第138話 ~捕獲対象包囲網~
ざっと自分達を取り囲む連中を見回すクラウドとファインだが、かなり厳しい状況だと改めて実感する。汚い風体の山賊とは異なり、敵全員の武装がしっかりしているのだ。腰を守る草摺や、小手や兜を装着して、馬に跨る敵の風体は、そんじょそこらの野良山賊のそれじゃない。弓を構える者達の構えも馬上でぴったりと静止しており、まさしく戦闘訓練を積んだ連中のたたずまいである。
そんな連中が多勢でたった三人を包囲している、一見圧倒的優勢の状況下で、攻め急ぐことなく動かない。クラウドとファインも、いつでも動ける状況を維持したまま、身動きが取れずにいる。敵の出方に合わせて動くしかないこの状況下、しかもいつ矢や敵が襲い掛かるかわからない状況との並立は、じりじりと肌がひりついて嫌なものだ。
「ふむ、思ったよりも浅い位置で確保できたようだねぇ」
多数の騎兵に取り囲まれたクラウド達が動けぬ中、軽い声と共に飛来してくる一人の人物。その何者かは、我が身を空に浮かせて接近してきたのち、クラウドの前方離れに着地する。その後ろから馬を駆ってついてくる5人の兵も、その人物が従える部下ということだろうか。
「探したよー、レイン。まったく、勝手にどこかに行ってしまうなんて、いけない子だ」
白い貴族服に身を包んだその人物は、周囲の兵と見比べるまでもなく、ある陣営内において高位に属する、そんな立場の者だと読み取れる風体。レンズの小さな眼鏡を鼻上に添えているのは、視力のせいではなく着飾りだろう。長い銀の髪も風に揺れるほど柔らかく、美青年の呼称がよく似合う顔立ちを引き立てている。こうした状況での初対面でなければ、ファインもきっと、綺麗な人だなって思うような男前だ。
両手を広げて無防備に歩み寄ってくるその人物に、抱きかかえたレインを遠ざけることを兼ねてクラウドが一歩退がる。当の人物の声を聞いて、思わず振り返ったレインが、相手の顔を見て短い悲鳴を上げたからだ。見るからに、周りの連中とは風格が違うその人物を、レインは一目見ただけで顔を真っ青にしている。
「……なんだよ、あんたは」
「おやおや、これは失礼。まずは自己紹介をすべきだったかな」
低い声で問いかけるクラウドの手前、立ち止まった男は朗らかな笑顔で非礼を詫びてくる。毒気の無い、平場で見れば優しい人柄も透けそうな良い笑顔。だが、その人物を見て怯えきったレインの姿と照らし合わせれば、まるで悪魔の作り笑顔にさえ見えてしまうものだ。
「僕は"ネブラ"と言う。君達の名も、聞かせて貰えないかな?」
「…………」
「…………」
「ぜひ名前を聞かせて欲しいのだけどねぇ。僕達の、大事なレインを保護してくれていたんだろう? 感謝すべき相手の名は、是非とも知っておきたいものだ」
クラウドに背中を合わせ、両面警戒の形を取っていたファインが、今はクラウドと並び立つ形でネブラを見据える形を取る。それほど、ネブラと名乗ったあの人物から漂う気質は、只者のそれじゃない。後方への警戒は、魔力を駆使してアンテナを張ってある。もしも視界外から矢を放たれようとも、全角度に対して防御を叶えられる意識を持っている。
「その子は、僕達の身内なんだ。先日、ちょっとしたきっかけからはぐれてしまってね。ずっと探していたんだ。君達が保護してくれていたなら、本当に感謝したい」
「……身内、ですか」
「そうなんだよ。さあレイン、こっちへおいで。一緒に帰ろう?」
クラウド達に歩み寄るネブラだが、足音に敏感なレインは振り返ってその動きを見ると、顔をひきつらせてクラウドに強くしがみつく。嫌だ、あの人を近寄らせないでと、行動で示したレインに伴い、クラウドはまたも一歩退がる態度を表明する。
「この子は嫌がってるみたいですけど」
「わがままなお年頃なんだよ。聞き分けのないことは言わないで……」
「いや……いやっ……! もう、誰も傷つけたくないようっ……!」
涙声でとうとう叫んだレインを、クラウドは絶対に渡すものかと大切に抱える。ふぅ、と息をついて立ち止まったネブラだが、穏やかな笑顔が徐々に困り果てた優男の顔に変わる。黒い感情はその顔色から匂わない。
「……この子から、事情はすべて聞いています。あなたの言うことは信用できません」
「あー、そうかぁ。レイン、全部喋っちゃったんだなぁ」
はっきりとネブラを突っぱねたファイン。今の自分の言葉が、開戦のきっかけになる覚悟をした上でだ。参ったな、という顔で頭をかくネブラだが、焦りや嘘を繕う態度も見せない辺りが、かえってファインとクラウドの危機感を煽る。
こういう輩は、自分達の偽りが露呈した際、どういう行動に出るか相場が決まっているのだ。
「君達は、僕達にレインを返すつもりはないんだね?」
「ありませんね」
「……ありません」
「僕達を敵に回すことになると、理解した上でだね?」
僅か3秒の沈黙。言葉なく、イエスを表明したクラウド達に、ネブラは今日一番のにっこりした笑顔を差し向けた。
次の瞬間、全包囲から飛来する矢の数々が、クラウドとファインの腰より下めがけて放たれた。抱えられたレインへの誤射を避ける強襲を、風の魔力を得て高く跳躍するファインと、一気に地を蹴って集中砲火圏内から逃れたクラウドが回避する。
「行きますよ、クラウドさん!」
「わかってる!」
ここからの二人の行動が実に速い。風の翼を広げて滑空するファインは、クラウドの真上の空にぴったりと付き、クラウドが駆ける前方へと魔力を放つ。次の瞬間、クラウド前方の地面から何本もの火柱が上がり、比較的近かった敵軍の馬が驚いて立ち上がる。その隙を縫うようにして、騎兵達の包囲網を走破しようとするクラウドの一方、別視点からクラウドを狙撃する射手の矢も飛ぶ。
クラウドの上空を飛ぶファインが、手を振りかざすと同時に放つ石の弾丸が、それらを撃ち落とす。また、そのサポートが無くても当たらなかったと思えるほどに、さらに加速し跳躍したクラウドは、矢の軌道直線から一気にはずれ、離れた前方に着地してまた駆けていく。
「なるほど、只者ではないようだね」
あれだけ万全に包囲したように見えても、あの二人にはたいした抑止力にはならなかった。そんな二人の能力高さを目にしてなお、柔らかい表情を保ったままネブラは手をかざす。部下にクラウド達を追うように指示した挙動により、騎兵達は次々にクラウドを追っていく。
「あー、そこの君。君は確か、新人だったね?」
「っ、はい?」
少し出遅れ気味の、騎兵の一人を呼び止めたネブラ。意気込んでいた若者の、狐につままれたような顔を優しい笑顔で迎えながら、ネブラは一頭の馬を指差す。それは、クラウド達に乗り捨てられた馬。
「あれはどうやら借り馬のようだ。近隣の村にでも預けてきてくれないか。こんな場所で放置されていては、狼に襲われて可哀想なことになる」
「え……あ、はい……ネブラ様が仰るなら、そうしますが……」
「こんな役目じゃ不本意かもしれないが、馬一頭でも命、かつ社会を動かす歯車だ。無為に失わせてはいけないんだよ。乗り捨てていったあの二人の立場は尊重するけどね」
何日も追い求めていた対象の確保に兵力を削いででも、そんなことを言い出すネブラが信じられず、しかし命令ということで、若者はクラウド達の借り馬に乗り換える。自分がここまで乗ってきた馬は、自分を主人と認識しているから、そのまま進めば後ろをついてくる。相変わらずだが、今ひとつ考えのわからない人だと実感しつつ、"アトモスの遺志"に属する若者は、馬を駆らせて去っていく。
それを見送ったネブラは、部下も周囲にいないその状況で、初めて少しだけ目の色を変えた。しかしそれは、追うべき対象をさあ追いかけようという意志力のみの変化で、早く追わねば逃げられてしまうなどと、焦りを抱いた顔色ではない。馬の速度でクラウド達を追った部下達に、今からでも追いつける自信の表れだ。
「逃がさないよ、レイン」
駆け出したネブラの背中に生じる、妖精とも虫のそれとも思えそうな、透明の4枚の丸い羽。地を蹴って飛翔したネブラの体は空を滑り、一気に加速する。彼が何らかの古き血を流す者であることは、その一事がはっきりと表していた。
クラウド達を追う騎兵も驚きを隠せない。こちらは馬を一気に加速させて追っているのに、なかなか距離が縮まらないのだ。流石にクラウドも、全力の馬より速く走ることは難しいが、それでも馬が追いつくまで時間がかかる速度で走っている。大将ネブラと同じく、クラウドも古き血を流す者であると読み取る騎兵達は、油断するなよと目配せで示し合う。大きな組織からすれば雑兵の面々とて、驕り無き姿勢で迫るその姿は、味方であれば頼もしさを覚えるものだろう。クラウド達にしてみれば、敵に回してこれほど厄介な奴らは無い。
「クラウドさ……」
「見えてる見えてる! 安心して自分のこと守ってていい!」
クラウドの真上を常に滑空しながらも、時に後方の騎兵達を見返すファインが、矢を構えた敵の動きをクラウドに伝えようとする。直後クラウドに放たれる矢を、クラウドが機敏に回避するのだから、まるで背中に目でもついているかのよう。真後ろからの矢をサイドステップで避ければ、矢はクラウドに当たらず前方に飛んでいくし、的確にクラウドの足元を狙った矢も、軽く跳んだクラウドにかわされて地面に突き刺さる。接近物の風切り音だけで、気配を察して回避するクラウドには、ファインだって敵以上に驚かされるものだ。
そのまま馬を相手に振り切ってしまえそうな逃避行。それを阻む何者かは、遠方離れに既に見え始めている。広い平原、クラウド達を囲う包囲網は、目に見えていた範囲内だけでなく、もはや戦争時に旅団規模で作る陣形のように張り巡らされていた。
「悪いがここは行き止まりだぜ……!」
「っ、な……!?」
「クラウドさん!?」
地面に掌を当ててしゃがんだ男が、小声でつぶやいた瞬間のことだ。ある一点にクラウドの足が到達した瞬間、彼を中心とした巨大円状に地面が底抜けになる。まるで巨大な落とし穴のように、広い範囲の地表が崩れ落ち、その下には蟻地獄のように逆円錐状の空洞が発生。足元を失ったクラウドが、蟻地獄の真ん中に落ちていくしかない中、クラウドの機転はレインを上空のファインへと放り投げていた。
「お兄ちゃ……」
「っ、く……!」
放り投げられたレインをキャッチし、非力な腕に力を込めて落とすまいとするファインの下方、クラウドはどうなったか。蟻地獄の最下点へと落ちていくクラウドを襲ったのは、まるで捕食者の牙のように襲い掛かる岩石の槍。まさに獲物を食い千切るアリジゴクの牙の如く、落ちて来たクラウドを串刺しにしようとした岩石の槍に、咄嗟に構えたクラウドはしっかり応戦した。縮めた体、膝当て、手甲、肘当てで三本の岩石槍を受け切り、痺れる体に鞭打って、岩石の槍を蹴って跳躍するのだ。ぞっとしていたファインの恐怖を覆すかの如く、蟻地獄の真ん中から跳躍して舞い戻り、平坦な地表に着地したクラウドは、既に敵を見据えている。
「つくづくこいつら……! ツレまで化け物かよ……!」
「っ……クラウドさん、気をつけて下さい! あの人は、サニーも苦戦した強敵です!」
蟻地獄のような落とし穴を、一瞬で作り上げる魔術を発した難敵と、厳しい眼差しでクラウドが睨み合う。かつてクライメントシティで合間見えたファインとザーム、互いにその実力は知っている。しかし、ファインの連れと思しき初めて見るクラウドも、あの日戦ったサニーと同じく規格外の実力者であると見えれば、ザームも余裕は保てない。
後方から迫る射手の数々、前方には騎兵の射手を後衛に構えたザーム。ついに立ち止まらされたクラウド達の状況は、悪化する一途を辿っている。
 




