第174話 ~すべてはその二人のために~
ホウライ城より北東。天人軍勢と、ネブラ率いるアトモスの遺志がぶつかり合う合戦場はここにある。そして地人軍の最前列を駆ける二人が、数で劣るはずのアトモスの遺志を、恐ろしいほど力強く牽引している。
「ザコばっか仕向けてきてんじゃねえぞ舐めてんのか! 命懸かってる戦場を何だと思ってやがる!」
「あーっははは! 手応え無さすぎパッパラぴー!」
とにかく地上ではこの二人が強い。近付く敵は歩兵だろうが騎兵だろうが、馬やら人体やらを先端の四角い大きなシャベルで薙ぎ倒すザーム。火の玉を撒き散らし、味方を巻き込まず、敵を寄せ付けもせず火だるま天人を大量生産していくミスティ。二人の真後ろにいる者達へは、討ち漏らしの敵兵すらあぶれて来ない。二人の周囲を固めるのも無駄とあっさり見限ったアトモスの遺志は、少数の兵とは思えぬほどの広範囲に拡散している。その上で、兵力で劣る地人勢が、天人軍勢と対等に渡り合っている。
「駄目だ……! まずはあの片方を討ち取るしかない……!」
「わかっている! 行くぞ、息を合わせろよ!」
「あ、来た来た」
狙われたのはザーム。天人達の術士と思しき集まりで光る、集束されつつある魔力の気配。勘付くのが最も早かったのはミスティだ。たった一人で包囲された状況からも、獅子奮迅の活躍を見せ続けるザーム目がけ、特大の魔術が放たれる予兆を、地人側で気付いている者は少ない。
「ミスティ君!」
「わかってますよ~~~~~ん♪」
「「「天魔! 高波の集束破!」」」
まずネブラが警告、元より対策用の魔力を練り上げ済みのミスティ。それに続いて発せられたのは、天人陣営の術士達が魔力をかき集めて打ち出す大魔術。突如、その一団の前方の地面から溢れた大量の水は、横道に敵を逃がさぬ大幅の津波となり、ザーム目がけて一気に襲い掛かってくる。たった一人の敵兵を葬るために、ここまでの大技を使ってくるのは、勝負を賭けている証拠である。
「チッ……!」
「ザームさーん! 何もしなくていいよー! ほいさっさ!」
片手に黒い魔力の球、闇の魔力の集合体を握り締めたミスティが、その場でくるんと回ると同時にそれを手放すと、遠心力で飛ばされたかのように黒い魔力球が飛んでいく。それはザームの前方上空で留まるが、ザームに迫っていた巨大な波がそれに触れた途端、黒い魔力球に向けて水の流れが変わっていく。まるで黒い魔力が、多量の水をすべてを吸い込むかのように吸い上げ、広範囲を押し潰すはずだった波を無力化、仕舞いには水すべてを吸いきった黒い球が残り、ザームには一切の水が届かない。
「あははは、味方までびっくりさせちゃった! こりゃ失敗♪」
絶句する天人勢は当然、そりゃあ地人勢も今の光景には驚かされただろう。たった二人この戦場下、今の事象に驚きもせず、空を地上を邁進するネブラとザームを除いて、手が止まりかけた何十人をミスティは視野広く見届けている。そして今最も度肝を抜かれた、高波を召喚した術士達の集団に、五本の指先を向けたミスティが放つのは火の魔力。指先サイズの極小の火の玉、速度だけは最大限。それを術士らの眼球めがけ、寸分の違いなく直撃させるのだ。放った火の玉はすべてが術士達の片目に直撃し、唐突な地獄に悶えた術士達が短時間の完全戦闘不能に陥る。
「すげーわアイツ、マジ敵じゃなくてよかったわ……!」
「聞こえてるよザーム君! まったくもって同感だよねぇ!」
自信の魔術で高波に対処しようとしたザームも、易々とあの窮地から救ってくれた"アトモスの影の卵"の頼もしさには、肌寒い笑いすら溢れるほど。ただでさえ押し切れムードだった中で、あんな鉄板支援者がそばにいるとなれば、足も止まらず猪突猛進できる。何も怖くない、そんな若者の活気を地獄耳で拾うネブラも、ミスティの狙撃で怯んだ術士達に風の刃を放ち、喉元切り裂いてとどめを刺す。仕留めた瞬間、飛翔して自分に迫って剣を振るってくる天人兵にも、打ち返すグラディウスで易々と対応だ。空を舞う指揮官ネブラも、自らがいる限り制空権は渡さぬという戦況を、危なげなく保っている。
「好きに屠れ、鬱憤を晴らせ! 君達の虐げられた歴史に報いる時だ!」
ネブラが手を振るった瞬間に飛ぶ無数の毒針は、地上で勢いを盛り返しかけている天人達の一角へと降り注ぐ。例えるなら塩を塗った針、小さな傷から激烈な痛みを誘発させる神経毒を纏うその針は、肌に突き刺された者の動きをその一瞬、確実に制限する。痺れを引き起こす色の毒がその僅か後に続き、全力を引き出せない状況に陥らせるのがすぐ直後。そして、針を撒き散らした一角のうち一兵に、蒼く彩った稲妻を一筋落とし、一兵仕留めるネブラ。稲妻は敵兵撃破の目的が第二、第一にはその周辺敵兵に毒針を直撃させたという合図だ。その一角に近しい地人達の兵が合図を目にし、怯まされた天人へと一気に襲い掛かって、平時よりも容易に敵兵を撃破していく。
「腰が引けてるなァ、天人様方よ! もっとでっけえ獲物をこっちに寄越せや!」
「こ~んなにラクチンでいいのかなぁ!? 拍子抜けなんだけど!」
「はっはっは、当然の展開だ! 僕達は強い、敵が如何ほどでもそれを上回っている! それだけさ!」
空を舞うネブラは空中の天人兵に接近し、あっという間に得物のグラディウスで致命傷を負わせて討ち落とす。近場に獲物がいないと思うや、地上へ毒針と稲妻を放って陸軍をアシスト。空も地上も牽引する指揮官に導かれる地上軍の最前列を、さらに心強いザームが次々に敵をぶっ飛ばして走り抜ける。火を放ち、敵を討ち、危なげな味方を見つければ土の壁を召喚して守り、広く戦場を支配するミスティもいる。
頭数で劣るはずの軍勢が、ここまで順風満帆に進軍する要因は、まさにこの三人にある。その現実は、数で勝る自分達が圧倒されている天人達を混乱と危機感に陥れ、一部の天人の集団はもはや機能不全にまで陥る始末。一度固まった優勢と劣勢は簡単には覆らない。
「……ふふ、セシュレス様の言ったとおりだ。やっぱり流石だよ、あの人は」
陽気に笑っていたミスティが冷静な面持ちを浮かべ、つぶやかずにいられないのも無理はない。この確定した地人優勢を覆されるには、大きな影響力を持つ敵兵の大駒が参入してくるぐらい無い。それが投入される気配も全くないのだ。ホウライ地方は都が第一、最も警戒すべき強兵はすべて城周りに固められているはずという、楽観的かとさえ思っていたセシュレスの読みが大当たり。天人ども、アトモスの遺志を侮っているつもりは無いのだろうけど、それでも現実には舐めすぎだよとミスティも嘲笑したくなる。
「これなら言われたとおり、まだ本気を出さなくてもよさそうだな♪」
大きく振りかぶってぶん投げる大火球。敵陣営のど真ん中地面に着弾したそれが大爆発を起こし、不測の方向から飛来した爆弾に何人もの天人が吹っ飛ばされる。悲鳴、爆風、火の嵐。味方に痛手の一つも及ぼさず、敵陣に穴を開けて上機嫌のミスティは、攻めると同時に味方を守ることも忘れない。腕を斬られて怯んだ地人、それにとどめの追撃を加えようと剣を振り上げた天人を見つければ、その足元の土を勢いよく隆起させ、足の裏を突き上げる形で高所まで吹っ飛ばす。地上を離れて身動き取れなくなったその天人は、真っ逆さまに落ちた先の地面で、狙い済ました他の地人の斧に真っ二つにされてしまう。その頃には既に、風の刃を差し向けられた地人の一人の前に、岩石の壁を生じさせる形で守り通している。自他共に隙が無い。
何もかもが作戦通りだ。もっと猛襲を仕掛けたい衝動を抑えるミスティの我慢が、全戦場を含めた図式を理想的なものへと促していく。今はまだ、本気を出していい時間帯ではない。
「この張り合いの無さ、不気味さすら覚えるわ……!」
ホウライ城より東。最前線で大戦斧を振るい、三人の敵兵を薙ぎ倒した巨漢は、一周回っての杞憂すら口にしたくなる。かつてアトモスが存命していた時代から、猛将の名で知られたドラウトは、近付く敵をものともせずに片付けていく。敵を討ち果たすペース、進軍速度を加味すれば、彼はザーム以上に歯止めが利かない暴れぶりだ。
「魔術は恐れないで下さい……! 我々が、何としてでも阻止します!」
「若者は頼もしいな……! これぞあるべき未来への希望そのものだ……!」
天人達とて、ここまで有名でわかりやすい大駒を前にしては、集中砲火の様相を呈してでもまずドラウトを仕留めようとしている。しかし、白兵戦では歯が立たないドラウトに、天人後列の術士が魔術を放っても、ドラウトの近くに集まった地人の術士達がそれを撃ち落とすことに徹している。風の刃には土の壁、水や氷の狙撃には炎の撃墜弾、稲妻による狙撃には近しき位置へ避雷針と同じ役割を果たす樹木の生成。すべてが最速、敵の先手を打つ。ドラウトを支援する術士達の仕事はそれのみだ。それに全意識を傾けているから、絶対に敵の魔力の揺らぎを見逃さない。
ドラウト一人いれば、周囲の尖兵や支援術士と力を合わせ、都まで遠きこの一線を押し切れると断言したセシュレスは正しかった。過信では決してなく、それが出来るドラウトであると、それが叶えられるほどの敵兵しかここにおらぬと、しっかり読みきった上での采配だ。ドラウトの周囲を固める部下達とて、ネブラやザームには及ばぬながらも、革命を夢見て力を培ってきた者達だ。天人達も同じだけの覚悟は決めて戦場に並んでいるだろうが、ホウライの消えぬ慢心を突くセシュレスの布陣が、ドラウトのみを中心とした最前列を、苦もなく進軍させている。
「上手くやっているようだな」
「セシュレス様は……」
「今はまだ、動くわけにはいかん。万が一、風向きが悪くなれば私も発たねばならんが――」
ドラウト達が大暴れする陣の最後方、騎兵や術士、射手の背高い軍勢の中で、腰を曲げて杖をつくセシュレスは目立たずたたずんでいる。最前列の展開には、当然ながら細心の注意を払っている。いかに距離があろうとも、いつでも魔力を届かせて、悪しき展開を阻める魔力の使い手だ。だが、セシュレスはそれをしない。まるで自分の存在を、居場所を敵に悟らせぬかのように、決して動きを見せようとしない。隠れている。
「このぶんなら、そんな心配も無用だろうな」
ホウライ地方の北を、兵力の逐次投入策なんかで守っていた無能ホウライどもが、いくら危機感覚えたところで、一日二日で大きく変われるはずがない。それがセシュレスの見解、それが現実。仮に革新的に天人勢が代わり映えたとしても、それに対応できるように自分もいるのだけど、やはり想定するだけ無駄なことだったとほくそ笑むセシュレス。シルクハットをくいと上げ、敵のいない空を確かめれば、自分の存在を視認できる敵の姿さえない。実に理想的。
「都に入ってからが勝負だな。だが、今も気を抜くようなことはするんじゃないぞ」
歴戦の兵士長含む、強き兵力が集っている天人の総本山まで、本領発揮はお預けだ。セシュレスとミスティ、この二人が通じ合わせる真意とは、自分が属する集団の底力を見せないことに端を発している。見せれば何かの間違いででも、スノウがこちらに来かねない。敵の動き方をそう読んでいて、あるいは確信していて、忌避している。
スノウはこの手で、と、強く訴えた同胞がいるのだ。自らの犠牲も厭わぬ"彼"の覚悟を、セシュレスもミスティも重んじた。戦略的にも感情的にも、それが最も相応しい。私情を戦場に持ち込むのは本来ご法度でも、この采配にはそれだけの価値がある。
任せたぞ、と小さくつぶやいたセシュレスの声は、怒号舞い散る戦場下で誰の耳にも届かなかった。その言葉が向けられた先は、最前列のドラウトではない。目や手の届かぬ、遥か離れた味方に対してだ。
「くそ……! これが"鳶の翼の傭兵団"か……!」
ホウライ城より北。空を舞う天人兵の一人、アスファは厳しい現実を噛み締めていた。地上を駆ける敵兵の一部が掲げる鳶色の旗は、名高き天人の英雄が率いた一団の旗印。天人である一人の男を中心に、地人だけの傭兵で構成された極めて特殊なその組織は、噂に違わぬ猛襲力で天人勢を攻め立てる。
「フルトゥナ、退がれ! 引き付けは充分だ!」
「あとはあっしらが片ぁ付けやしょう……!」
「っ、く……! お願い、します……!」
年端もいかぬフルトゥナさえもが、大人を脅かす一兵として、戦場に大きな影響力をはたらかせている。単体でも、若き天人には隙を突いて接近し、手首や喉下をナイフでかっさばき、仕留めて駆け抜ける彼女の実力は高い。目を引く、それも厄介者としてだ。恐れ知らずに敵陣に飛び込むフルトゥナは、彼女を妹か娘のように愛するオラージュとケイモンにとって、なかなか不安にさせられる姿。
だが、フルトゥナがいよいよの包囲に迫られかけたぎりぎりで、撤退を命じるオラージュの指示が、あと1秒その一角にいれば死に瀕していたフルトゥナを下がらせる。フルトゥナを討つために動きかけていた者達の動きは届かず、代わりにそれを奇襲する形で火を放つオラージュが、天人達を一瞬惑わせる。一人焼き殺すことを成功させつつだ。
「南無三……!」
僅かでも隙を見せれば、あっという間にそばまで近づいてきた剣客の餌食。駆け抜け様の二秒間で、5人の天人を切り裂いた刀を血で濡らすことさえ最小限、ケイモンの俊足には誰も追いつけない。フルトゥナを含むこの三人が、既に三十の死体を生み出しているのだが、その数字はそんな僅かな頭数で強大な支配力を持つことを物語るものである。
「いいねぇあんた、フルトゥナちゃんだっけ? 若いのによくやってるじゃないか!」
「はぁ、はぁ……おばさん、あなた森で会った……」
「自己紹介はまた今度だ! 生きて帰ってまた会おう!」
近き戦場で戦っていた女性の一人、革鎧を身に纏いながらも両手にフライパンという、ふざけているのかと思えるような風体の彼女は、僅かなやりとりを最後に再び戦いの場へ。オラージュにも聞いている、目立たぬ腹の奥に、故郷の旦那との子を宿す彼女の声は、息切れし始めたフルトゥナを奮起させてくれる。名も知らぬふた回りも年上らしきあの女性は、未来を勝ち取るために命と我が子を賭けて戦っているのだ。振り下ろされた剣を右手のフライパンで横殴りにはじき、逆の手のフライパンで敵の頬骨を砕く一撃には、強き女性の実力が物語られている。武器など何でもいいのだ、持ち主の手に馴染むなら。
「母は強いねぇ! 産む前から証明するたぁ見事なもんよ!」
「当たり前さ! あの人とこの子を抱くまでは死ねるもんかい!」
「かーっ、俺も嫁さん欲しいぜ! お前みたいな嫁はお断りだけどな!」
「ははっ、聞かなかったことにしてやるよ!」
ああもう狂っている。一瞬後には死ぬかもしれない中で、なんて楽しそうな声を弾ませるんだろう。勝利を夢見て、それにしか興味のない口ぶりで、笑顔すら浮かべて戦う彼ら彼女らの異常さが、フルトゥナの胸をずきずきさせる。気付けば次に向かうべき先さえ見失いそう。革命を渇望する"鳶の翼の傭兵団"の想いは、フルトゥナにだって痛いほどよくわかる。
世界を変えなくては幸せになれないのだ。それがかつて近代天地大戦で天人側の味方をし、今この時代で再び結成され、地人側についた傭兵団の知る現実。負けた先の未来になど興味が無い、その想いはアトモスの遺志に組する他の誰より強い、そんな組織にフルトゥナは属している。
「ちくしょう、強い……っ……!」
「てめえらなんかとは背負ってるものが違うんだよ!」
四枚の細長い、透明な羽を背負って空を舞うアスファを追い詰めるのは、彼より何歳か年上の地人。アスファが古き血を流す者であることは大きな個性だが、対する敵も同じく鳥の翼を持つエンシェントだ。飛翔能力を持ち合うイーブンの状況下、ものを言うのは剣の腕。ホウライ城の兵の中でも、若くして頭角を表していたアスファが苦戦するほどに、空の戦いに手馴れた傭兵の剣さばきは流麗だ。
交錯した一瞬で剣を打ち合わせた二人が僅か離れる中、地上から空へと飛んでくる術士の火球がアスファに迫り来る。彼の滑空軌道先を先読みして飛来したそれを、空中でブレーキかけてぴたりと止まり、ホバリングする形で回避を叶えるアスファ。彼がそれだけの飛翔の名手であることは、とうに鳶の翼の傭兵団にも知れ渡っている。だから余暇なき連続攻撃が彼に注がれ、アスファはろくに攻勢に回ることすら出来ずにいる。
「ここまでだ……!」
「く……!」
高度を保とうとしたアスファに迫る、翼を背負った傭兵の剣に、アスファも構えた剣で防ぐ動きしかできない。力任せに振り上げられた剣を受ける形で、自身の上昇力と合わせて空へと吹っ飛ばされる。羽を動かす、空中姿勢を整える。目線の先は地上を視野に含め、今しがた自分を吹っ飛ばした空の敵兵。自分を見上げたその男が、お前は終わったよとばかりに笑う表情は、ぞくりとアスファの鳥肌を総立ちにさせる。
「は……」
そして、気付いた時にはもう遅いのだ。風よりも早く低空から飛び立ち、アスファの背後から迫る元英雄に振り返った瞬間には、それがもう目の前にいる。もう、どう対処することも出来ない。振るって応戦しようとした剣が動き出すより先に、既に凶刃はアスファの首筋めがけて振り抜かれ始めていた。
討ち死に確定の少年の未来を遮ったのは、二筋の稲妻だ。低空から放たれた稲妻は、片方はアスファを吹っ飛ばした翼持ちの傭兵を狙撃し、もう片方はアスファに迫っていた怪物へ。撃ち抜かれた地人側の傭兵が、短い悲鳴を上げて黒焦げにされて落ちていく中、稲妻の奇襲に敏感に反応した元英雄は、翻した動きでそれを回避。振り抜かれたその手のフランベルジュの切っ先は、アスファの首の寸前をかすめて命を奪うに至らなかった。
「アスファさんっ!」
「間に合ったみたいね……!」
彼女らは動いた。"鳶の翼の傭兵団"が北から進軍してきているという報を受け、遊撃手の立場からこの戦場の主戦兵へ。風の翼を背負って空を舞う聖女のそばでは、彼女の一人娘が知己の名を呼び、母と同色の翼を背負って空を舞う。あわやのところで命を救われたことを、一秒遅れで認識したアスファがだくっと冷や汗を流す中、彼と同い年の混血児が並び立つ高度まで飛んで静止する。
「ニンバス……!」
「スノウか。待っていたぞ」
ファインの妨害によってアスファを仕留め損ねたことなど、もう頭の隅にも残っていない顔。ファイン達と同じ高度で翼をはためかせ、低き位置のスノウを見下ろすその目は冷たい。待っていたという真意を放った声とは裏腹、まるで失望すべき過去の偉人を見下すかのように、ニンバスの表情は冷め切っている。
「約束を果たせなかったことは謝るわ……! だけど、それでもあなた達は正しくない!」
「聞き飽きた」
曲がった剣身、フランベルジュを一振りしたニンバスが、黙れと言わんばかりにスノウに強風を差し向ける。風の魔術、彼は天人。近代天地大戦において、地人達を率いて天人の味方をした彼は、今となっては誰よりも天人社会を見限り、決して変わらぬ決意と共に"アトモスの遺志"に属している。
冷たい覚悟と表情の裏にある感情的な突風は、地表へと押し返されかけられたスノウの胸にも突き刺さる。許して貰えないのはわかっている、自分はニンバスを裏切ったのだから。それでもこの道は譲れないと、甘んじず空に留まるスノウの姿が、ニンバスにもその決意を突き返す結果になる。
「っ……私は、あなたをっ……!」
「アトモスは殺せたのに、私は殺したくないとでも言うつもりか?」
まるで世界が二人を置き去りにしたように、両者の対話は邪魔者なく。地上も混戦、空も混戦、そんな中でぽっかりと空いた空間は、ニンバスの痛烈な責め苦を強調し、スノウの哀しみを増幅させる。すべてのやり取りが、既に深く刻まれた二人の溝をさらに深めていく。
ぎり、と歯を食いしばった母の表情の苦悩は、ニンバスとスノウを交互に見るファインにも、伝わらぬわけがないほど深すぎた。まるで胸元を抉られた苦しみのような表情で高度を上げ、ファインやアスファと同じ高さに昇ってきたスノウの目には、もはやニンバスしか映っていない。ニンバスの遥か後方背景、空の天人と地人が繰り広げる戦いの副産物、爆音響かせる大爆発さえ、スノウの意識を遮らない。
「ニンバス様……」
「アスファさん、しっかりして下さい……! 戦い抜くしか、ないんです……!」
この死地の真っ只中においてでさえ、かつて敬った人が敵陣営にいるショックを隠せないアスファは、戦士として極めて危ういものだ。背筋を伸ばすよう訴えるファインとて、その想いに想像が及ばぬわけではない。ニンバス達と戦ってなお親友のサニーは、ニンバスへの敬意を捨てたくないと言っていた。ファインだってそうなのだ。それだけ彼は英雄として語られ、人間的にも戦士としても名高かった存在。改めて敵対陣営として向き合う今になって、脅威として見る以上にやりきれなさの方が募る。何を為すべきかは理性のみに依存して導かれ、感情が邪魔にしかならない。
震えかけた手を握り締め、剣を構えるアスファ。魔力を練り上げ視野を最大限まで広げるファイン。睨み合ったまま覇気と魔力を発し、大気すらびりつかせるスノウとニンバス。スノウ自身の意思が、セシュレスの策謀が、ミスティの我慢が叶えた聖女と元英雄の対面世界の中、隅に輝く少年少女の翼も小さく輝いている。
「決着を着けようか」
「望みましょう……!」
フランベルジュを高く掲げたニンバスが、高空から放つ数本の稲妻。ファインとアスファ、スノウを撃ち抜く軌道を描くそれらを、同色稲妻の魔力を傘のように構えたファインとスノウが防ぎおおす。三人を射抜きかけた稲妻はそれで打ち止められたが、そうでない稲妻がしっかりと地上の天人を撃ち抜いているから笑えない。スノウという天人陣営最強の駒を目の前にして、隙あらば地上への支援さえ視野に入れたニンバスの余裕は、やはりアトモスの遺志に属する者達の中でも飛び抜けている。
はっ、と片手を振るったスノウの放つ、風の刃を危なげなく回避したニンバス。それが開戦の静かな鐘。空を滑空し始めたファインとアスファとスノウ、そしてニンバスの空中戦が始まった。
鳶の翼の傭兵団にとって、最強の兵は誰かと言えば間違いなくニンバスだ。スノウという天人陣営で最も厄介な存在が、それに付きっきりになるなら傭兵団にとっては何より。大将の危機は意識の隅にあるが、スノウが地上の戦いに介入してくる危うさは無くなるからだ。好機でしかない。
そのはずだったのだ。オラージュやケイモン、フルトゥナを除き、誰もこの少年の強さを目で見たことのない者達、いかに伝聞で聞き及んでいても、想像以上のものだと知るのは間もなくのこと。
「っ、だらあっ!」
大きな斧を頭真っ二つの軌道で振り下ろされ、それを右の裏拳で横殴りにどけるように吹っ飛ばして。さらに突き抜く左足の蹴りで、自分よりも頭ひとつぶんは大きな男の腹を打ち抜き、ふっ飛ばしてしまう少年がいる。吹っ飛ばされた男の体は、後方にいた地人の一人を巻き込む弾丸にすらなって、混戦模様の地上に一抹の空間を細長く設ける形にすらなる。
「出たな、怪物小僧め……!」
「お前らか……!」
いち早くここに駆けつけたオラージュは、すべてに優先してこの存在を撃破しに回った。ケイモンもフルトゥナも同様だ。腕に覚えのある三人とて、こいつばかりは一対一ではいけないと知っている。三人で、あるいはそれ以上の兵力を集わせ、初めて勝機の出る化け物だとは、既に周りにも言い聞かせている。
「気を抜くでないぞ、オラージュ、フルトゥナ……!」
「承知してまさぁ!」
「はい……!」
「かかって来い……!」
かつてファインやサニーと力を合わせ、ようやく退けた強敵三人。それらが真正面に陣取った光景を見てなお、溢れ出る闘志で心を占めさせたクラウドの眼は揺るがない。




