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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第10章  嵐【Evil】
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第177話  ~悲痛の空~



「……はっ!?」


「アスファ、気が付いた!?」


 気を失ったまま、スノウの片腕に抱えられたままの少年が目覚めて顔を上げた瞬間には、重心が動いたことでスノウの飛空軌道がぐらついた。自分周囲の風をぎゅっと操るスノウは、細腕で武装した少年を抱えつつも、肌をぴったりと合わせたまま。飛翔能力に秀でる第一人者だけあって、僅かな揺らぎもすぐに修正する辺りも流石である。


「スノウ様……ぐ、っ……!」


「しっかりそのまま動かずにいてね……!」


 目が覚めてすぐ、稲妻に焼かれた体の痛みにうめくアスファだが、彼を抱えるスノウはそれを苦にしない。雷音轟く空の中、黒雲から発されて差し向けられる稲妻の数々を、計算ずくの乱れ軌道で回避を繰り返す。空の広範囲に拡散させた、雷撃球を操って、黒雲らを撃ち落とすことも継続している。


「っ……!」


 武器も失ったアスファ、黒雲や敵の飛び回る空においては、スノウにこのまま抱えられていた方が安全だろう。だが、そういう状況を潔しと出来ないのが男の子。武器を失っていることも含め、ようやっと現在の状況を理解したアスファが真っ先に取った行動は、我が身を抱えるスノウの腕をこじ開けるもの。


「な……っ、何してんの!? アスファ!?」


「飛べます……! スノウ様は、戦いに集中して下さい!」


 スノウの腕から抜け、とんぼ型の翼を広げたアスファは、スノウからそう遠くない空を飛び始めた。気が気でないのはスノウ、あぁもう馬鹿と心底毒づきながら、空いた両手を振るって放つ雷撃球の追加で、アスファ近空を舞う黒雲を撃墜する。目を離せない愛娘と難敵がいるというのに、気にかけなくてはならない奴がまた離れた場所に増えたではないか。


「やらせて下さい! 一生のお願いです!」


「アスファ、あなた……っ!」


「命を懸けてここまで来たんです! 俺の人生です!」


 知ってる、アスファも風の魔術ぐらい使えることは。武器は落としてしまった彼だが、まだ参戦することは出来るだろう。足を引っ張りたくないっていう彼の言葉の行間だって読み取れる。したいようにして、それで自分が死ぬことになっても厭わない、そういう覚悟が彼にはある。魔術を放つ両手が忙しくなかったら、スノウは頭を抱える行動を形にしたいぐらい。


 みんなそうだ、いつだってそうだ、残される者達の気持ちも考えずに。ニンバスに率いられる傭兵達だって全てがそうだろう。叶えたい何かのために、掛け替えのない自分の命を軽んじる馬鹿野郎ばっかりだ。親友だったアトモスとの決着に、命含んだ全てを懸けて臨んだ過去を持つ自分が、命知らずを批難する資格がないのもスノウはわかってる。だったらもう、死にたいなら勝手にしろと、やりきれない想いで突き放すことしか出来ないのだ。


「生き延び、なさいよ……!」


 最大の妥協点を口にして、スノウはアスファを見捨てて愛娘の領空へと我が身を進めていく。最後、視界の端に、黒雲に追い迫られ、発射された稲妻をぎりぎりで回避する彼の姿が映った。手の届かない戦場下の命。彼が生存してくれる未来に向けてスノウが出来ることは、もはや祈ることしか残されていなかった。


「来たな……!」


 さあ、表情を揺るがさぬままにしつつも、状況の変遷に声が強くなるのはニンバスだ。空中を飛び回る岩石の塊を回避しながら、荒れる風の中を飛翔するニンバスへ、スノウの雷撃球が差し迫る。揺らされる翼と体で、それらをかわしてきりもみ回転するニンバスは、そんな中でも自らの黒雲を意のままに操っている。空いた両手をしばしば振るい、風の刃を放ってくるスノウの追撃も、ニンバスは危なげなく回避する。


「っ、く……! はあっ!」


 ニンバスの操る黒雲に包囲されたファインは、自らの生み出した乱気流に少々揺らされながら、しかし時には追い風を受けて味方にし、黒雲の放つ稲妻をかわし抜けている。中でも、引き寄せた岩石に黒雲と自分の間を通過させ、一瞬の盾にして稲妻を防ぎ通した操作能力は見事の一言。さらにはニンバスが接近しようとした矢先、その気配を先読みしたかのように火球を投げつけ、ニンバスの出鼻をくじいてくる判断能力も特筆点。


 つくづく厄介、これでも足りない、ならばもっとだとニンバスが黒雲を再生産し、スノウが減らした空の雷撃砲台を増殖させる。どれもがニンバスに生み出されてすぐに動き出し、急加速を得て周囲の先輩雲に劣らぬ速度で飛び始める。すべてがファインとスノウを包囲する陣形のために追加され、四方八方からの雷撃が親子二人を苦しめる。


「数を出せばいいってもんでもないでしょうに……! 天魔、大発雷(サンダーフィズ)!」


 兵力の逐次投入は下の下策、それを証明するかのように魔力を投じたスノウを中心に、全包囲へと稲妻が放たれる。それは蜘蛛を中心とした巣のように手広く放たれ、彼女周囲近空の黒雲らに直撃、纏めて爆裂させる。多量の魔力を投じて作られたニンバスの黒雲数個を、この一瞬で葬り去ったアドバンテージは大きい。ニンバスの損失は見た目以上だ。


 しかしそのアドバンテージ差が生じるのは、ニンバスとスノウの二人の間のみの話であって。


「天魔、行列風斬(グリッドカーヴァ)


 剣を振るったニンバスがその方向に放つのは、進行方向のあらゆるものを滅多切りにする風の集合体。狙うはファイン、稲妻を回避する動きで身を傾けた彼女へ素早く迫るそれは、ファインが身近に引き寄せて盾にした岩石さえにもがすがすと傷をつけ、回折した風が飛翔するファインへと襲い掛かる。岩石の壁で前進が僅かに遅れた風刃の集合砲撃は、加速してなんとかその破壊軌道上を逃れたファインのすぐそばを通り過ぎ、風が空を切る音を彼女に届けてぞっとさせる。


「うぁ……」


 そして迫るはニンバス本体。乱れる風にも慣れてきたニンバスの急接近には、ファインも思わず恐怖の声が溢れた。カーブ軌道で側面から迫るニンバス、滑空軌道を折ろうとするファイン、そしてニンバスに横から迫るスノウの雷撃球。


 愛娘を守るために操ったスノウの雷撃球体も、ぎりぎりまで引き付けて身をひねったニンバスの残影をすり抜け、殆ど減速しないまま迫ったニンバスの剣が振るわれた。その"殆ど"がこの局面では大きかったのだ。ファインの頭に食らいつくはずだった剣は、身を傾けて首を思いっきり後ろに引いたファインの行動により、彼女の目の前すれっすれを通り過ぎていった。熱い何かが鼻先にかすった錯覚さえ覚える紙一重。殺気か剣が風を切り裂いた余波か、死に触れかけたファインが顔を真っ青にして、一瞬何も考えられなくなってしまうのも無理はない。


「天魔、氷河弾(フリズバーグ)


 放たれる追撃、方角は二つ。離れ行くファインと近空のスノウに向けて投げられる、極めて小さな氷の粒。それは二人に触れるまでの距離の中で急激に肥大し、対象到達直前には既に人より大きな氷塊に変わっている。スノウはまだいい、目の前に一瞬で氷の壁を作り出し、超重量の砲弾を防ぐことに成功しているからだ。滑空し続ける彼女の斜方後方、ぶつかり砕けた氷の壁の破片が舞い散り、うち一つのかけらがスノウの腕にぶつかったぐらい。


「ファイン!」


「あっ、うっ……うぐうぅ……!」


 スノウの視界外でファインはどのようにして氷塊に対処していたのか。答えは単純、回避しようとしただけでまともな対処など出来ていない。振り返った瞬間にはもう大きな氷の塊がすぐそばにあったファインは、翼で上を押し上げて、急降下軌道に身を逃すだけで精一杯だったのだ。残った脚に、大氷塊が轢き殺す勢いで激突し、中身が砕けた気さえした直後にファインは体を回され、今ようやく体勢を整えたところ。飛行中、痛む足を抱えることも押さえることも出来ず、姿勢を乱したファインがふらついて飛翔する姿がある。


 徹底して容赦ないニンバスが黒雲を操ってスノウを包囲し、稲妻を放射して牽制する。動きを縛られたスノウが手を伸ばしたい彼方、ニンバスが一気にファインへと差し迫る。敵はどこだ、必死できょろつき、ようやくニンバスを見つけたファインが見上げる上空から、急降下する勢いで迫るニンバスがいる。速い、避けきれない。


「っ……天魔! 螺旋風刃(スクリュードライバー)……!」


「ぬ……!」


「は!?」


 ファインの魔術の発動気配に驚いたのはニンバスもそうだが、一番驚かされたのはスノウの方。一瞬でファイン周囲の大気が渦を巻き、彼女の体を芯にした真空波の集合体となる。さらに翼を押し出して直進したファインが、真正面からニンバスに急接近し、正面衝突を計るような絵図。ニンバスも今さら止まれない。そもそもファインが真っ向から向かってくる想定は流石になかった。


 体のそばのあらゆるものを八つ裂きにする真空竜巻、それを纏って突撃するこの秘術は、スノウが見せたものと全く同じ。しかしスノウがファインに教えた術ではない、一度見た母の術を教えられもせずに模倣したものだ。短い裏声さえ発したスノウ、驚かされつつも、母に教わったものかと眼差しを鋭くしたニンバス。そうじゃないからスノウほど驚かされなかっただけの話。


「甘い!」


「あ゛……っ……!」


 しかしやはりスノウのそれには及ばない。彼女のごく近くだけを切り裂きまくる真空波の集合竜巻に、恐れなく突撃したニンバスは、ファインが叶えたその狭い攻撃範囲を見切っている。ファインとすれ違うように、しかし手を伸ばして振るう剣がぎりぎり届くような交錯を叶えたニンバスは、剣が風の刃にきんきんと叩かれるだけの結果を残し、自らの体に傷をつけない。ファインは違う。今、思考停止しかけるほどやばい手応えがあった。


 怯むな、やるんだ、最後まで何が起こっても。3秒後に死んでいるかもしれない自分、それでも力を振り絞って、心に決めていた攻撃を叶えようとファインが魔力を集めていた。ファインの横腹、服が一閃すうっと裂け、その奥の細いファインのウエストが、ぱくっと赤く開いたその瞬間と同時、既に両手に魔力を集めていたファインがニンバスに向き直る。


「天魔っ……!」


「!?」


重熱線(メガブライト)!!」


 突き出したファインの両掌から発射される砲撃は、空にいた者すべての目を引き付けた。ファインの背丈よりも遥かに太い径、特大のレーザーが凄まじいスピードで空を駆け伸び、窮地を直感で察したニンバスへと真っ直ぐ襲い掛かる。ほぼ反射的、折るように滑空軌道を曲げたニンバスが一瞬前までいた空を、呑み込んだものを丸焼きにするファインの熱線レーザーが突き抜ける。羽先をかすめた光線の端が、じゅうっと羽を焼いた痛みが、危ないところだったとニンバスに思わせただろう。


 ぶしっと横腹から熱い何かが噴出す実感、その正体が何なのかも今やファインは心に留めない。ファインの伸ばした手先、両掌から発射されるレーザーは太々と空に残ったまま。そしてニンバスの動きを見逃さないファインは、勝負を賭けたこの局面で傷を庇いもしない。


「んっ、は……っ、ええいやあっ!」


「…………!」


 ファインが巨大光線の発射点、両掌を振り抜けば、熱線は長い直線軌道を空中に残したまま振り回される。空に描かれた光のレーザー、地上から見てもはっきり形がわかるほどのそれが、術者ファインによって空でフルスイングされた豪快な光景は、天地含めた戦場全体の殆どが、何事かと目を奪われかけたほど。


「ぐぅが……!」


 特大の光線を振り乱すそのアクションは、極太光線の中にニンバスを呑み込ませた。虫眼鏡で集めた光が紙を焼く熱を生じさせるように、ファインによる光の魔力の凝縮体たる怪光線は、呑み込んだニンバスの全身を火中のように焼く。水の魔力による断熱の魔術を身に纏ったニンバスだが、敵を光線が捕えたままの形を手放すまいと、掌をニンバス方向から逸らさないファインとその魔力が、防御を超えてニンバスを焼き尽くす。


「っは……! かっ……ふっ……」


 巨大なレーザーの中に5秒捕えられ続けたニンバスの体が傾き、ぐらりと落下し始めたのと同時に、ファインの我慢にも限界が訪れる。発射熱線間近の掌は既に真っ赤、痛む横っ腹、投じすぎた魔力の喪失によって飛びかける意識。光線発射を途絶えさせ、自身も僅かに我が身を傾かせながら、血が吹き出ている腹傷を両手で押さえて背を丸めるファイン。服越しにぬるりと掌を生温かくする血の感触が、痛み以上の深手をファインに理解させ、さらに顔色が悪くなる。


 ニンバスはどうなったか。翼を失った鳥のように力なく、地上へと落ち始めた彼の姿はファインにも見えている。背を下にし、ファインの方向に頭の先を向けたニンバスの上空位置には、彼を見下ろす形のスノウ。その二人の目が合った時の両者の表情は、ファインには視認出来るものではなかった。




「……そんな悲しそうな目をすることはない」




「あ……」


 スノウだけが目にすることが出来た、ふっと優しく笑ったようなニンバスの表情。それと同時に、背を下にしたまま翼を広げたニンバスが、落下速度を抑えて身を回し、ばさりと音を立てて空に留まった。彼が操る黒雲は、ほんの僅かな時間動きを鈍らせたものの、術者が持ち直したことを物語るかのように再び動き出す。


 まずいと感じたのは誰よりもスノウだ。翼をはためかせつつも背を丸め、それでもニンバスから目を切るまいとするファインは、背後から迫る黒雲に気付いていない。空中に拡散させた雷撃球を操るスノウが、ファイン後方でそれらを撃ち落とし、無数爆音が後ろから響いた時、ようやくファインも気が付いたほど。決死行にてニンバスに大きなダメージを与えてくれたファインだが、彼女の限界もそう遠くない。


「くぅあ、っ……! ニン、バス……!」


 ファインを救うための雷撃球に意識を裂いたスノウの隙を、彼女周囲に集まった黒雲の放つ稲妻が突く。四方八方からスノウを撃ち抜く黒雲、被る電撃で全身がびかびか光らされるスノウ、苦しい表情ながらも彼女が落ちないのは、雷撃の魔力に反する同色の防御魔力で全身を包んでいるから。生身で受けては全身が真っ黒焦げになるような電撃数発を受けてなお、びしばし体が引き攣らせられる痛みで済んでいるだけでも、スノウの魔力がもたらす防御力は高いということだ。


「っ……かあっ!」


 振り上げた両手を気合とともに振り下ろす挙動、それと同時に放った大型の電撃球体。翼で空を押し出して、再び滑空し始めたニンバスのそばを通過する中、電撃球体は自ら炸裂して稲妻を周囲に爆散させる。上昇してスノウと同じ高みの空まで到達し、距離のある空で旋回飛行するニンバスは、スノウ後方の空でよろよろ飛ぶファインを視野に入れつつ、目の焦点をスノウに合わせている。


 ああもう、微笑むな。小さく動いたニンバスの口元が、声の届かない離れた位置で、自分に何を言ったのかも予想がつく。"なるべくしてなったことだ"、だろう。そうだ、約束を違えた自分が今を招いたのだ。誰が好き好んで、親しく語り合った天人同士の友と、殺し合いたいと思うだろう。旧知の仲だったニンバスが、俺を殺すならその気でかかってこいと、今や敵となった自分の背を押してくれるような顔をこちらに向けてくる姿は、精神攻撃だとしたら絶大な威力だと思う。胸が張り裂けそうになるほど苦しい。


黒い捕食者(ブラックプレデターズ)もそろそろ限界か……」


 黒雲をまたもぽつぽつと生み出しつつ、自身の魔力の限界を感じ始めるニンバス。スノウの魔力は無尽蔵にほぼ近く、これ以上戦いが長引くなら負け戦だ。だが、ファインには一太刀を加えたし、地上の敵軍にもそれなりの被害を既に与えている。今からの数分間に限って言えば、戦況はまだニンバス陣営の側に傾いている。


「ここからが本番だ……!」


「終わらせましょう、ニンバス……! 天魔、対抗雷撃(シューブランデー)!」


 剣を握る力を込めたニンバスがスノウへと急接近する。迎え撃つスノウは雷撃球体をさらに大量生成。黒雲を多数従えたニンバスと、雷撃球体で自分周囲を取り囲んで飛ぶスノウ。接近戦ならばニンバスの圧倒的優勢、しかし凌げばスノウの勝ち筋。決着が近付きつつある空で、かつての近代天地大戦で苦楽を共にした、元英雄と聖女が交錯する。


 迷いを捨てろ、親友であったアトモスを殺めたあの時のように。既に自身に言い聞かせたスノウが舞う近空、無表情に戻ったニンバスは、感情を封じた戦人の姿で差し迫らんとしていた。











 ニンバスは、天人達の中でも変わり種だと言われてきた人物だった。彼が生まれた小さな村は、村社会の中で天人が事あるごとに優位性を主張する場所ではあったが、ニンバスと周囲の地人達との貧富の差は、さほど大きくはなかった。口数も少なく、社交的な子だと思われにくい少年であったニンバスだが、他の天人達と比べて地人を下に見る目線は持っておらず、幼馴染の地人達とも仲良くやっていた方である。地人の側も、何かにつけて高い鼻をひけらかす天人を好みにくいものだが、彼と友人として付き合おうとする地人が少なくなかったのは、血筋を鼻にかけないニンバスの人間性があったからだろう。


 老いて背筋を伸ばせなくなった両親に孝行するため、幼い頃から秀でていた剣術を片手に都に上ったニンバスは、若くして天人の優秀な一兵として名を馳せていくことになる。彼の5歳年下に、若い頃から負け知らずの天界兵テフォナスという男もいたのだが、一般天人兵としてのニンバスと比べて、天界兵のサラブレットも肩書きを除けば少し見劣りしていたぐらいだ。破竹の勢いでその実力を開花させていったニンバスは、稼ぎの多くを故郷や実家に贈ることも絶やさず、地人含む旧友からも誇られる男として毎日を過ごしていた。


 ニンバスは天人でありながら、地人達との縁を大切にする人物だった。彼は幼い頃から悟っていたのだ。現代社会を支えるのは、支配者側に立つ天人達の方だと思われがちな一方、その本質はそうではない。働き手として虐げられつつも、多くのものを生み出す地人達も、現代社会を支える小さくも無数の柱なのだと。天人である彼が近づいてくることを、怪訝に思った地人も多かっただろう。それでも縁を多くと結び続け、十年かけて数々の地人達に慕われる天人となったニンバスは、いつしか"地人達の英雄"という、変わった肩書きを持つ天人となっていく。


 ある都のお抱え兵士だったニンバスも、やがて後続の若者に席を譲る形で独り立ちし、地人達が数多く過ごすアボハワ地方に居を移した。両親がともに世を去り、故郷への仕送りのためのお金を稼ぐ必要がなくなった時期の話だ。アボハワ地方の小さな村で、自警団の長を務めながら、地方全体に顔の広い強き天人様として慎ましやかに過ごしていた頃が、今にして思えばニンバスにとって一番楽しかった日々だろう。新しい地に行けば、新しい風土のしきたりも覚え、馴染んでいくための努力も必要。出会う人々と分け隔てなく付き合い、顔を広くしていく一方で嫁探しは変に遅れ、独身が長いことを友人にからかわれたりもして。何もかもが楽しかった時代は誰しもあるもので、ニンバスにとってはこの時がまさにそれだった。


 状況が変わったのは、天人達への恨みを爆発させたアトモスが革命活動を始めた時だ。アトモスと、彼女に出会ったセシュレス、二人を中心に集った数多くの地人達は、虐げられ続けた歴史を変えるために蜂起し、天人達との戦いに乗り出した。その渦中にいたニンバスは、既に地人達に愛される男であったため刃を向けられることはなかったものの、彼自身も地人達が、同胞である天人を殺めるために動き出したことには複雑だっただろう。


 アトモスが為そうとする革命と覇権を守ろうとする天人の戦い、近代天地大戦の幕開けの頃、密かに多くの人々が気にしていた一事に、ニンバスはどちらの側につくのかという話があった。不敵なるセシュレスが天人のニンバスに近付き、我らと共に天人の支配を終わらせぬかと持ちかけたこともあった。セシュレスがそうした行動に踏み出すほどには、天人でありながらニンバスは中立的な存在であり、強き彼の動向には多くの人々が気にかけていたのだ。しかし彼が最後に選んだ道は、天人陣営の味方をし、革命集団を鎮圧することだった。


 "人の歴史はまだ幼い。革命に見せかけたそれは、やがて天人と地人の共々を滅ぼすでしょう"


 既にニンバスの知己であったスノウが、ニンバスに最後の決断を促した言葉がそれだった。彼女の言葉にうなずいたニンバスは、やがてホウライ地方に力を与し、天人陣営に味方することとなる。ニンバスにとって一度目の裏切りだ。天人である自分を受け入れてくれたアボハワ地方の地人達、彼らが望む革命を穿つための剣となる自分は、二度と許されはしないだろうと覚悟を決め、幸せな日々と縁を切ったのだ。


 スノウが語ったとおり、革命とは極めて危険なものだ。地人陣営の勝利、天人支配の時代の終焉、その後にはいったい何が残るだろう。長引くであろう戦、死体の山、減った人口、荒れた地、そして恐らく容易には完成されない新社会体制。革命において最も大切なのは、それを為した後の新時代の創世なのだ。そしてスノウの言うとおり、人の歴史はまだ極めて幼い。支配される側であって長すぎた地人達が、急に支配する側に立てば社会全体はどうなるだろう。利益を貪りたくなる、それが普通、そして搾取される側が天人側に変わるが、現代社会全体の構成はそれで上手く成り立つ形には形成されていない。アトモスの陣営が勝利し、地人達が喜ぶ時代が来ても、それは一時的な歓声を数年続けさせるだけで、やがては地人を含めた文明すべての荒廃に繋がると説いたスノウ。ニンバスはその言葉に、自分自身の人生経験から答えを出したのだ。どうして自分達を見捨てて天人達の味方をするんだと嘆く地人達にも、そう真摯に説明して背を向けた彼の苦しみは、他者が容易に想像に及ぶほど軽いものではなかっただろう。


 彼を追ってきたのは裏切り者を追う刃ではなく、慕い続けた英雄様の決断を信じた地人達だった。これはスノウ含む天人陣営全体のみならず、ニンバス自身が最も予想外だったことだ。革命を望む気持ちは確かにある、だけどニンバスがそう言うならと、先行き不明な革命よりも、慕えるあなたの道を支えましょうと追いかけてきた地人が少なくなかったのだ。親しくなった地人に背を向け、革命を妨げようとする天人、それに従い地人の悲願を止めようとする地人が現れたこと。これは、千年の歴史の中でも類を見ない出来事だった。その末にやがて生まれたのが"鳶の翼の傭兵団"。天人ニンバスを中心とし、地人だけで構成された戦闘集団であり、その誕生の一事だけでも、戦時中のスノウやアトモスやセシュレスに、時代とは計らずして動くものだと思わしめたものである。


 やがて、スノウによってアトモスが討たれたことで、近代天地大戦は幕切れを迎えた。地人達が望んだ革命は水泡に帰したのだ。これでよかったんだと、ニンバスは自身の決断を信じることに努めた。アトモスと親友同士であったスノウにとっては、もっとつらい決着だっただろうと想像力でも補ってだ。戦友として親しみ合ったニンバスとスノウの絆は、友人としてこれからも長く続いていくはずだった。


 天人陣営の功労者であったニンバスに与えられた褒賞は果てしなく、天界王フロンも人を通じてニンバスに何を望むかと聞いてきたほどだ。ニンバスは答えた。出来ることならば、今の世にはびこる天人優勢の天秤の傾きを和らげ、僅かでも地人達に優しき社会に変えていけぬものかと。そうしない限り、きっと同じことがまた起こり、再び多くの人々が戦災に巻き込まれることになるだろうと。これにはスノウも同意した上で、天界王に言上した。王はその言葉を聞き受け、ニンバスと共に戦い抜いた地人達にも褒章を与え、その戦果に報いた。


 革命を為せなかった地人達にとっては、多くを失うばかりで得るものも無かった哀しき戦。そうさせぬための後始末を望んだニンバスにとって、それは僅かでも救いのあることだった。この時はまだ未来に対して希望を持ち続けることが出来ていた。




 見せかけだけの天界王の配慮は、終戦から十数年経っての今、とうとうニンバスを革命軍に翻らせる結末を招いた。愚政は再び近き過去の悲劇を繰り返させる、そうあらかじめ箴言したニンバスの言葉は、彼自身の行動を以って証明されることになったのだ。

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