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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第9章  突風【Saint】
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第168話  ~革命軍の総大将~



 酒場の宴会もお開きになり、時はすっかり夜更けも夜更け。太陽が沈んでからもう一度顔を出すまでの時間を10とするなら、もう7以上は過ぎ去った時間帯だ。そんな夜遅くまで宴会が続いたことを考えれば、前日の勝利はアトモスの遺志陣営にとって、よほど気持ちのいい勝利だったものだったとも言える。


 騒ぎ疲れた者達が自分の寝床に移り、酒の回った頭で気持ちよく眠りにつく中で、一人ひょこひょこ真夜中の村を歩いていく少女がいる。月の明かりに映える金髪を風にたなびかせ、軽い足取りながら足音を立てない、不思議なステップだ。周囲の民家から漏れる光も絶え、誰もが寝静まった時間帯ということで、静かに動く彼女の行動は、何気なく名も知らぬ人々を気遣ってのものである。


「ごめんく~ださいっ」


 やがて彼女が辿り着いたのは、深夜になっても明かりのついた小さなバー。営業終わりを意味する"準備中"の看板を無視し、からんからんと玄関口の小さな鐘を鳴らして、少女は店の中へと踏み込んでいく。入店すぐに見えたカウンターと、店の片付けを終えたばかりのマスターを目にして、少女はにぱっと明るい笑顔を浮かべる。これは、営業時間を終えたであろう店に立ち入って、まだ開いてますかと尋ねる顔ではない。


「悪いがもう、営業時間は終わっちまってるよ。悪いが、出直してくれるかな」


「そんなこと言わずに、"ミルクココア"一つぐらい出してよ。"甘くて美味しい、この店自慢"の」


 席にも座らずそう言う少女の合言葉を聞き受け、バーのマスターも、ほぅと小さく声を発する。こんな子供がそうだと言うのかと。このマスターもまた、"アトモスの遺志"に属する身で、近代天地大戦の際には商人の一人として、アトモス陣営に協力し続けた男だ。旧知の付き合いであるセシュレスへの信頼も厚く、それに応えるかのようにセシュレスにも信用されている人物である。


「この店自慢のカルアミルク、ね。悪いが酒蔵に秘めてあるんだ。"ちょっと待っててくれるか"?」


「酒蔵って興味ある! "見せて見せて"!」


 もう一つ確認のために合言葉を発すれば、酒蔵に案内して欲しいという、普通の客は絶対に発さないような言葉。ここで完全に少女が、我らの主が招いた客人だと確信したマスターは、ついておいでと店の奥へ導いていく。


 酒蔵など、この店にはない。店の裏に構える我が家へ続く廊下、そこに嵌め板で蓋をした場所がある。外から見てもわからない、蓋の縁が木目に沿って綺麗に揃えた蓋だ。それをマスターが持ち上げて開いた先には、地下へと続く階段がある。ありがとう、とマスターに笑顔で礼を述べたのち、土を乱雑に削って固めたような、不細工な階段を少女が降りていく。光の届かぬ地下室へ、明かりとなるランプを一つ借りた少女が、暗い暗い地下室へと進んでいく。


「――あっ! ドラウトさん!」


 真っ暗な階段の奥に広がっていたのは、民家の居間ほどの広さを持つ大きな部屋。壁や床は板で簡素に固められ、壁に吊り下げたランプで光にも満ちた場所である。机が一つと椅子が一つ、布団が一枚畳まれて置かれている、必要超最小限のものだけ置かれた居住空間のような風景。少しこの室内で浮いているのは、隅に置かれた大きな鎧と、それを着て動ける者なら扱えるかも、というレベルの、これまた大きな戦斧だ。


 その部屋、一つしかない椅子に腰掛けて佇んでいた大男が、名を呼ばれて少女の方を向く。一言で言えば毛むくじゃらの顔立ち、茶色の髪と髭で顔をいっぱいにし、目元と額と鼻しか見えない。口元も頬も耳さえも、わさわさ生え揃った髭と髪に埋もれて見えなくなっている。見るからに怖そうな乱暴者を彷彿とさせる風貌で、少女のような若い子が明るい声をかけやすい相手ではない。


「……ミスティか。よく来たな」


「もう、そんなぶっすりした顔せず笑ってよ。可愛い可愛いミスティちゃんが来たんだよ?」


「笑っておるよ。見えんか?」


「もっともっと、わかりやすく目で表して! あなた口元が殆ど見えないんだから!」


 仕方ないなとばかりに、あるいは無邪気に要求する少女、ミスティの口調に自然と笑い、目元がふっと微笑みの色に満ちるドラウト。強面の顔が、わかりやすく優しさも擁する老人の表情へと変わったことに、ミスティはうんうんとうなずいて笑うばかりである。


「セシュレス様は奥にいらっしゃる。きっと待ちくたびれているぞ」


「あーうん、セシュレス様に用があったのはそうなんだけどね。その前にドラウトさん、ちょっといい?」


「どうした? 私に用があるというのか?」


 うん、とうなずいてつかつか近付いていくミスティは、ドラウトの座る椅子の前、机の上にちょこんと座る。自分に用があるなどとは意外と感じたドラウトだが、じいっと下から見上げてくるミスティの目は、なんだか少し機嫌が良くないように見える。


「逃げたレインちゃんを捕まえようとしたネブラさん、あの人にそう指示したのってドラウトさん?」


「あぁ、その事か……確かにそれは、私の指示だな」


「やっぱり! おかしいと思ったんだ、ザームさんまで動くなんて絶対ドラウトさんの指示だよねっ!」


 アトモスの遺志を率いる総大将セシュレスの、右腕として知られるドラウト。大きな体でいかにも荒事には慣れていそうな男だが、アトモスの遺志においては軍師に近い役割もこなす人物である。セシュレス同様、戦列に並ぶことは少ないが、今ではもうほぼ、人前に姿を現さなくなってしまったセシュレスと比べれば、ドラウトは部下の前に顔を出す方だ。セシュレスの指令を部下に言い渡す役目を主に担うドラウトだが、彼自身が自分の意志で、部下に命令を下すことも少なくない。それだけの地位と信頼が彼にはある。


「お前はレインと仲が良かったな、言いたいことはわかる。だが、あの強さは手放したくなかったのでな。少々の荒事になっても、取り戻すべきだと思ったんだよ」


「もう~! ドラウトさんってその辺が冷た過ぎるんだよっ! あの子のこと、可哀想だと思わないの!?」


「レインを攫った張本人の私が、あの子を哀れと言っても白々しいだけだろう」


 そして彼こそが、レインとその姉の暮らしていた地に部下を率いて乗り込み、レインを手中に収めた張本人である。古き血を流す者ブラッディ・エンシェントであり、その中でも蛙種(ラーナ)と呼ばれる部族の血を引くレインの情報を耳にして、兵力として自陣営の駒にしようと考案したのは彼である。これに関しては総大将セシュレスとは意見が割れたが、総大将様は部下の試みには寛大なようで、ドラウトの決断は甘受された結果、その作戦は遂行された。戦う力を持たないレインの姉は人質に取られ、姉の命が惜しいなら、お前は私達と共に戦えとレインに強いたその策は、幼い少女に対してあまりに残酷なものである。


「ドラウトさんは任務の事になると、慈悲もへったくれも無くなるところが微妙だよ。普段は優しいのにさ」


「耳の痛い話だな。まあ、何と言われても構わん」


 天人を殺して殺して殺しまくってきたミスティにそれが言えるのかという話でもあるが、ドラウトが頭にその皮肉を思いつつ、敢えて口に出さないのは相手が彼女だからだ。ドラウトだってミスティの言うとおり、任務の外では優しさを持つ男、もっとも身内に対して優しいのは誰でもそうだが。ドラウトはセシュレスから、ミスティの過去を知っている。どうしてそれほどまでに天人に容赦が無い性格に育ったのかもだ。


「ただ、レインを遣わせたクライメントシティ侵攻の際には助けになっただろう? 今は私達の手元から離れてしまったが、それまでにあの子が残してくれた功績の数々は、充分な利になったはずだ」


「そうだけどさ~。結果で語られるとぐぅの音も出ないけど、私はあんまり認めたくない」


「結果が全てなのが大人の世界だよ。お前が言うのは若い意見だ、しかしそれを童心とも言う」


 レインを利用した自分の成功を推す一方、道徳観からそれに異を唱えるミスティの言い分も否定しない、そんな大人がドラウトだ。アトモスが生きていた頃から革命の使徒として動いてきたドラウト、非道に手を染めてきたことは一度や二度ではない。殺生で言えば何百人の天人を殺してきたのは彼も同じ。そうした境地の果てには彼が言うとおり、若く聞こえても純真さを残した童心を思わせる思想、ミスティの放った理念に懐かしさを感じるのかもしれない。


「お前の友達を追い込んだことに関しては、お前個人に謝ることはしてもいい。だが、アトモスの遺志を率いる一員として、公にそれを口にすることは出来んな」


「いいもん、その気持ちに免じないで今の言いふらしちゃうから」


「やめんか、私を困らせる気か?」


「べ~っ、レインちゃんを泣かそうとする人は死ぬほど困っちゃえばいいんですやい」


 レインの両手足は今でこそ綺麗だが、アトモスの遺志の一兵として働かされていた時の彼女の四肢は血みどろだったのだ。類稀なる脚力を持つ足を、鋼の具足で包んで鬼の金棒のような武器にして、その手には矢のように飛ぶ自らの勢いを活かし、敵を八つ裂きにする爪具を装備して。クライメントシティ騒乱の際にも、真っ黒な布に身を包んで正体を隠し、幾人もの天人を奇襲し、傷つけ、血を流させてきたレイン。傷つけ所次第では、死に至らせてしまった者もいただろう。


 人殺しの咎を背負うのなんて、革命という大願を掲げて殺生をその足がかりとする覚悟を決めた、自分達だけで充分だとミスティは思うのだ。地人に生まれ、虐げられる立場にありつつも、慎ましやかに姉と仲良く暮らしていただけのレインを、戦場に駆り出し戦うことを強い、殺す側の苦しみを背負わせるなんて真っ当な人間のやることじゃないはず。大いなる宿願の前には、痛みや罪深さや非道が伴うことを否定してはいけない立場の革命軍だが、ことレインに対して想い入れの強いミスティは、この件だけは感情論で認められずにいる。


「しかし、意地悪を言うわけではないのだが」


「なに。その口ぶり、イジワルな話する前置き臭ぷんぷんするんだけど」


 ちょっとだけ、目に見えてミスティが怯んだ。相手は頭の切れる大人だとわかっているだけに、そういう前置きをされてしまうと、何を言われるんだろうと怖くなるもの仕方ない。


「レインを保護していたという少女は、聖女スノウの一人娘だそうだな」


「……それ、どこ情報?」


「セシュレス様だが」


「あの人どこから情報集めて、そんな事実に辿り着いてんだろ……」


 レインを保護していた混血児の少女が、クライメントシティで一度交戦したファインであることまでは、ミスティだって聞き及ぶ限りから知っている。だが、あれがスノウの娘だとまでは知らなかった。それを現場にいずして既に知り及んでいる、セシュレスの耳と頭には溜め息すら溢れてくる。


「あれがネブラ達の手から逃れて南下していったということは、スノウのいるホウライ地方に向かっていたということだろう。地方境を越えられたのかどうかは知らんが……まあ、想定としてはホウライ地方のスノウのもとにいると見るべきだろうな」


「……まあ、そうかもね」


「となれば、後のホウライ地方侵略戦の際、敵軍の中にスノウと共に、当の少女が混ざる可能性もある」


 基本的に歓迎したくないことだからこそ、想定範囲内には優先的に組み込まれるものだ。ドラウトも、当然セシュレスも、ファインやクラウドというレインを保護していた二人が、やがて訪れる戦争の場に、敵陣営として参戦することを想定している。レイン含めてたった三人の敵の増強だが、その三人ってネブラやザーム含む軍勢をその人数で撃退した奴らであって、無視して戦略を組むことなんて出来ないのだ。


「それは、私達にとって滅却すべき存在ということになるのだが」


「…………」


「お前には、出来るか?」


 ドラウトの言葉はミスティにとって重い。苦しみの日々から自分を救い出し、守り通してくれたファインという存在は、きっと今のレインにとって大好きな人だろう。それをミスティは、殺さなければならない立場になるのだ。そしてそれは間違いなく、レインにとっての数少ない、大切な人を奪う行為に他ならない。彼女から姉を奪った時以上の悲しみを、レインが抱くことになってもおかしくない。


「……やるなら私がやるべきなんだろうね」


「割り切ってくれるならありがたい。混血児の手練など私でも、討てると豪語することは出来んからな」


 聖女スノウの一人娘にして、天の魔術も地の魔術も行使できる混血種、そしてその実力の高さも証明済み。それを討つことが出来る者が誰かとなれば、アトモスの遺志に属する者の中でも最たる実力者、ミスティやセシュレスこそがそうなのだ。死なせればレインを深い悲しみに陥れてしまうであろう少女、それを討ち取る使命は現時点で、既に半分ミスティに託されかかっている。


「私は責めんよ。大願のためには、多少の痛みはつきものだ」


「あぁイジワル。ほんっとイジワル言いますねドラウトさん」


「皮肉に聞こえようとも真意だよ。お前には本当に感謝しているんだ。今まで我々の希望を背負い、何度も……」


 ドラウトが言い終わらないうちに、机を飛び降り歩き出してしまうミスティ。歩いていく先は、木の壁に紛れつつも比較的見つけやすい、引き戸の扉である。やれやれ嫌われたか、と、残念そうに鼻から息を吐くドラウトだが、引き戸に手をかけたミスティはドラウトを振り返る。むすっとした顔ではあるものの、どうも嫌悪感に満ちたような表情ではない。


「心配してくれるのは嬉しいよ。でも、私のことなんて気にしなくていいから、ご自愛してくれた方がもっと嬉しいかな」


 そう、ドラウトは心配してくれているのだ。あらかじめ、罪深き行為に手を染める可能性を提示することは、言われた相手を苦しめ得ることだ。しかし、後から気付いて時既に遅しとなるより、覚悟を決めてそれに臨めるよう、(しるべ)を置いてくれる行為でもある。意地悪と解釈されても仕方ない、として発されたドラウトの言葉に、案ずる真意があったことをミスティは正しく読み取っている。


「どうせ私は、全部終わったら消えるから。どうせいなくなる人の心配なんかしても勿体ないだけだよ」


 引き戸を開いて、さらに奥へと進んでいくミスティ。その後ろ姿を見送るドラウトは、額の上の髪をくしゃりと握り、やらやれとばかりに溜め息をつく。机にその肘をつけば、自然と掌で額を押さえ、頭を抱えてうなだれるような姿勢になる。


「破滅的な若者を見て心配になるのは、当たり前のことではないのかね」


 年を取った証拠だと思う。無茶をしてきた末、多くのものを落としてきた大人になった今、若い身内に自分と同じ道を歩ませたくないと考えたりもすることもある。しかし、そんな若者達の力も借りねば叶えられないのが、天人支配の現状を変えるという革命であり、そこには苦しいジレンマがある。


 大人は汚い、そして苦しむ。彼らにも、幼い頃があったのだ。











 ドラウトのいた部屋からさらに奥へと進む道は短い。ただし、壁は土が露呈したままで、たいして補強はされていない。地震の一つでも起きようものなら、あっさり崩れて塞がるんじゃないかっていうお粗末ぶりだ。もっとも、そうなったとしてもこの奥にいる人物は、地力で地中から脱出できる力の持ち主だが。


 やがて見えてきた一枚の扉は、土の足元と天井と壁の中で浮いたもの。それが、この先にある空間の特別性を暗示しているようにも感じられる。アトモスの遺志において、誰を相手にしてもびびる必要の無い立場たるミスティとて、この扉の前ではふぅと一息ついて緊張をほぐす。何度来ても、この先にいる人物と顔を合わせる前は緊張する。


「こんばんは、入ります」


 陽気な普段の彼女からすれば比較的厳かな言葉遣い、ただし声色は普段と同じくして明るい。まるで主人と婚約寸前までいった、仲睦まじき女中のような気軽さを声に表すミスティは、会いに来た人物との再会に、心躍る心地も僅かに匂わせている。


 その先にあったのは、ドラウトのいた部屋よりもずっと狭い空間。板で補強された壁や天井、床は同じ、しかしそれだけだ。この部屋には物が少なすぎる。人一人が寝そべれるような大きなソファーが奥に置かれ、そこに部屋の主は体を寝かせている。


「ミスティか。待っておったぞ」


「えへへ、やっと来れました。時間かかっちゃってごめんなさいね?」


 腰の後ろに両手を回し、首を傾けてはにかむような仕草のミスティに、ソファーに寝そべっていた老人は顔に乗せてあったシルクハットをどけて振り向いた。よっこらせ、と体を起こしたその老人は、黒の紳士服に紫のコートを羽織る風貌で、ソファーに腰掛ける姿からでも背の低さがわかる。若い頃は平均ほどの身長であったけれど、年を取って縮んだんだろうなという程度の小柄さだ。


 頭の上部はつるりと毛のない様だが、シルクハットをかぶって正せばそれは隠れ、耳の上や後頭部に残った白髪だけが見える形に収まる。ならびにシルエットだけは、若い頃のようにそこそこの背丈と同じくなる。


「まずは、おいで」


「はいっ♪」


 ミスティはセシュレスのことが大好きだ。頭を撫でて貰うのが大好きな彼女のことを知っていて、再会して真っ先にそれをしてくれる。されどミスティも、頭を撫でられて嬉しいのは信頼している相手だけ。頭を差し出す自分の頭を、優しく撫でてくれるセシュレスの手に顔をふにゃつかせるのは、それだけ彼のことを信頼している証拠である。


「期待以上のはたらきを見せてくれたようだな」


「セシュレス様、長く会わなかったせいで私の実力忘れてません? だいぶ遊んだんですけど、それでも期待以上ですか?」


「今はまだ慎重にいきたいのでね。こちらの力量を謙虚に見越すよう努めているんだよ」


 皺の多い顔、眉も白く染まる老いたセシュレスだが、70歳手前にしては沁みも皺も少ない方で、若々しいお爺さんといった風貌だ。まあ実際、アトモスの影やミスティに比肩する最強の兵として現役である彼、かつてより老いたとはいえ健康な体には気を使い続けているだけあって、衰えも最小限に抑えているのだろう。以前ミスティが会いに来た時は、ぼけ防止のためだとか言って、複雑な数式を記した学術書を読んでいた人だ。


「しかし戦果以上に、派手な勝ちっぷりを見せてくれたことは期待どおりと言える。非常に助かる」


「士気向上、でしたっけ? セシュレス様、そういうの大事にしますよねぇ」


 ミスティを遣わせたセシュレスの狙いは、単に敵を強力な駒で殲滅することだけに留まっていない。どういうことかと言うと、南からこの村に進軍してくる天人勢に対し、セシュレスは敵の数を把握した上で、部下に少数での出陣を命じた。総大将セシュレスからの命令だから反発は出来なかったものの、命じられた者達は正直気乗りしなかっただろう。三百にも届こうっていう敵軍を、僅か五十人で待ち伏せして撃退しろと言われて、大丈夫なんだろうかと思わない方がイカれてる。


 ところがいざ指定の位置で待ち伏せして様子を窺っていると、唐突に始まったミスティによる殺戮劇。待ち伏せ場所近くの野良小屋に"助っ人"を招いておいたとはあらかじめ聞かされていたが、それにしたってあの惨劇ぶりは、敵である天人が気の毒になりそうなほどのものだった。結局、ミスティが作り上げた天人達の瀕死と死体の山を、遣わされた者達は苦もなく皆殺しにすることが出来た。どのように横殴りの奇襲をかければ、最もやりやすく天人どもを切り崩せるかと、一生懸命知恵を絞っていた数時間前が馬鹿らしくなったほどだ。


 この一事は勝利であるとともに、そんな圧勝劇を形にする"助っ人"が自陣営にいることを、セシュレスが部下に示唆するためのものでもあったのだ。少し前の宴会では、ミスティの手添えのおかげで楽々勝利できた者達が、すげぇお方が俺らの後ろにはついてんだと唱えて回ったことだろう。"アトモスの影"や、それの従者である"影の卵"の存在は、正体こそ周知されていないものの元より語り草だ。結局ミスティはあの時も味方にすら自分の姿を見せなかったが、それがかえってミステリアスさを生み、謎の強力な味方の存在を示唆する形で、その話をする際にも盛り上がる種になる。結果的に、決して楽観視できない状況下だと薄々わかっている者達にも、大きな後ろ盾の存在を匂わせることで士気を高められるのだ。


「勝てる、と信じられる勢力に属していると思えることが、一番のモチベーションになるのだよ。そこにいただけで虐げられていた者達に、革命の勝利を信じさせて動かしたアトモスが、それを歴史上において実証したばかりだ」


「難しいことよくわかんないけど、お役に立てたみたいならそれでいいや♪」


「強き者は、ただそうあるだけでいいのだよ。お前は自覚がないかもしれないが、お前はこの世界に存在しているだけで、誰かを幸せに出来る少女になっている」


 セシュレスの上手いところは、ミスティにとって最も嬉しい言葉を絶好の流れで自然に吐く様によく表れている。照れるを通り越し、胸の奥がじわあっと満たされるような言葉に、ミスティは顔を伏せて口をぎゅっと絞ってしまう。お喋りで陽気な彼女をこういう形で黙らせられるのは、セシュレスか、ミスティの主であるカラザぐらいのものだろう。


「すべてが終わったら消えてしまうなんて、そんなことを言うものではない。世界を変えたその後にも、私達はお前のことを必要とし続けるのだから」


「……聞こえてたんですか?」


「以前もお前が言っていたことだ。もう忘れたのかもしれんがな」


 だけど真意ながら枕を置いたのは、再会したら必ず伝えようとしていたこれを言うためへの、繋ぎとしての意義が最も大きい。セシュレスは、ミスティとドラウトの会話を耳にしていたわけではない。ミスティが、そういう性格であるのは知っているのだ。


「私、どうせ戦いしか出来ないですもん。革命のための戦いが終われば、私なんて何の役にも立てません」


「そんなことはない。出来ることが思いつかぬなら、探していけばよい」


「……生きていくのは、つらいですよ」


「それを乗り越えてこそ意味のある人生がある」


 思わず吐露した、告白に近いミスティの胸の内にも、セシュレスははっきりとした声で正しい道へと導こうとする。言葉が続かず、顔を上げつつも弱々しい目で黙り込むミスティの表情を、セシュレスは冷静な表情で見守っている。叱るでもなく、過度に優しくするでもなく、あくまで自然と自らの想いが導く言葉がそれだと伝えるため。理性や論理的思考に基づくものではなく、セシュレスの感情から生じた言葉だと強く主張される言葉が、ミスティの胸を逃げ場なく貫いている。


「殺生はつらいかね」


「……楽しくはないですね」


「それでよいのだ。しかし、逃げてはならない」


 高笑いとともに、天人達を虐殺し続けてきたミスティの口からは、おおよそ信じられない言葉が発せられる。しかし、それもまたミスティの真意の一つなのだ。そしてその胸の奥にあるそれは、普段彼女も蓋をして、ミスティ自身も自覚しないよう努めてきた情念である。


 封じ込めてきたはずの自分が、時々外に出たがる時がある。それはいつだってセシュレスと話す時、そしてそれ以外の時には今まで一例も無かったこと。ミスティがセシュレスを人として特別視するのは、単に彼が自分達を率いる総帥であるからではない。これが最たる一因だ。

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