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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第9章  突風【Saint】
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第164話  ~そこはファインの独壇場~



「あなた達にも紹介するわ。この子はアスファ、16歳。同い年じゃない?」


「16歳なら、俺達と一緒……」


「…………」


 スノウの言葉に相槌を打とうとしたクラウドだが、気にすまいとしてもどうしても気になる、アスファの鋭い眼差し。初対面で(ガン)を飛ばされるようなこの態度には、正直クラウドも頭がちりちりくるのだが、事情もわからぬではないから睨み返したりはしない。面と向き合うと睨み返してしまいそうなので、怯え気味のファインを気遣う視線にシフトして、目を逃がす。


「アスファもほら、そんな目ばかりせずに挨拶なさい? 私の子よ?」


「……出来ませんね」


 混血児のファイン相手にご挨拶するなんて、天人として出来ないとはっきり言ってのけてくれるアスファ。苦い感情を噛み潰し、お構いなくと寂しそうな笑顔を浮かべるファインの表情が、かえってクラウドの憤りを駆り立てる。そんな気配を察したかは定かではないものの、はぁと一つ溜め息をついたスノウが、こつんと拳をアスファの額にぶつけた。


「そういう偏った思考は駄目だっていつも言ってるでしょう? ほら、ご挨拶」


「むぅ……」


「形だけでもいいから。第一歩よ?」


 形だけで嫌々挨拶されても、ファインもクラウドも胸の奥のもやつきは消えないだろう。怒るというより、優しく諭すようなスノウの口調からも、これはファイン達への気遣いというより、アスファを教育する意味合いの方が強そうだ。しばらく重たく沈黙していたアスファだが、やがては鼻から長い息を吐くのを経て、ようやくその口を開く。


「……アスファだ。よろしく」


「よ、よろしくお願いします……」


「どうも」


 鼻息にも表れたように、スノウ様に言われて仕方なくの挨拶感ばりばりのアスファ。ファインはおずおずと頭を下げるが、クラウドも冷ややかな目で一言だけご挨拶を返す。スノウもやれやれとばかりに、額に手を当て首を振るばかり。


「まあ、それだけしてくれればいいけどさ。出来ればもっと、柔らかくなんないものかなぁ」


「…………」


 どうもスノウはこのアスファという少年のことを、他の天人ほど嫌ってはいないらしい。母を見るのが二日目のファインだが、他の天人に対する接し方とは全然違って、声も抑えていて優しく諭すような口ぶりだ。他の天人の大人達と喧嘩する時は、きつい物言いに恫喝するようなイントネーションを上乗せするスノウであっただけに、比較すれば明らかなことである。


「まあ、あんたもホウライ地方育ちで、天人こそ至高ってな教えを昔から仕込まれて育ったんでしょうから、急に覆すのは難しいとは思うけどね」


 これもどちらかと言えば、アスファに向けてそう言いながらも、彼の立場をやんわりファイン達に伝えるために発した言葉と見える。スノウは先ほどアスファのことを、出来た子だと形容していたし、偏見的なこの態度さえなければいい子なんだと言いたいのだろう。幼い頃から、天人こそ至高で地人や混血種などその下、と教え込まれてきた立場の者って、本人の意思とは関係なく、そういう思考が根付いているものだ。スノウは言外にそういうフォローを含んでいる。


「……スノウ様って本当に、天人らしくないなぁって思いますよ」


「こんな天人がいちゃダメかしらん?」


「そうは言いませんけど……」


 何気ないアスファの返事だったが、今のはファインの心にちょっとだけ温かみをもたらした。この人、他の天人よりは少し違って、話のわかる方だって。話のわからない方の天人っていうのは、地人や混血種と掛け値なく親しくする天人すら、意識の低い奴だとして蔑む者達のことだ。そういう天人の方が、はっきり言って多い。混血児や地人を全く差別視しない天人、スノウやサニーは最少数派だが、そんな人を蔑まない天人というのも、少数ながら実在する。


 親しくなってきた頃のテフォナスとハルサや、故郷クライメントシティでファインに冷たく当たらないアウラなどがそれであり、アスファもきっとそちら寄り。そう思えるとファインも前向きな意味で、緊張感が少しほぐれてくる。


「でも、あんまり破天荒するのやめて貰えませんかね。困るのは……」


「――あーっ! ちょっとアスファ、何サボってんのよ!」


 反撃気味にスノウに苦言を呈そうとするアスファだが、それを遮る大声が彼の後方から。びくっとして振り返るアスファと、あぁいいタイミングで来てくれたとにんまりするスノウが対照的だ。正直スノウも、自分の行動が説教されるに値するものだとはわかっているので、苦言呈されるこの時間が強制終了に至るであろう展開は歓迎である。


 アスファの青いじょうろと同型の、赤いじょうろを手にした、メイド服を纏う少女が駆け寄ってくる。カチューシャで押さえた亜麻色の髪の下、なんだかぷんすかした顔の彼女だが、アスファのそばにいるのが聖女スノウ様だとわかると、いつしかその表情を穏やかな色に塗り替えて、それからアスファの隣に並んだ。せっかく小奇麗なメイド服を召しているのに、走ってきたせいか少し衣服の乱れが見られるのが勿体ない。


「おはようございます、聖女スノウ様。今日は早起きなんですね」


「また言われた。どうせ私は寝坊常連です」


「後ろの子達は?」


「私の一人娘と、その友達の地人……あら、一人どっか行っちゃってるわね」


「そうなんだ。――はじめまして、ラフィカです」


 ついつい身構えていたファインが驚くほど、素直で柔らかな笑顔を伴ったご挨拶。また天人様だ、自分が混血児だと知ったらまたあの目で見られるんだ、と、びくついていたのとは裏腹、お辞儀を伴う丁寧な挨拶だ。スノウがわざわざ、自分達を"地人"と明言する紹介の仕方をしたのは、その上でこの態度の少女、ラフィカの性格を見越してのことだったのだろうか。


「えっ、あ……ふ、ファインです……よろしくお願いします……」


「……俺はクラウド。よろしく」


 いつの間にか三人から離れた場所で、見上げるように大きな花を眺めてうっとりするレインのことはさておいて。ファインもクラウドも、ここ数日で見てきた天人とは違い、歓迎的な態度で挨拶してくるラフィカに戸惑っているようだ。二人のご挨拶に対しても、嬉しそうに笑うラフィカの表情は、ちょっとサニーを彷彿するぐらい明るい。


「あのさ、ラフィカ……混血児の人を相手にそんな顔してたら、お前も何言われるか……」


「いいじゃない、別に血筋がどうとかでその人の人間性がわかるわけでもないし。それよりあんた、なに水やりサボってんのよ。私の仕事が増えるんですけど」


「いや、スノウ様にご挨拶を……」


「どうせ天人じゃない人に絡んで時間潰してたんでしょ。サボりよサボり、そんなの。ほら、さっさと仕事に戻る!」


「なんだよ、俺は別にこれが本職ってわけじゃ……」


「広い庭園の手入れを手伝ってくれるろーどーりょくは貴重なの! 来た以上はきっちり働く! 当たり前でしょ!」


 ずいずい詰め寄るラフィカに押され、たじたじ引き下がるアスファは、あと一歩下がれば花畑に転ぶ場所まで追い詰められてしまった。見ただけでわかるが、どうやらこの二人が言い合いになると、ラフィカが押し勝ってしまう間柄らしい。アスファも決して気の弱い性格をしてはいないはずだが、相性みたいなものはあるのかもしれないし、ラフィカの方が男勝り過ぎるのかもしれない。


「ほら、行った行った! 終わるまで帰っちゃダメだからね!」


「いって……! ったく、わかったよ……」


 ばしんとラフィカに背中を叩かれたアスファが、むくれて水やりを再開しに去る。アスファとどうも折り合いが悪そうなクラウドだが、流石にこれを見てざまぁみろとは思えない。むしろサニーにペースを握られっぱしだった頃を思い出し、親近感さえ覚えたぐらいである。


「あんた達、相変わらず仲いいわねぇ。乱暴なのはちょっと女子力ダウンだけど」


「どーせあいつ、天人じゃないスノウ様の娘さんに、良くない言葉遣いもしてたんでしょ? 今のぐらいのお仕置きあってもいーんですよ」


「ふふ、お見通しってわけね。さすが幼馴染だわ」


「ファインちゃんとクラウドさん、だったかしら。あいつに何か言われたとしても、気にしなくていいからね」


「あ、あははは……気にしてませんよ」


 天人様に優しくされるなんて殆どなかったファイン、戸惑いもすれど心温まり過ぎて、変な顔でふにゃりと笑い返している。うわぁ変な顔、と横からスノウが噴き出して、えっ私今どんな顔してた? と慌てて母を見上げる仕草もいちいち可笑しい。ラフィカがくすくす笑う目線に晒され、ファインも顔を赤くしてうつむくが、蔑みとは違う意味で笑われる程度なので頭は痛くない。


「ああ、そうそうスノウ様。言伝なんですが、兵士長様がスノウ様に来て欲しいって言ってるそうですよ」


「兵士長様が? また随分変わったところから呼び出しかかってるわね」


「なんでも、王様から勅命を預かってるらしくて。私も案件が何なのかは知りませんけど」


 なんだかややこしそうだが、ホウライ城の王様が何かしらを兵士長に伝えたらしく、聖女スノウ様を見かけた者は兵士長に赴くようにとお触れが走っているようだ。この城の女中見習いとして仕える身のラフィカは、メイド長か執事あたりからそのお触れを預かったのだろう。また、この庭園に至るまでの間にすれ違ってきた者や、アスファがそうした話をしなかったことからも、比較的新しい話だとも推察できる。やや急な話と見ていいのかもしれない。


「正直後回しにしたいけどねぇ……他で色々ワガママぶちかましてるし、速やかに会いに行ってあげるとしましょうか。ファイン達はどうする?」


「私達は大丈夫ですよ。ここにいるだけで楽しいですし」


「そう。じゃあ私は行ってくるわ。ラフィカもありがとうね」


「いえいえそんな、勿体ないお言葉です」


 地位の差から、スカートの端をつまんで行儀よく一例するラフィカだが、表情の柔らかさからもスノウとの日頃からの仲良さは感じ取れる。聖女様と崇め立てられ、言い合いになれば屈強な兵にも勝る発言力を持つスノウだが、立場の垣根を飛び越えての付き合いもあるようだ。


「あ、そうだラフィカ。あなたこの後、たぶん昼食の仕入れでもやるんじゃないの?」


「ええ、そうですね。庭園の水やりが終わったら、そっちに回ろうと思ってます」


「ファイン、あなたお料理できるそうじゃない。ちょっと手伝ってあげなさいよ」


「えっ、そんなのしていいんですか?」


 混血児の私が、ホウライ城の厨房に入るのなんか許されるんですかと、そっちの心配しかしていないファイン。要するに、許されるんだったら何でもしますという返答に等しい。長らく会っておらず、ファインの性格をまだ把握しきっていないスノウだったが、この返答でもうはっきりとわかった。この子、頼まれたことはだいたい引き受けるお人好しに育ってるなあって。


「問題ないわよね、ラフィカ?」


「スノウ様がそうしろって言ったんなら、恐らくは波も立たないんじゃないですか?」


「はい決まり。それじゃファイン、ラフィカについて行って昼食のお手伝いしてきなさい」


「わかりました。えーと、ラフィカさん。じょうろと水場はどこにありますか?」


「えっ、手伝ってくれるの?」


「その方が早く終わりませんか?」


 これでラフィカにもファインの性格がよく伝わった。確かに水やりが終わってからの昼食仕込みだとは言ったけど、自分からさっさと手伝いますよと言ってくるのが早い。初対面で人の良さを滲ませてくれるファインの態度は、ラフィカも嬉しそうに笑うばかりである。


「ふふ、ありがとう。それじゃついて来て、まずは水場に案内するから。じょうろもそこにあるわ」


「はい。――それじゃあクラウドさん、行ってきますね」


「ん」


「クラウド君はどうする?」


「レインの面倒見ておきますよ」


「それじゃあ、それはお任せするわ。私はもう行くわね」


 ラフィカに導かれて去っていくファインと、兵士長なる者に会いに行くためにこの場を去るスノウ。一人になったクラウドは、足早にレインを探し出し、そのそばに立つ役目を担う。


 自分から好奇心に任せて庭園をうろうろしていたくせに、ふと気付けば自分のそばにいるのがクラウドだと知ったレインが、お姉ちゃんとスノウさんは? と聞いてくるのが、また。戦闘能力の高さは折り紙つきのレインだが、日頃の振る舞いはまさしく見た目どおりの子供である。











「まずはそこにある、人参と大根の皮を剥いてもらっていい? 終わったら、水に浸けておいてくれればいいから」


「はい、わかりました」


 流石はお城の調理場、広くて設備もしっかりしており、足を踏み入れた時にはファインも目が輝いたものだ。料理人ではない彼女だが、趣味の最たるものに料理を数える彼女をして、例を見ないほど設備の整った環境というのはそれだけで心躍るものである。入るに際し、ラフィカがファインの事情を説明し、天人の方々に苦い顔をされたことも、作業に移る段階になればもうファインも忘れている。こんな場所でお手伝いが出来ること自体が楽しいようで。


「えーっと、皮むき器はどこにあったっけな……」


 この城の調理場は1階と3階と5階に分かれており、ここは1階の調理場。高い階層に位置する調理場ほど、腕の立つ料理人が集められており、お偉い様向けの豪勢な料理を作るという構成だ。ここの厨房は、城に仕える者達の食事を作る調理場であるが、それでも外の宿や店で働く者達とはレベルの違う、料理の達人は料理長を務めている。ラフィカのような女中がやるのは、食材をあらかじめさばいておいて、このしばらく後に来る料理人様の仕事がスムーズに行なえるよう仕込みを行なっておくぐらいである。言わば今のファインの立場って、お手伝いのお手伝いと言ったところか。


「――あっ、見つけた。それじゃファインちゃん、これで……って、えっ?」


「どうしました?」


 きょとんとしてラフィカの方を向きつつも、手を止めずに手元の包丁と野菜を転がすファイン。何気ないがラフィカも驚くのは当たり前だ。皮むき器も使わずに、包丁だけでうっすい皮を量産しつつ、滑らかな動きで人参の皮を剥いていくファインがいるのだから。りんごの皮でも剥くかのように、すらすらと。しかも今、ファインはラフィカの方を向いていて手元を見ていないのだが、全く速度を落とさずに手を進めている。


「えー、あー……皮むき器あったんだけど、要らなそう……?」


「あっ、あ……ご、ごめんなさい、せっかく持ってきて貰ったのに……でも私、包丁の方が得意でして……」


 気まずく謝るファインだが、そんな中でも動き続けるその手は、あっさりと一本の人参を丸裸にしてしまった。しかも当人が言うとおり、せっかくある皮むき器よりも包丁の方が手に馴染むそうで、次には大根を手にしてするする皮を剥いていく。はっきり言って、包丁で皮むき器に負けないぐらい、薄く皮を剥ける奴なんて中々いない。しかも速い。


「あ、あの、あんまり気を悪くしないで下さいね……? 私、昔皮むき器でぶちゅんとケガをしたことがありまして、ちょっと拒否感あるんですよ……」


「あ、ああ、そうなんだ……?」


 ファインがそれをしている間、ラフィカも他の仕事をすればいいものだが、その手の動きが滑らか過ぎて目を離せないのだから困ったもの。もっと言えば、そんなファインの手つきが視界内に入ってしまった、他の若い女中の注目も注がれている。せっかく皮むき器を持ってきてくれた好意を無視してしまう形になり、ラフィカに謝って意識を傾けているファインは気付かないが、何あの子凄いんだけど、と、ひそひそ話し合う者達の反応は当然である。


「えーっと、それじゃあ今度は、それを半月切りにしてくれるかな。厚さはこれぐらいで」


「はい、わかりました。――これぐらいでいいですか?」


「そうね、それぐらいでいいわ」


 親指と人差し指を使って、これぐらいの厚さでよろしくと伝えたラフィカに、手早く大根を包丁で切断するファイン。一枚、要求された厚さにほぼほぼ近い、円形の薄切り大根を作って、ファインは求められる厚さを把握する。さて、その一本を全部薄切りの半月切りにするのは時間がかかるだろうと見て、ラフィカは別の仕事に移ろうとする。彼女は彼女で、刻みキャベツでも作ってファインが終わるまで待とうという心積もりだ。


 だが、保管庫からキャベツを出してまな板に置いたラフィカだが、ふと気付けば違和感。だん、だん、とファインが包丁で大根を通過してまな板を叩く音がリズミカル過ぎる。太い大根を輪切りにする作業って、等しい薄さでそれを継続するのは、結構神経を使うものなのだ。えらく早くリピートされる、包丁とまな板のぶつかる音に、思わずラフィカもファインの方を見るが、素早く大根を輪切りにしていくファインに対し、刻まれた大根はいずれもほぼ同等の薄さ。しかも求められた厚みを大きく逸脱していない。


 料理が出来る子だとは聖女様も言っていたが、このスピードかつ丁寧に大根を薄切りに出来る技量は只者ではない。見惚れるようにファインから目を離せないラフィカは仕事が進まず、彼女の前には傷ひとつないキャベツがまな板の上でほったらかされている。間もなくして大根全部を輪切りにしたファインは、円形のそれを何枚か縦積みに重ね、一刀の元に半分に切る。それで何枚もの半月切り大根が完成だ。その作業を数度繰り返せば、あっと言う間に一本の大根が全て言われたとおりの形に切られた状態に変わる。


「…………? あ、あの、ラフィカさん、何かまずかったですか?」


「えっ? い、いや別に……凄いなぁって思ってただけ……」


 突っ込み所なんか山ほどある。大根の半月切りなんて、普通は最初に大根を縦に両断し、半分になったそれをまな板の上に置いて切っていくもんである。その方が座りがよく、安定するから。不安定な筒状のまま速やかに輪切りにしていって、輪切りを最後に纏めて二つに割るなんて、輪切り作業で時間を取られるから非効率なはずなのに。輪切り時点ですぱすぱリズミカルに断っていったファインの手際がよすぎて、そうした本来の効率性の理論がぶっ壊されているぐらい、仕事の終わりまでが速い。


 それに、近くにごみ箱もあるのに、大根の茎と葉っぱを捨てずに置いておき、後で洗う予定を暗示するかのように水に浸けてあるのも。確かにそれ、上手く調理すれば意外に美味しいんだけど、料理の心得がない者だったらさっさと捨ててしまうだろう。それを、別に何も言っちゃあいないのに、良ければ後で使える形にしてくれているファインの行動って、間違いなく"知ってる"人のそれである。


「キャベツ、どうするんです?」


「えっ、あ……き、刻みにするだけなんだけど……」


「手伝いますよ。貸して下さい」


「あ……うん……」


 これぐらいは自分でやるよと言いたかったラフィカだが、ファインの手が見たくてついつい差し出してしまう。大根の汁が多少沁み込んだまな板をきっちり拭くファインの行動も、目立たないながらも丁寧な行動だ。それからキャベツを受け取ったファインは、それをざっくり4つに割り、芯を削ぐように切ったのち、まな板の上に寝かしてぎゅっと押し潰す。手順が全部正しい。その後がすがすノンストップで、キャベツを千切りにしていくスピードが凄いのは、予想はしていたけどラフィカも息を呑む。そんな速さで千切りして、手を切りやしないのかと思う発想ってすごく自然。


 ファインがキャベツの4分の1を、あっさり短時間で千切りの山に変えてしまったところで、流石に見てるばかりじゃ駄目だなって、ラフィカも次のキャベツを持ってくる。食べる相手が多いので、キャベツ3個ぶんの千切りキャベツが必要なのだ。で、自分のまな板の前にキャベツを置く頃には、既にファインが二個目の4分の1キャベツを刻み終えかけている。仕事が速過ぎてラフィカも変な笑いが出てきた。


 自分も刻みキャベツを作るための手順を踏むが、料理の仕込みを手伝ってきて手馴れているはずの自分が、ファインがやって見せてきたそれよりも遅いのが明らか。ラフィカは元々呑み込みの早い子で、同じ年頃か少し年上の同僚と比べても、こうした作業は早い方。最近、上手くなってきたねと先輩に褒められて自信もついてきた頃だったのだが、これを見せられてはまだまだ向上心を持つべきだと思い知らされるばかりだ。それはそれで前向きなラフィカの性格の生み出す、評価すべきモチベーションだが。


「終わりました。洗っておけばいいんですか?」


「あ、あぁー……そうね……任せるわ」


 自分が半分も終わってないうちにそう言ってくるファインに、手を止めて乾いた笑いとともにそう言うラフィカ。いそいそと大きめのボウルと、それと同じサイズのザルを重ねたファインが、いそいそと水場から水を汲んでくる。それをどこに置くかって、タオルを敷いたまな板の上。金属製のボウルをまな板の上に置いてはよくない基本をわかっている証拠。そして水に満ちたボウルの中からザルを取り出し、かつかつと水を切ってまな板の前に構え、片手でかき集めるように刻んだキャベツを放り込んでいく。あとはそれを、水でいっぱいのボウルに浸してじゃぶじゃぶ洗うだけ。なんにも説明していないのに、すべての手順が正解。


 一回それである程度洗えば充分なのに、一度刻みキャベツ入りのザルを持ち上げ、ざばぁと水から脱出させるファイン。ボウルの中には水とともに、細かすぎるキャベツの切れ端や汚れが浮かんでいる。タオル敷きのまな板の上にザルを置いたファインは、他の小さなザルをその水の中に浸し、重い水入りボウルを流し台まで運んでいく。水を捨てる、その捨てる水の軌道上にザルを構え、汚れやごみを捕まえながら。水とごみをはっきり別離し、ごみはゴミ箱に、っていう手順を面倒臭がらない。そして再びボウルに水を汲んできて、刻みキャベツをもう一度さっきと同じように洗うのだ。手間を惜しまず食材を入念に綺麗にする姿勢は、当たり前のようでも手馴れてきた頃には省きたくなるもの。ファインにはそれが無い。


 綺麗にした刻みキャベツを水から上げ、かつかつ洗い場の端でザルを叩いて水を切ったファインが、これどこに置いておけばいいですかとラフィカに問う。あの大きな(かめ)に移して置いておいて、と言われたファインはそのとおりにするが、既に綺麗なはずの(かめ)も面倒がらずにちゃんと洗う。丁寧な手つきで、ザルの網目に引っ掛かるキャベツも、極力すべて(かめ)に移したファインがまな板に帰ってくる頃には、やっとラフィカも一個のキャベツを刻み終えたところ。


「それも洗いますよ。貸して下さい」


「あーうん……お願いするわ」


 なんか狙い澄ましたようなタイミングと提案で、本当に計算ずくかと思えるほど、しかしそうだとしたらそれなりに仕事が速くないと出来ない。真意はともかく、全く時間を無駄にせず働き続けるファインの要領のよさには、ラフィカもお手上げで仕事を任せっきり。あくまでファインはお手伝い、自分がリードしつつ彼女より多くの仕事をしなきゃと思ってたラフィカだったのに、何をやらせても多分ファインの方が、速く上手くやりそうなんだもの。こき使うようなことはしたくないのだが、ファインが勝手に仕事を持っていく。


 その後もすいすい、ラフィカに指示を受けて迅速に食材を仕込んでいくファインの姿が続いた。ラフィカはむしろ、やるべき仕事をどんな風に効率よく、ファインに伝えるかの方に意識を使ったぐらいである。いつか彼女も先輩になって、人を使う立場になることを思えば、ある意味それに向けての思考練習になったかもしれないっていうぐらい。ただ、ファインと一緒にお喋りしながら仕事するつもりだったラフィカにすれば、この展開はむしろ仕事に専念したくなる。こんなに仕事の出来る子と一緒にいて、だらだら仕事する方がラフィカにしてみればあり得ない。


 和気藹々を諦めてお仕事モードの頭に切り替えたラフィカだが、それでも、何をやってもファインの手の早さには結局追いつけなかった。お手伝い、として預けられた聖女様の一人娘だが、なんだか自分が料理人様のお手伝いをしている気分。指示を出している立場なのにこう思う時点でよっぽどだ。


「……な~んで野菜も切れない聖女様の娘さんが、ここまで料理できるんだろ」


「えっ、お母さんって料理できないんですか?」


 いつかお母さんに会うことが出来れば、お母さんの手料理を食べてみたいと密かに思っていた、そんなファインの夢がひっそり潰える。確かに料理に関しては、ラフィカの言うとおりならトンビが竜を産んだような話である。

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