第183話 ~聖女スノウVS死神ミスティ~
一対一の戦闘空域内だとは思えない。何百何千もの蒼い火の玉と、それを超える数の雷撃球体が、たった二人の術士の意思のもと飛び回る空間は、それらが激突する爆音が絶えない。雲の下にもう一層の黒雲世界が発生したかのように、黒い爆煙が蔓延する高空は、傍から目にしただけで近寄り難い暗黒の空間だ。
「あはっ、あははっ、あはははははは……! すごいね聖女さま……!」
「…………」
視界最悪の黒煙世界下、戦う両者は互いの位置座標をしっかりと把握し合っている。両者が巻き起こす乱れた風が、互いに敵の飛翔を妨げるとともに、煙を吹き飛ばしてまたその開いた空間で火の玉と雷撃が激突。耳がおかしくなるほどの爆音まみれの空の中、ぎらぎら眼のミスティと冷徹な瞳のスノウは、常に敵の動きを煙の隙間から見落とさずにいる。
「風神様の石遊び……!」
滑空する自身の前方に手を伸ばしたミスティ、その両掌の上に発生する小さな風の渦の中には、砂粒が生じて風に弄ばれている。そしてそれをスノウの方向へとミスティが投げつけた瞬間、小さな風の渦は一気に竜巻めいた巨大な螺旋風になり、内包する砂の質量も一気に膨れ上がるのだ。超高速で振り回される砂粒の小宇宙とでも言えそうなそれが空を駆け巡り、舌打ちしたスノウが回避した空域を駆け抜けていく。直撃させられていたら、砂粒とて凄まじい量と速度で人の体に食らいつき、スノウの体は極小岩石の大群にすり潰されていただろう。
回避を強いられて望みどおりの飛翔を一時奪われたスノウに、一気にミスティの操る火の玉の追撃が迫る。スノウは動じない、四方八方から襲い掛かる火の玉を、身をひねり、潜り込むように滑空軌道を沈め、あるいは旋回して、安定した飛行を保つままにしてすべて凌いでいる。炸裂した火の玉による爆風に煽られても、想定済みと言わんばかりに風を受け、むしろ推進力に変えている。しかもそれのみに専念せず、雷撃球を操ってミスティを狙うスノウの意志に応え、火花散らす魔力の塊はあらゆる方向からミスティへと接近している。
「あははっ……! やっぱり、強いなぁ……っ!」
こっちは回避するので精一杯だっていうのに、向こうはこっちの攻撃を凌ぎながら、ここまで的確な一斉攻撃を放ってくる。革命の始祖、混血種の最強術士アトモスを破ったというスノウの実力に、ミスティの笑顔も引きつっている。本来ならば笑える状況じゃない、身をかすめる雷撃球の火花が肌を焼き、痛みとともに、ほんの紙一重で大火傷していた現実を突きつけてきているのだ。ぞっとする、笑えないはず、なのに彼女の笑顔は絶えない。
「ッ、ぎ……! 遺作照らせし華光……!」
「…………!」
雷撃球がひとつ直撃、ミスティの全身を貫く電撃、スノウにも見えた敵の被弾。しかし雷の魔力を全身に纏ったミスティはダメージを緩和、そして被弾を無視するかのように素早く突き出した両掌から放つのは、凄まじい速度で伸びる極太の怪光線。スノウを取り囲む火の玉、それらごと踏み荒らすように発射されたミスティの大技に、スノウも肌を粟立たせながら身を傾かせる。ぎりぎりの回避、一時たりとも気の抜けない戦いであるのは、スノウからしてもそうだ。
「はっ、はあっ……!」
これでも駄目か、とミスティが次の一手を探す隙、一手早く拡散させられたスノウの魔力が、あらゆる方向からミスティを狙い撃つ稲妻を放った。次手の解答を得ないミスティは加速して、逃げ惑うようにぐちゃぐちゃの軌道で回避し続ける。直撃を受けないだけでも凌げている方だが、好きなように飛べている状況ではない。光る稲妻に目を痛めさせられ、片目つぶって強敵スノウを苦しげに見る目線の先、スノウの表情は一切揺らいでいない。余裕の差すらミスティには痛感させられる。
「あははは……! 強いわけだ……!」
「天魔、螺旋風刃……!」
急加速したスノウが風の刃を纏って突撃し、死を予感させられる特攻にミスティが急降下する方向へ滑空軌道を折る。追い迫るスノウもそれに追従し、スノウの体がミスティのすぐそばをかすめて通過していく結果に。それはスノウの周囲に纏われた風の刃が、ミスティに届いて彼女の体を切り刻む結果と一致している。
「んっ、あ゛………………っ、泥む生霊っ!」
二の腕を、太ももを、こめかみをざくざくと風の刃に傷つけられながら、スノウと少し離れたミスティは反撃の魔術を展開する。ミスティの周りを包囲するように生じた赤い火の玉は、すぐさま流星のような速度でスノウへと迫る。飛翔するスノウ、旋回飛行する彼女を追尾するように追いかける火の玉、風の翼を開いて体勢を整えるミスティの、切り裂かれた服の隙間からぶしっと溢れる血。身を翻してスノウに顔を向けた瞬間のミスティだが、大きな弧を描いて舞うスノウがいたのは、ちょうどミスティの真上の一点。
「はっ!」
「くぁ……! んっ、く……!」
高空から強い風を真下に叩き吹かせたスノウの魔力が、異常なほどの大気圧でミスティを地上方向へと押し出そうとする。強烈な圧にミスティも堪えようとするが、まるで重力が増したかのように、浮遊能力を超えて体がずしりと沈む。その必死な抵抗、僅かな間が、見上げる先から真っ直ぐ急降下してくるスノウの速度を見極められない、そんな時間を生み出した。
「幕よ……!」
「くが……っ!?」
自らが発生させた下向きの風力も追い風にし、頭を下にして突撃してきたスノウ。射程内にミスティを捉えた瞬間、顎を引いて一回転した彼女の振り下ろす踵は、的確にミスティの脳天を叩き割るためのものだった。咄嗟に庇い腕で防いだミスティだが、水の魔力を纏って重みを得たスノウの脚は、恐ろしいほどのパワーを背負ってミスティの腕に激突した。痛烈に左腕が歪んだような実感を得る、下に押し出される、圧風に呑み込まれて急速落下する加速度が加算される。スノウの脚力に蹴飛ばされたミスティが、隕石のような速度で地上へと墜落する。
人の体が二階建ての、石造りの建物の屋上に突っ込み、流れ星の直撃を受けたかのように大破損させられるのだから、いかなるスピードでミスティが叩きつけられたかは推して知れよう。大黒柱さえその衝撃で揺るがされた建物がぐらついて、仕舞いには傾いて崩れ落ちるのだから尚更だ。空から見下ろすスノウにも、勝負あったはずの一撃だと思えた。相手があれじゃなかったら、であり、相手があれでもかなりの痛手になっただろうと。
「っ……へ、は……」
生きてはいた。二階建ての屋上、二階の床を突き破り、一階の床まで叩きつけられながらも、ミスティはか細い呼吸を絶え絶えに残している。水の魔力と土の魔力で、無機物にぶつかる際にそれを泥のように分解して緩衝物質に変えるだとか、風の魔力で減速しただとか、いくつも生存のための手法を一瞬で連続展開したミスティ。彼女のそうした類稀なる才覚が、死を免れさせたのが現実である一方、殺しきれなかった衝撃が背中からミスティの体内を砕き、彼女もすぐには立ち上がれない状態にある。
「あっ……あははっ……やっぱり、強い……なぁ……」
わかっていたけれど。スノウは私が食い止めると提案した時、セシュレスにも反対されたけど。かつて革命軍の最強術士であったアトモスを、たった一人で打ち破ったスノウが強いのは周知の事実だったこと。気持ちはわかるが命を粗末にするなと言われた、だけどそれでも押し切った。きっと負ける、殺される、へらへらした笑顔が自嘲気味の微笑みに変わるミスティは、地面に両指を突き立てて、渾身の力を込めて上体を起こす。
心を折るより思い出せ、こんな痛みが何だっていうんだ。お腹の中がごみ捨て場の残飯だらけだった時のつらさ、たかだか果物ひとつ盗んだだけで頭から血が出るほど殴られた痛み、そうでもしなければ生きていくことも出来なかった日々の苦しさ。混血種が、地人が、二度とあんな地獄の中でさまようことのない世界を目指して灯した革命の火だ。口の中いっぱいに溢れてくる酸っぱい何かを、ミスティは敢えて吐き出さずに飲み込む。気持ち悪さに、げえっと汚い息が溢れるが、それで息を吐くことが出来た。戦える。
「あははは……! 呪ってやる、くされ聖女さま……!」
「…………!」
高き空からミスティの位置を見下ろすスノウも、彼女が鋼の精神力がなければ目の前の光景にひきつった裏声が出ていただろう。ミスティを四角錐の頂点の真下にしたような位置取り、巨大なピラミッド型の頂点5箇所に火の魔力が飛び、その魔力が線を繋いで生じた魔力の合力が、街の真ん中で凄まじい大爆発を起こしたのだ。家屋が吹っ飛ぶ、モニュメントが崩壊する、ホウライの都に無残な廃墟が広大に生まれる。その中心地点から矢のように飛来した少女は、最強の聖女スノウを恐れる素振りもなく一直線。
「死んじゃえ……!」
ぎょろついた目と笑みで突き進むミスティの放つ火球を、スノウは翼をはためかせて滑空を再開する形で回避。スノウの操る雷撃球とミスティの火球が生み出す、空いっぱいの弾幕と爆炎。手応え充分、間違いなく大きなダメージを通した直後だというのに、衰えすら感じさせないミスティの猛攻には、スノウも内心で戦慄する。
「招かれざる客の追放……!」
「く……また……!?」
流石にスノウも思わず苦い口が動いた。ミスティの発生させる巨大な竜巻は、地上を踏み荒らし、またも多数の犠牲者を生み出していくのだろう。あっという間に育ち上がり、家屋の破片と人を空に巻き上げて笑うミスティに、その風に煽られる風域に飛び込むことも厭わずスノウが突撃する。
「いい加減にしなさいよおっ! 何人殺せば気が済むの!」
「あーははははは! あなたが泣くまでだよ! 苦しめクソ聖女さま!」
荒れ狂う風の中でも自らを、雷撃球を操るスノウの猛攻を、竜巻を維持しながら火球を放つミスティが迎撃、回避。絶望の表情で空に舞い上げられる人々の悲鳴と姿は、それだけでスノウの胸を締め付ける。この人々になんの罪があるというのだ。天人を恨む混血種であるにしたって、彼らの命を奪うことで何が満足なのだ。
「あなたが死んでくれるなら民間人殺しはやめてあげるよ! 自分の命とどっちが大事かな~!?」
「下種め……!」
「あーははははは、今さらなぁに!? 殺人鬼に情を期待するなんて聖女さまもバカだねぇ!」
怒れるスノウが天から召喚する稲妻が、ミスティを的確に撃ち抜こうと降り注ぐ。汗だくの笑顔、決して余裕があるわけではないミスティも、竜巻の風を味方にしての不規則な飛翔でそれらを凌ぎ切る。さらには風域内に岩石を生み出し、それらがぎゅんぎゅん飛び回る危険な空を現実にし、スノウへの牽制と攻撃をさらに厚くする。
「狂ってるわ、あなた……!」
「ばぁ~~~~~かっ! まともな頭で昨日まで、家族と幸せに暮らしていた人たちを殺したりなんか出来るわけないでしょ~っ!」
飛来する岩石をかわした直後のスノウに差し向けられた火球が、かわしきれなかったスノウに直撃する。生じる爆炎、しかしダメージは小さい。スノウが纏った水の魔力は激熱を大きく抑えている。だが吹っ飛ばされる形になったスノウが攻め手を緩めた瞬間、束の間の完全な自由を得たミスティの追撃あろうことが、スノウに焦りと素早い体勢の整えを叶えさせる。
「!? やめ……」
「あははは……」
攻めてこなかったミスティ。彼女が向かったのはスノウから少し離れた空、その目指す先には空に舞い上げられた民間人の一人。赤ん坊を必死で抱きしめたままの父親に急接近したミスティは、既にその両手に魔力を集めている。目が合う、恐怖と絶望で表情をいっぱいにした男の瞳に、疲れ果てたような笑顔のミスティの顔が映った。
「ひっ、ひいぃっ……!」
「死んでね」
男の顔面に掌を当てた瞬間のミスティが放つ炎は、赤ん坊ごとその男を灰にする、空に大きな真っ赤を描いた。目を背けたくなるような残忍性を目の当たりにしたスノウが、隠し切れない哀しみを顔に出すのも無理はない。やがて竜巻の風力が弱くなってきた空、スノウに背を向けて翼をはばたかせて空に留まっていたミスティが、けへっと笑いながら振り返る。
「あなたもこっちの世界においでよ……人殺しは人を狂わせるよ……その人の幸せなこれまでを想像すればするほどに、罪の深さで自殺さえしたくなるよ……」
ああ知っているとも、親友であったアトモスを殺したのは私だ。初めて共有し合える価値観を口にしたミスティに、スノウは攻めの手さえ出すことが出来ない。早くこいつを仕留めなきゃいけないことはわかっているのに。わかっているのにだ。
それがきっと甘さだったのだ。だって、見上げた先のミスティから溢れる魔力は、どんどん色濃くなってくる。惑いに襲われ手を出せなかった数秒間が、これほど惜しかったと感じることはないだろう。
「えっ、えへへへっ……ふふ、うふ、うふふふふ……!」
さあ狂え、おかしくなってしまえ、最初から自分の人生は狂っていたのだ。混血児に生まれさせられた時点で、まともな人生なんて送れるはずがなかったんだって、16年間の半生でさんざん思い知らされてきたこと。自身にそう言い聞かせて箍をはずすミスティが練り上げる魔力は、倫理も道理も投げ捨てることを自ら望む術者が生み出す、歪みの色に満ちている。
「殺してあげる……!」
ぽつぽつとミスティの周囲に発生した光球が、何筋もの敵を焼き貫く光線を発射する。回避するスノウ、流れ弾が地上に着弾して爆発を起こす、火災が広がる。竜巻の消えた空でスノウの放つ風の刃が、ミスティに次々と差し迫る。早く、早く、こいつを仕留めないとと、焦燥感が書き立てられる。
「なんなのよあなたは……! どうして、そこまで……!」
「わからなくていい! 死ね! 死んじゃえ! あなたが同じ世界に生きてるってだけで私はムカつく!」
見開いた眼のミスティの表情は、吊り上がった口元がなければ、発狂した怒れるけだもののそれだ。風の刃を回避して急接近するミスティが、炎の槍を模したような魔力の塊を握っている。接近戦に持ち込んで、それを一振りしたミスティの攻撃に、スノウも回避する形で対処する。執拗に、まとわりつこうとするように追い迫るミスティはスノウを逃がさない。
「私が頭のおかしい奴だって思ってるんでしょう! 自分が正しいって思ってるんでしょう!」
「っ、ぐ……何を……」
「そのっ、自分は間違ってないって顔がっ……死ぬほどムカつくんだあっ!」
剣士の整った太刀筋ではない、棒を振り回して癇癪を起こす子供のように、何度もその火でスノウを焼き切ろうとしてくるミスティ。5度目の攻撃を回避したスノウがようやく僅かな距離を作り、身を翻して掌を突き出したスノウは、そこから水の砲撃を発射する。圧に満ちたそれがミスティをかすめ、そのパワーがスノウに追い迫ろうとした彼女をぐらつかせる。
「生憎ね……! 私は今までの自分の行動を、悔いはしても否定したことはないからさ……!」
「あはっ、あはっ、あはははっ……! アトモスを殺したことも!? 地人と愛を結んだことも!?」
「ああ゛……!?」
一気に頭に血が昇った。大振りに手を振り抜いたスノウが生み出したのは、傾いたミスティ目がけて放たれる氷塊の数々。殺傷能力よりも、ぶん殴ってやりたい想いが勝って放たれる氷塊を、旋回飛行するミスティが回避する。
「あーははははは、怒った怒った怒ったあっ! 亡き夫さんとの愛を貶されたら、流石に聖女さまも怒るんだあっ!」
「あなたには関係ない! あの人と私の……!」
「っざけんなあっ! あなた達の身勝手な愛に生み出された私のような子供が、どんな目に遭ってきたかあなたは考えたことがあるのかあっ!」
完全に笑顔を吹っ飛ばして怒鳴るミスティの言葉に、ぶち切れていたはずのスノウも息が詰まるように追撃の手が止まった。ミスティが両掌を突き出している。はっとしてスノウも同じ所作。何が来るかはわかっている。
「遺作照らせし華光!!」
「天魔、天駆ける光刺……!」
特級術士二人が同時に放つ、特大の怪光線は発射の余波だけで大気を振るわせた。お互いの目の前が光でいっぱいになるほどの巨大さを持つ光線同士は、高き空で真正面からぶつかり合い、激突点では激熱が生み出す凄まじい火花が、爆竹のような大きな音と共に何度もはじけている。
「天人と……地人とっ……! 愛さえあるなら、結ばれることに何の謂れがあろうかって……! あなたは今でもそう信じてるんでしょう……!」
「っ……ぐ……!」
互いの顔は見えない。だらだらと汗を流して必死の表情で、負けてなるかと砲撃に力を込める両者。激しい火花の炸裂音に紛れ、今のミスティの絞り出したような声はスノウの耳まで届かなかったけれど。
「そんな身勝手な大人の血をふたつ引いてるってだけで、見ず知らずの人達から石と罵声を投げつけられる子供の気持ちがあなた達にわかるかあっ! 私は今日までそうやって育ってきたんだあっ!」
絶叫とともに魔力の出力を120%まで振り切ったミスティと、押されかけた瞬間に渾身の魔力を注いだスノウ。両者がほぼ同時に高めた光線の熱と圧力が臨界点を超え、衝突点を爆心地にとんでもない大爆発を生じさせたのがすぐ後のこと。太陽でも降ってきたのかと思えるほどの爆発が、空で起こった一枚絵は、遠く離れた場所で戦っている者達の視界にすらはっきりと割り込んだ。二人はどうなったか。爆風に煽られて空高くまで吹っ飛ばされたミスティも、地上に近付く方向に吹き飛ばされたスノウも、重力任せの下降と翼を操っての上昇で、互いに位置を近付け合う高度にその身を持っていく。
ミスティが見えてきた。もう、そこに笑顔はなかった。ぜぇぜぇと息を切らして、憎しみのこもった瞳をただただ向けてきて。ともすればその憎しみさえ、憔悴しきった彼女の表情からは、よく見なければ読み取れなかったかもしれない。
「この世界は、間違ってるんだ……この世界の姿が正しいものなら……悲しみを背負って親友を殺し、守るべきものを守ったあなたが、私にこんなことを言われることもなかったでしょう……!」
ミスティだってわかっている、スノウが間違っていないことなんて。好きな人がたまたま地人だったのだ、数多くの人を殺めた親友アトモスに、後悔するとわかっていてもその手を下したのだ。混血児のアトモスをただそれだけで人らしく認めず、彼女を革命の指導者へと変えてしまったこの世界の方が間違っているのだ。スノウとてその世界の中で人生を狂わされた、哀しき聖女だとミスティは知っている。だからどんなに罵倒を浴びせても、聖女"さま"という敬意を、完全なるゼロにはしていない。
「この世界が正しいものだったら……! 私は、こんな奴にはなっていなかっただろうさ!」
ああ、これが混血児なんだ。スノウの物憂げな悲しい目は、混血児の母である彼女にしか浮かべられない。疲労を超えて息が苦しくなる。もはや言葉だけで混血児の母、スノウを苦しめる呪いの呪文に近い。ファインはいったい、自分とあの人の間に生まれた子供として、どんな人生をこれまで歩んできたのだろう。馳せる想いがスノウの胸をねじり切ろうとしてくる。
「この世界を、変えるんだ……! 砂を舐めなきゃ生きられないような混血児は、私達の世代で終わりにする! 私達の夢を遮るあなたは、私達の手によって消えなくちゃいけない!」
自在に操れる蒼い火の玉を無数生み出すミスティに対し、スノウも雷撃球を空に多量に発生させる。行動がワンテンポ遅れる、息遣いひとつひとつが苦しい。スノウが背負った使命は、天人の都を荒らす殺人鬼の少女を撃墜することから、血筋だけで差別されて、人なりの生活すらままならなかった哀れな少女を殺めるという、あまりにも酷い断罪に変わっている。
「さあ、私を殺してみろ! あなたの子供と同じ混血児を! あるいは、死ね!!」
「く……!」
やるしかないのだ。大好きだったアトモスを殺さねば、積み重なる死体の山を止められなかったはずのあの時のように。火球を流星群のように差し向けてくるミスティの攻撃を、雷撃球で撃墜して飛翔するスノウ。ミスティもまた空を舞う翼をはためかせ、危険な空を滑空する。炎と爆発、煙と熱気に慣れなどない。近き場所で発生する魔力同士の衝突が為す炸裂は、着々と二人の体力を削ぎ落とす。
「天魔……! 螺旋、風刃……!」
「雷精の行進……!」
詠唱の儘ならなさにさえ惑いが表れている。風の刃を自身周囲に纏って突撃するスノウと、稲妻をいくつも降らせながら逃げの飛翔を為すミスティ。迫ったスノウがミスティをかすめるように通過していく中、彼女の纏った風の刃はミスティの服を、肌を裂く。脇腹を切り裂かれたミスティの服の隙間から、ぶしっと噴き出す血は、ミスティの片目を閉じさせる。
全方向からスノウを包囲するように迫る蒼い火の玉が、動きの落ちてきたスノウを追い詰めてくる。心情的なきっかけのみならず、疲労は蓄積してきているのだ。衰え知らずの猛襲を継続するミスティはスノウを苦しめ、急上昇したスノウの描いた滑空曲線の跡に、爆発座標が連続する。ミスティはどこだ。
「くたばれ……!」
「う……!」
「遺作照らせし華光!」
上昇するスノウの真正面、上空に回り込んでいたミスティの両掌が放つ巨大怪光線は、もろに直撃する形でスノウを呑み込んだ。かわせなかった、止まれなかった。ならばと全身に必死で光の魔力で包み込み、耐えながらにしてスノウはミスティへの直進を止めない。伏せて閉じた目、まぶたの上からでも眼球が使いものにならなくされそう。それでもわかる、魔力の流動からミスティの位置だけは確信できる。
「血塗られた風車……!」
「ぐ……!」
詠唱した瞬間に口の中を火傷したかと思ったスノウ、自らの放つ光線の向こうから突き進むスノウの気配に鳥肌が立つミスティ。あと僅かでミスティまで届くというところで、スノウの両手から長く伸びた、巨大な三日月形の風の刃。それが振るわれたのと、死の危機を察したミスティが砲撃を中断し、その身を逃がしたのがほぼ同時。
少し離れて両者が交錯した。殆ど焦げに変えられた服の一部が崩れ落ち、露出したウエストが痛々しく真っ赤な焼け肌に変えられたスノウが、疲弊した表情で上天にて身を翻す。触れてはいけないものに触れた実感に、だくっと汗を流したミスティの胸元がばっくりと開いた。首のすぐ下、胸の上部を横一線に切り裂いた傷は、切り裂かれた服の下の肌色を見せ付けない。血であっという間に塗り潰してしまったからだ。
「へ、へへ……えへへへへ……やっぱり、死ぬのは怖いねぇ……♪」
痛みを通り越して気分が悪くなるぐらいの傷だ。朦朧としかけた意識の中で、ミスティは今開かれたばかりの大きな傷を、実に乱暴に指先で撫ぜた。生傷を削ぐように撫ぜるなど、激痛という言葉では足りないだろう。その痛覚が訴える信号が、ミスティの意識を強引に現実世界に引き戻し、自らの血にまみれた指先を、べろりと出した舌にミスティが塗りつける。口の中が血まみれだった、過去の苦しみを再び脳裏に刻み付けるかのように。
「さあ、地獄に落としてよ! 人殺しはここにいるよ!」
もはや応じる言葉を紡ぎ出すこともスノウは出来なかった。死は怖い、恐ろしい、それを他者に強いてきたミスティ。その自分が、死後も決して救われぬ魂の持ち主だと、彼女は完全に割り切っている。混血児として生まれ落ち、迫害され続けての生涯の末、死した後にさえ自らの安息を求めていないのだ。死ぬのは怖いと口にまでしたくせに、悪魔のような笑みで飛翔し接近してくる彼女の精神は、狂うどころか壊れている。
どれほど歯車が噛み違えられたら、ここまで人は救い無くなれるのだろう。空に舞う二人の術士、高き空から滴るミスティの血は、普通の人生を歩みたかった過去を焦がれる涙のように、滅びた地上に降り注ぐ。彼女の傷が血を溢れさせるたび、スノウの心も血を流した。




