第154話 ~〇〇て下さい~
飛来する風の刃、それを回避した先に時間差で放たれる無数の針、そういった飛び道具がクラウド達を休ませない。時折ネブラが地上へ広範囲に放つ稲妻が、常に地上の二人の行動範囲を狭めてくるからだ。少しでも立ち止まって動かなければ、前後左右に落ちる稲妻に包囲され、動けぬ数瞬の隙を魔術か毒針で射抜かれる。
「やはり素早いな……!」
「くそ……!」
苛立つ素振りもなく、同じ事の繰り返しで二人の、特にクラウドのスタミナを奪いにかかるネブラ。捕獲対象を守護する強者クラウドを先に潰し、それからレインを料理する戦い方だ。隙なくレインにも休ませない稲妻を放ち続けるネブラだが、ファインを抱えて走り、跳ぶクラウドへの攻撃の方が激しい。いくら無尽蔵めいたスタミナを持つクラウドとて、ぎりぎり回避を強いられる全力の動きを強いられ続けたら、動きだって100%じゃなくなってくる。彼も手負い、しかも荷物持ち、ここまで条件が整えば息が上がるのも早くなる。
「っ……!」
「やっ、やめろレイン! 行くな!」
「ぅ……!?」
業を煮やしたレインが、一点で立ち止まって腰を沈めた所作に、慌ててクラウドが制止の声を発する。ぐぐっと脚に力を込める姿勢から、高所のネブラに飛びつこうとする予感が見えたからだ。執拗にクラウドに針を発射し、逃げる脚を強制するネブラだが、今のクラウドの指示には片方の目頭が沈む。
「つくづく君は、勘が良すぎる……!」
「っ、く……!」
建物三階相当の高度を飛翔し、クラウドに飛び道具を放つネブラの位置取りは絶妙だ。地上の者にはまともな攻撃を届かせられない高さ、しかし人間離れした身体能力を持つクラウドやレインなら、跳躍によって到達することも出来る高さだ。防戦一方の状況を打破しようと、矢のようにぶつかっていくという選択肢が、クラウドとレインには一応ある。
ネブラはそれを誘っているのだ。焦ってそれをしようものなら、ネブラに攻撃をかわされた場合、自由に身動きの取れない空中でどうなるか。すかさず毒針で蜂の巣にされるだろう。クラウドはともかく、冷静さを欠いたレインなら釣れると見たネブラの読みどおり、もしもクラウドが止めなかったら、レインが我が身を空のネブラに発射していただろう。視野の広いクラウドが窮地を救った間一髪である。
「レイン! 君もそろそろ聞き分けたらどうだ! 君のわがままで、彼らの命が脅かされているんだよ!」
「うぅ……!」
「今からでも遅くない! 黙って僕達に……」
「聞くなレイン! 帰りたくないんだろ!?」
絶えず放たれる稲妻の轟音に混じる、ネブラの姦言、レインの苦悩、クラウドの叫び。止まる暇もなく脚を駆けさせ続ける中で、必死さと信念が激突している。
息が荒れる、汗が飛ぶ、地面を蹴るたび足が重くなる。苦しい中で、レインもクラウドも、なんとかこの状況を打ち破る方法を考えようとするが、ただでさえ落ち着く隙もない中で辛うじて思い浮かぶのも、後ろ向きの現実ばかり。我慢比べのスタミナ対決なら絶対に向こうが勝つ、いつまでこうしていればいい、そのうちにここに加勢でもされたら終わりなんじゃないか、そもそも息も苦しくなってきて長くもたない気さえする。じわじわと二人の心に手をかけてくる閉塞感と絶望感が、急速に二人の体力を奪っていく。追い詰められている時ほど一層、心身への疲労は大きい。
「っ……クラウド、さん……」
「あぁ!?」
ネブラの毒針の乱射をかわし、ずざあと地面をこすって立ち止まった直後のクラウド、その耳に届いた声。胸の前に抱えた彼女の、必死に絞り出した声だとわかっていても、この切迫した状況ではクラウドの返答も荒っぽい。
「――て、下さい……」
「なんだって!? よく聞こえない!」
実は聞こえている。馬鹿馬鹿しいと思えるようなことを言ったから、聞き間違いだと思ったのだ。ファインに目線を落とす暇もなく、ネブラを見上げたままのクラウドは、周囲に召喚される稲妻の間を駆け抜け、動きを束縛される危険区画から抜け出す。
「――て、下さい……!」
「はぁ……!?」
聞き間違いじゃなかったから、今度は心から尖った声を発した。意味はわかる、この状況下でそういう言葉を使うんだから、つまりは素直にそうしてくれって意味だろう。ただ、それはクラウドにとって、いくらファインの頼みでも、嫌で嫌で仕方のないことだ。
「ふざけ……」
「ふざけて、ないです……!」
お腹の上に置いていた両手の片方を、クラウドの首の後ろに回して、非力でもぎゅっと抱き寄せようとするファイン。手に込めた自分の力を介し、本気さを訴えようとするための態度だ。覚悟の上で言っているのは、それが無くてもクラウドにはわかっていたが、それにしたって。後方上空からクラウドを狙撃する風の刃を、横っ跳びと前進を繰り返して回避するクラウドだが、前方に落ちた稲妻がそれ以上の逃亡を許さない。
「お願い、ですから……!」
「っ、ぐ……!」
振り返って空を見上げたクラウドの目の先には、レインからクラウドが離れたことに際し、レインへと攻撃をシフトしたネブラの姿。あくまで優先捕獲対象はレイン、クラウドがネブラを釣って、その隙にレインに逃げろと言う連携も許してくれない。苦しい表情で、自らを狙撃する稲妻と風の刃、毒針に晒されるレインの姿が痛々しく、自分に攻撃が飛んでこない今に限ってクラウドの精神は追い詰められる。
頭ではわかっているのだ、ファインの言うことが唯一の打開策だっていうのは。だけど、やりたいわけがない。失敗したら、間違いなく死者が出る。ここに来て究極の選択を迫られるクラウドが、ファインをネブラをレインを、そしてファインの顔を見る。顔色の悪いまま、腹をくくった目でクラウドを見上げるファインの表情がそこにある。
「っ……わかっ、た……!」
これでも決断が早かった方。思うところは山ほどあって、前向きな見方よりも最悪の想定ばかり。それでも今の現状を塗り替えるには、それしかないという一念だけで、クラウドは踏み出すことを決めた。それでもしも失敗したら、なんて考えるのは、クラウドでも恐ろしすぎて意識の奥で目を逸らしている。
「む……!?」
ネブラも敏感、一度レインから離れたクラウドが、レインに集中砲火を始めたネブラを見て、こちらに戻ってくる姿は不思議じゃない。クラウドはそういう奴だってわかっている。それを踏まえてなお、あの足取りには何らかの意図あってのものだと、直感で察し取る眼力を備えている。何か仕掛けてくるつもりだ。
そしてクラウドが取れる唯一の有効な戦術は、魔術の扱いに秀でたファインの力を借りること。そこまでネブラはしっかり想定している。ネブラの真下を通過して、レインに近付いたクラウドが、その挙動の裏に秘めた真意を隠していることを見抜き、ネブラは稲妻の魔術を加速させる。
「く、ぁ……!」
「レイン、あと少しの辛抱だからな……!」
激化した稲妻の包囲網の中、肌がちりつくぎりぎりの回避を強いられたレインの、苦しそうな声が本当によく聞こえる。不安を心の奥底に押さえつけ、勇気付ける言葉を発し、自分をごまかして。ネブラを見上げてぎりりと歯を食いしばるクラウドの表情は、レイン以上に苦しそうだ。
「無駄な足掻きだ……!」
ネブラの振り下ろした右手が放つ無数の毒針、同時に左手に集めていた魔力は、クラウドとレインがそれを回避したその瞬間が、まさに火を噴く一瞬前。ここで来る、とクラウドの読みが、事実と一致したのが決断の時だ。ぐっと腕に力を込めたクラウドの胸元で、両手を自分の胸に押さえつけて小さくなったファインが、上手くいきますようにと目を閉じて祈っている。
「天魔! 雷陣走破!」
ネブラの手を離れて地面に着弾した魔力は、その瞬間に炸裂して地上広くを駆け渡る。地割れから噴き出すマグマのように、光り輝く電撃が高速で駆け抜け、クラウドとレインの立つ場所やその周囲を、蜘蛛の巣を描くように攻め渡るのだ。触れれば感電、肌を焼かれる凄まじい電撃波の包囲網の中、息を呑みつつレインは網の隙間へ、電撃の間隙たる僅かなスペースへと素早く逃れた。
「くっ、が……!」
「――えっ!?」
「んっ!?」
電撃から逃れきれず、強烈な電流を下方から全身に浴びて詰まる呻きを上げるクラウド。危なかったと胸を撫で下ろした矢先、ぎょっとして空を見上げるレイン。半秒遅れて異変に気付き、クラウドの位置から上方に飛んでいった何かを凝視するネブラ。それは、丸まった自分自身を何回転かさせながら、高所にあったネブラよりも高い位置まで飛んで、放物線の頂点にまで到達する。
そこで、クラウドの手を離れた誰かさんが風の翼を開いた。回っていた体を正し、胸を斜め下に向け、ぴたりとネブラを真正面に見下ろす体勢を作ってだ。風の翼を背負った彼女の手元には、すでに空からネブラを狙撃するための魔力が集まっている。
ファインがクラウドに求めた言葉はただ一つ。"投げて下さい"。
「天魔……! 双拡散熱、光線……!」
両手を広げたファインの掌、その上に浮かんだ小さな光球。それが太陽のようにまぶしく光ったかと思った直後、二つの光球から無数の熱光線が放たれた。弧を描くものから真っ直ぐな直線を描くものまで、進み方はそれぞれだが、到達点はすべてネブラとそのすぐそば。粗めの狙い撃ち、しかしそれが無数同時にネブラを狙撃しようとする攻撃は、結果的にネブラとその周囲を広く撃ち抜く、太いレーザーにも勝る中範囲狙撃を叶えている。
「くっ……ぬぁ……!」
ネブラも天人、光の魔術の恐ろしさはすぐに察して回避の行動を取れた。だが、それでも広い範囲を同時狙撃するファインの攻撃からは逃れきれず、熱光線のひとつがネブラの膝を一瞬撃ち抜いた。その一瞬で、どじゅうとネブラの膝を焦がした熱線は、充分なダメージを与えて表情まで歪ませる。
「っ、が……! ファインっ……!」
後ろにぐらついた体を踏み止まらせ、今出る最大の声で空のファインに呼びかけるクラウド。彼の抱く戦慄は並大抵のものではない。勝負を賭けた一手、ネブラにダメージこそ与えられたものの、致命傷ではない一撃を受けただけのネブラは、僅かに迂回する軌道を経てファインに迫っている。ここからでもわかる、切り札一発放って体が傾いたファインは、蜂のように接近するネブラに気付いているかも怪しい。
「ここまでだ……!」
「お姉ちゃあんっ!!」
ファインに到達するまさにその寸前、腰元の鞘に収めたグラディウスの柄に手をかけたネブラ。抜きざまにファインを切り裂く一振りがこの直後に続く。ファインの死を予感したレインが、悲痛なほどの叫び声を空まで響かせたその時、ファインは回避しようとする構えどころか、今にも力を失って落ちそうなほど傾きを大きくしている。
かわすつもりもなければ防ぐつもりもない。ファインは既に、決死の魔力を発動させている。自身の光線を回避したネブラが、自らへ迫る予備動作に移った瞬間から、自分の目の前に集めていた魔力。発動させて初めて形を為す魔力は、接近したネブラがようやく気付き、はっとした頃にはもう炸裂しかけている。
「――風魔爆炎」
空の彼女が発した最後の言葉。膝を胸まで引き寄せ、顔を伏せてその頭を両腕で守るように覆ったファインのすぐ前、グラディウスを振り抜こうとしたネブラの眼前で、猛火を伴う爆風が生じたのだ。それは地上から見て死の花火にも等しく見え、交錯しかけたネブラとファインの至近距離中間点、高所にあってなおも大きい、火薬の塊に火がついたような大爆発。
レインも唖然とするほどに、ファインを空に送り出したクラウドには頭が真っ白になるほどの光景。空の二人を爆心地とした、耳をつんざくような爆音を伴う大爆発は、二人の人間を一瞬で粉々にしたかと思えるほど大きく、凄まじい。自爆したファインがネブラを道連れにしたかのような光景を目にし、固まったように動けなくなった二人の髪を、高所から届く爆風がばさばさとはためかせていた。
 




