第179話 ~1の撃退、2の入玉~
「どう? 少しは楽になった?」
「はい……お母さんの治癒魔術、凄いですね……」
「ふふふ、そうかしら? 得意な方ではないんだけどね」
数十分前は乱戦地だった、ホウライ城の北に広がる平原の一角。敵も味方も周りに誰もいなくなった中、4人の大人と少年少女が輪の形を作って座っている。周囲は遠方まで死屍累々、あまり視野を広く持つと胸が痛むばかりなので、4人は互いだけを見るように視線が輪の内向きだ。
聖女スノウの治癒魔術の質は高く、ニンバスの剣によって刻まれたファインの傷二つも、今はもうほぼ塞がっている。深めにいかれた横っ腹の傷も、やや浅めでも開き目が荒い肩の傷口もだ。傷から溢れた血で真っ赤に滲んだままの服からも、相当な深手であったことは確かであり、ファインが心配なクラウドは、彼女の体に傷が残らないよう祈るばかりである。
「……スノウ様、本当にあれでよかったんですか?」
「俺は納得できませんよ……あいつらに殺された、先輩や同僚の仇を見過ごすなんて……」
「…………」
ひととおり、安心できるところまでファインのダメージを癒したスノウは、雷に焼かれたアスファの全身も癒してくれた。そんな折、複雑な顔のまま黙りこくっているアスファの気持ちを代弁するかのように、スノウに問いかけたのがクラウドだ。その言葉によって蓋を開かれたかように、ずっと言いたかったことをアスファが口にする。沈黙を返すスノウは、アスファの傷を癒すことに専念する態度を表向きに、頭の中ではアスファを納得させてあげられる言葉を探していた。
あの時ファインに撃墜されたニンバスは、真っ逆さまに地面へと落ちていった。そのままいけば、無抵抗に地面に叩きつけられ、命を落としていたはずだったニンバス。彼がそうならなかったのは、低空域での戦いに参じていた飛翔能力を持つ傭兵の一人が、墜落するニンバスを受け止めて救ったからだ。指揮官ニンバスの戦闘不能はすぐに傭兵団全体に伝わり、広範囲にて天人達と戦っていた鳶の翼の傭兵団は、持ち場も捨ててニンバスの周りに集まってきた。やがて完成したのは、気を失ったニンバスを抱える地人と、その周囲を生き残った全兵で囲んだ、指揮官を守るための陣形だ。
ニンバスの命だけは取らせてたまるかと、鳶の翼の傭兵が陣を固めた周囲を、それ以上の兵力で天人達が包囲した。包囲陣の径は地人達の集まりよりも大きく、かつ厚みも残してあり、天人達の兵力もそれだけ残っていた。頭数ではまだまだ勝る天人陣営、スノウもクラウドも継戦能力あり、一方で地人達は最強兵であるニンバスを失った形。もはや大局は決したと言っていい状況だった。あとは大して何も考えなくとも、力任せに押し潰すように攻め立てるだけで、地人陣営を全滅させることが出来ただろう。
そこに至って、スノウが唱えた言葉は最終突撃の指令などではない。傭兵団に大声で呼びかけ、撤退を促す交渉だったのだ。憎き侵略者をとうとう一網打尽に出来ると思っていた天人も、もはや生き残る道を失って、やぶれかぶれで最後まで戦い抜く覚悟を決めていた地人達も、スノウの提唱は寝耳に水だった。だが、少し頭を冷やせば両陣営、少なくとも鳶の翼の傭兵団にとっては、その真意は理解できるはずである。
このまま戦えば、天人陣営が鳶の翼の傭兵団を皆殺しにすることが確定した戦況。ただ、それによって地人達を掃伐できたとしても、死に物狂いで戦う地人達によって、天人陣営にも死傷者が多数発生するだろう。その潰し合いを、スノウは回避しようとしたのだ。傭兵団にとっては、冷静に考えれば考えるほど、願ってもいない交渉だ。その交渉を受け入れて撤退するなら、少なくともニンバスを生き延びさせられることは出来る。彼らが最も敬愛し、一番長生きして欲しい彼にだ。スノウにとって最大の交渉材料とはそれだった。
しばし考えた後、ケイモンをはじめ、数多くの傭兵達が武器を降ろし、その交渉に乗ることを態度に表した。ふざけるな死ねと、無抵抗を装った地人達に魔術や矢を放った天人もいる。それを撃ち落としたのは、他ならぬスノウの雷撃だ。きっ、とスノウに睨み付けられては、天人達も逆らえない。決して指揮権を持っているわけではないスノウだが、結局彼女がいるかいないかで戦況は180度変わり得るのが現実なのだ。恫喝じみた態度を見せてまで、ここでの手打ちを強く唱えるスノウの声に応じ、傭兵達もその態度を信じた。ニンバスを抱えた男を中心に、鳶の翼の傭兵団が去っていく姿を、クラウドやアスファを含む天人軍は見送ることしか出来なかった。
「……掃伐しておくべきという軍事的な観点だってあるわ。私情を抜きにしても、あいつらを完全に全滅させておくべきだったという考えは、わからなくもない」
「だったら……!」
「奪っても、得られるものが無かったの。双方が失うだけだったのよ。わかって頂戴」
いつまた革命のために蜂起するかもわからない、鳶の翼の傭兵団。死体に変えて、二度と非道を起こせぬようにしておくべきだというのも、天人軍勢の当然の言い分だ。まして奴らに同僚を殺されたアスファにしてみれば、傭兵団は仇を討ちたい相手でもある。見逃したくはなかった。だけどその理念に従って戦い続けていれば、天人達にもまた多くの死傷者が出ていたのも事実なのだ。
納得できない天人達に、憤りに近い目を向けられながらも、スノウは力強く唱えた。直ちに南下し、"アトモスの遺志"に侵略されているであろう、ホウライの都の防衛に回れと。ここまで言えば何人かは、渋々ながら納得できただろう。スノウの交渉によって生き永らえた兵は、都の守りに回ることが出来る。それだけでも軍事的にはプラスなのだ。ここの前戦地ひとつとっても、スノウ達が駆けつけてくれたから何とかなったようなものであって、生き延びた者達も本陣の危機を想像するのは容易かっただろう。スノウはファインとクラウド、アスファという、ここの戦いの立役者達を速やかに癒し、万全を期してから都に立ち返ると宣言し、天人達は4人を残して、都を守る戦いへと速やかに南下していった。
革命集団の中核の一つを担う、ニンバスとその取り巻きを駆逐できなかったのは、遠い未来に向けての不安ではある。だが、そもそもホウライの都が滅んでは元も子も無いのだ。今はただ、凌ぐことに全力を投じるべき。遠き慮りばかりを重視して、近き憂いを軽視し過ぎることも、時には未来すべてを閉ざしてしまう愚策になる。俗説の逆を敢えて取ったスノウの根底にあるのは、それだけホウライを攻め込む革命軍の猛襲性は、多くの者の想像を超えているという現実の認識である。
「お願い、信じて。これが、最善だったはずなのよ」
「…………」
説明してもわかって貰えないかもしれない。それでも今は、説くに留めることしか出来ない。スノウにここから求められるのは、結果を出してその判断が正しかったと証明することだけだ。敵を掃伐できる好機を捨ててまで残した兵力、それを活かしてホウライの都を守り抜くことが、その采配を振るったスノウに求められる使命である。
「さあ、そろそろ行くわよ。三人とも、もう動けるわね?」
「はいっ……!」
「大丈夫です」
「……問題ありません」
激しく動けば傷が開くかもしれないものの、ひとまず傷も塞がって、体力回復を促す治癒魔術も自らに施したファイン。まだまだ体力も元気な体も健在で、いくらでも動けますと堂々言い放つクラウド。傷を癒して貰った体のみならず、もやつく心もひとまず隅にどけ、戦いに集中することも含めて答えたアスファ。立ち上がった4人、翼を背負って地上を発ち、空を滑空する速度を上げて南下する三人に、ふうっと深呼吸したクラウドは遅れもせずに駆けて追っていく。
「……ファイン。アスファ」
空で並んで滑空する二人に、スノウが少し重い声で語りかける。その声色だけで、明るい話をしようとしたものじゃないとわかる二人は、少し気を引き締めてから次のスノウの言葉を待つ。
「……きっと、死闘になる。都もめちゃくちゃにされての、惨劇を呈する戦いになるわ」
わかっているつもりであろう二人に念押しするスノウ。生唾を飲み込んでうなずくファインと、握り締めた剣にさらなる力を込めるアスファ。彼が握る剣は、戦場に果てた先輩が握っていた遺品。自らの愛剣だったものと同じ尺を持つそれは、今の彼にとっては元の持ち主の温かみを感じる気配もない、冷たい武器。殉死者が望んだはずの勝利を背負って発つ少年は、故郷に残してきた家族や幼馴染の顔を思い返し、改めてぎゅうっと剣を持つ手に力を込める。
ニンバスらと戦いは、彼らの今までの人生において、間違いなく最大の激闘だっただろう。それを超える地獄がこの後に待っていることなど、先の記憶が鮮烈すぎて、今だからこそ最も想像できはしまい。スノウが訴える言葉の裏にあるのは、最悪を超える最悪というものはあるという真理である。
「……減りましたね、本当に」
「生き残れただけでも儲けもんじゃ」
「…………」
撤退する、鳶の翼の傭兵団を包む、沈痛な空気は並大抵のものじゃない。オラージュが言うとおり、親しかった仲間達の殆どが、すでにここにはいないのだ。ケイモンが言う、それでも生き残ったことによって何かを未来に繋げていけるという言葉を以ってしても、嗚咽を漏らしながら歩くフルトゥナには慰めにもならない。
戦前に、フルトゥナに話しかけてくれたおばさん、身ごもった体で戦場に立った彼女は生き残っている。死んだような目で撤退路を歩く彼女の周囲には、彼女を茶化していた男達ももういない。この喪失感はたとえようもないだろう。敗軍の徒はかくも打ちのめされるものであり、自殺が脳裏に過ぎった者も決して少なくはないはず。彼らにとっての唯一の朗報は、最も敬愛するニンバスという男が生存してくれていることだけであり、それがぎりぎり彼らが前向きな心を取り戻せる要素である。
「……鳶の翼の傭兵団よ」
既に目を覚ましていたニンバスは、抱えられていた男の手を離れ、歩いていた足を止めて声を放つ。失意のどん底にいる彼らがニンバスに向ける目は、もはや希望にすがる光すら失ったものが殆ど。歴戦たる年配のケイモンや、彼に並ぶキャリアを持つ一部の者だけが、そばに立つ者の肩を握り、しっかり立てと支えている。
「……生きていこう。私達が為していくべきことは、それなんだ」
短く唱えられたニンバスの言葉に、口や態度で応じた者は少ない。だが、その言葉に込められた真意は、すべての者にはっきり伝わったはずだ。死した者はもう何も為せない。だが、命ある限り何かを為していくことはまだ出来る。極めて当たり前のことだ。そんな当然さえも忘れてしまいかける失意の中、それを口にしてくれる人物がいることは、単なる常識の復唱以上に遥かに大きな意味を持つ。
「後は、同志達に任せよう。私達は、残されたこの命を未来に繋げていかねばならない」
彼らが望んだ大いなる夢、革命の希望とて決して失われたわけではない。北方とは違う方面からホウライの都を攻め入る友軍は、彼らも知るとおりの実力者。セシュレスに、ドラウトに、ネブラに、ザームに、革命の遺志を託し、生存への道を力強く歩いていくことが、敗れながらも生き残った者達がすべき唯一の行動だ。
大の大人であるオラージュさえもが拳を震わせ、溢れる涙を抑えられないほどの悔しさ。悔しいのは、本音では諦めたくないから。それを胸に抱けるうちは、未来を追って歩んでいくことも出来るはず。ぼたぼたと大粒の涙を落とすオラージュの背を優しく叩き、触れ合う肌で独りではないことを伝えるケイモンの温かさは、今は伝わりにくくてもやがて必ず、その貴さをオラージュに知らしめるだろう。泣きじゃくるフルトゥナの手を引くニンバスも、同じようにして絶望の間際の少女を救うための体温を伝えている。
「のう、大将」
「……どうした、ケイモン」
やつれた顔だが、笑顔を向けて語りかけてくる戦友もいる。鳶の翼の傭兵団では一番の古株であるケイモンが、並んで歩くニンバスの目を見て離さない。
「あっしらは、おんしに出会えなければ、きっと今も地を這って死んでいくだけだった身じゃった。あっしらを生き返らせてくれたのは、おんしの誇り高い意志と翼だったんじゃ」
夢を見られた。ただ搾取される側の立場から、戦うことに意味を見出し、敬う人と並び立って生きてきた毎日は、それそのものが生を実感させてくれる時間だったのだ。血を流し、仲間を失い、痛みを背負った経験は、今に限ったことじゃない。それを乗り越えて今まで来た傭兵団は、斯様な絶望の淵に立たされても、ニンバスがいてくれる限り再び立ち上がることが出来ると、ケイモンはその言葉で訴えている。
近代天地大戦が終焉を迎えた時、天界に招かれたのはスノウだけでなく、天人陣営勝利の立役者であったニンバスも当然そうだった。ニンバスはそうしなかった。自らを慕い、命を懸けてついて来てくれた部下に抜け駆けし、天界で裕福な暮らしを営むことなど出来なかったのだ。敬ってきた指導者の苦労が報われ、裕福な世界に彼を送り出す喜びと寂しさを抱いていた傭兵達に反し、彼は迷いも無く帰ってきてくれた。だから今も、鳶の翼の傭兵団は、ニンバスを中心に強い絆で結ばれている。無念の撤退を彼らに決断させたのも、ニンバスの命を守ることを最優先とした、彼らの信念によるものだ。
「だから、そんな顔をするな。あっしらは、おんしに出会えて導かれてきたことを、今も幸せに感じておる」
敗軍の将、最も無念なのはニンバスに決まっている。大願を果たす道に部下を導けなかった悔しさ、申し訳なさ、無表情の裏にそれを隠しきれない彼の苦しみを読み取れないなら、十年以上の仲など嘘である。それでも命を捨てるなと、毅然とした仮面を必死で纏い、生きることを望む言葉を向けてくれたニンバスだから、ケイモンは彼を友人であると同時に指導者として敬える。お前さんがあっしらに生きる希望を与えてくれたように、今度はあっしらがお前さんの生きる支えになりたい、そんな想いがケイモンの言葉には詰まっている。
「……お前達に出会えて幸せだったのは、私の方だ」
空を見上げるニンバス。流れる雲、青い空、それは希望を掴むために自分が駆け続けてきた世界。今はもう飛ぶ意味を失ってしまった空だが、いつかは再び彼もまた、翼を広げていかねばならないのだ。生きるというのはそういうこと。その手が動く限り、足がある限り、翼が生きている限り、体すべての力を振り絞って前進してこそ、真の意味でのその者にとっての人生がある。
"鳶の翼の傭兵団"は戦場を立ち去った。それはホウライ地方を舞台とした合戦の節目であると同時に、彼らの次なる人生への旅路の始まりだ。
「見えてきたな……!」
「さあ、そろそろ気を引き締めていこうか! 都に踏み入れば、これまでのようにはいくまいよ!」
北東から進軍していた"アトモスの遺志"の軍勢、ザームとネブラを中心としたその集団は、いよいよ視界にホウライの都の関所を捉えていた。"そろそろ気を引き締めて"、というネブラの発言は、じゃあここまでは気を引き締めていなかったのかという話だが、実際ここまでは彼らもそう苦労していない。先頭を駆け抜けるザームの暴れぶりは凄まじく、何者にも止められずに走る彼は、今も剣で切りかかってきた天人の攻撃をはじき上げ、体勢の崩れた相手の顔面を、大型シャベルの平面部分で殴り飛ばしている。
「ふははははー! 本当この人達、どうしようもないぐらい弱いよねぇ!」
何よりもこいつ。笑い声をふははと発音する作り口調で余裕を露にし、撒き散らす火の玉でガンガン敵の陣形を切り崩していく。離れた場所から魔術や矢など、飛び道具で狙われても、岩石の壁をひょいっと召喚してあっさり対処。そしてそもそも、彼女の撒き散らす火の玉をかいくぐり、距離を詰められる敵兵もいない。危なげなくと言うだけでは安い、危機とは全く無縁の余裕を振り撒いて、スキップしながら戦場を駆けていく彼女が誰より猛威を振るっている。
「ミスティ君、わかってはいるね!? 都の守りは、これまでのように脆弱ではないよ!?」
「知ってま~す。だからここまでがこんなに楽勝だったんだもんね~」
いかんせん、天人達の兵力の注ぎ方は、都ならびに城の守りに偏りすぎなのだ。実力では一枚劣るような兵を数任せに都の外に配置し、相討ちだろうが何だろうが敵の数を減らせ、それを都の強き陣営が叩き潰すという戦法を地で行っているのだ。まあまあ確かにそういう戦い方もあるし、兵を冷たく駒として扱うスタンスは軍事思想的にもたいしたものだが、その層の薄さではザームやネブラ、ミスティに太刀打ちすることすら出来ず、結局無為に兵力を失っている比率の方が大きいというのが虚しい。
結局スノウを除いて天人陣営の殆どが、過去の革命軍の残党扱いして"アトモスの遺志"を舐めすぎなのである。千年近く都を無傷で過ごしてきたホウライ地方、流石の自惚れっぷりだとミスティも、都を指差して笑いたくなる。戦場の本質も知らぬ王室が、兵の采配を振るう全権を持っているだとか、セシュレス辺りに言わせれば突っ込みどころ満載のホウライ地方、そのつけはこの日一気に降りかかってきていると言っていい。おかげ様でミスティが周りを見渡せば、殆ど兵力を減らさずにここまで来れた仲間達が、今も元気に天人達を圧倒しておいでなのだから。
「……さて」
ここまでは良し。だが、逆に言えばここからが、ミスティ達にとっての正念場。都の外が残念なぐらい手薄のホウライ陣営だが、つまりは都の守りを固める者達の強さは、ここまでの比ではないという裏返し。きっと、極端なぐらいにだ。まして敵の本陣、備えも万全で地の利も向こうにある戦場で、全身全霊を投じて迎撃戦を仕掛けてくる天人陣営に対しては、ここまでと同じ意識で立ち向かってはいけない。ネブラは敢えて念を押してくれたが、ミスティだってそれぐらいはわかっている。
スキップする足の遊びをやめ、素早く駆ける足に切り替えるミスティ。前方には、間もなく関所に差し掛かるザームの後ろ姿がある。そこに向けて走っていくミスティは、立ちはだかる敵を薙ぎ倒しながら進むザームに容易く追いつき、やがて彼の隣を並走する足の運びになる。
「ザームさん」
「あん!?」
「今までありがとう。楽しかった」
突き進むザームのすぐ隣、炎の砲撃を前方に放ち、一気に関所への道をこじ開けるミスティ。人の壁を火だるまの集まりに変え、ぽっかりと開いた突入ルートをザームと共に駆ける彼女の声は、陽気な彼女の普段の声とは一変、冷淡だ。
「じゃあね……!」
「何言っ……」
次の瞬間、ザームも驚きのあまり足が止まりそうになった。駆けるミスティの背後に渦巻いた風は、すぐに翼を形作り、ばさりと開いてその様相が誰の目にもわかる形になる。そして翼を広げたミスティが地を蹴って、空へと飛び立つ姿がすぐ後に続く。
天人陣営もザームより前の空、地人軍勢の端で飛翔した彼女の姿には驚かされた。風の翼、風の魔術、ネブラやニンバス以外の天人がまだ敵陣営にいたというのか。いや違う、地人にしか使えぬ火の魔術をあれだけ使っていたミスティ、彼女が天人であるはずがない。
「天魔! 遺作照らせし華光!」
突き出されたミスティの両掌、それを砲台にして放たれる光の熱線は、凄まじい速度と太さで、関所の胸壁上部に突き刺さる。集束された光の超凝縮レーザーであるそれは、関所上部に構え、地上の敵軍を飛び道具で迎え撃とうとしていた射手や術士を容赦なく光で呑み、火にも勝る巨大光線の熱はあっという間に人間を灰にする。上空から放たれたミスティの砲撃は、遠方から見てもその太さに驚くほどで、その豪快なファーストアタックに天人も、味方の地人陣営も度肝を抜かれただろう。
それで済めばただの一発奥義、ぎらりと目を光らせたミスティが、砲撃を放ち続けたまま掌を動かし、破壊光線の着弾点を横滑りに胸壁上部を焼き払う。自分の右側、胸壁上部を焼き尽くしていた光線が、自分方向に着弾地点をスライドさせてくる光景を目にした天人をして、それは悪夢のような光景だ。逃げてももう、間に合わない。ミスティの光線によって一掃される胸壁上部の兵達は、まとめて命を奪われていくのみだった。
「さあ! アトモスの遺志! 時代を塗り替える時は今ここに来た!」
おどけた口ぶりで身内と接していた日々とはまるで真逆、幼く高くも堂々たる張りのある声を上天から放ったミスティの一喝は、彼女の大技に絶句しかけていた味方の目を覚まさせる。あまりの光景に駆け足も鈍りかけていた者達が、想像以上に頼もしき存在であったミスティの姿を追うように、雄叫びを上げて関所へとなだれ込んでいく。
「全隊、構えろ! 天魔……」
「地表の喝采」
無数の敵を正面から、連携しての大魔術で迎撃しようとした天人達。それらが術の発動を遮られたのは、彼らの集まる地上広くが突然爆裂し、立っていた彼らを上天高くへ吹っ飛ばしたからだ。風の翼を背負い、関所上空を旋回飛行するミスティの視野は、自陣営への大きな障害となるであろう術士達を誰より先に察知し、先手を打ってそれらを妨げる術を発動させていた。
「見事だ、ミスティ君……!」
宙に舞い上げられた者達へ素早く滑空、接近したネブラがそれらを容易に切り捨て、放った言葉は畏れすら露にミスティを賞賛するもの。普段の彼女なら、舌を出して笑ったり、照れたような声や仕草でも見せてくれるだろう。だが、今のミスティは違う。冷徹に据わった目で地上を見下ろし、自分を見上げて弓を構えようとした一兵を見つけるや否や、その敵兵が弓を引くより早く魔力を練り上げている。
「うっざ」
よくも仲間を、と憎々しげに自分を睨んだその眼が、ミスティの癪に強く触ったらしい。吐き捨てるような言葉とともに火球を放つミスティ、矢よりも速いそれをかわす暇もなく顔面にぶつけられ、その瞬間から火だるまにされてしまう射手。しかもその射手の体に着弾した火球はその時点で炸裂し、周囲に大中小の火の玉を拡散させる結果に繋がり、周囲にいた天人達の足並みさえも乱れさせる。
「理不尽に奪われ続ける気持ち、めいっぱい味わって貰おうか……!」
関所に到達し、接した兵を薙ぎ倒していく地上軍。悠々と関所の胸壁の向こう側に空から侵入したミスティは、敵の群集地である地上を狙撃する魔力を既に集めている。
「雷精の行進」
味方のいない地表広くに、ミスティが降らせる何十もの稲妻。地を砕き、耳をつんざく雷音を交響させ、人を丸焦げにする稲妻は、一秒間に数発のペースで地上を撃ち抜き、天人達の悲鳴や声による交信すら丸呑みにする。阿鼻叫喚の地上を空から見下すミスティ、やがて関所を撃破して都に踏み込んでくるアトモスの遺志。ずっと身内にすら秘めていた懐刀を抜いたミスティを先頭に、革命軍による真の侵略劇が幕を開けていた。
「来たぞ! 全軍、迎撃準備!」
ホウライの都の東関所を守る天人達もまた、遠方平野からこちらに迫ってくる敵兵の波を見受け、緊張感を高めていた。押し寄せる敵軍を前にして、我らの都に一歩も踏み入らせるものかと決意を固めた天人達は、鋭い眼差しで万全の構えを敷いている。布陣もこの上なく最善の、充分な時間を経て組み上げられたものだ。
だが、いよいよ敵の波が人の集合体であると、実体を見えやすくした距離まで迫った瞬間のこと。まるで示し合わせたかのように、人混みを開いた敵軍の真ん中から、一際凄まじい速度でこちらに突き抜けてくる猛獣がいる。馬群を破って先頭に立つ一等馬のように、矢面に立つ形で姿を現した巨大な雄牛。その背に紳士服に身を包んだ老人のまたがる姿が見えた瞬間の、天人達の戦慄は言葉では言い表せない。
「セシュレ……」
雄牛の速度はある瞬間に流星のような速度を得、背にまたがる主の名を口にしかけた天人を、抵抗すら許さぬスピードで額をぶつけていく。馬より早く獅子より重い、そんな雄牛の石頭で激突された天人が吹っ飛ばされるのは当然の光景。彼が全身を砕かれて後方へ吹き飛ばされるベクトルとよく似て、雄牛の背を蹴り発った紳士服の老人も、軽い体を跳ばせる形で敵陣の中心へと舞い降りていく。着地した瞬間に、無数の敵兵に包囲された状況となる場所へだ。
「地術、火炙りの大樹」
着地の瞬間、セシュレスが地上に掌を当てて魔力を投じた瞬間から、包囲されている状況は終わっていた。セシュレスを中心とした地表広大円、それが一瞬で真っ赤な色に変わったかと思った瞬間、そこから天高くまで届かん勢いで、地獄めいた炎が立ち昇ったからだ。離れた位置から見れば、それはまるで太き炎の大樹。きのこ型の雲を上天に残し、炎と煙が地上から立ち消えた頃には、消し炭状態にされたセシュレス周囲の天人の屍と、その中心で自らだけを焼かずにしゃがんでいる術者の姿だけが残る。
「ニンバスよ、鳶の翼の傭兵団達よ。お前達のはたらきは、決して無駄にはしない」
遠き北の地で今、彼らがどうしているかなどは知らない。だが、スノウがそちらに向かったことは、セシュレスには確信してわかっていること。利口なスノウのことだ、姿を見せぬ自分などを探すより、正体の見えた強敵であるニンバスの場所へと先ず赴くはず。セシュレスがニンバス達に託した役目とは、スノウとの決着を望んだニンバスの要望を叶えることに兼ね、最強の聖女をそちらに引き付けることだったのだ。
最も厄介なスノウが自分達の位置を悟れても、駆けつけてくるまでにはまだまだ時間がかかる。都を前に、もはや姿を隠す意味はない。敵本陣を一気に攻め落とすべく牙を剥いたセシュレスが立ち上がる様は、それだけで天人達に悪魔の降臨を彷彿とさせるものだ。
「地獄へ旅立つ覚悟は出来たかな?」
不敵に笑うセシュレス、彼が崩した天人達の陣に強襲するアトモスの遺志。怪物めいた巨体を持つ雄牛を筆頭に、殺意むき出しで襲い掛かる地人の軍勢が押し寄せる勢いは、関所を守る天人陣営に、負け戦を強いる様相を既に確定づけていた。




