第142話 ~圧殺構図~
一転、レインを抱える側に代わったクラウドは、両手の塞がった反撃不能の状態で、無数の敵から逃げ回る立場に。地上でクラウドを追う敵の数が、ここから全く減らなくなる。木々の間を駆け抜けるクラウドに、樹上からの矢や、待ち伏せの末に木陰から飛び出して剣を振るう敵が、次々に襲いかかってくる危険な構図。
少女一人を抱えたまま、奇襲じみた剣をかがんでかわし、その遅れが後続の敵との距離を縮める。ともかく気を抜く暇もなく、全包囲からの攻撃を警戒しつつ全力疾走という、厳しい状況だ。
「ちくしょう追いつけやしねぇ……! 先回りの奴らは仕事してんのか……!?」
「げっ、跳びやがった……! お前ら絶対に目を切るんじゃねえぞ!」
それでもクラウド、何せクラウド、そもそもの身体能力が一般の戦闘集団個々と比べても格段に高い。女の子一人を大事に抱え、絶対に落とさない形でしっかり胸の前に固定し、走るわ飛ぶわ、木を蹴るわで球のように森の中を跳ね回り続ける。上からの狙撃を一瞬早く察知したクラウドが、前方に走り任せに跳躍し、木の幹高所へ。足が木の幹に接した瞬間、蹴り出す力で我が身を発射し、敵の包囲が薄い方角へと身を逃がす。ぐっとレインを抱え込んだまま体を回転させ、着地と同時にまた駆け出し、妨害が無ければ一瞬も止まらない。ただでさえ、無数の樹木という障害物が多い森の中、追う側も見失わないようにするだけで一苦労だ。
どこにクラウドが逃げようと、広く展開した兵の視野の中に収まるため、追跡陣営全体がクラウドを見失うことはないが、布陣がしっかりしているからそうなっているだけだ。兵力が不足していて、しっかりした包囲網が出来上がっていなければ、あっという間に素早いクラウドを取り逃がしていただろうと、アトモスの遺志陣営全体が共通して認識している。
「くっそ……! こいつら容赦ねぇな……!」
だからこそ、クラウドに襲い掛かる飛び道具にも節操がない。あらゆる角度から飛んでくる矢と、魔術による弾丸、それらの回避が一番クラウドも苦労する。樹上の射手から、目のいい遠方の術士から、後方から走ってクラウドを追いながら矢を放つ名手から、クラウドは何度も身をかがめ、ひねり、跳んでの回避を強いられる。走って自分を追いかけてくる武器持ちの迫撃兵からも、自由自在には逃げられず、接近を許して首を狩られそうになる。
こいつら俺の抱えるレインに誤射でもしたら大変だとか思わないのか、と、クラウドだって切に感じる。それぐらい各方向から乱射される飛び道具に加減が無い。駆ける戦法、真正面から自分の胸元に矢を放ってきた射手なんて、クラウドが跳んでかわさなかったらレインに矢が突き刺さっていたではないかと。森の外、視界がクリアであった時とは違い、敵陣営も木々の間にちらつくクラウドを、発見次第すぐに撃たねば次のチャンスがなかなか巡ってこない。生け捕り対象のレインを気遣う暇がなくなっている。ともかくクラウドに一撃でも被弾させ、そのすばしっこさを抑えねばならぬと、攻撃の激しさに拍車がかかるばかり。反撃の手段を失っているクラウドにとって、こんな奴らに囲まれた危険性は果てしなく大きい。
「輪を縮めろ! あいつの動きを少しでも制限するんだ!」
「ザーム様が来るまで抑え留めろ! 流れはそれで一気に変わる!」
「ファイン、頑張ってくれよ……! こっちも長くはもたないかもしれない……!」
怒鳴り声に近い掛け声を交換する大人達に混じり、小さく切な独り言を漏らすほどクラウド。敵の戦略はわかっているからだ。恐らく敵陣営の中でも最強を担う地上兵を、自分にぶつけてくるつもりだって。レインを抱えたままのこの状況で、短く交戦しただけでも強者だとわかってしまえたような敵将を、相手取ることが出来るだろうか。
それでも逃げ続けるしかないのが本当に苦しい。大事なものを守るための腕に力を込め、全力の脚を駆けさせ跳ぶクラウドを、暗い森と迫る影の数々が押し潰そうとしている。
「うーむ、エクセレント……! 聞きしに勝るとはこのことだ!」
一方上空、木々の幹と枝が自然の迷宮を作る高所でも、熾烈な戦いが繰り広げられていた。自らも空を舞い、たった一人の少女を捕らえる兵力に混じる指揮官ネブラは、華やかなほどの魔術を行使して逃亡し続ける彼女に、感嘆の声を漏らさずいられない。
「天魔、氷晶機雷弾!」
風の翼を背負って滑空するファインが、振り広げた両手の先から、トゲにまみれた大きな氷の塊を四方八方に撒き散らす。それらはファインの手を離れ、彼女から距離が生じた矢先にはじけ飛び、各方向に尖った氷の弾丸を飛散させるのだ。
まるで不規則、狙いもへったくれもない拡散弾丸だが、あまりにも数の多い氷の弾丸は追跡者をひどく撹乱する。空を舞いファインを追っていた者達も、それの回避を強いられる形で滑空軌道を乱され、地上を駆けていた者や木々を飛び移っていた者も、我が身のそばを冷たい刃がかすめていった感覚には進軍が遅れる。やっとファインとの距離が詰まってきたと思っていた追っ手にとっては、その僅かな遅れさえ、夢が遠のく嫌な感覚に近い。
「――はっ!」
進行方向を保ったままにして、その場でくるんと一回転したファインは振り向きざま、飛翔を乱した空の敵に岩石弾丸を放つ魔術を展開。複数弾丸を放つのだ。矢のような速度で迫る拳大の岩石を、額に直撃させられて意識朦朧になって墜落する者一名。的確な狙いの弾丸をあわや回避できたはいいものの、さらに乱された軌道の先に樹木を迎え、木の幹に体をこすらせてダメージを受ける者二名。地上と空問わず、かろうじて危なげない回避を叶えられたものの、追跡速度を失ってさらにファインから遠ざかってしまう者多数。たった一人で無数の敵を撹乱し、減速せずに去っていくファインの姿を、ネブラの目は見逃せない。
「やはり僕でなければ役不足かな……!」
「っ……!」
ファインとて最強の追跡者のことは、常に意識から締め出せない。まったく減速せず、勢いよく弧を描く軌道を描き、側面から周りこむようにして迫る何者かの気配が、ファインの全身の毛を逆立てる。逃れようとさらなる加速を得ようとした矢先、すでに敵の目の色もわかるほどの距離に近付いていたネブラには、ぞっとしたファインも急上昇軌道に切り替えて逃げようとする。
ネブラの武器はグラディウス、長いナイフとも短い剣とも呼べるもの。射程距離内にファインを捉えた瞬間、鞘からそれを抜いて降り抜くネブラの一閃を、ファインはぎりぎりで回避することが出来た。しかし彼女が線を折るように上昇する軌道に、少し距離を生みつつもしっかりネブラはついてくる。そして見上げる真正面にファインを捉えた瞬間、彼の振るった左手から放たれるは、毒を塗りこんだ無数の針。音も無く下方から迫るそれらが追いついてくる事実は、目や耳では捉えられない。大気のざわめきを魔力で察したファインが、軌道をまたもひん曲げて、地上に平行な滑空を叶えたことで、針の数々もファインをすれすれにはずれていく。
「地術、拡召樹立……っ!」
「な……ぐげっ!?」
「ぬぎ……あ、あのガキえげつねえことを……!」
ネブラがファインの動きを乱してくれて、今こそチャンスだと見た敵兵達の心の隙を、絶えぬ戦意で魔術を放ったファインが撃墜する。各方面の木々の幹や枝から、隆起したかのように突然生じた小さな木が、サボテン状に木の枝と幹が迷路を作る高所を、さらに難解な立体迷宮にする。
追う側も常に動いているのだ。そんな連中の目の前に、突然太い木が生えてきて、壁を作ったらどうなるか。突然現れた木の子供という柱に対応できず、ぶつかって、あるいは突き殴られて、地上へと落ちていく空中兵や樹上の射手が、これで何人生じたか。逃げ惑うように森の中を飛びつつも、追っ手の数を着々と減らすファインの実績が積み重なる。
「はっはっは、流石の一言だよ! さあみんな、気を引き締めようか!」
地上も空中も、ファインの恐ろしさに気後れしそうな矢先、明るい声で発奮を促す指揮官の、余裕めいた号令は頼もしい。ネブラは動じてすらいない。自分達にはファインを追い詰めることが出来なくても、あの方がいれば何とかなると、無意識下で信じられる。ファインに追い迫る敵兵の動きは再び加速し、空から地上から彼女を追い詰める。
「くうっ……あぶな、いっ……!」
ネブラからはまだ距離がある。救いはせいぜいそれだけだ。衰え知らずの勢いで自らに迫り、矢と魔術を放ってくる敵の猛攻には、ファインとて回避に徹するのが疲れる。何よりファインは接近戦が得意なタイプじゃない。認識する敵の一定半径内に入らないよう、滑空軌道を制限される暗黙もある。武器を持つ敵に近付き過ぎて、腕より長いリーチを持つ武器を振るわれたら、恐らく致命傷を負うだろう。まるで虻のように不規則な軌道で舞うファインは、追う側からすれば読めなくて面倒この上ないが、その実彼女とて完全好き放題に飛べるわけではないのだ。
彼女をそうさせているのがこの包囲網。意味は大きい。だからネブラも、厄介極まりない彼女を捕えるのも時間の問題だと、はっきり確信できている。
「駄目……! ごめんなさい、もう無理です……!」
広げた両手から後方に光の魔術、敵を焼き切る光線を放つファインだが、追っ手の目をくらませる程度の効果しか見込めない。ネブラは勿論、攻勢を譲りたがらない兵は進軍を遅らせない。限界を察したファインが向かう先は、やや高いこの場所から高度を下げ、地上に近付く水平線。地上からファインを見上げる形で追っていた者達にとっては、獲物が近付いてきた好機と見えただろう。
「クラウドさん……!」
「ああ、わかってる……!」
レインをパスし合う無茶な戦術を叶えてきたのは、この二人の息の合いようだ。レインを守って逃げ回る側は、反撃できないから自由自在には動けない。近付くのはいつも、レインを受け取って防衛側に回る方だ。森全体に風を巡らせ、クラウドの位置を絶対に見逃さないファインと、近付いたことを示す叫び声に素早く応じたクラウドが、その方向へと駆け足を差し向ける。
手渡し一瞬、近付き合う二人の急ブレーキの終着点は、互いが止まろうとした場所と完全に一致。素早く差し出されたレインをファインが受け取って、再び離れるまでに二人が触れ合えた時間は一秒にも満たない。レインを抱いてさらに加速、急上昇したファインとすれ違う形で、前方へと跳んだクラウドは、今しがたまで逃げるファインを追っていた側からして、あまりに突然の弾丸だ。
撃墜弾丸と化したクラウドの回し蹴りが、迫っていた空中の敵を回し蹴りで吹っ飛ばし、敵の布陣に穴を開ける。木の幹に足を着ければ蹴り出す体を地上に向け、素早くどこへでも動ける形を取り戻す。ファインを追っていた陣営が動揺する中、着地と同時にまた跳躍したクラウドが、また一人の空の敵へと迫る。その拳で頬をぶん殴られた空の敵は、そのまま失神して地上へと撃墜されてしまう。
明らかに乱された空の敵は、これでまたファインへの追跡を遅らせるだろう。それはいい。さあ、問題は自分を追っていた敵の矢や魔術が、ここに来てぴたりとゼロになったこと。ファインが狙われているのだろうか。そうではない。
獣のような速度でクラウドに迫る、鉄棒片手にそれを振るう敵の攻撃を、クラウドは手甲を壁にして防いだ。重い。まさかとは思うが、闘技場チャンピオンのタルナダの拳より重いかとさえ感じるほど。武器の重みが乗っているとは言え、これだけの攻撃力を叶える敵、その剛腕にはクラウドも身がひりつく。
「間に合わなかったか……! まあいい、てめえにはじっとしていてもらうぜ……!」
「ちきしょう……!」
クラウドがレインを手放して自由の身になる前に、彼に追いつき攻めきりたかったザーム。自由に戦える状況でこいつに追いつかれたのは不幸中の幸いだが、敵陣営の最強の一角を前にしたことは、最悪の次に良くないクラウド。周囲の連中の自分への狙撃が消えたのは、ザームへの誤射を無くすための配慮であり、今ここに生じた一対一の構図は、アトモスの遺志が望んだ最善だ。
対峙したザームとクラウドの狙いは真逆のもの。強きクラウドを、ファインの仲間として機能させぬよう拘束する狙いの側と、その思惑に嵌らされたくない側。地を蹴り先手、勢いよくザームに迫るクラウドの動きは、一刻も早くこいつを振り切らねばならぬという焦りに準じた行動だ。




