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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第11章  干ばつ【Insanity】
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第187話  ~ドラウトVSクラウド~



 両者のやりとりは極めて単純だ。クラウドの首を断つ斧の一振りを放つドラウト、かがんでかわすクラウド。返す刃で低姿勢のクラウドをぶった切ろうとしてくる斧の往復スイング、それをクラウドは最小限に跳んで回避。跳び越えて、地に足を着けた瞬間には、既に距離を詰めてきたドラウトが、斧の柄の端でクラウドの側頭部を殴りつける一撃を放っている。後ろに跳ぶのと顔を逸らす、二つの行動併せてぎりぎりかわしたクラウドだが、またも着地の瞬間には頭上から、クラウドを頭から真っ二つにする斧が振り下ろされている。真っ向から防げるわけがない、横っ跳びに回避することしかクラウドに選択肢はない。


 とにかくドラウトの連続攻撃は速すぎるのだ。リーチの長い武器でありながら、まるで近距離戦のような攻撃速度、クラウドからすれば手の届きようがない距離から攻められ、しかも回避で精一杯。戦闘開始からのここまでで、ドラウトに触れられる距離まで近付けた記憶が無い。反撃が出来ているかどうか以前の問題である。攻め込めない、逃げ回るばかり、体力ばかりが削がれていく。このままでは絵に描いたようなじり貧。


 けさ切りに振り下ろされる斧を、クラウドは必要以上に大きく後方へと跳び退いてかわし、一度ドラウトから距離を作る。勇猛なるドラウトが迷わず距離を詰めてくるのは予想どおり。クラウドも敵の踏み出しと同時に、前に向かって駆け出すのだ。正面衝突し合う方向に両者が駆ける、それによってクラウドとの距離が急速に縮まっても、ドラウトの間合い取りは狂わない。双方駆け迫り合う中で、寸分違わずクラウドの首を断つ斧の刃をフルスイングするドラウトには、緩急を活かして間を狂わせる小細工も通用しないということだ。


 クラウドの狙いはドラウトの渾身の一撃を、突き上げた拳で殴り上げることにあった。身をよじらせながら突き上げられたクラウドの拳が、ドラウトの斧の側面を捕え、クラウドの首を狙っていた刃を大きく上方に逸らさせる。自らの武器に引っ張られるように、体勢の上ずったドラウトの懐へ、止まらず飛び込んでいくクラウド。敵を射程距離に捕えた瞬間、旋風のように高速で体をひねるクラウドの足先は、鋭い回し蹴りとしてドラウトの腹部へと差し迫る。普通だったら確実に直撃させられていたはずの攻撃だ。


 右足で後方へ跳ぶステップを踏みながら、振り上げた左の膝でクラウドの足を蹴り上げるドラウトの反射神経は、到底自らの武器をはじかれた直後の動きとは思えない。ドラウトの豪脚を内に擁した鋼の膝当ては、鉄の塊と形容するにも値するほど硬く重く、回し蹴りを叩き上げられたクラウドには壮絶な痛みを伴わせた。右足軸で地に立っていた体勢を、左足を叩き上げられたことで大きく崩れかけたクラウドだが、彼から僅かに距離を作ったドラウトの武器は、既に持ち主によって刃を上方に掲げられている。


 片足跳びの小さなステップを踏んで体勢を持ち直した直後のクラウドに、頭上から振り下ろされる戦斧。ドラウトによる、回避を許さぬ必殺の一撃だ。勝負手こそ切り返されれば致命的、かわせぬ最大の窮地に置かれたクラウドの戦闘勘は、ここが勝負の分かれ目だと正しく読み取った。


「ぎいっ、あ゛……!」


「ぐぬ……!」


 両の手甲を構えたクラウドが、ドラウトの大戦斧を受け止めた瞬間に生じた衝撃は、二人の耳が痛くなるほどの豪快な金属音が表すとおりに壮絶。重き斧と剛腕ドラウトの怪力の合力は、腕力と踏ん張りで耐えたクラウドの両足が着く地表の二点を、軽く陥没させたほど。刃に頭を割られぬように食い止め、重みに腰を砕かれて潰れぬよう踏ん張ったクラウドは、腕も腰も骨まで砕かれたんじゃないかという激痛に呻き声を漏らしている。それでも倒れていない、潰されていない、このことに驚愕したのは誰よりもドラウトだ。


 今まで自分の攻撃を真っ向から力だけで止めた奴なんていなかった、そんなドラウトにとっての初事象が一瞬彼の思考を停止させた瞬間、クラウドの動きは速かった。斧の刃のすぐ根元、ドラウトの戦斧の柄を両手で握っている。片目を閉じて息を吐く表情に激痛への忍耐を携え、見上げる形の強い眼差しであるクラウドと、再び尖るドラウトの視線がぶつかり合う。ここが勝負だ、ドラウトの武器を力任せに引き剥がしてやろうと握力を全開にし、ぐいっと引いたクラウドの凄まじい腕力が、僅かに斧を自らの方向へ引き寄せた。力を受けたドラウトも瞬時に引いて返し、無双の怪力二人の力が一本の武器をぎりぎりと震わせ合う。


「っ、む……! ぐぬうっ!」


 それでも力はドラウトの方が上、クラウドの体ごと振り回すつもりで、腕全体に力を込めたドラウトが、正真正銘全力の力で斧を引き振るった。だが、クラウドの勝負手はここからだ。一切張り合わず、ドラウトの全力が斧を取り返そうとしたその瞬間、ぱっと手を離したクラウド。肩透かしに全力で(から)の斧を引かされたドラウトは、過ぎた自分の力に振り回される形で、体をひねるような形で上体を逸らしてしまう。


 ドラウトの横っ腹が目の前に見えた瞬間こそが、クラウドが地を蹴る最善のタイミング。鎧を破って奥までダメージを与えられるか、それもやってみてから考えればいい。ドラウトのボディに拳を突き刺す勝負手へ、踏み出し一気に距離を詰めたクラウドの行動は、間違いなく怯んだ敵の隙を突ける最善手のはずだった。


「は……!?」


 まずいと思った瞬間が既に地を蹴った後、もう遅かった。体をひねる形で身を逸らせたドラウトが、回る体の動きに合わせて片足を振り上げ、後ろ蹴りを返してくる初期動作は見えたのだ。既に地を離れていたクラウドにはもう、回避する手立てがなかった。気付けただけでもまだましか、攻撃のために使うつもりだった手甲を胸の前に交差させた瞬間のクラウドに、鋼のブーツを纏ったドラウトの巨大な足が激突した。


 片や手応えあり、片や致命傷の自覚。ドラウトの痛烈なカウンターを受けたクラウドは、なすすべなく後方へと叩き飛ばされる。腕とドラウトの足が激突した瞬間に、両手が無くなるかのような嫌な実感を受け、さらには後方の民家へと一直線。人の体があり得ぬような速度で吹っ飛ばされ、民家の二階の窓に背中から叩きつけられる光景に、ドラウトは小さく舌打ちだ。確実に深手を負わせることが出来た実感があったのは結構なことだが、窓を突き破って民家の中へと消えてしまったクラウドを、一度視界内から失ってしまったからである。あれは見過ごさず、確実に仕留めたい相手なのだ。


「勢い余ったか……だが、逃がしはせんぞ……!」


 闘争意欲をさらに高める目。敵が弱った時にこそ、傲慢よりもさらなる奮起を得てこそ狩猟者だ。断じて手を緩めてなるかと鼻息を荒くしたドラウトの殺意が、いよいよクラウドを死の際に追い詰めようとしている。






「はっ……はあっ……」


 民家の床に額を当てたまま、クラウドもすぐには立ち上がれなかった。窓を突き破り、家具に背中を叩きつけ、それを砕いた末に床にぼとりと落ちた際に、受身を取れたかどうかも半々。うつ伏せの状態から体を起こすため、床を押すための両腕にも殆ど力が入らない。ドラウトの豪脚を受け止めたクラウドの腕は、敵の足に纏われた金属との衝撃こそ手甲に当てていたものの、その時の衝撃によって腕全体の中身を厳しく引き裂いている。


 それでも駄目だ、立たなくては。床に掌を当てた両腕、動かすだけで悲鳴をあげるそれに渾身の力を込め、胸を浮かせて膝を引く。両腕の力、体を支える脚、起こす上体。すべての力を合わせて体を起き上がらせるクラウドだが、そんな中でがくがくと震えた全身は、もはや今の彼の限界を超えているのかもしれない。


「ひ……!」


 その声を上げたのはクラウドではない。片膝立ちで背を丸めるクラウドの視界の端、部屋の隅で小さくなっていた二人の片方が、立ち上がったクラウドを見て声を漏らしたのだ。満身創痍の切羽詰った状況、僅かな物音にも神経の張るクラウドが思わず振り向いたその先には、若き母とその腕に抱かれた幼い女の子が、共に震えている。


「あ、あぁ……ごめんなさい、怖がらせて……すぐ、出ていきますんで、っ……」


 余裕があるわけでもなんでもない、だが、なんとなく力の無い笑いは出た。誰かを怖がらせるつもりでこんな状況に追いやられたわけではないが、それでもあんな目で見られると、そんな表情とこんな言葉が出るのは性格の問題だろう。はあっと苦しい息を吐き、なんとか立ち上がるクラウド。自分の姿を見て怯える民間人を尻目に、クラウドは戦線に復帰すべく歯を食いしばる。


「っ……!?」


「きゃあああっ!?」


 直後、せっかく立ち上がったばかりのクラウドも腰砕けに倒れそうになるほどの激震が、小さな民家の一室を襲った。咄嗟に重心を落として脚を引いて、踏ん張ったからこそ転ばされなかったが、凄まじい揺れだ。まるで一階の壁に猛牛でもぶつかってきたかのような衝撃が、家そのものを揺らしたこの一事には、がたがた震えていた母の腕の中で、小さな女の子が悲鳴を上げるのも当然である。


「やば、い……!」


 とどめだ、という家の外で放たれた重い声を、クラウドが耳に出来たわけではない。だが、二階のここと屋外という距離を隔ててでも感じられた濃厚な殺意は、次に何が起こるのかをクラウドに予感させた。未だ揺れていた部屋、クラウドが部屋の隅の二人に駆け寄る、その瞬間に発生したさらなる揺れ。民家の主軸が破壊的な大斧に砕かれたような、そんな振動を皮切りに、部屋そのものがぐらりと傾いた。家そのものが自身を支える何かを致命的に失い、今から崩れ落ちようとしているのだ。


 何がそうさせたのかを想像できなくても、家屋そのものの倒壊を予感してならなかったクラウドが、娘を抱く母の肩を握り、強引に体勢を持ち上げさせる。少年の体躯からは想像できないパワーに立たされた大人を、戸惑う暇も与えずに胴を抱く形で抱え込むクラウド。二人まとめて担いで浮かせる、部屋の傾きが大きくなる、家屋そのものが倒れていく。今しがた自分が破ってきた窓に向けて駆け出したクラウドが、張り物の無くなった出口に向かって床を蹴り、崩れゆく建物から間一髪で体を外に逃がした。






「そこか……!」


 家屋ひとつを倒壊させた直後のドラウトが、ある気配を感じ取ったその瞬間、ある方向へと体を向き直して動きだす。家の窓から飛び出したクラウドの姿を目にすることが出来たわけではないが、ドラウトの指定戦場下と看做されて、敵兵も味方も近付かない閑散とした街の中、確かに動く何かの気配を察知することが出来たのだ。崩れ落ちた民家の瓦礫をまたぎ、駆けず足早に狩猟対象に近付くドラウトの足取りは、的確にクラウドへと向かっている。


「――早く!」


 99パーセントの確信が100に変わったのは、怒鳴るようなクラウドの声を前方から耳にした時だ。ちょうどその時が、家屋の倒壊によって立ち込めていた粉塵の向こう側に、クラウドの後ろ姿を視認した瞬間。いくらか離れた前方にて、何かを見下ろすように下を向くクラウドの背中を見て、ドラウトが斧を握る手に力を込める。


 クラウドの前方に、おぼつかない足取りで逃げていく女の姿が見えた。崩れ行く家屋の中から救出した親子が怯えたままの姿に、もっと恐ろしい敵が近付いているから早く逃げてくれと訴えていた、クラウドの数秒前をドラウトは知らない。だが、三文字を大声で叫んだクラウドの言葉から補う限り、恐怖に体をすくませていた民間人を一喝し、気迫で押して逃げさせたクラウドの今を想像することは出来た。


 腕に抱いた我が子は当然、大人である母も泣きながら逃げていく後ろ姿を見送るクラウドは、離れた背後から近付くドラウトに振り返らない。ドラウトも急がない。今のクラウドがどういう状態であるのかを、近付く数秒間で見極めようとする。肩を上下させて呼吸する姿から、ダメージを与えられたと判断することが出来たのは収穫、前向きなことである。


「おい」


 あと十歩でクラウドと同じ場所に立てるという距離の場所で、ドラウトがその足を止めた。振り返らずして発されたクラウドの声は低く、重く、大男のドラウトにさえ、そうさせるものだったのだ。自身が優勢な状況にあるという事実は正しく認識しながら、ドラウトが余裕を得られぬ想いに駆られたのも、その声の重みに端を発している。


 腰の横に垂らしていた掌をぎゅうっと握るクラウドの挙動は、離れた位置からでもその拳にどれほどの力が込められているのかわかったほどだ。握った瞬間にぶるりと震えた拳、そして振り返ったクラウドの表情。顔立ちや、敵を睨み付ける目の鋭さなど、その表情に以前との変化は何もない。ドラウトが圧倒していた時間帯と何ら変わらぬはずの顔なのに、さらに濃度を増したクラウドの確かな怒気が、変化無き姿形の奥からも滲ませる覇気として沸き立っている。


 振り返ったクラウドがドラウトに向かって一歩目を踏み出した。二歩目、三歩目、その動きは極めてゆっくり。おい、と呼びかけた言葉に何かが続くわけでもなく、沈黙の接近。そうして近付いてくるクラウドを真正面から迎えるドラウトをして、この時間は何倍にも長く感じられたものだ。それはまるで、猛獣を前にして命の危機を感じた者が、死を予感してからの数秒間を異様に長く感じるそれに近い。


 来る。ドラウトの直感が、その短い警告を自らに強く打ち出した瞬間のことだ。


「ぬぐ、お……!?」


 消えた、現れた、触れていた。咄嗟に構えた大戦斧の柄に、クラウドの拳が突き刺さっていたのだ。長く太い大戦斧の柄は、一点突破の拳に対して盾相応のはたらきを見せたが、その激突の衝撃で思わずドラウトが片足を退けたほど。奇襲気味であったとはいえ、怪力無双にして不動の躯幹を持つはずのドラウトが、攻撃の重みだけで後退してしまうなど殆ど前例の無いことだ。そもそも、真正面からの特攻が奇襲にさえ感じられるほど、歴戦の彼が間を見誤りかけたこと自体が異常。


 さらに素早く一歩退がり、斧の刃をクラウドに振り下ろすドラウトの行動は速かった。だが、クラウドが後方に跳ねて回避し、人を斬れずに斧が地面を粉砕するだけの結果に留まる。石畳が砕かれてその破片が飛び散る中、眼前のそれにより小石を体にぶつけられるクラウドが、動じもせずに前のめりに構える姿がドラウトの目に映っている。


 長い戦斧一本ぶんの、近く離れた距離感で、ドラウトははっきりとクラウドの姿を視認した。荒い息をひとつ吐いたクラウド、その口の中にちらりと光った二つのそれは、ここまで優勢を信じて疑わなかったドラウトにも戦慄を覚えさせる。人の口の中に、あんなに目立つ長さの尖った牙があることなど、本来あり得ないことだ。


「いい加減にしろよ、くそ野郎……!」


 死神の声に聞こえた。その瞬間、残像を残すかのように地を蹴ったクラウドが一瞬で間近に現れ、反射的に構えられたドラウトの斧の柄を思いきり殴り上げてきたのだ。耐えられない、柄を握っていた両手ごと跳ね上げられる。さらに踏み込んで回し蹴りを振り上げてくるクラウドに対し、ドラウトは二歩ぶんの距離を稼ぐバックステップだ。そうしなければ、クラウドの足先で腹部を貫かれていただろう。


「化け物め……!」


 ドラウトも気圧されない。カウンターの斧先一閃、横殴りの刃でクラウドの頭をぶった斬ろうとする。変わらずの圧倒的な速度たるそれ、かがんで回避したクラウドへ追撃を差し向けるのもすぐ。踏み潰すような前蹴りを放ったドラウトに対し、ひゅっと消えるような速度で横っ跳びしたクラウドがそれをかわしている。地面を踏んだ瞬間、攻めねばまずいと感じたドラウトは正解だ。柄を手放してでも振るった裏拳でクラウドの頭を狙うが、それを後方に跳んでクラウドが回避する結果を促すことが出来た。こうしていなければ、すぐに距離を詰めたクラウドに、致命的な一撃をくらわされていた確信がある。


 クラウドの攻めを封じられたのはたったその一瞬だけ。次の瞬間、あっという間に至近距離まで迫ってきたクラウドの拳を、ドラウトが構えた柄で受け止める。退がるドラウト、またも放たれるクラウドの拳、それをまたドラウトが受ける。再び退がったドラウトを逃がさず、さらに踏み出すクラウドの拳が、あわやドラウトのボディに突き刺さるかという場面、柄を構えながら後退したドラウトの動きを総合し、それでやっと腹をあの拳に打ち抜かれず、防御しきって距離を作る結果に繋がる。


「ぐっ、ぬっ……! うむぅ……!」


 いくらドラウトが退がっても、それに伴い前進し続けるクラウドが、ドラウトに手が届く間合いを手放さない。放たれるのは拳の突き、体をひねって打ち出す蹴り、あるいは拳の裏を使っての棍棒のような一撃。それがドラウトの構えた柄に当たるたび、苦しい顔を少しずつ表面化させるのはドラウトの方だ。完全にクラウドが押し始めた構図が完成し、ドラウトの方が防戦一方になっているのはなぜか。クラウドの速度が目に見えて、先ほどまでとは一線を画すものになっているからだ。


「離れろ……!」


 劣勢は覆すべきもの、そのために反撃の斧を賭けめいてでも繰り出すドラウトだが、膝の高さを横殴りに駆けた斧先を、クラウドは跳躍して回避した。しかも、我が身を発射した方向はドラウトの頭めがけてだ。突き出した膝がドラウトの額を打ち抜かんとする、跳び膝蹴りの形で迫ったクラウドには、攻撃直後のドラウトも斧の動きに任せて身をひねる。ドラウトの頭があった場所をクラウドが通過し、少し離れた位置へと着地するクラウドの姿を、ドラウトも素早く向き直って確認している。極限まで集中力を高めた両者の目は、互いの瞳に一瞬で焦点を合わせている。


 二人が踏み出し突撃し合う姿はまるで合わせ鏡。離れた位置から距離を詰め合った二人が、再び互いを射程圏内に捉えるまで1秒すらかからない。斧を振り下ろしたドラウトの絶妙な距離感の一撃に、大振りの蹴りを放つクラウドがその斧を横殴りにし、頭を割りにきた斧に自らのすぐ横の地面を砕かせる。さらには蹴りを放つために回転させた体を止めず、追加半周させた体に任せて回し蹴りを放つ、クラウドの最速追撃が続く。


 武器の柄を握っていた左手を手放して、腹を狙って突き出されるクラウドの蹴りの前に構えたドラウトが、小手と自らの腕を盾代わりにして受け止める。歴戦の猛者もうめき声が溢れる重さ、押し出されるままに二歩退がるドラウト。その矢先、蹴りを放った直後のクラウドが体勢を整えた瞬間には、ドラウトの方が竜巻のような回転速度で身を回し、遠心力を乗せた蹴りを放ってくるのだからこちらも速い。かわしきれぬクラウドが腕を前に交差させ、今日二度目、ドラウトの痛烈な蹴りを受け止めて吹き飛ばされる。


「ここまでだ……!」


 手応えが違う、踏ん張りが違う、一度目の命中の時よりもクラウドの飛びが小さい。背後方向に飛ばされてドラウトから大きく離れるクラウドだが、空中でくるりと一回転して足を下にしようとする挙動からも、一度ぶっ飛ばされて窓を破った時と明らかにリアクションが、コンディションが異なる。当てた瞬間に手応えからドラウトも予想していたこと、信じ難くとも。だからクラウドが吹っ飛ばされていく姿に向け、彼が着地までまだかかるうちから、既にドラウトは敵に向けて猪突猛進に駆けだしている。


 駆ける中、いつの間にドラウトの姿が変容していたのかは定かではない。地面を砕いた際に跳ね上げられてた土煙を抜けた瞬間には、ドラウトの風貌は人のそれではなく、獅子のような巨体を持つ雄牛のそれに変わっていたからだ。地に足の触れた瞬間のクラウドの位置まで、雄牛ドラウトが到達するまでかかる時間は約1秒見込み。そうはならない、地に足を着けた瞬間のクラウドが踏み出した行動は、怪物化したドラウトに怯みもせず、前へと我が身を発射させる一蹴りだったからだ。


「ぐぅ、が……!」


「ぐモ……ヴ……!」


 身体の前進と共に突き出されたクラウドの右拳と、頭を下げて突撃したドラウトの額が激突した時、その衝撃が生じさせた世界への影響は並ならない。金属手甲と怪物石頭の鈍い激突音だけでも両者の耳を強く刺激するもので、莫大なエネルギーの衝突が生み出した余波は、大気すらびりつかせるもの。何よりも、民家ひとつを揺るがしたほどのドラウトの石頭突撃を、拳で真っ向迎え撃つ形にしたクラウドの右拳は、この激突によって中身までひび入らせられたものだ。対して、それほどの破壊力と自信に満ちていた雄牛の姿での特攻であったのに、拳で迎撃されて体ごと止められたドラウトの、頭蓋骨の中まで響く衝撃も凄まじい。


 塔の壁さえ破ったドラウトの、猛牛化しての突進なのだ。人の正拳突きに衝突して、頭の中で星を散らせながらよろめき、前足を二歩退かせられることなど前代未聞である。クラウドの踏ん張りと激突力は、地に根を張った建築物よりも頑強だとでもいうのか。


「ッ……ヌゥあ゛っ……!」


 気を抜けば失神すらさせられそうな頭へのダメージでありながらも、角の先でクラウドの首を狩りにきたドラウトは、やはり歴戦の強兵たる勝負強さを持っている。頭を振っての鋭い角先を迫らされるクラウドも、受けたダメージの大きさから攻め倒すことは出来ず、後方に跳んで逃れるのみ。着地の瞬間に右拳を左手で握り、背中を丸めた姿からも、クラウドを貫いたダメージも大きかったのは確か。壊れていないだけでも異常なのは言うまでもない。


 こんな相手は初めてだ。54年の生涯のうちで、苦戦の経験がないドラウトではない。しかし、力と力をぶつけ合う肉弾戦勝負で、ここまで自分と張り合ってきた相手は只の一人としていなかった。自ら距離を作ってくれたクラウドに攻め急ぐことをせず、四本脚で僅かに後方へ跳び、こちらからも距離を稼ぐドラウトの行動は、自分の三分の一も生きていない少年との戦いでするような行動ではない。それだけの相手だと、ドラウトがついに認めたのだ。


「容赦、ならヌ゛……!」


 いななく馬のように前足を振り上げたドラウトがクラウドの前方で、地面を踏み砕いて土煙をまき上げた。猛獣の姿たるドラウトの姿が土煙によって隠れ、すぐに晴れて再び姿を現す。そこに雄牛の姿は無く、同時に人の姿も無い。彼がこの姿を見せるのは、近代天地大戦における最終戦役以来。二本足で立ち戦斧を握るカタチのみが人のそれであり、その風体は完全に化け物のそれへと変わっている。


「はあっ……はあっ……!」


 息を切らすクラウドも、初めて見る敵の姿に当然の戦慄を覚える。全身鎧の中身がどう変貌したのかは謎のまま、戦斧の柄を握る手が毛深くなっていることが体躯の露出したヒント。そして何よりも、首から上の完全に牛のそれと化した頭は、巨人めいた人の体に雄牛の頭を持つ怪物、牛魔人(ミノタウロス)のそれだと形容する他に言葉が見つからない。ぎらついた目の深みの闇は、毛深い顔の奥からも歪んで光り、鼻先から噴き出した蒸気のような荒い息は、熱を帯びた怪物の殺意をまるで形にしたかのよう。


 ただでさえ数の多くない古き血を流す者ブラッディ・エンシェントの中でも、この境地にまで辿り着ける者は一握りだ。翼や触覚など、血が持つ特性の一部を体の外に出すだけでなく、その血を人の体と完全なる共鳴状態にまで持っていき、獣人のような姿に達した瞬間、エンシェントが持つ力の最高峰は現実のものとなる。ドラウトが叶えた姿とはその賜物で、あれほど苦戦していた数秒前とさえ比べ物にならぬ怪物へと自らを昇華させたドラウトには、接触前からクラウドにその重大さが伝わるほど。それほどまでに、人間的な姿を放棄したドラウトの放つ覇気が色濃すぎる。


「終わりだ……!」


「っ……!?」


 一歩踏み出すと同時に斧を振るったドラウトの速度を、クラウドは完全には認識することが出来なかった。咄嗟に出来たのは、頭を真っ二つにする戦斧フルスイングに対し、盾となる手甲を引き上げることのみ。それはクラウドの手甲に激突し、さらにその手をクラウドの側頭部まで押し出して激突させ、果てにはクラウドの体を横へと吹っ飛ばす結果に繋げていく。殴り飛ばされる形のクラウドが側面の建物にぶつけられ、壁を砕いて向こう側まで吹っ飛び、粉塵の向こう側まで姿を消すのがすぐ後の光景。


 手応えあり、されど精神に一抹の驕りも無し。戦人を超越し、戦鬼と化したドラウトはクラウドを追う方向へと駆け出し、クラウドが突き破った建物を無骨に大戦斧でぶん殴る。クラウドに根元を揺るがされた建物が、斧の激突点から大きくひび入り、やがて倒壊に繋がっていくのが結末だ。そうして障害物を力任せに排除したドラウトが、瓦礫を踏み砕きながらクラウドの方へと歩み寄る。


 クラウドはいた、地面に倒れていた状態からようやく立ち上がりかけた姿で。かすむ視界の向こうから迫るドラウトを、ようやく視力で認識してだ。傷ついた体で満足にも動けぬ少年、その命を摘み取るべく駆け出したドラウトの無情な前進を、クラウドは真正面からぼんやりと認識するので精一杯だった。

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