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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第9章  突風【Saint】
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第162話  ~聖女スノウとファインの再会~



「着いたのかな?」


「そうっぽいですけど……」


 ファインとクラウド、レインを収めた鉄檻を運ぶ馬車が停車し、しばらく動かない。鉄格子から外の風景を覗くクラウドには、視界が狭すぎて状況がわかりにくいが、流風を操り外の様子をぼんやりと確かめようとするファインには、人里に着いたらしいことが概ね窺える。ただ、停車されてからが妙に長い。


 ファイン達の乗った馬車の少し前では、国家反逆者をホウライ城下街に立ち入らせるその直前、関所の番人と護送兵のリーダーがひそひそと話し込んでいる。話の内容をクラウドやファイン達に聞かせると都合が良くないのか、敢えての小声で情報を交換だ。


「何……? スノウ様が……?」


「ええ、ファインと名乗る少女が訪れた場合、自分の所へまず通せと……」


 昨晩のうちに、城下街への関所を回った聖女スノウがそう告げていったらしい。どうやらスノウは、自分の一人娘だと名乗る少女に興味が沸いたらしく、それが直接刑務所送りだとかいう流れになる前に先手を打っていた模様。さて、困るのはファイン達をこのまま刑務所に突っ込む予定だった天人達。さっさと磔刑にかけ、地人や混血種を嫌う貴族様達への見世物にしたいと思っていたのだが、この流れは公的にも私的にも具合が悪い。


「しかし、このような身元もはっきりしない連中を、聖女様に会わせていいのか? "アトモスの遺志"の刺客で、スノウ様に手をかけようとしている者達かもしれんのだぞ?」


「仰るとおりですよ……しかし、聖女様は絶対に自分の前に一度出せと……」


 都合のいい流れに向かうための詭弁半分だが、真意も半分。今のホウライ地方は、アボハワ地方に潜伏する、アトモスの遺志との抗戦状態が続いている。向こうにしてみれば、ホウライ城に身を置く天人陣営最強の聖女、スノウを抹殺したい想いは強いだろう。刺客を送り込み、それを狙っている可能性は現在無視できない。事実、戦況そのものも決して安心できる近況ではなく、危ない橋を渡りたくないのも確かなのだ。


 もしもファインを聖女スノウの前に突き出した瞬間、本性を現したファインがスノウに襲い掛かり、亡き者にでもしようとしたら――という可能性がある以上、天人達も聖女スノウにリスクを背負わせたくない。かつて魔女アトモスを一対一で破ったとされる、天人陣営最強の駒とも言えるスノウは、今絶対に失ってはならない人材なのだ。


「……スノウ様はどこでお待ちになっておられる?」


「恐らくホウライ城かと……」


「いやいや、駄目だろ……信用ならぬ、ましてテロリストの可能性もありし者を、そんな場所に案内できてたまるか……」


 それでもし爆弾を王族様の集う王城に導いたりしたら、どんな責任負わされることやらわからない。恐らく首が飛ぶ、職を失うっていう意味じゃなく物理的に。諸々の都合抜きにして、ファイン達をここまで連れて来た天人達、いくら聖女様の命令とはいえ従いたいところではない。


 ともかく、ファイン達を聖女様に会わせることなく、秘密裏に葬ってしまうのが最も望ましい。そんなことをすれば聖女様もお怒りになるかもしれないが、いくらお偉い聖女様とて実権があるわけでもないし、そうした行動理念については同意してくれる人が多いのもホウライ地方の現実。仮にもし、聖女様の本当の一人娘を間違いで抹殺してしまっても、どうせ混血児だし天人達は気にも咎めない、むしろ喜ぶんだから。聖女スノウを近代天地大戦で勝利を導いた人物だと崇める者は多いが、彼女が地人との間に子をもうけたことだけは認めない、という天人も殆どである。むしろそれを重視して、何が聖女様かと未だに思っている者の方が多いのだ。


「どうでしょう? このまままずは刑務所の地下深くに幽閉し、ひっそりと処分してしまうのは」


「貴族様の前で磔刑にかけるという名目で連れて来たのだが、それではまずくないか?」


「そいつらは途中で逃亡したことにでもしてですね……」


 黒い作戦会議が始まった。そりゃあファイン達に聞かれたらまずいからひそひそ声になるはずだ。要するに、ファインやクラウドはホウライ城に到着する前に平原で逃げ出そうとし、粛清されたということにして、王族や貴族には渋々納得して貰おうと。それはそれで色んな方面から怒られる結果になりそうだが、聖女スノウという最も有力な味方にリスクを背負わせるぐらいなら、叱られた程度で済む方がマシだろうなっていうのが、ここの天人達の結論である。ご立派な自己犠牲精神だことで。


「その檻の中身は、アトモスの遺志の連中を捕えた者としまして――」


「スノウ様に報告するのは明日ぐらいにしようか。報告するタイミングも、真実味を持たせるには重要――」


 檻を運ぶ様を見届ける目撃者との辻褄併せの口実や、聖女スノウが偽証を確信持って疑えない図式作りなど、ある程度の作戦会議を済ませ、やがて馬車はホウライ城下街に入っていく。檻の中のファイン達には、まずは一度留置所に送って取調べを受けてもらうから、しばらく静かにしていろと釘を刺してだ。言われるがまま、私語ごと謹んで待つクラウド達だが、話は非常に良くない方向に進んでいる。このまま動かず留置所送りを受け入れたら、実は放り込まれるのは刑務所の地下深くであり、そのまま日の光を拝むことなく殺されてしまう。


 もっともクラウド、そんな道筋を辿らされることも想定済み。天人様って、混血児に対しての、差別的な容赦の無さは周知の事実なんだから。何かおかしな流れにされそうになったら、ひと暴れしてやるっていう覚悟はとうに固めていたものである。何せ、想定範囲内に、冗談抜きで生き死にがかかっているのだから。











 城下街を進んでいく、罪人を運ぶ様相の鉄檻を乗せた馬車は人目を引く。どよめく民衆の間を進んでいく馬車だが、聖女スノウがこの騒ぎを聞きつけ、駆けつけてくるより先に刑務所に辿り着いてしまいたい。恐らく急げば大丈夫なはずだ。聖女スノウ様は、概ね夕方ぐらいにならないと起きてこないから。


 見世物ではないぞ、と衆目を一喝しながら、ゆっくりに見えて速やかな連行。刑務所の位置はホウライ城より少し離れた場所だ。檻の中のクラウド達は、馬車の行く先がどこなのか知らない。ゆっくりと、彼らの運命は終身刑の舞台へと進んでいる。そうした悪意の気配はなんとなく感じられるのか、クラウドは手を握って開いてしながら体を温めているし、ファインもどことなく戦前のように神経を尖らせている。レインですら、外の声が妙に気になって、聞こえる音を一つも聞き逃すまいと努めているぐらいだ。流石に何度も死線を潜り抜けてきた三人だけあって、危機の接近に対する勘は鋭いのだろうか。


 やがてそろそろ、刑務所に近付いてきた頃。遠目に見える、白銀色の四角い建物は、クラウド達には留置所だと説明する予定で、その奥底は処刑道具が山盛りの施設である。ここまでは予定どおりだな、と、ファイン達を連行する天人達は、檻を開いた瞬間にファイン達が抵抗することに備え、警戒心に満ちた目配せを仲間内で交換している。


「どうも、ご苦労様」


「!?」


 だが、ここに来て最も予定外の出来事が発生。あと3分も進めば刑務所に到着、そんな場所に差し掛かった時、馬車の前に空からふわりと降りてきた人物がいる。思わず御者も手綱を引いて馬を止めるが、それは単なる通行人を轢かないように慌てた手の動きではない。


「随分と重々しい連行模様だこと。それだけの護衛までつけて、さぞかしの重犯罪者を運んでいるのでしょうね」


「す、スノウ様……」


「その檻の中にはどんな連中が入っているのかしら?」


 御者も、馬車の周りを取り囲む兵も、冷や汗だらだら絶句顔。明らかに不機嫌モード全開の聖女様が、つかつかと馬車の方へと歩いてくる。明らかに檻の中身を覗こうと近付いている動きに、兵の一人がその前に立ちはだかる。中身を見られるとまずい。


「あ、あまりお近付きにならないよう……! この者達は、違法にホウライ地方へ立ち入ろうとした地人達で、アトモスの遺志の刺客である可能性もあります……! スノウ様がお近付きになられては危……」


「違法にホウライ地方へ? どんな風に?」


 一応、嘘はついていない天人の兵。地人達と言っているが、ファインじゃない方の二人は地人だし、混血児がいないとは言ってないし。だが、スノウは右の眉をちりちりと吊り上げ、怒りをあらわにした顔で兵をたじろがせる。あなたその態度、方便は整えているけど、見られたら都合の悪いものが後ろにあるんでしょ、って推察するにはスノウにとって充分なので。


「そ、それはですね……」


「その中に、私を母と呼んだ女の子が入ってるなんてオチ、ないでしょうね?」


 なんだかもう、既にお見通しのようで、全員言葉を失って黙り込んでしまう天人達。そうじゃないです、と言えば嘘になってしまうので、もしも露呈した時にやばくて言えない。少しの間を置いて、まあまあそんなにお怖い顔はなさらないで下さい、と引きつった笑顔ではぐらかす天人もいたが、それはそれで答えになっていない。


 聖女スノウは知ってるいから。天界王フロンの悪口を言った混血児なんていう、役二つついた忌むべき少女を、天人達がどうしたがるかなんてのは。各関所にああして頼んでおいても、どうせあれこれ理由をつけて、秘密裏に刑務所に運び込むぐらいのことは平気でするだろうなって所まで予想済みなのだ。普段なら夕方まで寝ている彼女だが、今日はその習慣を裏切って早起きし、こうして起きているのはそのためである。


「な、何をそんなに不機嫌でいらっしゃるのかは計りかねますが、お話があるなら後から伺いますので……私達はひとまず、この罪人どもを連行しなくてはいけなくてですね……」


「はあ、もういいわ。咎めないからどきなさい」


 それはもう乱暴に、男の二の腕に手をかけて、ぐいっと道を開けさせるスノウ。聖女様と謳われる彼女の二つ名とは正反対の行動だが、こういう人なのは彼女を知る者達からすれば普通の姿。そしてピンチ。檻の格子に近づいて、中を覗こうとする動きを見て、天人達が数人で前に立ちはだかる。


「だ、駄目ですよ、お近付きになられては! 万一あなたにもしものことがあれば、私達の立つ瀬がありません!」


「どうかここはお下がり下さい……! 私達にも立場というものが……」


 まあ、それはそれで正論ではあるけれど。スノウを犯罪者の前に晒し、取り返しのつかない傷を負わせたら、この兵どもが大変な罰にかけられる。そういう切り込み方をされると、これ以上強引には行けないスノウだが、それならばと別の手段でアプローチをかけるべく、息を吸って片手で口の端に壁を作る。


「ファインー! 中にいるなら返事なさい! 私はスノウ、あなたがお母さんと呼ぶ者よー!」


 外の慌しい空気を感じ取っていたファインだが、その大声を聞いてびくりと肩が跳ねた。クラウドもレインも思わずファインの方を向く。ずっと探し求めていた人の声なんじゃないのかって。いてもたってもいられなくなったファインが、膝で走って檻の端まで移動、鉄格子に両手をかけて、外界に最も近い場所で息を吸う。


「お母さんですか!? ファインです、ファインですっ! クライメントシティから来ました! お母さんに会いたくて、ここ……っ、ここまで、まで来たんです!」


 この声の効果が絶大だった。胡散臭い言葉を並べた天人達と比べて、なんと切実で必死さに溢れた声だっただろう。途中から感激のあまり、涙声になりかけたのをこらえ、一度息を吸った声使いといい、とても演技の声には聞こえない。クラウドからでさえ、必死で叫ぶファインの表情が、後ろ姿しか見えない位置から想像できてしまったぐらいである。


「ファインなのね!? 間違いないのね!?」


「はいっ……! 私、ファインです……!」


 檻の中の声の主が、本当に自分の娘かどうかは別として、少女がファインを自称することは間違いない。さあ、天人の兵士を睨み付ける聖女様のオーラがやばい。言いつけを破り、自称聖女の娘を刑務所方向に連行していたのはこれで露呈した。大の男が何人も、そそくさと後退して頭を下げ、すいませんでしたと合唱する声は、なんだか知らんがクラウドも耳にして気分がよかったものである。彼はこれまでの道中で、缶詰を後頭部にぶつけられる乱暴までされているんだから。


「檻を開けなさい、今すぐに」


「えっ!? い、いや、あの、申し訳ないことは重々承知ですが、この状況で連行者を解放するのは……!」


「いいから開けなさい! 反論できる立場だとでも思ってるの!?」


「で、ですが……! それだけは、それだけは流石に……!」


 嘘が露呈し、すっかり立場のない天人達だが、流石に檻を開くのだけは受け入れ難くて必死に抵抗。何せ檻の中の少女、本当にスノウの娘なのかって今でも疑っているんだから。交戦中の状況からもそうだが、何より彼らは混血児の言うことをするっと信用したりしない。最悪を想定した入念さに間違いはないが、基本理念に偏りはある。


「何かあったら私が責任を取る、それでいいでしょう! 心配しなくてもあなた達が言うとおり、この檻の中の子が嘘つきの侵略者だったら私がボコボコにするだけよ! 何か文句ある!?」


 えっ、とファインが言葉を失った顔でクラウドを振り向く。母が自分の名を呼んでくれた、やっと会える、そう感極まった感情が、一気に別の感情で塗り潰されている。いや、嬉しいのは嬉しいまま。ただ、あれって"聖女様"って呼ばれる人の言葉遣いだろうかっていうインパクトが無駄にでかい。


「鍵を出しなさい! さもないとあなた達から力ずくでも頂くわ! おとなしく差し出すか、医療所送りのおまけつきか、今すぐ決めなさい! さあ、今すぐ!」


「え、あ……」


「早くっ! 渡すの!? 渡さないの!?」


 すげえ声だなってクラウドも苦笑が漏れてきた。どうも元はお綺麗な声、叫んでいる割には澄んだもので、ヒステリックな金切り声ではないのだが、その声量が凄いのだ。怒気と覇気と叱責オーラに満ち溢れた叫び声の迫力は凄まじく、思わずレインもクラウドにしがみついて震えている。確かに気持ちはわかる。


 観念したようで檻の鍵を差し出した天人の兵。目の前に差し出された鍵を、持ち主の手が痛くなるぐらい乱暴にひったくったスノウが、檻の鍵穴にその鍵をぶっ差す。狙いはぴったり、しかしこの動きも乱暴、鍵穴ががきょんと金属音を立て、鍵をひねるスノウの動きでも、ガシャンと扉を封じていた留め金が鳴き響く。三人を収めた折の分厚い扉が、スノウの力任せの手によって、ばんと大きく開かれるのもすぐ直後。


 びくりとしたファインと、聖女スノウがすぐそばで目を合わせた。扉を開いた瞬間のスノウは、既に一呼吸の末、冷静な無表情に戻っている。馬車の荷台の高さに座るファインと、地上に立つスノウの目線の高さは等しく、同じ目線で二人の瞳が向かい合う。


 スノウが口を開くまで僅か1秒。それまでの時間が、二人には何秒にも感じられた。それほど、互いの瞳は不思議なぐらい、両者の血の繋がりを強く暗喩し合っていたのだ。


「あなたが、ファインなのね?」


 スノウには、檻の中に収められたレインの姿も見えている。それでも、なんとなくこの子がファインを自称する少女だとはわかった。この年のファインと対面するのは初めて、そんなスノウが彼女に抱いた第一印象は、真っ直ぐで純粋な眼差しが最も印象的で、それは我が娘を育ててくれた知人、フェアの瞳によく似て澄んでいる。


「は……っ、はい……! 私が、ファインです……!」


「私の名はスノウ。クライメントシティに一人残してきた一人娘、ファインの母親よ」


 その言葉が、柔らかい笑顔が、もうファインを我慢できなくさせてしまった。ぎゅうっと口を絞ったファインが、前倒しにした体は、飛びつくようにスノウの胸元へ。すぐに両手を広げて受け入れたスノウの豊満な胸へ、ばふんとファインの顔が飛び込んでいく。


 おっとっと、と声を漏らしながら後退するスノウの前、ファインの両足が地面に着く。触れた瞬間にまずスノウにはわかった。ああ、この子は間違いなく混血種の子だって。彼女の体内に流れる、天人の血と地人の血の脈動は、混血種であったアトモスの親友であったスノウにとって、懐かしささえ覚える鼓動である。


「お母さん、なんですね……!? わたしの、お母さんっ……なんですね……!?」


「……ええ、そうよ。私が、あなたの母親」


 何年ぶりもに出会う娘、顔を見て我が子だとわかるはずがない。それでも、受け入れる言葉を連ねたスノウの言葉は、胸元から見上げてくるファインの表情を崩壊させた。スノウの優しい笑顔は、仮にファインが本当の一人娘でなくても、包容力に満ちた微笑み一つで、見る者の心を幼くして虜にするほどのものだ。


 お母さん、お母さんと何度も口にし、再び胸に顔をうずめて震えるファインの両手が、ぎゅうっとスノウを抱きしめる。痛いほどにだ。敵意なんてもっての他、喜びと感激の想いしか伝わらないそれによって、スノウも直感的に確信できたものだ。絶対に、この子は嘘をついていないって。騙し騙され、そんな近代天地大戦の修羅場をかいくぐってきた歴戦の聖女の知恵が、ファインの言葉と想いは真実だと訴えている。


 片腕でファインを抱き返し、優しく頭を撫でるスノウの行動は、感極まっているファインの心をさらに溶かして泣かせただろう。ただ、その頭の上でスノウがどんな顔をしていたかはファインの知るところではなかった。クラウドには見えている、レインにも見えている。天人の兵達をすんごい細い目で睨みつけ、あんた達あとで覚悟しときなさいよと恫喝する眼差しには、青年も中年も蛇に睨まれた蛙のように肩を縮まらせる。


 危うく、無断で我が子を刑務所に放り込まれるところだったのだ。スノウが怒るのは至極当然の話である。











「まずは自己紹介をしっかりと済ませましょうか。私はスノウ、肩書きうんぬんはもう省略ね」


「クラウドです。ファインの友達です」


「ほら、レインちゃん。挨拶して?」


「……レイン、です」


 小さなオープンカフェの席に座って、ご挨拶を交わす4人。16歳であるファインの母親、スノウもそこそこ年をいっているはずだが、そう老けて見えないのも聖女様と呼ばれ続ける所以なのだろうか。少なくともスノウの顔立ちは、彼女の背景を知らずにシロから見れば、二十代後半ぐらいに見えそうだ。絶対にそれって、実年齢より下のはずである。


 あの後スノウの強引な説得により、ファインは勿論クラウドもレインも解放して貰えるに至った。天人だけの楽園に、檻から地人と混血児を解放することを最後まで天人達は渋っていたが、ともかくスノウの剣幕が凄まじく、大の男達がすごすごと引き下がらずを得ずにいた。あの後、彼らは刑務所やら貴族やらに、事の成り行きを説明しなければならない立場になるはずで、全員がっくり肩を落として去っていった。混血児や地人の国家反逆者の晒し首を期待していたお偉い様を、こういう成り行きで手放すことになってしまいました、と説明するのって、どんな顔されるかかと思えば気も重くなるだろう。お小言数時間で済めばいい方、恐らく日を跨いでもねちねち責められる見込みなんだから。クラウド達の知ったこっちゃないが。


「ねえファイン、私もしかして怖がられてる?」


「う、うん……多分……」


 そんなわけで、スノウがしっかり見張っているという前提つきだが、ホウライ城下街を歩けるようになったファイン達と、ここ喫茶店でゆっくりした時間を過ごしている次第。スノウが気になるのは、自分の座る椅子ごとファインに近付いたレインが、ぴったりファインに身を寄せるようにしてスノウから目を離さない点。明らかにスノウを怖がっている。そりゃあ第一印象があれでは、清楚な見た目やお顔立ちでも容易には信用できないだろう。


「あの、失礼なのは承知なんで申し訳ないんですけど」


「はい少年、何でも言っていいわよ。何言われるかは予想できるけど」


「……聖女様、っていうイメージとは、だいぶ違う人だなあって思いました」


「あははは、そうね。私が一番、聖女様なんて呼ばれてこれじゃない感あるもん」


 子供のような笑顔でからから笑うスノウの表情もまた、聖女と呼ばれるそれには近くない。乱暴な言葉遣いで天人の兵を怒鳴りつけていた声といい、この快活な態度といい、二つ名のイメージとは到底似て及ばない。おしとやかなファインの母親、かつ聖女というスノウの姿を見ていると、親子だからって似るもんではないんだなあってクラウドも感じるものである。むしろこの人、サニーのお母さんって言われたらしっくりきそうだけど。


「聖女なんて呼ばれてるけど、それって結局天人陣営にとって最も脅威だったアトモスを殺した私のことを讃える称号でしかないからねぇ。要するに天人都合の勝手な二つ名よ。私のことを昔から知ってる人達は、聖女なんてガラじゃないでしょうってみんな言ってるわ」


 何気なくぺらぺらと喋るスノウだが、キセル取り出し火をつける仕草が何より目を引く。美しいローブに身を包み、しゃなりとしていれば何と美しい修道僧だとも思えそうな風体の人が、積極的にイメージをぶっ壊しにかかってくるのだ。ああうん、全然聖女様って感じじゃありませんねって、わざわざクラウドも口には出さない。


「でもでもね、私もそんな怒らせたりされなかったら、素敵で優しい一児の母なのよ? だからほらレインちゃん、そんなにびくびくしないで? 仲良くしましょ?」


「うー……」


 ファインの方へ、つまりはレインに手を伸ばすスノウだが、レインもなかなか手を出さない。警戒心がなかなか解けないらしい。大丈夫だと思うよ、とファインに言われて、ようやくおずおず手を出したのだが、ファインもファインで大丈夫"だと思う"っていうのはどうだろう。怒らせたら怖いお母さん、という印象はファインにも共有されている証拠だ。


 それでも差し出した手を握ってくれるスノウの手は優しく、その柔らかい手から伝わるぬくもりは、少なからずレインの警戒心を解きほぐしてくれた。よろしくね、と微笑むスノウの表情もまた、既に母を喪ったレインの心に、遠い記憶を呼び起こしてくれる触媒に近い。よく自分を抱っこしてくれた、痩せた母の顔と似通って見えるのは何故だろうって、不可思議ながらも感じてしまうほどにだ。


「さて、クラウド君にもお礼を言わなきゃね。さしずめあなたは、ファインをこんな遠くまで送り届けてくれた騎士様といったところですもの」


「騎士さ……いやあの、俺はファインと知り合って、ここまで一緒に旅してきただけで……」


「うふふ、お母さん、聞かせてあげましょうか? クラウドさん、ホントかっこいい所いっぱいあるんですよ?」


「なっ、こら、やめろファイン。俺のことなんか話さなくていいよ」


「えー何言ってるんですか、褒めるだけですよ?」


 だからそれが嫌なんだと。そりゃあ友達が自分のことをいい風に言ってくれるのは嬉しいが、ファインって何やら歯の浮くような言葉遣いが好きそうだし、それは一度の野良演劇でほぼほぼ知っていることだ。そういう言葉で飾られることになったら、照れて何も言えなくなる自分の無様を晒す予感の方が強い。


「聞いて下さいよ、お母さん。クラウドさんね……」


「あーもう駄目、駄目だって! 俺の前じゃないとこでやってくれ! 頼むから!」


 ファインの顔の前に平手の壁を作り、上下させてバリアーして話を打ち切らせようとするクラウド。なんでですか、だってさぁ、と、むくれたファインと困ったクラウドのやりとりは、傍から眺めるスノウには実に微笑ましい。いい友達同士なんだろうな、っていうのは、この一枚絵だけですぐわかる。


「ねえねえ、レインちゃん。このお兄ちゃんとお姉ちゃんのことは、好き?」


「うん、大好き……!」


 いつの間にかスノウに引き寄せられ、彼女の膝の上にちょこんと座ったレインは、スノウの問いに気持ちよく応えた。淀みなきいい声だ。仲良しのファインとクラウド、それを慕って懐いてべったりのレイン、そんな三人の素敵な関係の輪の中に、ずっと会うことすら出来なかった一人娘がいる。母として、こんなに嬉しい感情を上手に言い表す言葉なんて、そうそう簡単には見つけられない。


 クラウドの武勇伝を語りたがるファインと、必死でそうはさせまいと遮るクラウドの姿だけで、スノウは既にお腹いっぱいだ。くすくすとその二人の姿を見守るスノウの顔立ちは、その瞬間に限り、聖女様と呼ばれる名に勝るほどの恭しさに満ちていた。親友との攻防戦で必死だったクラウドとファインが、それを見逃していたのは実に勿体ない話である。

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