雑な想いだ。殺したくなかったのは本当であり、しかし彼女が生存したということは、兵としての自らの力が及ばなかったということ。将としては自責の想いが募る一方、極めて私的な感情論で言えば、ファインをこの手で殺められなかったことは、ある意味では望んでいた片方が叶ったということでもあったから。


「……いや」


 だが、少し先のことに頭を巡らせれば考えも変わる。必死の逃亡を為すべきこの状況で、立ち止まってファイン達のいる方角を振り返るセシュレスは、その目を憂いに染めている。決して、彼女らが追ってくることを恐れる、逃亡者の臆病な眼差しなどではない。


「やはり私が討ち取るべき、だったのだろうな……つくづく私は、無力なものだ……」


 この後ホウライの都に何が起こるのかを、セシュレスは知っている。ファインはセシュレスとの戦いで、生き延びることが出来た。彼女の人生には続きがある。つまり、この後に起こることに、彼女は直面することになってしまうのだ。それはセシュレスの価値観で言えば、恐らくファインにとっては、自分との戦いなどとは比べ物にならないほどの地獄を見るという未来に他ならない。


 唇を噛み締めて、再び逃亡への脚を駆けさせるセシュレス。命に代えてでもファインの命を奪い、悪夢への道を途絶えさせることこそが、彼女への救いだったのではないかとさえ思える。それを叶えられなかった自分をこそ最も責め、シルクハットのつばを下げてセシュレスは目を伏せた。











 撤退命令が発されて以降、戦場から去らぬ革命軍は三群ある。一つは崩れた建物の中から瓦礫をこじ開け、這い出るようにして脱出したドラウトだ。傷ついた体に鞭打って駆ける彼は、最も走りやすい雄牛の姿に変わり、全速力で西へと駆けている。


「フウッ、フウッ……ま、間に合ウ、か……!?」


 瓦礫の中から抜け出た時、クラウドの姿はもう無かった。自分のことよりもファイン達のことが気になって、そちらに向かったのだろうと想像では補える。いずれにせよ、とどめを刺されなかったことはドラウトにとっての僥倖であって、戦う力は残っていない身ながら、ドラウトも逃亡に向けて脚を進めることが出来ている。


 問題は、間に合うかどうか。拾った命も、間に合わなければやがて強制的に摘み取られる。真昼間から始まったホウライ地方の大戦役は、日が大きく傾いて夕時が近付いた今、終わりを迎えようとしている。赤くなった陽が西からホウライの都を照らす中、その色が意味する破滅の接近に、ドラウトでさえもが胸をどくどくと弾ませている。


 恐怖と戦慄、こんな想いは久しぶりだ。遠き山の頂点に近付いた真っ赤な太陽の姿が、それを真正面に見据えて駆けるドラウトには、ホウライの滅亡までの時を刻む血の色の砂時計に見えた。






 未逃亡なる三群のもう一角。ホウライ城をやや遠くに見据え、撤退する部下のしんがりを務めるザーム達は、未だホウライの都の真ん中で交戦中の立場である。


「退がれ、退がるんだザーム君! もう粘るほどの時間が無い!」


「まだだ、まだ……! あと少しだけ……っ!」


 厳密にはたったの二人。ほんの3分の時間稼ぎではあったものの、撤退する革命軍を追撃しようとする天人達を、ザームを中心としたしんがり陣は食い止めていた。だが、ネブラやザームと共にこの陣に加わっていた者達は、一人、また一人と撤退に移っていき、今となってはザームとネブラの二人が後退しながら天人達に応戦中。撤退する友軍を守るために、少しでも少しでもと時間を稼ごうとするザームの心意気たるや気高いが、それ以上に切迫した状況にネブラの顔色も必死である。


「奴ら、何を話している……!?」


「わかりません……! しかし、逃げぬならば討ち取るしか……!」


 退がりながら魔術を発して敵を退け、接近されても武器で攻撃を打ち返すザームはまだいい。何度も何度もちらちらと、西の果てを見返すネブラの挙動は明らかに不審である。最後までしんがりを務め果たそうとするネブラとザーム、たったの二人で天人陣営最強の防衛線と抗戦する二人は、ホウライ陣営にすれば蟻地獄に飛び込んだ格好の標的。討ち取る好機、間違いなくそう。不穏など気にしてはいられず突き進む。


「もう"山に触れかけている"! 限界だ、退がってくれ! 後生だ!」


「ッ……!」


 決定的なキーワードを耳にしたザームがとうとう諦める。兵士長の振り抜いた大剣を受け止めると同時、自ら後方に跳ぶ形で、過剰に吹っ飛ばされる形で距離を作った。そして、敵に当てる意図ではなく、地面を思いっきり掘り上げるように振り上げたシャベルにより、前方に土砂の津波を発生させるのだ。至近距離で敵に放てば、その土砂で敵を生き埋めにすることも出来る魔術、距離のある中で行使するそれは、敵の視界から自らを隠して追撃を封じるためのもの。


「走れ! 後は自分が生き残ることだけを考えろ!」


「難しい注文だな……!」


 ザームの発した土砂の津波を天人達の魔術が撃破する向こう側、撤退の足を西向きに駆けさせて去っていくザーム。疲労も溜まっているであろう脚ながら、決死の想いでの全力疾走だ。ようやく素直な撤退の動きへと移ってくれたザームにほっとしながらも、彼のすぐ上の空を滑空するネブラも、全速力で空を進んでいく。


 間に合うだろうか、地獄からの逃亡劇。西の果て、沈む太陽が山に触れかけ(・・・・・・)、沈む一途の入り口に差しかかった光景は、ネブラにもザームにも見えていた。それが悪夢の始まりを告げる陽時計であったことは、革命軍でもひと握りの者達が知る事実である。











「あはははははは……! 聖女さま、まだ私のこと仕留められないんだぁ……!」


 そして、もう一人。実に長い時間、スノウと空の戦いを繰り広げ続けてきたミスティだが、未だに墜ちず翼をはためかせていた。クラウドとファインがスノウと離れ、セシュレスやドラウトと激突するまででも、それなりの距離を駆けたはず。その後、苦しい戦いの末に二人が革命軍の将を撃退したのが今のことで、ミスティとスノウが戦い始めてからはそれだけの時間が経っているのだ。天人陣営最強の術士、聖女スノウとの一対一で、これほど長く負けずにいられるのは、それだけでも特筆に価する実力を証明する出来事である。


「早く殺してみなよぉ……! どうせ私はっ……!」


「く……!」


 地力では勝るスノウが、ミスティを討伐しきれずにいるのは、決して情に気を取られて攻勢の手を緩めているわけではない。そんなものはとうに脳裏から吹っ飛ばしている。これほどの長丁場を戦い抜きながら、今もなお無数の火の玉を自身の周囲に発生させ、それらを衰えぬ速度で襲い掛からせてくるミスティの執念と力強さと対面して、集中力を鈍らせるスノウなら今日まで生きてなどいない。


「今日でこの世界とは、お別れなんだからさあっ!」


 火の玉の数々を回避して飛翔するスノウへ、突き出した掌から怪光線を放つ魔術で、側面からの高速攻撃を仕掛けるのも早い。どこまでも攻めの手を緩めない。底なしとも思えるほどの魔力をこの場で使いきり、あとは無力化した自分が地に落ちて誰かに殺されても、それはそれで結構というのが行動に表れている。長い目で見ればまさしく捨て身の戦いぶりを見せるミスティが、スノウを苦しめ続けて決着をつけさせない。


「私を殺すのはあなただよ……! 混血児の私を殺したことを、一生心に刻み付けて生きていくんだ……! あなた達のような、生まれ来る子の未来も顧みない愛を育んだ自分勝手な親……! 私があなたのような人に遺せる最後の思い出だあっ!」


 呪詛を口にしふらふらと、しかし速度を落とさず舞うミスティに、スノウの放った雷撃球体が全方位から襲いかかる。生涯消えないであろう心の傷を予言するミスティの言葉にも動じず、ただこの戦いを終結させるためだけに。その末に深い苦しみがあることもわかっている、それでも為すべきを為すのが、強き大人が貫くべき生き様だ。混血児であり親友であったアトモスを殺めたスノウには、今さら立ち止まって引き返す道だって残されていないのだ。


 ミスティもしぶとい、凌いでかわして回避して、スノウへ火球の撃ち返し。憎き聖女の心に深い傷跡を刻む結末だけを確定させ、粘って足掻いて戦い続ける。最強の天人、スノウの魔力と体力を少しでも削り落とすためにだ。ぎりぎり回避でかすめた風の刃に、肌のあらゆる所を傷つけられての血まみれ、受けた雷撃でずたずたの筋肉でなお、最後の最後まで飛び続けるミスティ。その執念はもはや肉体を超えている。


「っ、ひいがっ……!」


「終わらせるわよ……! 哀れな子……!」


 無傷の体と途切れぬ集中力で、雷撃球を操るスノウの一弾が、上方からミスティの背中に直撃した。同色の雷の魔力でダメージを軽減したミスティだが、息も絶え絶えの彼女の魔力は、意識を失いかけるほどのダメージを抑え切れていない。即座の失神を免れただけで、目先の焦点も合わなくなった一瞬のミスティに対し、スノウがとどめの魔力を発している。


「あ……」


 激闘のさなか、ミスティの見据える遥か前方に映った光景は、死を目前にした彼女に唐突な安寧をもたらした。遠き西の果て、山の影の頂上に、夕陽が触れて沈んでいく姿。時は満ちた、それが彼女の意識をすべて持っていったのだ。上天に舞い上がったスノウの決定的な魔力に対しても、気付いていながら気にも留めない彼女の思考回路は、傷だらけの少女がとうとう死を受け入れ、永遠の安息へと身を委ねた心情に由来する。


「天魔――」


「バイバイ……間違った、この世界……」


「っ……! 奮い騒ぐ雷精ライトニング・ラムバリオン!」


 ミスティが、力なく笑ってスノウを見下ろした。死にゆく彼女の最後の表情は、狂気などなく穏やかで、きっと戦場でないところで笑えば、可愛らしいものだっただろうと思えるほど美しかった。とどめの術の名を叫ぶ直前、ほんの一瞬の間を作ってしまいながらも、スノウは決着への手を振り下ろす。空の上に渦巻いた黒雲が、一撃必殺の稲妻をミスティに差し向けたのが、この戦いの終わりを告げる咆哮となった。




「やめてくれ」




 間違いなく、ミスティを狙い撃ったはずの稲妻が、軌道を逸らして地面へと一直線に落ちていった光景は、スノウにとって信じ難かったものだろう。ミスティのすぐそばをかすめていった稲妻は、溢れ散らせる電撃と火花で、無防備に飛ぶミスティの体を打ち据える。かっ、と詰まる悲鳴を漏らしたミスティが、そのショックで全身の力を奪われ、とうとう翼を失って地上へと落ちていく。無力に、だらりと、そのまま頭から地面に落下して死んでしまう落ち方でだ。


 高みからそれを目で追って見下ろすスノウも、ミスティのことより特大稲妻の落雷地点に目の焦点を合わせる。落雷を引き寄せたそれが、真っ黒な闇属性の魔力だと、すぐに気付くことが出来た。そしてそんなスノウの視界の端、建物の屋上から突然頭を出す巨大植物が、ハエトリソウのような大きな葉の口を開け、落ちてくるミスティをばっくりとくわえ込んでいる。人の体をその頭の中に、ずっぽり食べてしまえるほどのお化け植物だ。


 怪植物は口の中に入れたミスティを、ぐいっと頭を操って、地面のそばまで持っていく。思わずその動きを目で追ったスノウの目線の先、それは姿を確かに現していた。自身の魔術で落下するミスティを救い、己のそばの地面に降ろし、ふらついて立つ彼女を背中から抱きしめる、深緑色のローブに身を包んだ男がいる。


「よく頑張ったな、ミスティ。あとは、私達に任せて貰おうか」


「ごしゅじん、さまぁ……」


 顔も上げられずに途切れ途切れの息を繰り返すミスティの声が、死に逃れる安息ではなく、生きて実感できる安心感に涙ぐんでいたのは、遥か上空のスノウには聞き取れぬものだ。そして、ここまで疲弊したミスティが、肌を触れ合わせるだけでこれほど安心できる"ご主人様"は、ミスティを支えるように後ろから片手で抱きしめたまま、隣に立つ相棒に顔を向けている。その顔も、深くかぶられた深緑色のフードに隠れて、上空のスノウからは見ることが出来ない。


「やるぞ、アストラ。狼煙を上げる時間だ」


「ああ、参ろうか……!」


 褐色の全身鎧で身を包んだ巨漢、まさしく重装戦士と言い表せよう大男が、ゆっくりと握り締めた右の拳を振り上げる。直後、離れた位置からその姿を見るスノウが、目でその速度を追いきれなかったほどのスピードで、アストラと呼ばれた重装戦士が拳を振り下ろす。


 地面を殴りつけると同時にアストラの放った魔力は、その一点から全方向に魔力を駆け抜けさせた。直後に起こった、とてつもない縦揺れの地震。それは、空から地上を広く見下ろすスノウの視界内、ありとあらゆる建造物が跳ねるように揺れた光景からも見て取れた。地面に落ちて跳ねる鞠のように、上下して揺らされて倒壊する建物。それはアストラを中心とした彼の近くだけではない。恐るべきことにアストラが魔術によって起こした地震は、広大なるホウライの都の全域、大袈裟でも何でもなくそれだけの範囲に及んでいる。


 顔を真っ青にして地上のあらゆる場所を、首を数度振って見回すスノウの姿も当然だ。都のあらゆる建物が崩れ落ち、燃え広がる炎が、あるいは建造物の倒壊が巻き起こす土煙で、ただでさえ傷だらけだった街がさらなる悲惨な様相に変わっていく。そんな事象を引き起こしたのが、たった一人の怪物による地術なのだ。


「形あるものは、いつか必ず壊れる」


「永遠に続く隆盛など、この世には無い」


 間もなくホウライの都がかつてない地獄へと様相を変える。今以上の地獄にだ。たった二人の"アトモスの影"、カラザとアストラが口にした言葉は、千年続いた天人の楽園の崩壊を示唆するものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ