第150話 ~覚醒の兆し~
幼い子供にもわかりやすく、お前が抵抗するようならファインの命はないぞと、この状況下で一兵が取った策は機転に富んだものだ。振り返った目の前に、ファインが殺される寸前の姿を見せつけられたレインが、ぴたりと止まって動けなくなる。今だ、と別の一人が武器を捨ててでも、レインの後ろに回りこんで羽交い絞めにする。
「抵抗するなよ、レイン……! 動けば、こいつを殺すからな……!」
「やっ、いやっ……! お願いやめてっ、やめてえっ!」
羽交い絞めのまま持ち上げられ、宙吊りにされるレインの姿は、それだけでアトモスの遺志にとってはかなり安心できる。地面に足を着けられないレインは、相当な力を失うのだ。レインを戦闘要因の大駒たらしめる最大の要素が、彼女の脚であると知っている男達にとって、この形は最も望ましい。
「あ……あっ……」
「お前も動くなよ……! おい、レイン、暴れるな! 本当にこいつを殺しちまうぞ!」
ぎちぎちと太い腕で首を絞められるファインは、詰まる声を短く漏らし続けて、その腕に手をかけようとする。引き剥がす力はおろか、絞め付けを弱めるほどの力も出せない。息が出来ない。目の前が真っ白になりかけたファインの、ささやかな抵抗にさえも敏感に怒鳴り返し、レインを恫喝する男の方も必死なのだ。
「お前もっ、じっとしやがれっ……! あいつを殺されたいか!?」
「やだあっ! お願い、やめてよおっ! 」
レインを捕えるための道具、脚を縛って固定するための枷を持った男が、急いだ足でレインに近付いていく。脚を縮めて、いやいやと体を振り、泣きながら枷から逃れようとするレイン。これをつけられたら終わりだと彼女もわかっている。脚が使い物にならないよう拘束されたら、あとは抵抗するすべもなく、ネブラ達に連行されてしまうだけなのだ。その先に待っているのはきっと、また人の命を奪い続ける日々。
「いいかレイン、3つ数える! それまでに枷を受け入れないなら、本当にこいつを……」
「っ……!」
タイムリミットを設ける男の声は、これが最後のチャンスだとレインにわかりやすく突きつけるためのもの。だが、レインの泣き叫ぶ声を耳にしたファインが、力を振り絞って手を伸ばす方が早い。男の腕を掴んでいた右手を、その上にある男の顔面まで伸ばし、指先で力なく男の頭を掴む形を叶えたファイン。力はいらない、接点さえあれば充分。
「あギ……っ……!?」
「ひぃぐ、っ……!」
ファインの掌から放たれた電撃の魔力は、触れた男の顔面に、頭蓋骨をも貫くような激烈な衝撃をもたらした。薄暗い森の中、まるで一瞬太陽のように光った男の首から上は、光がやむ瞬間には真っ黒焦げ。その一撃で失神寸前に至った男、そして緩んだその腕からずり落ちて膝から崩れるファインは、自らの放った電撃で著しく右手を傷つけ、両手を地面に着けた瞬間、その手の痛みで体を支えきれず前のめりに崩れる。
「てめ……っ、ふぐぉ!?」
レインを羽交い絞めにしていた男が、ファインに罵声を浴びせようとした瞬間のこと。ファインが敵の手元から離れた光景を目にしたレインが、踵で思いっきり自分を捕まえていた男の、へその下の下を蹴り砕いたのだ。そこは恐らく、男の体で一番蹴っちゃいかん場所。今まで出したこともないような声を漏らした男の全身から力が抜け、するりとその腕から抜け落ちたレインが着地する。目の前には、宙吊りのレインの脚に、枷をつけようとしていた男の真っ青な顔。
問答無用で脚を振り抜いたレインは、延髄を横殴りにして邪魔者を蹴っ飛ばす。それだけで人間がぶっ飛ばされ、気絶して地面を転がっていく破壊力だ。一方、両膝と右肘、左手で四つん這いのファインが頭を上げられない状況の中、ファインに痛烈な電撃をくらわされた男が、その上で意識と怒気を取り戻し、ナイフをファインの背中に振り下ろそうとしていた。
自分のすぐ前で四つん這いになった女の子にナイフを振り下ろすだけの男と、少し離れた位置から彼に飛びつくレイン、どちらがやりたいことを叶えるのが早いか。これで、後者の方が速いのだ。ひと蹴り、ひとっ跳びで男の胸元へと矢のようにダイブしたレインは、突き出した膝で、ナイフを握って振り下ろされる拳を打ち抜き、その勢いのまま男の胸へと激突した。
さっきまでファインがもたれていた樹木と、猛牛のような勢いで突っ込んできたレインの間で、潰される形にされた男の胸元、ばきばきと骨数本が砕けた。気絶するのは2秒後のこと、その強烈な反動を受けたはずのレインの膝は無傷で、ぐっと膝を押して後ろに宙返りしたレインは、他の何にも構わずファインに正面から駆け寄ってひざまずく。
「お姉ちゃん、大丈夫……!?」
「っ……レインちゃん、ですか……?」
ああ、まだ気を失えない。嫌な例え、すぐにでも楽になりたい心地でさえあるコンディション、必死で呼びかけてくるレインの声が聞こえた途端、諦められなくなる。一度は本当に諦めかけたのに、また再びだ。顔を上げられない、声の主の正体も、問わねば誰なのか自信が持てない。
それでも救いはある。守るべき子だとしか見ていなかったレインが、あっという間に数人の敵を薙ぎ倒し、今もそばにいてくれている。本当にすがりつくものすら無いと思い、絶望に打ちひしがれた少し前とは違う。その時ですら、やれる限りやると言って戦いを放棄しなかったファインだから、希望があるならどこまででも足掻ける芯を、こんな所で投げ捨てたりはしない。
立ち上がろうとして、後ろにふらついて尻もちついて、腰を痛めるファインの姿って本当に頼りない。大丈夫、と気が気でない声で呼びかけてくるレインに、すぐに言葉を返すことも出来ない。そばにあった木に手をかけ、尺取虫が這って登るように、なんとか体を立たせるのだ。目まいがする中、それを誘発させる毒に抗う魔力を練りながら、背中を木に預けてレインと顔を向き合わせる。
「だ、大丈夫ですよ……お姉ちゃんだって、強いんですから……!」
年上だから、意地も張る。あなたも強い、私も強い、だからまだまだ諦めない。後頭部を木の幹に添え、目線を上げたファインの横顔は、レインの目にはどう映っただろう。森の闇は深い。その中で足掻く二人の少女は、光を失わずにまだ立っている。
目覚めたレインに返り討ちにされた連中は、良くないタイミングでファインを追い詰めて、ひどい目に遭った不運組とも言える。自分達の強襲姿勢がまいた種とはいえ、これで終わりだという意気込みで踏み込んだ矢先、すでに動ける状態にあったレインと正面衝突したことは、予想外の展開に泣くはめになった立場には違いない。
だが、こちらはもっとひどい。獣のように荒い息を繰り返す少年の周囲、中範囲内に立っている者は一人しかいない。上を見上げても、今の彼の領空内に身を置く者はたった一人だけだ。
「……やっと人らしい目に戻りやがったな」
「っぐ……うる、さい……!」
ぜはぁと息を吐いて、右の二の腕に刺さった矢を引き抜くクラウド。さすがに苦しい。ネブラとザームを含む何十人もの戦闘要員、それらに一人で怒り任せに立ち向かった代償は大きく、疲労で苦しむ肺もさながら、刺され殴られた体じゅうが軋んで仕方ない。岩石弾丸で打ち抜かれた太もも、矢を突き刺された二の腕、そして大男の棍棒で殴りつけられた頭。いかに頑丈な体が強みのクラウドとて、万全の動きが出来るコンディションであるはずがない。
怒りのあまりに冷静さを失い、大暴れしたあとの後悔はつきものだ。もっと冷静でいたなら、こんなダメージを受けることもなく、今の状況に至れたはずなのに。割れた傷から血を流してずきずき痛む頭を、残った敵二人を見据えるために正すクラウドだが、その目は数秒前の凶獣の眼光ではなく、苦境に苦しむ少年の目に戻っている。
「俺ら二人だけで、コイツ殺れるんすかねぇ……!?」
「さあね……! 約束できない上官で不甲斐ないとは思うが……!」
一方、危機感を強く感じるのは二人の方もそうだ。あれだけいた兵が、ものの数分間であっという間に軒並み薙ぎ倒され、今や戦えるのはネブラとザームの二人だけ。アトモスの遺志に属する兵達も、決して弱いわけではない。それこそ山賊やらのならず者とは違い、戦闘に特化した動きを叶えられる者達ばかりなのだ。それらをたった一人で一掃し、あとはお前達だけだと睨みつけてくるクラウドを前にすれば、彼の手負いぶりを差し引いても二人の緊張感は高まる一方。とにかく、想像以上のさらなる上でクラウドが強すぎる。
ネブラの挑発でクラウドの怒りが沸点を超えたのは、両陣営にとって一長一短だ。憎しみ任せの攻撃一辺倒と化したクラウドは、普段は見せぬほどの凶暴性で何十人という敵を短時間で撃滅。しかし、冷静さを失った彼ゆえに隙も生じ、三つの痛手も伴った。クラウドをして、敵陣営最強の二人を前にして、余力らしきものが無いのは相当に厳しい。一方で、挑発をきっかけに多数の兵を失い、同時にクラウドの猛威をこの場全体に知らしめてしまった結果、後続ある兵の戦意も削いでしまったネブラは、ザームと二人だけでこの怪物少年を狩らなくてはならない。将の責任、しかしそれを叶えると断言できないこの状況は、それだけネブラ自身もクラウドの強さを感じ取っているという証拠である。
「悪いがザーム君、ここまで来たら退くことは出来ない! 大願への檜舞台を前に、命を懸けることを受け入れて貰うよ!」
「えぇ勿論……! こんなガキに一本取られてちゃ、アトモスの"遺志"は叶えられやしねえっすからねぇ!」
「来いよ、クズ野郎ども……!」
樹上、足元の枝を蹴って空へ発つ構えを取るネブラ。燃え立つ棒を振り下ろし、一喝と共に気合を入れ直すザーム。そして、ファインの命を危ぶめた者達への憎しみを、汚い言葉に発して構えるクラウド。敵と味方に分かれる三人に共通するものは、目の前の難敵を打ち破らんとする強い意志力と、その二対一の戦いに割って入る者はもう無いという現実の認識。眼中の敵を全て排斥したクラウドと、兵に一度引き下がることを命じたネブラは、形は違えどもうこの戦いに、第三者の参入がないことを正しく理解している。
最も早くに足元を蹴ったのはザーム、凄まじい速度で迫る猛襲兵を前に、片足に力を入れたクラウド。次の瞬間にその身を空中に放ったネブラが、空からクラウドを追撃する予備動作に移ったその瞬間、三人の誰もが予想しなかったことがこの戦場に発生する。
「っ……!?」
認識したのはクラウドだけだ。迫り来るザームへの意識も一瞬逸れそうな、森の彼方から響いたノイズ。一瞬ではっとして、棒先を振りかぶるザームの一撃を、あわやのところでクラウドは跳躍して回避。くぐるなど最小限の動きでかわし、カウンター気味の反撃に移ってくるであろうクラウドを予想していたザームにとって、大袈裟すぎる回避にはむしろ驚いて見上げる。
ネブラにとっても予想外、しかし空中のクラウドに無数の針を投げつける姿は、不測に対しても臨機応変さを光らせたものだ。まずい、その一念とともに近しい枝に手を伸ばしたクラウドは、それを掴んだ瞬間に鉄棒代わりに強く引き、体の位置をずらして振り回す。クラウドがいた空中座標を針の雨が空振っていく中、体が回る中で枝を手放したクラウドが、地上目がけて自分を投げ出す方向へ飛んでいく。
「……って、アレぇ!? 逃げるの!?」
「まったく、ハラ括った直後に肩透かししてくれやがんなぁ……!」
着地したまま、クラウドが駆け出した方向は敵二人ではない。予想斜め上の行動だったが、戸惑いつつもクラウドの後を追うネブラ達。空から、地上から、素早い動きで決してクラウドを見失わないよう追っていく。捕獲対象はあくまでレインだが、もはやクラウドも見過ごしておける敵の駒ではないのだ。なんとしてもあれを討ち取りでもしないと、レインを確保するための兵まで全滅させられ、それらの負傷は後日の計画にも響いてくる。
まるで一目散に逃げるような素振りのクラウド。本質はそうではない。彼は今、追う側だ。
「聞き間違いじゃないよな……!? 頼むから、無事でいてくれよ……!」
遠方で響いた、レインの泣き叫ぶ声は、敵がひしめく音と声が反響する森の中において、ネブラやザームにも聞こえなかったものだ。クラウドだけが聞こえていたのだ。その音の出所の方角へ向け、ファインと共に消えたレインへ向け、クラウドの脚は今日最も必死に駆け抜けている。
怒りに身を任せてその血を騒がせたクラウド。成果は幾多の敵を一人で打ち倒した結果、代償は傷だらけになって痛む体。そして密かに生じていた副産物は、本来ならば走れぬはずの足、振れぬはずの腕、頭を棍棒で殴られてなお狂わない方向感覚、それでいて今を駆ける異様なほど強靭な肉体だ。その副産物の一つには、誰も聞き取れぬはずの遠方の声を、聞き落とさない異常な聴力も含まれている。
翼も特別な甲殻もない、頑丈で強い体だけが表面化していた、古き血を流す者のクラウド。血が覚醒するにつれ、自分自身が普通の人間とはどんどんかけ離れていることを、必死さで心を塗り潰したクラウドは自覚すらしていない。




