第158話 ~最終関門~
「着きました~! 長かったですね~!」
「そうだなぁ、ホント長かった。色んなことあり過ぎて」
前日と前々日にお世話になった、宿の主人に深々とお礼を述べてチェックアウト、朝早くに宿を出発して馬を借りたファイン達は、それに乗って速やかに南下した。しばしの時間を経て、おやつ時にようやく人里に辿り着いたファインが、町の関所をくぐってすぐに嬉しそうに大声だ。ここは、アボハワ地方とホウライ地方の境目に作られた町、つまりここさえ通過できれば、その先には広大なホウライ地方の平原が広がっている。
ファインの旅の目的は、現在ホウライ地方にいるという母、聖女スノウに会うことだ。クライメントシティを出発し、マナフ山岳、アボハワ地方を越え、とうとう辿り着いたホウライ地方の玄関口。ここまでにも、多くの波乱と苦難を乗り越えてきただけあって、やっとここまで来られたという達成感もひとしおなのだろう。クラウドも、どことなくほっとした表情である。そんな二人を見上げるレインも、なんだか知らないがお兄ちゃんとお姉ちゃんが嬉しそうなので、自分もなんだか嬉しいなっていう気分。
「とりあえず、どっかで休もうか。ずーっと保留にしてたけど、最後にでっかい問題もあるしな」
「そうですねぇ……まあまあ、まずは休んでから考えましょう」
今のところは、三人とも達成感が勝るのか上機嫌。ただ、数分後も同じ顔をしているのはちょっと難しい。手頃な喫茶店を探すクラウドとファインは、町見を楽しむレインを導くことや、自身らも初めて訪れるこの町の情景を眺めることを楽しんでいたが、いざ店を見つけてオープンテラスに腰を落ち着けたら、まずは出たのが小さな溜め息。少し待って、注文した茶菓子を店員が持ってきて、お茶を一口含んだ頃からはもう、さあどうしたものかとお悩みモードの顔になる。
聖女スノウに会うために、ホウライ地方に踏み入りたいファイン達。しかし、ホウライ地方には強固な掟がある。天人の楽園と呼ばれる二つ名で知られるホウライ地方は、地人禁制、天人しか足を踏み入れることが許されない場所なのだ。
「ファイン、なんかいいアイディア出た?」
「う~ん、ダメです。時々、ふっと考えはするんですけどね」
「俺もそんな感じ。やっぱ難しいよなぁ」
地人や混血児の立ち入りを認めないホウライ地方の掟は周知のもの。クラウドとファインも、ここまでの道のりの中、どうにかその掟に反してホウライ地方に入れないかと作戦会議を繰り返してきた。サニーと離れ離れになって以降、レインが仲間に加わる前の二人旅の時なんかは、寝る前の夜話の際には専らそれが話の種になっていたものだ。レインと一緒に行動するようになってからは作戦会議の頻度は減ったが、それでもレインの寝つきが早い日は、二人だけの夜話に際して話し合ったりもした。
思いつきはしたものの、無しとして消された作戦が実に多い。一つ目、関所を擁する町などを通過してホウライ地方入りするという作戦。これは一番簡単そうでダメなもの。何せホウライ地方、天人だけが立ち入ることを許された特別性が、天人達にとっての楽園を作り上げる前提なので、東西に長く伸びる地方境周囲の警備はひたすらに強固だ。検問を踏み倒して密入国に近いことをしても、逃れ難い警備の目に留まれば余計に立場を悪くするだけ。最近ホウライ地方が、アボハワ地方南部で暗躍する"アトモスの遺志"との抗戦であり、地方全体がぴりっぴりに警備を厳しくしているから、この昨今にそれを刺激するのは尚更やばい。
二つ目、ファインが天の魔術を使えることを武器にして、天人であると偽るという作戦。これはこれで、他の町の関所などでは最終手段に使えそうだが、ことホウライ地方入りの検閲に関しては甘えない方がいい。"天の魔術を使えること"は、ほぼほぼ"天人である"ことの証明になるが、厳密には"天人あるいは混血種である"ことの証明にしかならないんだから。天人以外を絶対に通したくないホウライ地方入りの関所には、それだけで"私は天人だから通して下さい"というのは厳しい。恐らく加えて、天人である身柄を証明する他の何かを求められるし、そうなったら気まずいだけだ。そこまで虚偽を誠であると証明する手段は揃えられない。
三つ目、ファインが聖女スノウの一人娘だと正直に話して交渉する手段。ある意味では、最も波が立つこともなく、無難な方法論だろう。嘘もついていないし、後ろめたいものもない。問題は、その主張を証明する手段に乏しいことであり、仮にそれを信じさせられても、混血児ファインに関所を通ることを許して貰えるかは別問題。出来ればこの方法で穏便にホウライ地方入りを果たしたいところだが、現実的には厳しそうというのが普通の見解である。
他にもこの数日間、何度か繰り返されてきた作戦会議の中で、閃かれては使えそうになくて消えていった案はてんこ盛り。結局この日まで、ホウライ地方入りを果たす秘策らしきものは導き出されず、ほぼほぼノープランでここまで至ってしまった。ここに来て濃厚に漂う、さぁどうしよう感。いかんせんここまでに至る数日間が苛烈で、こういうことまで頭を回す余裕がなかった部分はあるものの、最後の最後で棚上げしていた課題に襲われる心地というのは、何歳になっても頭が痛いものである。
「レインちゃん、紅茶どうでした?」
「にがい……」
「あらあら……ちょっとまだ早かったかしら」
ちょっとクラウド目線で気になるのは、ファインが少し余裕ありそうに見えることだろうか。クラウドは正直、今のところしんどい。せっかくここまで来れたっていうのに、関所越えが出来ませんっていう壁に阻まれ、旅は行き止まりだなんて結末は一番嫌だからだ。妙案の出ない現在なれど、なんとか一発逆転の策はないのかと、慣れの無い小賢しい作戦を考える頭まで使っている。その一方で、今もレインを気にかけながら、にこにこ微笑んでいるファインの姿を見ていると、そんな気楽してる場合じゃなくないかっていう気分になる。
「前も言ったけどこの際、俺とレインの関所越えはほぼほぼ諦めてるからさ。なんとかファインだけでも、関所を越えてホウライ地方入り出来る案が出せれば、俺はそれでいいんだけど」
「あはは……本当、クラウドさんには頭が上がりませんよ」
「いいって別に、俺個人は別にホウライ地方に入りたいとも思ってないし。ファインがホウライ地方に入れて、お母さんに会えるんだったら、そのうちファインが帰ってくるまで俺はこの町でのんびりしとくだけだから」
ひとまず何より優先されるのは、せめてファインの関所越え。地人であるクラウドやレインまで含め、三人揃ってホウライ地方入りするのは、ファイン単体が行くよりもさらに困難なことだ。そこまでは求めないから、なんとかファインだけでも目的達成に近づけないかという話で進んでいる。自分のことを一番に考えてくれて、場合によってはいくらでも待つよと言ってくれるクラウドだから、ファインも頭が上がりませんって言わずにいられない。
「まあ、一度チャレンジしてから考えてみてもいいことですよね。別に、一度関所の人に交渉してみて、失敗したら二度と出来ないってわけじゃないですし」
「チャレンジってことは、ええと……一度、素直に聖女様の一人娘って説明してみるってやつ?」
「まずはそれから、やってみようかなって」
ほぼほぼ駄目元ではあるものの、やってみて損はないだろう。たぶん、最初は疑われたりもするだろうが、話が通じきらなくても、それで顔を覚えられてブラックリストするような次元の話ではない。何せ本当のことではあるし、聖女スノウの一人娘が混血児であることも有名なことだから、混血児であることを証明して見せることは、ある種の説得力を持たせられる要素でもある。
「とりあえず、お会計を済ませたら一度関所に行ってみますね。もしも話がまとまったら、一度戻って来ます」
「わかった、それじゃ俺達は宿を探しておこうかな。良くない場合に備えて、部屋も三人で使えるようなとこ見つけておくよ」
「すみません、よろしくお願いします」
ひとまずワンチャレいってみよう、という方針で。詰めは済んでいないが、これまでも長いこと考えてきて結局この辺りなのだから、これが今の自分達の地力と見て動いても、せっかちな前のめりではあるまい。
「それと申し訳ないんですけど、もしも私が帰ってこなかったら、そのまま待ってて貰えます? もしかしたらですけど、話が上手くまとまったら、心変わりされるより先に前に進んだ方がよさそうですし」
「あー、わかった。それじゃ、ファインが帰ってこなかったら、関所を通れたものと見てそのまま泊まって待っておくよ」
もしも一度、上手く話が転んだら、ファインの言うとおりそのままの流れで進んでしまった方が得策かもしれない。天人様はけっこう気まぐれなのだ。あくまでもしもだが、一度渋々でもオッケーを貰えて、やりましたよクラウドさん行けそうです、と報告して関所に戻ったら、やっぱり駄目とか言われる可能性もある。いい返事を貰えたら、待たせたりせずそのまま押し切ってしまうのが最善だろう。
あくまでそれも現時点では、取らぬ狸の皮算用なのだけど。なんだか妙に自信満々な口を利いているファインの姿を見つつも、現実はそう上手くいかないだろうなと内心で思うクラウドは、難関に挑むファインを応援する想いから、頑張れよと温かい眼差しで見送ることに徹していた。
妙にファインが具体的に、成功した場合のことばかり語ることに、ちょっとは違和感を感じるべきだったのであろうか。普段は何かに挑戦する時のファインって、自信なさげな顔を浮かべやすいものなのに。明らかにいつもと違う態度っていうのは、往々にして、普段と違うことを考えている表れであったりするものなのだが。
「……ふぅ」
喫茶店での支払いを終え、クラウド達と別れたファインは、一人でこの町の中心部に作られた関所の前で深呼吸。敷地がひょうたん型のこの町は、くびれたその場所に巨大な関所を設け、そこが最もわかりやすくホウライ地方とアボハワ地方の境界点となっている。そこを越えればホウライ地方、母が入る地に一歩を踏み出せるというファインにとって、まさにここは母への第一歩が懸かった正念場だ。
一度、ちらっと後ろを振り返るファイン。なぜ人目を気にしているのかは彼女のみぞ知るところ。実際、振り返ってクラウド達がいないことを確認したファインは、よしと小さくうなずいて関所へと歩いていく。
「お姉ちゃん、そわそわしてるね」
「……そうだな」
だが、ファインのことが少し心配なクラウドは、実はこっそり後をつけてきていた。ファインが一番わかっているであろうことだが、天人様って混血種のことが大嫌い。ファインのことを混血児だと知ったら、もしかしたらそれだけで機嫌を損ね、最悪荒っぽい手段でファインを追い返したりするかもしれない。クラウドの中にはそんな想定も存在しているのだ。ファインと別れてから気が付いたことだったが、気になる以上はこうして遠巻きにでも、ファインのことを見守っていたいという心地である。あんまり露骨について行くと、子供じゃないんだしファインも面白くないかなって思い、こうして建物の影からひっそりと、様子を伺うに徹している。
後ろを入念にチェックして、人目をはばかるような態度が少しひっかかったけど。どういう交渉で関所の番人に迫るのかはわからないし、ここからではファインが発した言葉も聞き取れそうにないが、ひとまずは何を企んでるんだか知らないクラウド目線、何でもいいから上手くいくといいなっていう心地。
「――すみません」
そんなクラウドが見守る遠方、ファインが関所の前に立つ番人に声をかけた。多数の番人が拡散し、広く厳かな警備を敷く環境下、一人の少女が槍を握る番人に近付く光景は、なかなか浮いたものである。
「この関所を越えて、ホウライ地方へと渡りたいのですが」
「ふむ。ではまず、天人であることを証明できる手段はあるか?」
地人禁制のホウライ地方、その玄関口を守る番人の第一声。何につけても最優先に、そんな問いを発する番人を相手とした、ファインによる交渉の幕開けだ。




