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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第11章  干ばつ【Insanity】
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第189話  ~セシュレスVSファイン&レイン~



「さて……!」


 蜘蛛の巣の一部と共に焼け落ちて、頭を下にし真っ逆さまに落ちていくファイン。その姿は、レインにしてみれば最愛のお姉ちゃんが、既に命を奪われたかの光景だ。セシュレスの認識は違う。ファインが落ちていく先の地表地点に魔力を送り、そこから真上へ鋭く尖った樹木の柱を急速に生じさせている。鋭い槍のように地面を突き破って、上方へと急速成長するそれは、ファインを頭から串刺しにしようとする凶刃だ。


 死体蹴りに近い残忍さ、容赦の無さが際立つその行動も、結果を見ればセシュレスの的確な判断力の証明材料にさえなるだろう。声も発せず、その手を振るったファインが、下方から迫っていた樹木の刺突に対し、岩石の盾を瞬時に形成して防御を叶えたからだ。彼女は死んでなどいない、それどころかまだ、抗う力を残している。あの一瞬でもしっかりと、稲妻が我が身を焼くことを防ぐための、同色の魔力を全身に纏っていたのだ。


 首を勢いよく引いたファインが、空中で前回りに体を回し、自らが生み出した空中の岩石の壁に、うなじの下の肩口一面を激突させる結果に。その岩石は下方からの樹木の突きに殴り上げられ、それがファインの体を岩越しに押し上げようとする形になる。


「やはり、奇襲一撃で仕留められる相手ではなかったな……!」


 セシュレスの魔術によって岩石越しに空中で殴られたファインが、体を回しながらあらぬ方向へと吹っ飛ばされる。それでも、一瞬セシュレスと目が合った瞬間の彼女の目は、ただそれだけでセシュレスの眉間に、深い(しわ)を寄せさせたものだ。肌を焼け爛れさせなかったとはいえ、強烈な電撃で体内をひどく痛めつけられた直後だというのに、戦意を失っていないその目が厄介。ファインが建物の壁に背中からぶつかっていくが、その瞬間にファインが胸の前に交差させていた腕を振るうと、セシュレス目がけて無数の火球が飛んでいく。


 躊躇無くファインに追撃を放とうとしていたセシュレスも、腰の横から斜めに振り上げた腕とともに、いくつも火球を放ってそれらを撃墜する。ファインとセシュレスの間でぶつかり合って爆発する火球の数々、爆音の重奏、黒煙の拡散。ファインを視認できない短時間を嫌うセシュレスが目を見開き、強風を発する魔術を展開すれば、視界を悪くしていた煙が吹き飛ばされ、再びファインの姿がセシュレスの視界内に入る。


「お、お姉ちゃん……!」


「けっ、は……くふ、っ……!」


 セシュレスの眼差しは鋭い。弱らせた末のこの一瞬、ここをすかさず攻め崩して、一気に勝負を決めるべき局面だ。だが、傷だらけであるはずのファインの方が、一手早く行動に移るのだ。建物の壁に右肩を預け、それでようやく倒れず立っていたような姿勢のファインが、敵の行動より先に左の掌をセシュレスに向ける。その掌から放たれるのは、発射の反動でファインが後方にふらつくほどの勢いで撃ち出される特大の火球。大味で、威力だけを重視した、スマートさには極めて欠ける一撃。離れた位置でそれを迎えるセシュレスは、一見やけくそ気味のこの反撃に、実に嫌な顔をさせられたものだ。


 対処そのものは簡単、対するセシュレスも身を回すとともに振るった片手から、同様に大きな火球を放って撃ち落とすだけ。人の体よりも大きな火球二つが両者間で激突し、魔力と火力の正面衝突が大きな爆発を促す。発する爆風、粉塵、余熱。細めた目を閉じず、セシュレスは再び地表から吹き上げる強風を発生させ、熱と粉塵で悪くなった目の前の視界を一新させようとする。一刻も早くだ。


「っ、レインちゃん……! 私が合図をするまで、絶対に攻め急がないで下さい……!」


「お姉ちゃ……」


「絶対にですよ……! それで、勝てます……!」


 セシュレスから彼女らを見えなくさせていた粉塵があっという間に晴れる。敵を視認した瞬間から、セシュレスの猛攻が再開するのだ。この僅かな時間で巡らせたファインの高速思考、短く授けた知恵。一刻の予断も許されない戦況の中、強引に設けられたこのタイムアウトの価値は、爆音に紛れたファインの言葉を聞き取れなかったセシュレスですら、強い意味を持つと予感している。


「地術、火炙りの大樹ステイキングユグドラシル……!」


 二人の立ち位置を確かめたその瞬間に、両手を振り上げたセシュレス。危機の予感に地を蹴るファイン達が素早く動いた直後、二人が離れた地点を中心に、大型の円形地表が赤く染まり、一気に高みにまで昇り上がる火柱を放つ。焼き尽くす範囲面積は広く、二人の素早さを以ってしてぎりぎりの回避だ。


「さあ、作戦会議の末に何を見せてくれるのか……!」


「行きます!」


 回避の動きから素早く地を蹴り続け、矢のような速度で駆けるファインが、その中で振るった掌から氷の槍を数本放つ。たいした攻撃ではない、セシュレスにとっては背中から生える蜘蛛の脚を自らの前まで伸ばし、それらを操ってことごとく打ち払うだけで済む。セシュレスの人としての手足はと言うと、振り下ろした掌から放り投げる火球をファインの駆ける先へ放ち、地面に着弾した瞬間に溶かした地面を飛び散らせる、高火力の魔術を放っている。


 前方の地面が溶岩のしぶきを飛ばしてくるような攻撃に、駆ける道筋を折って回避しようとするファインだが、溶けた石畳の小片いくつかが、彼女の体に降りかかる。それに丸めた背を向けて、熱を遮る水の魔力を纏ってなお、魔力と服を貫通して体に届く熱が、彼女の表情を半泣きにさせる。痛い、苦しい、裸を鞭で打たれるよりもひどい苦痛である。


 それでも位置取りは整えた、レインからは離れた。壁を背にしたセシュレスは、離れた斜め左右にファインとレインを位置取る形。強く地を踏み急停止した瞬間、ぎゅるりと身を回してセシュレスに向き直るとともに、既に腰を沈めたファインは、右の掌を地面へと振り下ろしている。


「天地魔術、疾走雷火(スパークドライブ)……!」


 地に着けたファインの掌を始点に発される稲妻は、地を跳ねながら光る蛇のように駆け、術者の前方広くへと拡散する。蜘蛛の巣のように拡散し、あらゆる方向からセシュレスに迫ろうとするそれらに、セシュレスは離れた地面に真っ黒な楔の形をした魔力を投げつける。影縫い楔(ダークウェッジ)と呼ばれるセシュレスの持ち技であるそれは、地面に突き刺さった瞬間にファインの魔力を引き寄せ、地を駆けていた稲妻の数々が、黒い楔へと引っ張られて曲がる。地を駆けた稲妻はセシュレスに向かわない。


「天魔! 重熱線(メガブライト)!」


「賭けているな……!」


 左手を地に着けて放つ魔術を行使しながら、ファインがセシュレスに向けた掌。そこから放たれる太い怪光線には、セシュレスも前方離れた位置に岩石の壁を生成し、防ぎおおす結果を導く。何もしなければセシュレスの全身を呑み込んでいた熱光線は、立ちはだかる岩石の壁により最善効率で防がれている。対するファインは二連続の大技行使で、魔力の消費も激しく、ディスアドバンテージも著しい。


 好況まっしぐらのセシュレスが気を抜けないのは、そうなることはわかっていたであろうと、ファインの頭を買っているからだ。それでもファインがこの攻め口を敢えて選んだことに、嫌な予感を感じるぐらいが当たり前。セシュレスの前方に岩石の壁があり、彼女の姿を視認できないこの一瞬を作ったファイン、それに大きな意味がある。


「地術……っ、魔磁始点(スペルアトラクト)……!」


 3つめの魔力を放ったファインの姿を見ることが出来なかったことは、セシュレスにとって大きな遅れである。セシュレスが黒い楔を放ったのは、彼から見て右側の地面。そんな彼の左方の建物壁面に、ファインが黒い魔力の弾丸を突き刺したのだ。主に引力を司るファインの闇の魔力が、セシュレスによって曲げられていた彼女の稲妻を、自らに向けて勢いよく引っ張る。すなわち、セシュレス右方の地面へと駆けていた稲妻が、彼の左方に向けて軌道を折り、その通過点上にセシュレスがいる形。


「潮時か……!」


「今です! レインちゃん!」


 ついにセシュレスが地を蹴った。壁に遮られてセシュレスの姿が見えていなかったはずのファインが、見ずしてその行動を予見して叫んだのは見事である。壁を背にして後方からの攻撃を警戒しないで済む形、不動の防御を実現させる立ち位置を保っていたセシュレス。まずはそれを崩すのが、勝利への最低条件だった。地を駆ける稲妻から回避する動きをセシュレスが見せたことで、初めて戦況が動いたと言える。


「だが、甘いな……っ!」


「んんぐ、っ……!」


 ファインとセシュレスの短時間の攻防の間に、いつでも攻撃に移れる位置取りを作っていたレインが、ひとっ跳びでセシュレスへと矢のように迫った。小細工なしの直線軌道、しかし速さが対処を容易にはさせない。セシュレスが、空中で身をひねって八本足を操り、集めた足先でレインの突き刺すような蹴りを受け止められる、そんな身のこなしが出来る人物だから凌げただけの話。突き出されるセシュレスは跳躍軌道を折られ、予定外の地面へと着地させられていく結果になり、はじかれたレインもセシュレスから離れた地面へ。


「まだあっ……! 天地魔術、沸騰地(ジオシーザー)!」


 セシュレスを目で追いながら、一蹴りで位置を移したファインが敵へと接近し、慣性に任せるように投げつけた魔力。それはセシュレスの着地とほぼ同時に地面へとぶつかり、広範囲の地面を泡立たせるほどの熱を抱かせる。それが肌もただれるような熱蒸気を、足元から噴出させる一秒前だと素早く察知したセシュレスは、着地と同時に地を蹴って、激しく沸き立った熱蒸気の範囲外へと身を逃す。回避行動だけで凌いだセシュレスの好判断が間に合ったとも、ファインの追撃が間に合わなかったとも言う。


「レインちゃ……」


「わかってる!」


「ぬぅ……!」


 そしてこの速さ。回避を最優先した動きのセシュレスに、がつがつと地を二度蹴ったレインが、くの字の軌道で迫っている。ファインには目で追うことも出来ないスピード、セシュレスも集めた蜘蛛足の先をレインへ向けるのがぎりぎり。超速度に全体重を乗せたレインの突撃蹴りは、またもセシュレスを大きく突き出し、着地寸前だった彼が体を大きく吹き飛ばされる。


「まったく、血は争えんな……!」


「天魔! 雷陣閃(サンダーメイズ)!」


 セシュレスからやや離れた側面へと既に達していたファインは、その中で自分の周囲にいくつもの光球を生じさせていた。術の名が口にされた瞬間に、それは彼女のそばを離れ、セシュレスを包囲するようにして宙に浮く。それらがあらゆる方向から稲妻を放ってくる様相には、セシュレスも今の言葉が漏れようというものだ。最強の天人術士、スノウが得意とする対抗雷撃(シューブランデー)によく似たそれを、母と同じほど精密に操って行使してくるファイン、まったくもって血は争えない。


暴食王の黒球ベルゼブブ・メランストマ……!」


 さすがに将、最優先討伐対象と見られて集中砲火を浴びせられる経験も多かったセシュレスは、こうした多方面からの砲撃への対処も慣れたもの。頭上に浮くよう発した黒い魔力が、ファインの雷撃をすべてその方向へと引き寄せる。無数の稲妻がセシュレス頭上の黒球を撃ち抜いて火花を散らす中、敵には一筋の雷撃も入らない。歯噛みするファインを視界の端に含めながら、セシュレスの首はぐるりと顔をレインに向ける形へと回る。


 あまり調子に乗るなよ、とばかりに光った眼には、接近しようとしていたレインも、思わず踵で地面を引っかいてブレーキをかけていた。びゅ、とセシュレスが唾のように口から吐いた白い塊は、それを真正面から放たれたレインが、恐ろしいものから逃げるように横っ跳びに回避する結果を導く。彼が発する糸の塊、その粘性は凄まじいものであり、直撃させられれば動きを封じられてしまうからだ。この状況で、一秒でも身動きの取れない状態にされたら、間違いなく殺されてしまう。


「甘いわ……!」


「あ……っ!」


 地面を蹴った瞬間にレインも顔面蒼白、遅い気付きが致命的な展開を彼女に連想させた。レインが辿り着く地面へと既に向けられたセシュレスの蜘蛛の足、右半分の4本。それが一手早く、着地した瞬間の彼女に向けて糸を発射しているのだ。地に足を着ける瞬間、厳密には直前、そんなレインに直撃する速き糸の飛来には、見えていても対処できないレインの顔が色を失っている。


「させ、ませっ……!」


 窮地を救ったのはファインだ。ひとっ跳びでレインのすぐ前に横入りしたファインが、ほぼ自らの体の右半分を盾にして、レインを守るような一瞬を作った。駆け抜けていく中で、空中に風の刃の渦を置き去りにしてだ。セシュレスが放った糸の数々をそれが空中で細切れに切り裂き、ばらばらにされた蜘蛛糸のかけらが、べちゃべちゃとレインの体とその周りの地面に付着する。伏せた顔を腕で庇ったレインの行動は、それで目を潰される結果を防いでいる。


「さあ、詰みだ……!」


「うぁ!?」


 しかしセシュレスの本当の狙いはファイン。予期せぬ事態に柔軟に対応したファインだったが、それは咄嗟の行動という先行きの無い動き。大技よりも最速手、それでファインの足元へと魔力を放ったセシュレスが、地面を勢いよく隆起させ、ファインを上天へと殴り上げたのだ。痺れる足の裏、そんなことは些細な問題、上空にはセシュレスが張り巡らせた蜘蛛の糸。これにはりつけにされるのがどれほどまずいかは、先ほど文字通り痛いほど思い知らされたばかりである。


 だからファインは背を丸め、上天に向けたその背に岩盤を生じさせた。甲羅というには平たく、彼女の体が糸に触れないよう、大きく体を守ってくれる広い岩天井。彼女の狙いどおり、岩盤が蜘蛛の糸に触れ、上昇するファインの体がそれを押す形にとどまり、彼女は糸に捕われない。


 そこまではいい、背中越しのこの手応えさえ無かったら。力押しでは異様なほど切れぬその蜘蛛の巣は、岩盤とファインの体を合わせた重みを下方からぶつけられ、彼女の想定以上に上向きに伸びくぼむ。粘性だけでなく柔軟性にも富む蜘蛛の巣が、最上点にまで伸びて止まった瞬間、この直後どうなるかを予感したのはファインだけではあるまい。見上げるレインにも、蒼ざめたファインの表情が見えている。


「さらばだ……!」


 弾性全開でファインを地面に向けて押し返す蜘蛛の巣、胸を下にしてパチンコの弾のように地面へと発射されるファインの体。ただでさえ、何もしなければ凄まじい速度で地面に叩きつけられ、全身の骨を粉々にされてしまうこの一瞬のこと。これから自分が墜落する地面が、大きく真っ赤に染まっている光景には、ぞっとしたファインが息を詰まらせたことは言うまでもない。死が目の前にある。


「地術、火炙りの大樹ステイキングユグドラシル!」


 そして、次の瞬間の光景はあまりにも壮絶。地面から噴き上がった巨大な火柱に、逃げ場無く真上から飛び込んでいく形のファインは、あっという間に火に呑み込まれて、誰の目からも見えない業火の中に消えていく。離れた位置のレインすら、赤々と照らす巨大な炎を視界の真ん中、そんな中へとお姉ちゃんの体が消えてしまったことに、レインの体は凍りつかされるばかりだった。


 セシュレスは勝利を確信し、レインは思考が完全に止まってしまう。二人の目の前、戦場に高々と君臨した巨大なる炎の柱は、世界下に5秒居座ったのち、火の噴出が止まるとともにざあっと消え去っていく。そして、煙と炎が消えて晴れた下に残っていたものは何か。真っ黒に焦げた地面、火柱に焼かれてぽっかりと大穴を開けた上天の蜘蛛の巣。そして、黒焦げの地面の上に転がるそれもまた、人の形をしていながらも真っ黒に焦がされており、地面の色と同化して、ともすれば見落としてしまいそうな何かである。


 しかし、それは、確かにファイン。見慣れた彼女がうつ伏せに倒れたような人の形、それが真っ黒焦げの様相で胸を下にし、ぴくりとも動かない死体の姿でレインとセシュレスの目に映っていた。


「あ……あっ……」


 震える瞳でそれを目にしたレインが、そのまま倒れてしまいそうなほど体を後ろに傾けた。体が足を引いてくれたから尻餅をつかずにすんだが、ファインの死を目の当たりにしたばかりの彼女の頭は真っ白だ。誰がどう見たって終わりの光景は、本懐ではファインを殺したくなかったセシュレスに、仕草にこそ表さぬものの胸の前で十字を切るような想いを一瞬ちらつかせた。冷徹な無表情に見せて、その目尻がほんの少し下がったのは、そうした感情によるものだろう。


 だが、頭の回転が早いセシュレスでなければ、こんなに早くは違和感を感じなかった。真っ黒焦げの死体を目の前にしたら、誰だって勝ったと思う。しかし、よく考えろ。ここまで何人もの天人の命を奪ってきたセシュレスの火柱、火炙りの大樹ステイキングユグドラシルは、敵を真っ黒焦げの死体に変える程度のものだったか。炎で呑み込んできた敵兵すべてを消し炭に変えてきたそれは、死体の形が原型を留めるような程度の結果を残してきただろうか。


 微動だにしなかったファインの体が、ほんの少しだけ動いた気がした。地面に力なく置いていた掌を、ひくっと動かしたことに伴い、連動して僅かに動いた彼女の腕全体。それを見逃さなかったことは、些細ながらもセシュレスにとって非常に大きかったことだ。


「ぬぐあ、っ!?」


 セシュレスの足元から突き出た石槍。彼の顎を打ち抜くために勢いよく隆起したそれに、ほぼ反射的にセシュレスは両手を盾にしていた。老人の手の力などものともせず、そのまま殆ど勢いを殺さずに突き進んだ石槍だが、両掌を下から突き上げられた衝撃で、セシュレスは僅かに体を後ろに逃がす結果になっている。それが、石槍に顎を貫かれるという最悪を回避させてくれる結果に繋がり、しかし老いた手を打ち抜いた石槍の一撃は、セシュレスの腕全体に痛烈なダメージを残した。


「っ、ぐ……! 凌いだと、いうのか……!」


「っ……お姉ちゃあんっ!」


 驚愕のあまりに怯んだセシュレスと、絶望からの奇跡にぶわりと涙を溢れさせたレインの間で、ファインがゆっくりと立ち上がる。本当に、体の朽ち果てた老人のようにゆっくりとだ。がくがくと震える膝や、地面を押すだけで折れそうな腕に必死で力を込め、立ち上がったファインは顔を上げることが出来ていない。それでも前のめりな姿勢で確かに立ち上がり、ぼろぼろと焦げまみれの服をこぼれ落ちさせながら、ようやく顔を上げたファインの目と、セシュレスの眼差しがぶつかり合う。


 理屈はセシュレスにもわかる。あの状況からの生存する、方法論自体は確かにある。具体的に言うならば、我が身を焼く業火の熱を水の魔力で防ぎおおし、かつ地面に叩きつけられる衝撃を、風の魔力で緩衝するなどすれば、まあまあ生きて立つことも出来るだろう。両方、あの一瞬で叶えられたらだ。


 そんなことを実際に出来る奴なんていないから、一撃必殺の大技と言われるのがセシュレスの火炙りの大樹ステイキングユグドラシルなのに。石をも溶かす熱を万全に抱かせて放った火柱だったのに、対抗魔力の強さだけで、体を炭にせず生存したファインを目の前に、セシュレスも68年で築いてきた術士としての自信を揺らがされそうになる。聖女の血を引く少女とは知っていたが、すでにこの器は母をも超えているのではないかと、今考えても栓の無いことを思ってしまうほど、この事実は衝撃的だった。


「ま……負けられ、ないんですよ……ぜったい……」


 綺麗だった蒼い髪も、毛先が焦げてひどい有り様だ。二枚構造だった彼女の旅着も、熱に耐えられなかったのか殆どが焼け落ちて、若い肌が惜しげもなく晒しものになっている。空色のスカートと白のインナーウェアが、焦げきった色でかろうじて、しかし穴だらけで残っている程度。細いウエストや骨の入っていなさそうな腋、ゆるんださらしの下から溢れる小さな胸を、すべて同時に男の前に見せるなんて、ファインにとっては間違いなく初めてのことだろう。


 普段の彼女なら、その場でうずくまって涙ぐむほどの格好だ。そんなファインが眼に宿す想いは、16歳の少女が抱くべき羞恥など既に超越し、歴戦のセシュレスも対等さを感じるほどの決意に満ちている。口にした稚拙な言葉が、むしろそれ以外に言いようの無い、たった一つの目指すべきものを見据えた彼女の心概を、これ以上なく表している。


「……本当に、君とはもっと違う形で会いたかったよ」


 言葉と裏腹、臨戦態勢の魔力を素早く練り上げるセシュレスだが、口にした言葉は間違いなく本音だった。革命軍に共通する想いは、虐げられてきた歴史を一新するため、命に代えてでも世界を変えようとする信念。セシュレスに言わせれば、その決意が出来る人間がいても、それだけで評価に値するものではない。望まぬ世界を変えようとするなら犠牲と尽力が必要、それが本来の大人の世界。千年間も変わらなかった世界に変革を望むなら、命や操もすべて投げ打つ覚悟が不可欠だと、同胞の死を避けたがる彼とて心根では割り切っている。


 世界は混血児のファインを否定し続ける。それでもこのホウライの都で出会えたという、ごくごく少数の友達の故郷を守るためだけに、ここまで身を捧げて命を懸けられる少女なんて、きっと世界中探したって指の数も見つからないだろう。そうした自分の生き方を徹頭徹尾貫くファインが、客観的に見て狂っているのかどうかなんて大した問題ではないのだ。きっと目的を同じとする者にとっては誰よりも頼もしい、そんな強さを腕にも心にも持つファインを、今ここで葬らねばならないという現実が、つくづくセシュレスをして"勿体無い"。


 それでもセシュレスは、殺意の魔力を揺るがぬそれへと変えていく。彼女の存在は革命の妨げとして、あまりにも大き過ぎるからだ。出会って数分、敬意すら抱ける若者との巡り合いがどれほど貴重なものであるか、60年以上生きてきたセシュレスが知らないはずがない。わかっているのに迷わず殺す道を選ぶセシュレスの選択もまた、不条理な世界に巻き込まれて大きく狂っている。


「時間が無い……! 決着をつけようか……!」


「レインちゃんっ……! もう、ひと頑張りです……!」


 骨をやられた手を握り締めてでも覇気をあらわにする老人と、壊れかけの体で構えて全魔力をかき集める少女。慕い続けたお姉ちゃんの言葉に手を引かれ、地を蹴るレインの行動がその後に続いた。


 時間が無い。無意識にそう発していたセシュレスの言葉の真意とは、未だこの戦場下で殆どの者が知らぬこと。セシュレスですら、今はファインと向き合う構図の中、本来あるはずのタイムリミットを意識の中心に置いてなどいなかった。それほど彼も、今はファインから意識を逸らせないということだ。











「ここまで、だな……!」


 城はもう見えている。近くて遠い。ホウライの都の栄華を象徴する、ホウライ城を目の前にして、自軍の進撃が完全に停滞状態を迎えたことに、空のネブラも最終決断を下した。自らに接近してくる敵の一人を斬り捨ててすぐ、空高くへと舞い上がるネブラが、武器を持たぬ方の左手を天へと掲げている。


 魔術を戦闘手段に用いることの少ないネブラが、その掌から全方位に放った蒼い稲妻は、過剰なほどの雷音を伴って空を駆ける。派手さが際立ち、空の天人兵も警戒を強めるが、飛散する稲妻は敵を狙ったものではない。夕暮れが近付いて赤みがかった空に描かれる蒼い稲妻は、ネブラが発するシグナルとしての意味を最も強く持ち、地上あらゆる場所へと降り注ぐ。街中に広くだ。


「全軍、撤退! 生存のみを最優先の目的とし、撤退せよ! 僕達の戦いはここまでだ!」


「くぅあ~、マジかよっ……!」


 叶えられる限りの大声で叫んだネブラの号令は、すぐそばの地上で難敵と一騎打ちの真っ只中である、ザームの耳にもはっきり届いた。ネブラの声を聞いた天人達も、唐突な退却命令には驚いただろう。そしてネブラの声を聞き取れなかった革命軍も、蒼い稲妻を目にしたものは、言葉は無くともその指令を認識している。ネブラが放つ蒼い稲妻は、それそのものが撤退命令を意味する合図だからだ。


「ちくしょう、ここまで来てか……!?」


「仕方ねえ、引き下がるぞ……! この命令は、絶対だそうだからよ!」


 あと少しで城まで辿り着けるというところでこの指令を受けた、地人達も苦い顔。無理にでも押し切ればいけるんじゃないかと、漠然と信じてでも突き進んでみたい。若い者ほどその想いは強いだろう。しかし事前に、強く、強く、セシュレスから命じられているのだ。"撤退命令"にだけは、何があっても絶対に従うようにと。やりきれぬ想いを抱いたまま、空と地上の革命軍が、身近の敵を退けて距離を取り、背を向け撤退の動きを見せていく。


「わりぃな、オッサン……! 決着つけたかったが、ここまでだ……!」


「ぬう、っ……!」


 大剣を振り抜いてくる巨漢の攻撃を、力任せのシャベルのフルスイングで打ち返すと、大きく跳んで後退するザーム。対するは、城へ攻め込む道の最終関門を務めるホウライの防衛線、その中心人物であるホウライ城の兵士長だ。武人としての実力ならば、ホウライの都でも最強とされるこの男はエンシェントにあらずして、人外級の身体能力を持つエンシェントのザームと、真っ向からの力比べで互角に渡り合っていた。


 鋼の鎧に身を包む、筋骨隆々の兵士長に向け、空から降り注いで迫るような毒針。こちらも跳んで退がることで回避するという、大きな体に似合わぬ身のこなしだ。撤退命令を発したネブラが地上に再び近付いて、年の近い革命軍の佐官格の者達とともに、ホウライ城の最終防衛線と対峙する。


「さあ、ザーム君! 最後の仕事だ!」


「おぉ、わかってら! しんがり戦だ、やってやる!」


 消耗した兵ではもはや、ホウライ城を墜とすことは出来ぬと判断したネブラ。侵略戦争はここまでだ。夢半ば、この手でホウライの牙城を突き崩すという大願を諦めた将は、未だ命ある友軍が退却を叶えられるよう、最後の戦いへと踏み出している。しんがりを務める兵力は極めて希薄、ザームとネブラ、そして革命軍の中でも上位の実力を持つ兵少数で最終布陣を構え、部下を追撃し得る天人達を迎え撃つ。


「来るぞ! 追い詰められた鼠の恐ろしさを侮るな! ホウライ城を守り抜け!」


 決して最後まで驕らない兵士長の言葉に導かれ、ザーム達含む小隊に向けて突撃する天人達。遠き西の山へと陽が沈む。戦争の終わりが近付いていることを象徴する太陽が、炎と瓦礫でいっぱいになった都を照らしている。

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