第16話 ~発覚~
状況はよくない。空中から魔術による遠隔攻撃を放つマラキアは、不規則な滑空軌道であり、警戒するサニーを近付かせまいとする態度。油断していないということだ。先の交錯で、一発で勝負を決めることが出来なかったサニーも、マラキアの虚を突けずに最大の好機を逃したものだと悔いている。
放たれる氷の弾丸の数々を、地上を駆けて回避し続けるサニー。マラキアのような手練にしっかりとどめを刺すには、やはり接近する必要がある。サニーとて遠隔狙撃の魔術が使えぬわけではないが、それを戦闘手段の主軸に置くタイプではないから、やはり決定打としてそれは不適切。恐らくそうした攻撃手段で臨んでも、魔術による遠距離戦を得意とする戦闘魔術師マラキアには、ろくに通用しないだろう。
「逃げてばかりでも仕方ないか……!」
氷のつぶてを回避したサニーの姿が、空中のマラキアから見て木の陰を通過する。だが、一瞬隠れるだけですぐ現れるはずだったサニーが、姿を現さない。怪訝に思う暇もなく、サニーが現れたのは木の頂上の陰からだ。マラキアから見て見えない角度に到達した瞬間、真上へと跳躍したサニーは、予想された位置とは違う場所、それもマラキアと等しい高さにて姿を見せた瞬間、空を蹴って弾丸のようにマラキアへと差し迫る。
真っ直ぐ飛来するサニーへと攻撃魔術を放とうとするマラキア、しかしその狙いも断念。なぜならサニーの接近速度が、マラキアの反撃を許さないほどの速さだったからだ。額を最前面に突き出して猛進してくるサニーは、射程内にマラキアを捕えた瞬間に正拳突きを放ち、腕一本ぶんの距離感ひとつ狂わすだけでマラキアにぞっとするほどの危機感を与えてくる。身をひねり、あわやのところでサニーの拳と肉体を回避したマラキアは、すぐ横を通過していく彼女を見送る形になるが、マラキアのそばを通過してすぐの所で、即座サニーは身を回して空中を蹴る。そうして進行方向を、斜方投射からほぼ真上向けに折り変えたサニーは、マラキアの斜め上方にて頭を下にすると、その瞬間に空中を蹴ってマラキアへと迫る。
空を滑る、風纏いし脚を加速させたマラキアは、隕石のようなサニーの突撃を回避。しかし今しがたまでマラキアのいた位置で空を蹴ったサニーは、マラキアと同じ軌道で彼へと追い迫る。距離を詰めたサニーが、まるで空を地上のように蹴りながら、敵めがけたハイキックを放つ。頭めがけての一撃を、身をかがめて回避した直後、反撃の魔術を放ちたいマラキアだが、回転するままに逆の脚で回し蹴りを放つサニーが胴元へ鋭い足先を差し向けてくるから、マラキアも後方に退避して逃れるしかない。攻撃は最大の防御と言うが、敵の反撃を許さぬこの猛襲性はまさにそれ。
片腕不自由でもここまで追い詰めてくるサニーが、五体満足だったら今頃は。天界人の上級魔術師として名を馳せたはずの自分が、二十歳も迎えていないであろう少女に劣ることを、マラキアの自尊心は決して認めない。こんな奴にこの私が負けてたまるかとばかりに、敵意から殺意に塗り換わるほどの感情の揺らぎが、マラキアから生じる魔力の模様に現れ始めた。
「天魔……!」
「ふあ、っ!?」
退がるマラキアに差し迫る方向へ空を蹴っていたサニーが、思わず裏返る声を放つほどの、マラキアの魔力が物語る殺意。まずいとサニーの本能が警鐘を鳴らしたのは正しい生存勘だ。
「風月斬!」
マラキアの右腕に備われたと同時、彼の振りかぶる腕の動きに合わせて薙ぎ払われる、三日月形の風の塊。それは真空波の凝縮体であり、三日月刀に似た形の刃にあたる部分は、人の肉体など容易に真っ二つにするものだ。強襲の足を瞬時に切り替え、空中を蹴ってマラキアの上方に逃れたサニーの足先すぐそばを、マラキアの振り抜いた大きな風の刃が通過する。回避にこそ成功したから難を逃れられたものの、まともにあれを受けていたら、今頃サニーの肉体は真っ二つにされていただろう。
大袈裟でも何でもなく、本気で殺しにきていたのだ。町長屋敷の侵入者を成敗する意図や、逆らう者を痛めつけようとする敵意ではなく、命を奪ってでも勝利を収めたいというマラキアの、手段を選ばぬ方法論。殺生は、その相手が積み重ねてきた数年間をも一瞬で無にする、罪深い行為であるという当たり前の倫理観が、今のマラキアにはもう無い。それは邪悪と呼んでも何ら差し支えない生き様だ。
「上等じゃない……!」
怯むどころか闘志を倍にして、宙返り一度の後サニーは上空からマラキアを睨みつける。感情の昂ぶりだけで人の命も軽んじる奴に、断固としてサニーは屈しない。戦いを通じて敵を知り、己の心概から沸き立つべき感情を正しく沸騰させるサニー。これもまた、交戦を介した"対話"によって得た一つの解答だ。絶対に、こんな奴には負けたくない。
「天魔、真空刃!」
サニーを痛めつける氷の弾丸から、人の肉体を切り裂く風の刃へ。それも、氷のつぶてよりも速度のある、無数の風の刃をサニーめがけて放つマラキア。殺傷能力をより高めた攻撃の数々を、空を蹴って回避し続けるサニーと、滑空しながらの連続射撃でサニーを近付かせまいとするマラキア。離れて戦えるうちは敗北を許さない戦い方を確立するマラキアと、懐に飛び込めばこちらのもののサニー。両者の狙いが錯綜する空中戦は、屋敷の窓から交戦模様を眺める使用人達や女中達には、目でも追いきれない激戦だ。
空を移動する速度そのものはサニーの方が速い。追いかけっこをすればサニーに分があり、それはつまり障害を乗り越えられるならば、接近戦に持ち込むこともサニーには不可能ではないということ。マラキアの価値観に対する憤慨を得たサニーは、先ほどまでよりも果敢さを増し、マラキア方向から飛来する風の刃を巧みにかわしながら、一気にマラキアとの距離を詰める。
「天魔、風月斬……!」
「それはもう見て憶えた……!」
近付くサニーの肉体を真っ二つにするべく、接近戦の切り札を片手に、大きな三日月形の風の刃を振り抜こうとしたマラキア。それが上手くいかなかったのは、マラキアの射程範囲内に入る寸前、空を蹴ってさらなる加速度を得たサニーが、伸ばした右手とその掌底で、マラキアの肩を打ち抜いたからだ。風の刃を携えた右腕、その稼動根本を打ち抜かれたマラキアは風の刃を振り抜くことが出来ず、さらに肩への痛みにうめいたその瞬間には、既に間近にサニーが侵略を果たしている。
マラキアの肩を打ち抜いた実感を得ると同時、左脚で空を蹴ったサニーのミドルキックが、マラキアの胴に音速的な速度で差し迫る。マラキアも致命的な一撃だと、一瞬の本能で悟っている。胴とサニーの振り抜く脚の間にある腕を逃がさず、緩衝とための水の魔力を、腕とボディに纏うマラキアに、直後サニーの鋭い蹴りが突き刺さった。
まるで鈍器で人体をへし折るかのような一撃に、低くうめいたマラキアが吹き飛ばされる。しかし蹴飛ばされる形で空へと送り出されたマラキアは、宙で体を回してサニーに正面向く形を素早く形成。胴を守る盾にもなった右腕は、きっとしばらく使い物にならないだろう。左腕だけでも充分だ。サニーへ放つ次の刃はもう決め打っている。
「天魔……! 断空閃刃!」
「うそっ!?」
サニーが驚愕の声を上げたのは、左手を振るったマラキアから、巨大な三日月形の風の刃が放たれたからではない。やや近しき高さ、しかし距離のあるマラキアが、僅か下方のサニーめがけてそれを放ってきたからだ。回避するだけならサニーもそこまで苦労するものではないが、かわせば後方に過ぎ去った風の刃は、カルムの屋敷の壁の外、町の一角に着弾する。もしもサニーがかわしたら、風の刃が無関係の人々や建物を破壊するというのに、こいつはそれも厭わないというのか。
やむなくサニーはマラキアの風の魔力に抗うための力、同色の風の魔力を足に纏い、勢いよくマラキアの魔力カッターを蹴り上げた。サニーめがけて直進していた三日月型の風の刃は、上空へと逸れて彼方へとと去っていく。一方、予定外の形でマラキアの魔術を空へと押し出したサニーは、その反動で地上へと加速度を得て落ちていく。ただでさえ重力に引き寄せられるのに、何かを蹴って下向きの加速度を得てしまったサニーの体は、もはや体を止めるすべもなく地上へと真っ逆さまだ。
「終わりだ……!」
今さら落下方向を曲げることすら出来ないサニーの着地予想地点めがけ、マラキアは詠唱なく断空閃刃の巨大な風の刃を放ってきた。急速落下、しかし足の裏と片膝、右掌の三点で地上に降り立つと同時、緩衝のための水の魔力を纏ったサニーは、すぐに動ける状態だ。見上げた瞬間、もう目の前までマラキアの殺意の刃が迫っているが、痺れた脚と掌に全力を込め、後方へ跳躍する動きはしっかり叶えられた。
風の刃が地面に深い爪跡を残し、これだけ磐石の流れでもサニーを仕留められなかったマラキアが歯噛みする、そんな展開になるはずだった。サニーもマラキアも予想だにせず起こった出来事とは、サニーのいた位置に着弾するはずだった風の刃が、突然横殴りに襲来した風の塊に激突され、魔術同士の相殺の如く消し飛ばされてしまったからだ。
天人にしか使えぬはずの風の魔力で、誰かが自分の放った風の刃をぶち抜いたのをマラキアは視認している。あまりに不可解な出来事、しかしこの戦いに介入する天人は誰だと、風の塊を放った何者かの方向を見やるマラキア。しかし目の前にあったのは、あまりにも予想外すぎる解答だ。
「何だと……!?」
マラキアの鞭を土の魔術で撃ち抜いたというファインが、地人であることは確かな情報だったはず。土属性の魔術は、天人には使えず地人にしか使えないはずなんだから。なのにどうして、屋敷の入り口で両手を突き出し、天人にしか使えぬはずの風の魔力を放った名残を残すのがファインなのだ。サニーの危機を一目した瞬間、咄嗟に親友を救うための最速行動に出たファインは、少し前に立つクラウドが振り返る、驚愕の眼差しに晒されたまま息を切らしている。
「あの子、っ……!」
はずれた肩の痛みも吹き飛ぶほど、心中渦巻く苦々しい想いを表情に表し、跳躍したサニーがさらに空中一点を蹴る。ファインを振り向き驚きを隠せないマラキアの不意を突く、最速で自らを弾丸に変えた直進軌道。あまりの出来事に意識を奪われていたマラキアが、しまったと振り向く頃には手遅れだ。反射的に両腕を引き上げ、交差させた腕と緩衝の水魔力で対応しようとしたマラキアだが、風のような速度で迫ったサニーの激突を凌ぐには1つも2つも足りない。
少し前のサニーの蹴りで壊されたマラキアの右腕は上がらなかった。左腕だけ前に構えただけでは、サニーの動体視力はマラキアの不充分な防御を見極め、振り上げた右の拳でマラキアのガードをはじき上げる。直後、がら空きになったマラキアの胴元に、そのまま自らの右肩を突き刺す形でタックルだ。人間一人ぶんの重みが、凄まじい速度で腹部に激突する破壊力は、逃げ場無くマラキアのボディに致命的なダメージを与える。目を見開いて、口と肺の中のものを悉く吐き出したマラキアに対し、サニーは激突後、マラキアの体が僅かに自分から離れた瞬間、思いっきり首を引いて自分の体を前方回転させる。
頭は下がる、足先は回転するまま後方で振り上げられる。さらに回ればサニーの踵が、マラキアの右肩に斧のように振り下ろされる形だ。ただ回るだけにとどまらず、直撃の瞬間に風の魔力で加速したサニーの足が、空中一点に位置したマラキアの体を叩き落とし、隕石のような勢いでマラキアを吹っ飛ばした。腹への一撃の時点で既に意識が飛びかけていたマラキアは地上へと急速落下し、庭園の一部、葉の茂る丸いシルエットが目立つ木へと真っ逆さまだ。
ばきばきと木の枝をへし折りながら、群がる葉を突き破って地面まで落下したマラキアは、その先に地面に背中から叩きつけられて動かなくなった。恐らく最後の力を振り絞り、緩衝の魔力で死を免れるだけの結果は残しているだろう。しかしあの勢いのままに地面に叩きつけられては、よほどの使い手でも意識や継戦能力なんて保てまい。
「ファイン!!」
気を失ったマラキアのことなんてどうだっていい。空を蹴り、ファインの位置目指して降り立つサニーは、少し離れた位置で着地してすぐ、ファインのもとへ駆け寄っていく。サニーの生存を目にしてほっとするファインとは対極、サニーの表情の方が真っ赤に紅潮している。決して、単に親友の生還を無垢に喜ぶ顔色ではない。
「サニー……」
「あなた、どうして……っ、もうっ!」
天人にしか使えぬはずの風の魔力、それを、地人にしか使えぬ土の魔力を行使したはずのファインが使うことの意味する所は何か。わかっているから、サニーは周囲を広く見渡さずにいられない。屋敷の窓から、天人同士の激闘を固唾を飲んで見届けていた、カルムの下で働く使用人や女中達。誰もが、まさかファインは、という正解を仮説立てながら、彼女に目線を注いでいる。それは、近い位置に立つクラウドもそうだ。周囲の眼差しに晒されるファインをもう一度見やり、サニーは頭を抱えたい想いでいっぱいになる。
わかっている、ファインは自分を助けようとしてくれたのだ。責めるならば自らの窮地をファインの前に見せてしまった自分でしかない。肩のはずれた自分に近付き、案じる眼差しを注いでくるファインを見返し、サニーは無念げに微笑むことしか出来なかった。これで、精一杯だった。




