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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第11章  干ばつ【Insanity】
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第188話  ~怪物対決~



 既に勝負は決したと、この光景を見れば誰もがそう思うだろう。重々しい大戦斧を軽々と振り回すドラウトは、一度の反撃も許さぬほどの連続攻撃でクラウドに迫り、胸を張る姿勢も作れない傷だらけのクラウドは避け回るばかり。横一線の斧の一振りも、斜めに振り下ろされる一撃も、武器による攻撃の合間に挟まれるドラウトの蹴りも、すべてがクラウドにとってはかろうじてのぎりぎり回避。時が経つにつれ、回避したクラウドの肌とドラウトの武器の間隔はいよいよ極小にまで縮まり、万物を割り砕く斧がクラウドの体をかすめた瞬間も増えている。


「んっ、ぐ……!」


「終わりだ……!」


 ドラウトの斧が振り下ろされた一撃を後ろ跳びに回避したクラウドだが、斧が砕いた石畳の破片が、不幸にもクラウドの目の上にぶつかった。破片は大きくクラウドが怯むのは当然、その隙を見逃さないドラウトが、勝負を決める一撃を放つ。クラウドの体を上下真っ二つにする、大戦斧のフルスイングが襲いかかる一方、逃げ遅れたクラウドには、もはやこれを回避する手立てが無い。


 それでも手甲を構え、頑強な膝当てで包んだ片膝を引き上げたクラウドが、金属部分を盾にして受けただけでも卓越した技量である。しかし、ドラウトの破壊的なパワーは、激突点のクラウドの拳と膝に壮烈なダメージを与え、しかもクラウドの体を力任せに殴り飛ばす。真横からの激突事故のようなエネルギーで吹っ飛ばされるクラウドが、左半身で建物の壁に叩きつけられた瞬間、彼の体と左肩を貫く衝撃は洒落になっていない。二階から飛び降りたような速度で、受身も取れない左半身の側面を壁にぶつけた一事は、それだけで人を戦闘不能にして当然のものだ。


 弾性のないはずの石壁から鈍く離れて地に落ちるクラウドは、両足で地面に着地するも、立姿勢を作れずにうずくまりかける。しかし背中を丸める暇もないほど、すぐに接近してくるドラウトの追走は速い。完全に動きが止まったと見えたクラウド目がけ、大戦斧のフルスイングを放ってくるドラウト。決死の脚力を搾り出して前に跳ぶクラウドが、かろうじてこの攻撃を回避することに成功。ドラウトの斧はクラウドがぶつかってひび割れた壁に食いつき、大穴を開けるとともに凄まじい衝撃により、建物自体すらも傾かせる始末。ドラウトの何を最も恐れるべきかって、かわされた瞬間から既に目はクラウドを追っており、跳んで逃れたクラウドに向けて駆けだした末、地に足が着く前の彼をもう射程圏内に捉えていることだ。


「っ……う゛ぅあっ……!」


「グヌ……!」


 自らの顔の高さに浮いたクラウド目がけて、戦斧を振り抜いたドラウトにとって、これは完全に勝負あったと思えていた。自ら首を引いて体を回し、同時に体を強くひねったクラウドが、頭を下にしたまま伸ばした脚を振り返してきたのだから、つくづくこいつの身のこなしは想像を超えている。クラウドの振るった脚は、防具を纏った膝で的確にドラウトの武器を迎撃し、結果的にまたクラウドは怪力任せに吹っ飛ばされるが、武器を真っ向から打ち返されたドラウトも、その衝撃で手がひどく痺れている。


 吹っ飛ばされたクラウドが地面に叩きつけられて、がつんがつんと二度跳ねた末に、ドラウトから離れた場所で手足を下にした。足と掌で地面を引っかいてのブレーキ、そうして踏み止まったクラウドが、離れた場所から駆け迫るドラウトに、見上げるように睨み返す眼差しを取り戻すのもすぐ。ずたずたの体、苦悶を隠すことも出来ない眼でありながら、未だ闘志を微塵も失わぬその瞳には、それだけで敵を慄かせるほどの覇気がある。相手がドラウトでなければ、この眼力だけで牽制の意味を為すのに。


 怯まぬドラウトが戦斧を振り下ろす。ぐっと右拳を握り締めたクラウドが、四速歩行の動物のような低姿勢から拳を殴り上げ、重力すら味方につけたドラウトの大斧に真っ向からぶつけ返してくる。雄牛頭の怪物が上から振り下ろす攻撃に、少年体躯の小さな拳が下から立ち向かうこの絵図、誰がどう見たってぶちりと少年が潰される結果しか予想できないはずだ。


 たとえ数千人がこの光景を同時に見たとしても、必勝の一撃をあの姿勢から殴り返されて、斧を叩き返されたドラウトの驚愕に勝る感情は抱けまい。まるで神の右手にいなされたかのように、振り降ろしたばかりの斧を真上にはじき返されたドラウトが、わずかにのけ反るのは異常にして当然。己が拳でドラウトの凶刃を退けることを信じて疑わなかった、あるいは為せねば(つい)と覚悟を決めていた少年は、すでに踏み出しドラウトの懐まで自身を導いている。この隙だけは絶対に見逃せなかった。


「ゴブ……ッ!?」


 地を蹴りゼロから矢の速度まで、一瞬で急加速度を得て突撃したクラウドの拳が、勢い任せにドラウトの腹部に突き刺さる。鋼の鎧に身を包んだドラウトの体に、それでダメージが通ると思えるだろうか。板金鎧の腹部に一撃でひびが入り、めしりとへこんだ鎧の奥まで、クラウドの激突による衝撃が貫通したのは、結果を見て初めてわかること。鎧の下も人外級の筋肉、そんなドラウトが鎧越しの拳に対して、目を見開いて肺の中のものを殆ど吐き出すほど、クラウドの一撃は痛烈だった。


「ぬうっ、らあ゛っ……!」


「げァ……!」


 重すぎるドラウトの全身すらも、クラウドの攻撃が一歩退かせ、それによって生じた間合いをクラウドは見逃さない。斧を迎撃して中身までやばい右拳、鉄壁じみたドラウトの腹を殴りつけた直後で痺れる左拳、いずれも使えぬ一瞬でクラウドが選んだ最善手は、振り上げた回し蹴りでドラウトの腹に追い討ちをかけること。へこんだ鎧にさらに突き刺さったその一撃は、化け物じみた姿のドラウトの目が、人のそれに一瞬戻るほど壮絶。拳以上のパワーでドラウトの急所に届いたそれが、雄牛の怪物を4,5歩後退させ、重心の下がりきったドラウトの体は、そのまま腰砕けに地面に倒れる寸前だった。


 それでも頭を引き、ぐんと体を前に傾けて踏み止まるのがドラウトだ。しかも、そうして前傾姿勢へと移る中、苦し紛れにでもクラウドの頭上から、戦斧の刃を振り下ろす一撃を放ってくるのだから油断も隙も無い。苦しい表情を改められぬまま、後方に飛び退くクラウドだが、あくまで急遽の反撃だったためにまだ避けやすかった方。斧先を地面に突き刺したまま、長い武器を杖代わりにして立ち堪えるドラウトと、手にかけるものもなく今にも倒れそうなクラウドが、背中を丸めた者同士で睨み合う。


「グ……げハッ……!」


「っ、ぐ……うう゛ぅ……!」


 双方つくづく、敵の化け物具合だけで心がやられそうだ。右拳を半ば犠牲にし、決死の連撃を叩き込んでなお倒れてもくれぬドラウトに、余力のないクラウドは苦痛に呻く声も抑えられない。対するドラウトも、想定以上のさらに上を地で行くクラウドの実力には、もはや形容に適した言葉すら思い浮かべられない。古き血を流す者ブラッディ・エンシェントとしての力を究極の形で体現した、獣人たるこの姿で全力を発揮したドラウトに、魔術も使わずダメージを与えてきた者など一人もいなかったのだ。肉弾戦では苦戦すら知らぬ数年間、そんなドラウトの歴史を覆すクラウドには、無敗の怪物とて勝ち負けを意識せずにはいられない。


 120%の力を振り絞って、ようやく勝利の可能性を掴める相手。もはや格上に対する意識にも近いそれを、ドラウトははっきりと言葉にして脳裏に刻み付けた。クラウドは初めからそう。優勢も劣勢も無い、純然たる底力比べの次元にまで達した二人が、ぜぁと同時に強く息を吐く。一方的に少年をいたぶっていた怪物将軍の構図が解消され、双方が等しく命の危機に瀕する境地にまでついに達している。


 ほんの一瞬踏み出すのが速かったドラウトが、自分のペースで素早く間合いを詰める。あまりにも速く放たれた大戦斧の一振りも、実力差を感じない今では単調な一撃ですらあった。その一撃を皮切りに、クラウドがどう動くかによって、次のドラウトの行動が決まっていく、そんな初撃であったのだが。


 小さく跳んだクラウドがドラウトの斧を跳び越える動きに入ったのはまだいい、まさか足の下を通過する瞬間の斧の側面を蹴り、そこからもう一発の跳躍を果たすなんて誰が予想できようか。ドラウトの斧が僅かに下方向へ押しをくらい、手元が狂わされたその一瞬が、顔面めがけて跳んでくるクラウドへの対応を遅らせる。それでも先ほど跳び膝蹴りを放たれた残影があったのか、素早く頭を静めて回避しようとしただけでも流石ではあった。


 クラウドの狙いは違う、雄牛頭のドラウトの長い角を掴み、鉄棒にしがみつくように体を大回転。それによって、ドラウトの頭のすぐそばで体を回したクラウドの足先が、遠心力任せにドラウトの鼻を蹴り砕いた。音がした、骨が粉砕される鈍いそれが。のけ反るドラウト、蹴った拍子に手を離したクラウド。相手がドラウトでなければ今ので終わっていたのに、と言える根拠は、これほど致命的な一撃を受けてなお光を失わなかったドラウトの眼が、ぎょろりと至近距離のクラウドを睨みつけてきたことだ。


「え゛が、っ……!?」


 この最短時間で頭突きを振り下ろしてきたドラウトに対しては、交差させた腕で石頭を防ぐことしかクラウドに選択肢はなかった。大金槌で殴られたような重みだ。みしみし鳴る腕の痛みに、悲鳴に近い声を漏らしながら、斜方下向きに吹っ飛ばされるクラウドは、背中から地面に叩きつけられた上に頭を持っていかれ、後頭部を石畳に打ちつけることに。そんな落ち方をしたというのに、衝撃が逃げ切らず、一度弾んで浮いた体がさらにドラウトから離れる方向に流れるのだから、余程のインパクトで叩きつけられているということだ。


「むゥ……ア゛……!」


 目の前に星が散る中でも、かすかに、しかし確かに視認できるクラウドに、二歩踏み出して斧を振り下ろすドラウト。跳ねて地面に転がった際、胸が下になったのは幸いだったクラウドが、両手足で地面を押して、蛙跳びの体勢で後退したのが間に合う。地面が粉々に粉砕される結果を見るたびに、クラウドとて防御せずにあれを受ければ、ひと繋がりの体でいられるはずがないのだ。


 すぐさま立姿勢まで持っていったクラウドだが、激しく動いた頭が頭蓋骨の中身を揺るがし、一瞬クラウドを前後不覚に陥らせた。頭を強打した直後なら、誰しも必ず陥る症状だ。気持ち悪いほどぐにゃりと目の前の光景が歪んだクラウドに、引いた斧と踏み出した大きな一歩で仕切り直したドラウトが、すでに勝負手の一撃を放っている。勝利に貪欲、容赦なき一撃。斜めに振り下ろされる斧の一撃をクラウドが認識する頃には、既に動いてかわせる状況ではないほど、ドラウトの斧がクラウドのすぐ斜め上まで到達している。


 クラウドの中で、この一瞬、世界すべての時間が止まったように感じられたのは何故か。死の直前に感じると言われる停止世界のそれか。それとも彼の中で騒ぐ血が、極限級のコンセントレーションまでクラウドの精神を運び行かせたのか。がむしゃらに、もはや思考も挟まずに、両手を振り上げていたクラウドの行動は、確定した死の中で動けぬ少年のそれではない。手首を重ね、手甲に包まれた手の甲二つを合わせ、それを一枚の盾のようにしてドラウトの斧を防ごうとする、その行動の結果が、最強の矛と盾の激突を現実のものとする。


「グゥ、オ……!」


「あっ、かっ……! くう、ああ゛ぁ……!」


 この姿に変わっての、渾身全力のパワーで以ってなお、クラウドの体は潰れてくれなかったのだ。潰せないものを全力で殴れば、当然その反動とて凄まじい。ドラウトが奥歯を強く噛み、苦悶に近い表情を浮かべたのは、その反動で自分の腕さえもが壊れそうになる実感があったから。対するクラウドを貫くダメージはもっと深刻だ。高所からの落盤にすら勝る、ドラウトの凄まじく重い一撃が、クラウドの足に接する地面の二点をべこりと砕く光景は今日二度目。そのたび体を貫通していく衝撃により、腕は当然こらえる腰まで、中身から砕かれそうになるクラウドへのダメージは計り知れない。


 忘れるな、思い出せ、こいつに負けちゃいけないことを。罪も無い、戦う力もない人があれだけ怯えていた家を、力任せに倒壊させ、命を奪おうとした出来事をほんの少し前に見たばかりではないか。譲ってはならない、こんな奴に。ここでこいつを破らねば、また何人もの人が戦いに巻き込まれて死んでいくのだ。クラウドの怒りにさらなる火をつけ、それを触媒に血を騒がせた先刻の記憶を掘り返すクラウドが、心身ともに折れて当然のはずのダメージを超越し、一瞬で鋭い眼差しを取り返した顔をぐいっと持ち上げる。


「ヌ゛……!?」


「ぜえっ、りゃあっ!」


 クラウドの速き行動にはドラウトも対応できなかった。素早く長い斧の柄を両手で掴みに行き、万力にも勝る力でぐっと引いたのだ。武器を奪われるかと思ったドラウトが対抗腕力を込めるのは当然、斧は揺るがなかった。動いたのはクラウドの方、不動の鉄棒を引いて自ら身を引き寄せるようにしながら、膝を振り上げたクラウドが、細身の人間の腕ほどの太さのある、大戦斧の柄を蹴り砕いた。


 そう、砕いたのだ。ドラウトの大戦斧の頭、あらゆるものを潰すか真っ二つにしてきた刃の部分が、砕かれ折れた柄からお別れの瞬間を迎えた。唐突に軽くなった武器を、引く力そのままであったドラウトが、後方によろめいたのは精神的な衝撃も大きい。地に足を着けた瞬間のクラウドは、もう前進に向けて地面を蹴りだしている。ドラウトは見た、この時のクラウドの鬼気迫る表情を。開いた口の奥に見える牙も、瞳孔の開いた目も、何より歴戦のドラウトでさえ、その眼力で怯みかけるような凄まじい威迫感もだ。


「ごブ……!」


 そして入った、振り上げられたクラウドの足先がドラウトの顎元に。岩石をも砕く威力を孕んだつま先蹴りは、雄牛の怪物の口を光の速度で閉じさせ、噛み合わせをさせた瞬間に口内の歯さえ軽く砕いた。舌を噛まなかったことがドラウトにとっての唯一の幸運、されど馬脚に蹴飛ばされる以上のパワーで顎を蹴り上げられたドラウトが、いかに怪物的な肉体を持っていようと、この一撃の前に意識を飛ばさずには

いられない。


 意識が飛んだのも一瞬だけ、背中から倒れるはずだったところをすぐに脚を引き、倒れず踏ん張っただけでも充分に化け物。それが、着地したクラウドの前に残った大きな的。拳を引いたクラウドが、ぎしりと歯をくいしばった瞬間に、咄嗟に何かを為せるドラウトでなかった時点で勝負は決まっていた。


「っ、らあ゛っ!!」


 無骨に、愚直に、精一杯に。全力の拳を振り抜いたクラウドの一撃が、砕けかけたドラウトの鎧、その腹部に激突する。この一撃がひび割れた鎧をついに粉砕し、さらにはそれに留まらず、ドラウトの巨体を後方まで吹っ飛ばす。自分よりも大きな人間を、力任せに吹っ飛ばすクラウドの鉄拳が、建物の壁にドラウトを激突させる結果に繋げていくのだ。超重量の塊であるドラウトが建物にぶつかった衝撃は、さながら土砂崩れに紛れた大岩が建造物に直撃するかのよう。脆くもない石壁が一発で砕かれ、壁の向こう側にドラウトが消えた末、二階建ての建物が致命的なダメージを受けた結果、びしびしと割れて崩れ落ちていく結末を迎える。


 崩れた建物、瓦礫の山に生き埋めにされていくドラウト。追い迫ろうとして顔を上げたクラウドだが、一歩目を踏み出そうとした瞬間に、ぷつんと体の何かが切れたように膝から崩れ落ちる。つまづいて転ぶような形こそ免れたものの、片膝立ちで地面に手を着く姿勢に至り、それを改めることが出来なかった。顔を上げて前を向いても、脚を進めることが出来ない。ぼろぼろの体を次々にいじめ抜いてきた結果、クラウドの体とて真に迫る限界を迎えかけている。


「はっ……はあ……っ……」


 死にかけ、って、きっとこんな状態のことを言うのだろう。目の前の世界がぐにゃぐにゃに歪み、痛みを超えて異物感まみれのような体内が、吐き気すら催すいやな心地を全身に訴えてくる。瓦礫の山の中に埋もれたドラウトの遠方光景から目を離せない、目線はそれを向いていても焦点が合わない。壮烈な打撃を続けざまに受けた直後、砕けた建物の下敷きにされたドラウトとて、はっきり言って終わったようなものである。この闘いは、もはやクラウドの勝利によって幕を閉じたと言っていい。


 それでも苦しみの渦中におかれたクラウドは、倒れないようにするのが精一杯で、心も身体も文字通りへし折れそうの一言であった。現実は勝利の確定であっても、怪物的な敵の強さを見た直後、どこまで行っても安心など出来やしない。ドラウトを追えない、体が動かない、前を見ることが出来ているのかも怪しい。体よ動けと必死で心の中で叫ぶクラウドは、勝利してなお安らぎとは程遠い世界の中にいた。











発火(イグニス)岩弾(ルペス)発火(イグニス)樹刺(ラームス)……」


「くっ、あっ……! はっ、はあっ……!」


「んんん、っ……!」


 両腕を操る仕草とともにあらゆる地術を行使するセシュレスが、一歩も動かず二人の狩猟対象を追い詰める。地面から噴き出す炎や、セシュレスの掌を発射点とする岩石弾丸、壁面から唐突に突き出して串刺しにしようとしてくる尖った太い枝など、あらゆる方向からファインとレインを狙ってくるのだ。制限されたバトルフィールドで、目まぐるしく駆けて跳ねてを繰り返す二人には、一瞬たりとも立ち止まる暇が無い。


岩壁(ブロック)


「んぐ……っ!」


 極めて不規則に跳ね回るレインは、壁と地面を蹴って敵の目を撹乱したのち、ある瞬間に真っ直ぐセシュレスへ突撃だ。逃げ回るばかりの動きから唐突に攻撃へと転化、そんな急襲にもセシュレスはしっかり対応し、側面方向から迫ったレインの前に岩石の壁を生じさせて防御。セシュレスを蹴るために引いていた足を、やむなく咄嗟に突き出して、岩壁を蹴る形で後方に跳ね返っていくレインは、攻めきれずに退かされた形に過ぎない。


「地術、噴熱炎柱(アースエルツィオーネ)……!」


「地術、影縫い楔(ダークウェッジ)


 セシュレスがレインへの対応に一瞬の意識を割かれた瞬間に、素早く駆けていた姿勢を一気に沈め、靴の裏でブレーキをかけながら地に掌を当てたファイン。そこから地を這う魔力を発し、セシュレスの足元まで駆けさせ、敵の足元から火柱を噴出させる魔術攻撃だったのだ。しかし、振るった掌から真っ黒な(くさび)らしきものを発したセシュレスが、自分からやや離れた地面にそれを突き刺した瞬間から、地を這う魔力はそれに引き寄せられる。結果、セシュレスの黒い楔が突き刺さった地面から火柱が発し、派手な攻撃もセシュレスに全く傷を与えられない不発に終わってしまう。


 不敵に笑うセシュレスが両手を左右に広げた瞬間、ファインとレインの立つ二点、そのすぐそばの地面から4本の植物が石畳を破って突き出てくる。緑色の太い茎のようなそれ、しかしそれらは先端に鋭いトゲを持ち、鞭のように曲がって獲物を突き刺そうとする。ファインとレイン、それぞれの四方すぐそばから放たれる刺突の植物を、二人はぞっとしながら跳んで回避。レインは植物らの間を矢のような速度ですり抜け、ファインは上方に跳んで建物の壁面へと向かい、それを蹴って別の地面に着地する。二人とも、セシュレスから離れた地面に足を着けて止まり、息を切らしながら次の手に迷わされる。


「老いたこの目には追うだけでも疲れるよ」


 体力を奪われつつある二人を左右斜方に見届けながら、口ぶりとは裏腹に余裕の笑みを浮かべるセシュレス。身体能力には優れるものの、幼いがゆえに体力に限界のあるレインには、緊張感を絶やさずに逃げ回らされる数分間がかなり効いている。一方ファインも、体は人並みながらも風と水の魔力を駆使し、地を蹴る脚に力と緩衝の魔力を備える形で、本来の能力以上の速度でセシュレスの攻撃を凌ぎ続けて来た。サニーが得意とした身体能力を補う魔力の使い方だ。しかし、普段は使わず慣れていないそれを行使し続けているだけでも、ファインにとっては魔力の消費が著しい。彼女自身も、このままではじり貧だと、焦りが出ている頃合いだ。


 対するセシュレスは壁を背に、全く動かず遠隔攻撃だけで二人を疲れさせている形。後方からの攻撃を気にする必要がないため、迫撃に対しては対応も容易く、あるいはファインが思わぬ方向から魔術で狙撃しようとも、敵の魔力にさえ引力をはたらかせる闇の魔術で凌ぐすべも持ち合わせている。動かずに戦えるから体力の消費は殆ど無く、大技めいた魔術も使わぬため魔力の消費も少ない。時が経つにつれて若者の体力が一方的に奪われ、年老いたセシュレスは息ひとつ乱していない。


「そろそろ、終わりにさせて貰いたいところだ」


「来ますよ、レインちゃんっ……!」


「っ……!」


 息切れする中でも声を発するファインに導かれ、セシュレスの発した魔術の発動より早くレインが地を蹴る。ファインも同様、二人の立っていた地面から噴き出す火柱は凄まじく、動かずにいたら致命傷だっただろう。危うく回避した二人の肌がちりつく中、セシュレスの次の魔術は既に発動している。


「天魔、避雷人(マグネエクレール)


「え……!?」


 狙われたのはファイン、セシュレスが最も厄介視している方。着地した瞬間のファイン周囲に発生した雷撃の魔力多数には、思わずファインも驚愕のあまり身動きが取れなくなった。そんな彼女の惑いなど気にもかけず、それらの魔力が発した稲妻は、四方八方からファインを狙い撃ちにする。


「お姉ちゃん!?」


「くっ……が……!」


「さあ、フィニッシュだ」


 背を丸めて頭を両腕で庇うようにし、全身を雷属性の魔力で包んだファインが、全方位からの雷撃に対する抵抗力を纏ったのは素早かった。突然の、あまりの予想外の出来事に対し、それが出来ただけでも見事だとセシュレスも一瞬感じた局面だ。だからこそ容赦なく、寸分の間もおかず地を這う魔力を発し、ファインへとどめの魔術を発射する。


「あ゛、う……!」


 セシュレスが発したのは、ファインの足元から突き出る岩石の槍で、彼女の顔面を突き砕く残忍な一撃。しかしファインも、その魔力はいち早く察知していたようで、自らしゃがんで地面に手を当て、すぐそばに迫った土属性の魔力に対し、望みどおりのことを叶えさせぬための同色の魔力を注ぎ込む。結果が変わる。ファインの足元の地面から突き上げられるはずだった石槍は、ファインの魔力によって鋭い形を失わされ、しかしごり押すように地表突出の魔力を一気に注ぎ込んだセシュレスが、ファインの立つ場所を一気にせり上げた。


 せり上げる高さはたいしたものではないが、速度が問題。地面に押し出されるようにして上空に跳ね上げられたファインは、稲妻の集中砲火領域内から追い出される。それは彼女にとって良いことでもなんでもない。上空には、強い粘性を持つセシュレスの糸が蜘蛛の巣の形に張り巡らされており、放り投げられたようにそこへ飛ばされたファインが、背中から蜘蛛の巣にぶつかってしまう。


「うっ、あっ……! ああっ……!」


「邪魔はしないで貰うぞ?」


「お姉ちゃ……っ!?」


 蜘蛛の巣に背を捕えられ、ほぼ大の字の形で手足もろくに動かせないファインが危機感に青ざめる中、まずセシュレスが狙うのはレインだ。発した火球でレインを狙撃し、後退して逃れた彼女の立っていた地面にそれが着弾した瞬間、その一点から発せられる火柱。セシュレスとレインの間を阻む火柱が、今からファインに必中打を放とうとするセシュレスを、レインが妨害できない構図を完成させる。これですべてが整った。


 セシュレスから目の離せないファインは、自らの背後上空に、既に魔力が集まっていることに気付いているだろうか。動けない、狙い撃ちにされる、何が来る? セシュレスの方からどんな狙撃魔術が放たれるのかを恐れるファインの心の隙を、セシュレスは的確に見抜いて最善手を導いている。


「天魔、雷神の鉄槌(トールクラーク)


「は……」


 寒気を感じたその直後、ファインの上天から真っ直ぐに落ちた稲妻が、彼女の心臓を撃ち抜いた。光は一瞬、その一瞬にして稲妻はファインの全身に途方もない電圧をもたらす。ファインの体に纏わりついていた蜘蛛の糸が、一瞬で焼き焦がされて破れたのがその証拠。悲鳴すら発することもなく、光が消えたその瞬間に全身を真っ黒にしたファインの姿は、目にした瞬間のレインの心臓を止めかけるほどに凄惨。


 自身を捕えていたものが消えたことにより、ぐらりと無防備な体勢で地面に吸い寄せられるファイン。翼をもがれた鳥のようになすすべなく、落ちた稲妻によって粉砕された地面に向け、糸の切れた人形のような姿の少女が墜落していった。

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