第175話 ~空のファイン、地上のクラウド~
ほんの少し時を遡っての話であるが。
「ニンバス様、ですか……!」
「ええ、そうよ。全てに優先して私達がまず撃退しなくてはならない敵、それがこの先にいる」
ホウライ城の北から進軍してくる敵勢が、"鳶の翼の傭兵団"であるとの報を受けたスノウは、迷いなくその方角へと発っていた。風の翼を背負い、追い風を受けての超特急だ。ファインもそれに従う形で、同じく風の翼を味方につけ、ぴったりと母のそばを飛翔する。
「セシュレス、ドラウト、ネブラ、あるいはあなた達が交戦してきた"アトモスの遺志"の強敵達。真っ先に撃破すべき難敵は挙げればきりがないわ。だけど、それら全てと比較しても、一番最初に撃退すべきはニンバスなの」
アトモスの遺志は、ホウライ城の遥か北東を開始点に進軍してきている。城へと素直に攻め込んでくる敵軍のルートは、大きく分けて北から、北東から、東からの三方向と見て良い。スノウが待機していた場所は、城から北東の方角だ。ここが一番、どこから攻め込んでくる敵の動きにも対応しやすかった。そしてスノウは、戦いが始まった時、自分が真っ先に動くべき方向は、敵軍にニンバスを含む合戦場だと決めていた。
「"鳶の翼の傭兵団"は恐らく、アトモスの遺志の中でも最も有力な戦闘集団の一つ。そして彼らを率いるのは間違いなくニンバスよ。ニンバスという頭さえ潰すことが出来るなら、敵陣営の大きな集団の一つを壊滅させることが出来るわ」
ニンバス率いる傭兵団は、十数年前の近代天地大戦でも猛威を振るった戦闘集団だ。個々の能力高さと、それが生じる影響力を何倍にもする結束力で、天人陣営を勝利へと導いた総合力は今なお語り草である。それが今では、敵陣営にいるのだ。将たるニンバス含め、天人陣営にとっての脅威であることは言わずもがな。
その結束力の弱味を突くとしたら、彼らはニンバスにしか従わない集団であるという点。きっと今も、鳶の翼の傭兵団は、最高指導者のセシュレスではなくニンバスに誓う忠誠を貫き、戦場に立っているだろう。あれは、そういう組織である。ニンバスさえ討つことが出来るなら、最も恐るべき集団の一つである傭兵団そのものを無力化させられるということだ。これを狙わない手は無い。だからスノウは、どうせ所在を容易に割らせてくれないセシュレスを探すより、最速でニンバスを討つことが先決だと始めから決めていた。
「……出来るでしょうか」
「さあね……ニンバスは強いわ。あなたも一度戦ったなら、わかるでしょう?」
最初の一手にして、勝負の分かれ目となることが決まっていながら、茨の道。空の最強兵ニンバスを撃墜することの難しさを、この親子は実感として知っている。奇襲によってニンバスの片腕を砕きながらも、クラウドとサニー合わせての三人がかりでも死の際まで追い詰められたファイン。かつて何度もニンバスと戦場で共闘し、未だ忘れ得ぬ彼の心強さが、今は最大の脅威と成り代わった立場のスノウ。戦に幼いファインが不安を口にする言葉を、無責任に大丈夫よと笑って励ますことが出来ないほどには、スノウもこれから迎える苦闘を意識してやまない。
「それでも、やるしかない。私達がそれを叶えて、初めてホウライに勝機が見えると考えてもいいわ。それだけの重みが、これからの一戦にはある」
逆に言えば、スノウやファインがニンバスを退けることが出来なければ、もうホウライ側に勝ちの目が無くなる可能性も高いという意味。責任重大と、短い言葉で片付けるだけではまだ軽薄。ホウライ城に残してきたレインや、新しい友達のラフィカの命さえ背負っての戦いになると、ファインも認識せざるを得ない。滑空する中、胸元をぎゅうっと握り締めるファインの挙動は、背負った使命の重さに息苦しささえ覚えた表れだ。
「私は、出来ると思ってるわ。頑張りましょう、ファイン」
「……はいっ!」
きっとスノウは、不安げな自分を勇気付けるために、言葉を作ってくれたんだろうと思う。今ですら、既に心が押し潰されそうなファインが、母の言葉を頼りに北の空を真っ直ぐ見る。武人の横顔ではない、重圧を必死に退けようとして、戦うことへの恐怖を打ち消そうとする、16歳の少女等身大の表情だ。それでも速度を一切落とさず、北へ向かう我が身を進める姿勢が、怖さを乗り越え死地に向かう我が子の姿としてスノウの目に刻み付けられる。
戦人でもない我が子がここまでしてくれているのに、自分がやらねば誰がやる? スノウにとって世界一特別な少女の姿は、客観的には頼りなく見えるものでも、スノウにとっては奮起すら促してくれる存在だ。
「……それにしても」
あるいは、客観的には頼りないと言うのも間違いだろうか。当たり前のように現実化した光景だったため見落とされがちだが、改めて考えるとスノウも首をかしげそうになる。天人陣営の中でも最強の術士たるスノウが、急ぐために最大速度の滑空を為しているというのに、ファインはぴったりついてきている。それを為すファインの魔力の色には衰えの気配もなく、無茶をしている気配も無い。かつて近代天地大戦を終わらせた聖女の飛翔能力に、ファインは自然体で何ら見劣りなく空を駆けている。
ふと地上を見下ろせば、ちゃんと自分達の滑空速度について来る、ファインの新しい友達もいるではないか。どんな速度で駆けられる脚だというんだろう。スノウ達を見逃さぬよう空を見上げたまま、馬にも劣らぬ速さで駆けるクラウドの姿には、スノウも彼の身体能力高さの片鱗を嫌でも感じ取る。
「これで負けてちゃ、どのみち希望は無かったとも思えるわ」
「お母さん?」
「ああ、無視して。独り言だから」
一人では、きっとやれるはずと信じるのもきつかったかもしれない。敵の強さの現実を知るスノウが、僅かでも希望を掲げやすくあれたのは、想像以上の潜在能力を予感させる二人が味方であったことだ。
聖女様と小奇麗な呼称で敬われるスノウだが、その名は近代天地大戦を終わらせた猛者に与えられた呼び名。言葉の響きとは裏腹に、スノウの立ち位置は最強格の戦闘魔術師という点に本質がある。多くの実力者を、敵にも味方にも山ほど見てきた彼女、人を見る目はある。強者弱者を見分ける目に関しては、尚のことと言ってもいい。
「ちくしょう、きついな……! まずはあのガキだ……!」
「後衛、手ぬるいぞ! 大物狩りのつもりで余力を惜しむな!」
そんなスノウが、いざ戦線に混ざる前の彼を見て、既に感じ取っていた強者の匂い。いよいよ戦場に舞い込んで暴れるクラウドの影響力の大きさは、何百人の想像を上回っていたのだろう。予想通りの強さだと感じられたのは、クラウドと直接交戦したことのあるケイモンやオラージュ、フルトゥナの三人だけだろう。いかに人づてに、こんな強いガキがいるから用心しろと言われていても、若きクラウドの風体からここまでの強さだと、想像力だけでは補えまい。
まず機動力から言って違う。誰と連携するとも決まっていないクラウドのフットワークはそもそも自由で、しかも彼自身の脚力も相まって不規則かつ迅速。あっという間に近い敵兵の一人に距離を詰め、クラウド一人に構っていられなかった敵の反応が遅れればそれが致命傷。間が合わない、反撃の間合いを見切るより先に、懐に飛び込んできたクラウドの足先で腹部を貫かれ、常識外のパワーで吹っ飛ばされる。鳶の翼の傭兵団の者達も、厄介かつ素早いクラウドを狙った魔術や矢、飛び道具を放つが、視野の広いクラウドは敵一人撃破後すぐに、ステップ。狙われた頃にはすでに動いている素早さが、我が身に飛び道具を触れさせない。
「この野郎が……!」
「…………!」
狙撃回避後のクラウドへと、果敢に攻め込む傭兵もいる。長くも重さを控えた棍棒でクラウドの肩口を狙い澄ます、速度と重みを兼ねた傭兵の一撃がクラウドに迫る。直撃寸前、深く前に踏み込んだクラウドは、自分よりも先に攻撃に踏み込んできた相手より早く、棍棒を握る敵の腕を逆手で巻き込んで捕える。そのまま敵の腕を抱え込んで回転したクラウドが、力任せに敵をぶん投げてしまうのだから、相手からしたら何が何やらわからない。決まった、と思った直後、なぜ自分が体を回されて放り投げられているのか理解できず、そのまま味方の一人にぶつけられて共倒れ。
射手はあそこか、と、矢が飛来した方向を忘れぬクラウドが、その方向に駆け出した瞬間の危機感は、迫られる側をして凄まじい。げぇ来やがった、の一言に尽きる。前衛の、剣と盾を構えた男がクラウドへ迎撃の前進、その後方からクラウドに矢が放たれる波状追撃に繋がる。飛来する矢の数々を手甲でことごとく打ち払うクラウドは全く減速せず、最短時間で互いを射程距離内に入れた前衛戦士とクラウドの交錯、勝負は一瞬。
クラウドの頭めがけて振り下ろされた剣、振り上げられたクラウドの足のつま先、ほぼ同時に発された攻撃ながら先に敵へと届いたのは足の方。敵の顎を蹴り上げて自身が後方回転する、サマーソルト型の月面蹴りが敵兵に致命打を与え、クラウドの身に降りかかっていた剣の刃も、回転しながら拳を振ったクラウドの手甲が横にはじいてしまう。敵の体を高く浮かせるほどの蹴りで、障害物をクリアしたクラウドは、そのまま再加速して射手らとの距離をゼロにする。
「げふぁ……!?」
「がふ、っ……!」
「何してやがる! まずはあのガキからだっつってんだろ!」
「わかっては、いるが……!」
射手二名がクラウドの脚と腕で薙ぎ倒される中、オラージュの急くような叫びと、苦々しい声で応じる傭兵の声が続く。何しろこの戦い、天人勢の方が数が多く、兵力任せに鳶の翼の傭兵団を圧迫しにかかっている。クラウドがいなければ、少数ながらもそれらに抗えるだけの底力を持つ傭兵団だが、爆弾小僧が一人敵陣営に混ざっていると話が違う。数任せに攻め込んでくる天人達への対処もしなければならない傭兵達は、クラウド一人に戦力を傾けることが難しいのが実状だ。
「っ、はあっ……誰かっ、あの人を……!」
フルトゥナもそう。若くも既に強敵のレッテルを貼られた彼女は、四方八方から迫る敵の武器や、矢や魔術などの飛び道具に晒され好きには動けない。それでも射程距離内に捉えた敵を、返す刃で仕留める実力は見事だが、今は一兵としての優秀さよりもクラウドを圧殺する兵力たれることの方が重要。
「ケイモンの旦那、なんとか……!」
「わかっちょるがのう……!」
地上における最強兵の一人、ケイモンはその中でも鋭く立ち回れている方だ。飛び道具の回避も流麗で、逃れる先はクラウドから離れる方向ではなく、接近する敵もほぼ瞬殺で撃退する。強敵ケイモンを暴れ馬クラウドに近づけまいとする天人達の努力も、これが相手では完全ではない。今も少し離れた場所で、3人ほどの地人をぶっ飛ばしたクラウドを能動的に止めにかかれるのは、ケイモンこそが最大の一人者。
「っく……! 空の、あやつをどうにか出来んもんか……!」
あと少しでクラウドに迫れるというところで、上空からケイモンの前方に、地面を焼く光線がどすどすと突き刺さり、前進したかった彼の足を止めてしまう。その遅れがケイモン狙いの天人の飛び道具を間に合わせ、追撃を回避せざるを得ないケイモンはまた前進を遅らされる。見上げるケイモンとオラージュの視界には、中空を舞いながら魔術を地上に降り注がせる少女の姿が映る。あれもよく知っている、かつてニンバスを撃ち落とした混血児の少女が、空の戦いに乗り込みながらも、地上への支援狙撃を的確に行なっている。
「戦いやすい……!」
死と隣り合わせの戦場で、思わずクラウドが小声で漏らしてしまうほど今の状況はいい。邪魔者は天人の友軍が退けてくれるばかりか、空からは親友による支援砲撃の上乗せつき。これほど自由に動ける戦いは久々だ。レインを守りながらたった二人で無数の敵に立ち向かった時や、ケイモンやオラージュのような単体でも強い敵、複数を一人で相手取らなきゃならなかった時に比べれば、味方がいるって何て動きやすいんだろう。少数精鋭でも多数天人を撃破できる、個々の能力高き傭兵を相手取っても、ノイズ無しでほぼ一対一、それも奇襲気味に仕掛けられ続けるこの戦場、詰めた相手を討ち果たすことが相当にやりやすい。
前方五方向から放たれる矢と火球の集中砲火にも、手が空いて自由に動けるクラウドを捉えきるには至らない。殆ど減速しないままに駆け、体を回してひねって矢を手甲ではじき、最小限の動きで飛び道具をすり抜けるかのような動き。射手や術士の危機、離れた場所からでもクラウドに狙撃火術を放とうとするオラージュだが、空から先手打って彼へと稲妻を落としてくる奴もいるのだ。回避し、ちくしょうがと空を見上げたオラージュの上空には、旋回飛行し空の敵の接近を回避しながら、地上への支援狙撃を継続するファインの姿がある。
「ごふ……!?」
「かグ、っ……!」
いつかケイモン達と戦った時とは違って万全のコンディション、かつ孤軍奮闘の多かった過去とも異なり、多くの支援に周囲を固められたクラウド。今も二人の敵をほぼ同時に薙ぎ倒し、はあっと息ひとつついてすぐ、次の標的に駆けていく動きは全く衰えない。自分にとって最善のリズムをほぼ崩さず、遮るものの少ない戦場を駆け抜ける少年は、過去最も順風に満ちた環境下で100パーセント輝いている。つまづく要素はどこにもない。
クラウドが不安に感じているのは、空のファインやアスファ、スノウの安否のみ。努めて地上を見広げる視野を保つ彼だが、見上げて案じたいという思念が残っているのも、あるいは余裕の表れなのかもしれない。
「落ちろクソガキめ……!」
「くっ、う……!」
それはもう、空のファインを敵視する傭兵達の目は厳しい。地上から低空のファイン目がけて放たれる矢や魔術も、彼女に差し迫ろうとする翼持ちの傭兵も、その数をどんどん増やしている。何せ素早い滑空速度に加え、空の敵を狙う魔術を展開しつつ、地上への支援まで叶えるファインの厄介さは見過ごせない。
「人の子つかまえてクソガキ呼ばわりとはご挨拶ね……!」
ファイン自身も巧みな飛翔で、迫る敵の振るう刃をかわし、心臓ばくばく言わせながら死の危機を逃れ続けている。加えて、彼女を狙おうとする者達めがけて稲妻の魔術を放つスノウが、敵の狙い以上にファインに迫る殺意を退けている。あらゆる空中点から突如発生し、不規則な方向に発射される稲妻は、飛び慣れた空中戦のエキスパート達も回避に必死になる。ファインをなかなか捕えられない。
「天魔……っ、逃れ無き天網!」
「く……またあれか……!」
「散れ! 狙い撃ちにされるぞ!」
伸ばした右手のそばに光球を生じさせたファイン、滑空しながらその光球があらゆる方向に、熱を伴う光線をばらまく。空は地上に比べて人の数が少なく閑散としがちだが、そんな空がファインの放つ光線で広く埋め尽くされてまぶしく輝く。百にも届かん光線をばらまきながら滑空するファインの魔術は、地上一部の敵を狙撃し、クラウド周囲の敵の動きを特に制限し、空の敵の陣形すら乱す効果を叶えている。一人でどれだけ、戦場広くにアドバンテージをもたらしているかわからない。
「そろそろ退場して貰わねば困るな」
「させるものですか……!」
苦戦に表情を歪められる傭兵達の誰とも異なり、冷静沈着な面持ちを保ったまま急降下する天人が一人。ばら撒かれる光線の間をかいくぐり、ファインに急接近するニンバスの滑空軌道の先に、スノウが風の魔術を展開する。小範囲に乱気流を突如発生させるその魔力が、ファインに真っ直ぐ迫っていたニンバスの飛翔を妨げ、体を揺らがされるニンバスの進行の遅れが、ファインが加速し逃れるための時間を作りだす。
「逃がさん」
「うっ、あっ……!? くう、っ……!」
乱れた気流の中でもファインを見据える方向へと体を回し、剣身の曲がったフランベルジュを一振りするニンバス。放たれた風の刃は、距離を作れて安心しかけたファインに素早く迫り、殺気にぞっとしたファインが慌てて身をよじって回避。ぎりぎりだ。冷や汗だくだくで急上昇するファイン、地上から離れて支援が難しくなる動きだが、そうしてニンバスから離れずにはいられないほど今のは怖かった。
「しぶといな」
「まずい……!」
剣を持たぬ方の手に、ばちばちと火花を散らす光球を握り締めたニンバスが、上空のファイン目がけてそれを投げつける。それの恐ろしさを知るスノウが、同様の色の稲妻の魔力を展開し、電撃の塊である光球を発射しそれを撃墜。スノウの魔力とニンバスの魔力が触れ合った瞬間、両者の稲妻の魔力が炸裂し、天然の雷音にも匹敵する爆音とともに電撃を撒き散らす。飛散する火花は遠方まで届き、充分に離れていたファイン含む、あらゆる者の肌をびしばしと痛めさせる。
だが、その爆音に戦場の者多くが怯む中で、ニンバスだけが冷徹な表情でもう一つの光球を作り出していた。スノウですら、はじけた電撃の光に片目つぶったその一瞬、二発目の光球を投げつけたニンバスの狙撃は、音と火花の痛みにぐらついていたファインに一直線。それでも危うげな気配を察し、ぐいっと傾けた体で滑空軌道を曲げたファインが、背後から迫るそれを回避したのは見事な方。
「ファイン!」
光球はファインをはずして彼方に消えるだけだろうか。ぐっと投げた方の掌を握ったニンバスの挙動に呼応するかの如く、ファインをかすめてすぐそばの空中点で、光球は自ら炸裂した。叫んだスノウの声とほぼ同時、振り向き身構え防御のための魔力を展開したファインの眼前、電撃の塊であるそれが破裂した光景は、ファインの目の前を稲光でいっぱいにした。恐怖とまぶしさでぎゅっと目を閉じたファイン、目の前に展開される絶縁土の壁、それが真正面からファインを猛襲する稲妻をばしばしと防ぐ一方で、回折した稲妻の電撃がファインの全身に襲いかかる。びきりと全身が痺れるような電撃と、びすびす肌を打つ小粒の火に、くぁと小さくうめくファインが、退がり落ちて稲妻の爆心地から距離を取る。
言葉無く無情に、ファインに急速接近するニンバスが、怯んだファインにその刃を振り抜く一秒後を未来視していただろう。苦しい顔でも何とかニンバスを見向き、撃退のための魔力を練り上げたファインも早い。ニンバスの剣、ファインの放つ火の魔力のいずれが早いか、両者の命運を定める瞬間には、我が子がそばを離れたスノウも対処を間に合わせることが出来ない。
「ニンバス様……っ!」
「む……」
「え……!?」
比較的近しい空を飛んでいた少年が横入りしてきたのは、完全に一対一を覚悟していたファインには予想外のことだった。四枚の薄長い羽を背負う少年の接近、振り抜かれた剣、それはファインへの攻撃を目前に控えていたニンバスの目算を狂わせ、対処する方向にフランベルジュを振るわせる。若き勇者の卵と元英雄の刃が空にて金属音を高く鳴らし、打ち合った二人がはじき合うように距離を取る。救われた形になったのはファインだ。
「アスファさん……!」
「ニンバス様、どうして……!」
「珍しいな、蜻蛉種か」
くるりと身を回して体勢を整えたファインと、羽を震わせホバリングするアスファが並んで空に留まり、上空に静止し見下ろしてくるニンバスを見上げる。幾多もの戦場で多くのエンシェントを目にしてきたニンバスは、アスファの羽を見ただけで希少種の名を言い当てる。あれは飛翔能力を持つエンシェントの中でも、滑空軌道の柔軟さと空中静止能力に秀でた、小回りの利くタイプの部族。
高みから見下ろすニンバスがアスファを観察する一方で、アスファの側も動けない。元英雄として名高い彼に、先手打って動く勇気がないことも一因だろう。しかしそれ以上に、隣のファインにも迫真に伝わるほど、英雄視されたニンバスが今や天人の敵陣営にいることに、アスファがやりきれない表情を浮かべている。彼がかつて尊敬する人物の名に、ニンバスを連ねていた事実を物語るかのようにだ。
「あなたは……」
「天魔、氷河弾」
問いかけようとしたアスファの口の動きを見てか見ずか、ほぼ同時に巨大な氷の塊を放ってくるニンバスの行動に、アスファは殆ど回避行動を取れなかった。戦人として致命的だった隙、そんな彼を救ったのは、彼の目の前に炎の壁を生じさせて、氷の塊を防ぎおおしたファイン。じゅわあと大きな音を立ててファインの魔力に抹消されたニンバスの氷は、その音でアスファを現実に引き戻す。
「若いな」
「聞き捨てならない……!」
いつの間にか高度を上げていたスノウが、氷の弾丸を側面からニンバスへと放って狙い撃つ。すっと翼の力を抜いて、ひゅうっと自らを落下させたニンバスが悠々と回避する中、旋回飛行するスノウがファイン達の近空で身を翻す。僅か最上点にスノウ、その斜の下方にファインとアスファが留まる中、二人と同じ高さの空で高度を保ったニンバスがこちらを見据えている。
「あなたに憧れ勇士を夢見た者は少なくないのよ……!」
「…………」
言っても仕方のないことを口にするスノウだが、彼女の知るニンバスのとおり、そんな言葉でも真正面から受け止めて思考時間を設けてくれるのが彼。天人陣営に敵対する側に回ってなお、自分を敬った過去を持つアスファと対面している現状に、何も思わぬわけではない優しさが彼にはある。良心を揺さぶるスノウの真意は、戦略的なものではなく、かつて親しく話した友人との対話を無垢に望んだもの。
「約束を果たせなかったことには言葉も無いわ……! だけど……!」
「それが全てなのだ」
必死な表情で訴えるスノウを一蹴し、フランベルジュを振るったニンバスの行動が、三人を捉える巨大な風を吹き付ける。飛翔能力を持って長い三人がぐらつかせられるほどの強風、しかしいずれも落ちはしない。両腕で顔を覆うファインも、片目つぶって風に耐えるアスファも、苦々しい顔のまま前傾姿勢を敢えて作るスノウも、戦う他に道なしというニンバスの主張を受け入れさせられる。
「未来とは、自らの手で勝ち取るものだ」
「ニン、バス……!」
その場で手を掲げたニンバスの合図が、三人を狙い撃てという指示として空の部下に伝えられる。空を舞う天人らと交戦しつつも、ファイン達を包囲する敵軍の動きが叶えられつつある。ニンバスという指揮官に導かれる"鳶の翼の傭兵団"の空の名手達は、数で勝る天人との戦いを為しながら尚、空の主導権を渡さぬ陣形を失わない。
ばさり、と大きく翼をはためかせて体を前に傾けるニンバス。風の魔力にて急加速度を得て、直進してくる彼の姿が続いた。魔力を剣を構えるファインとアスファ。本当の戦いが始まろうとしている。真に苛烈な空中戦を知るスノウは、何としても未来を担う二人を死なせてなるかと、より強固な覚悟を持って魔力を練り上げた。




