第151話 ~忍耐の試練~
防衛戦って一人でやれるものだろうか。敵はわらわら四方八方から集まってきて、樹を背にもたれるファインを中心に、絶えずなだれ込んでいる。情報を共有し合うアトモスの遺志陣営は、まず動けぬファインを先に仕留め、たった一人になったレインを集中攻撃して押さえ込む、そういう戦略を主軸に置いている。まずまず妥当な攻め方だろう。レインは、自分とファインの両方を守らなくてはいけない戦いを強いられるわけで、これが一番レインを苦しめる攻め方のはず。
ファインは殆ど何も出来ていない。というか、する必要がない。ファインに駆け迫ろうとする連中を、片っ端からレインが薙ぎ倒しているからだ。今も、ファインの左右から迫ろうとした二人の男だが、片方へ矢のように飛来したレインが胸を蹴飛ばしてぶっ飛ばし、そのまま逆サイドの男にレインが飛びかかっている。鞠のように味方を蹴って跳ね返って迫るレインに、剣を持つその男も武器を振り抜いて反撃するが、刃の側面を的確に蹴り上げるレインにはじき飛ばされてしまう。その一瞬から逆の足を男の腹部に振り抜いて、骨を粉砕するとともに吹っ飛ばしてしまうのがレイン。ものの2秒で男二人が戦闘不能である。
「射手ども、何してる! 容赦はいらんぞ!」
「相手はあのレインだぞ! もう生け捕りにこだわるな! こっちが危ねぇ!」
自陣営の戦力として連れ戻すはずのレインを、戦えない体にしてしまえっていうのは本末転倒。頭では誰もがわかっていても、誰も手加減できる余裕がない。それほど、彼らの認識するレインの実力は高く、しかも正しいのだ。無慈悲を促す指令が飛ぶ中、樹上からファイン達を射抜こうとしていた射手を見上げたレインが、そこ目がけてとんでもない速度で跳んでいく。目のいい射手だが、足場の悪い中で対応する暇もなく、飛来したレインに胸を蹴り押されて、樹の上から落下していく始末である。
ファインからレインが離れたこの一瞬が隙、と、地上の者達が素早く判断しても、もう遅い。男を蹴飛ばした勢いで近場の太い枝に跳んだレインは、新たな足場を蹴って地上に自ら加速する。自由落下よりも早く地上に達する形で、ファインに迫っていた者達の眼前に立ちはだかると、着地すぐに敵へと真正面から迫り、顎を蹴飛ばして失神させてしまう。地に足が着いていない数瞬のレインに、棍棒を振りかぶる男の攻撃にさえ、ぐるんと振り乱した脚を返す形で、その武器を地面へと叩き落とす対応力すら見せて。自らの握る武器に引っ張られる形で、前のめりになった男の下腹部を、回し蹴り一発で打ち抜いて吹っ飛ばすと、その反動も借りるような形で、レインが素早くファインのそばへと立ち戻る。
汗だくでぜぇぜぇ言いながら、両手を広げてファインの前に立ち、両手を広げたレインの後ろ姿は、ファインでさえも魅入りそうになる。この人には絶対手出しをさせないと、息切れして発せない声の代わりに、体全体で表す少女の姿が、小さな背丈を超越して大きく見える。ファインには頼もしく、アトモスの遺志には恐ろしく。たった一人で無数の敵から、ファインという防衛点を守り通すレインの姿がある。
「ええい、山火事になってもその時だ……!」
「う……!?」
いくら攻めても味方がやられるだけ、この状況下で追い詰められているのはレイン達を攻める側だ。禁忌策とも言える火の魔術、ファインの真正面から巨大な火球を生成して発射する男の狙いは、ともかく一矢報いることを優先した一撃。物理的な戦い方しか出来ないレインは火球に抗えない、かわすならその後ろのファインが火だるまになる。赤々と自らを照らす火球が、真正面から素早く迫っている中、一瞬ファインを振り返ったレインは、どうすればいいのかわからなくなって動きが止まってしまう。
「っ、は……!」
ファインに出来る唯一のことはこれだ。レインには抗えない魔術による狙撃、それに重たい腕を振るって水の塊を投げつけたファインの反撃は、真正面からの火球を呑み込んで、向こう側の魔術師に湯の塊となってぶつかった。火傷するほどの熱ではないにせよ、超重量の水の塊で押し倒されるように倒れた魔術師は、すぐには立ち上がってこれない。その場から動く体力もないファインは、物理的でない敵の攻撃に対する反撃だけは、いつでも移れるように意識を研ぎ澄ましている。もう、それしか出来ないと割り切っている。
それが活きるのもレインがいてくれるからだ。一人の男が剣でレインに正面から斬りかかり、彼女の動きを一秒でも制している間に、両サイドから二人の男がファインに飛びかかってくる一斉攻撃。それすら、自分に来た敵兵の剣を蹴り上げると同時、振り抜いた逆脚の回し蹴りで腹を打ち抜いたレインが撃破している。当然体も一瞬だけ浮く、低い跳びを伴うわけだが、それで足が地に着いた瞬間には、ファインに近付いていた一人に飛びついている。
アトモスの遺志、一兵一兵とて弱いわけではない。それでも迫ったレインに対応できない。それぐらいにレインが速すぎるのだ。かわすべきと即時判断した対応力でも、低空飛来したレインは男の手前で一度地に足を着け、身をひねろうとした男の動きを見て、逆サイドの敵兵へと突っ込んだ。自分の攻撃を回避しようとしてワンモーション設けた相手はファインに到達するのが一瞬遅れる、だから早くファインに迫る方へと狙いをシフト、そんな機転全開のレインに突っ込まれる側の男は、斧でレインを撃退しようにも、それより先に胸元に蹴りを突き刺してくるレインに叩き返される。
一方、レインが一瞬放置した側の男も、すぐにファインに接近して剣を振り下ろそうとしているのだが。もう駄目とファインがぎゅっと目を閉じている間に、その敵の手首を、飛びついたレインの脚が蹴飛ばしているから通らない。剣を落とす男のうめき声、その直後に人の側頭部が蹴られる鈍い音がして、恐る恐るファインが目を開けると、とっくに敵はぶっ倒されてレインの後ろ姿が目の前。ここまで来るとファインも生唾を呑む。守るべき対象だとしか考えてなかった子が、いざ戦いに参じていきなり強すぎる。
「っ……こうなったら、一気に行くしかねえな……!」
「ああ、もうそれしかない……!」
「はぁ……はぁ……い、いけない……!」
敵の猛攻が、ほんの短い時間、ぴたりと止まった。どこから来る、そう気を張り詰めて構えるレインだが、その後ろで敵の真意を推測するファインは、全身の毛が逆立つほどの危機感を覚えている。攻めてこない敵、しかし集まり続ける敵の気配、集った敵が持ち場につくかのように周囲で立ち止まる動き。この3つが物語る予兆とは、とにかく数に任せた一斉攻撃を仕掛けてくる数秒後だ。集まり次第の自然連携で、少数の兵を差し向けてきた少し前とは違い、次は一度に指の数ほどの敵が攻めてくる、そんな予感がファインをすでに追い詰めている。
「――よし、行くぞお前ら! 怪我する覚悟は初めからあるな!?」
「たりめぇだろ! 行くぜえっ!」
「うぅ……!」
間もなくしての号令を挟み、十数人による四方八方からの同時強襲の始まり。極めてシンプルだが、戦力たった二人のファイン達には最も脅威的な攻め方だ。なにせ敵の数に対して応戦できる人手が足りなすぎる。まずどこから撃退すればいいのか、それを一瞬迷うレインの苦しみからして、効果抜群なのは明らかだ。
それでも地を蹴ったレインは、最も近い敵に一気に距離を詰め、反撃の剣を蹴飛ばすとほぼ同時に、敵の体そのものも蹴飛ばしてぶっ飛ばす。その反動で別の敵に跳び、同じことをしてまた撃退、さらに同じような跳び方で三人目の敵の足元へ着地すると、脚を払ってすっ転ばせた直後、相手が地面に手を着くより早く次の敵に飛びついている。ファインへと駆ける敵は全て動いているのに、流動的かつここまで的確に次々と撃破、ないし足止め出来る実力は凄い。一人でやってるのだから尚更。
それでも止められて4人まで。間に合えお願いと必死の想いで、ファインのそばへと矢のように立ち返るレインは、あと少しでファインに武器が届くというところの敵を、側面から飛び蹴りで吹っ飛ばす。だが、ファインの右側から来たそれは撃退できても、左から来る敵はもうどうしようもなかった。もう、敵は大きな棍棒をファインめがけて振り抜いている。誰も助けられない。
「あぐ……っ……!」
頭を粉砕しにかかった一撃を、その場で脚の力を抜いたファインが、落ちるような勢いで座り込んでかろうじて回避。彼女の頭を砕けなかった棍棒は、べきりと鈍い音を立てて木の幹に食い込む。一方、九死に一生を得たファインも、そんな勢いで腰を落として地面にお尻を打ちつけたことで、うめき声を出さずにはいられない。背骨を縦に圧縮されたかのような鈍痛が、ひどく全身を貫いている。
蹴られる、そう思った。ファインを仕留められなかった男が、手を痺れさせながらぎろりと視線を落としてきた瞬間には、既に彼の方に向けられたファインの両掌。何でもいいから突き放せ。がむしゃらな強風を発生させる魔術を発したファインは、蹴飛ばす足を男が振り抜くまさにその寸前、人が浮いて吹っ飛ばされるほどの突風を生み出し、敵を離れさせることに成功した。飛ばされる男が別の敵を巻き込んで、玉突き事故式に狙い以上の敵を撃退できたのは副次効果。ただし、自らの発した風と魔力の反動で、座ったままの姿勢から突き倒される形になったファインは、お尻を地面に着けたまま勢いよく背中から倒れる結果になる。そういう倒れ方をすると頭を持っていかれて、しなるような勢いで後頭部を地面に打ちつけるのだ。
「お姉ちゃ、っ……!」
視界内で痛烈な動きを見せたファインに、一瞬意識を奪われかけたレインだが、後方から剣をけさ斬りに振り下ろしてくる敵の気配には敏感に反応する。体を沈めながら振り抜いた後方への回し蹴りは、男の手から剣をはじき飛ばし、素手になって前のめりになった敵の顎を蹴り上げるレインの第二撃がすぐ続く。だが、そんなレインの側面から、彼女めがけ岩石弾丸が放たれるのは、魔術師による容赦ない追撃だ。
それさえ地を蹴り弾んで、さらにファインへと駆け寄っていた敵へと飛来したレインは、棍棒持ちの男へ足先を突き刺す一撃。対する男も、蛮族に似合う太い棍棒を盾のように構えて、レインの突撃を防御する。重心を落とした大男が、小さな少女の突進から来るエネルギーに対して踏ん張りきれず、大きく突き飛ばされて倒れる光景からも、レインの突撃速度がどれほど速いものかはすぐわかる。
「今だっ……!」
「や……!?」
しかし、レインの攻撃を受けて退けられた男は最高の仕事をした。着地した瞬間のレインの足元地面が、間欠泉のような勢いで大きく隆起した。それはレインの股下を打ち抜くはずの一撃だったが、咄嗟に足をその打点に合わせたレインにより、大きなダメージは与えられない。しかし、下方からの重みあ殴り上げによって、レインの軽い体は高所まで叩き上げられてしまう。
「いやっ、駄目っ……駄目えっ……!」
地上が遠のく、ファインから離れる、倒れたままの彼女へ駆け寄る敵の姿だけが見える。地上へ戻れるまであと数秒、何も出来ないあまりの長時間。絶望一色に染まるレインの視線の先、半分飛んだ意識のファインが、力なくころんと頭を横に寝かせた瞬間には、斧を振り上げた男のぼんやりとした姿が、すでにファインのすぐそばまで辿り着いている。
「あばよ……!」
「やめてええええええええええっ!」
レインの絶叫が森の中に響いた瞬間、まさにそれは起こった。ファインの体を真っ二つにするはずだった斧、それが振り下ろされかけた瀬戸際に、何者かがとんでもない勢いで斧の持ち主に側面から激突したのだ。意識の外から、馬にも劣らぬ速度で肩口をぶつけてきた彼のパワーは凄まじく、脇腹にそれを受けた男が、振り下ろすのが間に合わなかった斧を握ったまま吹っ飛んでいった。牧場の厩舎員が暴れ牛にぶっ飛ばされる事故に近い勢いで。
「ぁ、う……あ……?」
「ファインっ……!」
まさに今しがた殺される寸前だったことさえ、頭で認識できていなかったファインの意識に差し込む声。息を切らしてファインを見下ろした彼の声は、それだけでファインの意識を現実世界に引き戻す。この人の声を忘れるはずがない。誰よりも待ち望んだ、彼女にとってのヒーロー、粘り粘った末にようやく駆けつけてくれた現実には、かすんでいたファインの瞳もぽうと小さな光を得る。
「く……クラウド、さぁん……」
「…………!」
倒れたファインの体を抱き起こす、中腰のクラウドの眼差しに宿るのは激情の炎。追い詰められた境遇下、やっと、ようやく来てくれたクラウドの姿を見たファインが、ほっとする想いのあまりに流した涙は、クラウドの怒りを激烈に刺激した。ここまでファインを痛めつけてくた連中に対するクラウドの怒りは、血気盛んな大人達が、その眼差しを突き刺された瞬間に、腰が引けそうになるほど凄まじい。
やがて地上に到達したレインと、クラウドの揃い踏み。この一事はファインにとっての最高の救いであり、攻める側からして最悪そのものの展開だ。




