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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第9章  突風【Saint】
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第166話  ~聖女の傷~



「あらやだ、美味しいわぁ。これファインが作ったの?」


「う、うん……」


「先輩達にも好評でしたよ、みんな口には出さなかったけど。顔見ればわかりましたもん」


 スノウの部屋にて夕食タイム。今日は夕食を作るのにファインも携わったらしく、初めてファインの手料理を口にするスノウは、想像していなかった美味に幸せ顔だ。また、夕食をここまで運んでくれたラフィカも、スノウのお誘いにより同席している。親しい5人で食べる夕食っていうのは、ファインにとっては過去最も多い人数の食卓だ。


「ね、ね、ファイン、私と結婚して養ってよ。こんな美味しい料理毎日食べられるなら絶対幸せだわ」


「お母さん、冗談きつすぎて引く」


「近親相姦プラス同性愛って終わってるでしょ」


 しょうもない冗談やそれに対する突っ込みなど、雑談混じえての夕食は、口ぶりはああでもファインの機嫌が非常に良い。混血児ファインの作った料理、天人の女中達は口にしても絶対褒めてくれなかったが、ラフィカは素直に、すごく美味しいと言ってくれた子だ。そんなラフィカという新しい友達が同席していることも相まって、ずっとにこにこ顔のファイン、それを隣に置くクラウドも気分が良い。ホウライ城でも城下でも、どこを歩いてもちくちくした目線で刺されるファインが肩身狭そうだったので、ご機嫌な彼女にはそれだけで和める。


「……それはそうとして、お母さん。さっきから気になってたんですが」


「ん?」


「そのお酒、なんですか? ここまで匂ってくるんですけど……」


 スノウと夜の食卓を囲むのは二日目のファインだが、昨日と明らかに違う要素が一つ加わっている。隣に座るスノウの飲み物が、グラスからつんと鼻を刺すような蒸留酒の匂いを漂わせているのだ。酒の匂いを嫌うファインではないが、そんな彼女が訝しげな顔をしてしまうぐらい、その匂いはきつい。


「お酒に興味ある? じゃ、ちょっと味見してみなさいな」


「うーん……じゃあ、ちょっとだけ……」


 料理を趣味とするだけあって、未知の食べ物や飲み物に対しては興味の強いファイン。酒を嗜む年ではないが料理酒は使うことも多いし、ひとまず味だけ確かめさせて貰うことに。スノウが差し出してくれたグラスを受け取って、ちみっと数滴ぶんほどの酒を含もうと、口を近付けていく。


「……ぅ」


 だが、そこで止まった。これはやばい、何かやばい。口がグラスのふちに付くまさに寸前、ファインの嗅覚が非常警報を鳴らした。酒の液面から沸き立つむわあっとした酒臭が、鼻を通じて涙腺をくすぐってくるほどにきつい。これ、本当に飲み物なんだろうかって真剣に思う。手が動かなくなる。


「どしたの? ほら」


「んむ……!?」


 ところがだ。隣で頬杖ついたスノウが、悪意ゼロのきょとん顔で手を伸ばし、グラスの底をくいっと持ち上げてきた。優しく押し上げられたグラスは、するりと飲み口をファインの唇の間に滑り込ませ、奇襲に驚いて目を見開いたファインの口内へ、中身の酒をちゃぷりと放り込む。


「っ、か……っ!!」


 酒が舌に触れた瞬間、ファインが斜め上を向いて溢れさせた悲鳴は、それだけで大ダメージを周りに伝えるに足りるものだった。はんぱない度数の酒は、濡らしたファインの舌を焼くような痛みに染め、慌ててファインはグラスを持っていない方の手で口を押さえる。危うく人前で、口の中のものを吐き出す寸前だったのだ。それほどまでに強烈な酒は、じゅわあとファインの舌を熱くしたと思えば、ファインの舌に絡み付いてびりびりと痺れさせてくる。


「~~~~っ……! んっ、んむうっ……!」


 あっという間に涙目になったファインが、グラスを置いて両手を塞ぎ、必死な様子で周囲を見渡す。駄目、これは駄目、飲み込むのが怖すぎる。ゴミ箱の一つでもあれば、席を立ってそれを持って走り、部屋の隅にでも行ってみんなに背中を向けて吐き出したい。でも、半パニック状態のファインはゴミ箱的な物を見つけられない。ちなみにゴミ箱はファインの位置から見えない場所、ベッドの向こう側にある。


 怖いけど、もうやるしかない。べはっと口の中に含んだ酒を、人前で適当な場所にでも吐くような、はしたない真似が出来るものか。死ぬかも、とさえ想いながらも、意を決したファインはぎゅっと目をつぶり、両手で口を押さえた顔を僅かに伏せて、喉をごくりと動かした。その行動は口の中の酒を体内へと送り込み、ファインの喉元を激烈な酒が、小量ながらもばっちり濡らし荒らしていく。


「くっ、かっ……! けはっ、かふっ……うっ、けふうっ……!」


「ふ、ファイン……!? だ、大丈夫か……!?」


「あららら……子供にはちょっと刺激が強すぎたかしら?」


 子供にはと仰るが、こんなもの、大人でも飲めるのは限られたごく一部だろう。酒好きに括ってもその大多数が、こんなもの酒じゃない、あるいは味がわからんと言うようなきつさである。苦笑いではなく真性のくすくす笑いでファインを眺め、ファインの置いた酒入りグラスを横から取り、くぴっと軽々しく飲むスノウ。まるで水でも飲むように、口と喉を焼くような強烈蒸留酒を平然と飲み込んでいる。


「クラウド君はどう?」


「や、け、結構です……いや、ホントに……」


 クラウドはファインより鼻が利く。意識すれば、離れた位置からでもあの酒の強烈さは匂いでわかる。恐らく近付いて嗅ごうものなら、クラウドの嗅覚ではそれだけでむせるだろう。口にせずして、あれって本当に人が飲む飲み物なんだろうかって思えてならない。結論がファインと寸分違わず同じである。


「前々から思ってたんですけどスノウ様、お酒もうやめませんか? そのうち本当に体壊しますよ……」


「あら、とうとうラフィカもそんなこと言っちゃう?」


「心配ですよ、当たり前でしょう」


「え……っ、お、お母さんっ……けほっ……! いつも、こんなのを……?」


 聞き捨てならなかったファインが、むせながら無理にでも話に入ってこようとする。酒には詳しくないが、あまりにも刺激性に過ぎるあの酒が、体に良いものだとは思えない。


「大人はいっぱいあんのよ、本当に色々。お酒でも飲まなきゃやってられないことだってあるわ」


「だからって……毎日そんなの飲んでたら、いつか本当に……」


「まっ、毎日……!?」


「昨日は飲んでなかったも~ん」


「そういう問題じゃなくってですね……」


 差し出がましいかと思いつつも真意を訴えるラフィカ、誤魔化すように聞き流すスノウ、そして母がこんなものを恒常的に飲んでいることを聞いて驚愕するファイン。クラウドだって驚いてるし、話の本質がよくわかっていないレインも、ファインのリアクションを見てただ事ではない空気に縮まっている。楽しいお食事会の空気が、不意にスノウ一人を除いて暗くなる。


「ラフィカ、ありがとう。あなたは他の連中とは違って、酔って暴れる私を疎んじてお酒を止めようとしてるわけじゃない。心から心配してくれてるのがわかるし、それは嬉しいと思ってるわよ」


 再会して間もないファインに、自身の酒癖の悪さを隠す意図がない。聞かれてもいないのにそれを明るみにしたのはそういうことだろう。それはラフィカが他意無く心配してくれていることを知り、その上でラフィカと心を通わせ合う対話がしたいと望む、自分自身を隠さないスノウの語り口だ。


「でも、好きに生きさせて?」


「んんん……」


 身勝手承知を真意に含み、にかっと笑うスノウの表情を前にしては、ラフィカもこれ以上言葉を紡げない。私の人生は私のもの、と言われて、それ以上踏み込める者なんか中々いないのだ。本意では認めたくないけれど、そう言われては認めざるを得ない苦味が、ラフィカの顔いっぱいに表れている。


「ごちそうさま、ファイン。あなたのお料理美味しかったわ♪」


「あ……う、うん……」


「料理オンチの私の子が、こんなスキル身につけてるなんてねぇ。あなたは私よりずっと早く、婚期に恵まれそうで安心するわ」


 そう笑って頭を撫でられると、ファインも照れるばかりで目を伏せる。この時間ばかりは、ファインもその嬉しさに煙にまかれ、知らされたばかりの母が大酒呑みということも忘れてしまう。これを意図して引き起こし、自分を心配する言葉を吐かれて一番困る相手を封殺するスノウは、酔っても忘れぬしたたかさを見せている。ファインは他人じゃない、心配だからやめてと言われて、無視できる相手じゃないからだ。


「さーて、外の空気でも吸ってくるわ。みんな、眠くなったら好きな時に好きな場所で寝てね。心配しなくてももう、あなた達にイタズラしようとする奴はいないでしょうから」


 今日の昼、あれだけの実力をお披露目したクラウドに対し、よからぬことを考える奴なんていないだろう。万に一つの間違いがあるとしても今夜ではない、そうした確信を口にして、手をひらひらさせてスノウは部屋を出て行った。綺麗に食べ尽くされたスノウの食器は、彼女がこの場にいなくなったことを強調するかのようにテーブルに居残っている。


「……ラフィカさん、お母さんっていつもああなんですか?」


「えぇと、まぁ……あんな感じ、かな……」


 いざ母がいなくなった途端、知りたいと教えて欲しいと乞うような眼差しを真っ直ぐ向け、問いかけてくるファイン。ラフィカもどこまで、勝手に聖女様の普段を語っていいのかわからない。語れば語るだけ、ファインが心配になるであろう、スノウの毎日の振る舞いを知っているからだ。


「で、でも、幻滅したりはしないで欲しいな? あの人普段はあんなふうだけど、優しくて話のわかる人だし、私は聖女様って呼ばれるのもわか……」


 ラフィカの言葉が途中で途絶えたのは、ふるふると大きくファインが首を振ったからだ。そういうことじゃない、幻滅したとかそんな気持ちじゃない。今のお母さんがどんな毎日を送っていて、ただそれを聞きたいと雑念抜きで思っている。そして、あんな強烈な酒を毎日のように呑み、"大人には色々ある"とそれを正当化しようとしたスノウの胸中を、見えないものだからと無視できずにいる。それを行動と、首を止めてラフィカを見据える表情、心配と不安を隠せない目の色だけで伝えてくるファインだから、ラフィカも考えなしには喋れなくなる。


「……あんまり勝手にお喋りするのは、良くない気もするんだけどな」


「…………」


 要するに、本音を言えば話したくないと。そして普段のファインなら、でしたら無理はしないで下さい、詰め掛けてすみませんでしたと謝るであろう場面。退かず、踏み込み承知で聞きたい気持ちを前面に押し出すファインって、いよいよとなった時には譲らない生来の性分がここで溢れている。こんなファインをここまでわかりやすい形で見るのは、クラウドの目線からでも珍しいことだ。


「……わかったわ、知ってるだけのことを教えてあげる。スノウ様の一人娘さんだし、知らないままではいたくないよね」


 だから普段は口の軽くないラフィカも、ここでは覚悟を決めてこの道を選んだ。人様の内情や複雑な事情を、ぺらぺらと口にすることがどれだけ良くないか、ちゃんとわかっているはずのラフィカである。そんな彼女がこうするほどには、ファインの強い訴えは退けられない重みを持っていた。











「スノウ様は昔から破天荒なところがあって、生まれのクライメントシティでもやんちゃな子だって言われてたらしいわ。だからあの人が言うとおり、スノウ様が聖女と呼ばれることは、あの人を古くから知ってる人には笑いの種になるみたいなの」


 ラフィカがスノウに真実を話し始めたその頃、スノウは城の上の階に上がっていた。やがて彼女が辿り着いたのは、この城において大人達が遊びに興じる娯楽室だ。札遊びの札や、ダーツを当てる的が備え付けられたそこは、貴族達の比率より城兵の比率の多い、俗な遊びに興じやすい環境だ。今日も食後の遊びを嗜んでいた、多数の城兵と少数の貴族が集まる場に、やっほーと陽気な声を発してスノウが混ざっていく。荒っぽさが周知される彼女は、聖女様と崇められる身ながら天人達には敬遠されがちだが、この場に表れた彼女に対しては、皆が歓迎的な態度である。ご機嫌取りの演技ではない。


「でも、昔は今ほど……あそこまでの人じゃなかったそうよ。ホウライ城の古株で、昔からスノウ様を知っている人からすれば、あの人はすごく変わったって言われてる。ちょうどそう、近代天地大戦が終わった頃ぐらいからだって、みんなが口を揃えて仰るわ」


 娯楽室にてスノウが真っ先に向かうのは、酒を提供してくれる男の手前。陽気な口ぶりで愛飲の酒を注文し、度の強いその酒をグラスにも注がずに口飲み。ぷはぁと中年男性のような息を吐く仕草は、年のほどとは思えぬ若い顔立ちと比べて、あまりにも似つかわしくない。取り出した煙管(キセル)に種火を入れ、着火して吸う彼女のもとへ、常連の遊び仲間に近付くように周囲が集まってくる。今日は何をしますか、こちらと勝負しましょうよと、スノウと遊べば楽しいことを知っている者達の、好意的なアクセスが続く。


煙管(たばこ)を吸うようになったのも、魔女アトモスを討ち果たしてしばらくのことらしいわ。なんでも先輩が言うには、昔のスノウ様は嫌煙家で、親しい人が煙管吸ってたら、体に悪いからやめなさいよっていうのが口癖だったそうよ。最近じゃ当たり前のように吸ってらっしゃるけど、昔からあの人を知ってる人達からすれば、それが一番大きな異変だったとも感じられたみたい」


 それじゃあ昨日はアレやったし、今日はこっちにしようかな、と、常連の口ぶりでダーツを手にしたスノウ。取り決めたルールに従い、勝負相手と交互にダーツを的に向けて投げる。酔いが回ってきた頭と手元でも、遊び慣れた彼女の腕は、概ね普段と大きく狙いを逸らさない。狙った場所と少々ずれた場所に当たれば、酒のせいだこんなの私の真の実力じゃない、と冗談の負け惜しみを言い、周囲の男達に気さくにからかわれる。何度かやって、やっと狙い通りに的の真ん中に当てれば、ここぞという時に当てる私と豪語して、スコア上で不利でも無邪気に喜ぶ。勝負事ながら勝敗以上に、ゲームそのものを心から楽しむ彼女の姿勢は、一緒に遊ぶ側からしても楽しいだろう。


「今でこそああいう明るい顔を見せてくれるようになったけど、ずっと昔はそうですらなかったらしくてさ。近代天地大戦を天人の勝利として終わらせた立役者として、スノウ様は一度天界に招かれ、そこで暮らすことを許されたこともある。だけどそこでのスノウ様は、毎日のように暗い顔で暮らしていたみたいで、誰かが機嫌取りに明るい話をしても、笑ったことなんて一度もなかったんだって」


 ダーツ遊びの最終結果が芳しくなく、4人で遊んで最下位の結果になったスノウは、悔しさいっぱいの顔でもう一回もう一回と再戦を乞う。かかってきなさい、また返り討ちですよと、対戦相手も余裕の顔で煽るようにして快諾だ。ホウライ城において、何者もこの人の機嫌を損ねてはならないとされているスノウではあるが、この場においてはそうした立場の垣根もない。遊びは遊び、その場においては地位の差などありはしないと言うスノウを知る大人達にとって、彼女は無礼講に付き合える遊び仲間だ。子供のように、目の前の遊びに夢中であるスノウは、今日も実に表情豊かである。


「最後には、ある日突然天界王様のところに強引に押しかけて、何やら大声で怒鳴り散らしたんだって。その時何を言ってたのかは知らないけど……結局それがきっかけになって、天界王様もスノウ様を天界から追放するように決めたそうよ。スノウ様も、それこそ望むところだって啖呵切って天界を去ったらしいことは、私も号外の新聞で読んだことがあるからよく覚えてるわ」


 2ゲーム目も敗北したスノウを、今日は不調ですねぇと周囲の者達も煽る煽る。悔しい悔しいと連呼しながら酒をあおり、勝つまでやるんだからと再戦を要求するスノウ。そんなにもう一度やりたいならもっと深々と頼む態度があるでしょう、と、悔しがるスノウに意地悪な追い討ちもかかる。あんた達上手に回ったら強気に出て、とぷんすか怒るスノウであるが、からかう側も自重はしない。機嫌を悪くしておられるのは明白だが、これは本気でまずい怒らせ方でも何でもない。


「気でも触れたのか、なんて報じられたスノウ様だったけど、その後スノウ様はアボハワ地方に移って、荒れ果てたその地の復興に協力し始めたそうなの。アボハワ地方は、近代天地大戦においての主戦場だったっていうのは、知ってる?」


「……魔女アトモスの故郷でもあり、それが率いた軍勢の本拠地でもあったんですよね」


「そう。天人陣営と地人陣営が何度もぶつかり合ったアボハワ地方は広く荒廃し、はじめはスノウ様が訪れた姿を敵視した人も多かったらしいわ。それはそうよね、地人陣営を敗北に導いたスノウ様なんて、アボハワ地方に住まう地人の人達には憎むべき相手ですもの。私も新聞でそれを知った時、子供だったけど、悪いけど本当に頭おかしくなっちゃったのかと思ったもの」


 何とか屈辱的に頼み込んで再戦したスノウだが、今度はなかなかの高得点をはじき出して勝利することが出来た。どうだ見たか、と、祝杯の酒を一気飲みして大喜びのスノウには、負けた側も祝福したくなる。たかだか一回勝ったぐらいで、こんなに体いっぱい、顔いっぱいに喜ぶ奴なかなかいない。破天荒で知られるスノウではあるが、それは彼女がぶっ飛んだ頭をしているからではなく、感情に対して素直であるからだと、誰もがその実知っている。


「それでもいつしかスノウ様は、アボハワ地方の復興に協力するようになって、長い時間をかけて受け入れられるようになっていったらしいわ。でも、それを面白くなかったのか天人様は、スノウ様をホウライ城に招くように言った。"アトモスの遺志"の活動が少しずつ明るみになって、不穏な空気になってきた頃ね」


 ダーツ遊びを一通り終え、札遊びに場を移したスノウは、ここでも表情がころころ変わる。手札を相手に悟られてはいけないゲームなのに、ポーカーフェイスもへったくれもない。仏心を見せて、顔に出てますよと何度注意してあげても直らないのだ。遊び人からすれば、立場が上かつ、こういういつまでも初心者脱却できない人って、普段と違う接し方をし放題で楽しいものである。


「アボハワ地方の人達からすれば裏切りのようにも見えたかもしれない。地人のための復興をある日いきなり放り出して、天人の都を守るためにホウライ城に行く、地人達のために戦うアトモスの遺志の邪魔をする立場に寝返ったんだから。でも、スノウ様はそれを選んだ。……あの人が何を考えてるのかとか、天人様がどんなふうにあの人を説得したのかとか、私も知らないことはここにはいっぱいあるんだけどね」


 ゲームの種類を転々とし、その中で何本もの酒瓶を空にし、いよいよ酔いが回ってきたスノウは千鳥足。もうそろそろお開きにしませんか、と、スノウともっと遊びたい層も、彼女を気遣い始める頃合いだ。それでもいやいや、まだまだやるわよと、近場の壁やテーブルに手をかけてでも、遊び足りないと豪語するスノウは拒否。酔っ払い同然の息遣いになっても、ゲームが始まれば目には真剣さが宿る。おぼつかない手つきでダーツは投げられないが、気を失わない限り頭の回るスノウとの札遊びは、酔っ払い相手だとわかっていても対戦相手には気の抜けない、良き勝負である。


「アボハワ地方での数年間で、あの人に何があったのかは知らない。でも、ホウライ城で暮らすようになってからのスノウ様――少なくとも私の知ってるあの人は、毎日お酒飲んで、遊んで、大人達に対しては口ぶりも乱暴。私達には優しくしてくれるけど、そういうあの人の一面を知る前は私も、あの人のことすごく怖い人だと思ってたわ」


「毎日っていうことは……あの人の寝起きがいつも遅いのも……?」


「ええ、夜中まで酒と遊びに興じて、疲れと二日酔いで夕方まで寝てるのが殆どなのよ。昨日はファインちゃんと出会えて機嫌がよかったのか、お酒も遊びもしなかったから早起きだったんだと思うわ。でも、今日のようにいっぱいお酒を飲んで――多分今も上層階の娯楽室で遊んでるのが、あの人の毎日なの」


 結局、酒を飲んでいない大人達の方が先に眠たくなって、お開きを言い渡すまでその場は続いた。無理に周囲を引き止めることもしない酔っ払い、スノウは付き合ってくれた相手に礼を述べ、ふらふらと娯楽室から去っていく。どこに行くのかと言えば、低層にある城内の酒場。夜更かしの好きな城兵の集う場所だ。


 しばらく後の話になるが、結局この日、ファイン達が起きている間にスノウは自室に帰ってこなかった。それもそのはず、彼女が眠りについたのは城の屋上。半分残った酒の瓶を片手に、まるで行き倒れのように意識を失ったからだ。











「……そういえばファインちゃん。スノウ様の前で、"魔女アトモス"っていう言葉を使ったことはある?」


「いいえ、そうしないようにしてます。魔女アトモスは、お母さんの親友だった人なんでしょう」


「ああ、知ってたんだ。だったら、それでいいと思うわ。魔女アトモスっていう言葉は、親友だったスノウ様に対しての絶対の禁句だから」


 この事は、実はクラウドも小耳に挟んだことのある話である。ファインはもっと昔から知っていること。大きくなって、スノウをよく知るお婆ちゃんから、それを教えて貰ったことがあるからだ。今となっては大きく語られることでもないし、レインにとっては初耳のことであったが、一時はそれが民間人の間で話題になり続けた時期もある。つまり近代天地大戦というのは、かつては親友同士であったスノウとアトモスの殺し合い、その決着によって幕を降ろしたものなのだ。


「親友であるアトモスを手にかけてまで勝利を手にしたあの人が、その日を境に変わってしまったっていうなら、想像できないことでもないけど……確かに私も、幼馴染のアスファを殺しちゃうようなことになったら、多分自殺しちゃってもおかしくないと思う」


「そう、ですね……想像もしたくありません」


「ただ、あれも十数年前のことだし、スノウ様もそろそろ気持ちを切り替えて前に進んでいてもいいんじゃないかなって私は思う、けど……いや、ご本人を前にしては言えないけどね……無責任だし」


 ラフィカのような年若い少女が、差し出がましきかと思いつつも口に出来るのは、周りの大人達も口を揃えて同じことを言うからだ。でなきゃ好きな人について、そんな知ったふうな口は利けない。一方で、本人を前にして言えないという節度は保っている。好きな人のことだから、余計なお世話かもしれなくても、何も考えずにはいられない。


「私の知らないスノウ様の姿もあるし、どこが決定的なきっかけで、あの人が今のようになっちゃったのかはわからないわ。アトモスを討ち果たしたこともきっかけの一つではあるかもしれないけど、他にもたくさん、何かあったのかもしれない。ただ一つ言えるのは、近代天地大戦がスノウ様を変えてしまった原因であろうことは、確かだっていうことね」


「…………」


「私達にとっては、本当にいい人。酒癖も悪いけど、酔っ払っててもふとした瞬間には優しい目に戻るし、何度も相談に乗ってくれたこともある。……だから私も、あの人には長生きして欲しいって思ってる」


 酒好き、煙草好き、遊び歩き好き。長寿の逆を行くような生活習慣を、重く常習化しているスノウの姿は、聖女様という響きに反しているだけではない。彼女の良き一面を知り、聖女様という響きのいい通り名もあながち間違っていないと思える層には、早死にして欲しくないぶん否定的にならずにいられない振る舞いなのだ。話を聞けば聞くほどに、母のことが心配になってくるファインだが、そんなファインの心を鏡映しにしたかのように、目の前のラフィカも同じ想いだとわかる。スノウと血の繋がっていないラフィカが、本当のお母さんを案じるのと同じような気持ちで、今のスノウを憂いている。


「強く気高い人にこそ、表に出さない苦しみがある。昔アスファが私に教えてくれた言葉だけど、スノウ様を見てるとそれって本当なんだろうなって思わずにいられないの。……ファインちゃんはお母さんに会ったばかりで、甘えたい気持ちもあるだろうとは思うし、こんなこと言うのは申し訳ないけどさ」


 不思議なものだ。対面の席に座るラフィカが手を伸ばし、ファインの両手を握ってきたような気がした。そんなこと、彼女はしていないのに。謝罪を口にしつつも、それでも伝えたい想いがあると目に宿したラフィカの表情が、何かを強く乞おうとする彼女を予見させたからだろう。


「……あの人を、大事にしてあげて欲しいなって思うの。酒に溺れるあの人の姿を見ると、今でも何かに苦しみ続けているように見えてならないわ」


 付き合い数年足らずのラフィカがここまで言うのだ。ファインの知らないスノウの一面を知るラフィカ、そんな彼女がそう強く訴える姿は、お母さんのことを知りたいと願った、ファインに対する痛烈な反撃。押しを見せたファインと異なるのは、出来ることならお願いしますと、弱々しき懇願を含む顔色であることだけだ。


 はい、とファインは小さく答えた。約束します、だとか、絶対にそうします、だとか、胸を張った回答ではない。この日初めて触れた母の傷に、戸惑いを抱かずにいられるものだろうか。だが、これは重き真実を語ったラフィカの功罪ではない。知りたいと願ったファインが受け止めるべき、誰のせいでもない現実だ。


 世の中には、知らない方が幸せであったこともある。同じだけ、知らねば出来ないこともある。

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