表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第9章  突風【Saint】
178/300

第169話  ~もしもすべてが終わっても~



「セシュレス様は、革命を終えた後のことも考えておけって言いますけど~」


 ソファーの端に腰掛けさせられたセシュレスの膝の上に、ソファーいっぱいに寝転がったミスティの頭が乗っている。お爺ちゃんが孫に膝枕してあげるかのよう、と言えば聞こえはいいが、お金持ってそうな老人が発育の良くなってきた16歳に甘えられている様子、と言えば不健全。とりあえずセシュレス、色んな意味で今の状況を他の誰かには見られたくない。


「具体的には何すればいいか、ちょっとぐらいは教えてくれてもいいんじゃないですか~?」


「それを考えるのがお前に与えた宿題なのだがな」


「先生ごっこするんだったら、問題の解き方ぐらいは教えて下さいよぉ」


 耳をセシュレスの膝に乗せていた状態から、後頭部を膝の上に置く形にころんと寝返り、むくれた表情で見上げてくるミスティ。ほんの少し前の、憂鬱色の表情はある程度消えている。あの後いくらかお話して、談笑に繋げていったセシュレスのおかげで、ひとたびミスティも気が紛れたようだ。


「そうだな……社会とは人が為すものである、という話を、以前したのは憶えているかね?」


「憶えてますよ、セシュレス様の口癖じゃないですか」


「ふふ、そうだったかな。中々みんなにはわかって貰えんし、知らぬうちに提唱することが多くなっているのかもしれないな」


 忘れてませんよバカにしないで下さい、と頬を膨らませるミスティだが、セシュレスのしてくれるお話を聞くのは好きな彼女だから、顔に出ているほど不機嫌ではない。どこから話せばわかりやすいかな、と、思考時間を設けながら口を動かすセシュレスに対し、内心では次の言葉を楽しみに待っている。


「我らが革命集団の多くの者は、天人達を皆殺しにして、地人だけの世界にしてしまえと口にする。それでは……いや、まあ、その気持ちはわからぬでもない。だが、それでは革命後の世界は正しく機能しないのだ」


「私もそういう人達寄りの考え方ですよ? 天人の人達は、天人支配の世界しか望んでないじゃないですか。そんなの生かしておいても邪魔になるだけですし、全部掃除しちゃった方がいいんじゃないんですか?」


「理屈は通っているな。だが、正しくない」


 邪魔な者は残らず排斥してしまえ、という発想では、支配の邪魔をする者を徹底粛清しようとする今の天人達と変わらない、とセシュレスは本音では思う。言いかけたものの、敢えて口にしないのは、そうしたくなる同志達の気持ちはわかるからだ。革命軍に属する者達は誰もが、天人達ばかりが得をして、地人が不当に虐げられる世界に苦しんできて、我慢ならなくなって武器を取るようになった身。天人達に恨みがあるのは当たり前であり、それを無視していては革命集団の長は務まらない。もっとも、それは身内に対して幾許かの情を見せているだけであって、セシュレスが今の論を推す本当の根拠は別にある。


「受け入れ難いかもしれないが、天人もまた、この社会を構成する一員なのだ。無闇やたらにそれらを滅し、社会を形作る命を、いたずらに削り落とすことは、そもそもにして本来すべきことではない」


「セシュレス様は天人にも優しくしちゃうんですか?」


「逆を考えてみよう。天人が支配者となっているこの世の中だが、もしもこの世界から地人が全員消えればどうなると思う? 天人達は、天人だけの世界だ、逆らう者は誰もいないとなって、その後永劫に幸せな世界を歩んでいけると思うかね?」


「……それは、ないなぁ」


「地人を疎む天人の一部は自覚していないようだが、今の社会を支える軸としての重要性は、天人と同じく地人も同じだけある。たとえ革命が為され、地人が上に立つ側になったと仮定しても、同等たるそれは変わらない」


 天人達に虐げられる立場であっても、その実地人がこの社会に貢献していることは多い。土仕事は地人どもにやらせておけと優雅に暮らす天人達だが、その台所を遥か下で支えているのは、その構図上確かに地人達。重い税を取られ、豊作でも稼ぎの少ない暮らしを強いられる地人こそが、食物を生み出して天人含む社会全体を支えているのは、深く考えなくてもわかることである。仮に本当に地人がいなくなったら困るのは、天人達のお偉い様あたりなら、口に出して認めはせずとも内心ではわかっているだろう。そんなのだってほんの一例であり、商業ラインの生成や、刺繍や料理など地人発祥の文化的側面、労働力の駒一つぶんとしての話やら、単体性から拡大範囲まで、社会貢献している地人の例はきりが無い。


 セシュレスは、天人も地人と同じ人間だと、ゼロからくる博愛的な観点を持って話しているわけではない。地人の役者よりも天人の役者を主役に起用するなど、娯楽的な世界でも差別的な事象は起こっているが、天人達の役者とて舌を巻くような技量を見せ、普段は天人を疎ましく思う地人を心揺さぶったりもしているのだ。食わず嫌いをせず、天人の世界と地人の世界を両方見てきたからこそ、セシュレスは双方に等しい価値を見出している。


「今の天人社会でも地人が欠かせぬ存在である、という真理がある限り、それが逆転した時には逆もまた真理。ゆえに私は、革命が為った世界が訪れたとしても、感情的な復讐性ありし粛清活動、を肯定することは出来ない」


「仰ることはわかりますけどねぇ……」


「たとえば、タクスの都の闘技場のオーナーなども天人だろう? あれを天人だからと言う理由で粛清したり、その座から引きずり降ろしたりしようものなら、経済界には混乱が訪れるだろうな。たとえ覇権が地人側に移る日を迎えたとしても、変えてならぬものは実在しているのだ」


 社会情勢に正しく通じたセシュレスをして、当の闘技場オーナーであるルネイドは、経営者として充分に一目おける人物だ。血の気の多い男達を纏め、多くの者が訪れる闘技場を正しく継続させる能力に秀でており、彼がいなくなったらタクスの都に関する銭の動きは一変するだろう。過去にその闘技場に属していたザーム辺りなら、今の話には特に同意するのではないだろうか。


「天人達の覇権を終わらせた時代が訪れるとすれば、今までのようにはいかない。我らの意に沿わぬ者は抹殺すべし、というこれまでのやり方は、多くの場合において通用しなくなるのだからな」


「そういえばセシュレス様って、今の時点でもうっすらと、天人の数を減らし過ぎないようコントロールしてるフシがありますよね」


「別に天人達に無意味な慈悲を見せておるわけではないよ。我らが上に立つ日が来た時、社会を構成する者達の総数そのものは、少なくない方がいいからな」


「理想論っぽぉい」


「だから、現実との兼ね合いが難しいのだ。現時点で天人側の、残すべき人材とそうでない者を選別する事は不可能であるし、選別できても取捨選択を自在にすることは更に不可能だ」


 今の話に限ったことではなく、何かを叶えようとする時に、100パーセント理想どおりの形に出来ることなどそもそも稀有なのだ。理想論と言われやすい何かは、そうでなくてはならない目標として定められるものでは始めから無い。目指す理想像に近づけていく指針を開始地点から明確に定め、折り合いをつけ、極力遠ざからぬようにしながら捨てるべき所は捨て、良しと出来る最終形を目指すのが未来設計である。


 特に革命などという、叶えるまでも茨の道の世界で、叶えた後も難題続きであろう夢を掲げる計画というのは、常に不測に状況が転がり得る世界下で、理想的結末でなければ嫌だというプロジェクトなど作れない。セシュレスも大人、理想とやがて訪れる世界に食い違いが生じることぐらい、始めからわかっている。目指すべき理想像を敢えて消しきらないのは、おぼろげな目標に向かって、なるようになれと動く方が、遥かに危険だと知っているから。それで行くと、やがて完成される未来が、こんなはずじゃなかったというものになりやすいのだ。


「新しい世界の日の出を迎えた時、今までと同じ思想で邪魔者は滅するべし、そんな思想を支配者が正義とする限り、近く社会は閉塞する。ミスティよ、私がこれを通じて何を言いたいかは、そろそろお前にもわかるだろう」


「……前にも聞きましたよ。革命を為した世界において、私は粛清者として生きてはならない、ですよね」


「今はそういう生き方でも構わない。実際、そんなお前に私達は助けられてきた。しかしお前は、やがてはそうでない生き方を見つけていかねばならない」


 二重難題とはまさにこのこと。ミスティは、革命の妨げとなる天人を葬る生き方しかしてこなかった。やがてはそれをやめ、そうでない生き方をほぼゼロの状態から探していかねばならないのだ。相槌も返せず、黙り込んでしまうミスティが、そんなこと言われても……という苦悩に見舞われているのは、顔など見ずともセシュレスには伝わっている。


「アトモスと私、カラザやアストラの間でも揺るがなかった、一つだけ確かな真実がある」


 ミスティに課題を突きつけて苦しめている自覚のあるセシュレスは、ミスティにとって敬う者の名を集め、興味を引くようにして別の話を引き出してくる。自らの頭の中だけでの思考に苦しんでいたミスティにとって、興味で意識を外の世界に向けられたことは救いである。


「革命という事象において最も大切なのは、どのようにして叶えるかではなく、叶えた後のことだ」


 天人支配の世界を終わらせることが出来たとして、それだけでめでたしといくわけではないのだ。だって、それまで仮にでも上手くいっていた社会体制をぶっ壊して、その後に続く世界ってどうなるだろう。新体制に移行したその後というのは、いかに今までの遺産に頼って世界を作っていくにせよ限界があり、殆どゼロからの再出発だと認識すべきもの。支配される側から脱却できた、さあ俺達の世界だと人生を謳歌するだけで生きていって、笑っていられるのは最初の数年だけだ。そんな革命後の生き方をしていたら、一度破綻した社会の歪みが生み出す混沌に巻き込まれ、天人も地人も共倒れになる。絶対に断言できる。


 既に見えている難題と、今は意識し難くも決して見過ごせぬ難題だ。前者はいかにして革命を叶えるか、後者は革命を為した後にどのように世界を動かすか。前者は常に誰もが考えていることで、それに心血を注いでいる。最高指導者としてのセシュレスは、その意志を叶えさせるために英知を集結し、成功への道へと彼らを導き続けていかねばならない。そしてその上で、今は遠すぎて誰も意識しない、新世界の青写真を作っていく役割もまた、戦という現場から比較的距離のあるセシュレスの使命。人を駒として動かして自らの手を汚さず傍観する、そんな軽々しい例え話で形容できるほど、最高指導者という立場は甘くない。すべて理解した上で、彼はその重責を背負っている。


「すべての戦いが終わった時、私やカラザ、アストラがいなくなっていても、お前はお前の人生を探していかねばならない。政治的なことは私達に任せておけばいい、お前は……」


「……やめてよ」


 ふいと顔を横にして、セシュレスの顔を見ない形にするミスティ。そんな言葉は聞きたくない。先のことを考えろという部分より、その前の発言。


「……セシュレス様やカラザ様、アストラ様がいない世界なんて、寂しいよ」


 想像させて欲しくないぐらい、ミスティは三人のことを尊敬し、愛している。彼女は、人を好きになれる心をちゃんと持っている人間だ。だから、人の命を奪う側に立つことがどういうことかも知っている。家族も友人もいるであろう者達、天人達を、彼女は何百人と殺してきている。想像に及んだ上でそうしている。失う悲しみが想像できない人間じゃない。


 自分を慕ってくれる子が愛しく思えるのは当たり前だ。優しく微笑む老人が、ミスティの耳元の上を撫でる表情は、彼の心から自然と溢れたそれである。目的達成のため、冷徹な策さえも無数に施行してきた男とて、それが彼の全てで常であるかと言えば嘘なのだ。


「そう思うならば、すべてが終わったら消えるなんてことを口にしないことだ。私達にとって大切な者の最たる中に、お前は確かに含まれているのだからな」


「っ……ひ、卑っ怯な言い方っ……!」


 お前が私にいなくなって欲しくないという自分の気持ちがあるなら、私がお前ににいなくなって欲しくないという気持ちも想像できるだろう、という論調である。反論要素なし。セシュレスに対する尊敬心と愛情が深ければ深いほど、ミスティは言い訳すら出来なくなってしまう。


「こんな時代でなくとも言えること。自分の幸せは、自分で掴むものだ。生きることを苦痛と断じ、逃げるのもまた選択肢かもしれぬ。だが、私達がお前に望むものはそうではない。だから私は、お前がいなくなる不幸を避けるため、何度でも訴える」


「…………」


 やっと叶えた半理想の世界をミスティが自ら離れようとする、そんなことはやめて欲しいというセシュレスの心からの訴え。苦しいのはミスティだ。自分なんていなくなっても誰も困らない、そう彼女が心から思っていたのは甘い考えだったと突きつけられている。そんなの、何千何万もの人が生きる世界で、たった一人ミスティを愛する者がいるだけで虚になることなのに、簡単に自分を軽んじるのは単なる想像力不足の卑屈だろう。


 つい最近も、死をも覚悟で天界王様の悪口を言ってホウライ地方入りを果たそうとしたおバカさんがいたが、ある意味その誰かさんもミスティと似ている。自分の価値をいたずらに低く見ることは、謙虚という言葉で甘く形容するには浅い。


「お前も含め、多くの者達が幸せに生きる世界を作ってみせよう。離れるな」


 セシュレスが何度も同志達に言ってきたこと。戦え、しかし命を捨てるな、新世界を作る礎となり、新たなる時代を謳歌する夢を持て。これは、アトモスが指導者であった時から彼女も唱えていた理想論、あるいは否、手放してはならない大切なものを忘れるべからずという、現実的な強い提唱だ。


 いくら犠牲を重ねても叶えられないことはある。そして、犠牲を払わなくても叶えられることはある。財布の節制は誰もが一度は望むのに、物事が大きくなった時に限って犠牲なくして収穫なしと、大人びた現実主義者のふりをして簡単に達観するのはおかしな話である。











 ホウライ城における暮らしはさほど苦痛ではない。相変わらずファイン達を見る天人達の眼差しは鋭く、どこを歩いても視線がちくちく刺さってくる実感はあるが、慣れたものだし想定内のことだったから、別に。ファインもクラウドもレインもそうだが、自分達の行動に端を発し、守ってくれる立場のスノウに迷惑をかける形になるのが嫌なので、前向きに謙虚な平常運転が出来る。慎ましやかでいることは何ら苦にはならない。


「あ……お、おはよ~……」


「お母さん……やっと起きたんですか……?」


「あっははは……昨日は飲みすぎましたぁ……いつものことですけど……」


 スノウの自室でくつろいでいたファインの元へ、夕食前の時間になってようやくスノウが帰ってきた。てへ、と舌を出す聖女様だが、笑顔に影がくっきり浮かぶほどやつれた顔色だ。二日酔いなのは一目でわかるので説明不要だが、こんな顔で毎日こんな時間、日が沈む前後の時間帯に起床する母の生活習慣は、ファインも正直歓迎できるものではない。


「はい、お水ですよ」


「やぁ~、ありがとぅ……優しい娘に恵まれてお母さん幸せだわぁ……♪」


「お、お母さ……ごめん、お酒臭い……」


 水差しに入っていた酔い覚まし用のそれを、グラスに注いで差し出すファインに、受け取るより先に頬ずりしてくるスノウ。まだちょっと頭に酒が残っているのだろうか。スノウがいつまで飲んでていつ寝ていつ起きたのか存じないファインなので、判断つかなくて困るところだ。素面(シラフ)のキャラとそうでない時のキャラは、別個に憶えておきたいところ。


 ごめんごめんと謝ってすぐ離れ、水を受け取り口にするスノウ。ぷは、と気持ちよさそうな息を吐き、ファインにグラスを返したスノウは、ベッドに仰向けに寝転がって、ふあ~っと深い息をつく。やっぱり水一杯飲んだぐらいで体調が良くなるわけではあるまい。


「んー、あー……クラウド君やレインちゃんは?」


「ラフィカさんに連れていって貰う形で、町に行ってますよ」


「あぁ~、やっぱりあの子は気が利くわぁ……本当、いい子……」


 口を回すたびに少しだらしない喋り方なのは二日酔いゆえか。ラフィカが気を回してくれて、そういう展開になっていると知ったスノウは、内心で彼女への感謝の想いを高めている。城の中にいると、貴族や王族が露骨に嫌な顔をされるであろうファイン達、だからって外を歩くのも奔放にやっていると、先日も言ったとおり僅かなリスクを孕む。一番波が立たないのはスノウの部屋でじっとしていることだが、そうしてばかりじゃつまらないだろうと思って、ラフィカがクラウド達に付き添う形で、安全に外を歩けるきっかけを作ってくれたのだ。ホウライ城の従者たるラフィカが一緒に行動しているとなれば、いわば彼女がクラウド達を監視しているという名分が一応作れるし、事情を知らない一般人がクラウド達にやんや言ってきた時にも説明役が出来る。彼女も城の仕事で忙しい中、そうした時間を作ってくれているのだ。


「ファインはどうしたの? 一緒に行けばよかったじゃない」


「お母さんを待ってたんですよっ」


 仰向けに寝そべるベッド上のスノウの横、うつ伏せに倒れるように寝そべるファインが、ぽふっとシーツを弾ませる。スノウの頭側からそうしたファインは、足を向ける方向がスノウの逆方向という形で、首を回して近くでスノウの顔を見る。


「…………」


「……お母さんと、一緒にいたくてです」


「ふふ、そう」


 こんな年でそんなことを言うことに、ファインは少し恥ずかしげな顔をしたが、スノウにとっては幸せな一言だ。嬉しそうにファインの頭を撫でてくれるスノウの行動に、恥ずかしいけど素直に言ってみてよかったとファインも思っているだろう。幸せは共有されている。


「……ねえ、お母さん」


「なに?」


「お母さんは、ホウライ地方を攻めてくる"アトモスの遺志"と、いつかは戦うことになるんですよね」


 ファインにも、薄々ながらわかっていることだ。ホウライ地方に近付いたアボハワ地方南部で、兵力を揃えたアトモスの遺志と戦ってきたばかりなんだから。彼らがいつか、意を決してホウライ地方に侵略してくる日が訪れることは明白だし、スノウがホウライ城にいるのはそれを迎え撃つため。計りかねるのは、その日がいつになるかというその一点だけ。


「ええ、そうね」


「……もしも、ね」


 三文字だけ発して、口をもごもごするファイン。優しく微笑んで待つスノウは、言いづらいことでも何でも言っていいのよと示唆している。何故かいまいち目線を定めきれないファインだったが、見据える先をスノウの瞳に合わせた時の彼女は、甘える娘の目ではなく、大切な話を誰かにする時の真剣な眼だ。


「もしも、その戦いが終わったら……一緒にクライメントシティに帰れますか?」


 ただそれだけの問いを、重々しく口にする顔色の裏にはどんな真意があるのか。スノウがファインの表情から読み取った何かは、よりスノウの笑顔を柔らかいものに変えるが、付け加えるならそれは、不安を抱いた小さな少女に安心をもたらすための作り物。


「ホウライ城を守りきって、もう敵の進撃は無しと判断することが出来れば私の仕事は終わりよ。あなたがそう言ってくれるなら、一緒にクライメントシティに帰ろうかな」


 フェアさんにも会いたいしね、と、ファインを長らく育ててくれた恩人の名を挙げ、故郷を愛する気持ちも醸し出すスノウ。言葉も、望郷心を匂わせる表情にも嘘はない。敢えて口に出していない懸念は、彼女が表面化させなくても、ファインは始めから持っている。


「……約束してくれる?」


「そうね、約束する」


「絶対ですよ?」


「……うん、わかってる。そんな不安そうな顔をしないの」


 ファインが望んだその約束を、敢えて叶えまいとするスノウではない。スノウは知っている、ファインだってわかっている、アトモスの遺志は強敵なのだ。ニンバスと、ザームと、ネブラと、ミスティと戦ってきたファインは、彼女よりアトモスの遺志を知っているスノウと比べても、敵の恐ろしさを正しく理解している立場として遜色ない。そしていつかスノウが直面する、アトモスの遺志の総大将率いる軍勢というのは、今までに戦ってきた敵が総集結したものであり、その恐るべきさは今までの比ではない。


 親子揃っての里帰りは、きっと簡単に叶えられることじゃない。母が"欠ける"ことを恐れるファインの内心を透かし、スノウも恭しい目で我が子を見てしまう。ああ、この子も苦労してきたんだなって。幾度もの戦いを経て生き延びてきた、そんな者にしか得られない、戦前の切なる不安を想う目は、彼女がここまでの旅路で苦難と直面し、乗り越えてきた今だからこそ在るものだ。


「約束するわ。あなたも、クラウド君も、レインちゃんも、揃ってクライメントシティに帰りましょう」


「……うん」


「あなた達でも知らないクライメントシティの魅力、いっぱい教えてあげるから。私が生まれ育ったあの街の素敵さを、クラウド君達にも紹介してあげるんだからね♪」


「……うん」


 サニーに似ている。自信に満ちて、決意に溢れ、一度約束したことは必ず叶えてみせるという意志力で満たされながらも、ついて来る誰かにその心を疑わせない母の眼だ。頼もしくて、信じたくなって、不安を抱える胸の内が温められる実感に、ファインの表情も安らいでいく。きっと大丈夫、なんて無根拠に妄信することは出来なくても、少し前よりなんかよりずっと、望む未来に手を伸ばしてみようという気持ちは強くなる。


 だが、それはそれ。ファインの心には、もう一つ懸念してやまないことがあったのだけど。


「あ~、寝てたらちょっと楽になったわ。外の空気でも吸ってこようかしら」


「あ……」


「ファインも来る?」


 もう一言だけ告げてみたかったファインより、起き上がったスノウの方が僅かに早かった。言いかけていた言葉が間をはずされ、開きかけた口で沈黙する形になるファインだが、まさか彼女が何を言おうとしていたかなんて、スノウに読めるはずがない。何気ない提案を無邪気に発するスノウ。


「えっ、と……クラウドさんとレインちゃんを、待っておきます……」


「そう。それじゃあ、夕食時には帰って来るわ」


 体を起こしてちょこんとベッドの上に座ったファインに、にかっと笑ってスノウは部屋を出る。残されたファインが一抹の寂しさを感じたのは、単に一人になったからではない。言いかけたその言葉を発せなかった今、母が目の前からいなくなったという事象さえもが、少し過剰に胸騒ぎを覚えさせる。


 "お母さんは、すべてが終わった後もずっと私のそばにいてくれますか"。


 人の子が親に問うような言葉じゃないはず、だからすぐに言えず、口に出来ないままだった。あと少しで、そんな異質な問いを出来そうな好機でもあったのに、これを逃した今となっては、当分尋ねる機会も訪れまい。それを問い、はいと明確な返事を聞けなかった今、とくとくとファインの胸を打つ嫌な感じは収まらない。


 考え過ぎなのだろうか。酒をあおり、遊びに溺れ、煙草を吸うようになったという母が、まるで長生きすることを自ら放棄しているように感じられるのは。親友であったアトモスをその手で滅したその日から、周囲の目にも明らかなほど変わってしまったというスノウ。それを聞いたその時から、ファインの胸にはずっと嫌な何かが息巻いている。忘れようにも忘れられない、時々不意に蘇って身震いさせてくるような胸騒ぎ。


「……お母さん」


 母がわからない。陽気で気さくなあの顔の裏に匂う、得体の知れぬ破滅的な気配。アトモスの遺志との一大合戦を、近く控えているであろう今、母と共に生きていく未来を描くには、まずそれを乗り越えるのを考えるべき。だが、たとえ共に生きてその道を歩み始められたとしても、既に今からその先のこと、それが仮初めの安息でしかない予感がしてならない。近き目の前に明らかな逆境があるのに、今にしてもうそれが上手くいったことのことを考えるのは、どう考えたって一人で思考を進めすぎ。なのに、明らかに先走っているその思考を払拭できない。


 見定められぬ凶兆の正体が、独りのファインをうつむかせる。胸の高鳴りを抑えられないファインは、ぎゅうっと自分の胸元を握り締めてまで、騒ぐ胸の奥の鼓動を鎮めたかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ