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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第9章  突風【Saint】
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第165話  ~クラウドVSアスファ~



 時はだいたいおやつ時、場所はホウライ城別館の戦闘訓練場。広大な室内に土を敷き詰め、雨天時でも野外の足元をシミュレートして戦闘訓練を行なえるここは、ホウライ城に仕える兵が日夜修練を積んでいる場所である。


 この場に居合わせるのは数十人のホウライ城兵、そしてそれら含めてホウライ城の兵を統括する兵士長なる年老いた男。まばらに散るそんな人数が収まって、なおも訓練場の中心に大きめのスペースが空いている時点で、訓練場のキャパシティもそれなりということだ。さすが天人の楽園の中心地とも言えるホウライ城の訓練場、良い環境で育てられる兵も、各々がそれなりの実力を培っている。


「…………」


 天人だらけのこの空間に、一人浮いた天人が混ざっている。兵士長の隣に胸を張って立つ聖女様は、かびの生えた薄汚いゴミ屋敷の中に招かれたかのようなうんざり顔。比較的お喋りな彼女が、いつでも舌打ちを出せる程度に唇の隙間を開け、無言で腕組みして立っている。


「……あなただけは、もうちょっとまともな人だと思ってたけど」


「信じて貰えるかはわかりませぬが、正直これは私も気乗りしておりませんよ」


「どうだか。王様の命令だからっていう免罪符を得て、心中ではほくそ笑んでるんじゃないの」


「これでも願い出て、悪趣味さを薄めるよう努めた方です。はじめは、城下の広場でもっと人を集めてやれと命令されておりましたからね」


「……ふーん」


 ちゃらんぽらんな聖女様で知られるスノウだが、彼女も人と話をする時は相手の目や顔を見て話すなど、基本的な良識は備えている方だ。そんな彼女が、不機嫌全開の細い目で、話している相手の兵士長の方も見ず言葉を並べる時点で、かなり怒っている。あるいは、呆れている。こいつら本当、下らないことをやる知恵ははたらくんだなって。


 ここ天人が集う訓練場にて、間もなくひとつの"見世物"が始まるのだ。集った天人の兵達は、"生け贄"の到着を待ち焦がれるように楽しそう。まだかまだかとひそひそ話す天人兵の声が、心底スノウは煩わしくて仕方ない。


「すいません、ここでいいんですか?」


「……来たようですな」


「ふん」


 定められた時間よりも10分早く訪れたクラウドの姿に、集った天人達の目線が集まる。その目線が、やがて何を期待するものに変わるのか、わかっているスノウは、鼻を鳴らして不快感をあらわにするばかり。


「お母さんの言うとおり、なんだか雰囲気悪いですね……」


「悪い人達のニオイがする……」


「どっちでもいいよ、任せられたことやるだけだし」


 手甲と膝当てを既に装備し、武装済みのクラウドが訓練場に立ち入り、衆目の真ん中へと歩いていく。付き添う形のファインとレインも同様だ。三人の正面から近づいてくるのは、スノウのそばを離れて歩いてくる兵士長である。


「お初にお目にかかる。私はここ、ホウライ城の兵士長を任せられている者だ」


「はい。お招き頂いて光栄です」


 別に微塵もそんなこと思っちゃいないのだが、ちゃんと目上に対する挨拶の仕方を初手遂行するクラウド。16歳でも独り立ちして、自分の食い扶持を自分で稼いでいただけあって、社会人としての動き方は知っている。


「話は聞いているな? お前は、極めて特例的にホウライ地方に立ち入った地人である。本来ならばそれ自体が特異なことであるが、我々はこの機を活かし、一つ試してみたいことがある」


「はい」


「我々はホウライ地方の守りを務める身であり、戦時を除いて地人の者と手合わせする機会がない。しかし、聞けばお前は聖女スノウ様の一人娘をここまで護衛してきた、たいそう腕の立つ男だそうだな」


「はあ、腕が立つのかどうかはわかんないですけど」


「これを機に一度、お前に戦闘訓練に付き合って貰いたい。こんな時でなければ、訓練という形で我々に地人と手を合わせる機会はないのだからな」


 この兵士長、人の上に立つ身なんだから、礼節を欠かさない話し方は知っているはずである。それが、仮にもクラウドに対し、戦闘訓練に付き合ってくれと頼む立場でありながら、どこかしら上から目線の語り口。これは故意のものであり、地人を相手にへりくだるのは天人の都の兵を束ねる者として、してはならないことだとされているからだ。聖女"様"の一人娘にも、普通は敬称の一つもつきそうなのに、それが無いのもファインが混血児だから。


「来てくれたということは、了承してくれたということでよいかな?」


「まあ、そのつもりで来てますので」


 そして、念押しするようにクラウドに回れ右させない兵士長の意図、何としても王に命じられたとおり、クラウドを天人の兵と戦わせてみたい理由は何か。答えを知っているだけに、兵士長の前だというのに、敢えて空気を読まずにファインがクラウドの耳に口元を近付ける。


「やっぱりやめましょうよ、クラウドさん……この人達、クラウドさんが負ける姿が見たいだけでしょう?」


「別に、勝てばいいんだろ?」


「それはそうですけど……こんな悪趣味な戦い、見たくないですよ……」


 クラウドと近しく対面する兵士長にも聞こえているのだが、そんなのファインもわかってる。気弱な彼女が強面の兵士長をちらちら見ながら、しかし細まる歴戦の武人の目に睨まれても、怯まず抗議の眼差しを突き返すぐらいには、ファインもこの"見世物"がいけ好かない。


 要するにこの場というのは、地人のクラウドを天人の武人がこてんぱんにして、恥をかかせてやろうという催しものなのだ。場合によっては、はずみでやったふりをしてクラウドに大怪我させることにも、天人達は前向きだろう。天人だけの楽園に侵入してきた異端分子を、訓練という名目で痛めつけることを目的とした見世物、だからスノウはずっと怒っている。百歩譲って、郷に入ってはの理屈を呑み込むにせよ、大の大人どもが子供相手になんと薄汚い策を仕掛けるんだと。


「快諾してくれて何よりだ、王の勅命であるがゆえ、お前には受け入れて貰わねば困る立場だったのでな。私は正直、乗り気ではなかったのだが」


「俺が負けると思ってるからですか?」


 それでもこの兵士長は、まだ他の天人と比べて良心を持つ方である。はじめ、地人クラウドを合法的に痛めつけるこの見世物を考えた王は、先述のとおり城下の広場でこれをやり、市民含む天人の前でクラウドを公開処刑するつもりだったのだ。兵士長も、ホウライ城の兵の強さを疑える立場ではないし、クラウドが打ちのめされてぼろぼろになる姿を想定している。その上で、何が起こるかわかりませんしとか、卑怯な手を使ってくるかもしれませんしとか、天人側の万一も提示するような説得の形で、舞台をここに移したのがこの兵士長。クラウドの敗北想定の上で、その恥を最小限に留めることを前向きに考慮した辺り、地人相手ながらも思慮は利いている。


「我が国の安寧を守るため、日々修練を積んできた私の兵だ。お前がどれほど強くとも、野良で鍛えた喧嘩の腕で、大番狂わせを演じられるとは思わぬ方がいい」


「そうですか。そういう人達とお手合わせ出来るのは楽しみです」


「あぁもう、クラウドさん……」


 自陣営の自信を口にする兵士長と、恐れ知らずの啖呵を返すクラウド。やる気になってしまったクラウドを見受けて、ファインも頭を抱えたくなる。こんな悪意丸出しの提案に、むきになって立ち向かうことなんかあまりして欲しくないのだけど。無性にそういうの、見たくない。


「いいだろう、それでは始めたい。準備運動などは済ませてきたか?」


「すぐにでいいですよ。準備運度してからでなきゃ戦えない腕なんて、何の役にも立ちゃあしませんし」


「よろしい、それでは参ろうか」


 兵を束ねる立場だけあって、兵士長も今のクラウドの言葉には、色眼鏡をかけずに見ていたクラウドに対して少し評価を上げた。戦いはいつ、突然に勃発するのかわからないものだ。体をほぐしてからじゃないと全力を発揮できないと言うようじゃ、戦人としてはずっと半人前。クラウドはそうではない。


「アスファ」


「はい」


 呼ばれたことで、クラウドに近付いてくる少年。昨日訪れたばかりのホウライ城、こんな所でさっそく顔見知りと再会するとは思っていなかったが、クラウドも特に心は乱さない。今朝に初対面を果たした相手だが、元からこいつ目つきが悪いだけじゃなく、間違いじゃない自信を胸に持つ奴だとは思えた相手である。


 土のある場所で水やりをしていた時の彼とは、見た目も気迫も全く異なる。袖のないシャツの上に皮鎧を纏い、靴も私用のものではなくがっちりと足首を固めたブーツ。草摺(くさずり)で腰元のシルエットが尖って広がる風体は、自分と同じ年頃ながらも、とうに戦場に立って手腕を証明してきた男のそれだとクラウドにもわかる。彼の眼力が放つ威嚇色も、そう思わせてくれる要素の一つだ。


「お前は16歳だそうだな、アスファも同じだ。ただ、我がホウライ城において、十年に一度の逸材と呼ばれる若者だがな」


「ふぅん」


「…………」


 興味なさげなクラウド、だがアスファも興味なさげ。他人の肩書きも自分の肩書きもどうだっていいのだ。実際16歳にして、訓練生や見習いではなく、ホウライ城の兵を務めているという時点で、並外れた才覚が周囲に認められているのは事実だろう。そうでなければ、経験の伴わぬ若いうちに命を落とされ、未来の芽を摘むリスクを背負ってまで、実地での戦闘もあり得る兵に若者が抜擢されないだろう。有望なら有望なだけ大切に育てられるもので、それを跳び越えて、もう使えると判断されている時点で凄いのだ。


「アスファー! 手加減してやれよ!」


「あんまりワンサイドゲームじゃつまんねぇからなー!」


 クラウドの力量も見ないまま、アスファの勝利を疑っていない者が野次を飛ばしている。それもどうかと兵士長も思うが、そうさせるぐらいにはアスファの実力が、年上の者にも認められている表れだ。冷静な頭を失っていないクラウドは、誇大広告じゃなく本当にそうなんだなって、冷めた頭で考えている。


「では、始めようか。お前達も、こちらに来るがよい」


 スノウの隣の位置まで引き下がる兵士長に導かれ、ファインもスノウの隣へ移動する。何人もの天人が囲う大きなバトルフィールドの真ん中には、クラウドとアスファだけが残された形。一対一の戦いを演じるには、舞台は充分に整えられたと言えるだろう。


「武器はそれでいいのか?」


「何が」


「実戦で使い慣れてる武器じゃないだろ。重さも違うのに本気出せるのかって」


「……お前、バカなのか? 真剣を使ったら、お前の首が飛ぶかもしれないんだぞ」


 開戦前のクラウドの問いかけに、アスファは何を言ってるんだこいつという顔と声を返す。アスファが握っているのは、剣の形を模した木剣だ。そりゃあ組手なんだから、一本取っても相手を殺めない武器を使うのが当たり前。訓練で同僚を再起不能にさせる奴がどこにいるんだと。


「俺が勝てば問題ないんだろ」


「なんだお前、もう勝ったつもりなのか」


「こんな所で負ける俺だったら、向こう何十年の人生を生きていけない」


 いや、クラウド案外頭に血が昇ってるのかもしれない。平和主義そうなファインの前では、あまりこういう一面を出さないようにしてきたクラウドだったのに、そのファインの目も憚らずに素が出てしまっている。


 ただ、彼本来の価値観っていうのはこっちである。喧嘩であろうが戦闘であろうが、戦いに負けても生きて"次"を迎えられるなら、それって幸運だと思うべきとしているのだ。だって実際、ファインに出会って以降の数度の戦いでさえ、敗北すれば命を落とすことに直結するものばかりだったんだから。ああいうことが今後何度でも起こる、そういう覚悟を元より決めていなきゃ、アトモスの遺志と対立して、哀れなレインを守るために戦うことなんか選べない。好きな生き方を選ぶためには、強さというものが必要なのだ。


 別に年の近いアスファを見くびっているわけじゃない。長い人生の通過点のように見えて、どんな戦いでもクラウドにとっては人生の岐路。その強さだけで自分に"自信"を持って生きてきた彼をして、いかなる時でも戦いでの敗北は、人生の停滞あるいは後退と定義されるのだ。戦わなくてはならないなら、始める前から負けることを考えるなんて、クラウドにとってあり得ない話である。


「……根っからの武人と言うべきなのか、単細胞って言うべきなのか」


「俺はそういう生き方をしてきたんだよ」


 曲げない、折れない、絶対の信念とは、他人にどう評されても揺らがない。そうか、と一言を返したアスファは、呆れとは違う息をひとつ吐く。アスファとて、形は違えど負けることなど微塵も考えず、このバトルフィールドに上がってきた身。同じ決意を胸に対面する男を前にして、思うところが無いわけじゃない。


「負けたら承知しねえからな、アスファ! 地人なんかに劣る醜態を晒すんじゃねえぞ!」


「一瞬で仕留めちまえ! 薄汚ねぇガキなんぞ一捻りだろ!」


 少年二人で冷静に相手を見据え合っているのに、周りの騒がしいこと騒がしいこと。闘技場など、人前で腕を披露することを楽しんでいた節もあるクラウドだが、この空気はなんだかノーサンキュー。金を賭けて闘士に対し、勝てよ負けたら承知しねえぞと必死になってるおっちゃん達の方が、これより汚い言葉遣いで叫んでくるけど嫌いじゃない。


「……うるさいな、これ」


「あぁ、そこは気が合うんだ」


 二人とも、ふっと笑ってしまったものである。どんな環境でも、共感できる相手がいると、それが敵でも少し安らぐのが不思議なもの。ど汚い野次の中、むしろ対戦相手のおかげで冷静さを増していく二人のメンタルは、無責任な傍観者より余程大人なのかもしれない。


「む、むぐ……むむむむむぅ……!」


 一方、この場でクラウドの数少ない味方の方にも子供さんはいる。クラウドを見くびる、蔑む、不幸を望む野次の渦中、どんどん顔を真っ赤にしていく少女は、我慢できなくなって大きく息を吸う。


「クラウドさーん! どーせ勝つのはクラウドさんなんです! ムキになったり勢い余って、ケガさせないように気をつけて下さーいっ!」


 あらびっくり、ファインってあんなでかい声出せるんだとクラウドも。それは好き放題に騒いでいた周囲の天人を驚かせ、罵声飛び交う訓練場を黙らせてしまった。クラウドが首を動かして目にした先には、ふんすと鼻を鳴らして胸を張るファインがいる。


「いい奴だな、お前の友達」


「友達になれてよかったと思ってるよ」


「だろうな」


 一瞬だけの沈黙を経て、さあ再び盛り上がる訓練場。混血児のガキが生意気言いやがって五割、こうなりゃクラウドって奴をボコボコにして聖女様の娘ともども泣かせてやれ四割、ちくしょう地人のくせに可愛い女の子に黄色い声援受けやがって一割。アスファへの激励、クラウドへの罵声が爆増した訓練場。これはなんか、金を賭けて闘士を必死で応援する、おっちゃん達の野次と同じ種類のものに近付いた気がする。余計な皮肉や薄ら笑いを取っ払った、感情むき出しの叫びっていうのは、かえって余裕で聞き流せるものである。


「それでは始めよう! 二人とも、構え!」


 適度な距離感で立ち会うクラウドとアスファ、培ってきた型に倣って足を引き、拳を木剣を定位置に構える。殺しちまえアスファ、くたばれ地人のガキ、ぶっとばしちゃえクラウドさん、飛び交う言葉遣いがいちいち悪すぎる。尋常ではない盛り上がりにスノウも苦笑が漏れるほどで、殺伐とした空気にレインはスノウにしがみついている。だって頼りのお姉ちゃんも熱狂してるんだもの。


「それでは――はじめ!!」


 騒がしい中でもよく響く兵士長の声、それと同時に踏み出すアスファ。ほんの一瞬だけ出遅れただけで、クラウドはすぐに待つ側を選んで動かない。攻のアスファと防のクラウド、はじめから決めていたわけでは決してなく、戦闘開始の一瞬で両者が判断した開幕の形である。


 結論から言えばアスファは強い。木剣のリーチ内にクラウドを捉えた瞬間、切っ先が届く軌道でクラウドの首元を狙う一振り、それをクラウドは僅かに身を後方に傾けて回避。最小限の動きによる回避を見せた、クラウドの力量をその一事で見抜き、容赦なき猛攻を差し向けるアスファの手は速い。振り抜かれ、クラウドの前を通過した木剣はすぐに切り返され、クラウドの胴元を打ち抜くものに変わっている。何も無い空中の壁に当たった剣先が、はじかれて返ってくるような切り返しは、クラウドも見たことの無い太刀筋である。


 予想外だったから振り上げた拳で叩き落とす防御に移る。手甲という盾を"使わされる"時点で余裕のある動きではない。そこに間髪入れず、休みなき斬撃と突きを放ってくるアスファの太刀筋は、クラウドをほぼ無心を強いるほど速い。一秒間に何度も繰り出される攻撃の数々は、考えて避けられるものではなく、培ってきた戦闘勘任せにクラウドは回避を、あるいは拳と肘当てによる打ち返しで応じる。


 武器を持つ敵の厄介なところは、手の届かない距離感を保って、反撃できない間合いから攻めてくること。アスファもしっかりそれを実践している。暗殺者フルトゥナより速く、闘技場チャンピオンのタルナダより長いリーチ、アスファを例えるならそうだろう。アクションを起こさねば、何も出来ないまま疲れさせられ敗れる。そういう相手には、自分の間合いを強いることが勝利への第一歩だ。


 距離を詰められることを常に警戒するアスファの前、クラウドが一度大きく後方に跳んで退がった。休ませるかと加速して迫るアスファだが、ひとっ跳びの足が地に着いた瞬間、クラウドの進行ベクトルは急遽前方に切り返される。近付くアスファと前進するクラウドの動きが、合成されて両者の間合いを一気にゼロへ近づける。アスファの間合いを狂わす動き、だがアスファもこの程度の戦術を取られるのは織り込み済み。


 クラウドの眉間めがけて突かれた木剣の先は、一瞬でかがんだクラウドが回避、なおも両者間の距離は急速に無くなる。だが、かわされることを予見していたアスファの突きはほぼフェイク。アスファの胸元に掌底を突き抜くクラウドの攻撃は、身をひねったアスファが回避する。さらには突くと見せかけて深入りはせず、すぐに手繰り寄せた柄を操り、鉄拳繰り出した直後のクラウドへカウンターの一撃だ。三日月を描く軌道で迫るその木剣は、クラウドの視界の盲点を美しく描き、見えない一撃として彼の顎を叩き上げる残影を作っている。


 仕留めた、と思っただろう。兵士長ですらもがだ。そんなアスファの動きも、まるで全て読んでいたかのように、その場で地を蹴ったクラウドがいなければ。跳ぶと同時に頭を後ろに振り上げ、その場で宙返りする動きのクラウドが、膝当てで勢いよくアスファの木剣を蹴り上げるという結末は、最初からクラウドの勝利しか信じていなかったファイン以外の全員の度肝を抜いた。スノウやレインすら驚いた。


 仮に木剣が鋼の刃であっても大丈夫、的確に膝当ての重みも乗った膝蹴りで叩き上げられた木剣は、アスファの握力を超過して武器を天井まで吹っ飛ばす。空を舞う敵との戦いも演習できる訓練場、天井の高さも相当なのに、その天井に木剣がぶっ刺さるほどに。勝ったと思った矢先に手元に走る衝撃、叩き飛ばされた武器、絶句するアスファ。その目の前では空中で頭を下にする時間を経て、体を一回転させたのち着地するクラウドが、そんな体勢でも一切アスファから目を切らずに油断していない。


 戦う相棒を失ったアスファに為すすべはなかった。着地の瞬間、あっという間にアスファへと接近したクラウドが、肩口をアスファの腹部にぶっ刺した。まるで雄牛の突撃のような勢い、それによって重心を根底から突き崩されたアスファ、さらに激突の瞬間にアスファの腰元を捕まえて引くクラウド。へそを中心に上体を、後方へと勢いよく回すように倒されたアスファは、小距離吹っ飛ばされた上に、後頭部と背中を砂の上に叩きつけられた。


 これで戦い続けられるわけがない。背中からの衝撃が肺を貫き、腹部を打ち抜くクラウドの肩の骨の衝突、何より後頭部の痛打。すぐに立ち上がってアスファから離れたクラウドだが、ほぼ大の字で倒れたアスファは何も出来ずにいた。息を吸うこと吐くこともままならず、後頭部を押さえる手を動かす余力もなく、身をよじる体の芯も崩され、ほんの少し背中を浮かせてひくひくと痙攣するだけ。アスファが日頃の鍛錬で、しっかり体を作ってきたからこそであるが、気絶していないだけでもたいしたものであろう。


「……そこまで」


 しぃんと静まり返る訓練場に響いたのは、勝負ありだろと眼差しを送ってくるクラウドに、一つしかない返答を返す兵士長の声。誰一人アスファの敗北など想像だにしていなかった天人達も、傍観者目線でクラウドの戦う姿を見るのは初めてのレインも絶句。戦場を駆け幾多もの強者を見てきたスノウも、想像以上のクラウドの実力に目を丸くした。そして、クラウドが勝って一番喜びそうなファインはと言うと、うわぁとばかりに顔を真っ青にしている。いや、クラウドが勝ってくれたのは嬉しいんだけど、ぞっとするぐらいアスファのやられ方が痛そう過ぎたので。喜びを忘れるほどえぐかった。


 徐々にどよめく天人達だが、アスファの敗北はそれほど衝撃的だったのだ。先輩兵士からも余裕で一本取るアスファが、惜敗ではなくここまで完膚なきまでにやられたインパクトは大きく、兵士長もクラウドを見る目が変わってしまっている。往々にしてインパクトの大き過ぎる出来事に直面すると、人はその次に取るべき行動も取れなくなるが、この場で動き出した二人はしっかり思考力を持っている証拠だろう。


「あ、あのっ……!」


「アスファ、大丈夫か!?」


 兵士長とファインがほぼ同時に駆け出し、意識朦朧でひくつくアスファに近付いて腰を低くする。あの痛烈な倒されっぷりを見たら、別にアスファ個人に憎しみのないファインなら心配にもなるだろう。また、ざわめくばかりで今のアスファに手を貸すことも思いつかない他の連中に比べたら、一番早くに部下を案じた兵士長もしっかりしたものである。こんなの普通、彼のような頂点に立つ者がすることではないのだが、


「え、えぇと……と、とりあえず、何とかしておきますね……!」


「……応急処置か。すまないが、世話になる」


 アスファの胸に手を当てて、魔力を流し込むファインも悩ましい。とりあえずどこから癒してあげればわからないぐらい、ひどいぶっ倒され方だったので。ファインが混血児であることを忘れていない兵士長だが、こと今のような状況下では部下の応急処置が先決。彼も決して天人こそ至高という考えを持たない天人ではないが、自尊心を重んじるよりファインに借りを作る言葉を発するほどには、割り切るべき場所を間違っていない。


 アスファとの付き合いもあるスノウも一歩踏み出してはいたのだが、ファインが先に動いたことを見受け、走らずゆっくりアスファに近付きつつある。彼の苦しみを和らげるために手を尽くしたい想いと、優しい子に育ってくれた我が子に任せてみたい想いのジレンマだ。程なくしてアスファに近付いたスノウが膝をつき、ファインと二人がかりでアスファの傷を癒していく。痛めた場所の多すぎるアスファを、どこから癒せば決められずに困っていたファインだが、母のアドバイスを聞きながら魔力を注ぎ込むことで、最も早くアスファの体は立てるものへと近づいていく。


 やがて、はあっと息を吐いたアスファが、痛む体を震わせながらも上体を起こすことが出来た。男と男の真剣勝負、両膝ついて目線を近しくするクラウドも、ごめんなという言葉は使わない。大丈夫か、と一言問うたクラウドに、やっと動くようになった手で頭を押さえながら、小さくアスファもうなずいた。


「……負けたよ」


 後ろからアスファの肩をもみもみしながら、そこから魔力を注いでの治癒をファインは続けている。差し出されるアスファの手、それを握り返すクラウド。まだ完全に治ったわけじゃないんです、あまり動かないで下さいと言うファインにも、アスファはちょっとだけうなずいた。素直なのかそうでないのか、計りかねるリアクションなれど、少なからずあれだけ嫌悪する素振りを見せていた混血児の言葉を、ホウライ育ちの天人が受け入れた事実は小さくない。


 互いの強さを認め合う男同士の手と、自分を蔑むであろう天人の傷を癒す混血児の姿を、兵士長は最も近くで目にしている。ふとアスファを案じる目線を持ち上げた先には、どことなく微笑んだ目を向けるスノウがいる。それは、あんた達の思惑どおりにはならなかったわよだとか、勝ち誇った笑顔のそれではない。三人の姿を目の前にして、地人天人混血種の垣根を忘れかけていた兵士長、それを見たスノウがそれを歓迎する表情が、まさに今の微笑みである。


 言葉無く、参りましたよと苦笑する兵士長の態度は、ふふっとスノウに笑い声すら溢れさせた。クラウドとファインが勝ったのだ。一対一の戦いだけではない、兵士長たる者に自分達を認めさせる戦いにもだ。

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