第15話 ~女泣かせ~
「……何やってんだ、ファイン」
2日前。ファインは寄り道して裏路地で迷い、しつこそうな男達に言い寄られて囲まれていた。クラウドが初めてファインを見た時の思い出である。
昨日。カルム相手にひと悶着を起こしたファインは、顔を包帯でぐるぐる巻きにした変わり者スタイルで町をうろうろしていた。家に一晩泊めてあげた後、早い再会になったと思えばそんなである。
そして今日。心配でならなかったファインをようやく見つけたと思えば、地下牢にてカルムの頭を自分のお腹に捕まえ、その右腕と首に生脚を絡みつかせて捕まえている。いや、決死の攻防の末に辿り着いた最終形だったのだが、過程すっ飛ばしてこの形だけ目にしたら、クラウド目線では何じゃこの絵は、ってなる。
「こっ、これ、は……その……」
クラウドが助けに来てくれたことは、ファインにとっては予想外すぎても嬉しいことだ。ただ、ナニやってんだと聞かれても返答に困る。奴隷として売る前に味見でもするか、なんて言っていた変態おっさんを我が脚で捕えて、自分は自分で後ろ手を拘束されたというシチュエーション。変な奴を見るような目で見下ろされるのも理解できなくないファインの思考力が、じわりと彼女の目を滲ませる。あっやばい、最初の一言を間違えたとクラウドが悟るのもすぐのこと。
「……見てないで、助けてくださいよぅ」
「あっ、あ……ご、ごめん、そうだよな……」
カルムに片手を胸の上に置かれたまま失神されて、おっさん天人の涎でお腹を塗らされ、汗ばんできたカルムの首筋で太ももが気持ち悪く濡れ始める頃で。あれだけ必死な想いで抵抗した末、今でもすっごい嫌な状況が続いているのに、果てにはクラウドにこんな目で見下ろされて。恥辱にまみれたファインが泣き出した姿を見て、クラウドも慌ててファインの救出に取り掛かる。
ファインが捕まえていた失神状態のカルムを引き剥がし、泡を吹いた町長を仰向けに放置するクラウド。冷静に状況を見つめなおしてみれば、ファインは後ろ手で枷に繋がれ、身動きのとれない状況だ。こんな状況でなんとかカルムをとっ捕まえ、気を失わせた逆転劇まで見せたファインには驚くが、涙を流してうつむくファインの姿からしても、どれだけ必死で掴んだ勝利だったのは察して然るべき。デリカシー無く、何だよこの状況は、なんてって眺めてる場合じゃなかったとクラウドも猛省である。
カルムの懐をがさがさ探し漁り、鍵らしきものを発見したクラウドは、ファインの手首を縛っていた枷についた鍵穴に差し込んでみる。なるほど期待通り、枷は開いた。ファインを好き勝手にしようとしていたカルム、すぐに使うつもりはなかったかもしれないが、ファインを鎖から解き放ち、好きな姿勢に変えるための鍵ぐらいは持っていてくれた。自由にしたファインの手には、汗ばむぐらい握り締められた鞭もあり、カルムから取り上げた武器を絶対に返すまいとしていた彼女の努力も伺える。どうやってこの体勢からそこまで持っていったのかはクラウドには予想もつかないが、おとなしい顔して凄い子だなとは思った。
「ご、ごめんって……怖かったよな、うん……」
「うぅ……ぐすっ……」
やっと解放された手を股の間に挟み、座り込んで泣きじゃくるファインに、困った顔でクラウドは謝り倒す。窮地からの救いに参じたヒーローとして、本来感謝されこそすれ謝るような必要もない場面だが、やっと掴んだ望まぬ完成形で、ずっと我慢してきた女の子をすぐに助けなかったので、ばつの悪さが凄い。謝るクラウドに首を振り、それはいいんですけどと表明するファインではあったが、すぐにはどうしても泣き止むことが出来ないので、クラウドもしばらくおろおろするばかりだった。
すん、と鼻をすすって目を拭うと、改めてクラウドを見上げるファイン。頭が冷えれば、どうしてクラウドがこんな所に来てくれたのかを問う時間だ。屋敷に駆けつけた経緯はある程度割愛して話し、サニーに言われてファインを探していたという顛末に差しかかったクラウド。その途端に、ファインの目の色ががらりと変わった。
「サニーは……!?」
「……今、マラキアと戦ってる」
マラキアという人物がどれほどの手練かなどとか、そういう思考も全部すっ飛ばして、ファインは慌てて立ち上がろうとする。自分を助けに来てくれたサニーが、今もどこかで戦っているという事実は、ファインをそうさせるに充分な情報だ。立ち上がろうとしてよろめいたファインに、おっとと前で姿勢を下げたクラウドが倒れないように支える。胸と胸が触れ合った感触にクラウドはどきりとしかけたが、ファインはそれどころじゃない。
「っ、く……!」
「落ち着けって……! 無茶なこと……」
「ご、ごめんなさい……! でも……!」
殿方の胸元に飛び込む形になったファインは、赤面した上で慌てて離れたが、脚が悪いかのようにふらつく姿からも、いくらか無理をしているのはクラウドにもわかる。カルムへの奇襲のため、短時間でも激熱を纏ったファインの脚には、未だ内側までひりひりする痛みが残っているのだ。それでも案じる親友のため、クラウドの横を通過して走り出したファインには、クラウドも苦い顔で後を追う。女の子が苦しみながらも必死で駆ける姿、痛々しさの方が目立っていい見世物ではない。
「背負おうか?」
「大丈夫です……! 走れます!」
力強い声、はっきりとした眼差し。これだけ力強い決意を表にしつつも、時々つまづきそうになりながら、地下牢から外界へと続く階段を駆け上がってくファイン。きっと彼女の全力ではない速度、それでも彼女の必死さが生み出す速さはたいしたもので、1段飛ばしで階段を駆け上がるファインの足の速さは、クラウドも歩いて追いつけるものではない。
鉄格子をくぐるに際し、気を失って倒れたままのカルムを一瞬見返していたクラウド。まあ、どけた際に脈めいた実感はあったし、死んでしまったわけでもあるまい。今この時間で気にするべきはあんな奴ではないと改めて認識し、クラウドは階段を駆け上がっていくファインを追い続けた。
サニーの強さはマラキアの想像を遥かに超えている。垂れ下がって動かぬ左腕を使わぬままにして、素早くマラキアとの距離を詰めたかと思えば、目にも止まらぬような速度の右拳と両足の蹴りを繰り出してくる。乱暴に草刈りする庭師による鎌の大振り、それにも勝る素早い蹴りの速度には、戦闘魔術師として慣らしたはずのマラキアさえもが、回避に精一杯で反撃することが出来ない。
身体能力で言えば、人並みより上程度であるはずのサニーが、これほどの速度を生み出せる種も知っている。天人のみの属性魔術、風の魔力を武器である肉体に纏い、本来以上の速度で手足を振り回しているのだ。たとえ女の子の肉体とはいえ、超速度で何かにぶつければ重みも相まって、それ相応の破壊力が生ずる。人間の肉体が、絨毯の下の石床や、マラキアをはずして殴った柱を砕くほどの破壊力を発生させているのだから、相当な速度を得ているのは物語られている。
その反動でサニーの体が壊れないのは、何かに手足が直撃する瞬間、水の魔力でサニーが自分の体への衝撃を和らげているからだ。同時に水の重みで武器の重みを増すことで、攻撃力を上乗せすると同時、自らへのダメージを軽減する戦い方。これは風と水の魔力を相当精密に使える、天人にのみ許された戦法である。格闘戦を得意とする天人の手段としてはポピュラーなものだが、上級魔術師のマラキアとて、ここまで刹那刻みに精密な魔力を操る手腕は無い。女の体で、素の大男顔負けの格闘術を形にするほどの天人魔力を使いこなすサニーの戦いぶりは、年下の彼女を甘く見ていたマラキアの意識を、否応なしに書き換える。
サニーの突き出した拳を、身をひねって回避するマラキアだが、たなびく己の髪をサニーの拳がかすめる感触には肝が冷えるというものだ。そのまま攻撃魔術を放って反撃しようにも、その場で宙返りするようにしてマラキアの顎を蹴り上げようとするサニーが速すぎて、後ろに素早く退がるしかない。あまりに速いサニーの連続攻撃を前にして、マラキアも反撃の糸口を掴むことが出来ない。しないのではなく、出来ないのだ。
着地ざまに一歩踏み出してきたサニーに掌を突き出し、氷の槍を放つ魔術を放って迎撃するマラキア。魔術の名を口にする暇も無い、最速の一撃だ。真正面間近から飛来する、自らを貫こうとした鋭い槍の一撃を、サニーは減速すらせずかがみこんで回避。反撃直後で隙の多いマラキアの懐に飛び込むと同時、掌底の一撃をマラキアの胴元めがけて勢いよく突き出す。前進する体の速度に上乗せした、彼女の突き出す掌の速度は、戦い慣れたマラキアでなければ手先が消えたようにさえ見えるほどの速さだ。
攻撃に使った方とは逆の腕を引き上げたマラキアは、胸を貫くはずだったサニーの掌底を受けきった。今日初めて、マラキアにヒットしたサニーの一撃だ。直撃の瞬間に後方へ跳んだマラキアは、今の自分の判断が絶対に正しかったと確信できた。腕に纏った水の魔力により、サニーの攻撃力を緩衝し、さらに衝撃を逃がすために直撃と同時に後方に退がったが、それでもマラキアの腕が折れるかと思うほどみしついたのだから。魔力による防御、体を逃がす好判断、どちらが欠けていても、マラキアの腕は駄目になっていたはず。
「小癪な……!」
遠き後方の壁まで勢いよく、跳んだとも飛ばされたとも言える速度で下がったマラキアは、壁を蹴ると同時に風の魔力を頼りに我が身を高くへ逃す。マラキアに追い迫ろうとしていたサニーの脚が止まったのは、壁を蹴ると同時に振るったマラキアの腕が、氷のつぶてを無数自らに放ってきたからだ。マラキアが壁を蹴って進行方向を曲げたことからも、回避しながら愚直に突っ込んでも無意味だと悟るサニーは、無数の氷の弾丸を大きなサイドステップで回避。マラキアが前方広範囲に放ったその一つからは逃げ遅れたものの、サニーは拳の裏を振り上げた一撃で、肩に刺さりそうだった氷のつぶてを打ち払う。
マラキアが向かったのは、玄関ホールの高所。屋敷から入れば正面に見えている、二階への幅広の階段だが、その最上段にマラキアが立つ形でサニーを見下ろしている。追い迫ろうとしたサニーがそれを出来なかったのは、すでにマラキアが練り上げた攻撃魔力の渦巻きを、肌で感じて追撃のリスクを感じたから。
「天魔! 乱突風!」
狭い屋敷内では不利を確信したマラキアによる、柱も揺らぐような突風の魔術。右腕で顔を庇ったサニーの肉体も浮かされ、後方の屋敷出口に向かって吹っ飛ばされていく。開けっ放しの玄関を超え、庭に体を叩きつけられるサニーだが、ぶらつく左手首を右手で捕まえながら、背中から地面に打ちつけられる直前、右の二の腕で地面を叩いて受け身を取っている。それに際し、背中と腕に凝縮した水の魔力が、反発力を生じさせてサニーの体を跳ね上げ、結果的にサニーの体を貫く衝撃を和らげている。恐らく3階から突き落とされた時も同じようにして緩衝、そして立ち上がってきたのだろう。遠くからサニーの姿を見届けたマラキアも、そもそもここまで生き延びてきたサニーに対する疑問をこれで解決させ、庭に転がったサニーへと駆け寄っていく。素早くだ。
しかし地面に体を打ちつけ、体が跳ねるままに後方に宙返りしたサニーは、一秒も倒れたままの時間を作らず立ち上がっている。苦しそうな顔なのは、負傷した左腕と肩が痛むせいであって、今の風によるものではない。だから彼女の表情から、状況の好転を見込めるわけではないと正しく読むマラキアは、サニーをやや遠くに見据えたままの位置でそれ以上近付けない。今のサニーは、射程範囲内に敵が踏み込んで来ようものなら、獰猛な反撃で決定打を与えにかかってくるであろう、虎と同じ闘志を携えている。
庭師によって綺麗に手入れされた、屋敷正面入り口前の庭園。舞台を移したマラキアは跳躍し、風の塊を足先に纏い、空中を滑空する。接近戦を得意とするサニーへ、驕り無く確実な勝利を手にするための第一手だ。屋根の無いバトルフィールドに移ったことでそれを可能にしたマラキアを見上げ、サニーも風の魔力を練り上げる。
「空に逃げれば手出し出来ないとでも思ってるのかしら……!」
「天魔、氷針射!」
空中から、散弾銃のように氷のとげを放ってくるマラキアの攻撃を回避し、駆け出すサニーは地を蹴って空へ。そして、何もない空中を蹴るような動きで方向を曲げると、燕のように空を舞うマラキアに側面から差し迫る。射程距離に対象を捉えた瞬間、回し蹴りを放つサニーの一撃は、油断していなかったマラキアだからぎりぎりでかがんで回避できたものだ。彼の頭上を過ぎ去ったサニーは、向こう空中でまた何もない空を蹴り、離れていくマラキアを追わずに地上へと降り立つ。格闘術のために風と水の魔力をここまで精密に操るばかりか、空中戦のための風の魔力を自在にこなすサニーだが、同じ若さでこれほど出来る者を、マラキアはかつて見たことがない。
一方、今の奇襲で仕留めきれず、警戒心を抱かせたサニーも苦い表情だ。逃げ場無限の野外戦で、マラキアに自らの攻撃を届かせることが出来るかどうか。対するマラキアも、油断すればどんな隙からでもサニーがとどめを放ってくる事実には、本来の安全地帯内で肌をひりつかせざるを得ない。
「地人の味方をする忌まわしき天人め……!」
「人をすぐ見下して……! これだから天人は……!」
地上から見上げるサニーと、空から見下ろすマラキア。憎々しげな言葉を、互いに聞こえぬ距離感で口走り合う二人は、それを戦闘再開の合図とするかの如く動き出す。空から氷のつぶてを放つマラキアと、それを回避する脚を駆けさせるサニー。整えられた町長屋敷の庭が、マラキアの氷の弾丸によって荒れ、平穏だった町の一角を戦場へと変えていった。




