第141話 ~綱渡りの窮策~
「くそ……! そっちに行ったぞ!」
「何!? どこだ!?」
"アトモスの遺志"というのは、多数派の天人陣営に抗う組織であり、いかなる戦場でも敵軍より兵力で劣ることが多い。ゆえに彼らはお行儀の良い戦い方よりも、暗部から敵の兵力を削ぐ暗殺や、虚を突いて敵に全力を発揮させない不意打ち、あるいは敵を自陣営に有利な場所へ誘導してのゲリラ戦などを好む。森の中という、平たくない戦場にはむしろ慣れた方。
「ぐが、っ……!?」
「一人っ……!」
そんな者達をたった一人で翻弄し、次々と戦闘不能状態にしていく少年がいるのだ。跳躍して射手の矢を回避したクラウドが、木の枝を鉄棒代わりに握って一回転し、ベストのタイミングで手放して自らを斜方投射。身を投げた先にいた敵を側面から蹴り刺し、吹っ飛ばして立ち上がれなくしてしまう。人間が矢のような速度で飛んできて、足で突き刺されてはひとたまりもない。
「ごブ……!?」
「な……げはっ!?」
着地と同時に地を蹴るクラウドは、そのすぐそばにいたもう一人の敵に急接近。降り抜く腕で敵の喉下をぶん殴り、後頭部から地面に叩きつけられた男は、気道を潰された苦しみを認識する暇なく失神。突然の襲撃に、そばの仲間がやられたことに驚愕したもう一人の敵も、大股二歩で素早く近付いたクラウドが回し蹴りで蹴っ飛ばす。人間を横殴りに吹っ飛ばすほどのパワー、それに押されて木の幹に叩きつけられた男も、倒れて悶絶して立ち上がれなくなって当然だ。
「クソガキが……!」
「一斉にかかれ! ガキ相手に恐れることはねえっ!」
こちらの陣営も連携が取れているもので、障害物が多い森の中を右往左往に動くクラウドを素早く捕捉、一気に集中攻撃を仕掛けてくる。目まぐるしく変わる戦況への、対応力の速さがうかがえる光景だ。じっとしていれば三方向から全く同時、クラウドに敵兵の刃が差し向けられていたであろう状況下、クラウドは恐れもせず、剣を持った敵に真っ向から立ち向かう。
急に敵が自分の方に距離を詰めてくれば、距離感が狂って武器を振り下ろすタイミングも乱れるもの。それでもクラウドの二の腕高さを薙ぐ斬撃を、最高のタイミングで放ってきた、敵の手腕も確かなものだ。それを手甲ではじき上げ、そのまま敵との距離がゼロになった瞬間、沈めた位置から振り上げた頭で、敵の顎を頭突きで殴り上げるクラウドが、一瞬で相手を意識朦朧にする。
追跡陣営にとって恐ろしいのは、その男の襟首を掴んだクラウドが、体を反転する勢い任せに、人間の体一つを投げ飛ばしてくること。まさか仲間が砲弾代わりに飛ばされてくるなんて思っていなかった男は、それをそのままぶつけられ、二人纏めて地面に打ち倒される。その光景に絶句して足が鈍った男には、逆に一気に加速して近付いたクラウドが、胸元に正拳突きをぶちかましている。その男もまた、木々の間を潜って吹き飛ばされ、地面に転がって立ち上がれなくなってしまった。
「ちっ、速いなアイツ……!」
「逃さず撃て! 当たらなくても牽制ひとつがデケえ場面だろうが!」
樹上の射手やら、木々から伺う術士やら、そんなクラウドへ矢や魔術を放つ敵兵は断続的に続いている。跳んだクラウドの残影を、矢や岩石弾丸が捉えて空を切り、その末クラウドは樹上の枝根元を蹴り、またも別方向に我が身を発射。高さを保って森を飛来したクラウドが、木々の枝にバランスよく立って矢を構えた射手に迫り、相手が気付いた瞬間には喉輪一撃で樹上から突き落とす。自らもその位置を通過して別の木の幹を蹴り、地上へと降り立っていく。
「くそ……! 接近戦は避けて狙撃を続けろ! 詰めて来られたら最大限に警戒しろ!」
「レインはあいつじゃねえ方が抱えてやがる! 俺達はこいつの動きを止めるんだ!」
森はアトモスの遺志にとっての得意フィールドだが、クラウドにとっては更にだ。何せ木の幹、生える枝、掴める蹴れるオブジェクトがあらゆる方向にある。卓越したパワーが最も目立つクラウドだが、身のこなしも戦闘集団が恐れをなすに値するものだ。ただでさえ手のつけられないスピードが、軌道さえをも不規則に折るのだから。こうした戦場で、数に任せて圧殺するイメージを主にしていたアトモスの遺志にとって、消極的な撹乱戦術をたった一人相手に選ばねばならないのは、それなりに屈辱的だろう。
「っ、く……この……!」
アトモスの遺志のよく出来た所はそれであり、ゲリラ戦の得意を謳う者達が、プライドに対して不本意でも、きっちりベストな戦い方を選べること。敵各々がクラウドから一定の距離をおき、遠隔攻撃を可能とする者、射手や術士によるクラウドへの狙撃重視に切り替わる。それらを素早く回避して、狙撃手への距離を詰めるクラウドだが、すぐに他の兵がその間に割って入り、クラウドに剣や斧を振りかぶってくる。それの対処、手甲での防御や回避に僅かに時間を取られれば、狙った射手も素早く後退し、クラウドにさっきより近くなった距離から第二の矢を放ってくる。身を逸らせて回避しながら、片手を地面に着き、足払いで剣持ちの敵兵をすっ転ばせ、振り下ろされた斧の側面を膝当てで蹴飛ばして逸らす動きも、クラウドの能力高さを証明する。
すぐに立ち上がったクラウドが、斧を持つ敵の顎を掌底で殴り飛ばし、倒れた敵の頭を蹴飛ばして、纏めて戦闘不能にするのは見事なもの。だが、その攻防に時間を費やすのも惜しい。クラウドはもっと自由に動きたい、一刻も早く離れた位置にいるファインに近付きたい。それをさせてくれない敵陣営の動きに、表面的な快進撃に反し、クラウドは焦りを募らせている。
「ザーム様が駆けつけるまで押さえろ! 逃がすな!」
「もうすぐだぞ! 踏ん張りを見せろ!」
一騎当千のクラウドが、多数の兵を一人で薙ぎ倒せる絵は確かに前向き。だからアトモスの遺志も、最強の兵をぶつけるしかないとすぐ決断した。見え透いた敵の策を看破しつつも、改めて集中狙撃に見舞われるクラウドは、身動きの取れない現状に眉間の皺が消せなかった。
「ちくしょう、なんて速さだ……! 俺達が追いつけねえなんて……!」
「落ち着いて包囲しろ! 逃げ道を作るな!」
そして高所、葉と枝の茂る狭い空を駆ける者達も、熾烈な戦いを繰り広げていた。それは戦いと呼ぶには毛色の異なる、反撃の手段が極めて少ない少女を、無数の兵が追いかけるというものだ。
「くそ、当たらん……! コイツ……!」
「空中部隊さんよ、頼むぜぇ! 全然あいつの動きが読めねぇよ!」
「わかっている……! 間もなく包囲は完了する……!」
アトモスの遺志の射手達は実に優秀だ。まるで猿のように、高き樹上を飛び移り、軽業師のように高所を移動している。空を舞う一人の少女を、鷹狩りのように矢を放つこともしばしば叶えてだ。術士の中にも同じような者は数多く、地上を素早く駆け、見上げる上方に手を振るい、岩石弾丸を発射して対象を狙っている。だが、背中に風の翼を背負った少女は、それらすべてを巧みにかわし、木々の間をすり抜けて滑空し続ける。
「レインちゃん、しっかり……! きっと、何とかしてみせますから……!」
「はぁ……はぁ……」
小さな子供をしっかり抱きかかえ、ひゅんひゅんと森の高所を飛翔するファインは、毒に侵されたレインの体に、絶えず治癒の魔力を注ぎ込んでいる。飛ぶ魔力、自分を追う凶弾や障害物への意識、さらには治癒魔術を叶えるという、幅広い集中力を全両立させる彼女の精神力は、過去最も研ぎ澄まされている。抱えるレインに両手を塞がれ、敵に反撃するすべをまともに持たないファインが、無数の敵に追い回される構図だ。追う側も、不規則極まりないファインをなかなか捕えられずに苛立ちが募るが、ファインが抱く危機感と比べれば微々たるものである。
実際、そろそろ潮時なのだ。魔力を周囲いっぱいに拡散させて風を感じれば、うっすら敵全体の動きも感じ取れるファイン。逃げるルートを常に無数、動線作って想定しているファインの脳裏に、逃亡経路の殆どが塞がれたイメージがある。レインを抱えた今、殊更リスクは負えないのだ。遠隔攻撃手段を持つ敵の近くを通り、ぎりぎり回避という賭けにも出られない。把握する限りの敵各個、その一定半径内に侵入できないラインがあり、包囲陣形を叶えつつある敵の動きには、ファインも先手を打つべきタイミングだと察せざるを得ない。
「揺れますよ……! 我慢して下さいね……!」
承諾を取れないとわかりつつもレインに声をかけ、一気に急降下するファイン。目で追う敵軍も、明らかに動きの変わったファインをすぐさま追い詰めにかかる動きへ。矢を放ち、魔術を放ち、空を飛べる空中部隊は軌道を折り、ファインの逃亡予測先へと滑り込もうとする。ファインも先に捕えられてたまるかと一気に加速。勢いよく自ら地面に突き刺さるかと思えるような速度で、地面寸前の所で軌道をへし折り、地面と平行な滑空へと切り返す。
唐突なファインの方向転換に、追う側も僅かな遅れを伴うが、それでもしっかり追い迫ってくる。後方から飛来する魔術や矢を旋回飛行でかわすたび、抱きしめたレインが腕の中から投げ出されそうで、ファインは腕にぎゅうっと力を込める。子供とてレイン、人の体は決して軽くはない。我が身を浮かせる浮力に伴い、レインを抱く腕にかかる負担は少ないものの、やはり彼女を抱き留めるために力を入れ続けるのは、ファインの腕をつらくさせ始めている。力仕事に不向きなファイン、この側面から見ても限界はかなり近い。だから急いでいる。
敵の位置よりもずっと正確、しっかりと把握している誰かの位置を、決してファインは認識から外さない。彼がどこに行っても、森の中を駆け抜けさせる風とその返答により、絶対に見失わないようにしている。彼女の動きはまっすぐだ。敵から逃げるように紆余曲折しながらも、彼女の目指す終着点は必ずそこ。
「クラウドさん、っ……!」
「来たっ……!」
声のした方を見上げたクラウドは、振り返りもせずに側面からの矢を手甲ではじき、迷わずその方向へと跳んだ。そして彼が、目指す彼女に到達する直前、止まり木を見つけた鳥のように、ある木の枝の根元に足をつけたファインの姿がある。そして、そのすぐ隣に柔らかく着地した瞬間のクラウドが、差し出されたレインを極小時間で受け取り、その腕に抱いて地上へと降りていく。
枝を蹴って再び空に舞い上がるファインだが、その後ろ姿を追ってきた者達に、手が空いた彼女を視認することは出来ただろうか。ここまでと同じ調子で追いかけてきた連中が、手の塞がった混血種をさあ追い詰めたと迫った瞬間、両腕を振り上げたファインが、初めて追っ手に手の空いた姿を晒す。
「天魔、鳥墜しの翼!」
「ぐが……!?」
「ぬ、っあ……!」
ファインがその両手を振り下ろした瞬間に生じる、前方広範囲を支配する風の魔力。突然、台風じみた凄まじい強風が、真上から下に向けて吹き落ちたのだ。まるで大気の超高圧、それと重力に体を下向きに押された多数の敵が、一気に地上へと叩き落とされる。飛翔能力を持つ者たちも、本来の滑空軌道を下降軌道に曲げられ、障害物となる木々にぶつかりそうになって軌道を乱す。木々の間を飛び移っていた射手や術士はさらに顕著で、飛び移る先に到達するより遥かに早く体が下降し、捕まるものを失って地面に吸い込まれる。
「クラウドさん、レインちゃんをよろしくお願いします……!」
これしかなかった。クラウドは空の敵に相性が悪く、ファインは白兵戦で迫る敵に接近を許せば終わり。レインを守るためには、代わる代わるに片方が彼女を抱えて逃げ、もう一人が敵の撃退を担うしかない。陸と空の戦いを兵力に任せて両立する、そんな敵陣営を撃退するため、二人が力を合わせられる唯一の強攻策である。守るべきレインを随時互いにパスし合い、戦闘要員を交代しながら敵を凌ぐ戦法を、ここまで二人は繰り返してきたのだ。
苦しい戦い方なのは承知の上、しかしこの手法で既に何人もの敵を戦闘不能に追い込んだのも事実。これを繰り返し続ければ、やがては敵の包囲網も決定的なほつれに繋がり、逃亡を叶えられるかもしれない。そんな希望にすがる形で、ファインとクラウドは戦い続けている。
「次は私の番です……! 負けませんよ……!」
さあ、どこまでこの戦い方が通用するだろう。機敏に空と陸を駆け回るファインとクラウドの幸運は、敵軍の最たる実力者との遭遇に、まだ森の中で見舞われていないこと。ずっとこうなら、魔力と体力の続く限り凌ぎ続け、活路を見出すことも出来るかもしれない。
いつまでも、そうじゃないと、心のどこかでわかっているから。敵を苦戦させている実感を得つつも、二人の切実な胸騒ぎは収まらない。




